今はむかし昔を今の世談は絶ずして、しかも勧善懲悪の人をみちびくの至道なるをや。

爰に濃州大垣の産辻堂氏非風子、いとまの日此草子を著し伝ふ。

詞華言葉鮮なれば、握翫して夜のながさの友とし、且食を忘るゝのあまり、あなたこなたの同志にさら/\ととりわたしぬれば、風の挙たる玉すだれのつれ%\もなきこゝろおもしろや。

                         城南 挙堂

 甲申孟春

多満寸太礼巻第一

目録

天満宮(てんまんぐう)通夜(つや)物語(ものがたり)

宰符(さいふの)僧(そう)蒙(かうむる)清水(きよみづの)観音(くわんおんの)利生(りしやうを)事

仏御前(ほとけごぜんの)霊会禄(れいくわいろく)

仁王冠者之(にわうくわじやが)事

多満寸太礼巻第一

天満宮(てんまんぐう)通夜(つや)物語(ものがたり)

 中比(なかごろ)、尾州(びしう)織田信長公(おだのぶながこう)の家臣(かしん)に、星崎(ほしざき)の城主(じやうしゆ)、岡田(をかだ)長門守(ながとのかみ)といへる武勇(ぶゆう)の士(さむらい)あり。

 嫡子(ちやくし)平馬(へいま)の介(すけ)何某(なにがし)とて、父におとらぬ大剛(だいがう)の者(もの)にて、詩歌(しいか)の道(みち)にくらからず、義(ぎ)を専(もつぱ)らとし、万(よろづ)つたなからず。

 ある時、信長公(のぶながこう)、江州(ごうしう)にとりつめ給ひし比、此平馬介(へいまのすけ)も戦場(せんぢやう)におもむきけるが、当国(たうこく)上山(うへやま)の天神(てんじん)は、霊験(れいげん)あらたにおはします聞え有ければ、身の行衛(ゆくゑ)をもいのり、且(かつ)は又、文道(ぶんだう)の祖神(そしん)にてましませば、結縁(けちゑん)の為(ため)、夜にまぎれ、ひそかに陣中(ぢんちう)を忍(しの)び出、山上(さんじやう)しけるに、聞及(きゝおよび)しより貴(たうと)く、老松(らうせう)秀(ひいで)て枝(ゑだ)をまじへ、翠嶺(すいれい)東南(とうなん)にめぐりて、山のよそほひ色(いろ)をまし、蒼湖(さうこ)西北(せいほく)にたゝへて、誠(まこと)に神徳(しんとく)普天(ふてん)にみち、無辺(むへん)の利益(りやく)、国土(こくど)に自在(じざい)なり。地形(ちぎやう)すぐれて、神徳(しんとく)の高(たか)きを表(あらは)し、眺望(ちやうもう)はるかにして、霊威(れいゐ)をしめす。

 御灯(ごとう)の光(ひかり)影(かげ)すみて、何となく名残(なごり)おしければ、「よしや、明日(あす)はいかなる敵(てき)の手にかゝりてか、露(つゆ)の命(いのち)を殞(おと)さむもしられぬ身なれば、こよひは通夜(つや)して、浮生(ふせい)の名残(なごり)ともせばや」と思ひ、拝殿(はいでん)の片隅(かたすみ)にうづくまりゐけるに、夜もいたく更ぬるに、内陣(ないぢん)に人のおとなひしける。

 ふしぎに思ひ、さしのぞき見けるに、七旬(しちじゆん)にあまりたる老僧(らうそう)の、うす墨(ずみ)の衣に、おなじ色なるけさをかけ、菩提樹(ぼだいじゆ)の珠数(ずゞ)つまぐりたり。一人は四十年(よそぢ)あまりの女性(によしやう)の、いとけだかきが、紅梅(こうばい)の小袖に、ねりの一重(ひとへ)を打かづけり。一人は髪(かみ)をからはに上たる容顔(ようがん)美麗(びれい)の童子(どうじ)、身には目なれぬ唐織(からおり)の衣(ころも)をきたり。今一人は眼(まなこ)さかしまにきれ、烏帽子(えぼうし)引(ひき)こみ、直垂(ひたゝれ)の下(した)に腹巻(はらまき)し、弓矢(ゆみや)かきおひ、いきほひ有て見へけるが、座上(ざじやう)の老僧(らうそう)申されけるは、

 「面々(めん/\)はいかなる故により爰にはこもり給ふぞ。明(あけ)なむまでは遙(はるか)なり。且(かつ)はさんげの為なれば、願(ねがひ)の品(しな)を夜(よ)すがら語(かた)り申さむにや」とのたまへば、

連座(れんざ)の人々、「誠(まこと)に一樹(いちじゆ)の陰(かげ)一河(いちが)の流(ながれ)。浅(あさ)からぬ縁(えん)なるべし。かりそめながら、年ごとに、かやうの同社(どうしや)して、たがひに名をさへ白浪(しらなみ)の、かへる住家(すみか)もいづくぞと、しらであらむも情(なさけ)なし。仰(おほせ)にしたがひうちとげ(ママ)て、心の底(そこ)をもあかさばやとこそ、思ひ侍れ」とあれば、件(くだん)の老僧(らうそう)、

「まづ何某(なにがし)は、むかし鳥羽院(とばのゐん)の御時(おんとき)、北面(ほくめん)に召(めさ)れつる、佐藤兵衛尉憲清(さとうひやうへのぜうのりきよ)と申者にて、若年(じやくねん)の比(ころ)より、和歌(わか)の道(みち)に心をかよはし、其名世にたかく、雲の上に交(まじはり)をなし、君につかへて忠(ちう)を忘(わす)れず、昇進(しやうじん)とゞこほらず、はなやかに時めき侍りしが、人界(にんがい)のありさま、生死流転(しやうじるてん)のことはりを観(くわん)じ、ふかく無常(むじやう)をはかなみ、妻子(さいし)にも心をとめず、遂(つい)に出家(しゆつけ)し、名を西行(さいぎやう)と改(あらた)め、道心堅固(だうしんけんご)にして命(いのち)終(おは)りぬ。

 しかるに、在世(ざいせ)の昔(むかし)、諸国修行(しよこくしゆぎやう)しけるは、あこぎといへる詞(ことば)をしらずして、発心(ほつしん)し、諸国(しよこく)をめぐるなんどゝ、あらぬ事をのみ世に伝(つた)へ侍る。誠(まこと)に道(みち)にうときとて、よしなき事をいふにや。凡(およそ)和歌(わか)の道(みち)広(ひろ)く、其みなもとは神道(しんたう)の奥義(おうぎ)に叶(かな)ひ、詩賦(しふ)にもとづき、聖賢(せいけん)の心をやしなひ、讃仏乗(さんぶつじやう)の理(ことわはり)を悟(さと)り、からのやまとの事まで、歌人は居(ゐ)ながら名所(めいしよ)をしる。『あこぎが浦(うら)に引あみの、たびかさなれば顕(あら)はれにける』と、常々(つね%\)いへることのはを、聞(きゝ)しらぬほどのおろかにて、いかにかく歌をよみぬべき。

 夫(それ)末世(まつせ)に至(いたつ)ては、人のちゑさきにたち、かたじけなくも、赤人(あかひと)・躬恒(みつね)・貫之(つらゆき)のつらね給ひし歌など、ところ%\におぼえて、したりがほに物語(ものがたり)せしを聞に、文字(もじ)の並(なら)びをかしき事をいひつゞけて、誰(たれ)の歌などゝ、いかめしくのゝしる。しれる人は片腹(かたはら)いたく侍るべし。其(その)道(みち)にくらく、人の嘲(あざけり)をわきまへず、口にまかせて歌ものがたり、をのれが恥(はぢ)は愚(ぐ)よりうつる。

 されば先達(せんだつ)の詠歌(えいか)にも、なき詞(ことば)をとり集(あつめ)、をのれがせちにてよしあしの批判(ひはん)する事、非学不道(ひがくふだう)の愚(ぐ)人ども、世になべて多(おほ)ければ、況(いはん)や吾等(われら)が噂(うはさ)。よろしからぬは断(ことわり)也。これ誠(まこと)に世(よ)の人の心つたなく、和歌の道にくらきが致(いた)す所也。かく世の末(すへ)に、誰(たれ)あきらむる人もあらじ。

 且(かつ)は和歌の威徳(いとく)を施(ほどこ)し、わが身の無実(むじつ)の事をも祈(いの)らむ為(ため)にこもり居(お)る也。此(この)御(おん)神のいにしへ、無実(むじつ)のつみを晴(はら)さむとの御誓(おんちか)ひなれば、ひとへに御神の利生(りしやう)を蒙(かうふ)り、濁世(ぢよくせ)末代(まつだい)の、和歌(わか)の道(みち)さへ捨(すた)らねば、<挿絵見開き1丁>をのづから歌(うた)に心をよせ学(まな)ぶ人も多(おほ)からむ。さる程ならば、自然(しぜん)と得心(とくしん)して、あやまりもなかるべし。さあらん時は某(それがし)が、あこぎのことばをしらぬとも、又は返歌(へんか)を得(ゑ)せぬとも、遂(つい)にはそしりも止(やみ)ぬべしと、かやうにいのり申」と語(かた)り給へば、中にも女性(によしやう)すゝみ出、

「まことに有難(ありがた)き御心ばへかな。みづからは疱瘡(ほうさう)の神にて候。それ、人と成ては、疱瘡(ほうさう)といふ事、貴賎(きせん)によらず、のがれぬとみえたり。其(その)身(み)運(うん)つよきは堅固(けんご)に仕課(しおほ)せ、微運(びうん)の輩(ともがら)は、多(おほ)く其身を棄(すつ)。されば疱瘡(ほうさう)おもてに見へしより、吾(われ)を尊敬(そんけう)し、火を改(あらため)て精進(しやうじん)すといへども、悪(あし)かるべきもがさには、俄(にはか)に仰天(げうてん)して、父母(ふぼ)けんぞくさしあつまり、さま%\のたわ事いひちらし、迷ひの心みだりにして、科(とが)なき他人(たにん)を恨(うら)み、色々(いろ/\)看病(かんびやう)するといへども、限(かぎ)りある命(いのち)なれば、終(つい)の道(みち)にとおもむく。死後(しご)までも後悔(こうくわい)やむ事なく、いかなる悪神(あくしん)の来りてとり殺(ころ)したるやと、目にもみえぬ事に、あらぬ難(なん)をいひて恨(うら)み、尊敬(そんけう)のこゝろ忽(たちまち)に引かへ、悪口(あつこう)する事、理(り)にくらきが致(いた)す所(ところ)なり。

その身貧(まづし)き者(もの)は万(よろづ)うちすて、をのがまゝにするといへども、運(うん)つよき者(もの)はやすらかに命(いのち)もつゝがなし。よろづのさはりをいとふ事にしもあらば、貧賎(ひんせん)の者は一人も助(たす)かるまじ。

人力(じんりき)の及(およば)ぬ所(ところ)、若(もし)力(ちから)に叶(かな)ふ事にしもあらば、上(かみ)天子(てんし)より、下(しも)富貴(ふうき)の者まで、諸寺(しよじ)諸山(さん)に立願(りうぐわん)し、読誦(どくじゆ)修法(しゆほう)おこたる事なければ、諸天(しよてん)の応護(おうご)、仏神(ぶつしん)のきどくにても、命に何かとゞこほり有べきなれども、定業(ぢやうごう)の致(いた)す所は、是非(ぜひ)なき次第(しだい)也。これらは誠(まこと)に諸人の鏡(かゞみ)ならずや。此(この)理(り)にまよふが故(ゆへ)に、科(とが)なき神を恨(うら)む。

 さればとて万(よろづ)の事を破(やぶ)るにあらず。吾(われ)人(ひと)の因果(いんぐわ)をしらしめ、後悔(こうくわい)なかれと思ふゆへに、とにかくに生じては、大方のがれぬ道なれば、勝負(せうぶ)は運(うん)によるべし。神あしければ死(しゝ)たるなど、あらぬ難(なん)に逢(あ)ふ事、我(われ)あしかれとは思はぬなれども、天下(てんか)に疱瘡(はうさう)やむ人、やすらかにして、一人も死(し)せざれば、ひとり此罪(このつみ)まぬかるべしと、此神に祈(いの)り侍る」とかたり給へば、からわの童子(どうじ)進(すゝ)み出、

「まことに人間(にんげん)の習(なら)ひとして、よきによろこび、悪(あし)きに妬(ねた)む事、今に始(はじめ)ぬ事ながら、某(それがし)は薬(くすり)の精(せい)にて候。されば世の中に人多く病(やまひ)をうけ、療治(れうぢ)をするに、医師(いし)其病(やまひ)の症(しやう)をたゞし、心のまゝに本復(ほんぷく)し、忽(たちまち)に死(し)をまぬかる。これその人運(うん)つよきと、医者(いしや)の仕合(しあわせ)と云(いふ)べし。尤(もつとも)薬(くすり)の徳(とく)たるべきを、一向(いつかう)さはなくして、医者(いしや)の手柄(てがら)に成(なり)ぬ。又定業(ぢやうごう)かぎりある病には、薬力(やくりき)も及(およ)ばねば、命を失(うしな)ふ。是を薬違(ちが)ひと云人多し。すべて大きなるひが事なんめり。

 抑(そも/\)薬(くすり)とは神農(しんのう)より、其薬草(やくさう)を味(あぢは)ひ、寒熱(かんねつ)を定(さだ)め、能毒(のうどく)をしるし侍る事、尤(もつとも)書籍(しよじやく)にあきらか也。後の名医(めいい)々術(いじゆつ)を保学(ほうがく)し、療治(れうぢ)をくはへ、病症(びやうしやう)に合(あは)する故(ゆへ)、一つとして越度(おちど)なし。近代(きんだい)はさのみ得学(とくがく)の医師(いし)もなければ、治徳(ちとく)を顕(あら)はす事もなし。薬力(やくりき)たぐひなしといへども、病症(びやうしやう)に符合(ふがう)せねば、をのづから薬力なく、命(めい)を殞(おと)す。まろきものに方(かた)なる蓋(ふた)はあひがたきに、心をつくすはその人の愚(ぐ)成べし。生死(しやうじ)の二つは定(さだ)まりたる事なれば、その道(みち)一大事(いちだいじ)にたしなみ、怠(おこた)る心も有まじけれど、世の末になり、古人(こじん)のふるまひに及(およば)ざれば、秀(ひいづ)る事希(まれ)なるべし。天神(てんじん)わが難(なん)をのぞき給はゞ、天下(てんか)の人民(にんみん)無病(むびやう)にして、病苦(びやうく)を救(すく)はせ給はゞ、をのづと薬力(やくりき)の徳(とく)も顕(あらは)れぬべしと、歩(あゆみ)を運(はこ)び申也」と語(かた)り給へば、末座(ばつざ)の客(きやく)すゝみ出、

「尤(もつとも)真実(しんじつ)慈悲(じひ)の御願(ごぐわん)なれば、感応(かんおう)うたがひ有べからず。

 それがしは、弓矢(ゆみや)を守(まもる)軍戦(ぐんせん)の司(つかさ)、破軍星(はぐんせい)にて候。

 夫(それ)仁義礼智信(じんぎれいちしん)の五常(ごじやう)を守(まも)り、治(おさま)る世には文(ぶん)を以し、乱(みだ)れたるには、武(ぶ)を以おさめ、謀(はかりごと)を千里(せんり)の外(ほか)にめぐらし、克(かつ)事(こと)を、一戦(いつせん)の内に決(けつ)するは、良将(りやうしやう)の本(もと)とする所なり。然るに近代(きんだい)は、親(おや)をうち子を殺(ころ)し、主(しう)を弑(しい)し、己(をの)が難(なん)をのがれん為(ため)に、下人(げにん)を誅(ちう)し、或(あるひ)は欲心(よくしん)に国(くに)を乱(みだ)し、大は小をころし、畜生(ちくしやう)の残害(ざんがい)の謀(はかりこと)にて、義(ぎ)を専(もつはら)に礼(れい)を正(たゞし)くして戦場(せんぢやう)に臨(のぞ)む人一人もなし。それのみならず、運(うん)を天(てん)にいのり、日取(ひどり)の善悪(ぜんあく)方角(はうがく)を考(かんが)へ、軍旅(ぐんりよ)に屯(たむろ)すといへども、天道(てんだう)の理(ことはり)にもれたる事なれば、争(いかで)か勝利(せうり)を得(う)べき。

 その上(うへ)道(みち)に叶ひたる事だに、勝負(せうぶ)は運(うん)による事なるに、まして大悪(あく)不道(ぶだう)の戦(たたか)ひ、豈(あに)利(り)あらんや。をのれ/\が理(り)をさとらずして、軍神(ぐんしん)に罪(つみ)を課(おほ)せ、大空(おほぞら)明(あき)らかなる七曜(しちよう)に、さま%\の非理(ひり)をつげて悩(なやま)す故(ゆへ)に、くるしみ多(おほふ)して、をのづから、邪心(じやしん)の為(ため)に威(い)を軽(かろん)ず。

 主(しう)非道(ひだう)なれば、下人(げにん)もよこしま也。たとへ主(しう)人は是(ぜ)にもあれ非(ひ)にもあれ、官禄(くわんろく)をむさぼり、妻子(さいし)を養(やしな)ふ恩徳(おんとく)あれば、軍士(ぐんし)は旧里(きうり)を去(さつ)て軍旅(ぐんりよ)におもむく事あらば、死(し)を一途(いちづ)に究(きわ)め運(うん)を天(てん)にまかする時は、冥加(みやうが)は人による習(なら)ひなれば、をのづから天(てん)のめぐみ深(ふか)く、人に勝(すぐ)るゝ手柄(てがら)を顕(あら)はし、名を万代(ばんだい)に拳(あげ)、ほまれを子孫(しそん)にのこす。所詮(しよせん)は国(くに)治(おさま)り、人和(くわ)する時は、軍もたへ闘諍(とうしやう)も起(おこ)らねば、我身の難(なん)もをのづから、離(はな)るゝにて候へば、天下泰平(てんかたいへい)、国土安穏(こくどあんおん)を、此御代にいのり申」と、面々(めん/\)に語りて、夜も東雲(しのゝめ)引(ひき)ければ、各(をの/\)法施(ほつせ)再拝(さいはい)して、かきけすごとくに失給ふ。

 平馬介(へいまのすけ)つく%\と聞て、「是ひとへに、天満(てんまん)天神(てんじん)の示(しめ)し給ふ」と、信心(しん%\)肝(きも)にめいじて、千たび百たび礼拝(らいはい)して、ひそかに陣中(ぢんちう)に帰り、あまたの功名(こうみやう)を究(きは)め、子孫(しそん)繁栄(はんゑい)しけるとぞ。

 宰符(さいふの)僧(そう)蒙(かうふる)清水(きよみづ)観音(くわんおんの)利生(りしやうを)事

 中比九州(きうしう)宰府(さいふ)の僧(そう)、三人つれて京都(きやうと)にのぼり、東福寺(とうふくじ)に禅禄(ぜんろく)の講談(こうだん)日々に、群集(くんじゆ)しけるに、国々の衆僧(しゆそう)多く集(あつま)り、これを聴聞(ちやうもん)しけり。此三人の僧も席(せき)をうけて、聴衆(ちやうじゆ)の数(かず)に入、すでに月日を送(をく)りけり。

 中にも一人の貧僧(ひんそう)飯料(はんれう)に絶(たへ)て、日参(につさん)の間(あい)には洛中(らくちう)を頭陀(づだ)しけるが、漸々(やう/\)月もかさなりければ、宿宅(しゆくたく)の料(れう)をいかゞせんと案(あん)じゐたり。さすがに同宿(どうしゆく)の僧も貧(まづ)しければ、いひよるべきよすがもなく、ひたすら案(あん)じけるが、心に叶はぬ事をば、神にも祈(いの)り、仏(ほとけ)にも歎(なげ)き奉らばやと思ひ、清水寺(せいすいじ)の観音(くわんおん)に隙(ひま)なくまいりて、此事を祈(いの)らばやと思ひたち、夜ごとに参篭(さんろう)しけるが、或夜(あるよ)の御夢想(ごむそう)に、御宝前(ごほうぜん)より、立符(たてふう)したる文(ふみ)を、一通(いつつう)さし出し給ひ、

「汝(なんぢ)があまりに申事なれば、あひ計ふ也。此ふみを愛宕(あたご)の良勝(りやうせう)に持て行べし」

と、あらたにしめし給へば、うちおどろきて傍(かたはら)をみるに、現(げん)にふみあり。感涙(かんるい)をながし、再拝(さいはい)して、此状を賜(たま)はり、愛宕(あたご)の方へ尋行て、

「良勝(りやうせう)といふ人は、いづくにおはしますぞ」

と、問(と)へども、更にしるものなし。残鴬(ざんわう)は幽谷(ゆうこく)に啼(なき)、猿(さる)は重嶂(ぢうせう)に叫(さけ)ぶ。やう/\峰(みね)によぢのぼれば、白雲(はくうん)跡(あと)を埋(うづ)み、青嵐(せいらん)こずゑを払(はら)ふ。

 爰に、ある樵夫(せうふ)に行逢(ゆきあひ)て、此事を問(と)へば、

「良勝(りやうせう)とは、此山の地主(ぢしゆ)を申とこそ承りて候へ。当山(たうざん)はむかし七千坊の所(ところ)にて候が、悉(こと%\)く魔滅(まめつ)しぬ。今は房舎(ばうしや)の旧跡(きうせき)斗多し」

とぞ語りける。

「観世音(くわんぜおん)の御利生(ごりしやう)なれば、いか様(やう)にもやうこそあらめ」

と、たのもしく、猶(なを)山ふかく分入(わけいり)たれば、すゝき・桧(ひ)の皮(かは)、莚(むしろ)の御所(ごしよ)ありつればこそと思ひて、立よりうかゞひけるに、窓前(そうぜん)に春(はる)浅(あさ)く、林外(りんぐわい)に雪(ゆき)きえて、折から心ぼそかりけり。

 すなはち案内(あんない)すれば、おくのまより、大僧正(だいそうじやう)にやとおぼしき高僧(かうそう)の、腰(こし)に梓(あづさ)の弓をはり、眉(まゆ)に八字の霜(しも)をたれ、鳩(はと)の杖(つゑ)にすがり、唯(たゞ)一人直(たゞち)に御出ありて、文(ふみ)を取て御覧(ごらん)あり。

「御辺(ごへん)学領(がくれう)の事を仰あるなり」

とて、

「内へ入給へ」

とあれば、仰にしたがひ参りけり。御花がらを自身(じしん)とり出し給ひて、

「食物(しよくもつ)になしてくへ」

と仰ければ、則たうべけり。日(ひ)巳(すで)にくれなんとす。高僧宣(のたま)ひけるは、

「これへは夜に入て、不当(ふたう)の者どもの集(あつま)るに、これへ来りてかくれ居給へ」

とて、わが御後(おんうしろ)に引よせてをかせ給ひける。

 さるほどに、夜も更行(ふけゆけ)ば、千人斗が声(こゑ)して、

「曳々(えい/\)」

と云て、来る音(おと)しけり。此僧(そう)、

「いかなる事やらむ」

と、あやしく思ひ、あまりのおそろしさに、ひざまづきてみれば、老若(らうにやく)尊卑(そんひ)の山伏(やまぶし)ども、我慢(がまん)の翅(つば)さ、驕慢(けうまん)の嘴(くちばし)あり。或(あるひ)は牛頭(ごづ)馬頭(めづ)の形(かた)ち、鳥(とり)獣(けだもの)の姿(すがた)なる者ども、七つ八つ斗なる女子(によし)をとらへ来りて、

「進物(しんもつ)にて候」

と申ければ、高僧(かうそう)

「ふしぎの奴原(やつばら)が、いたはしき事をふるまふかな」

とて、少女(せうぢよ)をよびて御そばに置給へり。扨、かの者ども申けるは、

「例(れい)ならず人の香(か)のするはいかなる事にや」

と申ければ、高僧叱(しつ)して、ふかく狼籍(らうぜき)をいましめ給ふに、をの/\静(しづま)りけり。

 五更(ごかう)に月落(おち)て、一点(いつてん)の灯(ともしび)のこり、夜(よ)已(すで)に明(あけ)なんとす。かの天狗(てんぐ)ども、又

「ゑい/\おふ」

と云て、虚空(こくう)をかけり、東西(とうざい)に去(さり)けり。

 その時又、花がらをとり出し、法師(ほうし)にたばせ給ひ仰けるは、

「うけ給(たまはり)候。飯料(はんれう)の事は、御心(こゝろ)易(やす)かるべし。但(ただし)、此幼(おさな)き者は、尾張(をはり)の国にかくれなき武士(ものゝふ)の、いつきかしづく独(ひとり)むすめ也。これを具(ぐ)して其家に行べし」

と、仰有けり。

 則(すなわち)、具し<挿絵見開き1丁>て尾張国(おはりのくに)に至り、尋みるに、誠に大名(だいめう)げなる屋形(やかた)の体(てい)也。内より戸(と)を閉(とぢ)て、人まれ也。庭(にわ)の内を見入ければ、青柳(あをやぎの)露(つゆ)になびき、老松(ろうせう)風にむせぶ。良(やゝ)久して、女一人出あひて申けるは、

「是(これ)には、このほど姫君(ひめぎみ)のくれに失(うせ)給ひて見え給はねば、天狗(てんぐ)などのとりたるやとて、諸方(しよはう)へ手分(てわけ)して、殿原(とのばら)・中間(ちうげん)、こと%\く尋申に出し給へば、浅(あさ)からぬ御歎(なげき)にて、人に御対面(ごたいめん)も候はず。誰人(たれひと)にて御入候や」

といらへければ、此僧、はじめ終(おはり)を委(くはしく)かたり、

「姫君をこれまで具(ぐ)し奉りたり」

と云ければ、家内(かない)の上下これを聞て、あはてふためきよろこぶ事かぎりなし。

急(いそ)ぎ内に呼(よび)入て、事の次第を具(つぶさ)に尋(たづ)ね、

「先(まづ)、悦(よろこび)に飯料(はんれうを)勤仕(きんじ)したてまつるべし。安(やす)きほどの御事なり。吾(われ)京都(きやうと)にも田舎(ゐなか)にも、倉(くら)あまた持(もち)たり。其(その)期(ご)に臨(のぞみ)ては、いかほどもいとなむべし」

とて、尾張(をはり)の大名と、ながく師檀(しだん)のよしみをなして、何事も不足(ふそく)なくして、出世(しゆつせ)心のごとくとげおこなひ、後(のち)には尾州(びしう)に大寺(だいじ)をひらき建立(こんりう)してけり。

 まことに、大悲(だいひ)応護(おうご)の御方便(ごはうべん)、ありがたかりける次第(しだい)なり。

  仏御前(ほとけごぜんの)霊会禄(れいくわいろく)

 文永(ぶんえい)の比(ころ)、丹波国(たんばのくに)の住人(ぢうにん)、波多野(はたの)下野(しもつけの)前司(ぜんじ)安国(やすくに)といふものあり。大番(おほばん)の役(やく)にあたり、嫡子(ちやくし)木工之允(もくのぜう)国道(くにみち)、ことし廿一歳(さい)に及びしかば、且(かつ)は都(みやこ)一見(いつけん)のため、母もろともに具足(ぐそく)して在京(ざいきやう)す。

 子息(しそく)国道(くにみち)、天性(てんせい)清雅(せいが)にして、書画(しよぐわ)に達(たつ)し、武備を忘れず。弓馬(きうば)に調練(ちやうれん)して、その道々(みち/\)をさとさずと云事(いふこと)なし。諸家(しよけ)の若輩(ぢやくはい)、をの/\師弟(してい)のむつびをなし、日々に遊興(ゆうけう)し、遠近(えんきん)の名山(めいざん)勝地(せうち)、欣賞(きんしやう)せずといふ事なし。

 父(ちゝ)前司(ぜんじ)いひけるは、

「我(われ)平(へい)生、名利(みやうり)の為(ため)につかはるゝ事、ものうきしだい也。只とこしなへに、好(この)むところを得て幽居(ゆうきよ)せば、わが本望(ほんまう)なり」

 明年(あくるとし)の秋(あき)、父(ちゝ)安国(やすくに)、伯耆(はうき)の国を守領(しゆれう)して、かしこにおもむく。国道(くにみち)をも共(とも)に具(ぐ)せんとす。母のいはく、

「木工(もく)、こゝにきていまだ久しからず。遠(とを)き国(くに)におもむき、鄙(ひな)の奴(やつこ)とせんもものうし。暫(しばらく)帰り給はんまでは、唯(たゞ)都に置給へ」

と歎(なげゝ)ば、安(やす)国も同心して、家を都の辺(ほとり)へ移(うつ)し、母もろとものこしてわかれぬ。

 とし此の友(とも)どち、国道がとゞまる事を悦(よろこ)び、其比帝都(ていと)の政所(まんどころ)北条(ほうでう)時宣(ときのぶ)に謁(ゑつ)して、参りつかふ。時宣(ときのぶ)大によろこび、館(たち)のうちをしつらひ置、諸士(しよし)の弓馬(きうば)の師(し)をなさしむ。

 折から、春の半(なかば)、嵯峨(さが)のほとりを逍遙遙(せうよう)して、帰るさの道すがら、とある所(ところ)を過しに、境地(きやうち)はなはだ幽扁(ゆうへん)にして、山下(さんげ)皆(みな)桃(もゝ)の花(はな)に天(てん)もえぐりて、今をさかりの折からなれば、木工(もく)これを愛(あい)し、暫(しばらく)門前(もんぜん)に休(やす)らひて徘徊(はいくわい)す。

 桃(もゝ)の林(はやし)の一むらより、一人の上郎(じやうらう)女房(にようばう)、うつくしく、あたりもかゝやく計なるが、花のもとに立たり。いづれを花とわくべきとも見えず。木工(もく)、遙(はるか)にこれをみるに、いかなる高位(かうい)貴人(きにん)の方(かた)にやおはすらんと、さらぬよしにてさりけるほどに、上郎(じやうらう)はまだ見送(をく)り、国道(くにみち)がおとし置(をき)たる扇子(あふぎ)をとりて、童(わらは)にもたせて送(をく)りぬ。木工(もく)よろこび、門(もん)にむかひて礼(れい)をなす。童(わらは)出(いで)て、

「春の野遊(のあそ)び、いかでくるしく侍らん。入らせ給ひて、つかれをもはらさせ給ひて」

といへば、いざなひいりぬ。上郎(らう)出てまみえ給ひ、

「君は六波羅(ろくはら)の御館(みたち)の御方(おんかた)ならずや。我は又(また)北条(ほうでう)一家(いつけ)の親族(しんぞく)、君が栖(すみか)はわがむかしの宅地(たくち)なり」。

木工(もく)、袖かきあはせて、

「君はいかなる御方(おんかた)にて、この所におはします」

と申せば、

「我(われ)は平性都督(へいしやうととく)の族(ぞく)なり。もと橘(たちばな)の何某(なにがし)が娘(むすめ)、同じ一家(いつけ)へ嫁(か)す。不孝(ふかう)にしてやもめと成、爰(こゝ)に住(ぢう)す」

とて、茶菓子(ちやぐわし)を出してもてなす。木工(もく)、いとま乞(こひ)て出むとす。上臈(らう)これをとゞめて、

「こよひは荒(あれ)たる宿(やど)なりとも、ひたすらあかさせ給ひ、来(こ)しかたの物語(ものがたり)をもし給へかし」

とて、酒膳(しゆぜん)をまうけ、木工(もく)を奥(おく)の一間(ひとま)に請(しやう)じ、勧盃(くわんはい)きはまりて、風流(ふうりう)を尽(つく)す。詞(ことば)やはらかに、品(しな)またまれ也。打もたれ、よりそひ、蘭麝(らんじや)のにほひなつかしく、いとゞ心もまどひ、茫然(ばうぜん)たる計(ばかり)なり。上臈(らう)いはく、

「君(きみ)は風雅(ふうが)詩詠(しゑい)をよくし、手跡(しゆせき)も又古人(こじん)に恥(はぢ)ずと聞侍り。我(われ)又(また)愚(おろか)ながら、此事を好(この)む。今(いま)、幸(さいわい)に、互(たがひ)にまみえ侍る。わが家(いゑ)に伝(つた)ふる唐賢(とうけん)の墨跡(ぼくせき)、和朝(わてう)高位(かうい)の筆翰(ひつかん)、こと%\く是を出してみせ給ふに、或(あるひ)は杜子美(としみ)・李太白(りたいはく)・退之(たいし)・元真(げんしん)・菅家(かんけ)・空海(くうかい)・貫之(つらゆき)・躬恒(みつね)の真跡(しんせき)、炳然(へいぜん)として、あらたなるがごとし。木工(もく)これをみて、手を置(をく)に忍(しの)びず。夜(よ)已(すで)に<挿絵半丁>更(ふけ)ぬれば、とも%\閨(ねや)に入、みづから枕(まくら)をあたへ、交情(かうぜい)そのたのしむ事かぎりなし。

 鶏(とり)の声(こゑ)しきりに告(つげ)わたれば、名残(なごり)はつきぬ中川の、又のよるせをやくそくして、なく/\帰(かへ)り、六波羅(ろくはら)にまかりて、老母(らうぼの)いたはりのよしを申て、よる/\かよひぬ。

 すでに年(とし)の半(なかば)をこへ、浅(あさ)からず契(ちぎ)りかはせども、人さらにしる事なし。

 かゝる程(ほど)に、木工(もく)が父(ちゝ)、伯州(はくしう)より帰(かへ)りのぼり、六波羅(ろくはら)に出仕(しゆつし)す。時宣(ときのぶ)のたまひけるは、

「賢息(けんそく)の才芸(さいげい)、世に勝(すぐ)れける事を賀(が)し給ひ、老母(らうぼ)のいたはりとて、月ごろ行(ゆき)かよひ、さこそ心うかるべき」

などゝ聞へ給へば、安国(やすくに)大におどろき、

「我(われ)伯州(はくしう)へまかる比よりして、一向(ひたすら)君(きみ)の御館(みたち)に侍りて、音信(おとづれ)もなし。いかにつかふまつり侍るか。此たび御館(みたち)へ参(まい)り候はゞ、ありつる様(やう)を見てまいれとこそ、母(はゝ)は申候ひつれ。

曽(かつ)て母(はゝ)が方へはまからず」

と申。時宣(ときのぶ)おどろき、ふしぎの事に思ひ給ひながら、さらぬよしにて立給ひぬ。

 日暮(くれ)て、木工允(もくのぜう)、例(れい)のごとくゆかむ事を乞(こふ)。人をつけてうかゞはせらるゝに、道の半(なかば)にして見うしなふ。使(つかい)走帰(はしりかへ)りて御館(みたち)に告(つげ)、北条(ほうでう)又いそぎ人を嵯峨(さが)につかはしてとはせたまへど、更(さら)にしる人なし。傾城(けいせい)白拍子(しらびやうし)なんどにこそかよひけんと、推(おし)はかり給ふ。

 翌日(あくるひ)、木工(もく)例(れい)のごとくに帰(かへ)り来る。時宣(ときのぶ)召(めし)て、

「夜(よ)べはいかなる所にか行(ゆく)」

木工(もく)かしこまりて、

「老母(らうぼ)の方へまかりぬ」

と申。時宣(ときのぶ)、

「いかに偽(いつは)り給ふ。人をつけて跡(あと)を見せしに、至る所(ところ)をしらず。宅中(たくちう)にも見えず。母(はゝ)のもとにもなし」

と宣(のたま)へば、木工(もく)あざむきて、

「さがへ参る道すがら、友とするものゝ方に侍り、ものがたりに夜(よ)更(ふけ)、をのづから夜をあかし侍る」

時宣(ときのぶ)、その偽(いつはり)をしりて、かの友をよびて尋(たづね)給ふ。木工(もく)赤面(せきめん)し、色(いろ)を変(へん)ず。時宣(ときのぶ)、

「御辺(へん)まことあらば、実(じつ)を以申給へ」

木工(もく)つゝむにたへず、つぶさに始終(はじめをはり)を申て、恥(はぢ)あやまりてかしこまる。時宣(ときのぶ)、いよ/\不思義(ふしぎ)に思ひ、

「わが親族(しんぞく)の者(もの)、更(さら)に左様(さやう)の者(もの)なし。

かならず妖怪(ようけ)の所為(しよい)ならむ。重(かさね)ては行(ゆく)べからず」

と、かたく制(せい)し給ふ。木工(もく)かしこまりて、一日(ひとひ)二日(ふつか)はゆかざりしが、さるにても恋(こひ)しく、

「後(のち)はともあれ、今(いま)一度(ひとたび)あはでは止(やみ)がたし」

と、彼(かの)方(かた)へ行、ありし事ども語(かた)る。上臈(らう)聞(きゝ)て、

「恨(うらむ)る事なかれ。但(たゞ)命数(めいすう)こゝにつきて、契(ちぎ)りもこよひのみ」

と歎(なげ)く。良(やゝ)ありて、なく/\木工(もく)に語(かた)りけるは、

「此後(こののち)ながく別(わか)るべし。又逢(あふ)事(こと)をいつとか期(ご)せん」

と、紋紗(もんじや)のかりぎぬひとへ、彩色(さいしき)の牡丹(ぼたん)の絵(ゑ)一枚(いちまい)をあたへ、

「これ、むかしのものなり。君(きみ)吾(われ)をみると思ひて放(はな)し給ふな」

と、泣々(なく/\)わたして、きぬ%\となりぬ。

 この夜(よ)、時宣(ときのぶ)は、木工(もく)が必(かならず)ゆくべき事を察(さつ)し、ひそかに宅中(たくちう)を窺(うかゞ)ふに、案(あん)のごとく暮(くれ)より失(うせ)ぬ。急(いそ)ぎ父(ちゝ)を呼(よび)て、しか/\と語り給へば、安国(やすくに)大にいかり、「天命(てんめい)をあざむき、不孝(ふかう)不忠(ふちう)の罪(つみ)のがるべからず」

と、木工(もく)を呼(よび)よせ、からめ置(をき)、がうもんせんとす。木工(もく)是非(ぜひ)なく、有(あり)し事をつぶさにかたる。形見(かたみ)の衣(きぬ)、絵讃(ゑさん)を出す。則(すなはち)これをみれば、絵(ゑ)の面(おもて)に治承(ぢせう)の年号(ねんがう)月日(ぐわつひ)を書(かき)て、浄海(じやうかい)入道(にうだう)玩物(ぐわんもつ)と書(かき)たり。又衣の袖に、

 いつしかとわが身にふれしかり衣(ごろも)仏(ほとけ)の御名に返(かへ)しつるかな

此おもむき、いそぎ六波羅(ろくはら)にもて参り、

「ふしぎの事こそ候へ。よのつねの怪(け)にあらず」

いそぎ木工(もく)をつれて、かの地に尋行(たづねゆき)てみるに、日比(ひごろ)見えたる屋形(やかた)もなく、水(みづ)細(ほそ)く流(なが)れ、桃(もゝ)の木(き)のみ生茂(おひしげ)りたり。各(をの/\)不思義(ふしぎ)の思ひをなし、

「むかし、平相国(へいしやうこく)清盛公(きよもりこう)の寵愛(てうあい)の白拍子(しらびやうし)、仏御前(ほとけごせん)とかやいひしを、この所に葬(ほうむ)りたり」

とて、いさゝかなる荒墓(くわうぼ)あり。歌(うた)の心、又記念(かたみ)のもの、うたがひもなき仏御前(ほとけごせん)の器物(きもつ)ならん。しかれども、此(この)怪(け)におどろかされて、なやまされん事を歎(なげ)き、これより嵯峨(さが)に、かの器物(きぶつ)をおさめかくしけり。

 其後、木工(もく)、いよ/\碩学(せきがく)の聞えありて、禁庭(きんてい)に召(めさ)れ、武官(ぶくわん)となり、木工頭(もくのかみ)に昇進(せうしん)しければ、終(つい)にその怪(あや)しみなかりしとかや。

   仁王(にわう)冠者(くわじやが)の事

 去(さん)ぬる永(よう)和年中(ねんぢう)に、美濃(みのゝ)の国中山(なかやま)と云所(いふところ)の山のおくに、いつのほどともなく、年のほど三十年(みそじ)あまりなる男の、いとやむ事なきが、とある山の片陰(かたかげ)に柴(しば)の庵(いほり)を結(むす)び、朝(あさ)な夕(ゆふ)なの煙(けふり)もたえ%\に、

「いかなる世のいとなみをかなしみて、かくはすめるよ」

と、稀(まれ)にあへる木こりも不審(しん)なる事に思へり。此男(おとこ)の有様(ありさま)をみるに、長(たけ)高(たか)くすこやかにして、色きはめて白く、眼(まなこ)さかしまにきれ、緑(みどり)のはやしに、草鹿(くさじゝ)書(かき)たる水色(みづいろ)の小袖(こそで)の垢(あか)付(つき)たるに、白浪(しらなみ)に帆(ほ)かけ舟付たる素袍(すはう)の破(やぶれ)たるを、玉(たま)だすきあげ、かちんのつるはきして、小ぶし巻(まき)の弓(ゆみ)の、にぎりぶとなるに、色々(いろ/\)の羽(は)にてはきたる矢(や)負(おひ)、輪宝鍔(りんほうつば)の大刀(おほかたな)に、九寸五分(くすんごぶ)のさしそへして、峰(みね)によぢ、谷(たに)に下(くだり)、麓(ふもと)の里(さと)へは出たる事もなく、山里の習(なら)ひ、幼(いとけな)き童(わらは)、貧(ひん)なる女(をんな)共(ども)の、こり木する重荷(おもに)をたすけ、炭焼(すみやき)翁(おきな)の老苦(らうく)をいたはる。かくするほどに、後(のち)には、をのづから人も見馴(みなれ)て、「いかなる人」と問(と)へど、さだかにこたへず。

 或日(あるひ)、おなじ国、北山辺(きたやまべ)に、尊(たうと)き律僧(りつそう)のありける。金胎(こんたい)両部(りやうぶ)の檀(だん)の上(うへ)には、四曼(しまん)相即(さうそく)の花を翫(もてあそ)び、瑜伽(ゆか)三密(さんみつ)の道場(だうぢやう)には、六大無碍(ろくだいむげ)の月をみがき、久修練行(くしゆれんぎやう)としをかさね、観念(くわんねん)の加持(かぢ)日(ひ)を積(つも)れり。去(さんぬる)比(ころ)、京(きやう)白河(しらかは)にて、両部(りやうぶ)の大法(だいほう)を伝(つた)へ、諸尊(しよそん)の床(ゆか)を学(まな)び、金剛(こんがう)薩陲(さつた)の位(くらゐ)に住(ぢう)せり。その法恩(ほうおん)のため上京(じやうきやう)しけるが、山ごへに此所を通(とを)りかゝり、秋の日のならひ、程(ほど)なく暮(くれ)かゝり、日西山(せいざん)にかたぶき、遠近(おちこち)のたづきもしらぬ山中に、往来(ゆきゝ)もまれに、猿(さる)樹上(じゆじやう)に叫(さけ)むで閨(ねや)をいそぎ、鳥の声(こゑ)かまびすし。はからずも彼(かの)男(おとこ)に行(ゆき)あひぬ。僧(そう)は、「いかなる山賊(さんぞく)強盗(ごうだう)やらむ」と、猶予(ゆうよ)して、道(みち)の傍(かたはら)にうづくまり居(ゐ)けるに、此男(をとこ)、

「やゝ、御房(こばう)はいづかたへ御通(とをり)候ぞ。日もかたぶき、かゝる山中、殊(こと)に夜(よ)に入ぬれば、豺狼(さいらう)の恐(おそ)れも侍る。里(さと)遠(とを)し。いかゞし給ふらん。いたはしき次第(しだい)。我(われ)夜猟(よれう)のため仮(かり)に結(むす)べる庵(いほ)あり。一夜(いちや)をあかし、何(いづ)くへも通(とを)り給へ」

と申せば、僧(そう)は、かゝる怖(おそろ)しき者(もの)のやさしきこゝろざしやと、とかく伴(ともな)ひ、遙(はるか)の峰(みね)をこへ、一木(むらき)しげれる陰(かげ)の浅(あさ)ましき庵(いほり)に入けるに、柴(しば)折(おり)くべしいろのもとに、わらをつかねしよるのものならでは調度(てうど)もなし。枕(まくら)の上(うへ)と覚(おぼ)しき所(ところ)に、不動(ふどう)の絵像(ゑぞう)を掛(かけ)、すべて食(しよく)すべき物もなし。

「いかにとしてか年月(としつき)を送(おく)りけむ。世には、かくしても過るものかは」

と思ひつゞけしに、男(おとこ)申けるやうは、

「山路(やまぢ)の宿(やど)り。いかゞしてかは物をもまいらせん」

と、やう/\芋(いも)といふものを焼(やき)、僧にもまいらせ、我(わが)身もうち食(くい)てげり。僧は有し次第(しだい)を見、

「抑(そも/\)貴辺(きへん)はいかなる御事にか、かゝる人倫(じんりん)まれなる所に、かくひとり居(ゐ)のすまひ。かた%\ふしぎに侍る。願(ねがはく)は、その故(ゆへ)をつゝまず語(かた)りたまへ」

とあれば、男(おとこ)答(こたへ)て、

「申につけて、便(びん)なふ候へど、且(かつ)はさんげの為(ため)、又は再会(さいくわい)も期(ご)しがたし。夜すがら語(かた)り申さむ。

 もとはいせの国の者にて侍る。十八のとし親(おや)なる者をうたせ、その敵(かたき)を打けるに、敵(かたき)の一族(ぞく)ひろき者にて、所(ところ)の住居(すまゐ)もなりがたく、伊賀(いが)の山中(やまなか)にさまよひ侍りしに、うき世のならひ、とかくながらゆべきよすがもなく、をのづから夜打(ようち)強盗(ごうたう)の身と成、世には<挿絵見開き1丁>仁王冠者(にわうくわじや)と云(いひ)けり。あまたの者を従(したが)へ、富貴(ふうき)尊家(そんか)をうかゞひ、あけくれ切取(きりとり)追剥(おひはぎ)を業(わざ)とし、或(ある)とき党(たう)をくみ、三十人斗(ばかり)同心(どうしん)し、人家を取(とり)まはし、打入事侍りしに、家主(いゑぬし)心(こゝろ)早(はや)き者(もの)にて、散々(さん%\)に切て追(おひ)出(いだ)す。人々あまた討(うつ)とられ、あるひは、疵(きず)をかうむり引けるほどに、我(わが)従弟(いとこ)にて有しもの、引後(ひきをく)れて、行方(ゆくかた)をしらず。扨は、打留(うちとめ)られぬるにやと思ひしかど、おこの者なれば、そこつには討(うた)れじと思ひ、人静(しづま)りて後(のち)、又我一人跡(あと)に帰(かへ)り、かくれて有ぬべき所々(ところ%\)、小声(こごゑ)に呼(よび)て尋(たづね)けるに、大なる柚(ゆ)の木の茂(しげ)りたる梢(こずゑ)にのぼりてゐたりけるが、『爰に有』とこたふ。『何としたる。早(はやく)下(お)りよ』といへ共、いばらにかゝりて下り得ず。時(とき)移(うつ)りける程に、夜(よ)已(すで)に明(あけ)なんとす。いかゞはせんと思ひて、大音(だいおん)あげて、『ぬす人一人、此(この)柚(ゆ)の木にのぼりてあり。とりまはし、打殺(うちころ)せよや』と、呼(よび)たりければ、彼(かの)男(おとこ)、難義(なんぎ)と思ひけるにや、思ひ切て飛下(とびおり)、我(われ)とつれて逃(にげ)たり。彼(かの)身(み)をたばひ、命(いのち)を失(うしな)ふべかりつるを、身(み)を捨(すて)、下(おろ)さむと、我わざと謀(はかりごと)に助(たすけ)たり。

