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 雨月物語序

羅子撰水滸。而三世生唖兒。紫媛著源語。而一旦堕惡趣者。

蓋爲業所□1耳。然而観其文。各々奮奇態。□2哢逼眞。

低昂宛轉。令讀者心気洞越也。可見鑑事實千古焉。余適有鼓腹之閑話。

衝口吐出。雉□3龍戰。自以為杜撰。則摘讀之者。固當不謂信也。

豈可求醜脣平鼻之報哉。明和戌子晩春。雨霽月朦朧之夜。窗下編成。

以□4梓氏。題曰雨月物語。云。剪枝畸人書

雨月物語 卷之一

    白 峯<しらみね>

 あふ坂の関守にゆるされてより。□5<あき>こし山の黄葉<もみぢ>見過しがたく。濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた。不盡の髙嶺の煙<ふじのたかねのけふり>。浮嶋がはら。淸見が関。大磯小いその浦々。むらさき艶ふ武藏野の原塩竃<しほがま>の和<なぎ>たる朝げしき。象□6の蜑が笘や<きさがたのあまがとまや>。佐野の舟梁<ふなばし>。木曾の棧橋<かけはし>。心のとゞまらぬわたぞなきに。猶西の國の哥枕見まほしとて。仁安三年の秋は。葭がちる難波を經て。須磨明石の浦ふく風を身にしめつも。行々讚岐の眞尾坂<みをざか>の林といふにしばらく□7<つゑ>を植<とゞ>む。草枕はるけき旅路の勞<いたはり>にもあらで。觀念修行の便<たより>せし庵なりけり。

 この里ちかき白峰といふ所にこそ。新院の陵<みさゞぎ>ありと聞て。拝みたてまつらばやと。十月はじめつかたかの山に登る。松柏<まつかしは>は奧ふかく茂りあひて。靑雲の輕靡<あをぐものたなびく>日すら小雨そぼふるがごとし。兒が嶽<ちごがだけ>といふ嶮しき嶽<みね>背<うしろ>に聳<そば>だちて。千仭の谷底より雲霧おひのぼれば。咫尺<まのあたり>をも欝悒<おぼつかなき>こゝ地せらる。木立わづかに間<すき>たる所に。土□8<たか>く積たるが上に。石を三かさねに疊みなしたるが。荊蕀薜蘿<うばらかづら>にうづもれてうらがなしきを。これならん御墓<みはか>にやと心もわきくらまされて。さらに夢現<ゆめうつゝ>をもわきがたし。現<げ>にまのあたりに見奉りしは。紫宸淸涼の御座<みくら>に朝政<おほまつりごと>きこしめさせ玉ふを。百の官<もゝのつかさ>人は。かく賢<さかし>き君ぞとて。詔恐<みことかしこ>みてつかへまつりし。近衞院に禪<ゆづ>りましても。藐姑射<はこや>の山の瓊<たま>の林に禁<しめ>させ玉ふを。思ひきや麋鹿<びろく>のかよふ跡のみ見えて。詣つかふる人もなき深山<みやま>の荊<おどろ>の下に神がくれ玉はんとは。万乘の君にてわたらせ給ふさへ。宿世<すくせ>の業<こう>といふものゝおそろしくもそひたてまつりて。罪をのがれさせ給はざりしよと。世のはかなきに思ひつゞけて涙わき出るがごとし。終夜供養<よもすがらくやう>したてまつらばやと。御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて。經文徐<しづか>に誦<ず>しつゝも。かつ哥よみてたてまつる

  松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり

猶心怠らず供養す。露いかばわり袂<そで>にふかゝりけん。

 日は沒<いり>しほどに。山深き夜のさま常<たゞ>ならね。石の牀<ゆか>木葉の衾<ふすま>いと寒く。神淸骨冷<しんすみほねひえ>て。物とはなしに凄<すざま>じきこゝちせらる。月は出しかど。茂きが林は影をもらさねば。あやなき闇にうらぶれて。眠るともなきに。まさしく圓位<えんゐ>々々とよぶ聲す。眼をひらきてすかし見れば。其形<さま>異なる人の。背髙く痩おとろへたるが。顔のかたち着たる衣の衣紋も見えで。こなたにむかひて立るを。西行もとより道心の法師なれば。恐ろしともなくて。こゝに來たるは誰と答ふ。かの人いふ。前によみつること葉のかへりこと聞えんとて見えつるなりとて

  松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな

喜しくもまうでつるよと聞ゆるに。新院の靈なることをしりて。地にぬかづき涙を流していふ。さりとていかに迷はせ玉ふや。濁世<ぢよくせ>を厭離<えんり>し玉ひつることのうらやましく侍りてこそ。今夜の法施<ほふせ>に隨縁したてまつるを。現形<げぎやう>し玉はありがたくも悲しき御こゝろにし侍り。ひたぶるに隔生即忘<きやくしやうそくまう>して。佛果円滿の位に昇らせ玉へと。情<こゝろ>をつくして諌<いさめ>奉る。

 新院呵<から>々と笑はせ給ひ。汝しらず。近來<ごろ>の世の乱は朕<わが>なす事なり。生てありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて。平治の乱を發<おこ>さしめ。死て猶朝家<ちやうか>に祟<たたり>をなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ。西行此詔<みことのり>に涙をとどめて。こは淺ましき御こゝろばへをうけ玉はるものかな。君はもとよりも聡明の聞えましませば。王道のことわりはあきらめさせ玉ふ。こゝろみに討<たづ>ね請<まう>すべし。そも保元の御謀叛は天<あめ>の神の敎<おしへ>玉ふことわりにも違<たが>はじとておぼし立せ玉ふか。又みづからの人慾<にんよく>より計策<たばかり>玉ふか。詳<つばら>に告<のら>せ玉へと奏す。其時院の御けしきかはらせ玉ひ。汝聞け。帝位<ていゐ>は人の極<きはみ>なり。若<もし>人道上<かみ>より乱す則は。天の命<めい>に應じ。民の望に順ふて是を伐。抑<そもそも>永治の昔。犯せる罪もなきに。父帝の命<みこと>を恐<かしこ>みて。三歳の體仁<としひと>に代を禪りし心。人慾深きといふべからず。體仁早世ましては。朕皇子の重仁<しげひと>こそ國しらすべきものをと。朕も人も思ひをりしに美福門院が妬<ねた>みにさへられて。四の宮の雅仁<まさひと>に代を簒<うば>はれしは深き怨<うらみ>にあらずや。重仁國しらすべき才あり。雅仁何らのうつは物ぞ。人の德をえらばずも。天が下の事を後宮にかたらひ玉ふは父帝<みかど>の罪なりし。されど世にあらせ玉ふはどは孝信をまもりて。勤色<ゆめいろ>にも出さゞりしを。崩<かくれ>させ玉ひてはいつまでありなんと。武きこゝろざしを發せしなり。臣として君を伐<うつ>すら。天に應じ民の望にしたがへば。周<しう>八百年の創業<さうげふ>となるものを。ましてしるべき位ある身にて。牝鷄<ひんけい>の晨<あした>する代<よ>を取て代らんに。道を失ふといふべからず。汝家を出て佛に婬<ゐん>し。未來解脱の利慾を願ふ心より。人道をもて因果に引入れ。尭舜のをしへを釈門に混じて朕<われ>に説やと。御聲あらゝかに告せ玉ふ。

 西行いよゝ恐るゝ色もなく座をすゝみて。君が告せ玉ふ所は。人道のことわりをかりて慾塵<よくぢん>をのがれ玉はず。遠く辰旦<もろこし>をいふまでもあらず。皇朝<くはうてう>の昔譽田<ほんだ>の天皇。兄の皇子大鷦鷯<みこおほさゞき>の王<きみ >をおきて。季<すゑ>の皇子菟道の王<うぢのきみ>を日嗣の太子<ひつぎのみこ>となし玉ふ。天皇崩御<かみがくれ>玉ひては。兄弟相讓りて位に昇り玉はず。三とせをわたりても猶果べくもあらぬを。菟道の王深く憂玉ひて。豈<あに>久しく生<いき>て天が下を煩しめんやとて。みづから寳□9<よはひ>を断<たゝ>せ玉ふものから。罷事<やんごと>なくて兄の皇子御位に即<つか>せ玉ふ。是天業を重んじ孝悌をまもり。忠をつくして人慾なし。尭舜の道といふなるべし。本朝に儒敎を尊みて専<もはら>王道の輔<たすけ>とするは。莵道の王。百濟の王仁<わに>を召て斈<まな>ばせ玉ふをはじめなれば。此兄弟<はらから>の王の御心ぞ。即漢土<やがてもろこし>の聖<ひじり>の御心ともいふべし。又周の創<はじめ>。武王<ぶわう>一たび怒りて天下の民を安くす。臣として君を弑<しゐ>すといふべからず。仁を賊<ぬす>み義を賊む。一夫<ふ>の紂<ちう>を誅<ちう>するなりといふ事。孟子といふ書にありと人の傳へに聞侍る。されば漢土の書は經典史策詩文<けいてんしさくしぶん>にいたるまで渡さゞるはなきに。かの孟子の書ばかりいまだ日本に來らず。此書を積て來たる船は。必しも暴<あらき>風にあひて沈沒<しづむ>よしをいへり。それをいかなる故ぞととふに。我國は天照すおほん神の開闢<はつぐに>しろしめしゝより。日嗣の大王<ひつぎのきみ>絶<たゆ>る事なきを。かく口賢<さか>しきをしへを傳へなば。末の世に神孫を奪ふて罪なしといふ敵<あた>も出べしと。八百よろづの神の惡<にく>ませ玉ふて。神風を起して船を覆し玉ふと聞。されば他國の聖の敎も。こゝの國土<くにつち>にふさはしからぬことすくなからず。且詩にもいはざるや。兄弟牆<うち>に鬩<せめ>ぐとも外<よそ>の悔<あなど>りを禦<ふせ>げよと。さるを骨肉の愛をわすれ玉ひ。あまさへ一院崩御玉ひて。殯<もがり>の宮に肌膚<みはだへ>もいまだ寒<ひえ>させたまはぬに。御旗<みはた>なびかせ弓末<ゆずゑ>ふり立て寳祚<みくらゐ>をあらそひ玉ふは。不孝の罪これより劇<はなはだ>しきはあらじ。天下は神器<じんき>なり。人のわたくしをもて奪ふとも得べからぬことわりなるを。たとへ重仁王<しげひとぎみ>の即位<みくらゐ>は民の仰ぎ望む所なりとも。德を布<しき>和<くわ>を施し給はで。道ならぬみわざをもて代を乱し玉ふ則<とき>は。きのふまで君を慕ひしも。けふは忽<たちまち>怨敵<あた>となりて。本意をも遂たまはで。いにしへより例<あと>なき刑<つみ>を得玉ひて。かゝる鄙<ひな>の國の土とならせ玉ふなり。たゞたゞ舊<ふる>き讐<あた>をわすれ玉ふて。淨土にかへらせ玉はんこそ願まほしき叡慮<みこゝろ>なれと。はゞかることなく奏<まをし>ける。

 院長嘘<ながいき>をつがせ玉ひ。今事を正して罪をとふ。ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に謫<はぶら>れて。髙遠<たかとを>が松山の家に困<くるし>められ。日に三たびの御膳<おもの>すゝむるよりは。まいりつかふる者もなし。只天とぶ鴈の小夜の枕におとづるゝを聞けば。都にや行らんとなつかしく。曉の千鳥の洲畸<すさき>にさわぐも。心をくだく種となる。烏の頭は白くなるとも。都には還るべき期<とき>もあらねば。定て海畔<あまべ>の鬼とならんずらん。ひたすら後世<ごせ>のためにとて。五部の大乘經をうつしてけるが。貝鐘<かひがね>の音も聞えぬ荒磯<ありそ>にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛<みやこ>の中<うち>に入させ玉へと。仁和<にんわ>寺の御室<みむろ>の許<もと>へ。經にそへてよみておくりける

  濱千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音<ね>をのみぞ鳴<なく>

しかるに少納言信西がはからひとして。若咒咀<もしじゆそ>の心にやと奏しけるより。そがまゝにかへされしぞうらみなれ。いにしへより倭漢土<やまともろこし>ともに。國をあらそひて兄弟敵<あた>となりし例<ためし>は珍しからねど。罪深き事かなと思ふより。惡心懺悔<あくしんさんげ>の為にとて写しぬる御經なるを。いかにさゝふる者ありとも。親しきを議<はか>るべき令<のり>にもたがひて筆の跡だも納<いれ>玉はぬ叡慮こそ。今は舊<ひさ>しき讐<あた>なるかな。所詮此經を魔道に囘向して。恨をはるかさんと。一すぢにおもひ定て。指を破り血をもて願文をうつし。經とゝもに志戸<しと>の海に沈てし後は。人にも見<まみ>えず深く閉こもりて。ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが。はた平治の乱<みだれ>ぞ出きぬる。まづ信賴が髙き位を望む驕慢<おごり>の心をさそふて義朝をかたらはしむ。かの義朝こそ惡<にく>き敵<あた>なれ。父の為義をはじめ。同胞<はらから>の武士<ものゝべ>は皆朕ために命を捨しに。他一人朕に弓を挽。為朝が勇猛。為義忠政が軍配<たばかり>に贏目を見つるに。西南の風に燒討せられ。白川の宮を出しより。如意が嶽の嶮しきに足を破られ。或は山賎<やまがつ>の椎柴<しひしば>をおほひて雨露を凌ぎ。終に擒<とら>はれて此嶋に謫られしまで。皆義朝が姦<かだま>しき計策に困められしなり。これが報ひを虎狼の心に障化<しやうげ>して。信賴が隱謀<いんぼう>にかたらはせしかば。地祇<くにつがみ>に逆ふ罪。武に賢<さと>からぬ淸盛に遂討<おひうた>る。且<かつ>父の為義を弑せし報□1<せま>りて。家の子に謀<はか>られしは。天神<あまつがみ>の祟を蒙りしものよ。又少納言信西は。常に己を博士ぶりて。人を拒む心の直<なほ>からぬこれをさそふて信賴義朝が讐となせしかば。終<つひ>に家をすてゝ宇治山の坑に竄<かく>れしを。はた探し獲られて六条河原に梟首<かけ>らる。これ經をかへせし諛言<おもねり>の罪を治めしなり。それがあまり應保<おうはう>の夏は美福門院が命を窮<せま>り。長寛の春は忠通を祟りて。朕<われ>も其秋世をさりしかど。猶嗔火熾<しんくわさかん>にして盡ざるまゝに。終に大魔王となりて。三百余類の巨魁<かみ>となる。朕けんぞくのなすところ。人の福を見ては轉<うつ>して禍<わざわひ>とし。世の治るを見ては乱<みだれ>を発さしむ。只淸盛が人果大にして。親族氏族<うからやから>ことごとく髙き官位につらなり。おのがまゝなる國政<まつりごと>を執行<とりおこな>ふといへども。重盛忠義をもて輔くる故いまだ期<とき>いたらず。汝見よ。平氏も又久しからじ。雅仁朕につらかりしほどは終に報ふべきぞと。御聲いやましに恐しく聞えけり。西行いふ。君かくまで魔界の惡業につながれて。佛土に億万里を隔<へだて>玉へばふたゝびいはじとて。只默してむかひ居たりける。

 時に峯谷ゆすり動きて。風叢林<はやし>を僵<たを>すがごとく。沙石<まさご>を空に卷上る。見る見る一段の陰火<ゐんくわ>君が膝の下<もと>より燃上<もえあが>りて。山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御氣色<みけしき>を見たてまつるに。朱をそゝぎたる龍顔<みおもて>に。荊<おどろ>の髪膝にかゝるまで乱れ。白眼を吊あげ。□57<あつ>き嘘<いき>をくるしげにつがせ玉ふ。御衣は柿色のいたふすゝびたるに。手足の爪は獣のごとく生のびて。さながら魔王の形あさましくもおそろし。空にむかひて相模々々と叫<よば>せ給ふ。あと答へて。鳶<とび>のごとくの化鳥翔<かけ>來り。前に伏て詔をまつ。院かの化鳥にむかひ玉ひ。何ぞはやく重盛が命を奪<とり>て。雅仁淸盛をくるしめざる。化烏こたへていふ。上皇の幸福<さいはひ>いまだ盡ず。重盛が忠信ちかづきがたし。今より支干<えと>一周<めぐり>を待ば。重盛が命数<よわひ>既に盡なん。他<かれ>死せば一族の幸福此時に亡べし。院手を拍<うつ>て怡<よろこ>ばせ玉ひ。かの讐敵<あたども>ことごとく此前の海に盡すべしと。御聲谷峯に響て凄しさいふべくもあらず。魔道の淺ましきありさまを見て涙しのぶに堪ず。復び一首の哥に隨縁のこゝろをすゝめたてまつる

