◆「万葉集歌貝寄せ」末文

なほ漏るゝもあらむかし。宇万伎かいへらく、貝とのみよみしはおくへしと。さるは、あはひ玉、磯貝、忘かひ、蜆、うつせかひなと、やゝ五六品に過ず。よて集中見るほとのかきりは、かいつけて奉る。とるととらぬは、君かおもひはかりのまに/\なし給へ。〇万葉考に一本を採は、かたはらにあけしも、なほ今本のまゝにても、よかならむ。〇中皇女命の御名の考はよろしかるへきを、なほ人に問あきらめ給へ。〇哥のよめるやうは、一二は今本にたかふもあれと、皆例もてあらためし也。かも本のまゝになさはなし給へといふ。あなかしこ。

                               秋なり

  葉月十日

    兼葭堂のぬし

   ◆『破紙子』跋

やれがみこてふものは。ぬしなき野べのすてころもにもあらす。またふるゆきの身のしろころもにもあらて。ときあらいきぬよりねうちおちて。ころせでかさぬものにそありけり。かくわひしきものをとりて。うはふみとせしことはさるみやひこのみて。すいふるふひとのたとゑ。まがねしらかねうめくまでもたりて。いきほひもうにのゝしるとも。やがておゝくの。おいめいでき。こゝかしこのおに。とくせにこ。はやくせと。むしりとるほとに。やかてにうらふれぬるは。まのあたりなり。まいてこむすこなんどか。くものうへまてまひあかりつゝ。たらちねのかううけ。たつきのせんすへなくて。やれたるかわぼりはなの。わたりにかさして。さるがくうたひ。またつみふかきは。かたひのこわまねて。はつかなれば。やれかみこひとゑにならさらむほとに。とくひがとなりたまへといふ

                                いさみ

 ゆるけきまつりことに

    あへるふたつの春

   ◆壁書

 家宝かんやく丸

第一 いちをつよくしはらのさむさこたへゝし

 禁物

酒 肴 たはこ 油(阿諛訓に云アブラ)

すへてのものくさきをきらふ

文人 茶人 財主 臭気不可対

 出店類薬無之候

   ◆雑文断簡

〔前文欠〕しれ者のしわさにこそありけれ。神代かたりの中におかしきは、この紀に、火々出現のみことの御いのち五百八十歳、又神武の巻に、天孫降臨より人皇のはしめまてを、一百七十九万二千四百七十余歳とは、誰か指かゝめてかそへとゝめし。又、暦書のいまたこゝに来たらぬいにしへに、いかてか数を知りてかそへし。数学と云ものゝうたかはしきは、一に始て十に終るをは、月日かそふるには、三十日を一月とし、一月十二月につもりて、一とせとなるといふ。月の盈虧るまゝにかなへるかと思へは、月なき夜も、月あるさまにかそへ入る也。又、一月に一日かきたるか、おのつから月につもるへきことわりも聞えす。三年に一度閏月を立ねは、つみ/\て、夏、冬は、うらうへに成へし。又、一月の数をいかにかはかりて、閏を立ぬ国もありとや。この本は、農事をたかへさせしとて、数を立て暦書は成たりと也。羲和と云し人の数にくはしかるか、此事をつかさとりたしに、酒に酔しれて、民に農事をゝしへさりしに罪せられ、後には、怠りの大事なからに世はへしとそ。はるかの後代の唐といふ時に、一行と云蛮夷の僧かうまく教へて、この法よかりしといへども、宋、元の、つき/\の世々のさかし人の、一行か云しをわろしとて補ひしかつたはりて、いと苦しき学術なりけるを、明の末に又蛮人の来て、一行のをしへにちかくて、さかしくたかへるか伝はりしを、今のから人の是をつたへて、この邦にもわたし来て、よくとゝのひし学業とそ聞。又、昼夜の時刻に、九を初めに四に終り、又且九にかへりて、四にとまりぬる事、いかにそや。子の時かはしめなるへくは、一日一夜を十二にかそへてやめかし。又思ふ、九は数の終りなるものに云へは、九に初まるへき事、いふかし/\。或人云、九をはしめにおきて、是を二つかさぬれは、十八よ、其十を省きて、丑の時を八つ、又九を三かさねにして、寅は廿をすてゝ七つとす、卯の時の六つは、四九卅六の六也、あな煩はし、何の為に九をかさぬるよとて、わらふ/\書たる事を見し。卯か曙光にて、一日のはしめなれは、子を第一とすへき事ことわりならは、子の時とせよかし。其曙光の子を、一と定てかそへは安からめ。すへて学問とて大事として習ふも、大かたは遊学にそあんなる。羲和なくとも、蛮夷をしへすとも〔以下欠〕