 是(これ)を以(もつて)万事(ばんじ)をつく%\思ふに、只(たゞ)心(こころ)一つの仕(し)わざなるにや。それより已後(いご)、一向(いつかう)に世(よ)をすて、山林(さんりん)幽谷(ゆうこく)を栖(すみか)として、暮山(ぼさん)に薪(たきゞ)をひろひ、一霊(いちれい)の性(しやう)をみて、万縁(まんゑん)の執心(しうしん)を断(だん)じ、居(きよ)やすからざれども、彼(かの)浄妙(じやうめう)居士(こじ)の丈室(ぢやうしつ)を観(くわん)じ、食(しよく)乏(とぼし)けれども、顔回(がんくわい)が道(みち)とたのしむで、山河(さんが)大地(だいち)を踏〓(とうへん)し、一(いち)乾坤(けんこん)の外に逍遙(せうよう)し、形(かたち)は塵俗(ぢんぞく)に同(おな)じけれども、無為(むゐ)をたのしみ、心(こゝろ)は仁聖(じんせい)につうじて、一心(いつしん)法界(ほうかい)の源(みなもと)を悟(さと)り、多念(たねん)無相(むさう)の理(ことはり)を観(くわん)ず。

 又、此山に年月(ねんげつ)を送(をく)る。されば、いづくともなく、女一人夜毎(よごと)にかよひ、独臥(どくぐわ)をなぐさめ、美食(びしよく)をはこぶ。いつぞの比より馴(なれ)そめ、夫婦(ふうふ)のかたらひ浅(あさ)からざりしに、恩愛(おんあい)の衾(ふすま)の下(した)に、一人の男子(なんし)をまふく。彼(かれ)になぐさみ生(しやう)を送(をく)る。御僧の御宿(おやど)も、多生(たしやう)の縁(ゑん)に侍れば、又此(この)縁(ゑん)にひかれて、後生(ごしよう)こそたのもしけれ。世(よ)も静(しづか)ならねば、道(みち)のほども心元(こころもと)なし。小童(こわらは)を路次(ろじ)の守(まも)りに付(つけ)奉(たてまつ)らん」

と、いとたのもしく語(かた)りける。此(この)僧(そう)、奇異(きゐ)の思ひをなし、

「扨、御妻女(さいぢよ)・御息(ごそく)は」

と、問(と)へば、

「待(まち)給へ。暫(しばら)く過(すぎ)て来りなむ」

とて、とかくする程(ほど)に、亥(い)の尅(こく)斗(ばかり)にもやと覚(おぼ)ゆる時、嵐(あらし)一通(ひととを)りはげしく落(おち)て、ものすさまじく、十四五斗の童(わらは)の、髪(かみ)をからわにつかね、清(きよ)らかに見へながら、目の内すゝどきに、小弓(こゆみ)に小矢(こや)うちおひ、松明(たいまつ)とぼし来(く)る跡(あと)に、年(とし)の比廿(はたち)斗(ばかり)に見えて、容顔(ようがん)美麗(びれい)の女性(によしやう)、くみたる篭(かご)を左(ひだり)の手にかけ、静(しづか)に内に入、此(この)僧(そう)を見て、おどろきたる事もなく、

「いとゞさへ旅(たび)のうきに、かゝるいぶせき庵(いほり)にやどらせ給ふ事のいたはしさよ。いまだ夜もふかく侍らめ」

と、

「斎(とき)を供養(くやう)し侍らん」

と、持(もち)たる篭(かご)の内より、さま%\目なれぬものをあまた出し、小童(わらは)にかよひせさせ、僧(そう)にもあたへ、おのこにもくはせ侍るに、世に有難(がた)き珍味(ちんみ)にぞ有ける。かくして、小筒(さゝへ)の内より、酒を取(とり)出しすゝめけれど、僧は禁酒(きんしゆ)にてのまず。僧のいはく、

「かくはなれたる住居、いかに夜毎(ごと)にかよひ給ふらん」

「其事にさぶらふ。わが身は此峰(みね)のあなたに住(すむ)ものにて侍る。さる子細(しさい)ありて、人めをつゝむ身なれば、かく夜ごとにかよひ侍る。かなしさ思ひやらせ給へ」

とて、

  世を外(ほか)に住(すみ)やならへる山祇(ずみ)の木守(こもり)と人の名にや立らん

あるじのおとこ、とりあへず、

  をのづから馴(なれ)てきぬれば木のもとに世を捨(すつ)る身の名をもいとし

かくて東雲(しのゝめ)漸々(やう/\)明(あけ)なむとす。

「帰京(ききやう)の折ふしは、尋(たづね)とはせ給へ」

と、出し立て、小童(こわらは)を道(みち)の案内者(あないしや)とし、弓矢かき負(おひ)て、かひ%\敷(しく)伴(ともな)ひつれ、歩(あゆみ)をすゝむる駅路(ゑきろ)の駒(こま)の、沓掛(くつかけ)の里を打過て、愛智(ゑち)の河原(かわら)に出けるに、昨日(きのふ)の雨に水まして、白浪(しらなみ)岸(きし)を洗(あら)ひ、逆水(さかみづ)堤(つゝみ)に余(あま)れり。橋(はし)落(おち)、舟(ふね)なふして、のぼり下(くだ)りの旅人(りよじん)道(みち)絶(たへ)て、南北(なんぼく)の岸(きし)にむらがれり。

 此僧、川端(かわばた)に大きなる石の有けるに、座(ざ)をくみて南方(なんぱう)に向(むかつ)て、秘印(ひゐん)を結(むす)び、真言(しんごん)を誦(じゆ)し、三密平等観(さんみつべうどうくわん)に住(ぢう)し給ひければ、此(この)石(いし)忽(たちまち)にうきて、河を南(みなみ)へわたる。毛宝(もうほう)が亀(かめ)に乗(の)り、張騫(ちやうけん)か浮木(うきぎ)にあへるごとくにて、向(むかい)の岸(きし)へぞ着(つき)給ふ。

 此(この)童(わらは)、これを見て、

「やゝまち給へ。御供(おんとも)しつる身の、是より罷(まかり)帰(かへ)らば、父母(ふぼ)の恨(うら)みむ。是非(ぜひ)御供」

と、云もあへず、箙(ゑびら)より、かぶら矢(や)一筋(ひとすじ)ぬき出し、弦(つる)まきなる弦(つる)をとり、片端(かたはし)をかぶらの目につけ、今(いま)片(かた)はしをわが脇(わき)にゆひ付て、其矢(や)を弓(ゆみ)にさしはげて、向(むか)ふの岸(きし)をさして能引(よつひい)て放(はな)ちたれば、其矢(や)彼(かの)童(わらは)を引さげて、川の面(おもて)五町余(よ)を飛(とび)けるに、河(かわ)の中程にて勢(いきほひ)やつきけむ、落(おち)むとしける所(ところ)を、又其矢(や)を取(とつ)て射(ゐ)放(はな)ちたり。則(すなはち)川を過て、むかふの岸に、遙(はるか)なる大日堂の前(まへ)なる畠(はたけ)の内へぞ立にける。

「あれは、いかに/\」

と、数(す)百人の者ども、両方(はう)よりどよめきけるうちに、此童(わらは)いづちともなく失(うせ)にけり。

 かくて、阿闍利(あじやり)は、なく/\京着(ちやく)しけるに、思ひの外(ほか)なる事どもありて、心ならず程(ほど)へけるに、然るべき寺院(じゐん)に入寺(にうじ)しけるが、供(とも)の仕丁(しちやう)もなく、いかゞせんと案じけるに、彼(かの)童(わらは)の、いづくともなく罷出(まかりいで)て、

「御供の仕丁の事、いとなみ侍らむ」

とて、夜すがら藁にて人形をこしらへ、ひそかにおこなひしけるに、残(のこ)らず人の形となり、きらびやかなる侍(さむらい)仕丁(しちやう)と成、阿闍梨(あじやり)の輿(こし)を仕(つかまつ)て、公(こう)用をつとめ、童(わらは)申やうは、

「猶、これまで御供し侍りて、御専途(ごせんど)にあひ参らする事、身の本望(ほんまう)なり。返(かへ)す%\、父母(ちゝはゝ)の後生(ごしやう)助(たす)けさせ給へ。いとま申」

とて、人形も共(とも)に失(うせ)ぬ。

 阿闍梨、ふしぎの思ひをなし、又もや美濃(みの)に下り、今一たび尋(たづね)見ばやと思はれけれども、公請(くしやう)にひまなく、せめては報恩(ほうおん)を謝(しや)せばやとて、三七日道場(だうじやう)に篭(こも)りて、金剛摩尼法(こんがうまにほう)を修(しゆ)し、逆修(ぎやくしゆ)を行(おこな)ひ給ひしが、遙(はるか)に過(すぎ)て、弥生(やよひ)の比、只(たゞ)一人、忍(しの)び出、有つる所(ところ)を尋(たづね)給へど、誰(たれ)しる人もなく、終日(ひめもす)山路(やまぢ)を分(わけ)て求(もと)め給へど、そことだにしらず。其夜(よ)は麓(ふもと)の里にやどり、亭(あるじ)の翁(おきな)にしか%\と語(かた)り給へば、

「其事にさふらふ。過つる年の夏、里に出て、諸用(しよよう)ありて、年比(ごろ)のしたしみ名残(ごり)惜(おし)けれ」

とて、行方しらず。其年月を案じみるに、うたがひもなく、都にて摩尼法(まにほう)を行(おこな)ひ給ひし日に当(あた)れり。

「さるにてもかの女の歌がらこそ。いかさま其辺(ほとり)に社(やしろ)やある」

と問(と)ひ給へば、其峰(みね)のあなた、岸陰(きしかげ)の茂(しげ)みに木守(こもり)の社とて、山神(さんしん)の祠(ほこら)侍るといへば、されば社(こそ)と思ひてかの主人を案内(あない)として、尋(たづね)上り見給ふに、うたがひもなく、小社(ほこら)の有ければ、過つる事もなつかしく、かの者共の行衛も聞まほしく、社(やしろ)の前(まへ)にて種々(しゆ%\)の秘法(ひほう)を修(しゆ)し、しばらく観念(くわんねん)し給へば、神木(しんぼく)の椎(しゐ)のこずへに、白雲(はくうん)一むらおほい、三人の形(かた)ち有つるに引かへ、衣冠(いくわん)たゞしくあらはれ、上人を礼(らい)し、去る比の摩尼呪(まにじゆ)の功力(くりき)によつて、忽(たちまち)に神仙(しんせん)の身と成(なり)、無量(むりやう)のたのしみをうけ、朝には風雲(ふううん)に乗(じやう)じ、夕には仙境(せんきやう)に遊(あそ)ぶ。まことに、報(ほう)じても猶あまりとて、三拝(さんはい)かつがうして、雲(くも)と共に消失(きへうせ)けり。阿闍梨(あじやり)も衣の袖をしぼり、かの社に並(ならべ)て、ふたつの祠(ほこら)をあらたにしつらひて都へ帰り給ひけり。

多満寸太礼巻第二

目録

丹州(たんしう)橋立(はしだての)暁翁(げうおう)登(のぼる)銀河(あまのがわに)事

岩成(いわなり)内匠(たくみ)夢(ゆめ)の契(ちぎり)の事

芦名(あしな)式部(しきぶが)妻(つま)鬼女(きぢよ)となる事

四花(しくわ)の争論(しやうろん)

多満寸太礼巻第二

丹州(たんしう)橋立(はしだての)暁翁(げうおう)銀河(あまのがわ)に登(のぼ)る事

 そのかみ、丹後(たんご)の国(くに)、与佐(よさ)の浦(うら)、成合(なりあひ)のほとりにひとりの隠士(ゐんし)あり。としいまだ三十をこへず。容貌(ようぼう)ゆうびにして、気質(きしつ)また温和(おんくわ)なり。何がしの中将とかやいひて、威勢(ゐせい)ときめきしに、いかなる故にや、病(やまひ)と称(せう)して、此(この)所(ところ)に、唯(たゞ)一人暁翁(げうおう)と名をかへ、篠(さゝ)の庵(いほり)のとことはに、世を外(ほか)になし、常(つね)は釣(つり)をたれ住(すみ)給ひしが、本より此(この)所(ところ)は不双(ぶさう)の眺望(てうまう)、山水をたのしみ、千巌(せんがん)きほひて秀(ひいで)、万嶽(ばんごく)あらそひて流るゝ。句を吟(ぎん)じ、終日(ひめもす)遊興(ゆふけう)やまず。

 一葉(いちよう)の小船(せうせん)に乗(じやう)じ、風帆(ふうはん)ながれゆく所(ところ)にまかせ、或(あるひ)は魚(うを)の水涯(すいがい)にをどるを見、又は鴎(かもめ)の沙(いさご)にあそび、洲崎(すさき)の白鷺(はくろ)を友とす。飛(とぶ)もの、走(はし)るもの、浮(うか)ぶもの、をどるもの、その体(てい)とり%\也。文珠楼(もんじゆろう)は雲にそばたち、成合(なりあひ)寺は海底(てい)にうつり、天(あま)の橋立(はしだて)の松(まつ)は浪(なみ)にあらはれ、おもしろかりしかば、興(けふ)に乗(じやう)じ、初秋(はつあき)の夕、舟(ふね)を橋立(はしだて)の浜(はま)にとゞめけるに、涼風(すゞかぜ)俄(にわか)におこり、星斗(せいと)光(ひかり)をまじへ、海水(かいすい)天(てん)を混(ひた)す。

 ねむるともなく、うつゝともなく、芦(あし)の笛(ふえ)波(なみ)の鞁(つゞみ)を汀(みぎは)に聞(きゝ)て、船中(せんちう)に打ふしぬ。遙(はるか)に時(とき)移(うつ)り、晴天(せいてん)をみれば、しらきぬ万丈(まんぢやう)の南北(なんぼく)によこたふがごとし。雲(くも)跡(あと)を払(はら)ひ、舟(ふね)忽(たちまち)にうごき出、そのゆく事甚(はなはだ)すみやかなり。風水(ふうすい)みなぎりわかれ、ものありて引がごとし。

 暁翁(げうおう)いかなる事とはかる事なし。須臾(しゆゆ)にして岸(きし)につく。寒気(かんき)肌(はだへ)に通(とをり)り<ママ>、清光(せいくわう)目をうばふ。玉田(ぎよくでん)湛(たん/\)とし、花草(くわさう)その中に生ずるがごとし。銀海(ぎんかい)漫々(まん/\)とし、異獣(いじう)神魚(しんぎよ)其内に遊(あそ)ぶ。烏鴉(うあ)むらがりなく、名木(めいぼく)生(おひ)しげれり。

 翁、漸々(やう/\)人界(にんがい)にあらざる事をしる。遙(はるか)に向(むかふ)をみれば、珠宮(しゆきう)金閣(きんかく)高(たか)くそびへ、一人の仙女(せんぢよ)内よりいづる。氷(こほり)のごとくに、きらゝかなる衣(ころも)の裳(もすそ)をとり、玉(たま)の冠(かぶり)をいたゞき、おもと人二人、金(きん)の扇(あふぎ)をかざし、一人は玉の如意(によい)をさゝぐ。岸(きし)のほとりに至り、暁翁(げうおう)にとはく、

「汝(なんぢ)来(きたる)る事なんぞ遅(おそ)きや」

翁(おきな)答(こたへ)て曰(いわく)、

「やつがれは、跡(あと)を海辺(かいへん)にくらまし、形(かたち)を魚鳥(うをとり)にひとし。君と誓約(せいやく)いかであらん。いかなる故(ゆへ)に遅(をそ)く来るとは宣(のたま)ふぞや」

仙女(せんぢよ)笑(わら)ひて、

「汝(なんぢ)いかでか吾(われ)をしらむ。舟を迎(むか)へて爰(こゝ)に至(いた)らしむる。その故は、汝(なんぢ)夙(つと)に高義(かうぎ)をおひ、久敷(ひさしく)碩徳(せきとく)に存(そん)するを以、汝(なんぢ)をかりて世に伝(つたへ)むのみ」。

 則(すなはち)、暁翁(げうおう)をむかへて岸(きし)にのぼらしめ、これをむかへて門に入、ゆく事一町斗(ばかり)、一の大殿(たいでん)あり。天章殿(てんしやうでん)と額(がく)あり。殿(でん)の後(うしろ)に高楼(かうろう)あり。題(だい)して霊光閣(れいくわうかく)といふ。うちに雲母(きらゝ)の屏風(へいふ)をまうけ、錦(にしき)のしとね、四面(しめん)みな水晶(すいしやう)の簾(すだれ)、珊瑚(さんご)の鈎(つりばり)を以是(これ)をかくる。あたかも白昼(はくちう)のごとし。蘭麝(らんじや)のかほり芬々(ふん/\)として、つたへ聞し都卒(とそつ)の内院(ないゐん)もかくやと思ふ斗なり。

 則、翁(おきな)を席(せき)につかしむ。仙女(せんぢよ)語(かた)り給ふは、

「汝(なんぢ)此(この)地(ち)をしるや。世の人云伝(いひつた)へし銀河(あまのがわ)といふは是なり。我(われ)は織女(おりひめ)の神なり。人間界(にんげんかい)をさる事八万余里(はちまんより)」。

翁(おきな)大きにおどろき、頭(かうべ)を地につけ、

「下界(げかい)の人間(にんげん)草木(さうもく)と栄(ゑい)をひとしくす。今(いま)何(なに)の幸(さいわい)ありて、此(この)身(み)天府(てんふ)に来(きた)り、足(あし)に仙宮(せんきう)をふむ事、何事を以こゝに召(めさ)るゝ。願(ねがはく)は詳(つまびらか)なる詞(ことば)を聞(きゝ)て愚慮(ぐりよ)を休(やす)めむ」。

仙女(せんぢよ)、端正(たんしやう)にして打(うち)笑(わら)ひ、

「我(われ)天帝(てんてい)の孫(そん)、霊星(れいせい)の娘(むすめ)、ことに貞姓(ていしやう)をうけ、群(ぐん)をはなれてあらけ居(お)る。あに思わん、下界(げかい)の愚民(ぐみん)、好誕(こうたん)を妻(つま)に、秋夕(しうせき)の期(ご)をつたへて、我をさして牽牛(けんぎう)の妻とす。清潔(せいけつ)の汚(けが)れ、此(この)恥(はぢ)の名をうくる。その源(みなもと)をきけば、専(もつぱ)ら多作(たさく)の書(しよ)を作(つく)る世俗(せぞく)不経(ふけい)の語(ご)、その説(せつ)を伝言(でんげん)して、是(これ)をいふものは、唐(とう)の柳宗元(りうそうげん)乞巧(きつこう)のふみを作る。その事をうけて和(くわ)する者、代々(よゝ)の歌人(かじん)、七夕の詠(ゑい)、詞弁(しべん)みづから明(あき)らかにする事なく、鄙語(ひご)邪言(じやげん)、なんぞ至(いた)らざる所(ところ)あらむ。往々(わう/\)に惑書(わくしよ)に顕(あら)はし、篇章(へんしやう)につゞる。或(あるひ)は、

 北斗佳人双涙流(ほくとかじんさうるいながる)

 眼穿腸断為牽牛(まなこをうがつてはらはたをたつためけんぎうの)に

といひ、或(あるひ)は、

 莫言天上稀相見(なかれいふことてんじやうまれにあいみることを)

 猶勝人間去不回(なをすぐるにんげんさつてずかへら)

又は

 としごとにあふとはすれど七夕のぬる夜の数ぞすくなかりける

漢和(かんわ)の才文(さいもん)あげてかぞふべからず。神霊(しんれい)をなれあなどり、忌(いみ)憚(はゞか)る事をしらず。我これを忍ぶにたへず」。

翁(おきな)申て云、

「鵲(かさゝぎ)の橋(はし)の会(くわい)、牛跡(ぎうと)のあそび、今(いま)尊霊(そんれい)の詞(ことば)を聞てその妄語(まうご)をしる。嫦娥(じやうが)の月宮殿(げつきうでん)の事、湘霊冥会(しやうれいめいくわい)の詩(し)のごと<挿絵見開き1丁>き事は果(はた)してありや。抑(そも/\)いまだしからずや」

仙女のいはく、

「嫦娥(じやうが)は月宮殿(げつきうでん)の仙女(せんぢよ)、湘霊(しやうれい)は尭(げう)の娘(むすめ)、舜(しゆん)の后(きさき)。これみな賢聖(けんせい)の孫(そん)、貞烈(ていれつ)の神(しん)、何ぞ世俗(せぞく)の云ごとくならん。情欲(せいよく)生(しやう)じ易(やす)く、事跡(じせき)又掩(おほひ)がたきもの也。世の人月を詠(えい)ずる詩(し)に、

 嫦娥可悔偸霊薬碧海青天夜々心(じやうがべしくゆぬすみれいやくをへきかいせいよゝのこゝろ)

といへり。

それ、日月(じつげつ)、両曜(りやうよく)、混沌(こんとん)の際(きはゝ)は<ママ>、開闢(かいびやく)の始(はじめ)の、已(すで)にそなはる。いかに薬(くすり)をぬすむ事あらんや。雲は山川(さんせん)の霊気(れいき)、雨は天地(ち)の沛沢(はいたく)、何ぞあやまりて房閨(ばうけい)のたのしみとせん。天をあなどり、神(しん)を汚(けが)す事、是(これ)より甚敷(はなはだしき)はなし。邪婬(じやいん)の詞(ことば)を以(もつて)神霊(しんれい)をかろしむ。それ、欲界(よくかい)の諸(しよ)天、各(をの/\)みな配妻(はいさい)あり。その妻(つま)なきものは則(すなはち)欲(よく)なきもの也。かゝる故(ゆへ)をしらずして、その心をあざむき、世をまどはす。汝(なんぢ)、幸(さいわい)に世につたへて、悉(こと%\)くこれらの事をあかせ」。

暁翁(げうおう)一々(つく%\)承(うけたまは)り、又問ふて云(いふ)、

「誠(まこと)に世俗(ぞく)の妄語(まうご)、尊女(そんぢよ)の言葉(ことば)を聞(きゝ)て、偽(いつは)り来(きた)る事をしる。むかし、張騫(ちやうけん)が朽木(くちき)に乗(のり)、天(てん)にのぼりしごときは虚妄(こまう)ならずや」。

仙女(せんぢよ)いはく、

「此事(このこと)は誠(まこと)にしかなり。それ、張騫(ちやうけん)先生(せんせい)は金門の真史(しんし)、玉符(ぎよくふ)の仙曹(せんそう)、あに常人(じやうじん)のたぐひにあらむや。暫(しばらく)人間(にんげん)に謫(たく)して、四方(しはう)八極(はつきよく)にあそびて、異物(いぶつ)をしる。汝(なんぢ)、三星(さんせい)に縁(えん)あるによりて、今こゝに至る」。

瑞錦(ずいきん)二疋(ひき)を出してこれを与(あた)へ、

「今はとく/\帰(かへ)り去(さる)べし。わがいふ所必(かならず)しも忘(わす)るゝ事なかれ」。

暁翁(げうおう)再拝(さいはい)して、もとの所に出、舟にのるに、たゞ風露(ふうろ)高寒(かうかん)波瀾(はらん)の音(おと)を聞。やゝ半時(はんじ)ほど有て、もとの渚(なぎさ)に帰(かへ)れば、雲霧(くもきり)忽(たちまち)にはれ、大星(たいせい)漸々(やう/\)東天(とうてん)におち、鶏(にはとり)三たび鳴く。五更(かう)の天(てん)に及(およ)ぶ。

 錦(にしき)をとり出してみるに、此世(このよ)の織所(おるところ)にあらず。広学(くわうがく)の者(もの)に見するに、

「これ天上(てんじやう)の至宝(しほう)、人間(にんげん)のものにあらず。いかにといへば、其紋(もん)順(じゆん)にして乱(みだ)れず。色(いろ)妙(たへ)にして瑞気(ずいき)常(つね)にたつ。塵(ちり)を以つゞるに、おのれと飛揚(ひやう)してつかず。几(き)帳とすれば、蚊蜂(ぶんぼう)毒虫(どくちう)いらず。衣裳(しやう)とすれば、雨雪(うせつ)にぬれず。冬天(とうてん)には暖(あたゝか)也。盛夏(せいか)には涼しく、そのかいこは扶桑(ふさう)の葉(は)の飼(か)ふところ、糸(いと)は銀河(ぎんが)の水にてさらす。織女(しよくぢよ)の機(はた)に織(おり)しもの也。いかにしてか求(もとめ)め給ふ」

とあれど、暁翁(げうおう)秘(ひ)して此事をいはず。

 或時(あるとき)、又小船(こぶね)に棹(さほ)さして出けるが、二たび帰(かへ)らず。

 遙(はるか)に過て、大江(おほゑ)山にて古人に逢(あふ)。容顔(ようがん)むかしに替(かは)らず。黄(き)なる帽子(ぼうし)をいたゞき、異体(いてい)あり。「いかに」と問(と)へば、風に乗(じやう)じて去(さる)。その早(はや)き事、飛(とぶ)がごとし。追行(おひゆく)に及(およ)ぶ事なし。今に猶(なを)一社(いつしや)のほこらを立て、その遺跡(ゆいせき)をのこすとかや。

   岩成(いわなり)内匠(たくみ)夢(ゆめ)の契(ちぎり)の事

 過し元亀(げんき)の初(はじめ)比(ころ)、淀(よど)の城主(じやうしゆ)岩成(いわなり)主税亮(ちからのすけ)が猶子(いうし)に、内匠(たくみ)晴光(はるみつ)といへるものあり。先年(せんねん)桂川(かつらがわ)の一戦(いつせん)に、十六歳(さい)にて初陣(ういぢん)に敵(てき)三騎(き)馬上(ばじやう)にて渡(わた)りあひ、二騎(き)の武者(むしや)を切(きつ)ておとし、のこる一騎(き)と引組(ひつくみ)、川中(かわなか)へ落(おち)入、水中(すいちう)にて差(さし)通(とを)し、三の頚(くび)とつて比類(ひるい)なき働(はたらき)し、其後(そのゝち)たび%\の戦(たゝかひ)に、毎度(まいど)手柄(てがら)を顕(あら)はし、誠(まこと)に一騎(いつき)当千(たうせん)の兵(つはもの)なり。力(ちから)よのつねに越(こへ)、情(なさけ)ふかく、近国(きんごく)無双(ぶさう)の男色(なんしよく)にて、みる者心をよせずといふ事なし。

 八幡(やわた)の別当(べつたう)何(なに)がしの御房(ごばう)、いつぞの比よりふかく恋(こひ)わび、千束(ちつか)にあまる文(ふみ)の数(かず)。さすが哀(あはれ)とや思ひけむ、折々(おり/\)かよひ行けり。年(とし)已(すで)に廿一、器量(きりやう)骨柄(こつがら)又双(なら)ぶ者なし。軍(いくさ)に打立折からは、御房(ごばう)の同宿(どうじゆく)に、小大貮(こだいに)・少進房(せうしんばう)とて、大力(だいりき)の法師(ほうし)二人を晴光(はるみつ)に付られけり。かれら三人は、いつも一方をかけやぶらずと云事なし。

 春も漸々(やう/\)半(なかば)より、遠山(とをやま)の残雪(ざんせつ)も霞(かすみ)の衣(きぬ)にぬぎかへ、余寒(よかん)のあらしも、東風(こち)ふくかぜに、実(げに)所(ところ)がらなる川水に、花をうかめ、浪(なみ)の声(こゑ)も静(しづか)に、

「人更に若(わか)き時なし。常(つね)に春ならず。酒をむなしうする事なかれ」

と、故人(こじん)もいへれば、いざや夜と共に神崎(かんざき)・枚方(ひらかた)のほとりへ、小船に竿(さほ)さして、蒙気(もうき)をはらさむと、二人の法師(ほうし)もろともに、下部(しもべ)少々(せう/\)召(めし)具(ぐし)し<ママ>て、何となくうかれ出、川下に行(ゆく)に、男山の姿(すがた)も妹背(いもせ)の中(なか)、芦辺(あしべ)の葉(は)分(わけ)て、けふも入日の鳴戸、波風(なみかぜ)もなき人の心に、

  唯(たゞ)残鷲(ざんわう)と落花(らつくわ)とに別(わか)る

といへる、誠(まこと)なる哉、たなゝし小舟(をぶね)棹(さほ)さして、芦間(あしま)にあさる漁人(ぎよじん)になぐさみ、浪(なみ)にうかべる鴎(かもめ)の、入日にをのが影を洗(あら)ふもおかし。

 夫(それ)より神埼(かんざき)の入江(いりゑ)にうかれよるに、いづちともなく、春風かすかに、琴(きん)の音(ね)をおくり、遙香(ようかう)ほのかに袖(そで)にうつれり。人々興(けう)に乗(じやう)じて、この琴(きん)の音(ね)を便(たより)に、舟をさし行に、とある岸(きし)に造(つく)りかけたる大家(たいか)あり。一間(ひとま)なる書院(しよゐん)の障子(しやうじ)おしひらき、簾下(すだれした)に一つの風鈴(ふれう)をさげ、おはしまに色々(いろ/\)の小鳥(ことり)をならべ置(をき)たり。

「いかなる人か住(すみ)て」

と、奥(おく)ゆかしく、ちか%\と舟をよせてみしに、大なる酒店(しゆてん・さかや)にてぞ有ける。遙(はるか)のおくに十六七の容顔美麗(ようがんびれい)の女たゞ一人、春の夕暮(ゆふぐれ)にあくがれて、琴(きん)をしらべてあり。そのさま、更(さら)に軽粉(けいふん)をぬらずして、をのづからの風流(ふうりう)、よろづつくろはぬさま、此世(このよ)の人とも見へず。

 心も空(そら)に成て、なりを静(しづ)めてながめ入たり。磯(いそ)にねむれる子(こ)がひの水鳥の、船のよるせに驚(おどろ)きて、馴(なれ)し欄檻(らんかん)に飛(とび)あがるに、此娘(このむすめ)

「いかなるものゝおどろかすにや」

と、ふと立て人々を見つけ、うちおどろきたるが、晴光(はるみつ)が男色(なんしよく)に忽(たちまち)まよひ、

「世にはかゝる人も有けるよ」

と、あからめもせずながめ立たり。

「折(おり)から船中(せんちう)に酒をむなしくなし侍(はべ)る。酒(さけ)もとむべき家(いゑ)も侍らば、教(をし)へ給へ」

と、詞(ことば)をかはせば、此女貌(かほ)うちあかめ、

「此家(このいへ)こそ往来(わうらい)の酒家(さかや)にてさむらへ。あがらせ給ひてもとめ給へ」

といらへければ、人々うれしく、舟をつけて、かの家に立入、

「こよひは月もくまなきに、春の夜(よ)爰(こゝ)にて暫(しばら)く休(やす)らひ侍(はべ)らんに」

といへば、亭(あるじ)よろこび、さま%\の珍味(ちんみ)をとゝのへ、酒をすゝめける。

「先(さき)に聞つる琴(きん)の音(ね)こそゆかしけれ」

と、口%\にいひのゝしれば、主(あるじ)

「それこそ野人(やじん)が娘(むすめ)の手すさびもて遊(あそ)びさぶらふ。中々御見参(げんざん)に入奉るべき物にあらず」

とて、つれなき返事(へんじ)に、たかぬさきよりこがれて、障子(しやうじ)の間(あい)より、此女と目とめを見あはせ、心に物をいはせて、千々(ちゞ)に思ひをくだきけるに、さすが人めもはづかしく、既(すで)に夜も更(ふけ)ゆけば、

「さのみはいかゞ」

と、をの/\いとまを乞(こひ)て、又のよるせをちぎり、舟に棹(さほ)さして帰りぬ。

 かゝる程(ほど)に、此(この)娘(むすめ)、晴光(はるみつ)を見初(みそめ)て、

「我たま/\人界(にんがい)に生(むま)れ、思ふ人にもそはざらむこそ本意(ほい)ならね。今までの通(かよ)はせ文、あげてだに見ず。世の人に情(なさけ)しらずと名にたつも、心にそまぬ故(ゆへ)ぞかし。わが心をも哀(あはれ)と思ひ給はゞ、二世(せ)かけてのゑにしを結(むす)び給へ」

と、天にあこがれ、俄(にはかに)に口ばしり、心みだれ、手がひの虎(とら)の綱(つな)を引、長刀(なぎなた)のさやをはづし、持(もち)出れば、人、あたりへもよりつかず、漸々(やう/\)めのと命(いのち)を捨(すて)てすがりつき、

「彼(かの)人を媒(なかだち)し、御ねがひの通(とを)り夫婦(ふうふ)となしまいらせん」

と、さま%\すかしいたはるに、次第(しだい)にたのみ少く、祢宜(ねぎ)神主(かんぬし)にはらひし、仏神(ぶつしん)にいのるに、更(さら)に甲斐(かひ)なし。あるじ夫婦(ふうふ)も、

「たとへいかなる人なりとも、吾子(わがこ)の思ひ入たらむに、などか逢(あは)せざらむ」

と、いろ/\尋求(たづねもとむ)るに、いづちの人ともしらねば、為方(せんかた)なく、只ひたすらに、

「かの人に今一たび、めぐり合てたび給へ」

と、氏神(うぢがみ)に祈誓(きせい)申けるこそ、せめての事と哀(あはれ)なり。

「かく身のうへを取乱(とりみだ)しなば、後(のち)の世の罪(つみ)もいかならん」

と、色/\に看病(かんびやう)しけれども、今はかぎりのうき世と、時をまつ折ふし、枕(まくら)を我(われ)と上(あげ)、

「うれしや、かの人、あすの夕ぐれには、こゝにおはすべし。かしこを掃(はき)、こゝを払(はら)へ」

と、よろこびいさむけしきあり。これも例(れい)のうつゝ事よと思ひながら、町のはづれに人を置(をく)に、案(あん)のごとく、内匠(たくみ)いつぞや見初(みそめ)し折からより、夜毎(よごと)に相逢(あひあふ)て、夢(ゆめ)にちぎりをかはしけるが、あまりに不思義(しぎ)に思ひける間(あいだ)、又かのほとりへさすらひ行けるを、かの家にいざなひ、主(あるじ)ひそかに始終(はじめをはり)を語(かた)る。

「いかなる御方(おんかた)にて侍るも、いさしらねども、且(かつ)は人を助(たすく)る道なれば、草(くさ)の枕(まくら)の一夜(よ)をも、情(なさけ)をかけて助(たすけ)させおはしませ」

と、涙(なみだ)をながし、夫婦(ふうふ)ともにふししづみくどきけり。

 晴光(はるみつ)もあはれに引れありし事ども語(かた)り出し、あまりのふしぎに、これまで来る事を説(とく)。やがて、枕にちかづき、よりて見るに、すべて夢にみし俤(おもかげ)に違(たが)ふ所なし。娘(むすめ)忽(たちまち)に起上(をきあが)り、もとの姿(すがた)となり、年月(としつき)の思ひを語(かた)る。

 身はこゝに有ながら、魂(たましひ)は前々(さき%\)に付そひ、人こそしらね幻(まぼろし)のたはむれ。あるときは難波住吉(なにはすみよし)をめぐりて、天王寺(てんわうじ)の御坊(ごばう)にて一夜をあかし、旅(たび)の(ふすま)の下(した)にこがれて、物いはぬ契(ちぎり)をこめ、夢中(むちう)にかはせしかたみの者(もの)も、互(たがひ)の袖にくらべてうたがひをはらし、二世(せ)の契(ちぎ)りをこめ、とし比かよひけるに、中三とせを過(すぎ)て、織田信長公(おだのぶなかこう)、数万(すまん)の軍士(ぐんし)を卒(そつし)て、淀(よど)の城(しろ)十重廿重(とへはたへ)にとり巻(まき)、月を経(へ)て攻(せめ)給へば、篭城(らうじやう)の人々も、網代(あじろ)の魚(うを)のごとくに忍(しの)びて、通(かよ)ふ事もなく成しかば、娘(むすめ)はあるにもあられずして、淀(よど)のほとりに徘徊(はいくわい)しけるを、佐久間信盛(さくまのぶもり)が手にとられ、暫(しばらく)陣中(ぢんちう)に有ける。

「猶これまでも、何とぞし、城内(じやうない)へ入、今一度(いまひとたび)逢(あひ)見ばや」

と、やたけに思へど、女の身の浅(あさ)ましさ、空(むな)しく日数(ひかず)をふるほどに、終に、元亀(げんき)四年七月廿七日に城(しろ)おちて、一族(いちぞく)こと%\く自害(じがい)して、一朝(てう)の煙(けふり)と立のぼる。

 此まぎわに、石をふところに入て、淀川(よどがわ)のふかみに身を投(なげ)て、底(そこ)のみくづとなり、共(とも)に貞女(ていぢよ)の道(みち)を失(うしな)はず。

「誠(まこと)にやさしき事どもや」

と、諸人(しよにん)袖(そで)をぞぬらしける。

  芦名(あしな)式部(しきぶ)が妻(つま)鬼女(きぢよ)と成事

 むかし遠江国(とを/\みのくに)に、芦名(あしな)式部大輔(しきぶのたゆふ)と聞えし人は、家とみ栄(さかへ)へ<ママ>、郡(こほり)あまた領(れう)して、妻(つま)は四とせ以前(いぜん)に、同じ国池田(いけだ)の辺(へん)より迎(むか)へて、寵愛(てうあい)しけるが、或時(あるとき)都(みやこ)にのぼり、大番(おほばん)つとめて帰るさに、忍びて契(ちぎり)ける女を具(ぐ)して、古郷(ふるさと)に帰(かへ)り、本妻(ほんさい)に深(ふか)くかくして、片里(かたさと)なる所をしつらひ置て、忍(しの)びに通(かよ)ひける。

 いつとなく、此女懐妊(くわいにん)して、月みち、既(すで)に産(うま)むとせし比、此事(このこと)を本妻(ほんさい)聞伝(きゝつた)へて、大(おほき)に妬(ねた)みいかり思ひけれども、さすが夫(おつと)に向(むか)ひ、うらむべきよすがもなく、心にとめてねたみ思ひける。

 後(のち)は、あからさまに人ものゝしり、

「若子(わこ)なんど出来(でき)させ給はゞ、めでたき事なんめり」

と、聞つたへければ、いよ/\いかりつよく、

「いかなる事をもして、此(この)目(め)かけを殺(ころ)さばや」

と思ひけれども、家人(けにん)どもゝ、懐妊(くわいにん)の後(のち)は、ふかく彼方(かのかた)をのみ慕(した)ひければ、折(おり)もあらで、思ひ煩(わづらひ)けるが、あまりの妬(ねた)さに、衣(ころも)ひきかづきて臥(ふし)ける。

 かくて、やみ/\と死(し)なむも口惜(くちおし)と思ひめぐらし、或夜(あるよ)、打(うち)ふけて、貌(かほ)にも身(み)にも、べにといふものをつけて、白き絹(きぬ)をうちかづきて、髪(かみ)をみだき、をそろしくつくりなし、ひそかに忍(しの)び行、庭(にわ)の草村(くさむら)に伏(ふし)かくれて、人の静(しづ)まるをまちて、かの女の寝(ね)屋(や)に忍(しの)びいりて、枕(まくら)もとに立(たち)よりておどろかし、ぢやうとにらまへたりければ、わつとさけびて息(いき)たえぬ。

 しすましたりと思ひ、いそぎ我もとにかへり、しらず貌(かほ)にてふしぬ。隙(ひま)をうかゞひ、かくする事たび%\なれば、女の方(かた)にも守(まも)りを付(つけ)て、宿居(とのゐ)させければ、忍(しの)ぶべき便(たより)もなくて、日数(ひかず)経(へ)ければ、遂(つい)に男子(なんし)をうみ出しけるに、父(ちゝ)大(おほき)に悦(よろこ)び、あまたの人を付(つけ)て養育(やういく)しける。

 かくて、三七夜(さんしちや)も過(すぎ)んとしけるに、宿(との)ゐの者(もの)も、あまりに草臥(くたひれ)て打ふし、つぎ%\の者もいつとなくおこたりければ、

「よき隙(ひま)ぞ」

と、例(れい)のごとく出立て忍(しの)び行(ゆき)、枕(まくら)によりてにらまへければ、つぎ/\の女ばらを始(はじめ)て、二目(ふため)とも見ず、わつとさけびて息(いき)たえぬ。則(すなはち)喉(のんど)の下(した)に喰付(くひつき)<挿絵半丁>、胸(むね)のあたりまでくひちらして帰りぬ。

 かくて、時うつりて、女(め)の童(わらは)ども、やう/\人心(こゝ)ちつきてみれば、むなしき形(かたち)は、朱(あけ)の千入(ちしほ)にそみてあり。とのゐの者(もの)ども、おどろきあはて、いそぎ式部(しきぶ)にかくと申ければ、

「これはいかなる事やらむ」

と、おどろきさはぎあへり。歎(なげ)きて叶(かな)はぬ事なれば、なく/\も葬(ほうむり)てげり。

 されども、子息(しそく)はつゝがなふして養育(やういく)す。

 かゝる程(ほど)に、女房(にようぼう)は、人しれず本望(ほんまう)を達(たつ)し、胸(むね)の焔(ほのほ)も晴(はれ)て、心よく思ひ、口に付(つき)たる血(ち)を洗(あら)へども、更(さら)に落(おち)ず。貌(かほ)につけたる紅(べに)もはげず、皮(かわ)のごとくにとぢ付。喉(のんど)をくらひける時、口もさけて大になり、肌(はだへ)は、血(ち)ひしとつきたり。にらみたる眼(まなこ)もふたゝび帰(かへ)らず。

「いかゞせん」

と、心も空(そら)になりて、洗(あら)へども猶(なを)赤(あか)く、とかくする程(ほど)に、額(ひたい)に角(つの)生出(おひいで)て、さながら夜叉(やしや)のごとくになれり。我身(わがみ)ながらせんかたなく、夜の物打かぶりて、二三日は心(こゝ)ち例(れい)ならぬよしして居たりけれども、しきりに飢(うへ)て、傍(かたはら)に伏(ふし)たる女(め)の童(わらは)に喰付(くひつき)たりければ、わつと、叫(さけ)びて逃出(にげいで)たるを、

「にがさじ」

と、追(おひ)めぐりける程に、家内(かない)大(おほき)に噪(さは)ぎて、上下ふしまろび、にげふためき、

「鬼(おに)よ/\」

とさけびて、人ひとりもなく逃(にげ)失たれば、為方(せんかた)なく走(はし)り出、高師(たかし)山のおくへ蒐(かけ)入けり。

 其後よりは、「此山に鬼の住」とて、木こり杣(そま)人も入事なければ、まして里人は稀(まれ)にも麓(ふもと)に立よらず。国の守(かみ)も、大勢を催(もよを)して山をとり巻(まき)、求(もとむ)れども出あはず。

 其後(そのゝち)、年月重(かさな)りて、式部(しきぶ)が児(こ)、成人(せいじん)して出家となりて、下の醍醐(だいご)に学文して、顕密有験(けんみつうげん)の僧と成て、其名を智見(ちけん)と云けるが、

「我(われ)壮年(さうねん)の昔より、学業(がくげう)におこたらず、三密(みつ)瑜伽(ゆが)の窓(まど)に入て、いまだ一日も犯戒(ほんかい)せず。つたへ聞、継母(けいぼ)生(いき)ながら鬼と成て、わが実母(じつぼ)けんぞくあまた取くらいて、深山(しんざん)に入たるよし。急ぎ尋(たづね)下り、教化(けうけ)をもし、降伏(ごうふく)せばや」

と思ひ立て、人にもしらせず只一人都を出て、やう/\遠江(とを/\み)に下り、昔の父の旧跡を尋、なきあとの墓(はか)に詣(まふ)で、なく/\廻向し、かの山の麓(ふもと)、あれたる御堂の有けるに、暫(しばらく)立(たち)より給ふに、年比聞ゆる魔(ま)所とて、人の往来(ゆきゝ)もたえ%\に、煩悩(ぼんなう)即(そく)菩提(ぼだい)の窓(まど)の前には、善悪迷語(めいご)の雲きえ、生死(しやうじ)即(そく)涅盤(ねはん)の床のうへには、邪正我執(じやしやうがしう)の風(かぜ)静(しづか)にて、本より一心法界の源をさとりたまへば、吹毛(すいもう)の和風(くわふう)遙(はるか)にあふひで、三世不可得(さんぜふかとく)の妙智(めうち)を顕(あら)はし、身に隠形(をんぎやう)の印を結(むす)びて、座禅三昧(ざぜんざんまい)に入給ひ、寂莫(じやくまく)として居給ひけるに、さもはなやかに出立たる小法師原(こぼうしばら)数百人(すひやくにん)、玉(たま)の輿(こし)を舁(かき)つらね、堂の縁(ゑん)にかきすへければ、輿の内より、清らかに色白く、いとけだかき僧の、素絹(そけん)の衣(ころも)に大口きて打刀さし、

「小法師原(こぼうしばら)、罷出(まかりいで)て遊(あそ)び候へ」

といへば、はら/\と堂の大場(おほには)に出て踊(おどり)あそびけるに、主(しう)の僧(そう)御堂(みだう)に入て、智見(ちけん)に向ひ、

「やゝ、御房の隠形(ゐんぎやう)の印(ゐん)こそわるけれ。教(をし)へ奉らん」

とて、則伝(すなはちつた)へ、

「それにてこそ御姿(おんすがた)も見えね。小法師原に見せ奉らじと思ひてこそ出し侍る。今はとく/\罷帰れ」

と、御堂の内に呼入(よびいれ)て、酒飯(しゆはん)をちらし、をどりあそびけるが、客僧(きやくそう)智見にさゝやきけるは。

「君が継母(けいぼ)鬼(おに)と成て、此山の峰(みね)の北原に、大なる洞(ほら)あり。その内に篭(こもり)てあり。行て教化(けうげ)し給へ」

とて、夜も東雲(しのゝめ)になれば、各(をの/\)堂(だう)を出けるが、行衛しらずに成けり。

 かくて、夜も漸々(やう/\)明(あけ)ければ、則(すなはち)峰(みね)に至りて、教(をしへ)のごとく、大なる洞岩(ほらいわ)あり。人倫(じんりん)のかよひなければ、茅萱(ちがや)生茂(おひしげ)り、諸木(しよぼく)枝(えだ)をつらねて、分入(わけいる)べき便(たより)もなきに<挿絵半丁2面>、漸々(やう/\)にして彼所(かのところ)にゆきて見給ふに、洞(ほら)のあたりは白骨(はくこつ)累々(るい/\)として、鹿(しか)兎(うさぎ)を引割(ひきさき)くらひのこせし有様は、身の毛(け)もよだち、怖(おそろ)しとも云斗なし。

 されども、智見(ちけん)は、暫(しばらく)穏形(おんぎやう)の印(ゐん)を結(むす)び、うかゞひ寄、見給ふに、風一しきり吹落(ふきおち)て、ものすさまじきに、例(れい)の鬼(おに)、鹿(しか)をつかみて弓手(ゆんで)にさげ、髪(かみ)はおどろをみだし、両の眼(まなこ)は日にかゝやき、二つの角(つの)は焔(ほのほ)につゝみ、洞(ほら)の口に鹿(しか)をねぢふせ、引裂(ひきさき)くらふありさまは、浅ましともいふ斗なし。鬼は、人有ともしらずして、悉(こと%\)く鹿(しか)を食(くらひ)て、洞に入ぬ。

 智見、此ありさまを見て涙(なみだ)をながし、則(すなはち)妙典(めうてん)の紐(ひぼ)をとき、洞(ほら)に向(むか)ひて尊(たふと)く読(よみ)給へば、鬼は人音(おと)を聞て、洞より飛(とん)で出、掴(つかま)むとするに、五体(ごたい)すくみて働(はた)らかず。

 其時、智見鬼に向(むか)ひて呪文(じゆもん)を唱(とな)へ、御経を以(もつて)頭(かしら)をなで給へば、ふたつの角(つの)はら/\と落(おち)て、忽(たちまち)に形体もとのごとくに変(へん)じければ、則本心に帰りて手を合せ、