   よしや君昔の玉の床とてもかゝらんのちは何にかはせん

刹利<せつり>も須陀<しゆだ>もかはらぬものをと。心あまりて髙らかに吟<うたひ>ける。此ことばを聞しめして感<めで>させ玉ふやうなりしが。御面<みおもて>も和らぎ。陰火もやゝうすく消ゆくほどに。つひに龍體<みかたち>もかきけちたるごとく見えずなれば。化鳥もいづち去けん跡もなく。十日あまりの月は峯にかくれて。木<こ>のくれやみのあやなきに。夢路にやすらふが如し。ほどなくいなのめの明ゆく空に。朝鳥<あさ>の音おもしろく鳴わたれば。かさねて金剛經一卷を供養したてまつり。山をくだりて庵に歸り。閑<しづか>に終夜のことゞもを思ひ出るに。平治の乱よりはじめて。人々の消息。年月のたがひなければ。深く愼みて人にもかたり出ず。

 其後十三年を經て治承三年の秋。平の重盛病に係りて世を逝<さり>ぬれば。平相國入道。君をうらみて烏羽の離宮に篭たてまつり。かさねて福原の茅<かや>の宮に困めたてまつる。賴朝東風に競ひおこり。義仲北雪をはらふて出るに及び。平氏の一門ことごとく西の海に漂ひ。遂に讚岐の海志戸八嶋にいたりて。武きつはものどもおほく鼇魚<こうぎよ>のはらに葬<はぶ>られ。赤間が関壇の浦にせまりて。幼主海に入らせたまへば。軍將<いくさぎみ>たちものこりなく亡びしまで。露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄<かたりぐさ>なりけり。其後御□10<みべう>は玉もて雕<ゑ>り。丹靑を彩<ゑど>りなして。稜威<みいづ>を崇めたてまつる。かの國にかよふ人は。必幣をさゝげて齋<いは>ひまつるべき御神なりけらし

        菊花の約<きくくはのちぎり>

 靑々たる春の柳。家園<みその>に種<うゆ>ることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。楊柳<やうりう>茂りやすくとも。秋の初風<はつかぜ>の吹に耐<たへ>めや。輕薄の人は交りやすくして亦速<すみやか>なり。楊柳いくたび春に染<そむ>れども。輕薄の人は絶て訪<とむら>ふ日なし。

 播磨の國加古の駅<うまや>に丈部<はせべ>左門といふ博士<はかせ>あり。淸貧を憇<あまな>ひて。友とする書<ふみ>の外はすべて調度の絮煩<わづらはしき>を厭ふ。老母あり。孟氏の操にゆづらず。常に紡績<うみつむぎ>を事として左門がこゝろざしを助く。其季女<いもうと>なるものは同じ里の佐用<さよ>氏<うぢ>に養はる。此佐用が家は頗<すこぶる>富さかえて有けるが。丈部母子の賢きを慕ひ。娘子<をとめ>を娶<めと>りて親族となり。屡<しばしば>事に託<よせ>て物を餉<おく>るといへども。口腹<こうふく>の爲に人を累<わづらは>さんやとて。敢て承<うく>ることなし。

 一日<あるひ>左門同じ里の何某が許に訪<とふら>ひて。いにしへ今の物がたりして興ある時に。壁を隔<へだて>て人の痛楚<くるしむ>聲いともあはれに聞えければ。主に尋ぬるに。あるじ答ふ。これより西の國の人と見ゆるが。伴なひに後れしよしにて一宿を求らるゝに士家<しか>の風ありて卑しからぬと見しまゝに。逗<とゞめ>まいらせしに。其夜邪熱劇<はなはだ>しく。起臥<おきふし>も自はまかせられぬを。いとをしさに三日四日は過しぬれど。何地<いづち>の人ともさだかならぬに。主も思ひがけぬ過<あやまり>し出て。こゝち惑ひ侍りぬといふ。左門聞て。かなしき物がたりにこそ。あるじの心安からぬもさる事にしあれど。病苦の人はしるべなき旅の空に此疾<やまひ>を憂ひ玉ふは。わきて胸窮<くる>しくおはすべし。其やうをも看ばやといふを。あるじとゞめて。瘟病<をんびやう>は人を過<あやま>つ物と聞ゆるから家童らもあへてかしこに行しめず。立よりて身を害し玉ふことなかれ。左門笑ていふ。死生命あり。何の病か人に傳ふべき。これらは愚俗のことばにて吾們<ともがら>はとらずとて。戸を推<おし>て入つも其人を見るに。あるじがかたりしに違<たが>はで。倫<なみ>の人にはあらじを。病深きと見えて。面は黄に。肌黑く痩。古き衾<ふすま>のうへに悶へ臥す。人なつかしげに左門を見て。湯ひとつ惠み玉へといふ。左門ちかくよりて。士憂へ玉ふことなかれ。必救ひまいらすべしとて。あるじと計りて。藥をえらみ。自<みづから>方<はう>を案じ。みづから□55<に>てあたへつも。猶粥をすゝめて。病を看ること同胞<はらから>のごとく。まことに捨がたきありさまなり。かの武士左門が愛憐<あはれみ>の厚きに泪を流して。かくまで漂客<へうかく>を惠み玉ふ。死すとも御心に報ひたてまつらんといふ。左門諌て。ちからなきことはな聞え玉ひそ。凡疫は日数あり。其ほどを退ぬれば壽命をあやまたず。吾日々に詣てつかへまいらすべしと。実<まめ>やかに約<ちぎ>りつゝも。心をもちあて助けるに。病漸<やや>減じてこゝち淸<すゞ>しくおぼえければ。あるじにも念比に詞をつくし。左門が陰德をたふとみて。其生業<なりはひ>をもたづね。己が身の上をもかたりていふ。故出雲の國松江の鄕<さと>に生長<ひとゝなり>て。赤穴<あかな>宗右衞門といふ者なるが。わづかに兵書の旨を察<あきらめ>しによりて。冨田の城主塩冶掃部介<えんやかもんのすけ>。吾を師として物斈<まな>び玉ひしに。近江の佐々木氏綱に密<みそか>の使にえらばれて。かの舘<みたち>にとゞまるうち。前の城主尼子經久<つねひさ>。山中黨をかたらひて大三十日<みそか>の夜不慮<すゞろ>に城を乘<のり>とりしかば。掃部殿も討死ありしなり。もとより雲州は佐々木の持國<もちぐに>にて。塩冶は守護代なれば。三沢三刀屋<みざはみとや>を助けて。經久を亡ぼし玉へとすゝむれども。氏綱は外勇<ほかゆう>にして内怯<おびえ>たる愚將なれば果さず。かへりて吾を國に逗<とゞ>む。故なき所に永く居らじと。己<おの>が身ひとつを竊<ぬす>みて國に還る路に。此疾<やまひ>にかゝりて。思ひがけずも師を勞<わづらは>しむるは。身にあまりたる御恩<めぐみ>にこそ。吾半世の命をもて必報ひたてまつらん。左門いふ。見る所を忍びざるは人たるものゝ心なるべければ。厚き詞ををさむるに故なし。猶逗まりていたはり給へと。実<まこと>ある詞を使りにて日比<ひごろ>經るまゝに。物みな平生<つね>に迩<ちか>くぞなりにける。

 此日比左門はよき友もとめたりとて。日夜交はりて物がたりすに。赤穴も諸子百家の事おろおろかたり出て。問わきまふる心愚<おろか>ならず。兵機<へいき>のことわりはをさをさしく聞えければ。ひとつとして相ともにたがふ心もなく。かつ感<めで>。かつよろこびて。終に兄弟の盟<ちかひ>をなす。赤穴五歳長じたれば。伯氏<あに>たるべき礼義ををさめて。左門にむかひていふ。吾父母に離<わか>れまいらせていとも久し。賢弟が老母は即<やがて>吾母なれば。あらたに拝みたてまつらんことを願ふ。老母あはれみてをさなき心を肯<うけ>給はんや。左門歡びに堪ず。母なる者常に我孤獨を憂ふ。信ある言<ことば>を告<つげ>なば齡も延なんにと。伴ひて家に歸る。老母よろこび迎へて。吾子<わがこ>不才にて。斈<まな>ぶ所時にあはず靑雲の便りを失なふ。ねがふは捨ずして伯氏たる敎を施し給へ。赤穴拝していふ。大丈夫は養を重しとす。功名富貴はいふに足ず。吾いま母公<ぼこう>の慈愛<めぐみ>をかふむり。賢弟の敬<いや>を納むる。何の望かこれに過べきと。よろこびうれしみつゝ。又日來<ひごろ>をとゞまりける。

 きのふけふ咲ぬると見し尾上<おのへ>の花も散はてゝ。凉しき風による浪に。とはでもしろき夏の初になりぬ。赤穴母子にむかひて。吾近江を遁來りしも。雲州の動靜<やうす>を見んためなれば。一たび下向<くだり>てやがて歸來り。菽水<しゆくすゐ>の奴<つぶね>に御恩をかへしたてまつるべし。今のわかれを給へといふ。左門いふ。さあらば兄長<このかみ>いつの時にか歸り玉ふべき。赤穴いふ。月日は逝<ゆき>やすし。おそくとも此秋は過<すぐ>さじ。左門云。秋はいつの日を定て待べきや。ねがふは約し玉へ。赤穴云。重陽<こゝぬか>の佳節<かせつ>をもて歸來る日とすべし。左門いふ。兄長必此日をあやまり玉ふな。一枝の菊花に薄酒<うすきさけ>を備へて待たてまつらんと。互に情<まこと>をつくして赤穴は西に歸りけり。

 あら玉の月日はやく經<へ>ゆきて。下技<したえ>の茱萸<ぎみ>色づき。垣根の野ら菊艶<にほ>ひやかに。九月<ながつき>にもなりぬ。九日<こゝぬか>はいつよりも蚤<はや>く起出て。草の屋の席<むしろ>をはらひ。黄菊しら菊二枝三枝小瓶<こがめ>に挿<さし>。嚢<ふくろ>をかたふけて酒飯の設<まうけ>をす。老母云。かの八雲たつ國は山陰<ぎた>の果にありて。こゝには百里を隔つると聞ば。けふとも定がたきに。其來しを見ても物すとも遲からじ。左門云。赤穴は信<まこと>ある武士<ものゝべ>なれば必約を誤らじ。其人を見てあはたゝしからんは思はんことの恥かしとて。美酒<よきさけ>を沽<か>ひ鮮<あらざけき>魚を宰<に>て厨<くりや>に備ふ。此日や天晴て。千里に雲のたちゐもなく。草枕旅ゆく人の群々かたりゆくは。けふは誰某<たれがし>がよき京入<みやこいり>なる。此度<たび>の商物によき德とるべき祥<さが>になんとて過。五十<いそぢ>あまりの武士。廿<はたち>あまりの同じ出立なる。日和<には>はかばかりよかりしものを。明石より船もとめなば。この朝びらきに牛□11<牛窓>の門<と>の泊りは追べき。若き男は却<けく>物怯<をびへ>して。錢おほく費やすことよといふに。殿の上<のぼ>らせ玉ふ時。小豆嶋より室津のわたりし玉ふに。なまからきめにあはせ玉ふを。從<みとも>に侍りしものゝかたりしを思へば。このほとりの渡りは必怯<をびゆ>べし。な恚<ふつくみ>玉ひそ。魚が橋の蕎麥<くろむぎ>ふるまひまをさんにといひなぐさめて行。口とる男の腹だゝしげに。此死馬<しにうま>は眼をもはたけぬかと。荷鞍<にぐら>おしなほして追もて行。午時<ひる>もやゝかたふきぬれど。待つる人は來らず。西に沈む日に。宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも。外の方のみまもられて心醉<ゑへ>るが如し。

 老母左門をよびて。人の心の秋にはあらずとも。菊の色こきはけふのみかは。歸りくる信だにあらば。空は時雨にうつりゆくとも何をか怨べき。入て臥もして。又翌の日を待べしとあるに。否みがたく。母をすかして前に臥しめ。もしやと戸の外に出て見れば。銀河影きえぎえに。氷輪我のみを照して淋しきに。軒守る犬の吼<ほゆ>る聲すみわたり。浦浪の音ぞこゝもとにたちくるやうなり。月の光も山の際<は>に陰<くら>くなれば。今はとて戸を閉て入んとするに。たゞ看<みる>おぼろなる黑影<かげろひ>の中に人ありて。風の随<まにまに>來るをあやしと見れば赤穴宗右衞門なり。踊りあがるこゝちして。小弟蚤くより待て今にいたりぬる。盟たがはで來り給ふことのうれしさよ。いざ入せ玉へといふめれど。只點頭<うなづき>て物をもいはである。左門前にすゝみて。南の□11<まど>の下にむかへ座につかしめ。兄長來り玉ふことの遲かりしに。老母も待わびて。翌こそと臥所<ふしど>に入らせ結ふ。寤<さま>させまいらせんといへるを。赤穴又頭<かしら>を搖<ゆり>てとゞめつも。更に物をもいはでぞある。左門云。既に夜を續<つぎ>て來し玉ふに。心も倦<うみ>足も勞<つか>れ玉ふべし。幸に一杯<はい>を酌<くみ>て歇息<やすませ>給へとて。酒をあたゝめ。下物<さかな>を列<つら>ねてすゝむるに。赤穴袖をもて面<おもて>を掩<おほ>ひ其臭ひを嫌放<いみさく>るに似たり。左門いふ。井臼<せいきう>の力<つとめ>はた□12<もてな>すに足ざれども。己が心なり。いやしみ玉ふことなかれ。赤穴猶答へもせで。長嘘をつぎつゝ。しばししていふ。賢弟が信ある饗應<あるじぶり>をなどいなむべきことわりやあらん。欺くに詞なければ。実<じつ>をもて告<つぐ>るなり。必しもあやしみ給ひそ。吾は陽世<うつせみ>の人にあらず。きたなき靈<たま>のかりに形を見えつるなり。左門大に驚きて。兄長何ゆゑにこのあやしきをかたり出玉ふや。更に夢ともおぼえ侍らず。赤穴いふ。賢弟とわかれて國にくだりしが。國人大かた經久が勢ひに服<つき>て。塩冶の恩を顧るものなし。從弟<いとこ>なる赤穴丹治冨田の城にあるを訪らひしに。利害を説て吾を經久に見えしむ。假に其詞を容<いれ>て。つらつら經久がなす所を見るに。萬夫の雄人に勝れ。よく士卒<いくさ>を習練<たならす>といへども。智を用うるに狐疑の心おほくして。腹心爪牙<ふくせんさうが>の家の子なし。永く居りて益なきを思ひて。賢弟が菊花の約ある□13<こと>をかたりて去<さら>んとすれば。經久怨める色ありて。丹治に令し。吾を大城<おほぎ>の外にはなたずして。遂にけふにいたらしむ。此約にたがふものならば。賢弟吾を何ものとかせんと。ひたすら思ひ沈めども遁<のが>るゝに方なし。いにしへの人のいふ。人一日に千<ち>里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆくと。此ことわりを思ひ出て。みづから刄<やいば>に伏。今夜陰風<こよいかぜ>に乘てはるばる來り菊花の約に赴<つく>。この心をあはれみ玉へといひをはりて泪わき出るが如し。今は。永きわかれなり。只母公によくつかへ給へとて。座を立と見しがかき消て見えずなりにける。左門慌忙<あわて>とどめんとすれば。陰風<いんぷう>に眼<まなこ>くらみて行方をしらず。俯向<うつぶし>につまづき倒れたるまゝに。聲を放<はなち>て大に哭<なげ>く。老母目さめ驚き立て。左門がある所を見れば。座上<とこのべ>に酒瓶魚盛<さかがめなもり>たる皿どもあまた列<なら>べたるが中に臥倒<ふしたふ>れたるを。いそがはしく扶<たすけ>起して。いかにととへども。只聲を呑て泣々<なくなく>さらに言なし。老母問ていふ。伯氏赤穴が約<ちかひ>にたがふを怨<うらむ>るとならば。明日なんもし來るには言<ことば>なからんものを。汝かくまでをさなくも愚なるかとつよく諌<いさむ>るに。左門漸<やゝ>答へていふ。兄長今夜菊花の約に恃來る。酒□14<しゆかう>をもて迎ふるに。再三辞<あまたゝびいなみ>玉ふて云。しかしかのやうにて約に背くがゆゑに。自刄に伏て陰魂<なきたま>百里を來るといひて見えずなりぬ。それ故にこそは母の眠<なむり>をも驚かしたてまつれ。只々赦し玉へと□15然<さめざめ>と哭<なき>入を。老母いふ。牢裏に繋がるゝ人は夢にも赦さるゝを見え。渇するものは夢に漿水<しやうすい>を飮といへり。汝も又さる類にやあらん。よく心を靜むべしとあれども。左門頭を搖<ふり>て。まことに夢の正なきにあらず。兄長はこゝもとにこそありつれと。又聲を放<あげ>て哭倒る。老母も今は疑はず。相叫<よび>て其夜は哭あかしぬ。