   ○東山々居記

人の余に在ては、身暇有てしつけき、心やすく過してたぬしきと、二つこそ、いにしへより、かしこき人の、ねきもとむるにそ有けれ。されはよ、王給事か〓川の出居、費公、晋公の平泉緑野のたゝすまひ、竹楼、雪堂、独楽園、吏隠亭、この邦にては、河原のおとゝの棲霞観、四条大納言の北しら河の別荘、経信卿の田上の山住、京極中納言の嵯峨のの庵、まのあたりならねと、うまく其おもむきを腹に味はひ、眼をふたきて思ひ見るに、身暇ありて、心たのしきをねきたまへるか外やある。そも/\天の下の物てふ物、事てふ事、我をやりつかひ、我をこうしくるしめさるはあらしかし。たゝ此にたつ〔以下、次行ニ続クカ〕をねかふ人のみ、それかために、つかはれくるしめられさりける。凡窓にあたる山のけしき、砌をめくる水の流、鴬蛙の鳴とゝろく声、松にしらへ、竹にふきならす嵐のたくひならては、みな我をまなふのみ也。詩つくり、哥よみ、手習ふ、はかなう書すさひ、湯たきらせ、茶かきたつるわさならて、我をくるしめさるものも、はたあらしな。此くたり〔以下欠〕

〔前文欠〕世には希也けり。みすかかけたるあふゐ草、いとかう/\しけ也。出しきぬえんにほひやかなるは、下すたれよりあて人の皃のほのにほひやかなる、いかにめてたかりけん。あやなくけふやなかめくらさんの古言を、今更に味はひて、心得らるゝそかし。舞人、陪従、前うしろにしたかへ、近衛府の随身、馬の口にさふらはせ、ゆら/\とねり出たさせたまふ。けにけふの御つかひさねとは、ひかめにも見えさせたまふ。〔以下、次行ニ続クカ〕

すさの肩にかけたるろうの衣、きら/\と日にきらめきたり。けつり花さしたる風流の大かさ、重たけにさゝけたるさまもおかし。内蔵つかひは誰そ、鞍おきたる、いともほこりか也。宣命かけたりと聞けは、むへさるへきにこそと、かたしけなくかしこきと、拝みたいまつる。けふの御まつりにつきても、御禊の日の御よろほひいかなる、猶見飽ねは、下上の御社の式をもと、そゝのかさるゝ、さとき人のしりに<以下、次行ニ続ニカ>

立て拝みめくる御使の、宣命のらせたまふみありさまは、たゝあなたふとゝ、さしあをくのみ。楽やする河舞や、馬つかさの御馬引わたすまで、我つたなき筆はいかて/\。

                       荷田信美

〔前文欠〕音なひて、先初音いかにとゝへは、雲のうは書かきたえて啼す、かゝるよすかには物のたまへよ、且見れと、うとくもとは、身にもおほししらるゝなれ。

  うれしくもとはれにけりと思ひしは

といふを、とりあへす、

  よその過ゆくほとゝきすかな

と申たまへるに、御くねりうけたまへける。口とくもいひおくらかしけるを、恥かしと、おもひつゝもいとをかし。さてもかたふくに、猶山彦のこたふるこゑやせん、しかすかに、彼右近の馬場に、夜更るまて啼さりけれは、きかてや宿にかへらんと、わひたまひ、人に我もならはゝやといふ。あたしのたまへる、〔以下欠〕

今は昔、都住せし時、弥生の末つかたに、残りたる桜かりせはと、野ゆき山行うかれありきしか、花はあらてほい本意なきものから、やう/\色にゝほふつゝし交りの、わらひ折はやしつゝ、嵐山こえゆけは、あすは雪ともの花さかりよし。

〔前文欠〕とも、其条理は書えぬ者也。

又は、伊諾尊、功績既に成て、天に申さく間、こゝに住たまふを、日の若宮とは申せりき。

是亦一説成。知るとは領知する成。とにかくに、此段いふかしき。人我にかたる、日本書紀の古巻を見しに、奥書に日、代々朝にて、夫官、才筆に私せしを悪みて、古巻の有のまゝに写せしは、左衛門佐藤原長良卿也と見ゆとそ。いふかしき事也。さる珍書の、いかて其後に世には出さるそ。すへて古書は、村上の御時に、天徳四年の火に、宝庫、文庫とゝもに焼亡ひしには、後より文臆説多かるへし。其事かたりし人のいかて求めとゝめさる。又他に得しとも、かく古書のしき/\に世に現はるゝに、此書のみ又出さるは、いふかしき説也。水府西山公の、あまねく海内を探りて集めたまひしにも、長良卿の日本紀の目録なし。又、書目のみをきはしく録せしにも見えさるは、かにかくにいふかしき者よ。頑老か僻には、かゝる事尽し□□□□□□偽妄の説をまことゝして書あつめ〔以下、コノ文ノ前ニアル「とも、其条理は書えぬ者也」ニ続クカ〕