「吾(われ)一念の嫉妬(しつと)にしづみ、生(いき)ながら鬼と成て、多(おほく)の者の命を断(たち)て、ながく鬼畜(きちく)の身となる所に、御僧(おそう)の法力にて、ふたゝび鬼道(きだう)をまぬかれ申事、生々世々(しやう%\せ/\)の報恩(ほうおん)を、いかでか報じ尽(つく)さむ」

と、涙(なみだ)をながし申せば、智見(ちけん)

「吾は是君(きみ)が継児(けいし)也。かゝる御ありさまと承り、二度もとの姿(すがた)となし奉らばやと、年比の願望(ぐわんまう)にて、死たる母にふたゝび相(あひ)見る心ちよ」

とて、墨染(すみぞめ)の袖をしぼり給へば、継母(けいぼ)ももろ共に、恥嘆(はぢなげ)き給ひて、夜すがら昔の事ども語(かた)りつゞけて、明ければ麓(ふもと)に伴(ともな)ひ、ゆかりを尋(たづね)て、有つる父の屋形の跡に、一宇(いちう)の伽監(がらん)を建立(こんりう)して、継母すなはち発心(ほつしん)して、此寺を守り、智見は上京し給ひ、官位に進(すゝ)み、時めき給ひ、後には醍醐僧正(だいごのそうじやう)とかや申て、聖宝(しやうぼう)の法跡(ほつせき)をつぎ給ひしとかや。

        四花(しくわ)の争論(さうろん)

 住古(そのかみ)出雲(いづも)の国に、一人の聖(ひじり)あり。名を連蔵(れんざう)といへり。常に深山幽谷(しんざんゆうこく)を栖(すみか)とし、法華(ほつけ)を読誦(どくじゆ)し、ながく人倫(じんりん)を離(はな)れ、二十余年のとし月を送(をく)り給ひける。あやしき柴(しば)の庵(いほり)をむすび、嵐(あらし)にむせぶ軒(のき)の松風夢を破(やぶ)り、深洞(しんとう)に月をうけて、夜すがら読経(どくきやう)おこたらず。衣(ころも)つきては木葉(このは)を重(かさ)ね、苦修練行(くしゆれんぎやう)に身をやつし給ひしが、壮年(さうねん)のころより、四季(しき)の草花を愛(あい)し、庵の四面岩(しめんいわ)のはざまに、色/\の花をやしなひ、すべて春より冬の雪間(ゆきま)にも、花なき事をいとひて、明暮これをもてたのしみ給ひけるに、いつのほどよりか、四人の従者(ずさ)、日にかはり夜に代(かは)り、水を汲(くみ)、薪(たきゞ)をこり、菓物(くだもの)そのほか無数(むしゆ)の供物(くもつ)を捧(さゝ)げて、随従給仕(ずいじうきうじ)しける。

 その一人は、白髪(はくはつ)の翁(おきな)、常(つね)に青(あを)き衣(ころも)を着(き)たり。一人は、容貌(ようばう)いつくしくみえし童(わらは)の、かみをみだして有。又一人は、よはひさかむに、美麗(びれい)の女性(によしやう)、髪(かみ)をからわにゆひあげ、常(つね)に紫(むらさき)の衣(ころも)をきたり。今一人は、紅衣(こうゑ)を身にまとひたる小法師(こぼうし)にてぞ有ける。かれら、明暮(あけくれ)一人(ひとり)二人(ふたり)づゝ、日がわりにかしづきて、御経(おんきやう)聴聞(ちやうもん)しけり。かくする事、年久(としひさ)し。

 聖(ひじり)も、誰(たれ)ととがむる事なく、或時(あるとき)四人(よつたり)ひとつに出来(いでき)て聴聞(ちようもん)しけるが、女性(によしやう)すゝみ出て云(いひ)けるは、「各(をの/\)としごろ師(し)につかへて私(わたくし)なし。此(この)御経(おんきやう)の功力(くりき)にひかれて、仏果(ぶつくわ)菩提(ぼだい)に至(いた)らむ事、誠(まこと)に有難(ありがた)からずや。我等(われら)たま/\生(しやう)をうくるといへども、一朝(いつてう)の間(あいだ)に如幻(によげん)のかたちをなす。然(しか)りといへども、我(われ)百花(ひやくくわ)の長(ちやう)とし、人の心をなぐさむ。いかにかく礼をみだして、吾(われ)をかく下座(げざ)にをくや。

 されば、欧陽永叔(おうやうえいしゆく)も、牡丹(ぼたん)を花(はな)の王(わう)とすとこそ見へたり。又、家隆卿(かりうきやう)の歌にも、

  紫(むらさき)の露さへ野辺(のべ)のふかみ草たが住(すみ)捨(すて)し庭(には)のまがきぞ

和漢の才人(さいし)、詩歌(しいか)によせ、わが名を尊(たつと)ぶ。いかでか凡草(ぼんさう)の及(およ)ぶ事あらむ」。

中にも、小法師(こぼうし)の云(いふ)やうは、

「仰(おほせ)はさる事に候へども、千草万木(せんさうばんぼく)何(いづ)れを尊(たつ)とし、何(いづ)れを卑(いや)しとせん。

 仰(そも/\)、荷葉(かよう)は花(はな)の君子(くんし)として、周茂蓮符(しうもれんふ)の楽(がく)となる。それのみならず、諸仏(しよぶつ)諸菩薩(しよぼさつ)も、蓮花(れんげ)に坐(ざ)せしめ、一切(いつさい)の経王(きやうわう)にも、妙法蓮華(めうほうれんげ)を以(もつて)題号(だいがう)とす。されば、

  点渓(てんけい)に荷葉(かよう)は畳(たゝむ)青銭(せいせん)

とは、杜甫(とほ)が句なり。

  荷花(かくわ)嬌(けう)として欲(ほつす)語(かたらんと)

とは、李白(りはく)が詩(し)なり。退之(たいし)は、

  太華(たいくわ)峰頭(ほうとう)玉井(ぎよくせい)の蓮(れん)

といへり。又歌にも、

  浪(なみ)に入海(うみ)より西の夕日こそ蓮(はちす)の花の姿(すがた)なりけり

其外(そのほか)、世々(よゝ)の詩(し)人歌(か)人、もて遊(あそ)ばずといふ事なし。いかに我等こそ人々におとらめや」

と、なごやかに申せば、童子(どうじ)の云、

「各(をの/\)其(その)威(ゐ)をまして、我身の徳を述(のべ)給ふ。誰(たれ)とても、いはれなき身はあらじ。屈原(くつげん)が、秋菊(しうきく)の落英(らくえい)をくらひ、淵明(ゑんめい)が、東籬(とうり)の下(もと)に菊(きく)を愛(あい)す。自然(しぜん)の醇精(ふせい)、たれかもてあそんで看執(かんしう)せざらん。それのみならず、荊州(けいしう)の菊潭水(きくたんすい)、三十余家(よか)の長寿(ちやうじゆ)をたもち、慈童(じどう)八百歳(さい)の齢(よわひ)をふる。王荊公(わうけいこう)が詩(し)に、

  千花(せんくわ)万草(ばんさう)凋零(しうれいの)後(のち)、始(はじめて)見(みる)閑人(かんじん)把(とる)一枝(いつしを)

されば、定家卿(ていかきやう)の歌に、

  此里の老(おひ)せぬ千世(ちよ)はみなせ川せき入る庭(には)の菊(きく)の下水

又、

  白かねと金のいろに咲(さき)まがふ玉のうてなの花にぞ有ける

其外、古人これを愛(あい)し、家々(いへ/\)の詩歌(しいか)かぞへがたし。かゝる聖花(せいくわ)を下に置(おか)むはいかに。恐(おそ)れなからんや」。

 翁(おきな)眉(まゆ)をしはめて、

「何(いづれ)もやさしきあらそひ、其人によつて其人をあひす。いづれを是(ぜ)とし、何れを非(ひ)とせん。吾(われ)は、玄冬(けんとう)の寒(さむ)きをいとはず、春を逐(おつ)て開(ひら)く。此故(このゆへ)に、梅(むめ)を兄(あに)とし、山茶(さんさ)をもつて弟(おとゝ)とす。清香(せいかう)幽美(ゆうび)にして、凌波(れうは)の仙子(せんし)ともいはれたり。其外(そのほか)、貴文(きふん)が詩にも、

  早(はやく)於桃季(とうりより)晩(おそし)於(より)梅(むめ)

  氷雪(ひようせつ)肌膚(きふ)姑射来(こやきたる)

  明月(めいげつ)寒霜(かんさう)中夜静(ちゆうやしつか也)

  素娥(そが)青女(せいぢよ)共徘徊(ともにはいくわい)す

といへり。ある歌に、

  白妙(しろたへ)に庭のきり芝(しば)ふる雪にしらず貌なる水仙(すいせん)のはな

とよめり。賢聖(けんせい)のもてあそびとなれり。

 凡(およそ)、花木草花(くわぼくさうくわ)は、たゞ品(しな)をいはず。時にふれ興(けう)にめでて、人の気(き)をなぐさむ。豈(あに)、尊卑(そんひ)高下(かうげ)をあらそはむ。夢(ゆめ)の世にかりなる生(しやう)をうけ、飛花落葉(ひくわらくよう)をかなしみ、我(われ)と吾(わが)身に着(ちやく)をのこす。かの唯摩居士(ゆいまこじ)の

「仏道(ぶつだう)猶(なを)捨(すつ)べし。いかにいはんや非法(ひほう)をや」

と、説(とき)給ふ、むべなるかな此事。かならずしも争(あらそ)ひ給ふべからず。只(たゞ)草木(さうもく)国土(こくど)悉皆(しつかい)成仏(じやうぶつ)の金言(きんげん)をたのみ、かゝる尊(たうと)き聖人(しやうにん)に<挿絵半丁>ちぐうしたてまつり、猶(なを)し菩提(ぼだい)の種(たね)をもうへ給へ」

と、念比(ねむごろ)に宥(なだ)め、をの/\退散(たいさん)しけり。

 聖(ひじり)、つく%\と是を聞給ひ、

「誠(まこと)に、草木(さうもく)といへども、かりの執心(しうしん)をとゞむるにしたがひて、をのが形(かた)ちを顕(あら)はす。此とし月、多(おほく)の草花(さうくわ)をやしなひ、愛(あい)しける事のうたてさよ」

と、日比(ひごろ)の心を捨(すて)、此後(こののち)ながく愛心(あいしん)をとゞめ給へば、四人の者もをのづから来らず。いよ/\勤修(きんじゆ)おこたらず。天童(てんのどうう)子二人、いつとなく来りて、聖人(しやうにん)に給仕(きうじ)し給ひけれ。

 こゝに、妙慶(めうけい)といへる尊(たつ)き僧、一旦(いつたん)此山(このやま)にまよひ入給ふに、遙(はるか)の峰(みね)に鐘(かね)の音(ね)を聞(きゝ)て、尋行(たづねゆき)見給ふに、柴(しば)の庵(いほり)あり。独(ひとり)の僧(そう)法花(ほつけ)をよむ。其としいまだ三十計(ばかり)。妙慶(めうけい)をみて、経(きやう)をとゞめて、内に請(しやう)じて、やゝ物語(ものかたり)し給ふ。

 妙慶(めうけい)申されけるは、

「幾年(いくとせ)をか此山に住(ぢう)し給ふ」。

聖(ひじり)答(こた)へて、

「我(われ)人倫(じんりん)をはなれてこのかた、麓(ふもと)に下(お)りず。花(はな)咲(さき)、雪ふるをかぞへてみるに、とし已(すで)に一百余歳(よさい)」。

こゝに於(おゐ)て、唯人(たゞひと)ならぬ事をしる。安楽行品(あんらくぎやうほん)をよみ給ふ。

「天(てん)の諸童子(しよどうじ)。以為(いゐ)給仕(きうじ)」

の句(く)に、二童子(どうじ)忽(たちまち)に顕(あらは)れ、一人は供物(くもつ)をさゝげ、一人は蓋(がい)をおゝふ。聖(ひじり)、供物(くもつ)をふたつに分(わけ)、一ぶんはくひ、一分(いちぶん)を妙慶(めうけい)に与(あた)ふ。其(その)味(あぢ)甘露(かんろ)のごとく、人中(にんちう)の食(しよく)に非(あら)ず。聖(ひじり)仰(おほせ)けるは、

「此(この)地(ち)常(つね)の人の来(きた)る所にあらず。今ふしぎに対顔(たいがん)して、昔(むかし)を語(かた)る事の嬉(うれ)しさよ」。

妙慶(めうけい)三拝(さんはい)して、

「吾(われ)不思義(ふしぎ)に此所(このところ)に至(いた)る。再会(さいくわい)期(ご)し難(がた)し。今(いま)尊前(そんぜん)の所行(しよぎやう)世に伝(つたへ)むと思ふに、更(さら)に印(しるし)なし。片原(かたはら)に有ける木のは衣(ころも)を、吾(われ)に与(あた)へ給へ」

とあれば、聖(ひじり)惜(おし)む気色(きそく)あり。忽(たちまち)に十人の童子(どうじ)顕(あらは)れ、此衣(このころも)を守(まも)る。妙慶(めうけい)本(もと)より、不動尊(ふどうそん)に帰(き)して、多年(たねん)有験(うげん)ありければ、しばらく観念(くわんねん)ありしに、金伽羅(こんから)、勢多伽(せいたか)の二童子(どうじ)、形(かた)ちを現(げん)じて、衣を奪(うば)ひ取給ふ。十童子(どうじ)これをつよく引ていかる。其(その)衣(ころも)半(なかば)より烈(さけ)て二つとなる。一衣(いちゑ)は聖(ひじり)のもとに有、一衣(いちゑ)は妙慶(めうけい)の手にわたる。則(すなはち)これをたづさえて、後生(ごしやう)を契(ちぎ)り、帰り給ふ。

 又の春、かの聖(ひじり)の庵室(あんしつ)を尋(たづね)給ふに、いづちへかおはしけん、垣(かき)もとぼそも苔(こけ)むして、その行方(ゆきかた)なし。庵室(あんしつ)の窓下(まどのもと)に、

  一枕仙遊足自娯(いつしんのせんゆふたるをのづからたのしむに)

  蕭然情思離塵区(せうぜんたるせいしはなるぢんくを)

此句(このく)書付(かきつけ)て有しを、妙慶(めうけい)なく/\、是を形見(かたみ)に取(とり)て帰りたまひ、世に伝(つた)へ給ひけるとかや。

多満寸太礼巻第三

  目録

秦兼美(はたのかねみ)幽冥録(ゆうめいのろく)

強盗(ごうだう)河辺(かわべの)悪(あく)八郎(らう)が事

柳情(りうせいの)霊妖(れいよう)

富貴(ふうき)運数(うんすう)之(の)弁(べん)

多満寸太礼巻第三

  秦兼美(はたのかねみ)幽冥録(ゆうめいろく)

 承久(しやうきう)の比(ころ)、深水形部(ふかみぎやうぶ)秦(はたの)兼美(かねみ)といふ者は、もとは京家(きやうけ)の学匠(がくしやう)なり。さうなき儒者(じゆしや)にて、相州(さうしう)鎌倉(かまくら)の屋形(やかた)へめされ、闕所(けつしよ)の領知(れうち)を給はり、桐(きり)が谷(やつ)の辺(へん)に居住(きよぢう)し、日夜(にちや)儒書(じゆしよ)を講談(かうだん)し、五経(ごきやう)易(えき)に通(つう)ず。門人(もんじん)数輩(すはい)、市(いち)をなし、性(せい)、学(がく)を恣(ほしいまゝ)にして、専(もつは)ら仏道(ぶつだう)をよろこばず。より/\、その門弟(もんてい)にあへば、則(すなはち)誹(そし)りあざむきて、

「四民(しみん)の内、たとひ士(し)と成、農(のう)となり、工(こう)とならずんば、せめては商人(あきうど)ともなれかし。なんぞ釈氏(しやくし)となりて身を捨(すて)むや」。

『警論(けいろん)』といふ書(しよ)を三巻作(さく)し、人性(にんじやう)を正し、世の教(おしへ)を扶(たす)けなす。その上篇(じやうへん)の略(りやく)にいはく、

「先(まづ)、儒(じゆ)のいはく、『天は則(すなはち)理(り)なり』といへり。其形体(ぎやうたい)を以いふ時は、是を帝(てい)といひ、帝(てい)は則(すなはち)天(てん)、天(てん)は則(すなはち)帝(てい)。蒼天(さうてん)の上に、別に一天(てん)宮居(ぐうきよ)端閣(たんかく)、この世のごとき帝王(ていわう)のいますにあらず。是(これ)全(まつたく)釈氏(しやくし)の妄語(まうご)なり。

 又、所謂(いわゆる)、三天(さんてん)・九天(きうてん)・三十三天、十方(はう)の諸帝、いかに天の多(おほふ)して、帝(てい)の多(おほ)き事や。これを思へば、いまだ階級(かいきう)の形(かた)ちのときをまぬかれず。帝(てい)又、割拠(かつきよ)の争(あらそ)ひある事まぬかれず。漢(かん)の張道陵(ちやうだうれう)を尊(たつと)むで天師(てんし)となす。天(てん)豈(あに)師(し)あらむや。宋(そう)の林氏(りんし)の女を以天妃(てんひ)となす。天いかに妃(ひ)あらむや。それ、天(てん)は理(り)のいづる所(ところ)。

聖人(せいじん)は天(てん)にのつとる。道陵(だうりやう)たとひ聖(せい)なりとも、亦(また)人鬼(じんき)なり。林女(りんによ)既(すで)に死(し)す。是(これ)又(また)遊魂(ゆうこん)のみ。なんぞ天たる事を得むや。

 天を敬(うやま)ふ所以(ゆゑん)にして、此(この)説(せつ)をなす事は、天を慢(あなど)る所なり。世に人、只(たゞ)天にあるの天(てん)をしる。此故に、日月星辰(せいしん)の光(ひかり)、風雨(ふうう)霜露(さうろ)のあらはれを見る。吉(きつ)と凶(けう)とは天のしわざ、禍(くわ)と福(ふく)とは天の降(くだ)すなり。をのが天ある事をしらず。丹〓(たんけい)煌々(くわう/\)は天の君なり。霊台(れいだい)湛々(たん/\)は天の帝なり。三綱(さんかう)五常(ごぢやう)眼晰(がんせき)は日月星辰(せいしん)の光(ひか)りにあらずや。礼楽(れいがく)法度(はつと)の明白(めいわく)正大(しやうだい)なるは、風雨(ふうう)霜露(さうろ)の教(をしへ)にあらずや。をのが君と天の君とたがふ時は凶禍(けうくわ)なり。かならず類(るい)を以したがふ。天の帝とをのが帝と合(かな)ふ時は吉福(きつふく)なり。達(たつす)る者は、これを信(しん)じ、愚者(ぐしや)は則(すなはち)〓(あやまる)なり」。

其(その)論篇(ろんへん)大むねかくのごとし。

 或時(あるとき)、兼美(かねみ)聊(いさゝか)病(やまひ)をまふけ、数日(すじつ)療治(れうぢ)す。門弟(もんてい)うれへて神祗(じんぎ)に祈(いの)る。兼美(かねみ)聞(きゝ)て、

「各(をの/\)書(しよ)をよむといへ共、理(り)をてらす事いまだ徹(てつ)せず。鬼神(きしん)、なんぞ酒米(しゆべい)を私(わたくし)にすべけむや。人の命(いのち)、豈(あに)紙銭(しせん)を以買(か)ふべけんや。吾(われ)誰(たれ)をか欺(あざむか)むや。天(てん)をあざむかんや」

と云て、此(この)夜(よ)遂(つい)に卒(そつ)す。

 しかれども、胸(むね)のほとり、やゝ暖(あたゝか)なれば、しばらく葬(ほうむ)らず。<挿絵見開き1丁>門弟(てい)各(をの/\)これを守(まも)る。七日七夜を過て、衣(ころも)うごく。をの/\驚(おどろ)きうかゞへば、鼻(はな)のなか気(き)をいだす。急ぎ薬(くすり)をあたへ、良久敷(やゝひさしく)して、眼(まなこ)をひらき、四五日を経(へ)て、漸々(やう/\)もとのごとくに成(なり)て、妻子(さいし)・けむぞく・門弟(もんてい)を集(あつ)めて、涙(なみだ)をながして云(いわく)、

「釈門(しやくもん)の偉(おゝい)なる鬼神(きしん)の、誠(まこと)なる事至(いた)れる事を、我(われ)日比(ひごろ)癖見(ひやくけん)してあやまり、仏神(ぶつしん)を毀(そし)る。今(いま)官(くわん)をけづられ、禄(ろく)をへらさる。已(すで)に生(しやう)する事あたはず」。

門人(もんじん)おどろき、「いかに」ととへば、

「我常(つね)に怪(あやしみ)を語(かた)らず。然れども、御辺(ごへん)らに、果報(くわほう)の空(むな)しからざる事をしめさむ。

 はじめ、我(われ)病(やまひ)少(すこし)おこたる時、二つの大きなる蠅(はい)の、床(ゆか)のまへにおつるをみるに、其(その)まゝ変(へん)じて人となる。青衣(せいゑ)をきて、黄(き)なる巾(きん)をかうふり、吾(われ)に、

『地府(ちふ)、急(いそ)ぎ汝(なんぢ)を召(めす)。とく赴(おもむ)き給へ』

と云(いふ)。我(われ)、

『地府(ちふ)とはいかに』。

黄巾(くわうきん)答(こたへ)て、

『閻羅王(えんらわう)』

とこたふ。我(われ)聞(きゝ)て、

『冥途(めいど)黄泉(くわうせん)は道(みち)異(こと)にして、いかにしてゆかむや。それ故、吾(われ)をはなれて、いかで冥地(めいち)あらむや』

使者(ししや)のもの、いかりて、予(われ)を大きなるかわ袋(ぶくろ)の中に入、あみのごときなる細(ほそ)き縄(なわ)にて口をゆひ、両人(りやうにん)中(ちう)にひつさげて、行事(ゆくこと)疾風(しつふう)のごとし。諸木(しよぼく)の梢(こずゑ)をふむ事をきく。其後(そのゝち)、しきりに闇(くら)き空(そら)をゆく。使者(ししや)袋(ふくろ)を平地(へいち)に置(をき)て、中より我を引(ひき)出(いだ)す。両人(りやうにん)して引(ひつ)はり、あゆむともなく、一つの鉄(てつ)門に至(いた)る。守(まも)る者、或(あるひ)は高(たか)き鼻(はな)、深(ふか)き眼(まなこ)、鬚髭(びんはつ)そらさまに生(おひ)たり。使者(ししや)に問(と)ふに、

『朱印(しゆゐん)なり』

と答(こた)ふ。又、紅衣(こうい)の者(もの)、一人の男、三人の女を引(ひき)て来る。守(まも)る者(もの)又問(と)ふ。

『墨印(こくゐん)なり』

と答(こた)ふ。

『印(ゐん)をみん』

といへば、をの/\札(ふだ)を出して見する。長さ二寸斗。我を引居(ひきゐ)たる青衣(せいゑ)の札(ふだ)は朱字(しゆじ)、紅衣(こうゑ)の札(ふだ)は墨字(こくじ)なり。使者(ししや)門(もん)を入て、吾(われ)をともなひ、左(ひだり)の廊下(らうか)に行。

『いかなる所ぞ』

と問へば、『冥都(めいと)第(だい)一の関(せき)なり』

といふ。爰(こゝ)にて、兼美(かねみ)死(しゝ)たる事をしる。又、前(まへ)の朱墨(しゆぼく)の札(ふだ)をとふ。答(こたへ)ていわく、

『冥司(みやうじ)人を呼(よび)に来りて、又蘇生(そせい)する者には、朱(しゆ)を以書(かき)、永(なが)く返(かへ)らざる者には、墨(すみ)を以(もってす)』。

かくて、行事(ゆくこと)数里(すり)にして、鉄囲城(てつゐじやう)に入。城(じやう)門の守護(しゆご)使者(ししや)にとふ。さきのごとく答(こたふ)る。俄(にはか)にして、禁庭(きんてい)に入。使者(ししや)のいふやう、

『御辺(ごへん)重罪(ぢうざい)なしといへ共、黄泉(くわうせん)の道は厳重(げんぢう)にして、凡世(ぼんせい)にあらず』

とて、縄(なわ)を解(とき)てわが首に付(つく)。ひきて入、まづ、冠服司(くわんふくし)に入(いる)。主司(しゆし)は、六旬(じゆん)にこへたる白髪(はくはつ)の老女(らうぢよ)なり。其長(そのたけ)八尺あまり。則(すなはち)わが衣(ころも)をはぎて、

『罪巾(ざいきん)おさむ』

といへば、我漸々(やう/\)肌着(はだぎ)斗(ばかり)に縄(なわ)を帯(おび)てゆく。聴門(ちやうもん)に及びて、一人の使者(ししや)さきに入、しばらくの間に五六人を引て出るをみれば、おめきさけぶ。吾(われ)をとらへて入(いる)。階下(かいか)にひざまづきおるに、大王(だいわう)尊服(そんふく)宝冠(ほうくわん)を着(ちやく)し、台上(うてなのうへ)に居住(きよぢう)す。侍衛(じゑ)の官(くわん)人、四方にゐねうす。我にむかつて曰、

『汝(なんぢ)は相州(さうしう)の儒士(じゆし)、秦(はたの)兼美(かねみ)にあらずや。

汝(なんぢ)儒(じゆ)に尊(たつとぶ)所(ところ)は、上(かみ)鴻濛(こうもう)をうかゞひ、中聖智(せいち)に法(のつと)り、下は物理(ぶつり)を究(きわ)め、乾(けん)をひらき、坤(こん)を閉(とづ)。妙(みやう)に至(いた)り、微(み)にいたる。精醇(せいじゆん)を陶治(たうち)し。元和(わ)を〓(ゆふ)す。無(む)中有象(うざう)の薀(うん)をきわめ、陰陽(ゐんやう)動静(どうせい)の根(ね)を妙(みやう)にし、翕忽(うこつ)変化(へんくわ)を用(よう)とす。出入に方(かた)なく、三つにして一つに会(くわい)す。これを儒(じゆ)と云。しかも鬼神(きしん)もうかがふ事あたはず。

 今、汝(なんぢ)ひとへに己(をのれ)が見(けん)をとりて、文詞(ぶんし)を作(つく)り、神を謗(そしり)、仏(ほとけ)を毀(そし)る。天(てん)至(いたつ)て大なるに、階級(かいきう)し、帝(てい)至(いたつ)て尊(たつと)きに、割拠(かつきよ)を以これに戯(たはむ)る。妄(みだり)に天子(てんし)の号(がう)を論(ろん)じ、妄(みだり)に天妃(ひ)の称(せう)を弁(べん)ず。其(その)罪(つみ)大(おほひ)い<ママ>なり。且儒書(かつじゆしよ)の中に天(てん)を云事は一つならず。春秋(しゆんじう)に天王と書(しよ)し、詩(し)には天(てん)の妹(まつ)にたとふ。昊(くわう)天其子(そのこ)といへるがごとし。皆(みな)汝(なんぢ)が論(ろん)ずる、天已(すで)に師(し)なし、妃(ひ)なしと論(ろん)ぜば、なんぞ王あり、妹(まい)有、子ありといはんや。汝(なんぢ)が学(がく)、誠(まこと)に拘(かゝは)りて通(とう)せず。滞(とゞこほり)てさゝはりあり。さゝわりあれば鄙癖(ひへき)なり。誠(まこと)に、俗賎(ぞくせん)虚妄(こもう)の士(し)、なんぞ儒者(じゆしや)の名を犯(をか)すや。汝(なんぢ)、もとは六品(ほん)の官(くわん)となり、花閣(くわかく)に出入す。汝(なんぢ)、神仏(しんぶつ)と信(しん)ぜず、鬼神(きしん)をなみする。殊(こと)に降(くだ)して七品(ほん)とす』。

大きに怒(いか)り述(のべ)たまふ。吾(われ)頓首(とんしゆ)して礼謝(れいしや)して、

『過(とが)を改(あらため)む』

と乞(こふ)。尊王(そんわう)のいわく、

『此人、面(おもて)には請(うけ)ぬれども、後(しりへ)に誹(そし)りて、退(しりぞひ)て後(のち)、又いわむ。獄中(ごくちう)をみせて、その心を折服(せつふく)さすべし』

と。数卒(すそつ)予(われ)を挟(さしはき)むで下(くだ)し附(ふ)す。使者(ししや)領(れう)してさり行(ゆく)。其(その)道(みちに)宝塔(ほうたう)一器(いつき)あり。僧堂(そうだう)の傍(かたわら)に立(たち)て、香炉(かうろ)を執(とり)て居(きよ)す。使者(ししや)再拝(さいはい)す。我も又同じく拝(はい)す。僧(そう)、塔(たう)をひらきて、一つの大珠(じゆ)をとりて、金盤(きんばん)にのせて出す。使者(ししや)頂戴(てうだい)して行(ゆく)。予(よ)、したがひゆくに、その道(みち)幽暗(ゆうあん)にして、くらき事限(かぎ)りなし。我道すがら問(と)ふ。

『僧(そう)はたそ』

答(こたへ)て云(いはく)、

『六道(だう)能化(のうけの)地蔵(ぢぞう)菩薩(ぼさつ)なり』

又とふ、

『玉はなんぞ』

『菩薩(ぼさつ)の願珠(ぐわんじゆ)なり。獄(ごく)中の業(ごう)深(ふか)く重(おも)きは、珠光(しゆくわう)を照(て)らし、破(やぶ)るを頼(たの)む。さもあらざれば、鬼王(きわう)、暗(あん)中におひて、人の心肝(しんかん)をくらふて、出る事を得(ゑ)ず』

さるほどに、一つの獄(ごく)中に至る。

『不義(ぎ)を罰(ばつ)する地獄(ぢごく)』

と云。大きなる庭(には)に、炭火(すみび)をうづたかくおこし、炎(ほのを)のぼりて空(そら)にみつ。罪(ざい)人を呼(よび)てひざまづかせ、火(くわ)中の鉄(てつ)丸、大きさゆびのごとくなるを刺(さし)て、人の眼(まなこ)に入(いれ)、十五六をつらねて串(くし)にさす。干魚(ひを)をかくるがごとし。使者(ししや)のいはく、

『此(この)罪(ざい)人ども、世にある時、大倫(りん)を軽(かろん)じ、財利(ざいり)の為(ため)に兄弟(きやうだい)親族(しんぞく)をつらくし、敵(てき)のごとくかろしめて、此(この)報(むくい)をうくる也』

次(つぎ)の地ごくは、不和(わ)をいましむる獄(ごく)なり。皆(みな)女人老少(らうせう)まじはり、人ごとに舌(した)のうへに一つの釣(つりばり)をかけ、おもりの石をかく。くるしみいふ斗なし。後(のち)は瓜(ふり)をまろばすごとくこけ倒(たふ)れて、舌(した)出て長(なが)き事一尺斗。使者(ししや)のいはく、

『此もの、世にある時、ひたすら色(いろ)をこのみ、閨房(けいばう)にまよひ、女の道(みち)を守る事をせず。夫(おつと)の家を分(わけ)させ、中ごとを云て、あだをむすばするむくひなり』

東(とう)南の一獄(ごく)は、閻浮惣獄(えんぶそうごく)といふ。此地ごくの北を剔鏤(けつろう)といふ。人を柱(はしら)にからめ付て、刀(かたな)を以てつゞる。蓑(みのゝ)のごとくし、うちわを以あふぐ。あつ酢(す)をかけ、絶(ぜつ)して又よみがへる。水をそゝげば、皮肉(ひにく)もとのごとし。悪逆(あくぎやく)にして、善(ぜん)人を生害(がい)する者、爰(こゝ)に落(おつ)る。

 其(その)隣(となり)、穢溷獄(ゑこんごく)といふ。大糞(ふん)の池(いけ)、沸々(ほつ/\)として湯(ゆ)のごとくわき、臭(くさ)くして近(ちか)づくべからず。鬼ども、長き熊手(くまで)を以、人をかけて煮(にる)。しばらくして潰爛(つえたゞ)れ、化(くわ)して虫(むし)と成。これを鍋(なべ)の中に入て炒(い)る。灰(はい)とし、糞水(ふんすい)を汲(くみ)てそゝぐに、又人となる。これは、小人にして君子(くんし)を謗(そし)り、智(ち)人をあざむくもの、こゝに来る。

 其次(そのつぎ)は、数十人を裸(はだか)にして、羅刹(らせつ)銭(ぜに)の縄(なわ)を以、八九人の罪(ざい)人を引来(ひききた)り。刀(かたな)を以(もつて)裸(はだか)の者の胸(むね)股(もゝ)の間(あいだ)の肉(にく)をさいて、鍋(なべ)の中にて煮(に)て、これを餓鬼(がき)にくらはしむる。業風(ごうふう)一たび吹(ふけ)ば、支体(したい)もとのごとし。是皆(みな)、人間(げん)官禄(くわんろく)の役(やく)人、権(けん)を専(もつは)らにして、賄路(わいろ)を入(いれ)、世を欺(あざむ)き、名をぬすみ、或(あるひ)は知行所(ちぎやうしよ)、検断所(けんだんどころ)にても、表(うへ)は廉潔(れんけつ)をみせ、内にはひそかに金銀(きんぎん)を受(うけ)、或は非義(ひぎ)の公事(くじ)を勝(かた)せ、人をむさぶり、己(をのれ)を利(り)する者、みな其(その)中に有。兼美(かねみ)日比(ひごろ)むつびし友(とも)も有。浅(あさ)ましなむどもおろかなる事ども也。こと%\く見終(おは)りてかへる。

 使者(ししや)、珠(たま)をおさめて僧(そう)に返(かへ)し、又王(わうの)前(まへ)に至る。王(わう)又示(しめ)してのたまはく、

『まさに此後罪(こののちつみ)を改(あらた)むべし。むかしの非(ひ)をなす事なかれ。若(もし)改(あらた)めずは、罪(つみ)をまぬかるまじ』

とて、使者(ししや)に命(めい)じて送(をく)りかへらしむ。

 此時(このとき)始(はじ)めて縄(なわ)を解(とき)、身体(しんたい)自由(じゆう)なる事をおぼゆ。冠服司(くわんふくし)にゆきて、衣服(いふく)をとりてきせ、

『暫(しばら)くまち給へ。符(ふ)をとりて帰るべし』

とて、捷径(せうけい)を取(とり)て帰(かへ)る。もとの道にはいでず。多(おほく)の関門(くわんもん)を越(こゆ)るに、爰(こゝ)に新敷(あたらしき)楼門(ろうもん)の関(くわん)あり。蜉蝣関(ふゆうくわん)と云。吾(われ)儒者(じゆしや)なる事を知(しり)て、

『蜉蝣門(ふゆふもん)の銘(めい)を作(つく)らしめむ』

と云。われ重(かさね)て、

『いかなる故(ゆへ)に蜉蝣(ふゆふ)と名づくや』

鬼王(きわう)の云(いはく)、

『生を人間(げん)に受(うく)るものは、悉(こと%\)くこれより出る。しかれども、久しからずして又至る。蜉蝣(ふゆふ)の、朝(あした)に生じて夕(ゆふべ)に死(し)するが如し』

吾(われ)則(すなはち)数語(すご)をゑらむでこれにむくふ。其(その)文(ぶん)に曰。

『尊(たつと)き事有者(もの)は関鎮厚(くわんちんこう)の地なり。赫(かく)たる事あるはそれ威関(いくわん)の史(し)なり。これを蜉蝣(ふゆふ)と名づく。凡(およそ)その生ずる事有物は是よりゆく。去(さつ)て又時(とき)を越(こへ)ずして、やゝ又至(いた)る。何ぞ此(この)虫(むし)の一日の中に生死あるに異(こと)ならむ。南閻(ゑん)浮提(ふだい)光陰(くわうゐん)かはる。往来(わうらい)して、なんぞ憩(いこ)ふ事稀(まれ)なる。此名を見てそのたとへをさとらざらむ。六道四生、はやく出離(しゆつり)し、逍遙(せうよう)無方(むはう)功利(こうり)を証(しやう)し、皆(みな)天人と成て、此関(このくわん)永(なが)く廃(はい)すべし。敬(けいし)て予(よ)が銘(めい)を聞て、仏誓をはつせよ。あゝ、幽霊(ゆうれい)守(まも)りてかはる事なかれ』

鬼王(きわう)よろこびて、則吾(われ)をはなちてゆかしむ。

 二更(かう)に至りて、わが家に帰り、身(み)床(ゆか)の上に臥(ふ)し、燈(ともしび)からげ、妻子門人取廻(とりまは)し、嘆(なげ)くをみる。使者(ししや)一たびうしろよりおす。吾(われ)おぼえずして跌(けつまづ)き、屍(しかばね)の内に入。恍然(くわうぜん)として悟(さめ)たり」。

 其後、兼美(かねみ)ふかく仏神を敬(うやま)ひ、清慎(せいしん)廉潔(れんけつ)にして世を送りけるとぞ。

        強盗(ごうだう)河辺(かはべの)悪(あく)八郎が事

 元享(げんこう)年中(ねんちう)に、和州(わしう)三輪郡(みわこほり)に、川辺悪八郎といへる強盗の大将有。かれ、幼(いとけな)き比、父母にをくれ、叔父(おぢ)に養はれ、おさなき時より、生れつき、余の者に勝(すぐ)れ、強力(ごうりき)にして、身かろく、足はやき事、鳥の飛(とぶ)がごとく、いかなる駿馬(しゆんめ)もつゞきがたし。十一歳にて、叔父(おぢ)の供して、南都に赴(おもむ)く。路(みち)にて山賊(さんぞく)にあひ、叔父(おぢ)已(すで)に組(くみ)しかれ、危(あやう)く見へしに、賊(ぬすびと)の喉笛(のどぶゑ)に喰付(くひつき)て、終(つい)にくらいはなし、叔父を助(たすけ)たりしかば、世に悪八郎とぞ呼(よば)れける。

 従弟(いとこ)なる者と妻を諍(あらそ)ひ、打殺(うちころ)したれば、所の住ひ成がたく、浪牢(らうらう)の身となりて、爰かしこさまよひけり。後には、強盗(ごうだう)数(す)十人したがへ、宇治大路小幡(こわたの)山中(やまなか)に出て、切取(きりとり)追剥(おひはぎ)して、世を世ともせずをくりけり。年いまだ三十をこへず、せいは七尺に及び、色白く、にうはにして、常(つね)に好むで立烏帽子(たてゑぼし)を着(き)たりければ、世(よ)の人、立ゑぼしと異名(いめう)して怖(おそ)れあへり。

 或時(あるとき)、うちつゞき仕合も悪(あし)ければ、奈良(なら)にうち入、興福寺(こうふくじ)のある寺院(じゐん)に忍び入て、天井(てんぢやう)に上り、息(いき)をとゞめて、人の静まるを待居たり。

 あるじの僧、夜(よ)更(ふく)るまで、児(ちご)同宿(どうしゆく)に、もの教(をし)へ給ひしが、法華経(ほけきやう)を習(なら)ふ児のありしに、今此(こんし)三界(かい)皆是(かいぜ)我(が)其中(ごちう)衆生(しゆじやう)悉是(しつぜ)吾子(ごし)と云文に至り、老僧(らうそう)和訓(わくん)して、

「今この三界は、みなこれわが国也。その内の人間は、悉(こと%\)く是わが子なりと、教主(けうしゆ)釈尊(しやくそん)の説(とき)置せ給ひつるぞ」

と語(かた)り給へば、八郎、一々天井(じやう)にてこれを聞、

「三界(かい)の衆生、みな仏の子ならば、吾(われ)も仏の子(こ)成べし。此者共も仏の子なれば、吾(われ)も、まさしき兄弟の物を盗(ぬすみ)とらんは、不道(ふだう)の上の重罪(ぢうざい)なるべし」

と、忽(たちまち)に発起(ほつき)して、其寺(そのてら)より帰りけり。

 其後、いくほどなくて、頓(とみ)に死けり。元より賊中(ぞくちう)の事なれば、あたりの野原(のはら)に捨(すて)ける。いかゞしけん、犬(いぬ)狼(おほかみ)鳥(とり)獣(けだもの)もくらはず、七日を過たり。かれがけむぞくの盗人ども、行てみるに、忽によみがへり、起居(をきゐ)たり。或は怖(をそ)れ、或(あるひ)はよろこぶといへども、人に面をむかふこともなく、物いふ事もなし。此者共肝(きも)をけし、恐(おそ)れて逃帰(にげかへ)りぬ。

 爰に、興福寺(こうふくじ)の僧(そう)、不浄観(ふじやうくわん)を修(しゆ)せん為に、毎夜(まいや)葬場(そうば)古墓(こぼ)をめぐりけるが、此者に逢(あひ)ぬ。僧(そう)、

「何者ぞ」

と問へば、

「我は、立烏帽子(ゑぼし)といへる賊(ぬすびと)也。近(ちか)くより給へ。物申さむ」

といへば、此僧(そう)名(な)を聞、

「哀(あはれ)、日比(ひごろ)聞及びつる悪党(あくたう)也。我を害(がい)せんとするにや」

と思ひながら、近付(ちかづき)て尋(たづぬ)るに、彼(かの)者申やうは、

「我は是天下第一の賊(ぞく)、川辺悪(かわべのあく)八郎と申者也。はからず死して、七日にまかり成さぶらふ。我死と思へば、鉄卒(てつそつ)と申怖(おそ)ろしき者三人来り。我を取(とり)こめて、車卒(しやそつ)と云ふ者、火の車(くるま)を持来り。吾(われ)をとつてのせ、五体(ごたい)を火車に〓(こが)せば、熱苦(ねつく)忍びがたく、中々人間の火は、かれに(<挿絵半丁>)なぞらへては水のごとし。次(つぎ)に、壷卒(こそつ)と云て、一人来り。神壷(しんこ)と云袋(ふくろ)に、わが魂(たましひ)を取(とつ)て入、又、縄(なわ)にてしばり、泣(なけ)ども涙(なみだ)たらず。炎火(えんくわ)面(おもて)をこがす。さけべども、声いでず。鉄丸(てつぐわん)喉(のど)をやき、助(たす)くべき人も来らず。哀(あはれ)むべき人もなし。苦患(くげん)たとへむかたなし。普通(ふつう)の罪人(ざいにん)は、庁前(ちやうまへ)にて勘聞(かんもん)すといへども、大王を初め、冥官(みやうくわん)・冥衆(みやうしゆ)出会(いであひ)て、

『国中第一の悪人(あくにん)、深重(じんぢう)の罪人なり。無間地獄(むげんぢごく)におとすべし。但あまりににくきやつ也。爰にて先さいなみうつべし』

とあれば、獄卒(ごくそつ)鉄丈(てつぢやう)を以、誠(まこと)に威(ゐ)を振(ふるう)てうたむとする時、貴僧(きそう)壱人来りて、

『不便(ふびん)なり』

と仰られしかば、大王冥官等(みやうくわんたう)、草の風にふすがごとく、皆(みな)一統(いつとう)に平伏(へいふく)し、尊敬(そんけい)礼拝(らいはい)す。爰に貴僧の云(いはく)、

『三界の衆生(しゆじやう)は、皆是我子なり。其中にも、此者は、我を父として、盗(ぬすみ)の心をやめたる者也。父として、孝子(かうし)を哀(あはれ)まずんば、有べからず』

とのたまひて、我を乞(こひ)請(うけ)給ひ、則(すなはち)錫丈(しやくぢやう)を以て道を教(おしへ)て、

『速(すみやか)に閻浮(ゑんぶ)に帰(かへ)るべし。我は教主(けうしゆ)釈尊(しやくそん)なり』

と仰らるゝと覚えて、今爰に蘇生(そせい)したり。

 けんぞく来りて

『いかん』

と問(と)へども、吾(われ)、生(しやう)を賊(ぬすびと)の中に受(うけ)て、悪業(あくごう)多(おほ)く作る故に、まさしく無間地獄(むけんぢごく)におつべしなれば、彼等をみるに付ても心うかりしかば、返事もせず、面(おもて)もむけず。尺尊(しやくそん)の御助(たす)けなれば、御僧なつかしく思ふゆへに、かやうに申なり。急ぎ、我を出家(しゆつけ)せさせてたび候へ」

とて、血(ち)の涙(なみだ)を流(なが)せば、僧もふしぎに、又哀(あはれ)におぼえて、住所(ぢうしよ)の寺につれ帰り、出家させて、沙弥(しやみ)と成(なし)て、難行(なんぎやう)苦(く)行して、法華経を読誦(どくじゆ)しけるが、本より勇猛(ゆうまう)精進(しやうじん)にして、持戒(ぢかい)持律(ぢりつ)の僧と成ぬ。

 或年(あるとし)、南都北領(ほくれい)遺恨(いこん)をむすび、興福(こうふく)寺の衆徒(しゆと)をの/\戦場(せんぢやう)に赴(おもむ)きけるに、此入道もさるものなれば、語(かた)らはれて甲冑(かつちう)を帯(たい)し、已(すで)に打出けるが、

「我一たび、たぐひなき黄泉(くわうせん)の責(せめ)をうけ、釈門(しやくもん)に入て、又先業(せんごう)に帰るあさましさよ」

と、心に悔(くや)み、かなしみ、急ぎ鎧(よろひ)をぬぎ捨(すて)、宇治(うぢ)山の深洞(しんとう)にかくれて、おこなひすまし居けるに、或夜(あるよ)人来りて、庵室(あんしつ)をめぐり、入道を呼(よぶ)。暁(あかつき)に至りて、音(おと)なし。三夜おなじごとくに呼(よぶ)といへども、更(さら)にいらへず。あまりによべば、

「吾(われ)を呼(よぶ)は何者ぞ。入(いり)来(きた)りて云べし」

といへば、うちに入ぬ。見れば、長(たけ)六尺有余(ゆうよ)の者(もの)、面(おもて)の色青く、目を見はり、口大きにして、耳(みゝ)のもとまできれ、黒(くろ)き衣を着(ちやく)し、僧のまへに来りて合掌(がつしやう)しけり。入道つら/\みる事、やゝ久し。

「汝(なんぢ)寒(さむ)きや。此火の本へよりて、身をあたゝめよ」

といへば、化物(ばけもの)則(すなはち)座(ざ)につゐて、火にあたりぬ。一言(いちごん)も語(かた)らず。只(たゞ)経(きやう)をよみ居(ゐ)けり。夜(よ)も五更(ごかう)に成ぬ。化物(ばけもの)火にやよひけむ、口をひらき、目を閉(とぢ)て、炉(ろ)のもとに打臥(ふし)、いびきをかく。入道(にうだう)、そばに有ける杓子(しやくし)といふものに、あつき灰(はい)を救(すく)ひて、其口の中に埋(うづみ)み入たり。妖物(ばけもの)大きに叫(さけ)び起(おき)て、門をさして走(はしり)出る。つまづき倒(たふ)れたる声して、後(うしろ)の山に登(のぼ)ると覚(おぼ)えて、夜(よ)已(すで)に明(あけ)たり。

 入道(にうだう)、そのつまづきたる所をみれば、木の皮(かは)一片(へん)あり。いまはぎたるものゝごとし。これを持(もち)て山に登(のぼ)りてみるに、十四五町もゆきて、ある谷陰(たにかげ)に、大きなる桐(きり)の木有。幾世(いくよ)ふるともしらぬ老木(おひき)にして、其(その)木(き)のもとくぼみて、新(あた)らしく欠(かけ)たり。入道(にうだう)、かの木の皮(かわ)をつけてくらぶるに、ぢやうとあひて、透間(すきま)なし。木の半(なか)ばに疵(きず)あり。落(おち)入たること、深(ふか)さ六七寸に及ぶ。かの妖物(ばけもの)の口にして、あつ灰(はい)そのうちにあり。久しく、猶(なを)火気(くわけ)あり。入道(だう)火を以て、その木を焼(やき)倒(たふ)すに、此(この)後(のち)ながく妖怪(ようけ)なし。入道(にうだう)も、二度(ふたゝび)この山を出ずして、行(おこな)ひすましたりしが、其(その)終(をはり)をしらず。