 明る日左門母を拝していふ。吾幼なきより身を翰墨<かんぼく>に托<よす>るといへども。國に忠義の聞えなく。家に孝信をつくすことあたはず。徒に天地のあひだに生るゝのみ。兄長赤穴は一生を信義の爲に終る。小弟けふより出雲に下り。せめ

ては骨を藏<をさ>めて信を全うせん。公尊體<きみおほんみ>を保<たもち>給ふて。しばらくの暇<いとま>を玉ふべし。老母云。吾兒<わがこ>かしこに去ともはやく歸りて老が心を休めよ。永く逗まりてけふを舊<ひさ>しき日となすことなかれ。左門いふ。生は浮たる□16<あわ>のごとく。旦<あさ>にゆふべに定めがたくとも。やがて歸りまいるべしとて泪を振<ふる>ふて家を出。佐用氏にゆきて老母の介抱を苦<ねんごろ>にあつらへ。出雲の國にまかる路<みち>に。飢て食を思はず。寒きに衣をわすれて。まどろめば夢にも哭あかしつゝ。十日を経て冨田の大城にいたりぬ。

 先赤穴丹沿が宅<いへ>にいきて姓名をもていひ入るに。丹治迎へ請じて。翼ある物の告るにあらで。いかでしらせ玉ふべき。謂<いはれ>なしとしきりに問尋む。左門いふ。士たる者は富貴消息の事ともに論ずべからず。只信義をもて重しとす。伯氏<あに>宗右衞門一旦<たび>の約<ちかひ>をおもんじ。むなしき魂<たま>の百里を來るに報ひすとて。日夜を遂てこゝにくだりしなり。吾斈<まな>ぶ所について士に尋ねまいらすべき旨あり。ねがふは明らかに答へ給へかし。昔魏の公叔座<しゆくざ>病の牀<ゆか>にふしたるに。魏王みづからまうでゝ手をとりつも告るは。若諱<もしいむ>べからずのことあらば誰をして社稷<くに>を守らしめんや。吾ために敎<をしへ>を遺せとあるに。叔座いふ。商鞅<しやうをう>年少しといへども奇才あり。王若此人を用ゐ給はずば。これを殺しても境を出すことなかれ。他の國にゆかしめば必も後の禍となるべしと。苦に敎へて。又商鞅を私<ひそか>にまねき。吾汝をすゝむれども王許さゞる色あれば。用ゐずはかへりて汝を害し玉へと敎ふ。是君を先にし。臣を後にするなり。汝速く他の國に去て害を免るべしといへり。此事士と宗右衞門に比てはいかに。丹沿只頭<かしら>を低<たれ>て言<ことば>なし。左門座をすゝみて。伯氏宗右衞門塩冶が舊交<よしみ>を思ひて尼子に仕へざるは義士なり。士は旧主の塩冶を捨て尼子に降<くだ>りしは士たる義なし。伯氏は菊花の約を重んじ。命を捨て百里を來<こ>しは信<まこと>ある極<かぎり>なり。士は今尼子に媚<こび>て骨肉の人をくるしめ。此橫死<わうし>をなさしむるは友とする信なし。經久強てとゞめ玉ふとも。舊<ひさ>しき交はりを思はゞ。私に商鞅叔座が信をつくすべきに。只榮利にのみ走りて士家の風なきは。即尼子の家風なるべし。さるから兄長何故此國に足をとゞむべき。吾今信義を重んじて態々<わざわざ>こゝに來る。汝は又不義のために汚名をのこせとて。いひもをはらず拔打に斬つくれば。一刀<かたな>にてそこに倒<たを>る。家眷<いへのこ>ども立騒ぐ間にはやく逃れ出て跡なし。尼子經久此よしを傳へ聞て。兄弟信義の篤きをあはれみ。左門が跡をも強て遂<おは>せざるとなり。咨<あゝ>輕薄の人と交はりは結ぶべからずとなん

                                            雨月物語一之卷終

 雨月物語 卷之二

    淺茅が宿<あさぢがやど>

 下総<しもをさ>の國葛錺都眞間<かつしかのこほりまゝ>の鄕<さと>に。勝四郞といふ男ありけり。祖父<おほぢ>より舊<ひさ>しくこゝに住田畠<ばた>あまた主<ぬし>づきて家豊<ゆたか>に暮しけるが。生長<ひとゝなり>て物にかゝはらぬ性<さが>より。農作<なりはい>をうたてき物に厭ひけるまゝに。はた家貧しくなりにけり。さるほどに親族<うから>おほくにも疎<うとん>じられけるを。朽<くち>をしきことに思ひしみて。いかにもして家を興<おこ>しなんものをと左右<とかく>にはかりける。其比雀部<さゝべ>の曾<そう>次といふ人。足利染の絹を交易するために。年々京よりくだりけるが。此鄕に氏族<やから>のありけるを屡<しばしば>來<き>訪らひしかば。かねてより親しかりけるまゝに。商人となりて京にまうのぼらんことを賴みしに。雀部いとやすく肯<うけ>がひて。いつの比はまかるべしと聞えける。他<かれ>がたのもしきをよろこびて。殘る田をも販<うり>つくして金に代。絹素<きぬ>あまた買積て。京にゆく日をもよほしける。

 勝四郞が妻宮木<みやぎ>なるものは。人の目とむるばかりの容<かたち>に。心ばへも愚<おろか>ならずありけり。此度勝四郞が商物買て京にゆくといふをうたてきことに思ひ。言をつくして諌むれども。常の心のはやりたるにせんかたなく。梓弓末<あづさゆみすゑ>のたづきの心ぼそきにも。かひがひしく調<こし>らへて。其夜はさりがたき別れをかたり。かくてはたのみなき女心の。野にも山にも惑ふばかり。物うきかぎりに侍り。朝に夕べにわすれ玉はで。速く歸り給へ。命だにとは思ふものゝ。明<あす>をたのまれぬ世のことわりは。武き御心にもあはれみ玉へといふに。いかで浮木<うきぎ>に乘つもしらぬ國に長居せん。葛のうら葉のかへるは此秋なるべし。心づよく待玉へといひなぐさめて。夜も明ぬるに。鳥が啼東を立出て京の方へ急ぎけり。

 此年享德の夏。鎌倉の御所成氏朝臣。管領の上杉と御中放<さけ>て。舘兵<へう>火に跡なく滅ければ。御所は総州の御味方へ落させ玉ふより。関の東忽に乱れて。心々の世の中となりしほどに。老たるは山に逃竄れ。弱きは軍民にもよほされ。けふは此所を燒はらふ。明は敵のよせ來るぞと。女わらべ等は東西に迯まどひて泣かなしむ。勝四郞が妻なるものも。いづちへも遁れんものをと思ひしかど。此秋を待と聞えし夫の言を賴みつゝも。安からぬ心に日をかぞへて暮しける。秋にもなりしかど風の便りもあらねば。世とゝもに憑<たの>みなき人心かなと。恨みかなしみおもひくづをれて

  身のうさは人しも告じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮ぬと

かくよめれども。國あまた隔ぬれば。いひおくるべき傳<つて>もなし。世の中騒がしきにつれて。人の心も恐しくなりにたり。適間<たまたま>とふらふ人も。宮木がかたちの愛<めで>たきを見ては。さまざまにすかしいざなへども。三貞の賢き操を守りてつらくもてなし。後は戸を閉<たて>て見えざりけり。一人の婢女<はしため>も去て。すこしの貯へもむなしく。其年も暮ぬ。年あらたまりぬれども猶をさまらず。あまさへ去年<こぞ>の秋京家の下知として。美渡の國郡上<ぐじやう>の主。東の下野守常縁<つねより>に御旗<みはた>を給<た>びて。下野の領所<しるところ>にくだり。氏族<しぞく>千葉の実胤<さねたね>とはかりて責<せむ>るにより。御所方も固く守りて拒<ふせ>ぎ戰ひけるほどに。いつ果<はつ>べきとも見えず。野伏等はこゝかしこに寨<さゐ>をかまへ。火を放ちて財<たから>を奪ふ。八州すべて安き所もなく。淺ましき世の費<つひえ>なりけり。

 勝四郞は雀部に從ひて京にゆき。絹ども殘りなく交易せしほどに。當時<このごろ>都は花美<くはび>を好む節<とき>なれば。よき德とりて東に歸る用意<はかりごと>をなすに。今度上杉の兵<つはもの>鎌倉の御所を陥<おと>し。なほ御跡をしたふて責討ば。古鄕の邊<ほと>りは干戈<かんくは>みちみちて。□17鹿<たくろく>の岐<ちまた>となりしよしをいひはやす。まのあたりなるさへ僞<いつはり>おほき世説<よがたり>なるを。ましてしら雲の八重に隔たりし國なれば。心も心ならず。八月のはじめ京をたち出て。岐曾<きそ>の眞坂<みさか>を日くらしに踰<こえ>けるに。落草<ぬすびと>ども道を塞<さゝ>へて。行李も殘りなく奪はれしがうへに。人のかたるを聞けば。是より東の方は所々に新関を居<すゑ>て。放客<たびびと>の徃來<いきゝ>をだに宥<ゆる>さゞるよし。さては消息をすべきたづきもなし。家も兵火にや亡びなん。妻も世に生てあらじ。しからば古鄕<ふるさと>とても鬼のすむ所なりとて。こゝより又京に引かへすに。近江の國に入て。にはかにこゝちあしく。□57<あつ>き病を憂ふ。武佐<むさ>といふ所に。兒玉<こだま>嘉兵衞とて冨貴の人あり。是は雀部が妻の産所<さと>なりければ苦にたのみけるに。此人見捨ずしていたはりつも。醫をむかへて藥の事專<もはら>なりし。やゝこゝち淸<すゞ>しくなりぬれば。篤き恩をかたじけなうす。されど歩む事はまだはかばかしからねば。今年は思ひがけずもこゝに春を迎ふるに。いつのほどか此里にも友をもとめて。揉<ため>ざるに直<なほ>き志を賞ぜられて。兒玉をはじめ誰々も賴もしく交りけり。此後は京に出て雀部をとふらひ。又は近江に歸りて兒玉に身を托<よせ>。七とせがほどは夢のごとくに過しぬ。

 寛正二年。畿内河内の國に畠山が同根の爭ひ果さゞれば。京<みやこ>ぢかくも騷がしきに。春の頃より瘟疫<えやみ>さかんに行はれて。屍<かばね>は衢<ちまた>に疊<つみ>。人の心も今や一劫<こう>の尽るならんと。はかなきかぎりを悲しみける。勝四郞□56<つらつら>思ふに。かく落魄<おちぶれ>てなす事もなき身の何をたのみとて遠き國に逗まり。由縁<ゆゑ>なき人の惠みをうけて。いつまで生べき命なるぞ。古鄕に捨し人の消息をだにしらで。萱草<わすれぐさ>おひぬる野方<のべ>に長々しき年月を過しけるは。信なき己が心なりける物を。たとへ泉下<せんか>の人となりて。ありつる世にはあらずとも。其あとをももとめて□18<つか>をも築<つく>べけれと。人々に志を告て。五月雨<さみだれ>のはれ間に手をわかちて。十日あまりを經て古鄕に歸り着ぬ。

 此時日ははや西に沈みて。雨雲はおちかゝるばかりに闇<くら>けれど。舊<ひさ>しく住なれし里なれば迷ふべうもあらじと。夏野わけ行に。いにしへの繼橋<つぎはし>も川瀨におちたれば。げに駒の足音もせぬに。田畑は荒たきまゝにすさみて舊<もと>の道もわからず。ありつる人居<いへゐ>もなし。たまたまこゝかしこに殘る家に人の住とは見ゆるもあれど。昔には似つゝもあらね。いづれか我住し家ぞと立惑ふに。こゝ二十歩ばかりを去て。雷<らい>に摧<くだか>れし松の聳えて立るが。雲間の星のひかりに見えたるを。げに我軒の標<しるし>こそ見えつると。先喜<まづうれ>しきこゝちしてあゆむに。家は故にかはらであり。人も住と見えて。古戸<ふるど>の間<すき>より燈火の影もれて輝々<きらきら>とするに。他<こと>人や住。もし其人や在<いま>すかと心躁<さはが>しく。門に立よりて咳すれば。内にも速く聞とりて。誰<たそ>と咎<とが>む。いたうねびたれど正しく妻の聲なるを聞。夢かと胸のみさわがれて。我こそ歸りまゐりたり。かはらで獨自<ひとり>淺茅が原に住つることの不思議さよといふを。聞しりたればやがて戸を明るに。いといたう黑く垢<あか>づきて。眼<まみ>はおち入たるやうに。結<あげ>たる髪も脊にかゝりて。故<もと>の人とも思はれず。夫<をとこ>を見て物をもいはで潸然<さめざめ>となく。勝四郞も心くらみてしばし物をも聞えざりしが。やゝしていふは。今までかくおはすと思ひなば。など年月を過すべき。去ぬる年京にありつる日。鎌倉の兵乱<へうらん>を聞。御所の師潰<いくさついえ>しかば。総州に避て禦ぎ玉ふ。管領これを責る事急なりといふ。其明<あす>雀部にわかれて。八月のはじめ京を立く。木曾路を來るに。山賊<だち>あまたに取こめられ。衣服金銀殘りなく掠<かす>められ。命ばかりを辛勞<からう>じて助かりぬ。且里人のかたるを聞ば。東海東山の道はすべて新関を居<すゑ>て人を駐<とゞ>むるよし。又きのふ京より節刀使<せつとし>もくだり玉ひて。上杉に与<くみ>し。総州の陣に向はせ玉ふ。本國の邊りは疾<とく>に燒はらはれ馬の蹄尺地<ひづめせきち>も間<ひま>なしとかたるによりて。今は□19塵<くはいぢん>とやなり玉ひけん。海にや沈み玉ひけんとひたすらに思ひとゞめて。又京にのぼりぬるより。人に餬口<くちもらひ>て七とせは過しけり。近曾<このごろ>すゞろに物のなつかしくありしかば。せめて其蹤<あと>をも見たきまゝに歸りぬれど。かくて世におはせんとは努々思はざりしなり。巫山<ふざん>の雲漢宮<かんきう>の幻にもあらざるやとくりことはてしぞなき。妻涙をとゞめて。一たび離<わか>れまいらせて後。たのむの秋より前に恐しき世の中となりて。里人は皆家を捨海に漂ひ山に隱<こも>れば。適<たまたま>に殘りたる人は。多く虎狼の心ありて。かく寡<やもめ>となりしを便りよしとや。言を巧みていざなへども玉と碎ても瓦の全<また>きにはならはじものをと。幾たびか辛苦<からきめ>を忍びぬる。銀河秋を告れども君は歸り給はず。冬を待。春を迎へても消息<おとづれ>なし。今は京にのぼりて尋ねまいらせんと思ひしかど。丈夫<ますらを>さへ宥<ゆる>さゞる関の鎖<とざし>を。いかで女の越<こゆ>べき道もあらじと。軒端の松にかひなき宿に。狐□20□21<きつねふくろう>を友として今日までは過しぬ。今は長き恨みもはればれとなりぬる事の喜<うれ>しく侍り。逢<あふ>を待間<まつま>に戀死なんは人しらぬ恨みなるべしと。又よゝと泣を。夜こそ短きにといひなぐさめてともに臥ぬ。

 □11<まど>の紙松風を啜<すゝ>りて夜もすがら凉しきに。途<みち>の長手に勞<つか>れ□56<うま>く寢<いね>たり。五更<ごかう>の天明<そらあけ>ゆく比。現<うつゝ>なき心にもすゞろに寒かりければ。衾□22<ふすまはづさ>んとさぐる手に。何物にや籟々<さやさや>と音するに目さめぬ。面<かほ>にひやひやと物のこぼるゝを。雨や漏<もり>ぬるかと見れば。屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて殘りたるも見ゆ。家は扉<と>もあるやなし。簀垣朽頽<すがきくちくづれ>たる間<ひま>より。荻薄<をぎすゝき>髙く生<おひ>出て。朝露うちこぼるゝに。袖濕<ひぢ>てしぼるばかりなり。壁には蔦葛延<つたくずはひ>かゝり。庭は葎<むぐら>に埋れて。秋ならねども野らなる宿なりけり。さてしも臥たる妻はいづち行けん見えず。狐などのしわざにやと思へば。かく荒果ぬれど故住し家にたがはで。廣く造り作<なせ>し奧わたりより。端の方。稻倉<いなぐら>まで好みたるまゝの形なり。呆自<あきれ>て足の踏所<ふみど>さへ失<わす>れたるやうなりしが。熟<つらつら>おもふに。妻は既に死<まかり>て。今は狐狸の住かはりて。かく野らなる宿となりたれば。怪しき鬼<もの>の化<け>してありし形を見せつるにてぞあるべき。若又我を慕ふ魂<たま>のかへり來りてかたりぬるものか。思ひし事の露たがはざりしよと。更に涙さへ出ず。我身ひとつは故<もと>の身にしてとあゆみ□23るに。むかし閨房<ふしど>にてありし所の簀子<すのこ>をはらひ。土を積て□18とし。雨露をふせぐまうけもあり。夜<よべ>の靈はこゝもとよりやと恐しくも且なつかし。水向<むけ>の具物せし中に。木の端を刪<けづ>りたるに。那須野紙のいたう古びて。文字もむら消して所々見定めがたき。正しく妻の筆の跡なり。法名といふものも年月もしるさで。三十一字に未期<いまは>の心を哀にも展<のべ>たり

   さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

 こゝにはじめて妻の死<しゝ>たるを覺りて。大に叫びて倒れ伏す。去とて何の年何の月日に終りしさへしらぬ淺ましさよ。人はしりもやせんと。涙をとゞめて立出れば。日髙くさし昇りぬ。先ちかき家に行て主を見るに。昔見し人にあらず。かへりて何國の人ぞと咎む。勝四郞礼<ゐや>まひていふ。此隣なる家の主<あるじ>なりしが。過活<わたらひ>のため京に七とせまでありて。昨<きそ>の夜歸りまゐりしに。既に荒廢<あれすさみ>て人も住ゐ侍らず。妻なるものも死しと見えて□18の設<まうけ>も見えつるが。いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り。しらせ給はゞ敎玉へかし。主の男いふ。哀にも聞え玉ふものかな。我こゝに住もいまだ一とせばかりの事なれば。それよりはるかの昔に亡<うせ>玉ふと見えて。住玉ふ人のありつる世はしり侍らず。すべて此里の舊き人は兵乱の初に逃失<にげうせ>て。今住居する人は大かた他より移り來たる人なり。只一人の君の侍るが。所に舊しき人と見え玉ふ。時々<をりをり>あの家にゆきて。亡玉ふ人の菩提を吊<とふら>はせ玉ふなり。此翁こそ月日をもしらせ玉ふべしといふ。勝四郞いふ。さては其翁の栖<すみ>玉ふ家は何方<いづべ>にて侍るや。主いふ。こゝより百歩ばかり濱の方に。麻おほく種<うゑ>たる畑の主にて。其所にちいさき庵して住せ玉ふなりと敎ふ。勝四郞よろこびてかの家にゆきて見れば。七十可<なゝそぢばかり>の翁の。腰は淺ましきまで屈<かゞま>りたるが。庭竃<にはかまど>の前に圓座敷<わらふだしき>て茶を啜り居る。翁も勝四郞と見るより。吾主<わぬし>何とて遲く歸り玉ふといふを見れば。此里に久しき漆間<うるま>の翁といふ人なり。

 勝四郞。翁が髙齡をことぶきて。次に京に行て心ならずも逗りしより。前夜<さきのよ>のあやしきまでを詳にかたりて。翁が□18を築て祭り玉ふ恩<めぐみ>のかたじけなきを告つゝも涙とゞめがたし。翁いふ。吾主遠くゆき玉ひて後は。夏の比より

干戈<かんくは>を揮<ふる>ひ出て。里人は所々に遁れ。弱<わか>き者どもは軍民に召<めさ>るゝほどに。桑田<さうでん>にはかに狐兎<こと>の叢<くさむら>となる。只烈婦<さかしめ>のみ主<ぬし>が秋を約ひ玉ふを守りて。家を出玉はず。翁も又足蹇<なへぎ>て百歩を難しとすれば。深く閉こもりて出ず。一旦樹神<ひとたびこだま>などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを。幼き女子の矢武<やたけ>におはするぞ。老が物見たる中のあはれなりし。秋去<さり>春來りて。其年の八月十日といふに死玉ふ。惆<いとほ>しさのあまりに。老が手づから土を運びて柩<ひつぎ>を藏<をさ>め。其終焉<おはり>に殘し玉ひし筆の跡を□18のしるしとして蘋□24行潦<みづむけ>の祭りも心ばかりにものしけるが。翁もとより筆とる事をしもしらねば。其月日を紀<しる>す事もえせず。寺院遠ければ贈号<おくりな>を求むる方もなくて。五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞に。必烈婦の魂の來り給ひて。舊しき恨みを聞え玉ふなるべし。復びかしこに行て念比にとふらひ給へとて。杖を曳て前に立。相ともに□18のまへに俯して聲を放て歎きつゝも。其夜はそこに念佛して明しける。

 寢られぬまゝに翁かたりていふ。翁が祖父<おほぢ>の其祖父すらも生れぬはるかの徃古<いにしへ>の事よ。此鄕に眞間<まま>の手兒女<てごな>といふいと美しき娘子<おとめ>ありけり。家貧しければ身には麻衣に靑衿つけて。髪だも梳<けづ>らず。履<くつ>だも穿<はか>ずてあれど。面<かほ>は望<もち>の夜の月のごと。笑<ゑめ>ば花の艶ふが如。綾錦に裹<つゝ>める京女□25<みやこぢよろう>にも勝りたれとて。この里人はもとより。京の防人等<さきもりたち>。國の隣の人までも。言をよせて戀慕ばざるはなかりしを。手兒女物うき事に思ひ沈みつゝ。おほくの人の心に報ひすとて。此前囘<うらわ>の波に身を投<なげ>しことを。世の哀なる例<ためし>とて。いにしへの人は歌にもよみ玉ひてかたり傳へしを。翁が稚かりしときに。母のおもしろく話り玉ふをさへいと哀なることに聞しを。此亡人の心は昔の手兒女がをさなき心に幾らをかまさりて悲しかりけんと。かたるかたる涙さしぐみてとゞめかぬるぞ。老は物えこらへぬなりけり。勝四郞が悲しみはいふべくもなし。此物がたりを聞て。おもふあまりを田舎人の口鈍くもよみける

 いにしへの眞間の手兒奈をかくばかり戀てしあらん眞間のてごなを

思ふ心のはしばかりをもえいはぬぞ。よくいふ人の心にもまさりてあはれなりとやいはん。かの國にしばしばかよふ一商人の聞傳へてかたりけるなりき

        夢應の鯉魚<むをうのりぎよ>

 むかし延長の頃。三井寺に興義<こうぎ>といふ僧ありけり。繪に巧なるをもて名を世にゆるされけり。嘗に画く所。佛像山水花鳥を事とせず。寺務の間ある日は湖に小船をうかべて。網引<あびき>釣する泉郞<あま>に錢を与へ。獲たる魚をもとの江に放ちて。其魚の遊躍<あそぶ>を見ては画<ゑが>きけるほどに。年を經て細妙<くはしき>にいたりけり。或ときは繪に心を凝<こら>して眠をさそへば。ゆめの裏に江に入て。大小の魚とともに遊ぶ。覺<さむ>れば即<やがて>見つるまゝを画きて壁に貼<お>し。みづから呼て夢應の鯉魚と名付けり。其繪の妙なるを感<めで>て乞要<もと>むるもの前後<ついで>をあらそへば。只花鳥山水は乞にまかせてあたへ。鯉魚の繪はあながちに惜みて。人毎に戲<たはふ>れていふ。生を殺し鮮<あざらけ>を喰ふ凡俗の人に。法師の養ふ魚必しも与へずとなん。其繪と俳諧<わざごと>とゝもに天下に聞えけり。

 一とせ病に係りて。七日を經て忽に眼を閉<とぢ>息絶てむなしくなりぬ。徒弟友どちあつまりて歎き惜みけるが。只心頭<むね>のあたりの微<すこ>し暖なるにぞ。若やと居めぐりて守りつも三日を經にけるに。手足すこし動き出るやうなりしが。忽長嘘<ためいき>を吐て。眼をひらき。醒たるがごとくに起あがりて。人々にむかひ我人事をわすれて既に久し。幾日をか過しけん。衆弟等いふ。師三日前に息たえ玉ひぬ。寺中の人々をはじめ。日比陸まじくかたり玉ふ殿原も詣玉ひて葬<はうむり>の事をもはかり玉ひぬれど只師が心頭の暖なるを見て。柩にも藏めでかく守り侍りしに。今や蘓生<よみがへり>玉ふにつきて。かしこくも物せざりしよと怡<よろこ>びあへり。興義點頭<うなづき>ていふ。誰にもあれ一人檀家の平の助の殿の舘に詣て告さんは。法師こそ不思識に生侍れ。君今酒を酌鮮き鱠<なます>をつくらしめ玉ふ。しばらく宴を罷<やめ>て寺に詣させ玉へ。稀有の物がたり聞えまいらせんとて。彼人々々のある形を見よ。我詞に露たがはじといふ。使異<あや>しみながら彼舘に徃て其由をいひ入れてうかゞひ見るに。主の助をはじめ。令弟<おとうと>の十郞。家の子掃守<かもり>など居めぐりて酒を酌ゐたる。師が詞のたがはぬを奇<あやし>とす。助の舘の人々此事を聞て大に異しみ。先箸を止て。十郞掃守をも召具して寺に到る。

 興義枕をあげて路次の勞ひをかたじけなうすれば。助も蘓生の賀を述ぶ。興義先問ていふ。君試に我いふ事を聞せ玉へ。かの漁父<ぎよふ>文四に魚をあつらへ玉ふ事ありや。助驚きて。まことにさる事あり。いかにしてしらせ玉ふや。興義。かの漁父三尺あまりの魚を篭に入て君が門に入。君は賢弟と南面<みなみおもて>の所に碁を囲みておはす。掃守傍に侍りて。桃の実の大なるを啗<く>ひつゝ奕<えき>の手段を見る。漁父が大魚<まな>を携へ來るを□58<よろこ>びて。髙杯に盛たる桃をあたへ。又盃を玉ふて三献飮<のま>しめ玉ふ。鱠手<かしはびと>したり顏に魚をとり出て鱠にせしまで。法師がいふ所たがはでぞあるらめといふに。助の人々此事を聞て。或は異しみ。或はこゝち惑ひて。かく詳なる言のよしを頻<しきり>に尋ぬるに。興義かたりていふ。

 我此頃病にくるしみて堪がたきあまり。其死<しゝ>たるをもしらず。□57<あつ>きこゝちすこしさまさんものをと。杖<つゑ>に扶<たすけ>られて門を出れば。病もやゝ忘れたるやうにて篭<こ>の鳥の雲井にかへるこゝちす。山となく里となく行々て。又江の畔<ほとり>に出<いづ>。湖水の碧<みどり>なるを見るより。現<うつゝ>なき心に浴<あび>て遊びなんとて。そこに衣を脱去て。身を跳<をど>らして深きに飛入つも。彼此<をちこち>に游<および>めぐるに。幼<わかき>より水に狎<なれ>たるにもあらぬが。慾<おも>ふにまかせて戲<たはふ>れけり。今思へば愚なる夢ごゝろなりし。されども人の水に浮ふは魚のこゝろよきにはしかず。こゝにて又魚の遊びをうらやむこゝろおこりぬ傍<かたはら>にひとつの大魚ありていふ。師のねがふ事いとやすし。待せ玉へとて。杳<はるか>の底に去<ゆく>と見しに。しばしして。冠□26束<がむりさうぞく>したる人の。前<さき>の大魚<まな>に胯がりて。許多<あまた>の鼇魚<うろくず>を牽<ひき>ゐて浮び來たり我にむかひていふ。海若<わたづみ>の詔あり。老僧かねて放生の功德多し。今江に入て魚の遊躍<あそび>をねがふ。權<かり>に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ玉ふ。只餌<ゑ>の香<かん>ばしきに眛<くら>まされて。釣の糸にかゝり身を亡ふ事なかれといひて去て見えずなりぬ。不思義のあまりにおのが身をかへり見れば。いつのまに鱗金光<うろこきんかう>を備へてひとつの鯉魚と化<け>しぬ。あやしとも思はで。尾を振<ふり>鰭を動かして心のまゝに逍遥す。まづ長等の山おろし。立ゐる浪に身をのせて。志賀の大湾<おほわだ>の汀に遊べば。かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて。比良<ひら>の髙山影うつる。深き水底に潛<かづ>くとすれど。かくれ堅田の漁火によるぞうつゝなき。ぬば玉の夜中の□6<かた>にやどる月は。鏡の山の峯に淸<すみ>て。八十の湊の八十隈<やそくま>もなくておもしろ。沖津嶋山。竹生嶋<ちくぶしま>。波にうつろふ朱<あけ>の垣こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に。且妻船<あさづまぶね>も漕出れば。芦間の夢をさまされ。矢橋の渡りする人の水なれ棹をのがれては。瀨田の橋守にいくそたびが追れぬ。日あたゝかなれば浮ひ。風あらきときは千尋の底に遊ぶ。

 急にも飢て食<もの>ほしげなるに。彼此に□27<あさ>り得ずして狂ひゆくほどに。忽文四が釣を垂るにあふ。其餌はなはだ香し。心又河伯<がみ>の戒<いましめ>を守りて思ふ。我は佛の御弟子なり。しばし食を求め得ずとも。なぞもあさましく魚の餌を飮<のむ>べきとてそこを去。しばしありて飢ますます甚しければ。かさねて思ふに。今は堪がたし。たとへ此餌を飮とも嗚呼<をこ>に捕れんやは。もとより他<かれ>は相識<しる>ものなれば。何のはゞかりかあらんとて遂に餌をのむ。文四はやく糸を収めて我を捕ふ。こはいかにするぞと叫びぬれども。他かつて聞ず顏にもてなして縄をもて我腮<あぎと>を貫ぬき。芦間に船を繋ぎ。我を篭に押入て君が門に進み入。君は賢弟と南面の間に奕して遊ばせ玉ふ。掃守傍に侍りて菓<このみ>を啗<くら>ふ。文四がもて來し大魚を見て人々大に感させ給ふ。我其とき人々にむかひ聲をはり上て。旁等<かたがたら>は興義をわすれ玉ふか。宥<ゆる>させ玉へ。寺にかへさせ玉へと連<しき>りに叫びぬれど。人々しらぬ形にもてなして。只手を拍<うつ>て喜び給ふ。鱠手<かしは人>なるものまづ我兩眼を左手の指にてつよくとらへ。右手に礪<とぎ>すませし刀をとりて俎盤<まないた>にのぼし既に切べかりしとき。我くるしさのあまりに大聲をあげて。佛弟子を害する例やある。我を助けよ助けよと哭叫<なきさけ>びぬれど。聞入ず。終に切るゝとおぼえて夢醒たりとかたる。人々大に感異<めであや>しみ。師が物がたりにつきて思ふに。其度ごとに魚の口の動くを見れど。更に聲を出す事なし。かゝる事まのあたりに見しこそいと不思議なれとて。從者<ずさ>を家に走しめて殘れる鱠を湖に捨させけり。

 興義これより病癒て杳<はるか>の後天年<よはひ>をもて死ける。其終焉<をはり>に臨みて画く所の鯉魚数枚<すまい>をとりて湖に散せば。画ける魚紙繭<しけん・かみきぬ>をはなれて水に遊戲<ゆうげ>す。こゝをもて興義が繪世に傳はらず。其弟子成光なるもの。興義が神妙をつたへて時に名あり。閑院の殿の障子に鷄を画<ゑがき>しに。生る鷄この繪を見て蹴たるよしを。古き物がたりに戴たり

                                            雨月物語二之卷終

 雨月物語 卷之三

    佛 法 僧<ぶつぽうそう>

 うらやすの國ひさしく。民作業<なりはひ>をたのしむあまりに。春は花の下に息<やす>らひ。秋は錦の林を尋ね。しらぬ火の筑紫路もしらではと械<かぢ>まくらする人の。冨士筑波の嶺々を心にしむるぞそゞろなるかな。

 伊勢の相可<あふか>といふ鄕に。拝志<はやし>氏<うぢ>の人。世をはやく嗣<つぎ>に譲り。忌<いむ>こともなく頭おろして。名を夢然とあらため從来<もとより>身に病さへなくて。彼此<をちこち>の旅寝を老のたのしみとする。季子<すゑのこ>作之治なるものが生長<ひとゝなり>の頑<かたく>なるをうれひて。京の人見するとて。一月あまり二条の別業<べつげう>に逗まりて。三月の未吉野の奧の花を見て。知れる寺院に七日ばかりかたらひ。此ついでにいまだ髙野山を見ず。いざとて。夏のはじめ靑葉の茂みをわけつゝ。天の川といふより踰<こえ>て。摩尼<まに>の御山にいたる。道のゆくての嶮<さが>しきになづみて。おもはずも日かたふきぬ。檀場。諸堂靈廟<みたまや>。殘りなく拝みめぐりて。こゝに宿からんといへど。ふつに答ふるものなし。そこを行人に所の掟をきけば。寺院僧坊に便<たより>なき人は。麓<ふもと>にくだりて明すべし。此山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。いかゞはせん。さすがにも老の身の嶮しき山路を來しがうへに。事のよしを開て大きに心倦<うみ>つかれぬ。作之治がいふ。日もくれ。足も痛みて。いかゞしてあまたのみちをくだらん。弱き身は草に臥<ふす>とも厭ひなし。只病給はん事の悲しさよ。夢然云。旅はかゝるをこそ哀れともいふなれ。今夜<こよひ>脚をやぶり。倦つかれて山をくだるともおのが古鄕にもあらず。翌<あす。のみち又はかりがたし。此山は扶桑第一の靈場。大師の廣德<くはうとく>かたるに尽ず。殊にも來りて通夜し奉り。後世の事たのみ聞ゆべきに。幸<さいはひ>の時<をり>なれば。靈□10<みたまや>に夜もすがら法施<ほふせ>したてまつるべしとて。杉の下道のをぐらきを行行。靈廟の前なる燈篭堂の簀子<すのこ>に上<のぼ>りて。雨具うぢ敷座をまうけて。閑<しづか>に念仏<ねぶつ>しつゝも。夜の更ゆくをわびてぞある。