  柳情(りうせいの)霊妖(れいよう)

 文明(ぶんめい)の年中(ねんちう)、能登(のと)の国(くに)の太守(たいしゆ)、畠山(はたけやま)義統(よしむね)の家臣(かしん)に、岩木(いわき)七郎友忠(ともただ)と云ふ者有。幼少(ようせう)の比より才智(さいち)世に勝(すぐ)れ、文章(ぶんしやう)に名を得、和漢(わかん)の才(ざへ)に富(とみ)たり。ようぼういつくしく、いまだ廿(はたち)にみたず。義統(よしむね)愛敬(あいきやう)して、常(つね)に秘蔵(ひざう)し給ふ。生国(しやうこく)は越前(ゑちぜん)にして、母(はゝ)一人古郷(こきやう)にあり。世いまだ静(しづか)ならねば、行とぶらふ事もなし。

 或(ある)とし、義統(よしむね)将軍(しやうぐん)の命(めい)をうけ、山名(やまな)を背(そむ)き、細川(ほそかわ)に一味(いちみ)して、北国(ほつこく)の通路(つうろ)をひらきぬ。杣山(そまやま)に、山名方(やまなかた)の一城(いちじやう)あれば、是を責(せめ)む、とて、義統(よしむね)、杣山(そまやま)の麓(ふもと)に出陣(しゆつぢん)して日を送(をく)り給へば、此ひまをうかゞひ、母の在所(ざいしよ)も近ければ、友忠(ともただ)ひそかに、只(たゞ)一人馬(むま)に打乗(うちのり)、おもむきける。

 比しも、む月の始(はじめ)つかた、雪(ゆき)千峰(せんほう)を埋(うづ)み、寒風(かんふう)はだへを通(とを)し、馬なづむで進(すゝ)まず。路(みち)の旁(かたはら)に、茅舎(ぼうしや)の中(うち)に、煙(けぶり)ふすぶりければ、友忠(ともたゞ)馬(むま)をうちよせてみるに、姥(むば)祖父(ほゝぢ)、十七八の娘(むすめ)を中に置(おき)、只(たゞ)三人、焼(たき)火に眠(いねふ)り居(ゐ)たり。その体(てい)、蓬(よもぎ)の髪(かみ)は乱(みだれ)れ<ママ>て、垢(あか)付たる衣(ころも)は、裾(すそ)みじかなれども、花のまなじりうるはしく、雪の肌(はだへ)、清(きよ)らかにやさしく媚(こび)て、誠(まこと)に、かゝる山の奥(をく)にも、かゝる人有けるよ。しらず、神仙(しんせん)の住居(すまゐ)かとあやしまる。

 祖父(ぢい)夫婦(ふうふ)、友忠(ともたゞ)をみてむかへ、

「たつていたはしの少人(せうじん)や。かく山中に独(ひと)りまよはせ給へるぞや。雪ふり積(つも)り、寒風(かんふう)忍(しの)びがたし。先火によりてあたり給へ」

と、念比(ねんごろ)に申せば、友忠(ともたゞ)よろこび語(かた)るに、

「日(ひ)已(すで)に暮(くれ)て、雪はいよ/\降(ふり)つもる。こよひはこゝに一夜を明させ給へ」

と佗(わぶ)れば、おゝぢ、

「かゝる片山陰(かたやまかげ)のすまひ、もてなし申さむよすがもなし。さりとも、雪間(ゆきま)をしのぐ旅(たび)のそら、こよひは何かくるしかるべき」

とて、馬(むま)の鞍(くら)をおろし、ふすまをはりて、一間(ひとま)をまふけて、よきにかしづきける。此娘(むすめ)、かたちをかざり、衣裳(いしやう)をかへて、帳(ちやう)をかゝげて友忠(ともたゞ)をみるに、はじめ見そめしには且(かつ)まさりてうつくしさ、あやしきほどにぞ有ける。

「山路(やまぢ)の習(なら)ひ、濁(にご)り酒(ざけ)など火にあたゝめ、夜寒(さむ)をはらし給へ」

と、主(ぬし)よりして、はじめて盃(さかづき)をめぐらしける。友忠(ともたゞ)、何となくむすめにさす。夫婦(ふうふ)うち笑(わら)ひ、

「山家(やまが)そだちのひさぎめにて、御心にはおぼさずとも、旅(たび)のやどりのうきをはらしに、御盃(さかづき)をたうべて上まいらせ」

といらへば、娘(むすめ)も、貌(かほ)うちあかめて盃(さかづき)をとる。友忠(ともたゞ)、

「此女のけしき、よのつねならねば、心をも引<挿絵半丁>みむ」

と思ひて、何となく、

  尋(たづね)つる花かとてこそ日をくらせ明ぬになどかあかねさすらん

と口ずさみければ、娘(むすめ)も又、

  出る日のほのめく色をわが袖につゝまばあすも君やとまらむ

とりあへず、その歌がら、詞(ことば)のつゞき、只人(たゞうど)にあらじと思ひければ、

「さいあいのつまもなし。願(ねがはく)は我(われ)にたびてんや」

といへば、夫婦(ふうふ)、

「かくまで賎(いや)しき身を、いかにまいらせん。たゞかりそめに御心をもなぐさめ給へかし」

と申せば、むすめも、

「此身(み)を君にまかせまいらするうへは、ともかくもなし給へ」

と、ひとつふすまにやどりぬ。

 かくて、夜も明(あけ)ければ、空もはれ、嵐もなぎて、友忠(ともたゞ)、

「今は暇(いとま)を申さん。又逢(あふ)までの形(かた)見ともみ給へ」

とて、一包(つゝみ)の金(こがね)を懐中(くわいちう)より出して、これをあたふ。主(あるじ)のいはく、

「これ、さらによしなき事なり。娘によき衣(きぬ)をもあたへてこそ参らすべきに、まづしき身なればいかゞせん。われら夫婦(ふうふ)はいかにともくらすべき身なれば、とく/\つれて行給へ」

と、更(さら)に請(うけ)ねば、友忠(ともたゞ)も力(ちから)なく、娘(むすめ)を馬(むま)にのせ、別(わかれ)をとりて帰りぬ。

 かくて、山名(やまな)細川(ほそかわ)の両陣(りやうぢん)破(やぶ)れて、義統(よしむね)も上洛(らく)して、都(みやこ)東寺(とうじ)に宿陣(しゆくぢん)ありければ、友忠(ともたゞ)ひそかにぐして、忍(しの)び置(をき)けるに、如何(いかゞ)しけむ、主(しう)の一族(ぞく)なりし細川政元(ほそかわまさもと)、此女を見そめ、深く恋侘(こひわび)給ひしが、夜にまぎれ奪(ばい)とらせ、寵愛(ちやうあい)なゝめならざりしかば、友忠(ともたゞ)も無念(むねん)ながら、貴族(きぞく)に敵対(てきたい)しがたく、明暮(あけくれ)と思ひしづみける。

 或時(あるとき)、あまりの恋しさに、みそかに伝(つて)をもとめ、一通(つう)のふみをかきて遣しける。その文のおくに、

  公子王孫逐後塵(こうしわうそんおふこうぢんを)

  緑珠垂涙滴羅巾(りよくしゆたれなみだをしたつらきんを)

  候門一入深如海(こうもんひとたびいりてふかきことごとしうみの)

  従是蕭郎是路人(よりこれせうらうこれろじん)

とぞ書たりける。いかゞしけむ、此(この)詩(し)政元(まさもと)へ聞えければ、政元(まさもと)ひそかに友忠(ともたゞ)を召て、

「物いふべき事あり」

と云(いひ)遣しければ、友忠(ともたゞ)、

「思ひよらず。一定(でう)、これはわが妻(つま)の事顕(あら)はれ、恨(うらみ)の程(ほど)を怖(おそ)れて、吾(われ)を取込(とりこめ)、討(うた)むずらん。たとへ死(し)すとも、いま一たび見る事もや。折もよくば、恨(うらみ)の太刀(たち)一かたなに」

と、思ひつめて行ける。政元(まさもと)頓(やが)て出あひ、友忠(ともたゞ)が手をとりて、

「『候門(こうもん)一たび入て、深(ふか)き事海(うみ)のごとし』と云(いふ)句は、これ汝(なんぢ)の句なりや。誠(まこと)にふかく感心(かんしん)す」

とて、涙(なみだ)をうかめ、則(すなはち)かの女を呼(よび)出し、友忠(ともたゞ)にあたへ、剰(あまつ)さへ、種々(しゆ/\)の引手物(でもの)して、返し給ふ。こゝろざしいとやさし。尤(もつとも)文道(ぶんだう)の徳(とく)なりけり。

 これより夫婦(ふうふ)、偕老同穴(かいらうどうけつ)のかたらひ、いよ/\深(ふか)く、とし月を送(をく)るに、妻(つま)の云(いひ)けるは、

「吾(われ)はからずして、君(きみ)と五とせの契(ちぎ)りをなす。猶いつまでも、八千代(やちよ)をこめむと思ひしに、ふしぎに命(いのち)こよひに究(きわ)まりぬ。宿世(すくせ)の縁(ゑん)を思ひたまはゞ、跡(あと)よく弔(とむら)ひ給へ」

と、涙(なみだ)滝(たき)のごとくにながせば、友忠(ともたゞ)肝(きも)をけし、

「ふしぎなる事、いかに」

ととへば、妻(つま)かさねて、

「今(いま)は何(なに)をかつゝみ候はん。みづから、もと人間(にんげん)の種(たね)ならず。柳樹(りうじゆ)の情(せい)。はからずも、薪(たきゞ)の為(ため)に伐(きら)れて、已(すで)に朽(くち)なむとす。今は歎(なげく)にかひなし」

とて、袂(たもと)をかざすとぞみえしが、霜(しも)の消(きゆ)るごとくに、衣(ころも)斗(ばかり)のこれり。

「これは」

と思ひ、立よれば、小袖(こそで)のみにして、形体(かたち)もなし。

天(てん)にこがれ、地(ち)にふして、かなしめども、さりし面影(おもかげ)は、夢(ゆめ)にだにみえず。せんかたなければ、遂(つゐ)にもとゞり切て、諸国(しよこく)修業(しゆぎやう)の身とぞ成にける。妻(つま)の古郷(ふるさと)のもとへ尋(たづね)て、ありし跡(あと)を見るに、すべて家もなし。尋(たづぬ)るに、隣家(りんか)もなければ、たれしる人もなし。唯(たゞ)、大(おゝ)きなる柳(やなぎ)のきりかぶ、三もと残(のこ)れり。うたがひもなき、これなんめり、と思ひ、其傍(かたはら)に塚(つか)をつき、なく/\わかれ去(さり)けり。

        富貴(ふうき)運数(うんすう)の弁(べん)

 中比(なかごろ)、南都(なんと)に、修理太夫(しゆりのたゆふ)何某(なにがし)とかやいひて、神職(しんしよく)の者あり。いかなる故(ゆへ)にや、究(きわめ)て貧(ひん)にして、朝三(てうさん)のいとなみも安(やす)からざりしかば、職(しよく)を去(さつ)て、宇田(うだ)の郡(こほり)のほとりに引しりぞき、山林(さんりん)に薪(たきゞ)を取(とり)、田畠(でんはた)を耕(たがや)し、渡世(とせい)とす。

 或時(あるとき)、聊(いさゝか)所用(しよよう)ありて、郡山(こほりやま)辺(へん)に赴(おもむき)しに、はからざるに、日暮(ひくれ)て、道(みち)にまよひ、そこともなくとどまり、遙(はるか)の森(はやし)の内(うち)に、燈火(とほしび)ほのかにみへければ、嬉(うれ)しく思ひ、それに便(たより)て行(ゆき)みるに、大(おほ)きなる社頭(しやとう)あり。しん/\として神さび、夜(よ)静(しづか)に、更(さら)に人跡(じんせき)なし。

「いかなる社(やしろ)やらん」

と、立めぐりみるに、爰(こゝ)に、ひとつの拝殿(はいでん)、金銀(きんぎん)を以(もつて)みがき色(いろ)どり、富貴発跡司(ふうきはつせきし)と額(がく)あり。

 太夫(たゆふ)、もとより神主(かんぬし)の職(しよく)なれば、再拝(さいはい)拍手(はくしゆ)して、宝殿(ほうでん)に手向(たむけ)し、祈(いの)り申けるは、

「某(それがし)、平生(へいぜい)、一冬(いつとう)一衣(いちゑ)一夏(げ)一葛(いちかつ)朝脯(てうほ)粥飯(しゆくはん)一盆(いつぼん)、初(はじめ)より、用(よう)に過て妄(みだり)におごる事なし。然(しか)れども、身を置(をく)にいとまなく、喉(のんど)をうるほすに、休息(きうそく)なし。常(つね)に不足(ふそく)の患(うれへ)あり。冬(ふゆ)暖(あたゝか)なれども、寒(さむ)しとこゞへ、年(とし)豊(ゆたか)なれども、飢(うへ)に苦(くる)しむ。己(をのれ)をしるの心なく、蓄(たくはへ)積(つむ)の守(まも)りなし。妻子(さいし)一族(ぞく)にいやしまれて、伴(ともな)ふに、交(まじはり)をたつ。飢難(きなん)に苦(くるしみ)て歎(なげ)くに、所(ところ)なし。今、謀(はか)らずに大神(おほかみ)、富貴(ふうき)の事を司(つかさ)どる権(けん)をきく。是を扣(たゝけ)ば、則(すなはち)聞(きく)事(こと)あり。求るに得(ゑ)ざる事なし。是(これ)わが幸(さいわい)に有。

 こひねがはくは、威厳(ゐげん)を新(あらた)に告(つぐ)るに、〓来(しやうらい)の事を以し、猶未来(みらい)の迷(まよひ)、機(き)を指示(さししめし)し、枯魚(こぎよ)斗水(とすい)の活(くわつ)をかふむり、苦鳥(くてう)一枝(し)の易(やす)きにつかしめ給へ」

と、肝胆(かんたん)をくだき、再拝(さいはい)し、余(あま)りのつかれに、拝殿(はいでん)の片陰(かたかげ)にうづくまりてふしぬ。

 やゝ深更(しんかう)に及(および)て、東西(とうざい)の両殿(りやうでん)、左右(さゆう)の諸社(しよしや)、燈燭(とうしよく)おびたゝしくかゝやき、人馬(にんば)騒動(さうどう)せり。只(たゞ)、太夫(たゆふ)がいのる所の社(やしろ)斗(ばかり)人見えず。又、燈(ともしび)幽(かすか)にして、半夜(はんや)に及(およば)むとす。忽(たちまち)殿中(でんちう)に声(こゑ)す。初(はじめ)め<ママ>は遠(とをく)、次第(しだい)にちかく聞ゆ。諸司(しよし)判官(はんぐわん)、みな出むかへて渇仰(かつがう)するをみれば、文紗(もんしや)の輿(こし)かきつらね、行烈(ぎやうれつ)はなはだ厳重(げんぢう)なり。輿(こし)の内(うち)より符君(ふくん)端正(たんしやう)美容(びよう)にして、威儀(ゐぎ)を正(たゞ)し、神殿(しんでん)の正面(しやうめん)に座(ざ)し給ふ。

 諸衛(しよゑ)判官(はんぐわん)悉(こと%\)く拝謁(はいゑつ)し、皆(みな)本座(ほんざ)につく。政事(せいじ)を行(おこな)ひ給ふ。発跡司(はつせきし)の官人(くわんにん)、殿上(てんじやう)より来(きた)る。符君(ふくん)を拝(はい)して、座(ざ)に着(ちやく)す。皆(みな)装束(しやうぞく)布衣(ほい)のごとく、赤衣(しやくゑ)を着(き)たり。各(をの/\)判断(はんだん)する所をのぶ。一人のいわく、

「駿州(すんしう)三保郡(みほこほり)浦上(うらかみ)の里(さと)の、何がしの長(ちやう)が蔵米(くらまい)二千石(せき)、去(さんぬ)る比より、水損(すゐそん)して相続(あひつゞ)き、米(よね)高直(かうちよく)にして、隣境(りんをく)飢渇(きかつ)、野(や)に餓死(がし)の骸(かばね)みち/\たり。蔵(くら)をひらき、是(これ)を救(すく)ふ。ないし、売出(うりいだ)すに高利(かうり)をとらず。又、粥(かゆ)を煮(に)て、貧乏(びんぼう)の者(もの)に施(ほどこ)し、活(くわつ)を蒙(かうむ)る者(もの)数(かぞへ)へがたし。昨日(きのふ)、其(その)郡神(ぐんしん)本司(ほんし)に申上(あげ)、符君(ふくん)に奏(そう)す。已(すで)に天庭(てんてい)にしられ奉り、寿命(じゆみやう)十二年をのべて、禄(ろく)を六千四百石(せき)賜(たま)ふ」

又、一人の曰、

「尾州(びしう)知多郡(ちたこほり)、野田(のだ)の何某(なにがし)が妻(つま)、姑(しうと)につかへて、甚(はなはだ)孝(かう)あり。其(その)夫(おっと)、他国(たこく)に有(あり)。姑(しうと)おもき病(やまひ)を得(ゑ)、巫医(ふい)しるしなし。思(おも)ひに絶(たへ)かね、沐浴(もくよく)結斎(けいさい)して、香(かう)を焼(たき)、諸天(しよてん)に訴(うつた)へ、

『願(ねが)はくは、身を以(もって)代(かは)らん』

とちかひ、丹精(たんせい)をぬきむでしかば、則(すなはち)愈(いゆ)る事を得たり。昨日(きのふ)、天符(てんふ)下行(げぎやう)して云(いわく)、

『某(なにがし)の婦(ふ)、孝(かう)天地(てんち)に通(つう)じ、誠情(せいせい)鬼神(きしん)を伏(ふく)す。貴子(きし)二人を産(うま)しめ、君(きみ)の禄(ろく)をはむで、其門(そのもん)を光影(くわうゑい)し、終(つい)に位(くらい)をすゝめて、これに報(ほう)ぜん』

と。今(いま)已(すで)に福籍(ふくせい)にしるす」。

又一人のいわく、

「相州(さうしう)中村(なかむら)官主(くわんしゆ)<挿絵見開き1丁>某(なにがし)、爵位(しやくゐ)尊(たつと)く、奉禄(ほうろく)又厚(あつ)し。国民(こくみん)に報(ほう)ぜん事を思はず、只郷民(ごうみん)を貧(むさぶ)り、銭(ぜに)千疋(せんびき)を受(うけ)て、法(ほう)をまげて公事(くじ)に勝(かた)しめ、銀(ぎん)五百両(りやう)を取(とつ)て、非理(ひり)に良民(りやうみん)を害(がい)す。符君(ふくん)上界(しやうかい)に奏(そう)し、則(すなはち)罪(つみ)せんとす。本人(ほんにん)頗(すこむ)る宿福(しゆくふく)あり。此(この)故(ゆへ)に、是非(ぜひ)なく数年(すねん)をふる。いまに滅族(めつぞく)の禍(わざはひ)にあはず。早(はや)く命(いのち)を奉(たてまつり)りて、凶悪(けうあく)をしかす。只(たゞ)時(とき)の至(いた)るを待(まつ)のみ」。

一人の云(いはく)、

「城州八瀬(じやうしうやせ)の里(さと)の某(なにがし)、田(た)数(す)十町あり。貪欲(どんよく)にして、猶(なを)あく事なく、隣田(りんでん)の境(さかひ)を論(ろん)じ、押(おさ)へて、わが数(すう)に合(あはせ)んとて、価(あたひ)を賎(いやし)ふして、是を奪(うば)ふ。剰(あまつ[さ])へ、其(その)あたひを返(かへ)さず。此(この)故(ゆへ)に、先(さき)の田主(たぬし)怒(いかり)をふくみ、終(つい)に空(むな)しく成(なり)ぬ。冥符(めいふ)本司(ほんし)に申て、追尋(ついしん)して獄(ごく)に入る。又、身を化(け)して牛(うし)となし、生(しやう)を隣家(りんか)の主(ぬし)に托(たく)して、その負(お)ふ所(ところ)をつぐのふ」。

諸司(しよし)の言談(ごんだん)終(おはり)て、本司(ほんし)怱(たちまち)眉(まゆ)をあげ、目(め)を見はりて、衆司(しゆし)に謂(いひ)て云(いわく)、

「諸公(しよこう)各(をの/\)其(その)職(しよく)を守(まも)り、その事を治(おさ)め、善(ぜん)を褒美(ほうび)し、悪(あく)を罰(ばつ)す。天地(てんち)運行(うんこう)のかず、生霊(しやうれい)厄会(やくくわい)の期(ご)、国(くに)漸(やうや)くおとろふ。大難(だいなん)まさに至(いた)らむ。諸司(しよし)よく政断(せいだん)すといへども、それこれをいかむ」。

諸司(しよし)おどろき、故(ゆへ)をとふ。本司(ほんし)申給はく、

「我たま/\符君(ふくん)にしたがひ、天帝(てんてい)の所(ところ)に上朝(てう)し、諸聖(しよせい)の将来(しやうらい)の事(こと)を論(ろん)ずるをきく。数年(すねん)の後(のち)、兵戎(へいじう)大きに起(をこ)り、五畿内(ごきない)の人民(にんみん)三十余万(よまん)死(し)せむ。正(まさ)に此ときなり。自(をのづから)積善(しやくぜん)仁(じん)をかさね、忠孝(ちうかう)の者(もの)にあらずむば、まぬかるゝ事ならじ。生霊(しやうれい)の助(たすけ)なく、塗炭(とだん)におちん。運数(うんすう)已(すで)に定(さだま)る。のがるべからず」。

諸司(しよし)色(いろ)を失(うしな)ひ、各(をの/\)散(さん)じ去(さる)。

 太夫(たゆふ)初(はじめ)よりつく%\これを聞、身(み)の毛(け)いよだち、ふるひ/\這(はい)出(いで)て拝(はい)す。本司(ほんし)つく%\見給ひ、小吏(せうり)に命(めい)じ、薄札(はくさつ)を取(とり)よせて、太夫(たゆふ)に告(つげ)給はく、

「汝(なんぢ)、後(のち)に大に福禄(ふくろく)あらん。久しき貧窮(ひんきう)にあらず。今より日々に安(やす)かるべし。暗(くら)きより、明(めい)にむかふがごとくならん」。

太夫(たゆふ)申けるは、

「願(ねがはく)は、其(その)詳(つまびらか)なる事を示(しめ)し給へ」

と申せば、則(すなはち)朱筆(しゆふで)を取(とり)て、大きに十六字(じ)を書(しよ)して、是(これ)を授(さづけ)て云(いはく)、

「日に逢(あひ)て康(やす)く、月にあふて発(はつ)す。雲に逢(あふ)ておとろへ、因(ゐん)によつて没(ぼつ)せん」。

太夫(たゆふ)これをいたゞき、懐中(くわいちう)して、再拝(さいはい)し、出ると思へば、夜(よ)已(すで)に明(あく)。いかなる社(やしろ)ともしらず、懐中(くわいちう)を捜(さぐ)るに、朱書(しゆしよ)なし。則(すなはち)帰(かへ)りて、妻子(さいし)に告(つげ)て悦(よろこ)びあへり。

 数日(すじつ)ならずして、同所(どうしよ)日比野(ひゞの)何(なに)がしと云(い)ふ者(もの)、太夫(たゆふ)に神道(しんたう)の伝授(でんじゆ)して、月ごとに、三石(せき)の米穀(べいこく)を送(をく)る。是(これ)より家居(いゑゐ)も安(やす)く、その館(たち)を作(つく)る。数年(すねん)にして、応仁(おうにん)の兵乱(へうらん)出来(いでき)て、細川(ほそかは)・山名(やまな)大に戦(たゝか)ひ、五畿七道(ごきしちだう)、悉(こと%\)く乱(みだ)る。山名(やまな)が軍族(ぐんぞく)に、斯波(しばの)某(なにがし)、神道(しんたう)の士(し)を好(この)む。修理太夫(しゆりのたゆふに)策(むち)を加持(かぢ)して献(けん)ず。其(その)心(こゝろ)に叶(かな)ひ、則(すなはち)幕下(ばくか)に奉士(ほうし)して、馬(むま)物具(ものゝぐ)僕従(ぼくじう)、あたりをかゝやかし、一所懸命(いつしよけんめい)の地(ち)を領(れう)す。

 同役(どうやく)に、桃井(もゝのい)雲栖斎(うんせいさい)といふもの、太夫と甚(はなはだ)不和(ふわ)にして、さま%\讒言(ざんげん)して、遂(つい)に斯波(しば)の領国(れうごく)、因州(いんしう)一郡(いちぐん)の代官(だいくわん)とす。太夫(たゆふ)心に、

「かの神詫(しんたく)の日(じつ)月(げつ)雲(くも)の三字(じ)みな験(しるし)あり」

深(ふか)く恐(おそ)れつゝしみ、敢(あへ)て非義(ひぎ)をなさず。已(すで)に二とせを送(をく)る。

 或時(あるとき)、太夫(たゆふ)が支配(しはい)の領地(れうち)に、往来(わうらい)の道(みち)を造(つくる)。その領境(れうざかい)の札(ふだ)を書事(しよすること)を乞(こふ)。則(すなはち)太夫、筆(ふで)を下(くだ)して、「因州(いんしう)何(なに)のさかい」とかく内に、風(かぜ)怱(たちまち)に吹(ふき)て、因(いん)の字(じ)の下に一尾(いつび)を曳(ひき)出(いだ)し、一の因(いん)の字(じ)をなす。大きに心にかけて、下夫(しものふ)に命(めい)じて、かへざらしむ。此(この)夜(よ)より疾(やまひ)を煩(わづ)らひ、自(みづから)愈(いゑ)がたき事を知りて、湯薬(とうやく)を用(もち)ひず。家財(かざい)譜宝(ふほう)を書置(かきをき)し、妻子(さいし)にいとま乞(ごひ)し、遂(つゐ)に死す。

 神(かみ)の述(のぶ)る所(ところ)は、聊(いさゝか)も違(たが)ふ事なし。将来(しやうらい)の事、露(つゆ)斗(ばかり)も違(たが)はずして、応仁(おうにん)の兵乱(ひやうらん)うちつゞき、畿内(きない)近国(きんごく)の戦死(せんし)の者(もの)、豈(あに)三十万(まん)のみならんや。是(これ)を以(もつて)つく%\思へば、普天(ふてん)の下(した)、率土(そつと)の浜(ひん)にして、一身(しん)の栄枯(えいこ)通塞(つうそく)、大いにして、一国(こく)の興衰(こうすい)治乱(ちらん)、みな定数(でうすう)あり。博移(ばくしや)すべからず。妄庸(まうよう)の者(もの)、則(すなはち)智術(ちじゆつ)を其間にほどこさむとす。いたづらにみづからくるしむものならじ。

多満寸太礼巻第四

  目録

上杉(うへすぎ)蔵人(くらふど)逢(あふ)女強盗(をんなごうとうに)事

弓剣(ゆつるぎ)明神(みやうじん)罰(ばつする)邪神(じやしんを)事

火車之(くわしやの)説(せつ)并猫(ねこ)取(とる)死骸(しがいを)事

多満寸太礼巻第四

        上杉(うへすぎ)蔵人(くらんど)逢(あふ)女(をんなの)強盗(ごうだうに)事

 過し亨徳(こうとく)年(ねん)中に、上杉(うへすぎ)憲忠(のりたゞ)の一族(いちぞく)に、上杉(うへすぎ)蔵人(くらんど)国忠(くにたゞ)といふ者あり。憲忠(のりたゞ)討死(うちじに)の後(のち)、鎌倉(かまくら)を辞(じ)して、播州(ばんしう)赤松(あかまつ)によしみあれば、うちこへ、一先(ひとまず)頼(たの)まばやと思ひて、ひそかに旅(たび)の用(よう)意して、供(とも)をもぐせず、只(たゞ)一人、住(すみ)なれし里(さと)を立(たち)出て、足(あし)にまかせて急(いそぎ)ける。元来(もとより)智謀(ちぼう)すぐれて、弓矢(ゆみや)打物に達(たつ)し、廿(はたち)あまりの若(わか)者なれば、人を人とも思はず。世(よ)の乱(みだれ)の最中(さいちう)なれば、山賊(ぞく)・海賊(かいぞく)の、道にあふれて、更(さら)に往来(わうらい)もたやすからねども、これを事ともせず、唯(たゞ)一人登(のぼ)りける心のほど、いと恐(おそろ)し。

 ある山路(ぢ)にさしかゝり、日は既(すで)に暮(くれ)かゝる。足にまかせて、麓(ふもと)に急(いそぎ)けるに、とある片岸(かたぎし)に、六尺あまりの大(だい)の法師(ほうし)、ざいほうを引さげて、仁(に)王立につつたち、跡(あと)につゞきて五六人、おなじさまなる大のおとこ、得(ゑ)もの/\を持(もち)てつゞきたり。蔵人(くらんど)すかし見て、

「すは、くせものござんなれ」

と、中々恐(おそ)るゝけしきもなく、

「道(みち)を急(いそ)ぐ旅(たび)のものなり。速(すみやかに)にそこをひらきて通されよ」

と、詞(ことば)をかけたりけるに、法師(ほうし)云(いふ)やう、

「我(われ)/\は、人の物(もの)をわが物にして世をわたる者共なれば、命おしくは、太刀(たち)かたな衣装(いしやう)をぬぎて通(とを)られよ」

と、ひし/\と取(とり)まはす。蔵人云やう、

「わが身は一人なれば、敵対(てきたい)すべきやうなし。命(いのち)こそ宝(たから)なれば、ちかふよつて面々(めん/\)に取給へ」

と、ちか%\とつめかけ、ひそかに太刀(たち)をぬき持(もつ)て、大(だい)の法師(ほうし)の真向(まつこう)ふたつに、さつとわりつゝ、いで立(たつ)たる男の、左の耳(みゝ)の際(きわ)より、肩先(かたさき)へ切付(きりつけ)たり。しばしもこらへず、左右(さゆう)に倒(たふ)れけるに、

「すは、しれ者よ」

と、跡(あと)の男、腰(こし)なる貝(かい)を吹(ふき)ければ、四方(よも)の山々より、同じく貝(かい)を合て、手に/\松明(たいまつ)ふつて、いくらともなく蒐(かけ)来(きた)る。蔵人(くらんど)、大勢(ぜい)に取篭(とりこめ)られては叶(かな)はじと思ひければ、あたりの者(もの)ども蒐(かけ)ちらし、足(あし)を計(ばかり)に落(おち)たりけるに、思ひもよらぬちか道に先(さき)をまはられ、せんかたなく、松(まつ)の大木(ぼく)のしげりたるによぢのぼり、梢(こずえ)に身をかくし、息(いき)をとゞめてゐたり。

 かくて、数(す)百人よせ集(あつま)り、草(くさ)を分(わけ)て尋(たづね)求(もとむ)るに、行(ゆき)方なし。大将(たいしやう)と覚しき男、

「よし/\、一人などをめがけて、詮(せん)なき骨(ほね)を折(おる)ものかな。兼(かね)て示(しめ)せし信元(のぶもと)が家(いゑ)に、こよひおし入べし。手配(てくばり)せんまゝ、しばらくよせ集(あつま)るべし」

とて、大幕(まく)引、大づゝあまたすへならべ、かゞりを焼上(たきあげ)たりければ、日(につ)中のごとし。蔵人がのぼり居(ゐ)たる松の木を、真中(まんなか)になしてぞあつまりける。かくて、大将(たいしやう)と覚(おぼ)しき者は、色(いろ)白く、尋常(じんじやう)に容貌(ようばう)<挿絵見開き1丁>いつくしく、としの比(ころ)廿あまりにして、かねくろく、まゆをつくり、髪(かみ)をからわにゆひ上(あげ)、立(たて)ゑぼしを引こみ、かりぎぬの下に腹巻(はらまき)して、大(おほ)口のそば高(たか)%\とさしはさみ、誠(まこと)に器量(きりやう)こつがら、千万騎(せんまんき)の大将(たいしやう)ともみえたり。床肌(しやうぎ)に腰(こし)をかけたるをみれば、女なり。十八九斗(ばかり)なる女二人、おなじ装束(しやうぞく)したるが、左右(さゆう)に候(こう)す。そのほか、ありとあらゆる、鬼(おに)とも人とも見えぬ山賊(さんぞく)ども、数(す)百人並(なら)びゐて、とり%\評定(ひやうでう)しける。

「哀(あはれ)、是(これ)は、日比(ひごろ)聞(きゝ)つたへたる女強盗(ごうだう)、今巴(ともへ)といへる成(なる)べし。器量(きりやう)といひ、姿(すがた)といひ、いかにもして吾(わが)妻(つま)として、暫(しばらく)世(よ)に出るまでの助(たすけ)ともせばや」

と思ひて、なりを静(しづ)めて居(ゐ)たりける程(ほど)に、酒宴(しゆゑん)事(こと)終(をはり)、亥(い)の尅(こく)計(ばかり)にも成(なり)ければ、

「時分(じぶん)よきぞ」

と、云ほどこそあれ、数(す)百人の者共、吾(われ)おとらじと打(うつ)立けり。

 蔵人も、木より下(おり)て、跡(あと)につきて行(ゆく)ほどに、さもおびたゞしき屋形におし入、右往(わう)さをうにおし破(やぶ)り、込(こみ)入ける程(ほど)に、屋形(やかた)の内に、思ひよらぬ事なれば、ねおびれたる男(なん)女ども、うちふせ、切(きり)たふし、猶(なを)奥(おく)へぞ切て入にける。亭(あるじ)の男(おとこ)と覚(おぼ)えて、大長刀(なぎなた)を引そばめ、込(こみ)入ものを散々(さん%\)に切(きり)ちらし、八方(はつはう)をなぐり立けり。盗(ぬす)人共も肝(きも)をけし、表(おもて)をさして崩(くづ)れ出けるに、大将(たいしやう)これをみて、白柄(しらゑ)の長刀かいこふで、既(すで)に馳向(はせむか)ふ。

「爰(こゝ)ぞ、能(よき)所」

と、蔵人(くらんど)つと出て、袖(そで)にすがり、

「爰を吾(われ)にまかせ給へ。年比(としごろ)思ひかけ侍りつるに、よも御承引(せういん)あらじと、いひも出(いだ)さず侍る。かくて恋(こひ)しなんも同じ命(いのち)なれば、かれと討死(うちじに)して、君(きみ)が命(いのち)にかはり侍らん」

とて、太刀(たち)ぬきそばめ、はしりより、長刀(なぎなた)にしとゞ合、付(つけ)めぐりて引はづし、右(みぎ)の腕(かいな)を打おとし、ひるみたゞよふ所を、やがて首(くび)を打おとし、

「入や、者(もの)共」

と下知(けぢ)しければ、我(われ)おとらじと乱入て、財宝(ざいほう)悉(こと%\)くうばい取(とつ)て、手負(ておひ)をかこみ、帰(かへ)るをみれば、遙(はるか)にもとの山奥(のおく)に、人もかよはぬ深谷(みたに)の洞(ほら)に入ける。

 蔵人(くらんど)もおなじく続(つゞ)きて入てみれば、洞(ほら)の内一町少行(ゆき)て、さもけつかうなる屋形(やかた)ありて、数(す)ヶ所(しよ)の家数(いゑかず)あり。をの/\をのが内に入、奪(うば)ひ来る財宝(ざいほう)を分(わか)ちあたへける。蔵人にも、人なみにわかちとらしけるを、蔵人云やう、

「さきに申つる、御命にかはり奉(たてまつ)る者也。いかで財産(ざいさん)をたうべき」

といへば、外(ほか)の者共に与(あた)へとらしぬ。かゝるほどに、をのがさま%\かへりぬ。

 女性(しやう)、蔵人が手(て)を取て、遙(はるか)に、いく間(ま)ともなく過(すぎ)て、寝殿(しんでん)とおぼしき所(ところ)にともない、

「さるにても、いかなる人にておはすぞ」

ととへば、今はつゝみてもよしなしと思ひ、初終(はじめをはり)を語(かた)りければ、

「さればこそ、只(たゞ)人とも覚えね。わが身は、都(みやこ)ちかき、こはたの里(さと)、何某(なにがし)と申者の娘(むすめ)成(なり)しが、十七の春、忍(しの)びの男を、吾(われ)を恋(こふ)る者にうたせ、その敵(かたき)を打(うち)、所(ところ)のすまひも叶(かな)はずして、そことなくまよひ出、さきに討(うた)れ候へつる法師(ほうし)にいざなはれ、此所(このところ)にかくれ、そのほかあまたの女をかどはし、かやうにあらぬ事に世を送(をく)り侍る。此(この)近辺(きんへん)に住居(すまゐ)する山賊(さんぞく)ども、皆(みな)わがけんぞく也。吾(われ)妻(つま)を持(もつ)事数(す)十人。然(しか)れども、心に叶(かな)ふ夫(おつと)なし。みな世(よ)を早(はや)くす。君(きみ)かはらぬ心ましまさば、千代(ちよ)かけて契(ちぎ)るべし」

とて、酒など取(とり)出し、食(しよく)をすゝめ、「夜(よ)も更(ふけ)ぬらん」とて、手をとりて閨(ねや)へいりぬ。

 かくて、打(うち)とけ、いねけるに、すべて此世(よ)の人ともおぼえず。心地(こゝち)まどひておぼえければ、

「是(これ)にぞおほくの者は死(しに)けん」

とおぼゆ。天性(てんせい)此蔵人は、人にすぐれてすくやか者なりければ、更(さら)にまどはず、とし月を送(をく)りける。女も、「此人ならでは」と、世(よ)になき事思り。蔵人(くらんど)つく%\思ひけるは、

「一旦(いつたん)かく世を世とも思はず、何に不足(そく)もなく、月日を心安(やす)く暮(くら)すは、さる事なれども、さすがに氏(うぢ)ある家(いゑ)を、山賊(さんぞく)強盗(ごうだう)と呼(よば)れんも口をし。ひそかに忍(しの)び出ばや」

と思ひ、あらましを書置(かきをき)て、都(みやこ)をこゝろざして登りけるに、鳴海縄手(なるみなわて)にさしかゝりて、日も漸々(やう/\)暮(くれ)ければ、熱田(あつた)までと、心急(いそぎ)てゆくに、片原(かたはら)に人を葬(さう)する塚(つか)原あり。いくらともなき白骨(はつこつ)ども、むく/\と起(をき)あがりて、蔵人(くらんど)にとりつくを、踏(ふみ)たふし、けちらしけるに、限(かぎ)りもしらずむらがり集(あつま)り、いやがうへに重(かさな)りければ、せんかたつきはて、怖(おそろ)しくおぼえ、逸足(いちあし)を出して逃(にげ)たりけるが、漸々(やう/\)熱(あつ)田の御社(みやしろ)の前にかけ上、ため息(いき)をつぎて休(やす)らひ、夜(よ)も更(ふけ)ければ、社の拝殿(はいでん)にしばらくまどろみけるに、暁(あかつき)方に、かの白骨(はくこつ)ども、さも怖(おそろ)しき形(かたち)と成(なり)て、をの/\御階(みはし)の本によりて、

「此御社(みやしろ)に、われ/\裟婆(しやば)の敵(かたき)こもり居(ゐ)侍る。哀(あはれ)、給はりて、修羅(しゆら)の苦患(くげん)をもたすからばや」

と、一同(どう)に訴(うつた)へければ、暫(しばらく)して、神殿(しんでん)の御戸(みと)を開(ひらき)て、衣冠(いくわん)正敷(たゞしき)神人出向(むか)ひて、

「汝(なんぢ)らが申所、その断(ことはり)有に似たりといへども、此者已(すで)に発(ほつ)心の志(こゝろざし)をまふく。たとへ下し給(たま)はるとも、よも修羅(しゆら)の業(ごう)はやむべからず。とく/\退散(たいさん)すべし」

と仰ければ、「此上は力なし」とて帰ると覚(おぼ)えて、夢(ゆめ)さめぬ。

 蔵人(くらんど)思ふやうは、

「このとし月、よしなき事に組(くみ)して、多(おほく)の者(もの)の命(いのち)をとりぬ。今目前(もくぜん)に報(むくふ)べきを、明神(みやうじん)助(たすけ)させおはします事の有がたさよ」

と、感涙(かんるい)をおさへかね、夜も漸々(やう/\)明ければ、則(すなはち)本髻(もとゞり)切て発心(ほつしん)し、諸(しよ)国修行(しゆぎやう)しけるが、猶(なを)もむかし覚束(つか)なく、東(とう)国行脚(あんぎや)の折(おり)ふし、有(あり)つる方を尋(たづね)けるに、いつしか屋形(かた)のかたちもなければ、誰(たれ)にとふべきよすがもなくて、草のみ茂(しげ)りて、その所ともみえざりければ、

  あはれなりこゝはむかしの跡(あと)かとよ見ざりし草に秋風ぞふく

盛者必衰(じやうしやひつすい)無常迅速(むじやうじんそく)の断(ことはり)、始(はじめ)ておどろくべきにあらずといへ共、一生(しやう)の間(あいだ)に六道(だう)を経(へ)たる心地(こゝち)して、猶(なを)も諸(しよ)国をめぐりける。

  我(わが)一期(ご)の行業(ぎやうこう)を思ふに、悪事(あくじ)をのみ好(このみ)て、殖(うへ)たる善根(ぜんこん)なし。よはひ已(すで)にたけて、冥途(めいど)の旅(たび)に近(ちか)づきぬ。何事を頼(たのみ)てか、黄泉(くわうせん)の道の糧(かて)とせん。始(はじめ)て習(なら)ひおこなふとも、仏法(ぶつほう)の理(り)もさとりがたし。いかなる計(はかりごと)をしてか、浄土(じやうど)の因(ゐん)ともせまほしくて、つら/\案(あん)じけるが、

「世に人の難義(なんぎ)をすくふほどの大きなる善根なし。山賊(さんぞく)強盗(ごうたう)は、人を殺(ころ)し、世(よ)に恐(おそ)るゝ事、上なき事なれば、我(われ)強盗の身にまじわりて、人を助る計(はかりごと)をして、ひそかに念仏して、往生(わうじやう)の素懐(そくわい)をとげん」

と思ひしたゝめて、京都にのぼりて、

「強盗にまじはらん」

といふに、さる名人(めいじん)なれば、悦(よろこ)びて伴(ともな)ひける。

 扨(さて)、人のもとへ入時は、真(まつ)先にうち入て、

「しばし%\」

とて、或(あるひ)は人をにがし、物をかくさせて、うわべははしたなくみせて、ひそかに人を助(たすけ)けり。かくして物を分(わく)る時は、

「入事あらは申べし。当時(たうじ)は用(よう)なし」

とて、物をとらず。友(とも)も恥(はぢ)思ひけり。かくて念仏(ねんぶつ)の功(こう)、他念(たねん)なかりけり。

 有時(あるとき)、からめとられて、検非使(けんびいし)のもとに預(あづ)け、いましめらる。奉行(ぶぎやう)の者共の夢(ゆめ)に、金色(こんじき)の阿弥陀(あみだ)の像(ぞう)をしばりて、柱(はしら)に結(ゆ)ひ付たりとみるに、驚(おどろ)きて、あやしく思ひて、先此法師(ほうし)を解(とき)ゆるして、

「御坊(ばう)の強盗(ごうだう)する心はいかに」

といふに、

「御不審(ごふしん)にや及(および)候。つたなく不道(ふだう)にして、只(たゞ)物(もの)のほしさにこそ仕候へ」

といへば、

「唯(たゞ)すぐにいはれよ。用(よう)ありてとふ也」

といへども、只(たゞ)おなじ体(てい)にぞ、たび%\こたへける。検非使(けんびいし)、夢(ゆめ)の様(やう)を語(かた)りて、

「あまりのふしぎさに、かく問ひ侍(はべ)る」

といへば、此法師(ほうし)、はら/\と泣(なき)て、

「もとは子細(しさい)あるものゝふにて候へども、何(なに)となく後世(ごせ)の事恐(おそろ)しく覚(おぼ)え、武勇(ぶゆう)のみちに馴(なれ)たる故(ゆへ)、同じくは、此道(みち)を以(もつて)善根(ぜんごん)ともせばやと思ひ侍る。強盗(ごうだう)の、徒(いたづら)に人を殺(ころ)し、幾許(そくばく)の物を掠(かす)めとる事、不便(ふびん)におぼへ、命(いのち)をも助(たす)け、物をもかくさせてまはり、此外(ほか)は、一向(かう)念仏(ねんぶつ)を申さむと思ひ立て、かゝる業(ごう)をなん仕るなり。此事、心斗(ばかり)に思ひよりて、人にも語(かた)る事侍らざりしが、扨は、仏(ほとけ)の御心(みこゝろ)に叶(かな)ひてはし候にや」

と、涙(なみだ)を流(なが)し、随喜(ずいき)しける。此義(ぎ)上に奏聞(そうもん)して、ゆるし給ひけるが、其後は終(おは)るところをしらず。

 その、群類(ぐんるい)に交(まじはり)て、衆生(しゆじやう)を済度(さいど)しけるも、ひとへに菩薩(ぼさつ)の誓願(せいぐわん)にひとし。誠(まこと)にきどく成し事共也。

  弓剣(ゆつるぎの)明神(みやうじん)罰(ばつする)邪神(じやじんを)事

 越中(ゑつちう)の国となみ郡(こほり)、しほの郷(さと)に、一人の隠士(ゐんし)あり。藤(ふぢ)原(の)良遠(よしとを)といへり。往昔(そのかみ)当国(たうこく)の守(かみ)、藤(とう)の仲遠(なかとを)在国(ざいこく)の間に、ある富家(ふか)の娘(むすめ)に契(ちぎ)りてもふけたる男子(なんし)也。当国(たうごく)の任(にん)はてゝ、上洛(じやうらく)の折から、都(みやこ)の聞えを憚(はゞか)り、かの男子(なんし)に、家(いゑ)重代(ぢうだい)の、雲分(くもわけ)と云剣(つるぎ)と龍牙(りうげ)といへる弓矢(ゆみや)を残し、

「此(この)子(こ)成人(せいじん)の後は、いかにも器量(きりやう)あらば、父(ちゝ)を尋(たづ)ぬべし」とて、田畠(てんはた)数ヶ所(すかしよ)母(はゝ)につけて上洛(じやうらく)し給へり。

 幼少(ようせう)の比より、自余(じよ)の者(もの)にかはりて、色(いろ)白く、眼(まなこ)さかしまにきれ、勢高(せいたか)く、強力(ごうりき)勇猛(ゆうもう)にして、才智(さいち)又世に勝(すぐ)れければ、弓馬(きうば)の道(みち)に達(たつ)し、岩(いわ)巌石(がんせき)をおとし、水に入ては水牛(すいぎう)の勇(いさみ)をなし、弓矢(ゆみや)を執(とつ)ては、楊雄(やうゆう)をあざむき、弓勢(ゆんぜい)人に越(こへ)、あたる所(ところ)射通(いとを)さずと云事(いふこと)なし。其(その)振舞(ふるまい)、あたかも人倫(りん)の及ぶ事かたし。常(つね)に遊猟(ゆふれう)を好(この)み、山野(さんや)河海(かかい)を家(いゑ)とし、廿余歳(よさい)の春秋(はるあき)を送(をく)れり。

「さる者(もの)の子(こ)なれば、都(みやこ)にものぼり、父に対面(たいめん)して、世にも出給へかし」

と、一族(いちぞく)・母(はゝ)のいさめけれども、

「父(ちゝ)に逢(あは)むはさる事なれども、主(しう)につかへては心まかせず。世(よ)にあらむは、いかでか、たがたのしみにもおとらむや」

とて、只(たゞ)明暮(あけくれ)猟漁(すなどり)をわざとし、年月(としつき)を送(をく)るに、すべて不思議(ふしぎ)なる事ども多(おほ)かりける。

 或日(あるひ)、例(れい)のごとく、馬(むま)に打乗(うちのり)、塩(しほ)の山づたひに、奥山(おくやま)深(ふか)く入ける。或(あるひ)は、峨々(が%\)たる翠気(すいき)にのぼり、森々(しん/\)たる洞庭(どうてい)に下(くだ)る。山又ふかく、樹間(きのあいだ)は暮(くるし)くに似(に)たれども、日いまだかたむかず。