 方五十町に開きて。あやしげなる林も見えず。小石だも掃<はら>ひし福田ながら。さすがにこゝは寺院遠く。陀羅尼鈴錫<だらにれいしやく>の音<こゑ>も聞えず。木立は雲をしのぎて茂<しみ>さび。道に界<さか>ふ水の音ほそぼそと淸わたりて物がなしき。寢られぬまゝに夢然かたりていふ。そもそも大師の神化<じんくは>。土石草木も靈を啓<ひら>きて。八百<やほ>とせあまりの今にいたりて。いよゝあらたに。いよゝたふとし。遺芳歴踪<ゐはうれきそう>多きが中に。此山なん第一の道場なり。大師いまぞかりけるむかし。遠く唐土にわたり給ひ。あの國にて感させ玉ふ事おはして。此三鈷<こ>のとゞまる所我道を揚<あぐ>る靈地なりとて。沓冥<そら>にむかひて抛<なげ>させ給ふが。はた此山にとゞまりぬる。檀場の御前なる三鈷の松こそ此物の落とゞまりし地<ところ>なりと聞。すべて此山の草木泉石<さうもくせんせき>靈ならざるはあらずとなん。こよひ不思議にもこゝに一夜をかりたてまつる事。一世ならぬ善縁なり。□28<なんぢ>弱きとて努々<ゆめゆめ>信心をこたるべからずと。小<さゝ>やかにかたるも淸て心ぼそし。

 御廟<みべう>のうしろの林にと覺えて。仏法々々<ぶつぱんぶつぱん>となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして。あなめづらし。あの啼<なく>鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖<すみ>つるとは聞しかど。まさに其音を聞しといふ人もなきに。こよひのやどりまことに滅罪生善の祥<しるし>なるや。かの鳥は淸淨<しやうじやう>の地をえらみてすめるよしなり。上野<かんづけ>の國迦葉山<かせうざん>。下野<しもづけ>の國二荒<ふたら>山。山城の醍醐の峯。河内の杵長<しなが>山。就中<なかんづく>此山にすむ事。大師の詩偈<しげ>ありて世の人よくしれり

  寒林獨坐草堂曉<かんりんどくざさうだうのあかつき>

  三寶之聲聞一鳥<さんぽうのこゑをいつてうにきく>

  一鳥有聲人有心<いつてうこゑありひとこゝろあり>

  性心雲水倶了々<せいしんうんすゐともにれうれう>

又ふるき歌に

  松の尾の峯静<しづか>なる曙にあふざて聞けば佛法僧啼

むかし□54福寺<さいふくじ>の延朗法師は世にならびなき法華者なりしほどに。松の尾の御神此烏をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ傳ふれば。かの神垣にも巣<すむ>よしは聞えぬ。こよひの奇妙既に一鳥聲あり。我こゝにありて心なからんやとて。平生<つね>のたのしみとする俳諧風<はいかいぶり>の十七言を。しばしうちかたふいていひ出ける

  鳥の音<ね>も秘密の山の茂みかな

旅硯とり出て御燈の光りに書つけ。今一聲もがなと耳を倚<かたふく>るに。思ひがけずも遠く寺院の方より。前を追ふ聲の嚴敷<いかめしく>聞えて。やゝ近づき來たり。何人の夜深<ふけ>て詣玉ふやと。異しくも恐しく。親子顏を見あはせて息をつめ。そなたをのみまもり居るに。はや前駆<ぜんぐ>の若侍橋板をあらゝかに踏てこゝに來る。おどろきて堂の右に潛<ひそ>みかくるゝを。武士はやく見つけて。何者なるぞ。殿下のわたらせ給ふ。疾下<とくお>りよといふに。あはたゝしく簀子をくだり。土に俯して跪まる。程なく多くの足音聞ゆる中に。沓音髙く響て。烏帽子直衣めしたる貴入堂に上り玉へば。從者<みとも>の武士<ものゝべ>四五人ばかり右左<みぎひだり>に座をまうく。かの貴人人々に向ひて。誰<たれ>々はなど來らざると課<おほ>せらるゝに。やがてぞ參りつらめと奏<まう>す。又一群<むれ>の足音して。威儀ある武士。頭まろげたる入道等うち交りて。禮<ゐや>たてまつりて堂に昇る。貴人只今來りし武士にむかひて。常陸は何とておそく參りたるぞとあれば。かの武士いふ。白江<しらえ>熊谷の兩士。公<きみ>に大御酒すゝめたてまつるとて実<まめ>やかなるに。臣も鮮<あさらけ>き物一種調じまいらせんため。御從<みとも>に後<おく>れたてまつりぬと奏す。はやく酒□14<さかな>をつらねてすゝめまいらすれば。万作酌まゐれとぞ課せらる。恐<かしこ>まりて。美相の若士膝行<わかさふらひゐざり>よりて瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしていと興ありげなり。貴人又曰はく。絶て紹巴<じやうは>が説話を聞ず。召せとの給ふに。呼つぐやうなりしが。我跪まりし背<うしろ>の方より。大なる法師の。面うちひらめきて。目鼻あざやかなる人の。僧衣かいつくろひて座の未にまゐれり。貴人古語<ふること>かれこれ問弁<とひわきま>へ給ふに。詳<つばら>に答へたてまつるを。いといと感させ玉ふて。他に録とらせよとの給ふ。一人の武士かつ法師に問ていふ。此山は大德の啓き玉ふて。土石草木も靈なきはあらずと聞。さるに玉川の流には毒あり。人飮時は斃<たを>るが故に。大師のよませ玉ふ哥とて

   わすれても汲やしつらん旅人の髙野の奧の玉川の水

といふことを聞傳へたり。大德のさすがに。此毒ある流をばなど涸<あせ>ては果し給はぬや。いぶかしき事を足下<そこ>にはいかに弁へ玉ふ。法師笑<ゑみ>をふくみていふは。此哥は風雅集に撰<えら>み入給ふ。其端詞<はしことば>に。髙野の東の院へまゐる道に。玉川といふ河の水上に毒虫おほかりければ。此流を飮まじきよしをしめしおきて後よみ侍りけるとことわらせ給へば。足下のおぼえ玉ふ如くなり。されど今の御疑ひ僻言<ひがこと>ならぬは。大師は神通自在にして隱神<かくれがみ>を役して道なきをひらき。巖<いわほ>を鐫<ゑる>には土を穿<うがつ>よりも易く。大蛇<をろち>を禁<いま>しめ。化烏を奉仕<まつろへ>しめ給ふ事。天が下の人の仰ぎたてまつる功<いさをし>なるを思ふには。此哥の端の詞ぞまことしからね。もとより此玉河てふ川は國々にありて。いづれをよめる歌も其流のきよきを譽<あげ>しなるを思へば。こゝの玉川も毒ある流にはあらで。哥の意<こゝろ>も。かばかり名に負<おふ>河の此山にあるを。こゝに詣づる人は忘る忘るも。流れの淸きに愛て手に掬<むす>びつらんとよませ玉ふにやあらんを。後の入の毒ありといふ狂言<まがこと>より。此端詞はつくりなせしものかとも思はるゝなり。又深く疑ふときには。此歌の調今の京の初<はじめ>の口風<ぶり>にもあらず。おほよそ此國の古語に。玉蘰<かづら>玉簾<だれ>珠衣<たまぎぬ>の類<たぐひ>は。形をほめ淸きを賞<ほむ>る語<ことば>なるから。淸水をも玉水玉の井玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど玉てふ語は冠<かうむ>らしめん。強<あながち>に佛をたふとむ人の。歌の意に細妙<くはし>からぬは。これほどの訛<あやまり>は幾らをもしいづるなり。足下は取よむ人にもおはせで。此歌の意異しみ給ふは用意ある事こそと篤<あつ>く感にける。貴人をはじめ人々も此ことわりを頻りに感させ結ふ。

 御堂のうしろの方に仏法々々と啼音<なくこゑ>ちかく聞ゆるに。貴人杯をあげ玉ひて。例の鳥絶て鳴ざりしに。今夜の酒宴に榮<はえ>あるぞ。紹巴いかにと課せ玉ふ。法師かしこまりて。某<それがし>が短句公<きみ>にも御耳すゝびましまさん。こゝに旅人の通夜しけるが。今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召て聞せ玉へといふ。それ召せと課せらるゝに。若きさむらひ夢然が方へむかひ。召玉ふぞ。ちかうまゐれと云。夢現<ゆめうつゝ>ともわかで。おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出る。法師夢然にむかひ。前<さき>によみつる詞を公に申上よといふ。夢然恐る恐る。何をか申つる更に覺え侍らず。只赦し給はれと云。法師かさねて。秘密の山とは申さゞるや。殿下の問せ玉ふ。いそぎ申上よといふ。夢然いよいよ恐れて。殿下と課せ出され侍るは誰にてわたらせ玉ひ。かゝる深山<みやま>に夜宴をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍るといふ。法師答へて。殿下と申奉るは。關白秀次公にてわたらせ玉ふ。人々は木村常陸介。雀部淡路。白江備後。熊谷大膳。粟野杢。日比野下野。山口少雲。丸毛不心。隆西入道。山本主殿<とのも>。山田三十郞。不破万作。かく云は紹巴法橋なり。汝等<なんぢら>不思議の御目見えつかまつりたるは。前のことばいそぎ申上よといふ。頭に髪あらばふとるべきばかりに凄<すざま>しく肝魂も虚<そら>にかへるこゝちして。振ふ振ふ。。頭陀嚢<づだぶくろ>より淸き紙取出て。筆もしどろに書つけてさし出すを。主殿取てたかく吟じ上る

  鳥の音も秘密の山の茂みかな

貴人聞せ給ひて。口がしこくもつかまつりしな。誰<たそ>此末句をまうせとのたまふに。山田三十郞座をすゝみて。某つかうまつらんとて。しばしうちかたふきてかくなん

   芥子たき明すみじか夜の牀<ゆか>

いかゞあるべきと紹巴に見する。よろしくまうされたりと公の前に出すを見玉ひて。片羽にもあらぬはと興じ給ひて。又杯を揚てめぐらし給ふ。

 淡路と聞えし人にはかに色を違へて。はや修羅の時にや。阿修羅ども御迎ひにあると聞え侍る。立せ玉へといへば。一座の人々忽面に血を深ざし如く。いぎ石田增田が徒<ともがら>に今夜も泡吹せんと勇みて立躁ぐ。秀次木村に向はせ給ひ。よしなき奴に我姿を見せつるぞ。他二人も修羅につれ來れと課せある。老臣の人々かけ隔たりて聲をそろへ。いまだ命つきざる者なり。例の惡業なせさせ玉ひそといふ詞も。人々の形も。通く雲井に行がごとし。

 親子は氣絶てしばしがうち死入けるが。しのゝめの明ゆく空に。ふる露の冷やかなるに生出しかど。いまだ明きらぬ恐しさに。大師の御名をせはししく唱へつゝ。漸<やゝ>日出ると見て。いそぎ山をくだり。京にかへりて藥鍼<やくしん>の保養をなしける。一日<あるひ>夢然三条の橋を過る時。惡ぎやく塚の事思ひ出るより。かの寺眺られて白昼ながら物凄しくありけると。京<みやこ>人にかたりしを。そがまゝにしるしぬ

    吉備津の釜<きびつのかま>

 □53婦<とふ>の養ひがたきも。老ての後其功を知ると。咨これ何人の語ぞや。害<わざは>ひの甚しからぬも商工<わたらひ>を妨げ物を破りて。垣の隣の口をふせぎがたく。害ひの大なるにおよびては。家を失ひ國をほろぼして。天が下に笑を傳ふ。いにしへより此毒にあたる人幾許<いくばく>といふ事をしらず。死て蟒<みつち>となり。或は霹靂<はたゞがみ>を震ふて怨を報ふ類は。其肉を醢<しゝびしほ>にするとも飽べからず。さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて敎へなば。此患おのづから避べきものを。只かりそめなる徒ことに。女の慳<かだま>しき性<さが>を募らしめて。其身の憂をもとむるにぞありける。禽<きん>を制するは氣にあり。婦を制するは其夫の雄<を>々しきにありといふは。現にさることぞかし。

 吉備の國賀夜郡庭妹<かやのこほりにひせ>の鄕に。井沢<ゐざは>庄太夫といふものあり。祖父は播磨の赤松に仕へしが。去<さん>ぬる嘉吉元年の乱に。かの舘<たち>を去てこゝに來り。庄太夫にいたるまで三代<みよ>を經て。春耕し。秋収めて。家豐にくらしけり。一子正太郞なるもの農業<なりはひ>を厭ふあまりに。酒に乱れ色に酖りて。父が掟を守らず。父母これを歎きて私<ひそか>にはかるは。あはれ良<よき>人の女子の□29<かほ>よきを資<めと>りてあはせなば。渠<かれ>が身もおのづから脩まりなんとて。あまねく國中をもとむるに。幸に媒氏<なかうど>ありていふ。吉備津の神主香央造酒<かんざねかさだみき>が女子<むすめ>は。うまれだち秀麗<みやびやか>にて。父母にもよく仕へ。かつ歌をよみ。箏に工<たく>みなり。從來かの家は吉備の鴨別<かもわけ>が裔<すゑ>にて家系<すぢめ>も正しければ。君が家に因<ちな>み玉ふは果吉祥<はたよきさが>なるべし。此事の就<なら>んは老が願ふ所なり。大人<うし>の御心いかにおぼさんやといふ。庄太夫大に怡<よろこ>び。よくも説<とか>せ給ふものかな。此事我家にとりて千とせの計<はかりこと>なりといへども。香央は此國の貴族にて。我は氏なき田夫<でんぶ>なり。門戸敵すべからねば。おそらくは肯<うけ>がひ給はじ。媒氏<なかだち>の翁笑をつくりて。大人の謙<くだ>り給ふ事甚し。我かならず万歳を諷<うた>ふべしと。徃<いき>て香央に説ば。彼方にもよろこびつゝ。妻なるものにもかたらふに。妻もいさみていふ。我女子既に十七歳になりぬれば。朝夕によき人がな娶<あは>せんものをと。心もおちゐ侍らず。はやく日をえらみて聘礼<しるし>を納<いれ>玉へと。強<あながち>にすゝむれば。盟約<ちかひ>すでになりて井沢にかへりことす。即<やがて>聘礼を厚くとゝのへて送り納れ。よき日をとりて婚儀<ことぶき>をもよほしけり。

 猶幸を神に祈るとて。巫子祝部<かんなぎはふり>を召あつめて御湯をたてまつる。そもそも當社に祈誓する人は。數の祓物<はらへつもの>を供へて御湯を奉り。吉祥凶祥<よきさがあしきさが>を占ふ。巫子祝詞<のつと>をはり。湯の沸上るにおよびて。吉祥には釜の鳴音<なるこゑ>牛の吼<ほゆ>るが如し。凶<あし>きは釜に音なし。是を吉備津の御釜祓<みかまばらひ>といふ。さるに香央が家の事は。神の祈<うけ>させ給はぬにや。只秋の虫の叢<くさむら>にすだくばかりの聲もなし。こゝに疑ひをおこして。此祥<さが>を妻にかたらふ。妻更に疑はず。御釜の音なかりしは祝部等<はふりたち>が身の淸からぬにぞあらめ。既に聘礼を納めしうへ。かの赤縄<せきじやう>に繋ぎては。仇ある家異なる域<くに>なりとも易<かふ>べからずと聞ものを。ことに井沢は弓の本末<もとすゑ>をもしりたる人の流<すゑ>にて。掟ある家と聞けば。今否むとも承がはじ。ことに佳婿<むこがね>の麗<あて>なるをほの聞て。我兒も日をかぞへて待わぶる物を。今のよからぬ言を聞ものならば。不慮<すゞろ>なる事をや仕出ん。其とき侮るともかへらじと言<ことば>を尽して諌むるは。まことに女の意<こゝろ>ばへなるべし。香央も從來<もとより>ねがふ因みなれば深く疑はず。妻のことばに從て婚儀とゝのひ。兩家の親族氏族。靍の千とせ。亀の万代<よろづよ>をうたひことぶきけり。

 香央の女子磯良<いそら>かしこに徃てより。夙<つと>に起。おそく臥て。常に舅姑<おやおや>の傍<かたへ>を去ず。夫が性をはかりて。心を尽して仕へければ。井沢夫婦は孝節を感<めで>たしとて歡びに耐ねば。正太郞も其志に愛てむつまじくかたらひけり。されどおのがまゝの□31<たはけ>たる性はいかにせん。いつの比より鞆<とも>の津の袖といふ妓女<あそびもの>にふかくなじみて。遂に贖<あがな>ひ出し。ちかき里に別莊をしつらひ。かしこに日をかさねて家にかへらず。磯良これを怨みて。或は舅姑の忿<いかり>に托<よせ>て諌め。或ひは徒なる心をうらみかこてども。大虚<おほぞら>にのみ聞なして。後は月をわたりてかへり來らず。父は磯良が切なる行止<ふるまひ>を見るに忍びず。正太郞を責て押篭ける。磯良これを悲しがりて。朝夕の奴<つぶね>も殊に実<まめ>やかに。かつ袖が方へも私に物を餉<おく>りて。信のかぎりをつくしける。一日父が宿にあらぬ間<ひま>に。正太郞磯良をかたらひていふ。御許<おもと>の信ある程<みさを>を見て。今はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。かの女をも古鄕に送りてのち。父の面を和<なご>め奉らん。渠は播磨の印南野<いなみの>の者なるが。親もなき身の淺ましくてあるを。いとかなしく思ひて憐<あはれ>をもかけつるなり。我に捨られなば。はた船泊りの妓女<うかれめ>となるべし。おなじ淺ましき奴なりとも。京<みやこ>は人の情もありと聞ば。渠をば京に送りやりて。榮<よし>ある人に仕へさせたく思ふなり。我かくてあれば万<よろづ>に貧しかりぬべし。路<みち>の代<しろ>身にまとふ物も誰がかりことしててあたへん。御許此事をよくして渠を惠み給へと。ねんごろにあつらへけるを。磯良いとも□58<うれ>しく。此事安くおぼし玉へとて。私におのが衣服調度を金に貿。猶香央の母が許へも僞りて金を乞。正大郞に与へける。此金を得て密に家を脱れ出袖なるものを倶して。京の方へ逃のぼりける。かくまでたばかられしかば。今はひたすらにうらみ歎きて。遂に重き病に臥にけり。井沢香央の人々彼を惡み此を哀みて。専醫<もはらい>の験<しるし>をもとむれども。粥さへ日々にすたりて。よろづにたのみなくぞ見えにけり。

 こゝに播磨の國印南郡荒井の里に。彦六といふ男あり。渠は袖とちかき從弟の因あれば。先これを訪らふて。しばらく足を休めける。彦六正太郞にむかひて。京なりとて人ごとにたのもしくもあらじ。こゝに駐<とゞま>られよ。一飯をわけて。ともに過活<わたらひ>のはかりことあらんと。たのみある詞に心おちゐて。こゝに住べきに定めける。彦六我住となりなる破屋<あれや>をかりて住しめ。友得たりとて怡びけり。しかるに袖。風のこゝちといひしが。何となく腦<なや>み出て。鬼化<ものゝけ>のやうに狂はしげなれば。こゝに來りて幾日もあらず。此禍に係る悲しさに。みづからも食さへわすれて抱き扶くれども。只音をのみ泣て。胸窮<せま>り堪がたげに。さむれば常にかはるともなし。窮鬼<いきすだま>といふものにや。古鄕に捨し人のもしやと獨<ひとり>むね苦し。彦六これを諌めて。いかでさる事のあらん。疫といふものゝ腦ましきはあまた見來りぬ。熱き心少しさめたらんには。夢わすれたるやうなるべしと。やすげにいふぞたのみなる。看々<みるみる>露ばかりのしるしもなく。七日にして空しくなりぬ。天を仰ぎ。地を敲きて哭<なき>悲しみ。ともにもと物狂はしきを。さまざまといひ和さめて。かくてはとて遂に曠野<あらの>の烟<けふり>となしはてぬ。骨をひろひ□18<つか>を築て塔婆を營み。僧を迎へて菩提のことねんごろに吊<とふ>らひける。

 正太郞今は俯して黄泉をしたへども招魂の法をももとむる方なく。仰ぎて古鄕をおもへばかへりて地下よりも遠きこゝちせられ。前に渡りなく。後に途をうしなひ。昼はしみらに打臥て。夕々<よひよひ>ごとには□18のもとに詣て見れば。小草はやくも□24<しげ>りて。虫のこゑすゞろに悲し。此秋のわびしきは我身ひとつぞと思ひつゞくるに。天雲のよそにも同じなげきありて。ならびたる新□18あり。こゝに詣る女の。世にも悲しげなる形して。花をたむけ水を潅ぎたるを見て。あな哀れ。わかき御許のかく氣疎<けうと>きあら野にさまよひ玉ふよといふに。女かへり見て。我身夕々ごとに詣侍るには。殿はかならず前に詣給ふ。さりがたき御方に別れ玉ふにてやまさん。御心のうちはかりまいらせて悲しと潸然<さめざめ>となく。正大郞いふ。さる事に侍り。十日ばかりさきにかなしき婦<つま>を亡なひたるが。世に残りて憑<たの>みなく侍れば。こゝに詣ることをこそ心放<やり>にものし侍るなれ。御許にもさこそましますなるべし。女いふ。かく詣つかふまつるは。憑みつる君の御迹<あと>にて。いついつの日こゝに葬り奉る。家に残ります女君のあまりに歎かせ給ひて。此頃はむつかしき病にそませ玉ふなれば。かくかはりまいらせて。香花をはこび侍るなりといふ。正太郞云。刀自の君の病玉ふもいとことわりなるものを。そも古<ふる>人は何人にて。家は何地<いづち>に住せ給ふや。女いふ。憑みつる君は。此國にては由縁<ゆゑ>ある御方なりしが。人の讒<さかしら>にあひて領所をも失ひ。今は此野ゝ隈に侘しくて住せ玉ふ。女君は國のとなりまでも聞え玉ふ美人<かほよびと>なるが。此君によりてぞ家所領をも亡し玉ひぬれとかたる。此物がたりに心のうつるとはなくて。さてしもその君のはかなくて住せ給ふはゝちかきにや。訪らひまいらせて。同じ悲しみをもかたり和<なぐ>さまん。倶し玉へといふ。家は殿の來らせ給ふ道のすこし引入たる方なり。便りなくませば時々<をりをり>訪せ玉へ。待侘給はんものをと前に立てあゆむ。二丁あまりを來てほそき徑<みち>あり。こゝよりも一丁ばかりをあゆみて。をぐらき林の裏<うち>にちいさき草屋<かやのや>あり。竹の扉<とぼそ>のわびしきに。七日あまりの月のあかくさし入て。ほどなき庭の荒たるさへ見ゆ。ほそき燈火<ともしび>の光り窓の紙をもりてうらさびし。こゝに待せ玉へとて内に入ぬ。苔むしたる古井のもとに立て見入るに。唐紙すこし明たる間より。火影<ほかげ>吹あふちて。黑棚のきらめきたるもゆかしく覺ゆ。女出來りて。御訪らひのよし申つるに。入らせ給へ。物隔てかたりまいらせんと端の方へ膝行<ゐざり>出給ふ。彼所<かしこ>に入らせ玉へとて。前栽をめぐりて奧の方へともなひ行。二間の客殿を人の入ばかり明て。低き屏風を立。古き衾の端出て。主はこゝにありと見えたり。正太郞かなたに向ひて。はかなくて病にさへそませ給ふよし。おのれもいとをしき妻を亡なひて侍れば。おなじ悲しみをも問かはしまいらせんとて推<おし>て詣侍りぬといふ。あるじの女屏風すこし引あけて。めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報ひの程しらせまいらせんといふに。驚きて見れば。古鄕に殘せし磯良なり。顔の色いと靑ざめて。たゆき眼<まなこ>すざましく。我を指たる手の靑くほそりたる恐しさに。あなやと叫んでたをれ死す。

 時うつりて生出。眼をほそくひらき見るに。家と見しはもとありし荒野の三昧<まい>堂にて。黑き佛のみぞ立せまします。里遠き犬の聲を力に。家に走りかへりて。彦六にしかしかのよしをかたりければ。なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず迷はし神の魘<おそ>ふものぞ。足下<そこ>のごとく虚弱<たよわき>人のかく患<うれひ>に沈みしは。神佛に祈りて心を収めつべし。刀田<とだ>の里にたふとき陰陽師のいます。身禊<みそぎ>して厭苻<ゑんふ>をも戴き玉へと。いざなひて陰陽師の許にゆき。はじめより詳にかたりて此占<うら>をもとむ。陰陽師占べ考へていふ。□32<わざわひ>すでに窮りて易からず。さきに女の命をうばひ。怨み猶尽ず。足下の命も旦夕<あさゆふ>にせまる。此鬼世をさりぬるは七日前なれば。今日より四十二日が間戸を閉<たて>ておもき物齊<いみ>すべし。我禁<いま>しめを守らば九死を出て全からんか。一時を過るともまぬがるべからずと。かたくをしへて。筆をとり。正大郞が背より手足におよぶまで。篆□33<てんりう>のごとき文字を書。猶朱苻<しゆふ>あまた紀<かみ>にしるして与へ。此咒<じゆ>を戸毎に貼<おし>て神佛を念ずべし。あやまちして身を亡ぶることなかれと敎ふるに。恐れみかつよろこびて家にかへり。朱苻を門に貼。窓に貼て。おもき物齊にこもりける。

 其夜三更の比おそろしきこゑしてあなにくや。こゝにたふとき苻文<ふもん>を設<まうけ>つるよとつぶやきて復び聲なし。おそろしさのあまりに長き夜をかこつ。程なく夜明ぬるに生出て。急ぎ彦六が方の壁を敲<たゝ>きて夜の事をかたる。彦六もはじめて陰陽師が詞を奇なりとして。おのれも其夜は寢ずして三更の比を待くれける。松ふく風物を僵すがごとく。雨さへふりて常ならぬ夜のさまに。壁を隔て聲をかけあひ。既に四更にいたる。下屋<しもや>の窓の紙にさと赤き光さして。あな惡<にく>やこゝにも貼つるよといふ聲。深き夜にはいとゞ凄しく。髪も生毛<うぶげ>もことごとく聳立<そばたち>て。しばらくは死入たり。明れば夜のさまをかたり。暮れば明るを慕ひて。此月日頃千歳<ちとせ>を退るよりも久し。かの鬼も夜ごとに家を繞<めぐ>り或は屋の棟に叫びて。忿れる聲夜ましにすざまし。かくして四十二日といふ其夜にいたりぬ。今は一夜にみたしぬれば。殊に愼みて。やゝ五更の天もしらしらと明わたりぬ。長き夢のさめたる如く。やがて彦六をよぶに。壁によりていかにと答ふ。おもき物いみも既に滿ぬ。絶て兄長の面を見ず。なつかしさに。かつ此月頃の憂怕<うさおそろ>しさを心のかぎりいひ和さまん。眼<ねふり>さまし玉へ。我も外の方に出んといふ。彦六用意なき男なれば。今は何かあらん。いざこなたへわたり玉へと。戸を明る事半<なかば>ならず。となりの軒にあなやと叫ぶ聲耳をつらぬきて。思はず尻居に座す。こは正太郞が身のうへにこそと。斧引提<さげ>て大路に出れば。明たるといひし夜はいまだくらく。月は中天<なかぞら>ながら影朧々として。風冷やかに。さて正太郞が戸は明はなして其人は見えず。内にや迯入つらんと走り入て見れども。いづくに竄<かく>るべき住居にもあらねば。大路にや倒れけんともとむれども。其わたりには物もなし。いかになりつるやと。あるひは異<あや>しみ。或は恐る恐る。ともし火を挑<かゝ>げてこゝかしこを見□23<めぐ>るに。明たる戸腋<とわき>の壁に腥々<なまなま>しき血潅ぎ流て地につたふ。されど屍も骨も見えず。月あかりに見れば。野の端<つま>にものあり。ともし火を捧<さゝ>げて照し見るに。男の髪の髻<もとゞり>ばかりかゝりて。外には露ばかりのものもなし。淺ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。夜も明てちかき野山を探しもとむれども。つひに其跡さへなくてやみぬ。

 此事井沢が家へもいひおくりぬれば。涙ながらに香央にも告<つげ>しらせぬ。されば陰陽師が占のいちじるき。御釜の凶祥<あしきさが>もはたたがはざりけるぞ。いともたふとかりけるとかたり傳へけり

                                            雨月物語三之卷終

 雨月物語 卷之四

    蛇性の婬<じやせいのいん>

 いつの時代<ときよ>なりけん。紀の國三輪が崎に。大宅の竹助といふ人在けり。此人海の幸ありて。海郞<あま>どもあまた養ひ。鰭<はた>の廣<ひろ>物狭<さ>き物を尽してすなどり。家豐に暮しける。男子<をのこゞ>二人。女子<むすめ>一人をもてり。太郞は質朴<すなほ>にてよく生産<なりはひ>を治む。二郞の女子は大和の人の□34<つまどひ>に迎られて。彼所<かしこ>にゆく。三郞の豐雄なるものあり。生長<ひとゝなり>優しく。常に都風<みやび>たる事をのみ好て。過活<わたらひ>心なかりけり。父是を憂つゝ思ふは。家財<たから>をわかちたりとも即<やがて>人の物となさん。さりとて他の家を嗣<つが>しめんもはたうたてき事聞らんが病<やま>しき。只なすまゝに生し立て。博士にもなれかし。法師にもなれかし。命の極<かぎり>は太郞が覊<ほたし>物にてあらせんとて。強て掟をもせざりけり。此豐雄。新宮の神奴<かんづこ>安倍の弓麿を師として行通ひける。

 九月下旬。けふはことになごりなく和<なぎ>たる海の。暴<にはか>に東南<たつみ>の雲を生<おこ>して。小雨そぼふり來る。師が許にて本かりて歸るに。飛鳥の神秀倉<かんほぐら>見やらるゝ邊<ほとり>より。雨もやゝ頻<しきり>なれば。其所<そこ>なる海郞が屋に立よる。あるじの老はひ出て。こは大人<うし>の弟子<をとご>の君にてます。かく賎しき所に入せ玉ふぞいと恐<かしこ>まりたる事。是敷て奉らんとて。圓座<わらうだ>の汚なげなるを淸めてまゐらす。霎時<しばし>息る<やむ>ほどは何か厭ふべき。なあはたゝしくせそとて休らひぬ。外の方に麗しき聲して。此軒しばし惠ませ玉へといひつゝ入來るを。奇しと見るに。年は廿<はたち>にたらぬ女の。顏容<かほかたち>髪のかゝりいと艶<にほ>ひやかに。遠山ずりの色よき衣着て。了鬟<わらは>の十四五ばかりの淸げなるに。包し物もたせ。しとゞに濡てわびしげなるが。豐雄を見て。面さと打赤めて恥かしげなる形の貴<あて>やかなるに。不慮<すゞろ>に心動きて。且思ふは。此邊にかうよろしき人の住らんを今まで聞えぬ事はあらじを。此は都人の三つ山詣せし次に。海愛<めづ>らしくこゝに遊ぶらん。さりとて男だつ者もつれざるぞいとはしたなる事かなと思ひつゝ。すこし身退きて。こゝに入せ玉へ。雨もやがてぞ休なんといふ。女。しばし宥させ玉へとて。ほどなき住ゐなればつひ並ぶやうに居るを。見るに近まさりして。此世の人とも思はれぬばかり美しきに。心も空にかへる思ひして。女にむかひ。貴なるわたりの御方とは見奉るが。三山詣やし玉ふらん。峯の温泉<ゆ>にや出立玉ふらん。かうすざましき荒磯<ありそ>を何の見所ありて狩くらし玉ふ。こゝなんいにしへの人の

  くるしくもふりくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに

とよめるは。まことけふのあはれなりける。此家賎しけれどおのれが親の目かくる男なり。心ゆりて雨休<やめ>玉へ。そもいづ地旅の御宿りとはし玉ふ。御見送りせんも却<かへり>て無礼<なめげ>なれば。此傘もて出玉へといふ。女。いと喜しき御心を聞え玉ふ。其御思ひに乾<ほし>てまいりなん。都のものにてもあらず。此近き所に年來<としごろ>住こし侍るが。けふなんよき日とて那智に詣侍るを。暴なる雨の恐しさに。やどらせ玉ふともしらでわりなくも立よりて侍る。こゝより遠からねば。此小休<をやみ>に出侍らんといふを。強<あながち>に此傘もていき玉へ。何<いつ>の便<たより>にも求なん。雨は更に休たりともなきを。さて御住ゐはいづ方<べ>ぞ。是より使奉らんといへば。新宮の邊にて縣<あがた>の眞女兒<まなご>が家はと尋玉はれ。日も暮なん。御惠のほどを指戴<さしいたゞき>て歸りなんとて。傘とりて出るを。見送りつも。あるじが簑笠かりて家に歸りしかど。猶俤<おもかげ>の露忘れがたく。しばしまどろむ曉の夢に。かの眞女兒が家に尋いきて見れば。門も家もいと大きに造りなし。蔀<しとみ>おろし簾埀<すだれたれ>こめて。ゆかしげに住なしたり。眞女子<まなご>出迎ひて。御情わすれがたく待戀奉る。此方に入せ玉へとて奧の方にいざなひ。酒菓子<くだもの>種々<さまざま>と管待<もてな>しつゝ。□58<うれ>しき醉<ゑひ>ごゝちに。つひに枕をともにしてかたるとおもへば。夜明て夢さめぬ。現<うつゝならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食<あさげ>も打忘れてうかれ出ぬ。