 爰(こゝ)に、ある谷陰(たにかげ)に、人の吟(よぶ)声(こゑ)あり。

「かゝる人倫(じんりん)まれなる深山(みやま)に、人の来(く)べきにしもあらず。いかさまにも獣(けだもの)のたぐひならむ」

と、馬をはせて見しに、ちかきあたりのちがやをむすびて、露もる便(たより)となし、やみふせる人あり。臭(くさ)さ、そのほとりの草木(さうもく)にうつり、鼻(はな)をふさぎて近付(ちかづき)、これをみるに、誠(まこと)に不浄(ふじやう)の女(をんな)の病人(びやうにん)也。

「いかなる者(もの)ぞ」

と尋(たづぬ)れば、

「渓民瘡(けいみんさう)と云(いふ)病(やまひ)を受(うけ)て、父母一族(ぞく)も鼻(はな)をいとひて、生(いき)ながら捨(すて)られて候。いかなる獣(けだもの)のゑじきともなり、早(はや)く命(いのち)を捨(すて)ばやと思へども、鳥(とり)獣(けだもの)さへ、臭(くささ)をいとひ、あたりへよらず。かひなき命(いのち)を生(いき)て、苦痛(くつう)をし侍る。哀(あはれ)、殿(との)の御慈悲(じひ)に、命(いのち)を召(めし)てたばせ給へ」

と、泣(なき)かなしめば、良遠(よしとを)、天性(てんせい)じひふかく、仁心(じんしん)なるものなれば、何となく哀(あはれ)に覚(おぼ)え、

「扨、いかなる物が薬(くすり)ぞ。食(しよく)したき事はなしや」

と、問(と)ひければ、

「すべて、此(この)病(やまひ)にふしぎの薬(くすり)侍れど、父母(ふぼ)親類(しんるい)もうとみてあたへず」

と云。

「何ぞ」

と、とへば、

「人の舐(した)が第一(だいいち)の薬(くすり)にて候へども、思ひ絶(たへ)侍る」

と、答(こた)ふ。良遠(よしとを)心に思ひけるは、夫(それ)人としては、一生(しやう)に一度(いちど)は、かならず人を助(たすく)る者(もの)といへり。ましてや、人として救(すく)はずむば、人倫(じんりん)にあらず。

「吾(われ)、汝(なんぢ)をすくひ得(ゑ)させむ」

と、思ひ切(きつ)て、彼(かれ)が五体(ごたい)をみるに、針(はり)斗(ばかり)の所(ところ)も損(そん)せざる所なし。されども、目をふさぎ、鼻(はな)をおほひて、胸(むね)のほどよりねぶりければ、臭(くさ)さ絶(たへ)がたけれ共(ども)、深重(しんぢう)の慈悲(じひ)を以、漸々(やう/\)ねぶりけるに、病人(びやうにん)忽(たちまち)に、容顔(ようがん)美麗(びれい)の形(かたち)と変(へん)じ、みどりの髪(かみ)は、楊柳(やうりう)の風になびき、容貌(ようぼう)端正(ずいしやう)の身となり、着(き)たるつゞれは錦(にしき)となり、臭(くさ)さ、却(かへつ)て霊香(れいかう)となれり。時に、女性(によしやう)、良遠(よしとを)に謂(いひ)て云(いはく)、

「我(われ)は此(この)山(やま)の神、龍田姫(たつたひめ)と云(いふ)者(もの)也。君(きみ)に前生(ぜんしやう)の縁(ゑん)あれば、慈心(じしん)の程(ほど)を猶こゝろみ、夫婦(ふうふ)の語(かた)らひをなして、共(とも)に有情(うじやう)を度(ど)せんと思ふなり」

とて、山上(さんじやう)をまねき給ふに、錦(にしき)を以(もつて)かざりたる、八葉(はちよう)の車(くるま)の大(おほ)きなるが、牛(うし)もなく、をのれとゆるぎ下(くだ)りて、とゞまりぬ。則(すなはち)、下簾(したすだれ)をかゝげてともなひ入、たがひに爰(こゝ)にありて、浅(あさ)からぬちぎりをこめ、霊酒(れいしゆ)佳肴(かこう)内(うち)にみちて、天上(てんじやう)のたのしみをつくす。

 その夜(よ)は爰(こゝ)にあかしぬ。やう/\しのゝめ告(つげ)わたる比、女性(によしやう)云(いふ)やうは、

「常(つね)にもまみえたく侍れど、心にまかせぬ天帝(てんてい)の命(めい)なれば、又明年(みやうねん)のけふは、この所(ところ)へ来り給ふべし。その時(とき)、又見参(げんざん)に入さふらふべし」

とて、別(わか)れて、夢(ゆめ)のごとく馬にのりて、一町斗(ばかり)あゆみて、後(うしろ)をかへりみれば、雲霧(くもきり)とぢて、名残(なごり)の松風(まつかぜ)、帰(かへ)るさを送(をく)る。

 此事(このこと)を母(はゝ)にも語(かた)るに、不思儀(ふしぎ)なる事に思へり。

 かゝる程(ほど)に、光陰(くわうゐん)過(すぎ)やすく、契約(けいやく)の日にも成(なり)しかば、則(すなはち)、馬(むま)に乗(のり)て、かの所(ところ)にいたりぬ。遙(はるかの)峰(みね)を、前(さき)の車(くるま)、忽然(こつぜん)と下(くだ)りぬ。女性(によしやう)簾(すだれ)をかゝげて、良遠(よしとを)が手をとりて、車(くるま)に伴(ともな)ひ、千夜(ちよ)を一夜(よ)にかたらひ、

「君(きみ)とすくせのきゑんあり。天帝(てんてい)のゆるしを蒙(かうむ)り、今こゝに、二たびあひみぬ。此(この)後(のち)ながくまみゆる事有べからず。我(われ)に微妙(みめう)の呪法(じゆほう)あり。瞿雀明王経(くじやくみやうおうきやう)と名づく。これを深(ふか)く信受(しんじゆ)すれば、神仙(しんせん)の妙(めう)を得(ゑ)て<挿絵見開き1丁>、一切(いつさい)の鬼種(きしゆ)を領(れう)す。此山の未申(ひつじさる)に当(あたつ)て、一つの深洞(しんとう)あり。これ古仙(こせん)の霊窟(れいくつ)にして、此(この)洞(ほら)に入て、此呪(じゆ)を修(しゆ)し、練行(れんぎやう)あるべし。内証(ないしやう)仏智(ぶつち)に叶(かな)ひ、外(ほか)に、通力(つうりき)自在(じざい)の術(じゆつ)を得(う)。急(いそ)ぎ、彼(かの)地(ち)に行(ゆき)て、おこなひ給ふべし」

と、念比(ねんごろ)につたへて、夜(よ)も明(あけ)ぬれば、前(まへ)のごとくわかれて、忽然(こつぜん)として消(きへ)うせぬ。

 良遠(よしとを)、女(をんな)の教(をしへ)にまかせ、すぐに、かの洞(ほら)に入て、二度(ふたたび)人家(じんか)に帰(かへ)らず。ながく塵(ぢん)あいを隔(へだて)て、密呪(みつじゆ)を修(しゆ)し、松葉(まつのは)をぶくし、練行(れんぎやう)せしに、いつとなく飛行(ひぎやう)自在(じざい)の通(つう)を得て、洞中(ほらのうち)は五色(ごしき)の苔(こけ)を生(しやう)じ、門戸(もんこ)床下(しやうか)、苔をのづから色(いろ)をまじへ、則(すなはち)五色(ごしき)の苔(こけ)を衣服(いふく)とし、鳥獣(とりけだもの)、菓〓(くわ/\)を供(けう)し、二人の山神(さんしん)をかつて、随従(ずいじう)給仕(きうじ)をなす。

 爰(こゝ)に、智海(ちかい)融性(ゆうしやう)とて、諸国(しよこく)斗教(とけう)の僧(そう)ありけり。立山(たてやま)禅定(ぜんぢやう)して、越後(ゑちご)へおもむくに、道(みち)を失(うしな)ひ、計(はか)らずも、かの洞(ほら)に至(いた)れり。有髪(うはつ)の僧形(そうぎやう)、黙然(もくねん)としてあり。二人、希有(けう)の思ひをなし、恭敬(くぎやう)礼拝(らいはい)して、暫(しばらく)やどりをなす。傍に、二人(ふたり)の美麗(びれい)の女性をみて、思はずも、染心(せんじん)の念(ねん)をはつす。二女(ぢよ)は、仙(せん)に申て云、

「是(これ)破戒(はかい)無慙(むざん)の人なり。偽(いつは)りて浄境(じやうかい)に至る。吾(われ)ら、まさに身命(しんみやう)をくらはむ」。

仙の云、

「此事をなす事なかれ。二人を加護(かご)して、人間に送るべし」

とあれば、二人の美女(びぢよ)、俄(にはか)に本形(ほんぎやう)を顕(あら)はし、恐(おそ)ろしき鬼神(きじん)と成て、二人を引(ひつ)さげ、空(そら)をしのぎて飛(とび)かけり、しゆゆの間に人里に至り、則(すなはち)投(なげ)捨(すて)て去(さり)ぬ。二人は心も消(きへ)、気(き)を失(うしな)ひ、良(やゝ)久(ひさしく)してよみがへり、里人に逢(あふ)て此事を語(かた)り、みづからざんげ後悔(こうくわい)しける。

「さるにても、此山にかゝる事ありや」

と尋(たづね)とへば、

「二百年斗以前(いぜん)、藤(とう)の良遠(よしとを)とて、ふしぎの人有つるが、深山(しんざん)に入て、神女に契(ちぎ)り、二たび出ず。遙(はるか)にとし経(へ)て、伝(つた)へ給ひし太刀と弓とを、年比住給ひし屋形の棟(むね)に、空(そら)より立てあり。剣(つるぎ)は常(つね)に雲をうづまき、弓矢は二龍(じりう)と成、屋上(おくじやう)にみゆる。則、その旧跡(きうせき)を改(あらため)て、新(あらた)に社壇を造営(ざうゑい)し、二色(にしき)の神宝(しんほう)をこめて、弓剣の宮とて、霊験(れいけん)不双(ふさう)にまします也」

と語(かた)れば、二人の僧(そう)、信心(しん%\)肝(きも)にめいじ、則、明神に参詣し、法施(ほつせ)を奉(たてまつ)りて、おこたり申ける。

 其後、応長(おうちやう)の比、都七条辺に、常真院(じやうしんいん)法印(ほうゐん)周達(しうたつ)とかや云(いひ)し先達(せんだち)の山伏、北国の霊場(れいぢやう)を順礼(じゆんれい)しける。加賀(かゞ)越中(ゑつちう)を廻(まは)りて、となみちかき麓(ふもと)を過(すぎ)けるに、日は已(すで)にかたむき、人倫(じんりん)遠(とを)き山道なれば、いとゞ心ぼそきに、とある森陰(かげ)より、俄(にはかに)に黒雲(こくうん)たな引て、すさまじく、身の毛(け)しきりによだち、異形(いぎやう)のもの、木のまにみえて、

「其法師とりて、肴にせよ」

と、呼(よば)はる声(こゑ)しければ、足(あし)をばかりに逃(にげ)けるが、あまりの恐(おそ)ろしさに、跡(あと)をかへりみれば、頭は龍のごとく、眼(まなこ)ひかり、あかき髪(かみ)そらざまに生上(おひあがり)、両手をひろげて追(おい)かけたり。周達(しうたつ)心(こゝろ)に般若(はんにや)を呪(じゆ)し、逸足(いちあし)を出して、漸々(やう/\)と、此社までかゝへりつき、遙(はるか)に跡をみれば、空(そら)はれ、月も東の山のはに出ければ、やゝ人ごゝろのつきて、あたりをみれば、人家(じんか)も立つらねたり。則、社檀の片隅(かたすみ)にうづくまり、夜もすがら心経(しんぎやう)を誦(じゆ)し、法楽とし、

「かゝる邪鬼(じやき)をまぢかく住(すま)せ給ふ事、神威(しんい)うすきに似たり」

と、且(かつ)はうらみ、且は祈(いの)りけるが、あまりに草臥(くたびれ)ければ、拝殿(はいでん)にふしぬ。

 夜も漸々(やう/\)丑三(うしみつ)ころに、神殿の御戸、はつと開(ひら)く。周達(しゆうたつ)、夢(ゆめ)心(こゝ)ちに、

「不思儀(ふしぎ)さよ」

と思ひ、守りいたるに、燈明(とうみやう)あきらかに、一人の神女(しんによ)、御階(みはし)のもとに下り立(たち)、末社(まつしや)をめす。立烏帽子(たてゑぼうし)に、布衣(ほい)きて、下に腹巻太刀はいたる神人(しんにん)四五人、声(こゑ)に応(おう)じて、庭上(ていしやう)にかしこまる。神女、

「こよひの客僧(きやくそう)、風の森の邪鬼(じやき)に追(お)はれて、神殿に訴(うつた)ふ。是のみならず、折(おり)/\人を損害(そんがい)す。とく罰(ばつ)せられるべき所(ところ)に、深く歎(なげき)申により、宥(ゆう)めんある所に、放逸(はういつ)をふるまふ。汝(なんぢ)等(ら)、急(いそ)ぎ彼地(かのち)に赴き、神罰(しんばつ)をくはへ、誅(ちう)し可(べき)申のむね、神勅(しんちよく)なり。則、雲分(くもわけ)の御剣(ぎよけん)をしばらく預(あづ)け下さる」

と、錦(にしき)の袋(ふくろ)に入たる御剣を給はりければ、各(をの/\)御請を申、つら/\と立かとすれば、俄(にはか)に雷電(らいでん)へきれきして、稲妻(いなづま)ひらめき、風すさまじく、森のかたに遙(はるか)に神火(しんくわ)ちらめき、戦(たゝか)ふ体(てい)に見へけるが、暫(しばらく)ありて、五人の神人(しんにん)、鬼(おに)共人ともしれざる、一かいあまりの頚(くび)、眼(まなこ)は月のごとくかゝやき、血(ち)にまみれたるを、御剣(ぎよけん)につらぬき、持来れり。則、神女立出て、かの首を実検(じつけん)し、「急ぎ道路(だうろ)に捨置(すてをき)、諸(しよ)人にみせしむべし。御剣を清め、をの/\休息(きうそく)あるべし。あけなば、此客僧(きやくそう)送(をく)り遣(つかは)すべし」

とて<挿絵半丁>、神女は内殿(ないでん)に入給ふとみて、夢さめぬ。

 不思儀(しぎ)に有がたく、感涙(かんるい)をながし、礼拝(らいはい)多羅尼(たらに)を法施(ほつせ)し奉り、社中(しやちう)をみれば、末社(まつしや)あまたある中に、所々(ところ%\)戸(と)ひらけたり。いよ/\尊(たつと)く、一社/\に奉幣(ほうへい)し、人家(じんか)に至り、里(さと)人をあつめ、ありし次第、霊夢(れいむ)を語(かた)れば、里人、

「あはれ、風の森の化物(ばけもの)罰(ばつ)せられたり」

と、悦(よろこ)びける。郷(さと)人あまたかたらひて、彼森に至りてみるに、夢(ゆめ)に見しに違(たが)はず、五体(ごたい)両手両足、鬼のごとくにて、身にひしと毛(け)おひ出(いで)、熊(くま)のごとし。伝(つた)へきく狒/\(ひ/\)といへる獣(けだもの)ならむ。其(その)辺(ほとり)は、草木枝さけ、土石(どせき)をかへし、荒果(あれはて)けり。貴賎(きせん)、神威(しんい)を感(かん)じ、近里(きんり)遠郷(えんきやう)貴敬(きけい)し奉りけり。周達(しうたつ)も、修行(しゆぎやう)を止(やめ)、此社内に居をしめ、礼典(れいてん)祭礼(さいれい)の規式(きしき)を興(おこ)し、別当と成て、神霊を崇(あが)め奉る。此後、ながくわざはひ絶(たへ)て、海道ひらけ、諸人(しよにん)安堵(あんど)をなしけるとかや。

  火車(くわしや)の説(せつ)

 往古(わうこ)東国(とうごく)方、人死すれば、骸(かばね)をうばひ取、引さきて木の枝にかけ、或は首をぬき、手足(しゆそく)をもぎ、又は、屍を虚空(こくう)につかむで失(うす)る事もあり。これを火車(くわしや)と名付て、往々(わう/\)にありしとぞ。すべて関東(くわんとう)にも限(かぎ)らず、国々にも稀(まれ)にはありける事也。今は、仏法あまねく広(ひろ)く、諸人みな仏道(ぶつだう)にたよりて、後生(ごしやう)を願(ねが)ひ、仏神を貴(たつと)み、深(ふか)く信心を発(はつ)し、専(もつはら)正直(しやうじき)を先とし、正念に住(ぢう)せる世(よ)なれば、彼(かの)火車の妖怪(ようけ)もまれに成けるとぞ。只(たゞ)、恐(おそ)るべきは、平生(へいぜい)の悪行(あくぎやう)妄念(まうねん)なり。地獄(ぢごく)鬼蓄(きちく)も、よそよりは来るべからず。後生ならずして、百三拾六地獄も皆(みな)目前(もくぜん)にあり。天道極楽(ごくらく)も、皆一心の迷悟(めいご)にあり。されば、このたび仕損(しそん)じては、二度帰らぬ一大事なり。高位(かうゐ)高官(かうくわん)の家には、仏神に祈(いの)り、或(あるひ)は霊薬(れいやく)をもとめて、世継(よつぎ)を願ひ給へども、子まれ也。唯(たゞ)、下賎(げせん)には、うとましきほど子も出来(でき)くる也。つら/\これを思へば、人(ひと)死(し)しても善果(ぜんくわ)はまれに、悪業(あくごう)は多(おほ)く、高位には生(むま)れがたく、下賎(げせん)には生れやすしとみえたり。況(いはん)や仏身(ぶつしん)に至(いた)らむ事をや。下賎といへども、生(しやう)を人中(にんちう)に更(ふけ)来(きた)るは、心性(しんしやう)を失(うし)なはず。蓄身(ちくしん)異形(ゐぎやう)に生(むま)れん事はかなしからずや。平世(へいぜい)浅欲(せんよく)薄業(はくごう)なれば、物に恐(おそ)るゝ心なく、心性つねに静(しづか)にやすく、苦患(くげん)なければ、をのづから仏心にちかし。信じて願(ねが)ひもとむべきは、仏果(ぶつくわ)菩提(ぼだい)なり。たとへ、仏道にうすき人も、五常(ごじやう)の道にそむかず、正直(しやうじき)正路(しやうろ)ならば、などか罪業(ざいごう)あらん。心に恐(おそ)れて慎(つゝしむ)べきは、悩道(なうだう)邪欲(じやよく)なり。

 されば、上野(かうづけ)の国(くに)名古(なご)といへる所に、宗興寺(しうこうじ)とかや云る禅宗(ぜんしう)の寺あり。此(この)寺(てら)の住持(ぢうぢ)、そのかみより、一代(いちだい)直(すぐ)にたもつことなく、血脈(けつみやく)相承(そうぜう)の規矩(きく)もたへ、牌(はい)をたつる禅師(ぜんじ)もなし。常(つね)は、をのづから無住(むぢう)なりしとかや。その故(ゆへ)は、此(この)里(さと)大座(おほざ)の村(むら)にて、家数(いゑかず)多(おほく)立(たち)ならび、をしなべ禅宗(ぜんしう)にて、此(この)寺(てら)の旦越(だんおつ)なれば、田畠(でんはた)金銀(きんぎん)多(おほ)く寄附(きふ)して、富貴(ふうき)の境地(きやうち)也。当郡(たうぐん)の官主(くわんしゆ)、中(なか)にも、此(この)寺(てら)の大旦那(だいだんな)なり。此名主(なぬし)いかなる故(ゆへ)にや、代々(だい%\)死(し)して、葬礼(さうれい)におもむくといなや、晴天(せいてん)かき曇(くもり)、黒雲(くろくも)おほひて、必(かならず)屍(かばね)をつかむ。これによつて、あまたの知識(ちしき)得(ゑ)留(とめ)ずして、寺(てら)をひらく事数人(すにん)なり。

 爰(こゝ)に、周厳(しうごん)長老(ちやうろう)といへる、広学才智(くわうがくさいち)の活僧(くわつそう)有しが、此事(このこと)を伝(つた)へ聞(きゝ)、はる%\こゝに来り、此(この)寺(てら)を望(のぞ)みけるに、諸(しよ)旦那(だんな)悦(よろこび)び<ママ>もてなし、則(すなはち)、住持職(ぢうぢしよく)にすへて、渇仰(かつがう)しけるが、ほどなく、彼(かの)名主(なぬし)の禅門(ぜんもん)、大切(たいせつ)に悩(なや)み、既(すで)にこの比(ころ)世(よ)をさらむとす。一郷(いちごう)の者(もの)ども、

「あはや、例(れい)の事(こと)にて、又(また)此(この)寺(てら)無住(むぢう)にこそならんずれ」

と、なゝめならず云(いひ)ふらしける。寺中(じちう)の僧徒(そうと)も、うき事に思ひ、をの/\ひそめきあへり。さるほどに、此(この)長老(ちやうろう)、已(すで)に禅門(ぜんもん)けふあすを過(すご)さじと聞えければ、深(ふか)く座禅(ざぜん)観法(くわんほう)に入て、寝食(しんしよく)をわすれ、妄想(まうそう)倒動(てんとう)を払(はら)ひて、蕭然(しやうぜん)として座(ざ)し給ふ。

 既(すで)に夜(よ)も深更(しんかう)におよび、燈火(ともしび)ほそき卓(しよく)の本に、数年(すねん)此(この)寺(てら)に飼置(かひをき)たるまだらの猫(ねこ)、住寺(ぢうぢ)のまへに、目をほそめていねぶり居(ゐ)たり。かゝる所(ところ)に、いづくともなく友猫(ともねこ)の声(こゑ)して、呼(よび)出しけるに、此猫(ねこ)

「ねう」

と答(こたへ)て出(いで)けるが、やり戸の少(すこし)ひらきたる所(ところ)より出(いで)たり。前(まへ)の猫(ねこ)、板縁(いたゑん)についゐて云(いひ)けるは、

「名主(なぬし)の禅門(ぜんもん)、すでにこよひ身まかりぬ。例(れい)のごとく云合(いひあはせ)てとる也。御辺(ごへん)もいよ/\出(いで)らるべし。明朝(みやうてう)卯(う)の尅(こく)葬(そう)する也。とく/\用意(ようい)有(ある)べし」

と云(いひ)ければ、寺(てら)の猫(ねこ)答(こた)へけるは、

「我(われ)は、此(この)度(たひ)の連衆(れんしゆ)ははづさるべし。其(その)故(ゆへ)は、住持(ぢうぢ)の心、れいのごとくにとられず。何様(なにさま)様子(やうす)によるべし」

と、慥(たしか)に答へて別(わかれ)けり。

 長老(ちやうらう)、此(この)事(こと)の始終(しじう)を具(つぶさ)に聞(きゝ)、いよ/\観念(くわんねん)おこたらず。此(この)猫(ねこ)、又もとの所(ところ)にかへりて、いねぶりうかゞいゐたり。其(その)時(とき)、住持(ぢうぢ)、此(この)猫(ねこ)をはつたとにらまへ、

「をのれ、畜身(ちくしん)の形(かたち)を以、万物(ばんぶつ)の霊(れい)たる、仏性(ぶつしやう)同体(どうたい)の人死(にんし)を妨(さまた)げつる奇怪(きくわい)さよ。彼(かの)禅門(ぜんもん)におゐては、我(わが)あらんかぎりは障碍(しやうげ)を入じ、をのれ、速(すみやか)に追出(おひだ)して、狼犬(らうけん)にくらはすべし」

と、叱(しつ)し給へば、ゆたかに伏居(ふしゐ)たる猫(ねこ)の、むく/\と起(をき)て、飛(とび)出て逃去(にげさり)ぬ。長老(ちやうらう)、

「さればこそ」

と思ふに、かの死人(しにん)の事を告(つげ)来る。夜明(よあけ)<挿絵見開き1丁>ぬれば、一郷(ごう)の者ども、

「すはや」

と、をのゝきながら、をの/\棺(くわん)をかきつらねて、野辺(のべ)に出けるに、案(あん)のごとく、晴天(せいてん)俄(にはか)にかき曇(くも)り、黒雲(くろくも)一むら、此(この)棺(くわん)の上(うへ)におほひてうずまきたり。

 長老(ちやうらう)、少(すこし)も動(どう)じ給はず、即(すなわち)輿(こし)をかきすへさせ、引導(いんだう)はさしをき、かの黒雲(くろくも)をきつとにらみ、口に呪文(じゆもん)を唱(とな)へ、大音(たいおん)を出(いだ)して云(いわく)、

「汝(なんぢ)、畜身(ちくしん)業報(ごうほう)の心(こゝろ)を以、万物(ばんもつ)の真霊(しんれい)たる仏性(ぶつしやう)をとらば、忽(たちまち)に、護法(ごほう)に罰(ばつ)せらるべし。野良猫(のらねこ)めら」

と、叱(しつ)し給へば、其(その)体(てい)顕(あらは)れける故(ゆへ)か、忽(たちまち)雲(くも)きへ、空(そら)晴(はれ)て、もとの晴天(せいてん)とぞ成(なり)にける。

 其後(そのゝち)、心(こゝろ)静(しづか)に引導(いんだう)し、葬礼(そうれい)の規式(きしき)を取行(とりおこな)ひ給ひぬ。此(この)時(とき)こそ、諸人(しよにん)も人心(ひとごゝ)ちつき、安堵(あんど)の思ひをなし、禅門(ぜんもん)の子息(しそく)も、罪業(ざいごう)はれたる心ちして、いよ/\尊(たうと)み、敬(うやま)ひける。扨こそ、近郷(きんごう)近里(きんり)の村々(むら/\)まで、猫をあつめて、遠郷(えんきよう)へ捨(すて)けるとぞ。此後(こののち)永(なが)く絶(たへ)にける。長老、諸人(しよにん)をあつめ、高談(かうだん)の序(つゐで)に此事(このこと)を述(のべ)られしが、

「凡(およそ)、妖(よう)は妖(よう)より起(おこ)るといへり。邪気(じやき)勝(かつ)時(とき)は、正気(しやうき)を奪(うばふ)ふ<ママ>。我(わが)心(こゝろ)、則(すなはち)邪気(じやき)の本(もと)となる故に、やがて真性(しんしやう)を奪(うば)はれて、妖怪(ようけ)にあふ也。眼(まなこ)に一臀(ひとつのまけ)あれば、空花(くうくわ)散乱(さんらん)す。塵空(ぢんくう)もとより花(はな)有(あり)て散(ちる)にあらず。眼(まなこ)に病(やまひ)ありて、めぼしの花を見るがごとし。真性(しんしやう)正念(しやうねん)に住(ぢう)する時は、なんぞ外の妖邪(ようじや)おかす事あらんや。

 抑(そも/\)、仏法(ぶつほう)に教(をしゆる)る所(ところ)の、五塵六欲(こぢんろくよく)の境界(きやうかい)に、此心法(しんほう)をうばゝれて、行方(ゆくかた)なく取失(とりうしな)ひ、常(つね)にまよふてくるしみをなす。その心(こゝろ)をとりもどし、留(とめ)ゑたるこそ、霊理(れいり)ふしぎの正見(しやうけん)正智(しやうち)は出生(しゆつしやう)する也。此正念(しやうねん)を万境(ばんきやう)にとられ、蝉(せみ)のもぬけの衣(ころも)となれば、もろ/\の妖邪(ようじや)に犯(をか)さるゝ。たとへば、用心(ようじん)なく、家主(いゑぬし)なき家(いゑ)には、盗人(ぬすびと)の入易(いりやすき)がごとし。

 凡(をよそ)、天地(てんち)広大(くわうだい)の中には、奇特(きとく)不思議(ふしぎ)の有(ある)まじきにもあらず。人に魂魄(こんはく)あり。その精気(せいき)正心(しやうじん)なれば、本理(ほんり)に帰(き)して非道(ひだう)なし。徳(とく)をのづからそなはるを以、魔障(ましやう)をしりぞく。是(これ)に叶(かな)はぬ愚人(ぐにん)は、神(かみ)に祈(いの)り、仏(ほとけ)をたのみて、信(しん)を生(しやう)ずれば、神力(しんりき)仏力(ぶつりき)によつて、自(をのづから)正念(しやうねん)に住(ぢう)する也」。

 又、近(ちか)き此(ころ)、美濃国(みのゝくに)不破郡(ふわこほり)に、孫右衛門(まごうへもん)とかやいへる、うとくの農民(のうみん)あり。彼(かれ)が娘(むすめ)を、近(ちか)き程(ほど)の城下(じやうか)の商人(あきうど)に、縁(ゑん)を結(むす)びて送(をく)りしが、此(この)商人(あきうど)心たゞしからずして、家(いゑ)も又貧(ひん)なりければ、孫右衛門(まこうゑもん)うるさき事に思ひ、七才(さい)に成(なり)ける男子(なんし)一人を、夫(おつと)の方(かた)に残(のこ)して、此娘(むすめ)を取(とり)もどしける。此(この)子(こ)は母(はゝ)をしたひて、一里あまりの道(みち)をたどりて、度々(たび%\)母(はゝ)に逢(あひ)に来るを、かの孫右衛門(まごうへもん)情(なさけ)なきものにて、後(のち)は母(はゝ)にも逢(あは)せず、追返(おひかへ)しけるに、かの母(はゝ)歎(なげ)きかなしみ、

「さりとも、子には逢(あふ)ほどの事はゆるし給へ」

と侘(わぶ)れども、更(さら)に耳(みゝ)にも聞いれず。これをうきことに恨み歎(なげ)きけるが、いつとなく煩(わづら)ひて、終(つい)にかの母身まかりぬ。

 扨、葬(そう)せむとて、一夜(いちや)とかくする程(ほど)に、此死人(しひと)よみがへりけり。上下(じやうげ)悦(よろこ)びあへれど、更(さら)に物いふ事もなく、食(しよく)も喰(くは)ざりける。只(たゞ)、このみ・菓(くだ)物なむど、折々喰(くひ)て、茫然(ばうぜん)として居(ゐ)たり。かくて、日数(かず)も過(すぎ)けれど、更(さら)にものをもいはねば、

「いかさまにも様子(やうす)こそあるらめ」

と、多(おほく)の神(かみ)に祈(いのり)、神子(みこ)山伏(やまぶし)に頼(たの)みて、祈念(きねん)を致(いた)しけれども、あえて験(しるし)なし。あまりの詮(せん)なさに、おなじほとりに、霊仏(れいぶつ)の薬師如来(やくしによらい)のおはしけるが、此別当(べつたう)をひたすらたのみ、ねはんの理趣分(りしゆぶん)をくりたまひしに、三日に及(およ)びける朝(あした)、かの孫右衛門が家(いゑ)に、年比飼(かひ)ける猫(ねこ)、かの病(びやう)人の前にて、只(たゞ)一声(こゑ)高(たかく)く吠(ほへ)て、血(ち)を吐(はき)て、忽(たちまち)に死(しに)けり。いまゝで茫然(ぼうぜん)として居(ゐ)たる病(びやう)人、霜(しも)の消(きゆ)るごとくに、しは/\と成(なり)て、ねぶるがことくに落(おち)入たり。其後屍(かばね)をとりをき、跡(あと)を弔(とむら)ひける。此猫(ねこ)の見入て、三十日あまりを過(すご)しけるこそふしぎなれ。

 世の中に、人を迷(まよ)はし、あらゆる怪(あやしみ)をなす事、むかしより、きつね・狸(たぬき)といへども、多(おほく)は猫の所為(しよ)なり。おさなき児(ちご)の夜(よ)なきなんどゝいへるも、まゝ猫のする事とぞ。其性(しやう)天然(てんねん)執(しう)ふかく、あくまでひがみ、眼(まなこ)に、二六時(じ)中(ちう)の時節(じせつ)を顕(あら)はし、声(こゑ)に律声(りつせい)を出して、誠(まこと)に陰獣(ゐんじう)の長(ちやう)なり。陰気(ゐんき)陽(やう)を隠(かく)して、人気(ひとのき)を奪(うば)ひ、化(け)して人のかひをなす。魔性(ましやう)の一名(いちめう)、ねこまといへばよろこぶとかや。猫またの事、書籍(しよじやく)にも多(おほく)云(いひ)つたへたり。徒然草(つれ%\ぐさ)にも云(いひ)をけり。飼(かひ)もとめん人、心あるべき事也。

多満寸太礼巻第五

  目録

木津(きづ)五郎常盤国(ときわのくに)に至(いた)る事

村上(むらかみ)左衛門(さへもん)が妻(つま)貞心(ていしん)の事

永好(えいこう)律師(りつし)魔類(まるい)降伏(がうぶく)の事

獺(かわをそ)の妖怪(ようけ)

多満寸太礼巻第五

  木津(きづ)五郎常盤国(ときわのくに)に至(いた)る事

 去(さんぬ)る永禄(えいろく)の比(ころ)、越後(ゑちご)の国(くに)、寺泊(てらどまり)と云(いふ)湊(みなと)に、木津(きづ)五郎とて、うとくなる商人(あきうど)あり。多(おほく)の酒を作(つく)りて、毎年(まいねん)大船(たいせん)に積(つみ)て、ゑぞ松前(まつまへ)にわたり、ばい%\をなしけるに、あるとし、例(れい)のごとく、舟をしたて、海原(うなばら)はるかにうかみけるに、俄(にはか)に気色(けしき)かはり、東西(とうざい)墨(すみ)のごとくにかき曇(くもり)、猛風(まうふう)せがいを洗(あら)ひ、あまたの舟ども、見るうちに、十方(じつはう)へ吹流(ふきながさ)れ、五郎が舟も何国(いづく)をそこともなく吹流(ふきながさ)れけるに、船中(せんちう)の者(もの)ども数(す)十人、生(いき)たる心ちもなく、七日七夜(なぬかなゝよ)、風(かぜ)にまかせて走(はしり)けり。風(かぜ)少(すこし)静(しづま)り、舟も漸(やう)々ゆりすへたり。人心ちある者、十余(よ)人の外は助(たすか)る者(もの)なし。

「いかならん所へも舟をつけて、しばらく舟を用意(ようい)して、本国(ほんごく)に帰(かへ)るべし」

と、五郎、舟ばたにたち、あがりてみるに、いづくはしらず、茫々(ばう%\)たる汀(みぎわ)へぞ着(つき)にける。遙(はるか)に詠(ながめ)やりたるに、一里斗(ばかり)向ふに、夥敷(おびたゝしき)かまへ見えたり。よく/\みるに、二重(ゑ)の楼門(ろうもん)、五重(ごぢう)の城(しろ)、瑠璃(るり)の瓦(かわら)、城頭(じやうとう)の金魚(きんぎよ)、日に央(ゑい)じ、玉のはたほこ天にひるがへり、猶奥深(おくふか)く、幾重(いくへ)ともなき大家(たいか)のかまへ、空(そら)に聳(そび)へておびたゝし。四五丈(ぢやう)もたかき石の堤(つつみ)をつき、所/\(ところ%\)に高門(かうもん)あり。築地(ついぢ)の上には廻廊(くわいろう)ありて、浜(はま)の面(おもて)に見へたり。あらゆる鳥(とり)獣(けだもの)、人に恐れず。

「あはれ、是は、龍宮城(りうぐうじやう)に来(きた)りけるや」

と、肝(きも)も心も身にそはず。十余人(よにん)の者(もの)ども、

「たとへ身をすつるとも、ゆきて見ばや」

と思ひ、舟を渚(なぎさ)に引付(ひきつけ)、いかりをかたくして、おぼつかなくも、歩(あゆ)み近付(ちかづく)に、四五町も隔(へだ)つらんと覚(おぼ)ゆるに、遙(はるか)に太鞁(たいこ)の音(おと)聞えて、石門(せきもん)はつとひらき、数(す)十人出るをみれば、髪(かみ)は赤(あか)く、禿(かふろ)のごとく、貌(かほ)の色(いろ)黄色(きいろ)にして、眼(まなこ)すさまじく、勢(せい)は七尺ゆたかに、黒(くろ)き衣(ころも)を着(ちやく)し、一面(いちめん)に丸(まる)きの棒(ばう)をつきたり。其(その)詞(ことば)、一つも聞分(きゝわき)がたく、此(この)者(もの)どもを真中(まんなか)にとり込(こめ)て、城中(じやうちう)にいりぬ。その体(てい)、のがれがたければ、五郎懐中(くわいちう)より筆硯(ひつけん)をとり出し、

「大日本国(だいにつほんこく)越後国(ゑちごくに)の商人(あきうど)、風(かぜ)に流(ながされ)て、爰(こゝ)に至(いた)る。国王(こくわう)の哀(あはれ)みを受(うけ)て、本国(ほんごく)帰(かへ)らん事をねがふ」

といふ事(こと)を、こま%\と書て、彼者共(かのものども)が前に投出(なげいだ)す。一人これをとりて、良(やゝ)しばし、何事(なにごと)やらん囁(さゝやき)て、やがて内に入りぬ。かゝる程(ほど)に、鐘(かね)をならし、鉦(どら)をうちて、立(たち)さはぎければ、

「あはや、今ころさるゝか」

と、十余人(よにん)の者共(ものども)、肝(きも)も心も身にそはず。良(やゝ)久敷(ひさしく)ありて、車(くるま)とどろき近(ちか)づくをみれば、数(す)千の官人(くわんにん)、先(さき)を払(はら)ひ、数百(すひやく)の后妃(こうひ)、玉(たま)のかむりをかたむけ、そのさま水牛(すいぎう)のごとくの獣(けだもの)に、金銀(きんぎん)を以ちりばめたる、あざやかなる車(くるま)をひかせ、出来(いできた)りぬ。十余人(よにん)の者共(ものども)も、

「国王(こくわう)ならん」

と、頭(かうべ)<挿絵見開き1丁>を地(ち)につけてかしこまり、遙(はるか)に車(くるま)の内をみるに、髪(ひげ)は雪のおどろをみだし、目のうち黄色(きいろ)にひかりありて、身には、錦(にしき)の衣(ころも)を着(ちやく)し、此者どもを一目みて、涙(なみだ)をながし、袂(たもと)を貌(かほ)におほひて、しばし有て、

「良(やゝ)、日本(につほん)の者共(ものども)かや。なつかしの有さまや」

と、勅定(ちよくぢやう)あれば、此者(このもの)ども、覚(おぼ)えず涙(なみだ)を流(なが)し、ひれふしけり。大王(だいわう)のたまひけるは、

「彼等(かれら)をよく/\いたはり、本城(ほんじやう)に伴(ともな)ふべし」

とて、入らせたまへば、数(す)十人来(きた)り、始(はじめ)にはちがひ、礼(れい)をあつくし、請(しやう)じ入ければ、したがひてゆく。

 四方(よも)をみるに、そのきれいなる事(こと)、云(いふ)斗(ばかり)なく、見なれぬ花木(くわぼく)、名もしらぬ草(くさ)の花(はな)、浅(あさ)むらさき、赤(あか)き、白き、咲つゞけたるよそほひ、更(さら)に人間(にんげん)の栖(すみか)にあらず。

匂(にほ)ひよもにかほりて、玉しゐさわやかに、心たゞびやう%\として、雲にのぼる思ひあり。庭(には)の面(おもて)を見わたせば、諸木(しよぼく)の梢(こずへ)には、五色(ごしき)の鳥飛かけり。さえづる声(こゑ)の面白(おもしろ)さ、この世の内とも思はれず。池(いけ)のうちには、清(きよ)き水たゝえて、金銀のうろくづ游(およ)ぎめぐり、うきしづみ、或は赤(あか)き栗(くり)、みどりの棗(なつめ)、しきわたしたる真砂(まさご)、立ちならびたる岩(いわ)ほの間より、静(しづか)に水の流(なが)れたるも、さはがしからず。

 殿中(でんちう)には、無量(むりやう)の宝(たから)を粧(かざ)り、みな、金銀を以ちりばめたり。遙(はるか)の玉殿に、豹(へう)の皮(かわ)をかけたる曲禄(きよくろく)をまうけたり。暫(しばらく)ありて、大王出給へば、左右(さう)の侍人(おもとびと)、ぶがくを奏(そう)し、まことに極楽(ごくらく)国土(こくど)に至(いた)るかと、心も空(そら)におぼえたり。

 良(やゝ)ありて、大王仰けるは、

「汝等(なんぢら)日本(につほん)の者(もの)どもと聞て、なつかしくおぼえ、希(まれ)に対面(たいめん)をなす。吾(われ)この地に住て、二百余歳(ひやくよさい)をふるに、異国(いこく)他国(たこく)の者、爰に流よる事数(す)百人といへども、終(つい)に日本人の来る事なし。抑この国は北海(ほつかい)の果(はて)、漢東(かんとう)の東面(ひがしおもて)、日本を去(さ)る事、一万(いちまん)八千里、漢唐(かんとう)はいまだ北海の浜(はま)にして、稀(まれ)に西唐(さいたう)南和(なんわ)の人、吹(ふき)よせらるゝといへども、此(この)所(ところ)は又漢唐に隔(へだゝ)りて、昔より、漂船(へうせん)の至(いた)る事なし。今(いま)汝等(なんぢら)、不思義(ふしぎ)に爰(こゝ)に来たる事、ひとへに吾(わが)機縁(きゑん)つきずして、あひみる事のうれしさよ。

 我は、過し元弘(げんこう)の乱(らん)に、関東(くわんとう)鎌倉(かまくら)におゐて、高時(たかとき)滅亡(めつぼう)の時節(じせつ)、其名をふるふ、長崎勘解由(かげゆ)左衛門と云者(いふもの)也。乱世(らんせい)をいとひ、何地(いづち)をそこともしらず、或時(あるとき)は海(うみ)をこへ、或時は山をこへて、みとせの春秋(はるあき)を送(をく)りて此所に至る。多(おほく)くの者(もの)をしたがへて、已(すで)に国王に幸(さいわい)して、終(つい)に此国を領(れう)して、他方(たはう)に奪(うば)はれず、栄花(ゑいぐわ)を究(きわ)め、をのづから生長(せいちやう)して、年比(としごろ)吾(わが)朝(てう)にて聞(きゝ)及(および)し、常盤国(ときわのくに)と云(いひ)しは則この所なり。此国つねに四季(しき)なふして、寒暑(かんしよ)なし。いつも吾(わが)朝(てう)の秋(あき)に似(に)たり。凡(およそ)万木(ばんぼく)千草(せんさう)、をのづから四季をわかたず、みどりを生じ、五穀(ごこく)なを、種(たね)をおろすに、月を経ずして実のる。米穀(べいこく)菓爪(くわくわ)富饒(ふねう)にして、万宝(ばんほう)を地(ち)に出す。農民(のうみん)、たがやすに力(ちから)をつくさず、生類を食(しよく)せずして、珍味(ちんみ)にあく。これによつて、魚鳥(ぎよてう)人を怖(おそ)れず、畜類(ちくるい)つねにがひをなさず。さるによつて、唐(たう)には菩薩国(ぼさつこく)と云とかや。

 今はとしさり、世もおしうつり、いかなる人か国土を治(おさ)め、誰の世にてあるらん。委(くはし)くかたり給れ」

とあれば、五郎承り、大に驚(おどろ)き、

「さん候。そのかみ元弘(げんこう)の始より、今御当家(ごとうけ)に及びて、歳霜(せいさう)已(すで)に二百二十余年。高時公(たかときこう)滅亡(めつばう)の後、しばらく後醍醐天皇(ごだいごのてんわう)世(よ)を知し召、大塔宮(おほたうのみや)尊雲親王(そんうんしんわう)、天下の権(けん)を執(とり)給(たま)ひしに、幾程(いくほど)なく、足利治部太輔尊氏(あしかゞぢぶのたゆふたかうぢ)、天下を奪(うば)ひ給ひ、子孫すでに十三代。征夷大将軍(せいいたいしやうぐん)源義昭公(みなもとのよしあきこう)の御代にて尽(つき)、織田信長公(おだのふながこう)天下(てんか)の権を執(とり)給ふ。抑此信長公は、桓武天皇(くわんむてんわう)三十二代、平相国(へいしやうこく)清盛(きよもり)に二十一代の後胤(こういん)、織田弾正忠(おだだんじやうのちゆう)平信秀(たいらののぶひで)の次男(じなん)なり。当時(たうじ)も、日本は半(なかば)乱(みだれ)て、猶諸国に戦(たゝか)ひたえず。元弘(げんこう)建武(けんむ)より以来(このかた)、いまだ一日も易(やす)き事なし。諸人(しよにん)安堵(あんど)の思ひに住せず、或は主を殺(ころ)し、臣(しん)を害(がい)し、子は親(おや)を打、親は子を殺(ころ)す。互(たがい)に国を合(あはせ)、郡(こほり)を奪(うば)ひとらんとす。此後いかなる世にか、一天下静諡(せいひつ)して、万民(ばんみん)安穏(あんおん)成(なる)べしともおぼえず」

と、委細(いさい)に奏(そう)し申せば、大王たもとをしぼり、

「我、かゝるたのしみに日を送(おく)るといへども、越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣をかけ、胡馬(こば)北風にいなゝくとかや。常(つね)に日のもとに向かひては、涙(なみだ)をながす。伝へきく、朝比奈義秀(あさひなよしひで)は、高麗国(かうらいこく)にわたりて、荒人神(あらひとがみ)と成つるも、異邦(いほう)のたのしみ本意(ほい)ならず。今(いま)汝(なんぢ)が物語を聞て、往昔(そのかみ)恋(こひ)しく、茫然(ばうぜん)とす。しかれども、数百年(すひやくねん)乱世(らんせい)をさけ、今此国にたのしみをうへる。生前(しやうぜん)の思ひで、何かこれにしかむ。汝等妻子を引(ひき)わかれ、遠く爰(こゝに)来り、心を異国(いこく)にくるしまむ。急ぎ帰りて、此有様を本朝(ほんてう)につたふべし」

とて、さま%\の珍味(ちんみ)をもてなし、

「暫(しばら)く舟を用意せんまに、城辺(じやうへん)を打廻(うちまは)りて、心をたのしみ、帰るべし」

とて、朱衣(しゆゑ)の官人(くわんにん)をかれらにそへて、近隣(きんりん)を見せ給ふ。

 大王より外(ほか)は、すべて、その詞(ことば)も通(つう)ずる事あたはず。

その国民(こくみん)、大小の家(いゑ)富貴(ふうき)にして、猪(いのしゝ)熊(くま)、或(あるひ)は羊(ひつじ)、見もなれぬ獣物(けだもの)に荷物(にもつ)を負(おふ)せ、鳥類は、終日(ひめもす)田畠(でんはた)をたがやし、夕陽(ゆふひ)には、人家(じんか)に来りて食(しよく)を与(あた)ふ。東南に冷泉(れいせん)のふたつの滝(たき)あり。諸人こゝに至りて身を浴(よく)す。冷泉の流(なが)れは、人家にせきいれて、朝三暮四(てうさんぼし)のたよりとす。儒仏(じゆぶつ)の教(をしへ)なく、神社(じんじや)道家(だうけ)の礼典(れいてん)もなし。只(たゞ)宗廟(そうべう)の玉殿(ぎよくでん)を山上にまふけ、諸人(しよにん)偈仰(かつご う)の体(てい)有。女は錦(にしき)の織物をいとなみ、おとこは五穀(ごこく)をかりおさむ。一人としておとれるもなく、勝(すぐ)れて貴(たうとき)もなし。文書(もんじよ)あれども、文字の分(わけ)もなし。或(あるひ)は、油(あぶら)洞(ほら)よりわき出(いで)、地(ち)より酒の泉(いづみ)を生(しよう)ず。その味(あぢ)甘露(かんろ)のごとし。白髪(はくはつ)の男女(なんによ)、幾(いく)とせふると云事をしらず。五百七百の星霜(せいさう)をふるといへり。北州の千歳(さい)とは、爰(こゝ)の事ならん。又(また)家毎(いへごと)に、七弦(げん)の琴(きん)のごとくなる物をしらべて、これをたのしみとす。東西南北ひろき事、七日を経(へ)て果(はて)に至(いた)るといへり。西は猶漢唐(かんたう)につゞきて、その幾千万里(いくせんまんり)と云事をしらず。国のうち、若(もし)死亡(しばう)の者あれば、国郡(こくぐん)こぞつて是をかざり、宗廟(そうべう)の玉殿(ぎよくでん)におさむとかや。金銀は山河の流(ながれ)にまろびてみち/\、銅鉄(どうてつ)は地(ち)にみちたり。一日(いちじつ)一夜(いちや)は、猶日のもとの五六日をふるごとし。日輪(にちりん)海(うみ)より出て、海に没(ぼつ)す。月も又是におなじ。此国の人は、夜も眼(まなこ)あきらかにして、昼(ひる)のごとし。男子は少(ちいさ)き利剣(りけん)を帯、或(あるひ)は鉄(てつ)の棒(ばう)をつき、女子は、たんごん美麗(びれい)にして、同じく髪(かみ)をみだせり。親子(おやこ)夫婦の礼法、をのづから正(たゞ)しく、ふしどを分(わか)つ。

 かゝりし程に、舟やうやくなりて、暇(いとま)を申て出るに、今更(いまさら)名残(なごり)おしく、更にわかれがたし。大王も、ふかくの涙をながし給ふ。城中(じやうちう)の男女も、をの/\石門(せきもん)まで送り、これをみる。米穀(べいこく)金銀(きんぎん)色々(いろ/\)の産物(さんぶつ)を舟につみ、十余人の者ども、をの/\一心に太神宮を拝(はい)して、順風(じゆんふう)に帆(ほ)を挙(あげ)たれば、神明の御利生(ごりしよう)にや、舟は矢(や)を射(い)るごとくにして、多(おほく)の日数を(へ)て、佐渡の国まで漸々(やう/\)と着岸(ちやくがん)し、それより浦(うら)づたひ、本国帰りしに、すべて三年を海中(かいちう)に送り、国に帰り、此事を披露(ひろう)しける。則(すなわち)、受来(うけきた)る宝物(ほうもつ)を、八彦山(やひこさん)の宝蔵に納(おさ)め奉りけり。更に、帰り来(きた)る方角(はうがく)もわきまへず。何(いづ)れの方ともしれざりけり。

   村上(むらかみ)左衛門(さへもんが)妻(つま)貞心(ていしん)の事

 中比(なかごろ)の事にや、四海(しかい)波(なみ)静(しづか)にして、都鄙(とひ)遠境(ゑんきやう)君(きみ)の徳にたのしみ、尊貴(そんき)高家(かうけ)には、笙歌(せいが)夜月を家々に翫(もてあそ)び、誠(まこと)にめでたき世中なり。

 其(その)比(ころ)しも、尊卑(そんひ)をいはずして、鬮(くじ)を取(とり)て相手を定め、興(けう)を催(もよ)し、遊(あそ)びとし、引出ものを結講(けつかう)する事、すべて貴賎(きせん)上下(じやうげ)は申に及(およば)ず、洛中(らくちう)より辺土(へんど)に及り。是によりて、坐敷をかざり、時ならぬものを求(もと)め、種々(しゆ/\)のたはむれに日を送る。

 或(ある)大臣(だいじん)の家に、此儀式(ぎしき)を好みて、男女上下をいはず、くじにまかせて相手(あいて)をさだむるに、亭主(ていしゆ)の御相手に、此三四年以前に始(はじめ)て参りたる侍(さむらい)に、村上左衛門国方(くにかた)とて、いまだむそくの奉公の者、とりあひたり。人こそ多に、御相手に成ぬれば、あるじの御心にも好ましからず思ひ給ひぬ。左衛門も、はうばい外様の相手ならば、かたのごとくいとなむ事も有べきに、是は思ひもよらぬ過分(くわぶん)の御(おん)相手になり、いかゞせんと案(あん)じ煩(わづら)ひける。

 扨も、家に帰(かへ)りて、妻(つま)に語(かた)りけるは、

「日比(ひごろ)、互(たがいに)こゝろざしも浅(あさ)からず。此とし月、かせ奉公をもし侍る。なにさま、身をたつる品(しな)もあらば、一たびは報(むく)はめとこそ思ひつるに、思ひの外の事侍りて、出家(しゆつけ)発心(ほつしん)して、山々寺(てら)々をも修行(しゆぎやう)し、後世(ごせ)をこそ祈(いの)りまいらせんと、思ひたち侍る。年比(としごろ)の名残(なごり)も、こよひ斗(ばかり)と思ふに、為方(せんかた)なしとて、さめ%\と泣(なき)ふしける。妻(つま)おどろき、

「何事にか、かゝる御心は、俄(にわか)につきたるぞ」

と問(と)へば、

「まことは、道心(だうしん)のおこりたるにもあらず。又は奉公(ほうこう)に私(わたくし)もなし。たゞ、身のありさまのかなしくて、思ひ立(たち)たる斗(ばかり)なり。当世(たうせい)おしなべてする事なる鬮取(くじとり)の、御所(ごしよ)にも御沙汰(さた)有て、日を定(さだめ)られつるに、運(うん)の究(きわめ)のかなしさは、上(うへ)様の御相手(おんあいて)に成て、引出物(ひきでもの)見ぐるしからんと、をそれあり。又は、人の思ふ所(ところ)も恥(はづ)かし。笑(わら)われぬ程(ほど)にいとなむべき力(ちから)もなし。ひとへに、冥加(みやうが)のつくる所(ところ)と思ふ故に、かくは思ひ立(たち)ぬる」

と語(かた)れば、妻(つま)これを聞て、

「誠(まこと)に、左(さ)思ひとり給ふは、ことはりにてさぶらふ。たゞし、この事ならば、など歎(なけ)き給ふぞ。人の果報(くわほう)、幸(さいわい)といふ事も、心からとこそいふめれ。已(すで)に御相手(あいて)になりて、跡(あと)をくらまして失(うせ)なむも、上(うえ)の御為(ため)、しかるべからず。たとへ、此たび世をのがれんと覚し給ふに付(つけ)て、尋常(じんじやう)なる引出物(ひきでもの)一つ奉(たてまつ)りて、その上にてこそ出家(しゆつけ)もし給はゞ道(みち)ならめ。ふかきえにしあればこそ、夫婦(ふうふ)とも成ぬらん。歎(なげき)も同じ<挿絵半丁>歎き、悦も同じくよろこぶべきこそ、本意ならめ。出家し給はゞ、吾とおなじくさまをかへて、一筋(ひとすじ)に後(のち)の世をこそ願はむずらめ。此(この)家(いゑ)も地(ち)も、親の代より、吾物にて侍れば、ともかくもしかへて、思ひ出し給へ。一日もかくて有ながら、いかにかかなしみ給ふらん」

といひければ、夫(おつと)云(いふ)やう、

「かゝるつたなき身につれあひ給ひて、いつとなく心哀しき事斗(ばかり)にて、此とし月、片腹いたくてぞおはすらん。我故に、物ごとをさへ身を失(うしなは)せまいらせん事、かへす%\あらざる事成べし。此事とては、思ひよりなき事なり。おことはわかき人なれば、いかなる事をもして世を送りなむ。わが身はをどりありかむ事も易かるべし。年比の名残(なごり)こそかなしく覚ゆれ」

とて、涙をながしけり。妻(つま)は、

「猶(なを)心をへだてゝ、かくは仰らるゝぞや」

と、夜もすがらいさめ、夜も明ければ、此いとなみの外、他事(たじ)なく、実に浅からず見へければ、

「さらば、ともかくも女房の斗ひにしたがはむ」

とて、屋地をうりて、用途五十貫(くわん)ほど有けり。銀の折敷に、金の橘をつくらせて、こと%\しからぬやうにて、紙(かみ)につゝみ、懐中(くわいちう)して参りけり。

 かくて、傍輩(はうばい)も、をの/\相手/\に引出物して、はへ%\しかりけり。

「何某は、上の御(おん)相手(あいて)に参(まい)りて、その用意(ようい)有か」

と、傍輩どもの問ければ、

「いかでか用意(ようい)仕らざらん」

と、答(こた)へければ、

「いかほどの事か、仕いたすべき」

とて、目ひき鼻(はな)ひき貌(かほ)をそばめて、おかしげに思ひけり。上にも、片腹(かたはら)いたく思召たる気色(けしき)なり。

 已(すで)に、ふところより、紙につゝみたる物を取出(とりいだ)すをみて、

「させる事あらじ」

と思ひて、あまりの笑止(せうし)さに、諸人(しよにん)面(おもて)をふせけり。

 扨(さて)、御前(ごぜん)に置(をき)たる物をみれば、白銀(しろがね)の折敷に、金の橘(たちばな)を置たり。心も及(およ)ばれずつくりたるにてぞ有ける。これをみて、みな目をおどろかし、上下男女にがりきつてぞゐたりける。

「抑(そも/\)御恩(ごおん)もなきに、かゝるふしぎは仕出したるぞ」

と、御所中(ごしよちう)の人に尋仰(たづねおほせ)らるゝに、かのあらまし委(くはし)く知(しり)たる人有しが、妻(つま)の心ざし、其身のありさま、こと%\く申上ければ、大に感(かん)じ下されて、返(かへ)り引出物(ひきでもの)には、かみ一枚(まい)をぞたびにける。是は、都ぢかき住吉郡(すみよしこほり)にて、大庄(だいしやう)一ヶ所(いつかしよ)永代(ゑいたい)押領(おうれう)すべき御教書(みげうしよ)にてぞありける。此(この)志(こゝろざし)を感じ思召て、五位尉(ゐのぜう)になされて、家(いゑ)の一臣(しん)にぞなされける。

 妻(つま)は、夫(おつと)の為に貞烈(ていれつ)を顕(あら)はし、夫(おつと)は又、忠臣(ちうしん)の本意(ほい)に叶(かな)ひて、子孫(しそん)ながく栄花(ゑいぐわ)を究(きわめ)しも、ひとへに天のめぐみなるを、仰夫婦とは、専(もつは)ら五倫(ごりん)を兼たる物なり。故に、武王(ぶわう)は、吾(われ)に九臣あり。

十人のみと、妻(つま)を臣(しん)にたとへ給ひ、小学(せうがく)には、夫婦礼順(れいじゆん)なるを、賓主(ひんしゆ)のごとしといへり。かゝる奥(おく)ふかく、徳(とく)たかきものなるを、みだりに、乱(らん)行婬色にて、故なく家を破(やぶ)り、嫉妬(しつと)にむねをこがして、夫婦の縁(ゑん)をも、ながく離別(りべつ)し、あまつさへ、故なき他人までも、うき名をおほせぬる事、みな、婬欲(ゐんよく)のふたつに帰(き)す。いま左衛門尉(もんぜう)か妻(つま)は、ひとへにわが身の欲(よく)を捨(すて)て、夫(おつと)の為に忠(ちう)をなす。豈(あに)天(てん)の加護(ご)あらざらむや。

  永好律師(ゑいこうりつし)魔類(まるい)降伏(かうふく)の事

 越前国(ゑちぜんのくに)金(かね)が御嶽(みたけ)の西面(にしをもて)に、一社(しや)の祠(ほこら)あり。此(この)所(ところ)は、金(かね)が崎(さき)の城(しろ)とて、そのかみ元弘(げんこう)より此方、数万(すまん)の軍士(ぐんし)、世々に戦亡(せんぼう)して、かばね累々(るい/\)として、郊原(こうげん)に朽(くち)ぬ。かの社は嶽(たけ)の明神(みやうじん)とて、霊験(れいげん)あらたに、本社拝殿(ほんじやはいでん)、玉(たま)をみがき、その傍(かたはら)に寺院(じゐん)ありて、朝暮(てうぼ)の法施(ほつせ)おこたらず。

 去(さん)ぬる建武(けんむ)の兵乱(ひやうらん)に、寄手(よせて)の陣屋(ちんおく)に破(やぶ)られ、其後(のち)たれ再興(さいこう)もなく荒果(あれはて)て、多(おほく)の年月(としつき)を送(をく)るに随(したが)ひ、木の葉に道を埋(うづ)み、ながく人のかよひもたえ、雨露(うろ)に討(うた)れ、をのづからあらゆる鳥獣の栖(すみか)として、常は妖魁(ようくわい)のわざわひあれば、まれに往(ゆき)かふ樵夫(せうふ)もあたりへ近づかず。

 爰(こゝ)に、南都(なんと)に、永好律師(えいこうりつし)とて、尊(たうと)き碩学(せきがく)の僧あり。戒法正しく、一寺(いちじ)の誉(ほま)れ有りしが、深(ふか)く世(よ)をいとひ、山林(さんりん)幽居(ゆうこく)の志(こゝろざし)ありて、此(この)山(やま)にまよひ入、かの芽屋(ばうをく)に休(やす)らひ、すみ給ふに、東北は深山(みやま)峨々(がゝ)と聳(そ)びへ、西南(せいなん)は、海上(かいじやう)一片(いつへん)に、霞(かすみ)におほはれ、心も澄(すみ)て覚え給ひければ、朽(くち)て久しき房舎(ばうしや)を、かしこ爰(こゝ)の枯木(こぼく)をあつめ、かたのごとくにしつらひて、昼(ひる)は里民(りみん)に食(しよく)を乞て、よるは木のみの油をとりて、窓(そう)前の燈(とほしび)となし、俗気(ぞくき)まれにして、青山(せいざん)人(ひと)静(しづか)也。鳥は春(しゆん)花の枝に語(かた)り、猿(さる)は秋雲(しううん)の峰(みね)に叫(さけ)ぶ。蝉(せみ)の声(こゑ)に夏(なつ)を送(をく)り、常は山草をあつものとし、諸木の皮(かわ)を紙として、粉詞(ふんし)をのべ給へり。

 或夜(あるよ)、窓(そう)下に燭をそむけ、几下(きか)に肱(ひぢ)をまげて、

蕭然(せうぜん)として座(ざ)し給ふに、庵(いほり)の外面(そとも)に、人のおとなひあまた聞えて、数十人の来(きた)る。みれば、僅(わづか)に其たけ三尺斗、黒(くろ)き帽子(ぼうし)を一面(いちめん)にかぶり、うす墨(すみ)の衣(ころも)をゆたかに着(き)なし、そのさま、から人に似たり。眼(まなこ)ちいさく丸(まる)く光(ひか)り、貌(かほ)の色(いろ)甚(はなは)だ黒(くろ)し。五六十人、庵(いほり)の外(ほか)まで入こみ、弓矢(ゆみや)・鉾(ほこ)、あるひは太刀(たち)を帯(はき)、僧(そう)に向ひて何(いづれ)も座(ざ)したり。その主人(しゆじん)とおぼしき者も、面(おもて)の色(いろ)おなじさまにて、黒白(こくびやく)の衣(ころも)を着(き)たり。僧(そう)にむかひて云(いふ)様(やう)、

「われは白蝙侯(はくへんこう)と云(いふ)者(もの)也。此(この)社(やしろの)中に住(す)むで、此山を領(れう)する事、年(とし)久(ひさ)し。御房(ごばう)の庵室(あんしつ)に近(ちか)く住(すむ)といへども、心ざし有て、対顔(たいがん)せず。しかるに、今こゝに、汝(なんぢ)庵(いほり)をかまへて、吾(わが)有(ゆう)となす。さるによつて、わがけんぞくを始(はじ)め、他方(たはう)の賓客(ひんかく)、汝(なんぢ)をいとひて道(みち)を失(うしな)ふ。速(すみやか)に此(この)地(ち)を去(さる)べし。しからずんば、必(かならず)命(いのち)を失(うしな)ふべし。とく/\出去(いでさる)べし」

と、大に怒(いか)りてみゆ。

 永好(ゑいこう)更(さら)に恐(おそ)れ給(たま)はず、

「夫(それ)神(かみ)は大乗(だいじやう)順聖(じゆんせい)にして、異道(いだう)といへども、皆(みな)仏法(ぶつほう)に奉(ほう)ず。祖神(そしん)なをしかなり。況(いはん)や小神(せうじん)をや。我こゝに住(ぢう)して、常(つね)に仏経(ぶつきやう)の秘要(ひよう)を誦(じゆ)す。神(しん)なんぞ悦(よろこむ)で我(われ)を守護(しゆご)せざらんや。邪神(じやしん)なを仏力(ぶつりき)にたえず。察(さつ)するに、奇畜(きちく)化鳥(けてう)の類(たぐひ)、空社(くうしや)にすんで、妖怪(ようけ)をなすとみえたり。速(すみやか)に退散(たいさん)せずんば、護法(ごほう)に罰(ばつ)せられて、命(いのち)を失(うしな)ふべし」

と宣(のたま)ひければ、此者共、大に怒(いか)る色(いろ)みえて、声々(こゑ%\)にのゝめきをし入ば、律師(りつし)暫(しばら)く密呪(みつじゆ)を唱(とな)へ給へば、傍(かたはら)に有ける囲炉(ゐろ)の内より、一つの火の玉飛出(とびいで)、おしあひ、ならびゐたる化者共(ばけものども)の、中を飛(とび)めぐれば、数百(すひやく)の者共、おめき叫(さけ)び立(たち)、ちいさき鳥(とり)の形(かた)ちとなり、八方(はつはう)へにげまどひて、ちり%\に成(なり)ぬ。

 夜も明(あけ)ければ、

「さるにても、かの妖物(ばけもの)、社中(しやちう)に住(すむ)といへば、何(なに)ものならむ」

と、社(やしろ)の御戸(みと)をひらきて見給ふに、数百(すひやく)の蝙蝠(かふむり)、いくらともなく逃(にげ)出けるが、霄(よい)に焼(やか)れたるとみへて、多(おほ)く得(ゑ)たゝぬもあり。其中(そのなか)に、白(しろ)きまだらのかふむり一つ、片羽(かたは)こがれて死(しゝ)て有。

「大将(たいしやう)と見へつるは、かのものならん」

と、是(これ)をこと%\く取集(とりあつめ)て、捨(すて)給ひける。

 又、ある夕暮(ゆふぐれ)に、廿(はたち)あまりのようがん美麗(びれい)の女、いづくともなく来(きた)り、律師(りつし)にちかづき、

「我(われ)は、此(この)山(やま)のふもとに、何がしと申者(もの)の娘(むすめ)にて候が、近(ちか)きほどに、人に嫁(か)してまかりさふらふ。夫(おつと)さる曲者(くせもの)にて、夜ごとに人を悩(なや)し、或(あるひ)は殺(ころ)し候へば、あまりに不便(ふびん)に存(ぞんじ)、いろ/\と教訓(けうくん)いたし侍れど、更(さら)に承引(せういん)なく、あまつさへ、わが身を殺害(せつがい)せんとす。一たんのがれて出たり。師(し)の慈悲(じひ)を以(もつて)、しばらく隠(かく)し置(をき)給へ」

と、涙(なみだ)をながしけるに、律師(りつし)、

「此(この)所(ところ)は人倫(じんりん)はなれ、我(われ)だにしのぎかねたる草(くさ)の庵(いほり)に、あたふべき食物(しよくもつ)さへなし。然れども、けふは日すでに暮(くれ)ければ、犬(いぬ)狼(おほかみ)のおそれもあり。こよひ一夜(いちや)は、庵(いほり)にあかし給へ。明(あけ)なば里(さと)へ出、いかなる方(かた)へもおもむき給へ」

とあれば、女性(によしやう)大きに悦(よろこん)で、すなはち内にいりぬ。その体(てい)、すべて只人(たゞうど)とも覚(おぼ)えず。雪(ゆき)の肌(はだ)へ清(きよ)らかに、奇香(きかう)あたりに薫(くん)じ、しらず、天人の爰(こゝ)に来りけるかと、あやしまれ、色(いろ)をふくめるまなじりには、いかなる人もまよひぬべし。

 されども、律師(りつし)、戒行(かいぎやう)まつたき聖(ひじり)にておはしければ、いさゝか一念(ねん)も起(おこ)らず、只(たゞ)、観法(くわんほう)に心(こゝろ)を乱(みだ)さず。此(この)女(このをんな)せんかたなく、しきりにおめき、息(いき)まきたり。聖(ひじり)、

「何事(なにごと)やらむ。いかにかくはくるしみ給へるぞ」

と、問(と)給へば、

「心ちあしくて、腹(はら)をなやみさふらふ。暫(しばらく)むねをおさへて給り候はゞや」

と申せば、聖(ひじり)為方(せんかた)なく、錫杖(しやくぢやう)に絹(きぬ)をまき、女の胸(むね)よりなでおろし給へば、少(すこし)おだやかに成(なり)ぬ。かゝるほどに、夜(よ)も漸々(やう/\)明方(あけがた)の<挿絵半丁2面>ちかきに、をのづからいねふり給ふに、庵(いほり)のうへに声(こゑ)ありて、

「何とて、かく隙(ひま)をとるぞ。とく/\骸(かばね)をとり来(きた)れ」

と呼(よべ)ば、女のいはく、

「此(この)聖(ひじり)、行法(ぎやうほう)つよく、更(さら)に障碍(しやうげ)をいれず」

とぞいひける。律師(りつし)夢(ゆめ)さめ、

「さるにても、汝(なんぢ)何(なに)ものなれば、かくのごときぞ」

と問ひ給へば、女(をんな)涙(なんだ)をながして、

「我(われ)は、此山に年(とし)経(へ)てすむ大蛇(だいじや)にて侍り。我(われ)、かゝる畜身(ちくしん)に生(しやう)を受(うけ)て、多(おほく)の年月を送(をく)る事を歎(なげ)き、そのかみ此院主(ゐんしゆ)、兼光(けんくわう)上人の示(しめし)を受(うけ)て、永(なが)く生類(しやうるい)をころさず。すぐに身を恵日(ゑにち)の光(ひかり)にやはらげ、仏果(ぶつくわ)の縁(ゑん)によるべきに、建武(けんむ)の乱(らん)に、此(この)山(やま)闘争(とうしやう)のちまたと成、堂社(だうしや)荒廃(くわうはい)して、人の死骸(しがい)に山をかさぬ。これによつて、諸方(しよほう)の邪獣(じやじう)変化(へんげ)の者、此山に集(あつま)り、しゝむらをくらひ、又魔界(まかい)の地となりぬ。自(みづから)も、宿執(しゆくしう)つたなく、昔(むかし)に帰(かへ)り、人を悩(なやま)し取(とり)くらふ。此(この)上(うへ)の山の岩洞(がんとう)に住(す)むで、生類(しやうるい)を食(しよく)とす。

 又、山上の城跡(しろあと)に、一人の邪神(じやしん)あり。通力(つうりき)無辺(むへん)にして、人の為(ため)に悪(あく)をなす。是によりて、他方(たはう)の魔類(まるい)けんぞくとして住(ぢう)す。君こゝにゐましておこなひ給ふにより、悉(こと%\)く結界(けつかい)の地(ち)とならむ事をかなしみ、

『行法(ぎやうほう)をさまたげ、命(いのち)を取(とる)べし』

とて、我(われ)をせむ。止事(やむこと)なくて、爰(こゝ)に来(きた)り、色(いろ)を以(もつて)さまたげ侍らんとしけるに、仏日(ぶつにち)の光(ひかり)におされて、今は出侍る。我(われ)又師(し)をとらざる事を怒(いか)りて、彼(かれ)我(われ)を取(とり)くらい、命を失(うしな)ふべし。

 哀(あはれ)、師(し)の大慈(だいじ)の法力(ほうりき)を以、わが一命(いちめい)を助(たすけ)させおはしませ。さもあらば、水を汲(くみ)、薪(たきゞ)をとりて師(し)にさゝげ、此(この)功力(くりき)を以、畜身(ちくしん)をまぬかるべし」

とて、涙(なみだ)をながせば、聖(ひじり)あはれに覚(おほ)えて、則(すなはち)符(ふ)をかきてあたへ給ひ、

「これを身にふれてあらんには、更(さら)に恐(おそれ)有べからず。とく/\帰るべし」

と、示(しめ)し給へば、女(をんな)大きによろこび、礼拝(らいはい)供敬(くげう)して、

「今より永(なが)く師(し)につかへ侍り、仏法(ぶつほう)を守(まも)り奉(たてまつ)らん」

とて、出ると見へしが、かきけすごとくに失(うせ)にけり。

 此(この)後(のち)、夜毎(よごと)に、異類(いるい)異形(いぎやう)の姿(すがた)を顕(あら)はし、聖(ひじり)を犯(おか)さむとしけれども、聖(ひじり)、物(ものゝ)の<ママ>数(かず)ともせず。いよ/\観念(くわんねん)おこたらざれば、をのづから護法(ごほう)童子(どうじ)姿(すがた)を顕はし、日夜(にちや)守(まも)り給へば、あたりにちかづくべき様なく、年月(ねんげつ)を送(をく)り給ふ。

 此(この)山の麓(ふもと)の在所(ざいしよ)、数家(すけ)たちならびて繁昌(はんじやう)の地(ち)なり。然(しか)るに、いつのほどよりか、人あまたうせ、あるひはゑやみければ、「こはいかなる事ぞ」と、諸人(しよにん)肝(きも)をけし、家々(いゑ/\)に、歎(なげ)きの声(こゑ)やまず、ねぎ山伏(やまぶし)、あらゆるわざをなして、ふせぎ留(とむ)るに、更(さら)に事ともせず、いよ/\人失(うせ)ければ、老若(らうにやく)男女(なんによ)、おめき叫(さけ)ぶ事、限(かぎ)りなし。此(この)里(このさと)の長(おさ)、何がしの兵衛(ひやうゑ)とかや云(い)ひしもの、諸(しよ)人をあつめ、「いかゞせん」と評定(へうぢやう)しけり。

 爰(こゝ)に、或者(あるもの)申やうは、

「金(かね)ヶ崎(さき)の山上(さんじやう)に、いつのほどよりか、化生(けしやう)のもの栖(すん)で、数年(すねん)人のかよひなかりしに、去(さり)ぬる比より、いづちともなく、僧(そう)とも俗(ぞく)ともみへぬ人の、嶽(たけ)の御寺(みてら)の跡(あと)に、かたのごとくの庵(いほり)を結(むす)びて住(すみ)給ふ。かゝる人倫(じんりん)絶(たへ)たる魔所(ましよ)に、をそれもなく住給は、いかさま凡人(ぼんにん)にあらず。神仙(しんせん)のたぐひならめ。此所(ところ)にまふで行(ゆき)、ひたすらに歎(なげき)なば、此事静(しづま)りなん」

と申せば、里(さと)人、此(この)義(ぎ)に同じ数十人、深山(みやま)を分(わけ)て、かの庵室(あんしつ)に尋(たづね)まふでみるに、草(くさ)のわら屋に草(くさ)むしろ、誠に人の住(すむ)べくもなきに、髪(かみ)も眉毛(まゆげ)も生(おひ)さがり、木(こ)の葉(は)衣(ころ[も])を身につゞり、御経(おんきやう)を尊(たうと)くよみ給ふ。そのこゑ山にひびきて、聞もの身の毛(け)よだち、あたりをみれば、廿あまりの、ようがんびれいの女性(によしやう)、錦(にしき)の衣(ころも)をきて、閼伽(あか)の水を汲(くみ)てあり。里(さと)人共、あまりの尊(たうと)さに、御経(おんきよう)を聴聞(ちやうもん)し、余念(よねん)なく、とうとく感涙(かんるい)をながしける。

 かくて、御経(きやう)も終(おは)れば、兵衛御前(ぜん)にかしこまりて、ありし事ども具(つぶさ)に語(かた)り、

「大慈(じ)大悲(ひ)の御(ご)方便(べん)をたれさせおはしまし、諸(しよ)人の鬼難(きなん)を救(すく)はせ給へ」

と、各(をの/\)首(かうべ)を地に付、礼拝(らいはい)す。聖(ひじり)申させ給ひけるは、

「我(われ)斗(はか)らずに此(この)山(やま)に来り、已(すで)に三とせを送(をく)る。魔障(ましやう)山(やま)に充満(じうまん)して、無量(むりやう)のわざはひをなすといへども、露斗(つゆばかり)もいとふ事なく、終(つい)に護法(ごはう)にかられて退散(たいさん)す。我法力(ほうりき)を以、諸人(しよにん)の歎(なげき)を休(やむ)べし。此(この)符(このふ)を里(さと)の四面(めん)に立置(たてをく)べし。殃(わざはい)忽(たちまち)になかるべし」

とて、則(すなはち)符(ふ)をあたへ給へば、里人(さとびと)共、ひとへに、「如来(によらい)の御助(おんたすけ)」と悦(よろこ)び、礼(らい)拝恭敬(くげう)して、急(いそ)ぎ里(さと)に持帰り、四面(しめん)にあたら敷(しき)かり屋を立(たて)、是(これ)を勧請(くわんじやう)しけり。

 其(その)夜(よ)、里人(さとびと)共(ども)の夢(ゆめ)に、髪(かみ)空(そら)ざまに赤(あか)く生(おひ)のぼり、眼(まなこ)かゝやき、身には金(こがね)のよろひをかけ、手に/\利剣(りけん)を引さげたる人四人、四方に立(たち)て、声(こゑ)をあげてよび給ふに、色(いろ)白(しろ)く、眼(まなこ)あかく、口(くち)は耳(みゝ)の根(ね)まで切(きれ)、ふたつ牙(きば)は剣(つるぎ)のごとく、長(たけ)なる髪(かみ)を乱(みだ)し、手には、赤(あか)き縄(なわ)をもちて人をからめ、めてに鉄(てつ)のしもとをもつて、かうべを打わり、朱(あけ)のちしほに身をそめなして顕(あら)はれ出たり。四方へ逃出(にげいで)むとせしを、四人の神人(しんにん)中に取込(とりこめ)て、をの/\剣(つるぎ)をふるに、惣(たちまち)通力(つうりき)うせて大地におつるを、これをからめて空中(くうちう)に上(あが)り、海底(かいてい)にけおとし給ふとみへて、夢(ゆめ)さめたり。

 夜明(よあけ)て、をの/\語(かた)るに、すべて夢中(むちう)の事どもおなじ。かのとられたるものは、その里(さと)の、うとくの者の子にてぞ有ける。大路(おほぢ)の木のえだにかゝりて有しを、急(いそぎ)引きおろしみるに、縄(なわ)かけてかうべを打わり、血(ち)にそみたり。怖(おそ)しなんどもあまりあり。数(す)百人とられしうちに、かの子の死骸(しがい)ならでは一人もなし。是よりして、ながく此(この)里(さと)のわざはひはうせて、諸人(しよにん)安堵(あんど)しけり。

 四方(しはう)の仮(かり)屋をあらたに修造(しゆざう)して、四天(てん)の宮(みや)とかや申て、あがめ敬(うやま)ひけるに、霊験(れいけん)不双(さう)なり。これひとへに、かの神仙(しんせん)の冥慮(みやうりよ)にありとて、近里(きんり)遠村(ゑんそん)より聞つたへて、山上(さんじやう)しければ、聖(ひじり)も六ヶ敷(むつかしく)やありけむ、いづちともなく失(うせ)給ふ。その庵室(あんしつ)の跡(あと)に、かの女性(によしやう)、おり/\あらはれ、法花経(ほけきやう)を読誦(どくじゆ)しければ、里人(さとひと)ども、爰(こゝ)に社(やしろ)を立(たて)、姫(ひめ)の宮と申けるとかや。きどくの霊現(れいげん)あらたなりけるとかや。

  獺(かはをそ)の妖怪(ようけ)

大永年中(ゑいねんちう)に、都(みやこ)五条(でう)の洞院(とうゐん)に、一人の商人(あきうど)有。又五郎と名づく。年毎(としごと)に、駿河(するが)遠江(とを/\み)に往来(おうらい)して、染絹(そめぎぬ)を商(あきな)ふ。

 その比、世間(けん)もしば%\おだやかならねば、往来(ゆきゝ)もたやすからず。春も末(すへ)つ方(かた)、都(みやこ)を出、高荷(たかに)は、人あまたそへてやり、その身は、共(とも)飛(ひ)とりを具(ぐ)して行けるが、美濃(みの)尾張(をはり)を過て、已(すで)に三河路(かはぢ)にかゝりて急(いそ)ぎしに、二村山のほとりにて、日漸々(やう/\)かたむき、人家(じんか)程(ほど)遠(とを)くして、足(あし)なづみ、入相(いりあひ)つぐる鐘(かね)の音(おと)も聞えず。たつきもしらぬ山の麓(ふもと)に、霞(かすみ)引わたして、おぼろ月よの、ほのかにさしいでけるに、むかふをみれば、一むら茂(しげ)れる森(もり)の木陰(こかげ)に、朱(あけ)の玉垣(たまがき)かすかに見へければ、

「こよひ一夜(いちや)は此拝殿(はいでん)にあかさばや」

と、御燈(ごとう)のひかりにつきて、立よりみれば、本社(ほんしや)拝殿(はいでん)きらをみがき、

「さも結構(けつこう)なる御社なり。いかなる神の御鎮(ちん)座にや」

と、心静(こゝろしづか)に礼拝(らいはい)して、則(すなはち)拝殿(はいでん)にのぼりて、わりごなんど取出(とりいだ)して、下部(しもべ)もろとも食(しよく)して、究境(くつきやう)のやどりと、嬉(うれ)しく、前なる川にて足(あし)をあらひ、御宝殿(ごほうでん)の下に、清(きよ)らかなるやどりあれば、主従(しうじう)二人、もろ共に、前(ぜん)後もしらずうちふしける。

 已(すで)に夜更(よふけ)、しづまりけるに、数(す)十人の声(こゑ)してどよめきければ、又五郎目をさまし、ひそかにのぞき、うかゞひみるに、拝殿(はいでん)に、蝋燭(ろうそく)あまたたてならべ、金(きん)の屏風(べうぶ)引まはし、さもきらびやかに装束(しやうぞく)したる、めのと半者(はしたもの)、ちら/\と火かげにみゆ。

「こはいかに」

と、よく/\みれば、上座(じようざ)とおぼしき所(ところ)に、廿(はたち)あまりの上郎(ろう)、琴(きん)をたづさえて引しらぶるけしき、いはんかたなくいつくしきに、年比(としごろ)の尼比丘尼(あまびくに)、そのかたはらにあり。女(め)の子童(わらは)三人、同じごとく出立(いでたち)て、日を出したる扇子(あふぎ)を、一やうにかざし、此上郎(じやうらう)、琴(きん)を弾(だん)じ、尼(あま)は、ひとよぎりをふけば、めのとは、三味線(さみせん)をならしけるに、かの三人の童(わらは)は、やがて立(たち)あがり、調子(ちやうし)にあはせて舞(まい)をどりける。

くまなき春の朧(おぼろ)月は思ふにつらし。やみは人めもいとはぬに、雨は音せでふる五月雨に、ほさぬ袂(たもと)は風(かぜ)吹(ふく)かたへ、引ばなびかん花かづら たぐひもあらしの山桜(やまざくら) 余所(よそ)の見るめもいかならん

と、おしかへし/\立まふ体(てい)、まことに又たぐひなふ、めもあやに詠(ながめ)ゐたるに、布衣(ほい)のごとくに、白装束(しろしやうぞく)したるおのこ壱人、たてゑぼしきて、さもすゝどげなる男(おとこ)両三人、松明(たいまつ)ともして、御手洗(みたらし)川の辺(へん)より出て、静(しづか)にあゆみ入来り。拝殿(はいでん)にのぼり、上郎共(じやうらうども)に打みだれて、興(けう)を催(もよほ)しけるに、色々(いろ/\)の生魚(なまうを)、数々(かず%\)鉢(はち)にいれて持(もち)はこぶ。その魚生るがごとし。鯉(こい)鮒(ふな)鱸(すゞき)なんどのおどりはねしを、此(この)男(おとこ)ども、つかみくらいて、男女(なんによ)入みだれうちふし、不礼(ぶれい)なるさま、いふ斗(ばかり)なし。各(をの/\)、女一人づゝかい抱(いだ)きて、たわむれたるありさま、ひとへに人間(にんげん)のごとし。あまりにふしぎにおぼえて、よく/\みれば、男(おとこ)の貌(かほ)、まなこ丸くちいさく、口とがり、色(いろ)黒(くろ)し。

「何様(なにさま)、けだものゝ妖(ばけ)たるにこそ」

と思ひければ、旅(たび)の用意(ようい)にもたせたる半弓(きう)を取(とり)出し、能(よく)狙(ねら)ひすまし、大将(たいしやう)とおぼしき者(ものゝ)の、胸(むね)のほとりを、したゝかに射付(いつけ)たり。

「あつ」

と、おめく音(おと)して、上下肝(きも)をけし、とり%\に逃出(にげいで)たり。此まぎれに、女(をんな)共も、いづちいにけん、火もきへ、闇(やみ)に成(なり)たり。

 かくて、漸々(やう/\)明がたになり、しのゝめもしら%\と明る比ほひ、社司(しやし)二人出来(いできた)りて、本社(ほんしや)にむかひ祈念(きねん)しけるが、あたりに血(ち)ながれ、生魚(なまうを)あまた喰(くい)ちらして、けだものゝ足(あし)あと、拝殿(はいでん)にひしと有。両人、

「また、例(れい)の妖(ばけ)もの出つらん」

と、爰(こゝ)かしこ見廻(まは)しけり。又五郎主従(しうじう)、社(やしろ)の下より這(はい)出ければ、社人(しやにん)おどろき、

「何者(なにもの)ぞ」

といへば、

「我々(われ/\)は、行暮(ゆきくれ)たる旅(たび)人にて、夕べ夜に入、人里もしらず、此所(ところ)にふしぬ。そも/\妖(ばけ)ものと仰(おほせ)らるゝは、いかなる事にて侍る」

と問(と)へば、

「その事にて候。此社(やしろ)は、二村山八幡宮(まんぐう)とて、霊験(れいげん)あらたにましまし、近里(きんり)遠国(おんごく)より、かつごうの首(かうべ)を傾(かたむ)け奉りけるに、日外(いつぞや)のほどよりか、夜(よ)に入ば、妖物(ばけもの)出て人をなやまし、気を失(うし)はするにより、あたりへ人の通(かよ)ひも侍らず。かた%\は、ふしぎの命(いのち)助(たすか)り給ふ。あやしき事もさふらはずや」

と語(かた)れば、又五郎、「扨は」と思ひ、有つる事ども具(つぶさ)に語(かた)り、

「則(すなはち)、矢(や)を負(おは)せ侍る。此血(ち)をとめて見給へかし。さるにても、あまたの女どもは、いかなる妖情にてか侍らん」

と、あたりを見まはすに、御社(みやしろ)に掛(かけ)られたる絵馬(ゑま)に、けだかき上郎(じやうらう)の、琴(きん)をひき、其傍(かたはら)に、尼(あま)めのと女共あまたあり。一よ切(ぎり)、さみせんを引たり。めの童(わらは)、三人たちて舞(まふ)あり。屏風(べうぶ)そのほか、夕(ゆふべ)みたるに露もたがはず、所%\血(ち)にまみれたり。

「うたがひもなく、此絵馬(ゑま)の情(せい)に、外(ほか)のけだ物の化(ばけ)て、妖情(ようせい)のあつまりける」

と、則、かの絵(ゑ)馬をおろし、一々喉(のんど)をつき破(やぶ)りて、かの血(ち)を尋(たづ)ね、村人(むらびと)大ぜい催(もよほ)し、したひてみるに、御手洗(みたらし)川の艮(うしとら)に、大きなる岩穴(いわあな)あり。其内へ、のりひきてあり。里人大勢かゝりて、これをうち崩(くづ)し、ふかく掘(ほり)入程に、次第(しだい)にうち広(ひろ)く、一二丈も掘(ほり)ければ、獺(かはうそ)数(す)十疋(ひき)おどり出たり。そのてい、よのつねならず、大きにして幾(いく)とせふるともしらず。人をみて牙(きば)をかみ、とび付、喰付(くらいつき)けるを、或は打殺(ころ)し、切殺(きりころ)しけるほどに、已に十余疋(よひき)なり。其おくに、一つの大なる黒白(こくび[や]く)まだらの獺(かはおそ)、むないたを矢(や)につらぬかれて、歯(は)をくい、牙(きば)をかみ出して、死(しゝ)てあり。

「是ぞ霄(よひ)の大将ならむ」

と思へり。のこらずうち殺して、をの/\くらひけるに、更(さら)によのつねの獺(かはうそ)にかはらず。其後(そのゝち)、この社(やしろ)にばけもの絶(たへ)て、諸人(しよにん)昼夜(ちうや)参詣(さんけい)しけるとかや。

多満寸太礼巻第六

  目録

片岡(かたをか)主馬(しゆめ)之亮(すけ)敵打之(かたきうちの)事

直江(なをゑ)常高(つねたか)冥婚(めいこん)の怪(あやしみ)

堀(ほり)江長(ちやう)七逢(あふ)狐(きつねの)妖情(ようせいに)事

行脚(あんぎやの)僧(そう)治(おさむる)亡霊(ばうれいを)事

多満寸太礼巻第六

片岡(かたをか)主馬之亮(しゆめのすけ)敵討之(かたきうちの)事

 建武(けんむ)の末(すゑ)に、菊池(きくち)肥後守(ひごのかみ)武光(たけみつ)は、九州(きうしう)大半(たいはん)うちとり、関西親王(くわんさいしんわう)を守(まも)り奉り、其威(ゐ)やうやく西海(さいかい)にかゝやき、武勇(ぶゆう)をふるひ給ふ。

 爰(こゝ)に、武光寵臣(たけみつてうしん)に、片岡主馬亮(しゆめのすけ)元忠(もとたゞ)といふものあり。彼(かれ)が父(ちゝ)、片岡和泉守(いづみのかみ)は、畠(はたけ)山基国(もとくに)の家臣(かしん)にて、武勇(ぶゆう)剛強(こうきやう)の者なり。幼(よう)少の比、父母にをくれ、姨(おば)なりける人、都(みやこ)堀(ほり)川にて養育(やういく)し、梶(かぢ)井宮に給仕(きうじ)して、十三歳(さい)の比ほひは、洛(らく)中にならぶかたなき美童(びどう)の聞えありけり。

 武光(たけみつ)、上京(きやう)の折ふし、宮に昵近(ぢつきん)したてまつり、ひたすらに申請(うけ)て本(ほん)国に帰(かへ)り、寵愛(ちやうあい)なゝめならず。年月を送(をく)るに、今年已(すで)に十八歳(さい)、心だて情(なさけ)ふかく、歌の道にも心をいれ、諸傍輩(しよはうばい)も馴(なれ)したしみけり。

 或(ある)時、京なる姨(をば)、はからずして、此世(よ)をさりぬとて、父が系図(けいづ)、母の書置(おき)にそへて、今はの形(かた)見の文を送(をく)る。

「我(われ)久しく此国(くに)にありて、既(すで)に年月を送(をく)る。あまりに恋(こひ)しく、せめては忍(しの)びて行(ゆき)とふらはばや、と思へども、世(よ)の乱(みだれ)に心ならず。あはで空(むな)しく別(わかれ)にしかなしさよ」

とて、泣(なき)かなしみける。せめては、形見(かたみ)の文をみるに、今は(の)筆(ふで)と見えて、文(もん)字もさだかに見えわかず。父が巻(まき)物、母の筆(ふで)のあとを見るに

「父和泉(いづみ)を討(うち)し母(も)川丹後(たんご)と云者、今は名(な)をかへて、播(ばん)州しかま津(づ)のほとりに軍師(ぐんし)をなして、世をわたると聞出し、女の身ながらも、本望(まう)をとげばや、などゝ思ひし事も夢(ゆめ)となり、此世をはやうす。哀(あはれ)、成人(せいじん)の後、此本望(ほんまう)をとげて、草葉(くさば)の陰(かげ)の父(ちゝ)母にも手向(むけ)給へ」

とぞ、かゝれける。元忠(もとたゞ)おどろき、

「かゝる事とは夢(ゆめ)斗もしらで、此とし月を空(むな)しく過(すご)し、無念(むねん)さよ。しらぬ事とて是非(ぜひ)に及ず」

とて、時を移(うつ)さず、此よし、武光(たけみつ)に申に、哀(あはれ)に覚(おぼ)して、

「首尾(しゆび)よく討(うつ)て帰(かへ)るべし」

とて、浪分(なみわけ)といひて、秘蔵(ひぞう)しける太刀(たち)をあたへ、金(こがね)をあまた給(たま)はり、いとまを得て、身ぢかき郎等(らうとう)二人をともなひ、舟(ふね)に打のり、八十島(やそしま)かけて漕(こぎ)出(いづ)るに、釣舟(つりぶね)は多(おほ)けれど、言伝(ことづて)やらむ方(かた)もなく、鴛鴦(ゑんおう)のまじはりをなせし友(とも)も居ず。猶ゆくさきは霧(きり)こめて、山もみえず。あとの白浪(しらなみ)は、風かはるかとうたがはる。姫島(ひめしま)を過(すぎ)、硫黄(いわう)のわたり、上(かみ)の関(せき)をこへて、おはたけの瀬戸(せと)、たゞのうみ、とものうら・大嶋(おほしま)・むしあけのせと・からゝと・ひゞきの灘(なだ)とて、名所(めいしよ)/\は過(すぐ)れども、もの思ふ心に見捨(すて)て、日数(ひかず)へて、室津(むろづ)に至(いた)りて、此(この)辺(へん)の在家(ざいけ)に宿(やど)をもとめて、思ひ/\の商人(あきうど)に身をやつし、ある時は、山伏(やまぶし)修行者(しゆぎやうしや)にさまをかへ、近里(きんり)遠村(ゑんそん)に徘徊(はいくわい)し、ひそかに尋(たづね)めぐり、其としも漸々(やう/\)暮なんとす。

 室(むろ)の泊(とま)りといへるは、西海(さいかい)の舟着(ふなつき)にて、うかれ女(め)つどふ里(さと)なれば、わたる舟路(ふなぢ)のかぢ枕(まくら)、色(いろ)にぞ出るうつりがの、道行人もひたすらに、心をとむる所(ところ)なり。されば、近里(きんり)遠郷(ゑんきやう)より、貴賎(きせん)となく入つどひ、人足(ひとあし)しげき所なれば、片岡(かたをか)も、折/\は所の人にうちまぎれて、明暮(あけくれ)忍(しの)びうかゞひける。

 たよる木陰(かげ)のひまよりも、遊女(ぢよ)のうたふ棹(さほ)のうた、たれか思ひに吹(ふか)するや、風のまに/\ほのめくは、むかしを忍(しの)ぶありさま也。

 爰(こゝ)に、うてなと云し遊(ゆふ)女は、此里(さと)の名高(なだかき)き<ママ>女なりしが、いつのほどよりか、元忠(もとたゞ)に馴(なれ)そめて、ふかき契(ちぎ)りをこめけるが、或(ある)ときうてな申けるは、

「君(きみ)がありさま、世わたるたつきのいとなみともおぼえず。形(かたち)をかへて世(よ)を忍(しの)びおはしますは、いかなる故(ゆへ)にかくはまします。かく斗おもふ我(われ)なれば、今はつゝまずあかさせ給へ。本よりつたなき流(ながれ)の身なりとも、心はなどか男子にもおとらん」。