 新宮の鄕に來て縣の眞女子が家はと尋るに。更にしりたる人なし。午時<ひる>かたふくまで尋勞<わづら>ひたるに。かの了鬟東の方よりあゆみ來る。豐雄見るより大に喜び。娘子<をとめ>の家はいづくぞ。傘もとむとて尋來るといふ。了鬟打ゑみて。よくも來ませり。こなたに歩み玉へとて。前に立てゆくゆく。幾ほどもなく。こゝぞと聞ゆる所を見るに。門髙く造りなし。家も大きなり。蔀おろし簾たれこめしまで。夢の裏に見しと露違はぬを。奇しと思ふ思ふ門に入。了鬟走り入て。おほがさの主詣玉ふを誘<いざな>ひ奉るといへば。いづ方にますぞ。こち迎へませといひつゝ立出るは眞女子なり。豐雄。こゝに安倍の大人とまうすは。年來物斈<まな>ぶ師にてます。彼所に詣る便に傘とりて歸るとて推て參りぬ。御住居見おきて侍れば又こそ詣來んといふを。眞女子強にとゞめて。まろや努<ゆめ>出し奉るなといへば。了鬟立ふたがりておほがさ強て惠ませ玉ふならずや。其がむくひに強てとゞめまいらすとて。腰を押て南面の所に迎へける。板敷の間に床疊<とこだゝみ>を設けて。几帳。御厨子<みづし>の餝<かざり>。壁代の繪なども。皆古代のよき物にて。倫<なみ>の人の住居ならず。眞女子立出て。故ありて人なき家とはなりぬれば。実<まめ>やかなる御饗<みあへ>もえし奉らず。只薄酒一杯<うすきさけひとつぎ>すゝめ奉らんとて。髙杯平杯<たかつきひらつき>の淸らなるに。海の物山の物盛ならべて。瓶子土器擎<へいじかはらけさゝ>げて。まろや酌まゐる。豐雄また夢心してさむるやと思へど。正に現なるを却て奇しみゐたる。客も主もともに醉ごゝちなるとき。眞女子杯をあげて。豐雄にむかひ。花精妙<はなぐはし>櫻が枝の水にうつろひなす面に。春吹風をあやなし。梢たちぐゝ鶯の艶ひある聲していひ出るは。面<おも>なきことのいはで病なんも。いづれの神になき名負<おふ>すらんかし。努徒なる言にな聞玉ひそ。故<もと>は都の生<うまれ>なるが。父にも母にもはやう離れまいらせて。乳母の許に成長しを。此國の受領の下司<したづかさ>縣の何某に迎へられて伴なひ下りしははやく三とせになりぬ。夫は任はてぬ此春。かりそめの病に死玉ひしかば。便なき身とはなり侍る。都の乳母も尼になりて。行方なき修行に出しと聞ば。彼方も又しらぬ國とはなりぬるをあはれみ玉へ。きのふの雨のやどりの御惠みに。信ある御方にこそとおもふ物から。今より後の齡をもて御宮仕へし奉らばやと願ふを。汚なき物に拾玉はずば。此一杯に千とせの契をはじめなんといふ。豐雄。もとよりかゝるをこそと乱心なる思ひ妻なれば。塒<ねぐら>の鳥の飛立ばかりには思へど。おのが世ならぬ身を顧れば。親兄弟のゆるしなき事をと。かつ□58<うれ>しみ。且恐れみて。頓<とみ>に答ふべき詞なきを。眞女兒わびしがりて。女の淺き心より。嗚呼<をこ>なる事をいひ出て。歸るべき道なきこそ面なけれ。かう淺ましき身を海にも沒<いら>で。人の御心を煩はし奉るは罪深きこと。今の詞は徒ならねども。只醉ごゝちの狂言<まがこと>におぼしとりて。こゝの海にすて玉へかしといふ。豐雄。はじめより都人の貴なる御方とは見奉るこそ賢かりき。鯨よる濱に生立し身の。かく□58<うれ>しきこといつかは聞ゆべき。即<やがて>の御答へもせぬは。親兄に仕ふる身の。おのが物とては爪髪の外なし。何を録に迎へまゐらせん便もなければ身の德なきをくゆるばかりなり。何事をもおぼし耐<たへ>玉はゞ。いかにもいかにも後見<うしろみ>し奉らん。孔子<くし>さへ倒るゝ戀の山には。孝をも身をも忘れてといへば。いと□58<うれ>しき御心を聞まいらするうへは。貧しくとも時々<をりをり>こゝに住せ玉へ。こゝに前の夫の二つなき寶にめで玉ふ帶あり。これ常に帶<はか>せ玉へとてあたふるを見れば。金銀を餝りたる太刀の。あやしきまで鍛ふたる古代の物なりける。物のはじめに辞<いなみ>なんは祥<さが>あしければとてとりて納む。今夜はこゝに明させ玉へとて。あながちにとどむれど。まだ赦<ゆるし>なき旅寢は親の罪し玉はん。明の夜よく僞りて詣なんとて出ぬ。其夜も寢<いね>がてに明ゆく。

 大郞は網子<あご>とゝのほるとて。晨<つとめ>て起出て。豐雄が閨房<ねや>の戸の間<ひま>をふと見入たるに。消<きえ>殘りたる灯火<ともしび>の影に。輝々<きらきら>しき太刀を枕に置て臥たり。あやし。いづちより求ぬらんとおぼつかなくて。戸をあらゝかに明る音に目さめぬ。太郞があるを見て。召玉ふかといへば。輝々しき物を枕に置しは何ぞ。價貴<あたひたか>き物は海人<あま>の家にふさはしからず。父の見玉はゞいかに罪し玉はんといふ。豐雄。財を費して買たるにもあらず。きのふ人の得させしをこゝに置しなり。太郞。いかでさる寶をくるゝ人此邊にあるべき。あなむつかしの唐言<からこと>書たる物を買たむるさへ。世の費<ついえ>なりと思へど。父の默りておはすれば今までもいはざるなり。其太刀帶<おび>て大宮の祭を□36<ねる>やらん。いかに物に狂ふぞといふ聲の髙きに。父聞つけて徒者<いたづらもの>が何事をか仕出つる。こゝにつれ來よ太郞と呼に。いづちにて求ぬらん。軍將等<いくさぎみたち>の佩<はき>玉ふべき輝々しき物を買たるはよからぬ事。御目<ま>のあたりに召て問あきらめ玉へ。おのれは網子どもの怠るらんと云拾て出ぬ。母豐雄を召て。さる物何の料<れう>に買つるぞ。米も錢も太郞が物なり。吾主<わぬし>が物とて何をか持たる。日來<ひごろ>は爲まゝにおきつるを。かくて太郞に惡<にく>まれなば。天地<あめつち>の中に何國<いづく>に住らん。賢き事をも斈<まな>びたる者が。など是ほどの事わいためぬぞといふ。豐雄。実<まこと>に買たる物にあらず。さる由縁<ゆゑ>有て人の得させしを。兄の見咎てかくの玉ふなり。父。何の譽<ほまれ>ありてさる寶をば人のくれたるぞ。更におぼつかなき事。只今所縁<いはれ>かたり出よと罵る。豐雄。此事只今は面俯<おもてぶせ>なり。人傳<づて>に申出侍らんといへば。親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと聲あらゝかなるを。太郞の嫁の刀自<とじ>傍<かたへ>にありて。此事愚なりとも聞侍らん。入せ玉へと宥<なだ>むるに。つひ立ていりぬ。豐雄刀自にむかひて兄の見咎め玉はずとも。密に姉君をかたらひてんと思ひ設つるに。速く責なまるゝ事よ。かうかうの人の女のはかなくてあるが。後身<うしろみ>してよとて賜へるなり。己が世しらぬ身の。御赦<ゆるし>さへなき事は重き勘當<かんどう>なるべければ。今さら悔るばかりなるを。姉君よく憐み玉へといふ。刀自打笑て。男子のひとり寢し玉ふが。兼ていとをしかりつるに。いとよき事ぞ。愚也ともよくいひとり侍らんとて。其夜太郞に。かうかうの事なるは幸におぼさずや。父君の前をもよきにいひなし玉へといふ。太郞眉を顰<ひそ>めて。あやし。此國の守の下司に縣の何某と云人を聞ず。我家保正<をさ>なればさる人の亡なり玉ひしを聞えぬ事あらじを。まづ太刀こゝにとりて來よといふに。刀自やがて携へ來るを。よくよく見をはりて。長嘘<ためいき>をつぎつゝもいふはこゝに恐しき事あり。近來<ちかごろ>都の大臣殿<おおいどの>の御願<ごぐはん>の事みたしめ玉ひて。權現におほくの寶を奉り玉ふ。さるに此神寶<かんだから>ども。御寶藏<みたからぐら>の中にて頓<とみ>に失<うせ>しとて。大宮司より國の守に訴出玉ふ。守此賊<ぬすびと>を探り捕ふために。助の君文室<ふんや>の廣之。大宮司の舘に來て。今専に此事をはかり玉ふよしを聞ぬ。此太刀いかさまにも下司などの帶<はく>べき物にあらず。猶父に見せ奉らんとて。御前に持いきて。かうかうの恐しき事のあなるは。いかゞ計らひ申さんといふ。父面<おもて>を靑くして。こは淺ましき事の出きつるかな。日來は一毛をもぬかざるが。何の報<むくひ>にてかう良らぬ心や出きぬらん。他よりあらはれなば此家をも絶されん。祖<みおや>の爲子孫<のち>の爲には。不孝の子一人惜からじ。明<あす>は訴へ出よといふ。

 大郞夜の明るを待て。大宮司の舘に來り。しかしかのよしを申出て。此太刀を見せ奉るに。大宮司驚きて。是なん大臣殿の獻<たてまつ>り物なりといふに。助聞玉ひて。猶失し物問あきらめん。召捕<めしとれ>とて。武士ら十人ばかり。大郞を前にたてゝゆく。豐雄。かゝる事をもしらで書<ふみ>見ゐたるを武士ら押かゝりて捕ふ。こは何の罪ぞといふをも聞入ず縛<から>めぬ。父母太郞夫婦も今は淺ましと歎まどふばかりなり。公廳<おほやけ>より召玉ふ疾<とく>あゆめとて。中にとりこめて舘に追もてゆく。助。豐雄をにらまへて。□28<なんぢ>神寶を盗とりしは例<ためし>なき國津罪<くにつつみ>なり。猶種々<くさぐさ>の財<たから>はいづ地に隱したる。明らかにまうせといふ。豐雄漸<やゝ>此事を覺り。涙を流して。おのれ更に盗をなさず。かうかうの事にて縣の何某の女<め>が。前<さき>の夫<つま>の帶たるなりとて得させしなり。今にもかの女召て。おのれが罪なき事を覺<さと>らせ玉へ。助いよゝ怒りて。我下司に縣の姓を名のる者ある事なし。かく僞るは刑<つみ>ますます大なり。豐雄。かく捕はれていつまで僞るべき。あはれかの女召て問せ玉へ。助。武士らに向ひて。縣の眞女子が家はいづくなるぞ。渠を押て捕へ來れといふ。武士らかしこまりて。又豐雄を押たてゝ彼所<かしこ>に行て見るに。嚴めしく造りなせし門の柱も朽くさり。軒の瓦も大かたは碎<くだけ>おちて。草しのぶ生<おひ>さがり。人住とは見えず。豐雄是を見て只あきれにあきれゐたる。武士らかけ□23<めぐ>りて。ちかきとなりを召あつむ。木伐老<ききるをぢ>。米かつ男ら。恐れ惑ひて跪<うすゞま>る。武士他<かれ>らにむかひて。此家何者が住しぞ。縣の何某が女のこゝにあるはまことかといふに。鍛冶の翁はひ出て。さる人の名はかけてもうけ玉はらず。此家三とせばかり前までは。村主<すぐり>の何某といふ人の。賑はしくて住侍るが。筑紫に商<あき>物積てくだりし。其船行方なくなりて後は。家に殘る人も散々になりぬるより。絶て人の住ことなきを。此男のきのふこゝに入て。漸<やゝ>して歸りしを奇しとて。此漆師<ぬし>の老がまうされしといふに。さもあれ。よく見極て殿に申さんとて。門押ひらきて入る。家は外よりも荒まさりけり。なほ奧の方に進みゆく。前栽廣く造りなしたり。池は水あせて水草<みくさ>も皆枯。野ら薮生かたふきたる中に。大きなる松の吹倒れたるぞ物すざまし。客殿の格子戸をひらけば。腥<なまぐさ>き風のさと吹おくりきたるに恐れまどひて。人々後にしりぞく。豐雄只聲を呑て歎きゐる。武士の中に巨勢<こせ>の熊梼<くまがし>なる者膽<きも>ふとき男にて。人々我後<あと>に從<つき>て來れとて。板敷をあららかに踏て進みゆく。塵は一寸ばかり積りたり。鼠の糞ひりちらしたる中に。古き帳を立て。花の如くなる女ひとりぞ座る。熊梼女にむかひて。國の守の召つるぞ。急ぎまゐれといへど。答へもせであるを。近く進みて捕ふとせしに。忽<たちまち>地も裂<さく>るばかりの霹靂鳴響<はたゝがみなりひゞ>くに。許多<あまた>の人迯<にぐ>る間もなくてそこに倒る。然<さて>見るに。女はいづち行けん見えずなりにけり。此床<とこ>の上に輝々しき物あり。人々恐る恐るいきて見るに。狛錦<こまにしき>。呉の綾。倭文<しづり>。□37<かとり>。楯。槍<ほこ>。靭<ゆき>。□38<くは>の類。此失つる神寶なりき。武士らこれをとりもたせて。怪しかりつる事どもを詳に訴ふ。助も大宮司も妖怪<ものゝけ>のなせる事をさとりて。豐雄を責<さいな>む事をゆるくす。されど當罪<おもてつみ>免れず。守の舘にわたされて牢裏に繋がる。大宅の父子多くの物を賄<まひ>して罪を贖<かふ>によりて。百日がほどに赦さるゝ事を得たり。かくて世にたち接<まじは>らんも面俯<おもてぶせ>なり。姉の大和におはすを訪らひて。しばし彼所に住<すま>んといふ。げにかう憂め見つる後は重き病をも得るものなり。ゆきて月ごろを過せとて。人を添て出たゝす。