元忠もうらなき心を感(かん)じて、

「いまは何(なに)をかつゝむべき。我は菊(きく)地肥後(ひごの)守が家臣、片岡主馬(しゆめ)元忠と云者なり。父を母川丹後(たんご)と云者に討(うた)せ、ケ様に様(さま)をかへて年月心をつくせども、姿(すがた)をしらねば、力(ちから)なし。殊更名を改(あらため)て、此近隣(きんりん)に居(きよ)住するよし。さもあらば、もしもや此所へも来るよよすがもと、かやうに心をつくす。あなかしこ、必しも、人に語(かた)り給ふべからず。うらなき心を感(かん)じて、かくは語(かた)り申也」

うてな、

「本(もと)よりさ承りぬ。只人ならず思ひつるに、案(あん)にたがはぬ御物語(がたり)につけて、究竟(くつきやう)の事こそ候へ。当(たう)国の住人、志賀(しが)鉄(てつ)山と申て、彼(かれ)は赤(あか)松の一族(ぞく)なりしが、去(さん)ぬる湊(みなと)川の一戦(せん)に、先(さき)をあらそひ、遺恨(いこん)を結(むす)びて、一族(ぞく)をはなれ、此里の向(むかふ)の林に引篭(こもり)、隠遁(いんとん)の身となり住(すみ)給ふ。うち物人に<挿絵見開き1丁>こへ、強力(ごうりき)の勇士(ゆうし)にて、頼(たの)もしき人にて、所(ところ)の案内者(あんないしや)にて候へば、うちたのませ給(たま)はゞ、かの行衛(ゆくへ)もしれ申べし」

と、ねんごろに語(かた)れば、元忠(もとたゞ)よろこび、急(いそ)ぎわがやに帰(かへ)り、郎等(らうとう)ども召連(めしつれ)、声花(はなやか)に出立、かの庵(いほり)に詣(まう)でゝ、有し事(こと)ども具(つぶさ)に語(かた)り、

「貴僧(きそう)をひとへに頼(たのみ)奉る」

と、礼(れい)をあつふして語(かた)れば、入道(だう)うち笑(わら)ひ、

「我子細(われしさい)ありて、久布(ひさしく)武門(ぶもん)をはなれ、かく辺土(へんど)に身をかくし、たれしる者(もの)もあらぬに、遙々(はる%\)と国(くに)を越(こへ)て、父の敵(かたき)をうたむ事をたのみ給ふ。誠(まこと)に、入道を人と思ひて、語(かた)らひ給ふこそ本望(ほんまう)なれ。されば、母川(もかは)丹後(たんご)と云者、今は俗名(ぞくみやう)引替(ひきかへ)、自徳斉(じとくさい)と名のり、当国(たうごく)に徘徊(はいくわい)し、軍師(ぐんし)を業(わざ)とし、数(す)十人召遣(めしつかひ)、常(つね)に所(ところ)をも定(さだ)めず、幸(さいわい)此(この)室津(むろづ)の遊女(ゆうち)になれて、折々(おり/\)通(かよ)ふときく。然(しか)れ共(ども)、数(す)十人の弟子(でし)ども、常(つね)に付(つき)そひ、用心(ようじん)すれば、率尓(そつじ)には打得(うちゑ)じ。何(なに)とぞ、かの所(ところ)にて、智略(ちりやく)をめぐらし、打(うち)課(はたさ)せ給へ。さもあらば、此庵室(あんしつ)を心がけ、早速(さつそく)退来(のききた)り給ふべし。追手(おつて)の事は、某(それがし)にまかせらるべし」

と、委細(いさい)に手段(てだて)を云(いひ)ふくめてぞ、返(かへ)しける。元忠(もとたゞ)、

「天(てん)のあたへ」

と、嬉(うれ)しく、うてなが方へ立(たち)こへ、右のあらまし語(かたり)、

「若(もし)左様(さやう)の物は来(きた)らずや」

ととへば、

「それこそ、むかふの家(いゑ)に、常(つね)に来りて、にしきゞと申女郎(ぢよろう)にふかくちぎり、折々(おり/\)かよふが、若(わか)き殿原(とのばら)、すくなき時は五三人、或(あるひ)は十二三人ともなひて、独(ひとり)来ることなし。かのにしきゞと申は、分(わき)てしたしくさぶらへば、我(われ)手段(てだて)にて酔(えひ)ふさせ、やす/\と討(うた)せ参(まい)らせん」

則(すなはち)、相図(あいづ)の約速(やくそく)を究(きわめ)てぞ帰(かへ)りける。

 或日(あるひ)、自徳斉(じとくさい)、若者(わかきもの)四五輩(はい)うちつれて、彼(かの)亭(てい)に赴(おもむ)き、めん/\遊女(ゆふぢよ)にたはむれ、酒宴(しゆゑん)興(けう)をもよほす。

 うてなをはじめ、遊女(ゆうぢよ)ども、はからずも来りあつまり、

「御客(おきやく)の御もてなし、いつよりもめづらしく、なぐさめ申せと、あるじの仰(おはせ)にて、みな/\推参(すいさん)申てさふらふ。御ゆるされも候はゞ、一曲(いつきよく)をかなでゝ、御心をもいさめ候はん」

と申せば、自徳斉(じとくさい)大に悦(よろこ)び、主(あるじ)の情(なさけ)を感(かん)じ、をの/\酒宴(しゆゑん)を催(もよほ)しける。うてな、聞(きこ)ゆる琴(こと)の上手(じやうず)、今やうのめい人成ければ、

誰(たれ)となく、よせては帰る浪枕(なみまくら)、浮(うき)たる船(ふね)の跡(あと)もなく、その人とわきてまつらん妻(つま)よりも、たのむ人にはたのまれて、そのたはれめのうさつらさ、定(さだ)めぬ夜(よ)々の契(ちぎり)だに、猶夕暮(なをゆふぐれ)は身もこがる、げにはかなしや、むなしき床(とこ)に明(あけ)くれて、雲をしはるゝ春風(はるかぜ)に、ゑみをふくめる花もがな

と、うたひおさめければ、をの/\感(かん)にたへ、酒(さけ)たけなはにめぐりて、うつゝなきさまにぞ成にける。夜(よ)も更(ふけ)しかば、自徳斉(じとくさい)をはじめ、其外(そのほか)の者共(ものども)、前後(ぜんご)もしらず酔(ゑい)ふしたり。うてな、「時分(じぶん)はよし」と、悦(よろこ)び、かくと案内(あんない)すれば、元忠(もとただ)、二人の郎等(らうとう)、何(いづれ)も出立(いでたち)、武光(たけみつ)より給はりし、浪分(なみわけ)の太刀(たち)を帯(はき)、日比(ごろ)秘蔵(ひざう)しける折金(おりかね)といへる腹巻(はらまき)し、真先(まつさき)に忍(しの)び入、まづ君(きみ)たちを忍ばせ、五人の者ども、一々首(くび)かきおとし、扨、母川(もかは)が跡先(あとさき)につつ立(たち)、枕(まくら)をけかへし、驚(おどろ)かし、

「兼(かね)ても聞及(きゝおよ)ぶらん。片岡(かたを[か])和泉(いづみの)守が一子(し)、主馬亮(しゆめのすけ)元忠(もとたゞ)といふ者なり。正体(しやうたい)なき有様(ありさま)哉。起(をき)て勝負(しやうぶ)をせよ」

と、太刀(たち)のむねにて、ふと腹(はら)をしたゝかにうちつけおどろかせば、丹後(たんご)もさる剛(がう)の者(もの)、

「心得(こゝろへ)たり」

と、枕(まくら)に有(あり)ける太刀(たち)とつて、ぬきうちにはらへば、妻手(めて)に立(たつ)たる郎等(らうとう)が、諸足(もろあし)ずんと切(きつ)ておとす。

「元忠(もとたゞ)是(これ)にあり」

と、右(みぎ)の肩先(かたさき)より切付(きりつけ)たるに、太刀(たち)はもとより聞(きこ)ゆる名剣(めいけん)、左(ひだり)の腰(こし)へかけ、二つにさつと切(きり)わけたり。やがてうへにのりかゝり、

「父(ちゝ)聖霊(しやうりやう)に手向(てむけ)奉(たてまつ)る」

と、首(くび)うちおとし、兼(かね)て用意(ようい)の、首入(くびいれ)のうつわ物に入、やがて表(おもて)に走(はし)り出けるが、一人の郎等(らうとう)、いまだ死もやらず、不便(ふびん)なる事なり。

「是(これ)までつきそふ心ざし、いかにほうじざらん」

と、元忠(もとたゞ)又立かへり、引おこしみれば、郎等(らうとう)きつとみて、

「我已(われすで)に深手(ふかで)おひ、忽(たちまちに)死(し)すべきもの也。我(われ)故(ゆへ)にかひなく、大勢に取篭(とりこめ)られ給はん事の浅(あさ)ましさよ。とく/\のかせ給へ」

と、みづから太刀(たち)をくはへて伏(ふし)ければ、力(ちから)及(およば)ず、主従(しうじう)二人、其場(そのば)をのきけるに、松明(たいまつ)天をこがし、声(こゑ)%\に呼(よば)はりておひかくる。

 漸々(やう/\)と、ある入(いり)江に望(のぞ)み、舟(ふね)はなし、橋(はし)はなし。跡(あと)はしきりに追(おひ)かくる。

「是までなり」

と、最後(さいご)を究(きわ)むる所(ところ)に、一村(ひとむら)の芦陰(あしかげ)より、

「しばし」

と呼(よび)かけ、

「急(いそ)ぎこれよ」

と、小舟(をぶね)さしよせ、此(この)者共(ものども)をのせ、入江(いりゑ)にそひて押行(おしゆく)。向(むかふ)ふ<ママ>の薮(やぶ)かげより上(あが)れば、鉄山(てつざん)の庵室(あんしつ)の外面(そとも)也。心静(こゝろしづか)に用意(ようい)して、

「こよひの内に、急(いそ)ぎ港(みなと)に出、此暁(このあかつき)の舟に乗(のり)、とく/\帰国有(きこくある)べし。又の便(たより)に、互(たがひ)の左右(さう)を語(かた)るべし」

と、

「追手(おひて)の者(もの)は我にまかさるべし」

とて、別(わか)れぬ。透間(すきま)もなく、追手(おひて)の者(もの)共(ども)数(す)十人蒐来(かけきた)り、

「此入江(いりゑ)に船もなし。汐(しほ)みちて深(ふか)し。向(むか)ふにこすべき便(たより)もなし。いかさまにも、此芦原(あしはら)にかくるゝと覚るぞ」

とて、草を分(わけ)てさがしける。鉄山(てつざん)弓手(ゆんで)に網(あみ)をもち、芦間(あしま)より顕(あはら)れ出(いで)、

「何事(なにごと)にや、方々(かた%\)は、かく夜更(よふけ)ていかに」

といへば、追手(おひて)の者ども、有つる次第(しだい)を語(かた)るに、

「我(われ)霄(よひ)より、此(この)入江(いりゑ)に魚取(すなどり)し、心をすましゐたるに、更(さら)に左様(さやう)の者(もの)来らず。むかふの山道(みち)心元(こゝろもと)なし。尋(たづね)給へ」

と教(おし)ゆれば、

「実(げに)も、貴様(きさま)霄(よひ)よりおはしませば、しらせたまはぬ事あらじ。扨は、山道(みち)へや落行(おちゆき)けむ」

と、各(をの/\)取(とつ)て返(かへ)し、おめきてさりぬ。

 入道(にうだう)、一旦(たん)の計略(けいりやく)にて、多(おほく)の者(もの)を返(かへ)し、しらぬよしして庵(いほ)に帰(かへ)りぬ。

 主馬(しゆめ)は、思ひのまゝに本望(ほんまう)をとげて、二度(たび)国(くに)にかへり、武光(たけみつ)に、かくと申ければ、大きに悦(よろこび)、大庄(たいしやう)あまた給はれば、

「我(われ)、かく本望(ほんまう)をとげしも、ひとへにうてなが情(なさけ)。又は、鉄山(てつざん)のうしろみ。旁(かた%\)恩(をん)をも報(ほう)ぜばや」

と、二度(たび)室津(むろつ)に至り、鉄山に対面(たいめん)し、涙(なみだ)をながし、

「君が情(なさけ)により、あやうきをまぬかる。年来(としごろ)の本意(ほんい)を達(たつ)す。当国(たうごく)はおだやかならず。何がしが領内(れうない)に、心(こゝろ)静(しづか)に世(よ)を送(をく)らせ給はゞ、此上の御恩(ごおん)たるべし」

と、さま%\にいざなひ、則(すなはち)金銀(きんぎん)財宝(ざいほう)に、うてなをこふて、古郷(ふるさと)へ具して、家門(かもん)ながく繁栄(はんゑい)しけるとぞ。

  直江(なをえ)常高(つねたか)冥婚(めいこん)の怪(け)

 石州(せきしう)津和野(つわの)の城(しろ)は、そのかみ、尼子(あまこ)義久(よしひさ)の家臣(かしん)、皆川(みながわ)玄蕃頭(げんばのかみ)居城(きよじやう)として、代々城主(じやうしゆ)たりしが、毛利家(まうりけ)の一族(ぞく)、吉(きつ)川、小早(こばや)川両将として、攻落(せめおとし)し、直江(なをえ)和泉守(いづみのかみ)が嫡男(ちやくなん)又太郎常高(つねたか)といふものに、軍士(ぐんし)あまた指(さし)そへて、此城(しろ)を守(まも)らせらる。

 此常高(つねたか)は、手いまだ三十にこへず。勇力(ゆうりき)の聞えあり。文武(ぶんぶ)に達(たつ)し、容貌(ようばう)又ゆうびにして、智謀(ちぼう)尤(もつとも)ふかし。当城(じやう)を預(あづか)り、すでにみとせが内に十一度(ど)城(しろ)をかこまるゝといへども、更(さら)に事ともせず。堅固(けんご)にこれを持(もち)かためければ、元就公(もとなりこう)も世になき者(もの)に思召て、数ヶ所(すかしよ)の大庄(たいしやう)あまたよせられければ、軍士(ぐんし)多(おほく)くつのりて、此城(しろ)を根城(ねじろ)として数ヶ所(すかしよ)の砦(とりで)をかまへ、石州(せきしう)大半(たいはん)うちなびけたり。

 爰(こゝ)に、本城(ほんじやう)の戌亥(いぬい)に、一かまへの別殿(べちでん)あり。そのかまへ後(うしろ)の山に寄(よせ)、前には流(ながれ)をうけて、並木(なみき)の松桜こずゑをそろへ、白き真砂(まさご)きよらかに、色々のまき石、木(こ)のま/\の釣灯炉(つりどうろ)、玉(たま)なす浜(はま)かとあやしまる。やり水の流(ながれ)にそふて、鴛(をし)厂金(かりがね)の、人になれて、岩(いわ)まの陰(かげ)にやどり、梟(けう)こずゑに身をうごかし、庭(には)より階(はし)をあがれば、絵(ゑ)かきたる杉(すぎ)戸をひらき、長廊下(ながらうか)うちつゞき、書院(しよゐん)きらびやかに、奥(おく)には、たれ簾(す)の数(かず)をさげ、絹(きぬ)ばりの障子(しやうじ)、紅(くれない)の房(ふさ)付し縄(なわ)に、鈴(すゞ)をつけて引わたし、四壁(へき)は、金(かな)地に色々(いろ/\)の花紅葉(はなもみぢ)を、手をつくしてかきたり。いかなる禁闕(きんけつ)も、是には過じとぞおぼえし。

 向(むかひ)の築(つき)山の陰(かげ)に、いとやさしき藁屋(わらや)をつくり、和歌(わか)の三尊(ぞん)を床(とこ)にかけ、四方(はう)に歌仙(かせん)三十六人の姿(すがた)を、さもいつくしく書(かき)たり。とし月をふるとおぼしくて、草(くさ)はさながら軒(のき)を埋(うづ)み、蔦(つた)かづら生茂(おひしげ)りて、壁(かべ)をつらぬき、見るに哀(あはれ)を催(もよふ)せり。

「いかなる人の、こゝを栖(すみかと)としつらむ」

と、しらぬ昔(むかし)を思ひやり、近辺(きんへん)の里の長(おさ)をよびて、此事を聞(きく)に、

「前(さき)の城主皆(みな)川どのゝひとり姫(ひめ)、近(きん)国不双(ふさう)の美人(びじん)の聞え候ひしが、さる色好(いろこの)みにて、常(つね)に和歌(わか)を友(とも)とし、月にめで花にたはむれて、寵愛(てうあい)いはむかたなし。

「いかなる人をも取むかへて、栄(さか)ゆる末(すゑ)をみ給(たま)はん」

と、いたづらに年を送(をく)り給(たま)ひしが、十七の春、いさゝかのえやみにて、はからず空(むな)しく成(なり)給ひ、父(ちゝ)母(はゝ)の御歎(なげき)申も計(はかり)なし。かの人、明暮(あけくれ)住馴(すみなれ)給ひし御屋形(かた)とて、少もこぼちたまはず。常(つね)にはこれにおはして、ふかく跡(あと)をしたひ給ひしとかや。その御前(ぜん)の御所(しよ)とこそ承(うけたまは)り候へ」

とぞ、くはしく語(かた)りける。

 常(つね)高、情(なさけ)ある者(もの)なれば、敵(かたき)とはいへども、さすがに余所(よそ)の哀(あはれ)を感(かん)じ、其まゝにうち置(をき)、折々はかの亭(てい)にて興(けう)を催(もよほ)し、遊(あそ)びけるに、何(なに)とや覧(らん)、むかしのその面影(おもかげ)も恋(こひ)しく、いつとなく、心にふかく思ひやりける。

 ある夜(よ)、月あかきに、名香(めいかう)を焼(たき)、茫然(ばうぜん)とながめしが、来(こ)しかたを思ひやりて、

        寂歴(じやくれき)苑林(おんりん)趣(おもむき)不(ず)稀(まれなら)

   蝉声(せんせい)漸(やうやく)帯(おびて)夕陽(せきやう)微(ほそし)

        深更(しんかう)開(ひらきて)戸(とを)仮寝(かりねして)坐(ざすれば)

   月歩(ほして)錦帳(きんちやうを)影(かげ)尚(なを)赴(はしる)

と詠吟(ゑいぎん)して、

「哀(あはれ)よからん歌もがな」

と、心に深(ふか)く打案(うちあん)じけるに、並木(なみき)の松の木陰(こかげ)より、いとやさしき声(こゑ)にて、

  いかにかく心にむかし目に涙(なみだ)うかぶもつらき水の月かげ

かく聞えければ、ふしぎに思ひて、庭(には)の面(おも)を詠(ながめ)め<ママ>やりけるに、そのさま、ゑんにやさしき上臈(じやうらう)の、容顔(ようがん)月にかゝやき、みどりの眉墨(まゆずみ)あざやかに、紅(くれなゐ)のはかま踏(ふみ)しだき、ねりきぬをうちかづき、さもうつくしき女(め)の童(わらは)をぐして、忽然(こつぜん)とたゝずみたり。天人(てんにん)のあま降(くだ)りけるか、巫山(ふざん)の神女(しんによ)の雲と成(なり)し俤(おもかげ)もかくやとあやしまる。此(この)心(こゝろ)に、怖(おそ)ろしさも打忘(わす)れ、常(つね)高、いそぎ庭(には)におり立(たち)、近(ちか)くよりそひ、御手をとり、

「いかなる人にておはしませば、夜更(よふけ)、人まれなる所(ところ)に、かくたゝずませたまふ」

といへば、女うち笑(わら)ひ、

「またせ給へばこそ来(きた)りたれ。いかなる者とはのたまふぞや。君、いにしへをしたひ給(たま)ひ、御こゝろ切(せつ)にわたらせ給へば、しばらくのいとまを得て、かくまみへ奉(たてまつ)るぞや」

と、打笑(うちわら)ひて宣(のたま)へば、常高(つねたか)心に思ふやうは、

「何(なに)様、わが心中(ちう)を察(さつ)し、いかなる魔縁(まゑん)化生(けしよう)の者、我をたぶらかすらん。たとひ何(なに)にもせよ、かゝる人に一夜(いちや)もそひてこそ、此(この)世(よ)に生(むま)れし本意(い)にもあらめ」

と思ひ、

「いとやさしきおんこゝろ。いつの世にかは忘(わす)れ参(まい)らすべき。夢(ゆめ)の中なるうたゝねもしばしのほどのかり枕。いさらせ給へ」

と、御手(みて)をとり、寝殿(しんでん)<挿絵見開き1丁>にいざなひて、酒をすゝめ、興(けふ)をなす。余所(よそ)の目には更に見えず、唯(たゞ)、言(こと)ばのみぞかよひける。是(これ)よりして、暁(あかつき)にわかれ、暮に来る。

 已(すで)に月日を送(をく)るに、政道(せいだう)用心(ようじん)の心もうせ、ひたすらにうち篭(こも)りゐけり。諸士(しよさむらい)をはじめ、みな/\うとみ、ふしぎの事にぞ思ひける。

 又太郎がめのと子に、上木(うへき)八郎といふ、老功(らうこう)の武士(ものゝふ)あり。常高(つねたか)、にはかに、かく不行義(ぎやうぎ)をふるまふ事、不審(しん)に思ひ、身近(みぢか)くつかはるゝ者(もの)を呼(よび)て、ひそかにとふに、始終(はじめをはり)を語(かた)り、

「皆人の目にはかゝらざれども、只人(たゞびと)に逢(あふ)て、うつゝなく語(かた)らひ給ふ」

といへば、八郎すはやと思ひ、

「我(われ)きゝつたふる事あり」

と、かの亭(てい)に忍び入、壁(かべ)を少(すこし)つき明(あけ)て、これをのぞくに、常高(つねたか)、一連(いちれん)の骸骨(がいこつ)と手枕(たまくら)をかはし、さま%\のむつ事をかたる。その傍(かたはら)に、少きぼうこの、人のごとくにうちわを持(もち)、これをあふぐ。上木(うへき)つく%\とみるに、ものごし女の風情(ふぜい)、すべて人のはたらきのごとし。能々(よく/\)見課(みおほせ)て帰(かへ)り、夜明(よあけ)て、急(いそ)ぎ常高(つねたか)に近(ちか)づき、御姿(おんすがた)を見奉(みたてまつ)るに、憔悴(せうすい)して、神気(しんき)を奪(うば)はれ、眼肉(がんにく)おち入て、毛口(もうこう・けのくち)悉(こと%\)く不浄(ふじやう)をふくむ。

「いかさまにも御命(おんいのち)、すでに近(ちかき)にうせん。これ、ひとへに妖怪(ようけ)のなす所なり。いかなる事のおはしますぞ」

と、涙(なみだ)をながし申せば、常高(つねたか)おどろき、ありし事(こと)ども具(つぶさ)にかたり、

「先(さきの)城主(じやうしゆ)の娘(むすめ)来り、夜(よ)ごとに契(ちぎ)りかはす也」。

上木(うへき)承(うけたまはり)、

「吾(われ)これを聞(きゝ)て、忍(しの)び見しに、骸骨(がいこつ)来(きた)りて、君が情(せい)を吸(すふ)。凡(およそ)人(ひと)死(し)しては、陰(ゐん)に帰(かへ)り、受生(じゆしやう)の間(あいだ)は中有(ちうう)にまよひ、此(この)気(き)役病(えきびやう)となり、或(あるひ)は気(き)にのつとりて、崇(たゝり)をなす。陰気(ゐんき)陽(やう)に克(かつ)時(とき)は、種々(しゆ%\)の姿(すがた)を顕(あら)はし、異形(いぎやう)の殃(わざは)ひあり。これ全(まつた)く、求(もと)めて来(きた)るにあらず。我(わが)が<ママ>心(こゝろ)と生(しやう)ずるところ也と社(こそ)承(うけたまは)り候へ。君(きみ)は、暫(しばら)く篭居(らうきよ)し給へ。我等まかりて、退(しりぞ)け侍らむ」

と申せば、常高(つねたか)此事(このこと)を聞(きゝ)て、忽(たちまち)顔色(がんしよく)かはり、身(み)の毛(け)よだちたり。上木(うへき)は、たゞ一人かの亭(てい)に往(ゆき)て、心を静(しづ)めて待(まつ)に、案のごとく人音(おと)して、来(きた)る者(もの)あり。能々(よく/\)みれども、更(さら)にその姿(すがた)も見えず。上木(うへき)、大音(だいおん)あげて申けるは、

「死(し)する者(もの)は、陰(ゐん)にしてにごれり。生(しやう)は、陽(やう)にして清(すめ)り。なんぞ、みだりに妖怪(ようけ)をなして、神気(しんき)をうばふ。速(すみやか)に立(たち)さるべし。然(しか)らずんば、天神(てんじん)地祗(ちぎ)に申て、神罰(しんばつ)をくはふべし」

と叱(しつ)すれば、

「あな侘(わび)し。何者(なにもの)にや」

といふ声(こゑ)して、音(おと)もせず成(なり)にき。

「猶(なを)もふしぎのありもやする」

と、其(その)夜(よ)は、かの亭(てい)にふしぬ。夜半比(よなかごろ)までいねもやらず。暁方(あかつきがた)に、少(すこし)まどろみける夢(ゆめ)に、さもいつくしき上臈(らう)、

「我(われ)死(し)して五とせ。世界(せかい)に逍遙(せうよう)す。しかれども、とし比この所(ところ)に住(すみ)なれて、執心(しうしん)はなれやらず。たま/\宿世(すくせ)の縁(えん)ありて、人にまみえけるに、ながく階老(かいらう)のちぎりをなさむと悦(よろこ)びしに、計(はか)らずも、汝(なんぢ)にへだてられつる恨(うら)めしさよ」

と、いかれる姿(すがた)、面(おもて)も替(かは)りてすさまじく、はしりかゝるに、枕本(まくらもと)に立(たて)たる太刀(たち)につまづき、倒(たふ)るゝとみえて夢(ゆめ)さめぬ。

 ふしぎにおぼえて、あたりをみるに、さらに人なし。夜も漸々(やう/\)明(あけ)ければ、急(いそ)ぎかへりて主(しう)にかたるに、肝(きも)をけし、祢宜(ねぎ)山伏(やまぶし)を呼(よび)て、祈(いの)らするに、更(さら)にきどくもなし。

 かくて、廿日(はつか)あまりを過て、ある夜(よ)、月さえて、何(なに)となく恋(こひ)しかりければ、常高(つねたか)、かの亭(てい)にうかれ出けるに、例(れい)の女、又あらはれ出、常高(つねたか)が手をとりて、恨(うら)みくどきけるに、心ひかれ、即(すなはち)ともなひて、女の住家(すみか)に入(いり)ぬ。

 かくて、夜明(よあけ)ても常高(つねたか)みへざれば、上木(うへき)をはじめ、郎等(らうとう)ども、不思議(ふしぎ)の思ひをなし、彼(かの)亭(てい)に押(おし)入てみるに、なし。遙(はるか)の築山(つきやま)の陰(かげ)を過(すぎ)て、岩際(いわぎわ)のかくれに、一つの卵塔(らんたう)あり。ゆきてみるに、石(いし)を以(もって)、四辺(しへん)の垣(かき)となし、同じく、青(あを)めの石にて、卵塔(らんとう)の戸(と)びらを立(たて)たり。その扉(とびら)の合(あはせ)めに、小袖(こそでの)の<ママ>裾(すそ)少みえたり。頓(やがて)て<ママ>、大勢(おほぜい)立(たち)かゝりてひらきみるに、さも結講(けつかう)なる棺(くわん)に、一具(ぐ)の骸骨(がいこつ)をいだきて、常高(つねたか)前後(せんご)もしらず伏(ふし)たり。郎等(らうとう)ども、肝(きも)をけす。

「おどろかすは、何者(なにもの)なれば、わが遊興(ゆふけふ)を妨(さまた)ぐるぞ。遺恨(いこん)なれ」

と、太刀(たち)に手をかけしを、漸々(やう/\)と取(とり)こめて、本城(ほんじやう)にうつし、扨、その墓(はか)をほりこぼちて、悉(こと%\)く取(とり)あつめ、焼捨(やきすて)たり。

 常高(つねたか)は、心(こゝろ)ばう%\と成(なり)て、人心(ひとごゝ)ちなかりしを、とかくいたはりければ、月を越(こへ)て、人心(ひちごゝ)ち出来(いでき)けり。されども、此(この)事(こと)、つゝむとすれど、世(よ)につたへて、嘲(あざけ)り笑(わら)ひけるを、口惜(くちおし)き事に思ひて、其後(そのゝち)いくばくなく、浜田(はまだ)の合戦(かつせん)に、比類(ひるい)なき働(はたらき)して、其身(そのみ)も討死(うちじに)しけるとかや。

  堀江(ほりえ)長七逢(あふ)孤妖情(きつねのようせいに)

 中比(なかごろ)、尾張国(をはりくに)金山(かなやま)のほとりに、堀江(ほりえ)何某(なにがし)といふ者(もの)あり。家(いゑ)とみ、ゆたかにして、けんぞく数十人を扶持(ふち)して、近隣(きんりん)を領(れう)し、そこばくの林地(りんち)をひかへたり。

 然(しか)るに、一人の息(そく)あり。名(な)を長七(ちやうしち)と名づけて、いつきけり。器量(きりやう)やさしく、情(なさけ)ふかく、手跡(しゆせき)つたなからず。家(いゑ)ゆたか成(なり)ければ、をのづから、ゆうにそだちける。よはひすでに廿(はた)とせに及(および)しかば、

「いかなる妻(つま)をも迎(むか)へばや」

と、父母(ちゝはゝ)これを願(ねが)ふといへども、明暮(あけくれ)色(いろ)をこのみて、更(さら)に心にまかせず。

 春の半(なかば)より、らう/\と成(なり)て、さらに人にも逢(あは)ず。一間(ひとまに)とぢ篭(こもり)、常(つね)は筆(ふで)をとりて詠吟(ゑいぎん)し、艶書(えんしよ)を書(かき)、たま/\人の立(たち)いれば、これをかくす。又、おり/\おさなき女(をんな)の声(こゑ)して、語(かた)る事あり。人、ひそかにのぞきみるに、更(さら)に形(かたち)ちなし。その物語(ものがたり)は、中立(なかだち)の使(つかひ)をなすの詩(ことば)也。

 かやうにする事、廿日(はつか)計(ばかり)過(すぎ)て、長七忽(たちまち)に所在(しよざい)を失(うしな)ふてみへず。父母(ちゝはゝ)けんぞく、大きに嘆(なげ)きて、住(すみ)し跡(あと)を見るに、ひたすら艶書(ゑんしよ)計(ばかり)なり。反古(ほんご)に

  草(くさ)の戸(と)をひらきもあへず梅(むめ)が香(か)のにほひもつらき独(ひとり)ねのとこ

  涙川(なみだがわ)逢瀬(あふせ)もしらぬ身をつくしたけなす程(ほど)に成(なり)にけるかな

とぞ書(かき)たりける。家(いゑ)こぞりてふしぎに思ひ、

「若(もし)いかなる恋路(こひぢ)にまよひ、いづ方(かた)へか行(ゆき)けん」

と、数(す)十人の者共(ものども)を、八方(はつほう)へ走(はし)らかし、尋(たづね)求(もとむ)るに、更(さら)に行方(ゆきかた)なし。

「せめてはなきがら成(なり)とも、いかなる山野(さんや)淵川(ふちかわ)にもあらば、なからん姿(すがた)なりともみばや」

と、さま%\に尋(たづね)くまなくさがせどもなし。

 こゝに、ある貴(たうと)き聖(ひじり)の、常(つね)にこの家(いゑ)に出入(いでいり)しけるを、招(まね)きよせ、

「いかがせん」

と語(かた)るに、此(この)僧(そう)聞(きゝ)て、

「人力(にんりよく)の及(およば)ざる事は、仏神(ぶつしん)をたのみ奉(たてまつ)るにしくはなし。年比(としごろ)その人信心(しん%\)あれば、観世音(くわんぜおん)の尊像(そんぞう)をきざみ奉(たてまつ)るべし」

と誓(ちか)ひて、栴檀(せんだん)の木(き)、長七がたけに切(きり)て、これを仏壇(ぶつだん)に建置(たてをき)、普門品(ふもんほん)を読誦(どくじゆ)し、礼拝(らいはい)祈誓(きせい)す。さるほどに、十三日を経て、長七其(その)家(いゑ)の蔵(くら)の下より、忽然(こつぜん)と出来(いできた)る。顔色(がんしよく)憔悴(せうすい)し、ひとへに黄病(くわうびやう)をやめるものゝごとし。其(その)土蔵(どざう)石垣(いしがき)の敷板(しきいた)の間(あいだ)わづかに三四寸、中々(なか/\)人の身を入べきやうもなきに、其(その)中(なか)より這(はひ)出たり。父母(ちゝはゝ)をはじめ、みな/\驚(おどろき)あやしめり。

 帰(かへ)るやいなや、打臥(うちふし)ぬ。漸々(やう/\)四五日過(すぎ)て、人心ちつきて語(かた)りけるは、

「吾(われ)、日比(ひごろ)ひとり居(ゐ)をうれへ、あはれ、心に叶(かな)ふ妻(つま)もがなと、常(つね)に心に思へり。或日(あるひ)、一人(ひとり)のうつくしき女(め)の童(わらは)、文(ふみ)を菊(きく)の花(はな)につけて持来(もちきた)り、

『我等(われら)がたのみ奉(たてまつ)る姫君(ひめぎみ)の、殿(との)を恋(こひ)わびて、文(ふみ)を忍(しの)びてわたし奉(たてまつ)れと仰(おほせ)有し』

と、一通(つう)の玉章(たまづさ)をわたす。我ひらきてみれば、心(こゝろ)詞(ことば)みやびやかにして心ちまどひ、歌をよみ文をかきて書通往来(しよつうわうらい)数(かず)をしらず。

 一日あじろのぬりかごをかきて来り、我(われ)をむかふ。前後(ぜんご)の侍(さむらひ)四人、ゆく事数(す)十里(り)、野山(のやま)をこえて、大なる屋形(やかた)に入、老(おひ)たる女性(によしやう)ありて、

『よくこそわたらせ給ひつる。姫君(ひめぎみ)待(まち)わびさせおはします。こなたへいらせ給へ』

と、我(われ)をみちびき、殿中(でんちう)にいざなふ。其体(てい)、国主(こくしゆ)郡司(ぐんじ)のごとし。多(おほく)のまをこへ、奥(おく)の一間(ひとま)に<挿絵見開き1丁>入たり。綾(あや)の帳(ちやう)をかゝげ、四方(はう)みな、色々(いろ/\)の花鳥(くわてう)を絵書(ゑがき)かざれり。暫(しばらく)ありて、珍膳(ちんぜん)をすゝむ。かの姫(ひめ)、ゆう/\と出給ふをみれば、容貌(ようばう)衣服(いふく)、中々(なか/\)詞(ことば)にものべがたし。蘭麝(らんじや)あたりを薫(くん)じ、天上界(てんじやうかい)に至(いた)るかと、心も空(そら)に成(なり)たり。中夜(ちうや)燭(しよく)を背(そむ)けて、帳中(ちやうちう)に入て交(まじは)る。肌(はだへ)雪(ゆき)のごとく、そのおもしろ[き]事、死(し)するとも悔(くや)まず。ひるは則(すなわち)酒宴(しゆゑん)をなし、夜(よる)は同(おな)じくぬる。ひよく連理(れんり)のかたらひ浅(あさ)からず。

 年月を経(へ)て、遂(つい)に一男(いちなん)を産(うむ)。利根(りこん)発明(はつめい)にして、かたちうつくしく、明暮(あけくれ)いだきかゝへ、膝(ひざ)をおろさず、居(お)る事三年にして、忽(たちまち)一人(ひとり)の異俗(いぞく)あり。頭(かしら)に金甲(きんかう・こがねのかぶと)を着(ちやく)し、そのさま四天(してん)のごとく也。一つの杖(つえ)を持(もち)、殿中(でんちう)に至(いた)る。姫(ひめ)をはじめ、局女房(つぼねにようばう)こと%\く逃行(にげゆき)たり。

 又、杖を以、わが背中(せなか)を突(つく)。我せばき所(ところ)よりして、出て跡(あと)をみれば、まさしく家(いゑ)の蔵(くら)の下なり」

と語(かた)る。

 人々不思義(ふしぎ)の思ひをなして、則(すなわち)かの蔵(くら)をこぼちほりてみるに、狐(きつね)数(す)十疋(ひき)、おどろき走(はし)り、逃(にげ)さりぬ。蔵(くら)の下土(したつち)の上に、長七がいねたる跡(あと)あり。わづかに十三日の間(あいだ)を、みとせを過(すご)すと思へり。蔵(くら)の板敷(いたじき)の下、三四寸の高(たかさ)さを、大家(たいか)高殿(かうでん)と見せつるも、みなこれ妖狐(ようこ)のたぶらかしたる也。

 誠(まこと)に、大悲菩薩(だいひぼさつ)の霊威(れいゐ)、いまに始(はじめ)ぬ事ながら、既(すで)に、狐(きつね)の穴(あな)に死(し)せむとしけるを、救はせ給ふ。有難(ありがた)かりしためし也。

  行脚僧(あんぎやそう)治(おさむる)亡霊(ばうれいを)事

 近(ちか)き比、ひとりの遁世者(とんせいじや)あり。もとはひえい山(ざん)そだちにて、天台(てんだい)の奥旨(おうし)を究(きわ)め、学匠(がくしやう)の聞え有けるが、連歌(れんが)の道(みち)にも達(たつ)しけるが、ふと思ひ立(たつ)て、西国(さいごく)行脚(あんぎや)しけるに、肥後国(ひごのくに)の片里(かたさと)に、さもと覚しき寺(てら)の、軒(のき)もまばらにあれ果(はて)て、草(くさ)は道(みち)を埋(うづ)み、戸(と)さしをのづからひらきたるに、さし入てみれば、松のあらしに塵(ちり)を払(はら)ひ、こぼれ落(おち)たる窓(まど)の内には、人一人もなし。

「いかなる所(ところ)やらむ」

と、里(さと)人にとへば、

「そのかみ、養興寺(やうこうじ)とかや云(いひ)て、めでたき寺(てら)にて、僧衆(そうしゆ)もあまたにぎはひ、詩歌(しいか)の翫(もてあそ)び、遠里(ゑんり)遠村(ゑんそん)の数奇(すき)人多(おゝ)く集(あつま)り、月次(つきなみ)の連歌(れんが)などして、繁昌(はんじやう)の地(ち)なりしが、いつの比よりか、ふしぎどもありて、人更(ひとさら)にすまず。かく年(とし)/\に荒(あれ)侍る。いまも、たま/\望(のぞみ)て入来る人しもあれば、二夜(ふたよ)をかさねずして逃帰(にげかへ)る。御僧(おそう)も修業者(しゆぎやうしや)とみえたり。心(こゝろ)見に、行(いき)てやどりて見給へ」

と語(かた)れば、

「それこそかゝる身に望(のぞ)み侍る事なれば、こよひは此(この)堂(だう)にあかすべし」

と申せば、

「さもあらば、結縁(けちえん)し侍らん」

とて、食(しよく)じなどあたへて、かの寺(てら)に送り、

「明(あけ)なば問(と)ひ侍らん」

とて帰(かへ)りぬ。

 此僧(このそう)は、中(なか)の間(ま)とおぼしき所にいろりの侍るに、あたりの柴木(しばき)こりあつめて、焼火(たきび)なんどして、何(なに)となく心をすまし、

「さるにても、いかなるふしぎかあるらん」

と思て、物をまつ心ちにてゐたるが、漸々(やう/\)夜半(やはん)まで、さしたる事もなければ臥(ふし)ぬ。

 夢(ゆめ)まつほどのうたゝねに、枕(まくら)をかたぶけて聞(きけ)ば、客殿(きやくでん)とおぼしき方(かた)に、あまた人音(ひとおと)して、追々(おひ/\)に戸(と)を明て来(くる)る<ママ>音あり。「是こそ」と思ひて、障子(しやうじ)の透(すき)まよりさしのぞきみれば、座上(ざじやう)には、四十余(よそぢあま)りの半俗(はんぞく)、素絹(そけん)の衣(ころも)の、すそみじかなるを着(ちやく)し、二八斗(ばかり)の児(ちご)清(きよ)らかなるが、前(まへ)に卓(たく)をひかへてあり。扨(さて)、或(あるひ)は上下(かみしも)、又は白衣(びやくゑ)の者共七八人も円居(まどゐ)いたり。猶入来(なをいりきた)れる者(もの)もおなじ体(かたち)なり。

「何(なに)事をおこなふやらむ」

と、守(まも)り居(ゐ)たるに、連歌(れんが)の体(てい)と見へて、次第(しだい)に一順(いちじゆん)廻(まは)りける程(ほど)に、

  舟のうちにて老(おひ)にけるかな

と云(いふ)句(く)に、何(なに)とか思けむ、とかく案(あん)じ入たる体(てい)にて、暫(しばら)くありて、

「かなしや」

と、一同(いちどう)におめきて、霜(しも)のきゆるごとくに跡方(あとかた)なし。又、暫(しばら)く有(あり)て、あらはれ出、まへの句に至(いた)り、同時(どうじ)にきゆる事、すべて隙(ひま)なし。

 此(この)僧(そう)、つく%\案(あん)じみるに、

「一定(いちでう)、この者(もの)ども、此句(このく)を付かねて、終(おは)りけるに、なを執心(しうしん)此地(このち)に留(とま)り、うかびもやらでまよひぬるよ」

と思へば、不便(ふびん)の事に思ひて、

「何(なに)とぞ能句(よきく)をつらねて、罪(つみ)をたすけばや」

と思ひて、かさねて顕(あらは)れ出て、前(まへ)のごとくに句(く)を打出(うちいだ)しける時、

  浮草(うきくさ)の筧(かけひ)の水にながれきて

と大音(だいおん)にて付出しければ、各(をの/\)大きに感(かん)じ、よろこびて、手(て)を合(あはせ)、拝(はい)して、

「我々(われ/\)は、むかしこの所(ところ)にて、月次(つきなみ)の連歌(れんが)しける者どもなりしが、此(この)句を付煩(つけわづ)らひて月日を送(をく)るほどに、斗(はか)らざるに、世のさはがしき事出来て、をの/\身(み)まかり、一朝(いつてう)の煙(けぶり)となる。其(その)執心(しうしん)、此(この)地(ち)に残(のこ)りて、加様(かやう)にくるしみにしづみけるほどに、しかるべき名師(めいし)にもあひて、罪(つみ)をさんげして、苦海(くかい)をも離(はな)べきと、姿(すがた)をまみえて顕(あらは)れ出しに、はかなくも、我等(われら)に恐(おそ)れ、人すまぬ地(ち)とあれはて、うかぶ世もなきくるしみを、忽(たちまち)に、一句の秀逸(しういつ)にて、をの/\苦海(くかい)を出し事のうれしさよ」

とて、千たび礼拝(らいはい)して、

「この寺(てら)を、僧(そう)に送りまいらする。此(この)後(のち)、守りの神(かみ)となりて、永(なが)く魔障(ましやう)のさまたげをのぞき侍らむ」

と、かきけすごとくにうせにける。

 夜(よ)もすでに明(あけ)ければ、里(さと)人をの/\かけきたりて、

「いかなる事か侍りけむ」

と問(と)へば、ありし事ども委(くはし)く語(かた)りければ、里人(さとびと)をの/\肝(きも)をけし、

「その亡者(もうじや)どもは、皆(みな)此(この)里(さと)の者(もの)どもの先祖(せんぞ)なりしが、連歌(れんが)をこのみ、身まかりしが、扨は、その執心(しうしん)のこりて、かゝるありさまを現(げん)じけるを、有難(ありがた)くも助させ給ふものかな」

と、をの/\よろこび、かつごうして、此(この)寺(てら)の中興(ちうこう)として、近里(きんり)の者(もの)どもよりあひ、もとのごとくに建立(こんりう)して、ながく寺門(じもん)をかゝやかしけるとぞ。

多満寸太礼巻第七

  目録

万石長者(まんごくちやうじや)の事

望海(ばうかい)二女(じぢよ)の情(なさけ)

龍法坊(りうほうばう)拝(はいする)七星(しちせいを)事

花木弁論(かほくのべんろん)并貧福問答(ひんふくもんだう)

多満寸太礼巻第七

        万石長者(まんごくちやうじや)の事

 中比(なかごろ)、安芸(あき)の宮嶋(みやじま)のほとりに、一人のさすらへのはてあり。何某(なにがし)の入道とかやいひて、いとやむ事なき人なりしに、父(ちゝ)は朝家(てうか)に不孝(かう)の事侍りて、かの国に移(うつ)されて住(すみ)佗(わび)しに、独(ひとり)の娘あり。容顔(ようがん)ならびなく、美麗(びれい)なりしかど、いかなる杲去(くわこ)の宿業(しゆくごう)にや、言(ものいふ)事なくて、〓(おし)にてなむ有ける。父(ちゝ)の入道も、本意(ほい)なき事に思ひて、

「かゝる異様(ことやう)なる者、人に見すべきにもあらず」

と、とし月を送(をく)るに、父母さへうちつゞきて失(うせ)にしかば、たよりなぎさの捨小舟(すてをぶね)。よるべもあらぬ身のさまを、めのとの女房、かひ%\しく養育(やういく)しける。朝(あした)には、孤館(こくわん)にゐて涙(なみだ)をながし、暮(くれ)には、孫庇(そんひ・まごびさし)にはらわたをたつ。

 かゝりしほどに、同じほとりに、滋野某(しげのゝなにがし)といへる武士(ぶし)あり。嫡子(ちやくし)十郎元方といひて、勇士(ゆうし)の誉(ほまれ)ありて、器量(きりやう)勝(すぐ)れたる若者有しに、或時(あるとき)遊臘(ゆふれう)のため、かの所にさまよひありきけるに、蛾眉(がび)のよそほひを、物のひまよりかいまみて、ひそかにかよひそめけるほどに、互(たがひ)に契(ちぎ)りあさからず。よろづ、はしなく語(かた)らひける程(ほど)に、此女、惣(そう)じて物いはず。初(はじめ)のほどこそ「つゝましきにや」と思へども、

「何とてさのみ口なしの、木幡(こはた)の里の与所(よそ)ならで、かばかり恥(はぢ)らひ給ふぞ」

とかこたれて、心うちにうごき、涙(なみだ)外にあらはれければ、男、もはやこゝろ得て、

「人はこたへぬむつごとを、いつまで吾(われ)はいわつゝじ。いはねばこそあれ恋しさの、かはる心はなけれども、秋(あき)もはてなであだし野の、かれ%\にこそ成にけれ」

女は又、

「忍車(しのびぐるま)のうき思ひ、片輪(かたわ)なりとてこざりけむ」

と、心のうちの身のうさを、やるかたなさのあまりに、めのとを具足(ぐそく)し、いつく嶋(しま)の明神(みやうじん)にぞ参(まい)りける。

「わがこの病(やまひ)を転(てん)じて、ものいわせてたび給へ」

と、一心に祈誓(きせい)して、朝(あした)には、三十三度(ど)礼(らい)をなし、五体(たい)を地になげ、夕(ゆふべ)には、卅三度の花(はな)をそなへ、丹精(たんせい)をそなへて歎(なげき)ける。六日に当(あたつ)て、錦帳(きんちやう)の内より、童子(どうじ)一人出給ひ、蓮花(れんげ)を一葉(よう)、口の内へ入給ふと夢(ゆめ)をみたり。驚(おどろき)て、

「所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)すべし」

と、貴(たつと)く思ひける所に、宮中山(みやなかやま)に、円成坊(ゑんじやうばう)阿闍梨(あじやり)とて、大験(たいけん)の聖(ひじり)有けるが、同じく参篭(さんらう)し給ひ、彼女の苦行(くぎやう)せしを見給ひ、

「おことは何事(なにごと)をか祈(いの)り申させ給ひ候や」

と、問(とひ)給へば、めのと、ことのよしをこま%\と語(かた)りければ、阿闍梨宣(のたま)ひけるは、

「我ひとへに、衆生(しゆじやう)利益(りやく)の為に行者となる。何ぞ人の愁(うれへ)を助(たすけ)ざらんや。大聖(だいしやう)の御前にて、速(すみやか)に加持(かぢ)し奉らん。法花の妙用(めうよう)、聾(りう・つんぼ)・盲(もう・めくら)・瘟(おん・おし)・〓(あ)、諸根(しよこん)不具(ふぐ)は、此経を謗(そし)れる逆罪(ぎやくざい)なり。いかに況(いはん)や、其趣(おもむき)を説(とき)きかせんをや」

と、念珠(ねんじゆ)おしもむで祈られける。此女、忽(たちまち)口より淡(あは)を吐(はく)事(こと)一時斗ありてのち、ものをいふ事を得たり。女なく/\阿闍梨(あじやり)を拝(はい)し、心斗のしるしにとて、馬悩(めなう)のじゆず奉る。阿闍梨これをとりて、本山(ほんざん)に帰(かへ)り給ひけり。女は猶(なを)明神に仕(つか)へ奉りけり。

 さるほどに、彼(かの)男は、女の失(うせ)にしと聞(きゝ)て、今は中々哀(あはれ)にかなしく、

「したふ涙(なみだ)も唐(もろこし)や、芳野(よしの)の山のおくなりとも尋(たづね)む」とのみぞ思ひける。思ひのあまりに、

「此上は、遁世修行(とんせいしゆぎやう)の身となりて尋(たづね)ばや」

と思ひたち、年比教化(けうけ)を受(うく)る円成坊(ゑんじやうばう)に詣(まふで)けるに、彼(かの)馬悩(めなう)の念珠(ねんじゆ)を、檀(だん)のうへに置れたり。ふしぎに思ひ、よく/\みれば、年比馴(なれ)し人の玉の緒(を)なれば、涙の露(つゆ)もくり返し、事の謂(いわ)れを聞ば、主(あるじ)の僧(そう)、

「此(この)念珠(ねんじゆ)は、さりし比、いつく嶋の神前(しんぜん)にて、〓(おし)の女ありしを、祈(いの)りなをして、ものいはせ侍しをよろこむで、其女性(によしやう)の布施(ふせ)したり」

とぞ、答(こた)へ給へば、<挿絵半丁>

「扨、その女性(によしやう)は何方(いづかた)へ行侍りぬらん」

といへば、

「明神(みやうじん)にこもれり」

と、語(かた)り給ふ。此おとこ、さあらぬ体(てい)にていとま乞(こひ)、厳嶋(いつくしま)に尋(たづね)いり、彼女に行逢(ゆきあひ)て、わが身の科(とが)をかなしみければ、女も又、過(すぎ)にし恨(うらみ)を語りて、互(たがひ)に袖(そで)をしぼり、各明神を恭敬(くげう)して帰りける。

 かくて、領家(れうけ)の何がし、此女房の翠黛紅顔(すいたいこうがん)を伝へきゝ、「いかにもしてこれを得む」とぞ思はれける。これによりて、彼(かの)元方(もとかた)にしたしみ、遊宴(ゆふゑん)に事よせて、弓の勝負(せうぶ)を決(けつ)しける。国司(こくし)のたまひけるは、

「我方負(まけ)たらば、百両の金(こがね)をあたふべし。汝(なんぢ)負たらば、妻女(さいぢよ)をあたへよ」

と、やくそくしてけるに、本(もと)より元方、名を得たる達者(たつしや)なりければ、かけ鳥草鹿(くさじゝ)、ともに領家(れうけ)の者ども、双(なら)ぶものなかりけり。則、勝負(せうぶ)に勝(かち)ければ、百両の金(こがね)をぞ取たりける。

 国司(こくし)、本意(ほい)なき事に思ひ、重(かさ)ねて、

「我、最上(さいじやう)のすまふ持たり。汝(なんぢ)と合(あは)せん。若(もし)わが方(かた)負(まけ)たらば、当国(たうごく)の海(かい)貢を永代(ゑいたい)参らすべし。我方(わがかた)勝(かち)たらば、汝(なんぢ)か妻(つま)をとるべし」

と、約束(やくそく)して、相撲(すまふ)をとつたりける。元方(もとかた)は、ひとへに明神(みやうじん)の応(おう)護を念(ねん)じ、一心(いつしん)に祈誓(きせい)をしける。国司(こくし)のすまふには、近国(きんごく)に名を得(ゑ)たる、あらかねの仁王(にわう)といへる上手(じやうず)なり。扨(さて)、庭(には)におりたち、取(とり)あふたりけるに、手(て)にもためず、三番(ばん)まで投打(なげうち)たり。国司(こくし)大に色(いろ)を損(そん)じ、

「誰(たれ)かある。今一番(ばん)」

と、怒(いか)りけるに、泊(とまり)七郎とて、おしゆく船(ふね)のへさきをつかむで、挙(あぐ)るほどの大力(たいりき)、

「主(しう)の大事(じ)こゝなり」

と、ひたゝれの袖(そで)引(ひき)ちぎるや、をそきと飛(とん)で出(で)たり。元方(もとかた)、両(りやう)の肩先(かたさき)をとらへて、犬居(いぬい)にどうと押付(おしつけ)たりければ、忽(たちまち)すくみてはたらかず。とらへし手のあと、二三寸に元入たり。此(この)勢(いきほひ)に怖(おそ)れて、誰(たれ)出逢者(いであふもの)なし。終(つゐ)にすまふにかちけれは、ぜひなく海貢(かいぐ)のゆるし文(ぶみ)を書(かき)てあたへ給ふ。

 此(この)後(のち)は、いよ/\富貴(ふうき)の身となり、数百(すひやく)のけんぞくを召(めし)つかひけり。国司(こくし)も、口惜(くちおし)き事に思ひ、忍(しの)びてかれをうつべき用意(ようい)ありと聞(きゝ)て、元方(もとかた)一期(いちご)の大事(だいじ)と思ひ、ひそかに都(みやこ)へ忍(しの)びのぼり、件(くだん)のあらましを奏聞(そうもん)しければ、国司(こくし)の非道(ひだう)顕(あら)はれ、やがて流(なが)されたまひし。

 さるほどに、元方(もとかた)は、いよ/\富(とみ)さかえ、男女(なんによ)十人の子をまふけ、をの/\千石(せんごく)づゝの地(ち)をあたへて、万石長者(まんごくちやうじや)と謂(いわ)れしは、此(この)元方(もとかた)が事なりけるとかや。

 是(これ)も、ひとへに厳嶋(いつくしま)の御利生(ごりしやう)方便(はうべん)あさからずとぞ感(かん)じける。

  望海二女(ばうかいじぢよ)の情(なさけ)

 建久(けんきう)の比(ころ)、伊豆(いづ)の御崎(みさき)の海辺(かいへん)に、三木入道(みきのにうだう)静永(じやうゑい)といへる、富貴(ふうき)うとくの者(もの)あり。常(つね)に売米(うりまい)をもつて業(わざ)とす。

 只(たゞ)、娘(むすめ)二人有。姉(あね)を蘭(らん)といひ、妹(いもと)を〓(けい)と名づけ、いかなる故(ゆへ)にか、おさなき比より聴明(ちやうめい)秀麗(しうれい)にして、手跡(しゆせき)ならびなく、和歌(わか)文章(ぶんしやう)に妙(めう)を得て、一をきゝて十をさとる。

 其(その)屋(をく)の後(うしろ)の海岸(かいがん)に、かけづくりの大家(たいか)をかまへ、なづけて望海楼(ばうかいろう)と云(いふ)。誠(まこと)に、眺望(ちやうまう)かぎりなく、南海(なんかい)遙(はるか)に、天(てん)につらなれり。

 伊豆(いづ)の大しまもまの前に、春(はる)は一片(いつへん)の霞(かすみ)白浪(はくらう)をつゝみ、夏(なつ)は納涼(とうりやう)のたのしみ、秋(あき)は海月(かいげつ)の詠(なが)め、冬は一しほ浦(うら)さびて、かの貫之(つらゆき)の詠(ながめ)にも、

  霜(しも)だにもおかぬかたぞといふなれど波(なみ)の中には雪ぞふりける

又、東坡(とうば)が

  魂(たま)飛(とび)て、雪州(せつしう)に咤(たく)す

といへるも、目前(もくぜん)にうかび、心も詞(ことば)も及れず。出入の舟(ふね)の有(あり)さま、あら磯(いそ)の汀(みぎは)に、黒(くろ)き鳥(とり)の、いくらともなくむれ居(ゐ)るに、しら浪(なみ)の隙(ひま)なく打よするけしき、

「白浜(しらはま)に、すみの色なるしまつとり、筆(ふで)の及(およ)ばゝ」

と云(いひ)しもさる事ぞかし。

 かの高楼(かうろう)の四壁(しへき)に、当世(たうせい)名を得(ゑ)し、何がしとかやが書(かき)し松桜(まつさくら)を、透(すき)まもなくかきつらねたり。適々(たま/\)入てみしもの、あたかも春風(しゆんふう)の室(しつ)に入がごとし。

 ふたりの娘(むすめ)、明暮(あけくれ)こゝにありて吟詠(ぎんゑい)やまず。四季(しき)の和歌(わか)数百首(すひやくしゆ)をつゞりて、望海集(ばうかいしう)と名づく。この道の数奇(すき)もの、往々(おう/\)にこれをつたへてもてはやせり。

 又、同じほとりに、一竹堂(いつちくだう)といへる隠者(ゐんじや)、虚海集(きよかいしう)といへる、和歌(わか)文章(ぶんしやう)をあみて、かの二女(じぢよ)のあめる望海集(ばうかいしう)をなんはす。二女(じぢよ)、これをつたへみて、笑(わらつ)て、かさねて、横竹集(おうちくしう)といへる草子(さうし)をつくりて、返答(へんたう)す。これより、いよ/\近国(きんごく)にその名(な)高(たか)く、まみえもとめん事を思へり。

 爰(こゝ)に、おなじ国(くに)下田(しもだ)といひし所(ところ)に、入江喜藤五(いりゑきとうご)と云(いふ)もの有。かれが次男(じなん)に、長次といへるやさもの有。かれらも同じ商人(あきうど)にて、数百石(すひやくこく)の米石(べいこく)を舟に積(つみ)て、日夜(にちや)運送(うんそう)しける。

 或時(あるとき)、長次、舟(ふね)の支配(しはい)して、御崎(みさき)に舟泊(ふなどま)りしけるが、折ふし風あれて、数日(すじつ)此(この)浦(うら)にとゞまる。本(もと)より静永(じやうゑい)、父(ちゝ)の喜藤五(きとうご)とはしたしき中なれば、日毎(ひごと)に入道(にうだう)これをもてなし、我(わが)子(こ)のごとく奔走(ほんさう)す。長次、としいまだ廿斗(はたちばかり)、気質(きしつ)温和(おんくわ)にして、形(かた)ち人に勝(すぐ)れ、情(なさけ)又ふかし。

 折から、夏(なつ)の夕暮(ゆふぐれ)、舟(ふね)にかへりて湯(ゆ)あみするを、ふたりのむすめ、楼(ろう)の上(うへ)より遙(はるかに)にこれをみて、堪(たへ)ずや思ひけん、熟瓜(じゆくくわ)ふたつをなげ送(をく)る。長次かねてより心に忘(わす)れず、又今(いま)の情(なさけ)、かた%\その心をかよはすといへども、あふのきみれば、書院(しよゐん)高(たか)く、身(み)に羽(はね)を生(しやう)ぜざれば、飛行(ひぎやう)の手足(てあし)もなし。已(すで)に夜(よ)もふけ、波(なみ)静(しづか)に、月海上(かいじやう)に出(いで)て、四方(よも)晴(はれ)わたり、何となく舟屋形(ふなやかた)の上にのぼり、吹(ふき)くる風(かぜ)に身(み)をゆだね、茫然(ばうせん)としていたるに、帯紐(おびひぼ)をむすびあはせて、大きなる篭(かご)につけさげたり。長次大きによろこび、これにのりて登(のぼ)る。互(たがひ)にかよふ心の下紐(したひぼ)とげて、打(うち)かたらひ、

  世/\かけて契(ちぎ)る心はかたくとも命(いのち)のうちにかはらずもがな<挿絵見開き1丁>

〓(けい)すこしうちかたむきて、

  いつはりと思ひながらや契(ちぎ)るらんかねてしらるゝまことならねば

とよみて、かこちければ、長次おさなき此(ころ)より山寺(やまでら)にのぼりて、詩文(ぶん)のみ好(このみ)て、更(さら)に和歌(わか)の道(みち)はうとかりけるに、此(この)返(かへ)しゑせぬ事をふかく恥(はぢ)て、一詩(いつし)を題(だい)して曰、

  誤(あやまつて)入(いり)蓬山(ほうざん)頂上(てうじやう)来(きたり)

  芙蓉(ふよう)苟薬(しやくやく)両辺(りやうへん)開(ひらく)

  此(この)身(み)得(う)似(にたるを)愉(ぬすむ)香(かを)蝶(てうに)

  遊戯(ゆうげして)花叢(くわさう)日(ひゞに)幾廻(いくばくぞ)

すでに暁(あかつき)に致(いた)れば、また篭(かご)にのりて、帰(かへ)り下(くだ)る。これより夜ごとに逢(あひ)ぬ。二人の吟詠(ぎんゑい)、多(おほ)くしるすにいとまなし。

 ある夜(よ)、長次がいわく、

「我(われ)はからずも、君が情(なさけ)に引(ひか)れて日かずを送(をく)る。此(この)事(こと)入道殿(にうだうどの)にもれ聞(きこ)え、たがひにへだてられなば、いと恥(はづ)かしきうきめにあひ、君がため、身のため、かた%\いかゞせん。明日(あす)はとく舟(ふな)出すべし。さもあらば、又いつとかごせん。再会(さいくわい)はかり難(がた)し」

と、涙(なみだ)をながせば、ふたりの娘(むすめ)も茫然(ぼうぜん)として、

「君(きみ)を爰(こゝ)にいざなふ事、わが身のつみ、いはん方なし。然(しか)れども、互(たがひ)の情(なさけ)に、おやの結(むす)ばぬゑにしをなす。たとへ、いかなるうきめを見、いかなる責(せめ)にあふとも、いかでか情(なさけ)を忘(わす)れん。ながく君(きみ)が妻(つま)となりて、諸(もろ)共にゆく末(すへ)を契(ちぎ)らん。今更(さら)、いかにかくはへだて給ふ。親(おや)のいさめ、世のそしりをうくるとも、外(ほか)の情(なさけ)は思ひたえ侍る。若(もし)ふかく罪(つみ)をうけば、身(み)をなきものにして、ながき後(のち)の世をこそちぎり参(まい)らすべけれ」

と、なく/\すがれば、さすが見すてがたくて、ひとひ二日と暮(くら)すほどに、喜藤(きとう)五文をこして、長次をふかくいましめ、家(いゑ)に帰(かへ)らしむ。

 其後、蘭(らん)これをふかく嘆(なげ)き、終(つい)に病(やま)ひの床(ゆか)にふしければ、いもと、さま%\これをいさめ、

「御(おん)命だにながらへば、又の逢瀬(あふせ)のなかるべきかは」

と、ひたすらに力をそへぬれども、しだひにおとろへ、今はのきわになれば、父(ちゝ)母大きにおどろき、跡枕(あとまくら)にたちそひ、泣(なき)かなしむ事、限(かぎ)りなし。蘭(らん)やう/\くるしき息(いき)をつぎ、

「わが身不幸(こう)にして、此世をはやふす。いまは妄執(まうしう)の障(さは)りともなれば、つゝみ候はず。去(さり)し夏(なつ)の比(ころ)、かう/\のこと侍れども、そこたちの御心、又は身を歎(なげ)きて、二たび音信(おとづれ)もなく、いかに成(なり)給ひしぞと、首尾(しゆび)の間もなく、わするゝ時(とき)なく、かやうに成侍る。妹(いもうと)を必(かならず)しも、かの人にあはせて、わがなき跡(あと)をもとはせ給へ」

と、なく/\語(かた)り、いきの下よりかくよみける、

  思ひきや逢(あふ)はむかしのうつゝにてそのかねごとを夢(ゆめ)になすとは

  けふのみとかぎるいまわの身なれども思ひ馴(なれ)にし夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)

両手をあはせて、ねふるがごとくになりぬ。父(ちゝ)母けんぞくに至る迄(まで)、泣(なき)さけべどもかひなし。

「いかにふかくつゝみて、いまゝでしらざりしことの悔(くや)しさよ。わが子の思はん人、いかにつらく思ふべし」

とて、うちふし/\なげゝども、叶(かな)はぬ無常(むじやう)のみち。さま%\の仏(ぶつ)事をなして、七日/\とねんごろに弔(とふ)らひぬ。

 入道心に思ふやう、長次が心ざしやさしく、身(しん)上又あいひとしければ、此あらましを念(ねん)比に書(かき)て、長次が父(ちゝ)に送(をく)る。喜藤五(きとうご)も哀(あはれ)にひかれて、云にまかせて長次を送(をく)る。入道多(おほき)によろこび、二たび娘(むすめ)の帰(かへ)り来る心地して、急(いそ)ぎ吉日をえらび、婚姻(こんゐん)をとゝのふ。姉(あね)は年廿にしてうせ、長次は二十二、妹(いもうと)は十八にして、ながくいもせを語(かた)らひけるが、第(だい)三年に当(あた)りければ、長次一紙(し)の祭文(さいもん)をかきて、其端(はし)に、一連(れん)の詩(し)を詠(ゑい)ず。

  名花(めいくわ)両朶(りやうだ)色(いろ)偏(ひとへに)嬌(こびたり)

  愁傷(しうしやうに)落(おちて)一花(いつくわ)去(さること)遙(はるかなり)

  絶(はなはだ)似(にたり)章台(しやうだい)楊柳(やうりうの)樹(きに)

  独(ひとりは)残(のこつて)手裏(しゆりに)舞(ぶす)長条(ちやうでうを)

此後ながく家(いゑ)をおさめて栄(さか)へける。

 其比、都鄙(とひ)に聞えて、望海楼(ばうかいろう)の女文(ぶん)とて、貴賎(きせん)となくもてはやしける。近きほどまで、人のしりける事とぞ。

        龍法坊(りうほうばう)拝(はいする)七星(しちせいを)事

 去(さん)ぬる嘉禄年中(かろくねんちう)に、王城(わうじやう)の東に当(あた)りて、白気(びやつき)遙(はるか)に天にのぼり、よるは、その色(いろ)黄赤(わうしやく)にして、末(すへ)ながく、蒼天(さうてん)にむらがりたり。此気(き)、西(にし)は九(きう)州、東は奥州(おふしう)までみゆる。

「まことに、先例(せんれい)いまだ、かくのごときの事を聞ず」

と、家々(いゑ/\)の勘文(かんもん)陰陽師(おんやうし)、巷(ちまた)にはしり、近(きん)里遠村(ゑんそん)は勿論(もちろん)、遠国波〓(をんごくはたう)のうら/\まで、不思義(ふしぎ)をなさずといふ事なし。後(のち)は、此(この)光(ひかり)次第につよく、折(おり)/\ひかりを生(しやう)ず。諸(しよ)人、此気(き)を尋(たづ)ねみるに、粟(あは)田山の峰(み[ね])にあたり、いたゞきに大きなる穴(あな)出来(いでき)、その穴より此光(ひかり)出たり。数(す)万人立つどひみるに、此穴より風の出る事なゝめにして、小石(いし)をなげ入るに、吹(ふき)上て落(おち)ず。さらばとて、大きなる石に、縄(なわ)をつけておろしみるに、すべてはかりなし。此事いそぎうつたえければ、何(なに)とぞ人をして見せられんとしけるに、誰(たれ)いるべしと云者なし。

「さあらば、斬罪(ざんざい)の囚人(めしと)を入らるべし」

とて、僉義(せんぎ)有しほどに、爰(こゝ)に、龍法(りうほう)といへる法師、さがの辺(ほとり)に一寺(じ)を住持(ぢうぢ)したるに、余僧(よそう)の妬(ねたみ)によりて、犯戒(ほんかい)ある由(よし)を政(まん)所に訴(うつた)へられ、斗らずに牢獄(らうごく)の身(み)と成(なり)けるが、此僧(そう)つたへ聞て、

「我無実(むじつ)の科(とが)を受て、かくとらはれ、諸(しよ)人に恥(はぢ)をさらしはつべし。ひとへに、宿業(しゆくごう)とは云(いひ)ながら、身(み)を置(をく)にせんなし。しかじかの穴(あな)へ入て、早(はや)く死なんにはしかじ」

と、達(たつ)て望(のぞ)み申しかば、則(すなはち)、此者を入らるべしとて、大なる篭(かご)をつくり、あまたの石をおもりに付、大綱(つな)を千尋(ちいろ)つけて、かの穴へ入られけり。漸々(やう/\)に一時斗(ばかり)に、落付たるとおぼえて、縄たるみたり。相図(あいづ)の時をまちて、諸(しよ)人立(たち)つどひけるに、ろくろを以巻揚(まきあげ)たり。此僧(そう)、たゞ茫然(ばうぜん)として、色(いろ)を失(うしな)ひおる。

「いかなる事にや」

といへども、更(さら)にいらへもせず。只(たゞ)、

「急(いそ)ぎ政(まん)所へつれゆくべし」

といへば、則(すなはち)かきつらねて行(ゆき)けり。

 奉行(ぶぎやう)頭(とう)人対面(たいめん)して、

「いかなる事にや」

と問(と)へば、此僧(そう)申けるは、

「穴(あな)の中(うち)、一町ほども入たるとおぼしき時に、ほのかに日の光(ひかり)明らかなり。ふしぎに思ひて、あたりをみるに、大なる白砂(す)に落(おち)付たり。金銀を以ちりばめたる楼(ろう)門有。篭(かご)より出て、門のほとりによりてみるに、左右に、四天のごとくなる鬼形(きぎやう)の者数十人、十五六斗なる鬼童(おにわらは)を六七人からめ付、大なる三鈷(こ)杼(ちよ)を以、これをかはる%\打擲(てうちやく)す。其跡(あと)破(やぶ)れたゞれて、血の出る事甚(はなはだ)し。此鬼童(わらは)どもおめきさけぶ声(こゑ)、大地(ち)にひゞく。

 これをみて、あまりの怖(おそろ)しさに、遙(はるか)の片(かた)すみにかゞまり居(ゐ)たれば、一人の青衣(せいゑ)の官人来りて、

『御坊(ばう)こなたへ』

といざなふ。ぜひなく御階(みはし)のもとへうづくまり、遙(はるか)に簾(れん)中をみ入たれば、七人の帝王(ていわう)、をの/\いすに上りて、光明(くわうみやう)四方(よも)にかゝやけば、あまりの目(ま)ばゆさに、それとは見へず。かたはらなる官(くわん)人に、

『いかなる所(ところ)にて、天(てん)子の御(み)名は何(なに)と申侍るぞ』

と問(と)へば、官(くわん)人答(こたへ)て、

『爰(こゝ)は地界(ちかい)の中輪(りん)、星宿(せいしゆく)の司土(しと)なり。此七人の天子(てんし)こそ、七曜星(ようせい)の精霊(せいれい)にておはす。あらゆる星気(せいき)、皆(みな)此界(かい)に住(ぢう)し給ひて、別殿(べちでん)を造(つく)り<挿絵見開き1丁>てすませ給ふなり』

とぞ語りける。僧重(そうかさね)て、

『我きく、諸星(しよせい)はをの/\天に浮(うか)びて、いまだ地に下(くだ)らず。

いかにとしてか、此地にまします。又、門前の罪人(ざいにん)はいかなる者にて、かく罪(つみ)せられ候や。ねがはくは、示(しめ)し給へ』

と申せば、官人(くわんにん)聞(きゝ)て、

『其事也。惣(そう)じて諸星は、中天を主(しゆ)として、其世界(そのせかい)を別(べつ)にす。中にも七星(しちせい)は、中央(ちうわう)の大星(せい)、三千界の専(せん)星の第一なり。しかるに、近年天運(てんうん)逆(ぎやく)にして、五穀(こく)みのらず。飢饉(ききん)ゑきれい多く、人馬(にんば)道路(だうろ)にうへ死(し)ぬる事、其数(かず)あげてかぞへがたし。承久(せうきう)の初より、天下の政事(せいじ)すなをならず。国家(こくか)の政事絶(たへ)て、君(きみ)は臣(しん)を殺(ころ)し、臣は君を弑(しい)す。父(ちゝ)は子(こ)を殺(ころ)し、子は父を討(うつ)世(よ)となり、兵乱(ひやうらん)うちつゞき、風雨(ふうう)順(じゆん)ならず。これによつて、天の怒(いか)り甚敷(はなはだしく)、諸星其世界に落(おち)て、地界に居(きよ)をしむ。かゝるほどならば、世の人民(にんみん)も種(たね)をたつべし。諸天(しよてん)善神(ぜんしん)哀(あはれ)み給ひ、北辰(ほくしん)七星(しちせい)に命(めい)じて、暫(しばら)く地界(ちかい)に住(ぢう)して、ゑき鬼(き)をかり遂(おひ)て、これをいましめ、地福(ちふく)を富饒(ふねうに)して、五穀(ごこく)を熟(じゆく)し、人民(にんみん)を救(すく)はむ為に、今爰に来臨(らいりん)まします。

 門前の鬼形(きぎやう)ども、皆(みな)人の命(いのち)をたち、しかばねをくらふ疫神(ゑきしん)たり。粗(ほゞ)これをいましめ給ふといへども、仏(ぶつ)神の威力(ゐりき)よはく、邪(じや)神のちからつよふして、悉(こと%\)くかりおひ給ふ事あたはず。此事を人民にしらしめて、諸仏(しよぶつ)諸神に祈(いの)り、大法会(だいほうゑ)をとげおこなはしめむ為に、大地に穴(あな)をひらきて、此事を見せしめたまふ。

 汝(なんぢ)急(いそ)ぎ帰りて、此事を一天下(いつてんか)に披露(ひろう)し、はやく神威(しんゐ)をますべし』

と、つぶさに語り給へば、僧(そう)、かうべを地につけ、

『われ不肖(せう)の身をうけ、あまつさへ、無実(むじつ)の罪(つみ)をかふむり、禁獄(きんごく)の者なれば、此よしを申共、更(さら)にうたがひをうけて信ずべからず。

ねがはくは、いかにも正(たゞ)しき証拠(しようこ)を給はりて、此事を披露(ひろう)し侍らむ』

と申せば、官人(くわんにん)、

『さらば、其事をうたがひなば、天(てん)の七星(しちせい)、暫(しばら)く、世の静(しづ)まらんまでは、天に出(いづ)まじ。そのうへ、洛中(らくちう)五畿内(ごきない)のうちは、ゑきれい、童子(どうじ)の形(かたち)を顕(あら)はし、死人(しにん)の骸(かばね)を取(とり)くらふべし。此(この)事(こと)を告(つげ)しらせて、信(しん)を致すべし』

とあれば、僧(そう)ふしぎの思ひをなし、いそぎもとの地に走(はしり)り帰りて、又篭(かご)にうちのり、かへり来る」

よしを語れば、奉行(ぶきやう)をはじめ、諸(しよ)人きどくの思ひをなし、急(いそ)ぎ上(うへ)に訴(うつた)へたり。

「いよ/\その偽(いつは)りなき所(ところ)を見るべし」

とて、七星をみるに、すべて夜ごとに出ず。貞永(ちやうゑい)元年より、洛中を始(はじめ)て、畿内の国々に、十四五斗の童子出て、死人を取くらふ。

 これによつて、将軍家(しやうぐんけ)、鎌倉(かまくら)より上洛ましまして、諸社(しよしや)に参詣(さんけい)し給ひ、一天下に命(めい)じて、最勝経(さいせうきやう)を転読(てんどく)有。ならびに、二十二社(しや)に奉幣使(ほうへいし)を立られ、さま%\の御祈祷(きとう)ななめならざれば、やう/\これより、少静(しづま)りけり。

 此(この)法師(ほうし)もゆるされて、もとの官職(くわんしよく)にふせられ、御祈祷(ごきたう)の料(れう)として、地領(ちれう)を寄附(きふ)せられけるとかや。

  花木(くわぼくの)弁論(べんろん)并貧福(ひんふく)問答(もんだう)

 中比(なかごろ)、摂津国(せつつのくに)武庫山(むこやま)のおくに、一人の隠士(ゐんし)あり。もとは住吉(すみよし)の神官(しんくわん)の司(つかさ)にて時めき、世に名をふれし秀才(しうさい)成(なり)しが、最愛(さいあい)の妻(つま)にわかれて、忽(たちまち)に世をはかなく、位(くらゐ)をしりぞき、あとをかくして、山林(さんりん)の独居(どくきよ)をたのしみ、年比の財産(ざいさん)を以、居住(きよぢう)の地を広(ひろ)くもとめ、小童(こわらは)一人を仕丁(しちやう)として、うき世をかろく住けるが、自然(しぜん)と諸木(しよぼく)を愛し、四五丁四方を、あらゆる植木(うへき)をうへ込(こみ)、常(つね)は菓物(くだもの)を食(しよく)とし、四季(しき)の天変(てんべん)、飛花(ひくわ)落葉(らくよう)に無常(むじやう)を増(まし)、月にめで、花にたはむれて、年月を送(をく)る。

 いつの比よりか、見も馴(なれ)ぬ二人の老人(らうじん)、常(つね)に庵(いほり)にとぶらひ来りて、友となりぬ。清弁(せいべん)広智(くわうち)にて、其物語(がたり)古今(ここん)にくらからず。むかしを今みる心地(こゝち)に語り、ひめもす夜(よ)すがら語りあかすにあく時なし。そのさま、一人(ひとり)は容貌(ようぼう)ゆふびにして、白色に白髪(はくはつ)の翁(おきな)、常にみどりの帽子(ぼうし)をかうむり、一人は青衣(せいゑ)を着(ちやく)す。貌(かほ)まどかにうす赤(あか)く、黒(くろ)き帽子に黄(き)色なる衣(ころも)をきたり。或(ある)時、二人入来り、例(れい)のごとくに、論談(ろんだん)しけるが、黄衣(くわうゑ)の老人申けるは、

「凡(およそ)人のたのしみとする第(だい)一は、春(はる)は花、秋は紅葉(もみぢ)とみな人の賞翫(しやうぐ[わ]ん)し、もて遊(あそ)ぶ。其品多(おほ)しといへども、花もみぢといふうちに、すべてみなこもり侍るべし。是(これ)にこそ、心得わかちがたき事こそあれ。惣(そう)じて、菓(くだものゝ)の類、栗(くり)・柿(かき)・ありのみ・かや・椎(しゐ)・櫟(いちゐ)・金柑(きんかん)・橘(たち)なんどゝ、人の重宝(ちやうほう)、飢(うへ)を休(やすむ)る助(たすけ)とも成なむ。花(はな)は仲春(ちうしゆん)にひらき、さかりはわづか一炊(いつすい)の眠のうちにちりみだれ、庭(にわ)のちりあくたとなり、後(のち)ははき清(きよ)めに隙なく、実(み)は残(のこ)れ共、人を養(やしな)ふよすがもなし。紅葉(もみぢ)は又、色(いろ)付たるといふ斗にて、花の香(か)にもおとり、木も又させる用木(ようぼく)ともならず。色づく日よりかつちりて、殿守(とのもり)の伴(とも)の宮づとの朝ぎよめにもうみつかれ、払(はら)ひもあへぬ落葉(おちば)をかなしみ、秋すさまじき夜もすがら、雨のふるがごとく、軒(のき)を埋(うづ)み、木こり、鹿(しか)のかよひぢをうづむ。何かはおもしろき。

 さるに、むかしより、花(はな)紅葉(もみぢ)ともてあそび、詩歌(しいか)によまれ、愛(あい)せらるゝ事甚(はなはだ)しきはいかに。只菓物(くだもの)の、枝(ゑだ)もたはゝに成つらねたるは見事なるに、人をもてなす徳(とく)ふかし。其外に、閑人(かんじん)のねふりをさまし、月花の詠(ながめ)も、多(おほく)は是(これ)にぞ心を養(やしな)へる。かゝる徳(とく)深(ふか)き物をさしこへて、用にもたらぬ花紅葉を愛(あい)するは、ひとへに愚智(ぐち)のなす所(ところ)成べし」

と語(かた)れば、一人の翁(おきな)、眉(まゆ)にしわをよせ、

「仰はさる事にて侍れども、いにしへより、かしこき人の詩歌(しいか)にもよまれ、春秋の賞翫(しやうぐわん)とし%\に絶(たへ)ず。つら/\是(これ)を思ふに、身と心とをたくらべみるに、何れか尊(たつと)しとするに、身は心ある故(ゆへ)にこそ、形(かたち)はのこれども、心さりぬれば、忽(たちまち)に愛念(あいねん)を捨(すて)て、却(かへつ)ておそれとし、遅(をそ)しと野(の)山に送(をく)り捨て、土となし、煙(けむり)とのぼりし後(のち)は、玉のありかをそことしもしらず。年月を過(すぎ)ては、事とひかはすものなし。されば菓物(くだもの)は、口に味(あじは)へ、身を養(やしな)ふ便なれど、心をなぐさむ事は、花(はな)紅葉(もみぢ)にいかでたぐゑむ。尊(たつと)きは申に及ず、賎(いや)しき山がつ、木こり、草(くさ)かりわらんべも、薪(たきゞ)に花を折そへ、めかごに秋の千種(ちくさ)の花を刈(かり)て、心をなぐさむ。およそ、一花(いつけ)ひらきては、冬ごもるうつ気(き)を散(さん)じ、漸(やうやく)ちりがてになれば、心ある人は、世(よ)の盛衰(せいすい)を察(さつ)し、限(かぎ)りなき哀(あはれ)を興(もよほ)す。あるひは、花の下(もと)の半日(はんじつ)の客(かく)は、酒をのみ、詩歌(しいか)に千々(ちゞ)の思ひをのぶ。紅葉(もみぢ)の比は、年(とし)の暮(くれ)やすき事を思ひ、生者必滅(しやうじやひつめつ)のことはりを観(くわん)じ、その身の便(たより)となし、すべて心を養(やしな)ひ、めをよろこばす事、誠(まこと)に是(これ)に過たるはなし。口を養(やしな)ふと心をやしなふは、いづれかまさらん」

と、漢家(かんか)本朝(ほんてう)の事を引て、互(たがひ)に論義(ろんぎ)数尅(すこく)に及ぶ。

 黄衣(くわうゑ)のおきな、重(かさね)て云(いわ)く、

「最(もつと)も、花咲(さけ)ば実(み)のるといへども、千草(せんさう)万木(ばんぼく)の、用(もち)ひらるゝ所(ところ)はみな、熟実(じゆくじつ)の時にあり。花ありて実(み)のらずんば、誰(たれ)か一日の飢(うへ)を助けむ。五穀(ごこく)富饒(ふねう)にして、人を富(とま)しむ。金銀(きんぎん)は、至て宝(たから)と成(なり)といへ共、米穀(べいこく)なくんば、何(なん)の益(ゑき)かあらん。富貴(ふうき)の根本(こんほん)みなこれより生(しやう)ず。

夫(それ)、富貴(ふうき)の勝利(せうり)無量(むりやう)の中に、第(だい)一衆人(しゆにん)愛敬(あいぎやう)の徳(とく)をのづからありて、その家(いゑ)にぎはひゆたかなれば、万物(ばんもつ)にともしからず。金銀(きん%\)米銭(べいせん)つねに絶(たゆ)る事なければ、出入(いでいる)人をもてなす。故(ゆへ)に、上(かみ)一人より、下万民(しもばんみん)にしたしみふかし。此(この)徳(とく)あるとしれども、貧究(ひんきう)にては叶(かな)ひがたし。したしきはうとみ、うときはなをうとし。是(これ)貧(ひん)なる故(ゆへ)にあらずや」。

青衣(せいゑ)のおきなうち笑(わら)ひ、

「貧(ひん)人には愛敬(あいぎやう)なしとは、おろかなる事也。人のしたしむ徳(とく)は、誠(まこと)の道(みち)にあり。軽薄(けいはく)表裏(ひようり)をむねとし、酒食(しゆしよく)を以まじはらんに、ともなふ人も、その心にひとしき故(ゆへ)に、其好(この)む所(ところ)うすくなれば、心にそむきて、互(たがひ)に恨(うら)み出来(いでき)、千代(ちよ)と頼(たの)みしことばも、忽(たちまち)変(へん)じ、誠(まこと)なき愚(ぐ)人のまじはりは、かへつて嘲(あざけり)の端(はし)成(なる)べし。されば、其(その)友(とも)をみて、その心をしるといへり。利欲(りよく)の為(ため)にしたしむは、愛敬(あいぎやう)とは云(いふ)べからず。道理(だうり)にともなふをこそ、誠(まこと)のよしみならん。理(ことはり)にたがはざれば、徳人(とくにん)の利欲(よく)の友(とも)にはまさるべし。

 凡(およそ)、真理(しんり)をさとる本智(ほんち)といふは、利欲(よく)の眼(まなこ)に見るべからず。一旦(いつたん)の栄花(ゑいぐわ)におごりをきわめ、主人の愛敬(あいぎやう)に人をあなどり、無礼(ぶれい)を致(いた)すたぐひ、人のにくみを受(うけ)、身命(しんめう)あやうき体(てい)かぞへ難(がた)し。しかある時は、徳=(とく)人にのみ愛敬(あいぎやう)ありとも云(いひ)がたし。貧(まづし)き者(もの)も、すなをならば、心あるは哀(あはれ)とも云(いふ)べし」。

一人(ひとり)の翁(おきな)の云(いはく)、

「仰(おほせ)はさる事なれども、凡人(ぼんにん)と生れては、無学無能(むがくむのう)にしては、尤(もつとも)人倫(じんりん)のたぐひならず。物を学(まな)びおこなふ事も、貧(まづしき)にしては成(なり)がたし。能師(よきし)につかへて、学文(がくもん)し、或(あるひ)は芸(げい)をならはむにも、金銀(きんぎん)を惜(おし)まず、

行(ぎやう)せんほまれをとる事、すみやか也。貧なれば、いたづらに年月(ねんげつ)を送(をく)る事は、石(いし)の、火のうたざれば出(いで)ざるたぐひならめ」

黄衣(くわうゑ)の翁(おきな)こたへて、

「されば、貧(ひん)なるとて、学問諸芸(がくもんしよげい)にとぼしからむや。世わた<挿絵見開き1丁>るたつきに隙(ひま)なふして、暫(しばらく)のいとまを得ては、たねんなくつとむる故(ゆへ)に、片時(へんじ)のつとめも、富(とめ)る人の、数日(すじつ)の功(こう)にもまさるべし。いにしへより、学徳(がくとく)才能(さいのう)の達人(たつじん)、多は貧(まづしき)人にあり。さるほどならば、富貴(ふうき)はかへつてさまたげなるべし。

 許由(きよゆう)はひさごをだにすて、孫晨(そんしん)は藁(わら)一束(そく)をたのしむ。財(ざい)多(おゝ)ければ、身を守(まもる)にまどし。智恵(ちゑ)と心こそ、真(まこと)の宝(たから)なれ。聖賢(せいけん)の道(みち)をもとむる心ざしは、玉(たま)を淵(ふち)になげ、金(こがね)は山(やま)に捨(すつ)べしと見へたり。一旦(いつたん)の栄花(ゑいぐわ)は、おろかに賎(いや)しき者も、時にあへば、高(たかき)き位(くらゐ)にのぼり、をごりをきわむ。富貴(ふうき)にして器用(きよう)なりとも、身(み)を治(おさ)め、心をたつる事、愚(おろか)ならば、しらぬ人よりはおとり成(なる)べし」。

青衣(せいゑ)の翁重(かさ)ねて、

「身を治(おさめ)、心をたつる人も、富(とめ)る人こそやすかるべし。書籍(しよじやく)をもとめ、能(よき)師(し)にしたがひつとめむに、貧者(ひんじや)の三とせの功(こう)より、富(とめ)る人の三日はまさるべし。貧者(ひんじや)は、心にけだいなしといへども、見語(けんご)すべきちからなければ、いたづらにその利(り)をかくして、愚(ぐ)人となり、富(とめ)る人は、をのづから、病(やまひ)のうれへもなく、寒(さむき)に衣服(いふく)をかさね、あつきに暑気(しよき)を除(のぞ)き、春は花のもとにてたはむれ、秋は月のまへに心をはらし、食(しよく)するに麁食(そじき)もなければ、心身(しん/\)ゆたかにして、栄耀(ゑいよう)の上に命(いのち)もながし。諸病(しよびやう)は辛苦(しんく)より生(しやう)ずる。何(なん)ぞ貧者(ひんじや)の及(およ)ぶ所にあらんや」。

黄衣(くわうゑ)の翁(おきな)こたへて云、

「富(とめ)るは、おごりにおこたりあれば、学(がく)にうとし。一分(ぶん)の邪智(じやち)に高(たか)ぶり、広学(くわうがく)大才(たいさい)の体(てい)たらく。をのれが恥(はぢ)をしらず。富(とめ)るに病(やまい)なしとは、愚(おろか)なる事ならずや。万(よろづ)にゆたかなれば、富(とめ)る人は、身のはたらきなふして、かへつて病(やまひ)に犯(をか)され、短命(たんめい)なり。貧人(ひんにん)、心のごとくならねば、身体(しんたい)やすむ事なふして、病(やまひ)もなく、一生(しやう)をやすらかに過(すぐ)るもあり。福人は、命期(めいご)に至(いた)りて、金銀(きんぎん)財宝(ざいほう)に心を残(のこ)し、着(ぢやく)をはなれず。貧者(ひんじや)は、心をとむべき宝(たから)もなければ、遠離(ゑんり)の心つよくして、且(かつ)は仏果(ぶつくわ)にも至らんかし」。

青衣(せいゑ)の翁(おきな)、

「ひとへに後世(ごせ)も、富(とめ)る者(もの)こそよからめ。身(み)富(ふ)ゆふなれば、心のまゝに慈悲(じひ)ふかく。飢(うへ)たるには食(しよく)をあたへ、堂塔(だうたう)伽藍(がらん)を建立(こんりう)し、仏像(ぶつざう)経巻(きやうくわん)をいとなみ、沙門(しやもん)を供養(くやう)し、善根(ぜんごん)を殖(うゆ)る事、貧(ひん)にしては成(なり)がたし。しゆだつが古(いに)しへも、祗園精舎(ぎおんしやうじや)を建立(こんりう)し、阿闍施(あじやせ)太子(たいし)の万燈(まんとう)、みな是(これ)富貴(ふうき)の徳=(とく)たるべし。貧者(ひんじや)は心ざしあるといへども、力(ちから)なければ、人の善根(ぜんごん)をうらやみ、修(しゆ)せざればむなし。されば、現在(げんざい)の果(くわ)をみて、未来(みらい)をしるといへば、因果(ゐんぐわ)の二つまことならば、善(ぜん)をなせし徳(とく)人、其果(そのくわ)を受(うけ)て、なんぞ成仏(じやうぶつ)うたがはむや」。

黄衣(くわうゑ)の翁(おきな)こたへて云(いはく)、

「一切(いつさい)衆生(しゆじやう)悉有(しつう)仏性(ぶつしやう)如来(によらい)といへば、天地(てんち)万物(ばんぶつ)草木(さうもく)、みな仏性(ぶつしやう)をぐす。春は花(はな)咲(さき)、秋は実(み)のる。是(これ)正(まさ)に真仏(しんぶつ)也。人其是非(ぜひ)をさとり、よろしきにしたがふを、天姓(てんせい)といふ。此心無我(むが)にして、見る事なしといへども、身(み)に善行(ぜんぎやう)あるにてしるべし。無我(むが)の善(ぜん)とは、名聞(みやうもん)の利用(りよう)、慢(まん)心なく行(ぎやう)するを、大善(だいぜん)とす。されば達广大師(だるまたいし)は、無功徳(むくどく)を武帝(ぶてい)にしめし、貧女(ひんによ)が一燈(いつとう)、思ひはかるべし。古堂(こだう)に土(つち)をぬりし栴檀香(せんだんかう)、仏(ほとけ)にはくを押(おし)たる阿羅漢(あらかん)、あげてかぞへがたし。されば、地獄(ぢこく)の罪(ざい)人に、羅刹(らせつ)ども向(むかつ)て

『など善根(せんこん)をなさずして、かゝるくるしみにあへるぞ』

といかるに、罪人(ざいにん)

『娑婆(しやば)にて、身(み)貧(ひん)にして、をのづから善(せん)をなさず』

とこたへければ、

『野(の)べにさく花、川に流(なが)るゝ水一滴(いつてき)をも、仏(ほとけ)に供養(くやう)せざらんや。いくたび娑婆(しやば)に往来し、

『此たびはさり共』

と、云おしへつるに、

『又我々が手にかかる』

といかりて呵嘖(かしやく)するといへり。一世(いつせ)の宝(たから)にまよひ、永(なが)き来世(らいせ)までをくるしむ。浅ましき事ならずや」。

青衣(せいゑ)の翁(おきな)、

「かさねて、何(なん)ぞ宝(たから)をよしなしといはんや。龍女(りうによ)が、宝珠(ほうじゆ)を釈尊(しやくそん)に奉りしに、我献(がけん)納受(のうじゆ)と悦(よろこ)び給ひ、大施太子(たいせたいし)の宝珠(ほうじゆ)を、龍宮(りうぐう)にもとめ給ふ。仏(ほとけ)も世界第一(せかいだいいち)とこそし給ふに、なんぞ益(ゑき)なからんや」。

こたへて云(いわ)く、

「龍女(りゆうによ)が玉を捧(ささげ)しも、大乗(だいじよう)妙典(めうてん)を悟(さと)り得て、仏法(ぶつほう)の実宝(じつほう)には過(すぎ)ずと、無上(むじやう)の宝珠(ほうしゆ)に執心(しうしん)をとどめず。仏(ほとけ)に供養(くやう)し奉る故に、我献(がけん)納受(のうじゆ)し給ふ。されば、一水(いつすい)一花(いちげ)を、誠(まこと)の心よりほどこすを、善根(ぜんごん)とはいへり。〓居士(ほうこじ)が、宝(たから)を江(ゑ)にすてたりしためし、思ひやるべし」。

と語(かた)れば、一人の翁(おきな)、

「陰陽(ゐんやう)貧福(ひんふく)善悪(ぜんあく)不(ふ)二、何(いづ)れか分(わき)ていはむ。天あれば地あり。貴辺(きへん)あればわれあり。身を離(はな)れて心もなし」。

則(すなはち)一句(く)の語をなす。

  富(とみは)攀(よぢて)芳樹(はうじゆを)愁(うれふ)花(はなの)尽(つくる事を)

と吟詠(ぎんゑい)しければ、黄衣(くわうゑ)の翁(おきな)やがてつく。

  貧(ひんは)恋(したふて)重衾(ぢうきんを)覚(さますこと)夢(ゆめを)多(おほし)

かく詠(ゑい)じけるほどに、漸(やうやく)晨明(ありあけ)の月も、山のはにかたむき、しのゝめの穴も、ほの%\と明わたれば、二人の老人(らうじん)も、かきけすごとくに行方(ゆきかた)なし。

 あるじも、茫然(ぼうせん)として聞(きゝ)ゐたりしに、夢(ゆめ)のさめたるごとくに覚(おほ)えければ、

  とことはに身をもはなれぬ友だにも月入ぬれば面(おも)かげもなし

と詠(ゑい)じて、あまりふしぎに覚(おほ)え、此(この)事(こと)をつく%\と思へば、年比(としごろ)諸木(しよぼく)を愛(あい)しけるに、かの妖情(ようせい)顕(あらは)れて、かゝる争論(しやうろん)をなしけるにや。此事を悉(こと%\)くかきあつめて、世につたへけるとぞ。

                                                              文台屋 次 郎 兵衛

                                                              中 村  孫  兵  衛

                                                              杉 生  五郎左衛門

                                                                           板行