 二郞の姉が家は石榴市<つばいち>といふ所に。田邊の金忠<かねたゞ>といふ商人<あきびと>なりける。豐雄が訪<とむ>らひ來るを□58<よろこ>び。かつ月ごろの事どもをいとほしがりて。いついつまでもこゝに住めとて。念比に勞<いたは>りけり。年かはりて二月になりぬ。此石榴市といふは。泊瀨<はつせ>の寺ちかき所なりき。佛の御中には泊瀨なんあらたなる事を。唐土<もろこし>までも聞えたるとて。都より邊鄙<いなか>より詣づる人の。春はことに多かりけり。詣づる人は必こゝに宿れば。軒を並べて旅人をとゞめける。田邊が家は御明燈心<みあかしとうしん>の類を商ひぬれば。所せく人の入たちける中に。都の人の忍びの詣と見えて。いとよろしき女一人。了鬟一人。薫<たき>物もとむとてこゝに立よる。此了鬟豐雄を見て。吾<わが>君のこゝにいますはといふに。驚きて見れば。かの眞女子まろやなり。あな恐しとて内に隱るゝ。金忠夫婦こは何ぞといへば。かの鬼こゝに逐<おひ>來る。あれに近寄玉ふなと隱れ惑ふを。人々そはいづくにと立騷ぐ。眞女子入來りて。人々あやしみ玉ひそ。吾夫<わがせ>の君な恐れ玉ひそ。おのが心より罪に墮<おと>し奉る事の悲しさに。御有家<ありか>もとめて。事の由縁をもかたり。御心放<みこゝろやり>せさせ奉らんとて。御住家尋まいらせしに。かひありてあひ見奉る事の□58<うれ>しさよ。あるじの君よく聞わけて玉へ。我もし怪しき物ならば。此人繁きわたりさへあるに。かうのどかなる昼をいかにせん。衣に縫目あり。日にむかへば影あり。此正しきことわりを思しわけて。御疑ひを解せ玉へ。豐雄漸<やゝ>人ごゝちして。□28<なんぢ>正しく人ならぬは。我捕はれて。武士らとともにいきて見れば。きのふにも似ず淺ましく荒果て。まことに鬼の住べき宿に一人居るを。人々ら捕へんとすれば。忽靑天霹靂<はたゝがみ>を震ふて。跡なくかき消ぬるをまのあたり見つるに。又逐來て何をかなす。すみやかに去れといふ。眞女子涙を流して。まことにさこそおぼさんはことわりなれど。妾<しやう>が言<こと>をもしばし聞せ玉へ。君公廳に召れ玉ふと聞しより。かねて憐をかけつる隣の翁をかたらひ。頓<とみ>に野らなる宿のさまをこしらへし。我を捕<とら>んずときに鳴神響かせしはまろやが計較<たばかり>つるなり。其後船もとめて難波の方に遁れしかど。御消息<せうそこ>しらまほしく。こゝの御佛にたのみを懸つるに。二本<ふたもと>の杉のしるしありて。□58<うれ>しき瀨にながれあふことは。ひとへに大悲<ひ>の御德かふむりたてまつりしぞかし。種々の神寶は何とて女の盗み出すべき。前の夫の良らぬ心にてこそあれ。よくよくおぼしわけて。思ふ心の露ばかりをもうけさせ玉へとてさめざめと泣。豐雄或は疑ひ。或は憐みて。かさねていふべき詞もなし。金忠夫婦。眞女子がことわりの明らかなるに。此女しきふるまひを見て。努疑ふ心もなく。豐雄のもの語りにては世に恐しき事よと思ひしに。さる例あるべき世にもあらずかし。はるばると尋まどひ玉ふ御心ねのいとはしきに。豐雄肯<うけがは>ずとも我々とゞめまいらせんとて。一間なる所に迎へける。こゝに一日二日を過すまゝに。金忠夫婦が心をとりて。ひたすら歎きたのみける。其志の篤きに愛て。豐雄をすゝめてつひに婚儀<ことぶき>をとりむすぶ。豐雄も日々に心とけて。もとより容姿<かたち>のよろしきを愛よろこび。千とせをかけて契るには。葛城<かづらき>や髙間<たかま>の山に夜々<よひよひ>ごとにたつ雲も。初瀨の寺の曉の鐘に雨収まりて。只あひあふ事の遲きをなん恨みける。

 三月<やよひ>にもなりぬ。金忠豐雄夫婦にむかひて。都わたりには似るべうもあらねど。さすがに紀路<きぢ>にはまさりぬらんかし。名細<なぐはし>の吉野は春はいとよき所なり。三船の山菜摘<なつみ>川常に見るとも飽<あか>ぬを。此頃はいかにおもしろからん。いざ玉へ出立なんといふ。眞女兒うち笑て。よき人のよしと見玉ひし所は。都の人も見ぬを恨みに聞え傳るを。我身稚<をさな>きより。人おほき所。或は道の長手をあゆみては。必気のぼりてくるしき病あれば。從駕<みとも>にえ出立侍らぬぞいと憂たけれ。山土産<づと>必待こひ奉るといふを。そはあゆみなんこそ病も苦しからめ。車こそもたらね。いかにもいかにも土は踏せまいらせじ。留り玉はんは豐雄のいかばかり心もとなかりつらんとて。夫婦すゝめたつに。豐雄もかうたのもしくの玉ふを。道に倒るゝともいかでかはと聞ゆるに。不慮ながら出たちぬ。人々花やぎて出ぬれど。眞女子が麗<あて>なるには似るべうもあらずぞ見えける。何某<なにがし>の院はかねて心よく聞えかはしければこゝに訪らふ。主の僧迎へて。此春は遲く詣玉ふことよ。花もなかばは散過て鴬の聲もやゝ流るめれど。猶よき方にしるべし侍らんとて。夕食<ゆふげ>いと淸くして食<くは>せける。明ゆく空いたう霞みたるも。晴ゆくまゝに見わたせば。此院は髙き所にて。こゝかしこ僧坊どもあらはに見おろさるゝ。山の鳥どもゝそこはかとなく囀<さえづ>りあひて。木草の花色々に咲まじりたる。同じ山里ながら目さむるこゝちせらる。初詣<うひまうで>には瀧ある方こそ見所はおほかめれとて。彼方<かなた>にしるべの人乞て出たつ。谷を繞<めぐ>りて下りゆく。いにしへ行幸<いでまし>の宮ありし所は。石はしる瀧つせのむせび流るゝに。ちいさき□39<あゆ>どもの水に逆ふなど。目もあやにおもしろし。檜破子<ひわりご>打散して喰つゝあそぶ。岩がねづたひに來る人あり。髪は績麻<うみそ>をわがねたる如くなれど。手足いと健<すこ>やかなる翁なり。此瀧の下にあゆみ來る。人々を見てあやしげにまもりたるに。眞女子もまろやも此人を背に見ぬふりなるを。翁渠<かれ>二人をよくまもりて。あやし。此邪神<あしきかみ>。など人をまどはす。翁がまのあたりをかくても有やとつぶやくを聞て。此二人忽躍りたちて。瀧に飛入と見しが。水は大虚<おほぞら>に湧あがりて見えずなるほどに。雲摺墨をうちこぼしたる如く。雨篠を乱してふり來る。翁人々の慌忙<あはて>惑ふをまつろへて人里にくだる。賎しき軒にかゞまりて生るこゝちもせぬを。翁豐雄にむかひ。□56<つらつら>そこの面<おもて>を見るに。此隱神<かくれがみ>のために腦<なや>まされ玉ふが。吾救はずばつひに命をも失ひつべし。後よく愼み玉へといふ。豐雄地に額着<ぬかづき>て。此事の始よりかたり出て。猶命得させ玉へとて。恐れみ敬<うや>まひて願ふ。翁さればこそ。此邪神は年經たる□40<おろち>なり。かれが性<さが>は婬<みだり>なる物にて。牛と孳<つる>みては麟<りん>を生み。馬とあひては龍馬<りやうめ>を生といへり。此魅<まど>はせつるも。はたそこの秀麗<かほよき>に□31<たはけ>たると見えたり。かくまで犱<しう>ねきをよく愼み玉はずば。おそらくは命を失ひ玉ふべしといふに。人々いよゝ恐れ惑ひつゝ。翁を崇<あが>まへて遠津神<とほつがみ>にこそと拝みあへり。翁打笑て。おのれは神にもあらず。大倭の神社に仕へまつる當麻の酒人<たぎまのきびと>といふ翁なり。道の程見たてゝまいらせん。いざ玉へとて出たてば。人々後につきて歸り來る。明<あけ>の日大倭<やまと>の鄕にいきて。翁が惠みを謝し。且美濃絹三疋<みのぎぬみむら>筑紫綿二屯<つくしわたふたつみ>を遺<おく>り來り。猶此妖□32<ものゝけ>の身禊<みそぎ>し玉へとつゝしみて願ふ。翁これを納めて。祝部<はふり>らにわかちあたへ。自は一疋一屯をもとゞめずして。豐雄にむかひ。畜<かれ>□28<なんじ>が秀麗に□31<たは>けて□28<なんぢ>を纒<まと>ふ。□28<なんぢ>又畜<かれ>が假の化<かたち>に魅はされて丈夫<ますらを>心なし。今より雄氣<をとこさび>してよく心を靜まりまさば。此らの邪神を逐<やら>はんに翁が力をもかり玉はじ。ゆめゆめ心を靜まりませとて実<まめ>やかに覺しぬ。豐雄夢のさめたるこゝちに。禮言<いやこと>尽ずして歸り來る。金忠にむかひて。此年月畜<かれ>に魅はされしは己が心の正しからぬなりし。親兄の孝<つかへ>をもなさで。君が家の覊<ほだし>ならんは由縁なし。御惠いとかたじけなけれど。又も參りなんとて。紀の國に歸りける。

 父母太郞夫婦。此恐しかりつる事を聞て。いよゝ豐雄が過ならぬを憐み。かつは妖怪<ものゝけ>の犱<しう>ねきを恐れける。かくて鰥<やむを>にてあらするにこそ。妻むかへさせんとてはかりける。芝の里に芝の庄司なるものあり。女子一人もてりしを。大内の宋女<うねめ>にまゐらせてありしが。此度いとま申玉はり。此豐雄を聟がねにとて。媒氏<なかだち>をもて大宅が許へいひ納<いる>る。よき事なりて即<やがて>因<ちな>みをなしける。かくて都へも迎<むかひ>の人を登せしかば。此采女富子なるものよろこびて歸り來る。年來の大宮仕へに馴こしかば。萬の行儀<ふるまひ>よりして。姿<かたち>なども花やぎ勝りけり。豐雄こゝに迎へられて見るに。此富子がかたちいとよく萬心に足<たら>ひぬるに。かの蛇<おろち>が懸想せしこともおろおろおもひ出るなるべし。はじめの夜は事なければ書ず。二日の夜。よきほどの醉ごゝちにて。年來の大内住<うちずみ>に。邊鄙の人ははたうるさくまさん。かの御わたりにては。何の中將宰相の君などいふに添<そひ>ぶし玉ふらん。今更にくゝこそおぼゆれなど戲<たはむ>るゝに。富子即面をあげて。古き契を忘れ玉ひて。かくことなる事なき人を時めかし玉ふこそ。こなたよりまして惡くあれといふは。姿こそかはれ。正しく眞女子が聲なり。聞にあさましう。身の毛もたちて恐しく。只あきれまどふを。女打ゑみて。吾君な怪しみ玉ひそ。海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ玉ふとも。さるべき縁<ゑ>にしのあれば又もあひ見奉るものを。他<あだ>し人のいふことをまことしくおぼして。強に遠ざけ玉はんには。恨み報ひなん。紀路の山々さばかり髙くとも。君が血をもて峯より谷に潅ぎくださん。あたら御身をいたづらになし果玉ひそといふに。只わなゝきにわなゝかれて。今やとらるべきこゝちに死入ける。屏風のうしろより。吾君いかにむつかり玉ふ。かうめでたき御契なるはとて出るはまろやなり。見るに又腰<きも>を飛<とば>し。眼<まなこ>を閉<とぢ>て伏向<うつぶさ>に臥す。和<なご>めつ驚しつかはるがはる物うちいへど。只死入たるやうにて夜明ぬ。

 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ。かうかうの恐しき事あなり。これいかにして放<さけ>なん。よく計り玉へといふも。背<うしろ>にや聞らんと聲を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を靑くして歎きまどひ。こはいかにすべき。こゝに都の鞍馬寺の僧の。年々熊野に詣づるが。きのふより此向岳<むかつを>の蘭若<てら>に宿りたり。いとも驗なる法師にて凡疫病<ゑやみ>妖□32<ものゝけ>蝗<いなむし>などをもよく祈るよしにて。此鄕の人は貴<たふと>みあへり。此法師請<むか>へてんとて。あはたゝしく呼つげるに。漸<やゝ>して來りぬ。しかしかのよしを語れば。此法師鼻を髙くして。これらの蠱物<まじもの>らを捉<とら>んは何の難き事にもあらじ。必靜まりおはせとやすげにいふに。人々心落ゐぬ。法師まづ雄黄<ゆうわう>をもとめて藥の水を調じ。小瓶に堪へて。かの閨房にむかふ。人々驚隱<おぢかく>るゝを。法師嘲<あざみ>わらひて。老たるも童も必そこにおはせ。此□40<をろち>只今捉<とり>て見せ奉らんとてすゝみゆく。閨房の戸あくるを遲しと。かの蛇頭をさし出して法師にむかふ。此頭何ばかりの物ぞ。此戸口に充滿<みちみち>て。雪を積たるよりも白く輝々しく。眼は鏡の如く。角は枯木の如。三尺餘りの口を開き。紅の舌を吐<はい>て。只一呑に飮<のむ>らん勢ひをなす。あなやと叫びて。手にすゑし小瓶をもそこに打すてゝ。たつ足もなく。展轉<こいまろ>びはひ倒れて。からうじてのがれ來り。人々にむかひ。あな恐し。祟ります御神にてましますものを。など法師らが祈奉らん。此手足なくば。はた命失なひてんといふいふ絶入ぬ。人々扶け起すれど。すべて面も肌も黑く赤く染なしたるが如に。□57<あつ>き事焚火に手さすらんにひとし。毒気<あしきいき>にあたりたると見えて。後は只眼のみはたらきて物いひたげなれど。聲さへなさでぞある。水潅ぎなどすれど。つひに死ける。これを見る人いよゝ魂も身に添ぬ思ひして泣惑ふ。豐雄すこし心を収めて。かく驗なる法師だも祈得ず。犱<しふ>ねく我を纒<まと>ふものから。天地<あめつち>のあひだにあらんかぎりは探し得られなん。おのが命ひとつに人々を苦しむるは実<まめ>ならず。今は人をもかたらはじ。やすくおぼせとて閨房にゆくを。庄司の人々こは物に狂ひ玉ふかといへど。更に聞ず顏にかしこにゆく。戸を靜に明れば。物の騷がしき音もなくて。此二人ぞむかひゐたる。富子豐雄にむかひて。君何の讐<あた>に我を捉へんとて人をかたらひ玉ふ。此後も仇をもて報ひ玉はゞ。君が御身のみにあらじ。此鄕の人々をもすべて苦しきめ見せなん。ひたすら吾貞操<みさほ>をうれしとおぼして。徒<あだ>々しき御心をなおぼしそと。いとけさうじていふぞうたてかりき。豐雄いふは。世の諺にも聞ることあり。人かならず虎を害する心なけれども。虎反<かへ>りて人を傷<やぶ>る意ありとや。□28<なんぢ>人ならぬ心より。我を纏ふて幾度かからきめを見するさへあるに。かりそめ言をだにも此恐しき報ひをなんいふは。いとむくつけなり。されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば。こゝにありて人々の歎き玉はんがいたはし。此富子が命ひとつたすけよかし。然我をいづくにも連ゆけといへば。いと□58<うれ>しげに點頭<うなづき>をる。

 又立出て庄司にむかひ。かう淺ましきものゝ添てあれば。こゝにありて人々を苦しめ奉らんはいと心なきことなり。只今暇<いとま>玉はらば。娘子<をとめ>の命も恙<つゝが>なくおはすべしといふを。庄司更に肯ず。我弓の本末をもしりながら。かくいひがひなからんは大宅の人々のおぼす心もはづかし。猶計較<はかり>なん。小松原の道成寺に法海和尚とて貴とき祈の師おはす。今は老て室の外にも出ずと聞ど。我爲にはいかにもいかにも捨玉はじとて。馬にていそぎ出たちぬ。道遥なれば夜なかばかりに蘭若に到る。老和尚眼藏<めんざう>をゐざり出て。此物がたりを聞て。そは淺ましくおぼすべし。今は老朽て驗<げん>あるべくもおぼえ侍らねど。君が家の□32<わざは>ひを默<もだ>してやあらん。まづおはせ。法師も即詣なんとて。芥子の香にしみたる袈裟とり出て。庄司にあたへ。畜<かれ>をやすくすかしよせて。これをもて頭に打□22<かづ>け。力を出して押ふせ玉へ。手弱<たよは>くあらばおそらくは迯さらん。よく念じてよくなし玉へと実やかに敎ふ。庄司よろこぼひつゝ馬を飛してかへりぬ。豐雄を密に招きて。此事よくしてよとて袈裟をあたふ。豐雄これを懐に隱して閨房にいき。庄司今はいとまたびぬ。いぎたまへ出立なんといふ。いと□58<うれ>しげにてあるを。此袈裟とり出てはやく打□22<かづ>け。力をきはめて押ふせぬれば。あな苦し。□28何とてかく情なきぞ。しばしこゝ放せよかしといへど。猶力にまかせて押ふせぬ。法海和尚の輿やがて入來る。庄司の人々に扶けられてこゝにいたり玉ひ。口のうちつぶつぶと念じ玉ひつゝ。豐雄を退けて。かの袈裟とりて見玉へば。富子は現なく伏たる上に。白き蛇<をろち>の三尺あまりなる蟠<わだかま>りて動<うごき>だもせずてぞある。老和尚これを捉へて。徒弟が捧<さゝげ>たる鉄鉢に納玉ふ。猶念じ玉へば。屏風の背<うしろ>より。尺ばかりの小蛇はひ出るを。是をも捉て鉢に納玉ひ。かの袈裟をもてよく封じ玉ひ。そがまゝに輿に乘せ玉へば。人々掌をあはせ涙を流して敬まひ奉る。蘭若に歸り玉ひて。堂の前を深く堀せて。鉢のまゝに埋させ。永劫があひだ世に出ることを戒しめ玉ふ。今猶蛇が塚ありとかや。庄司が女子<むすめ>はつひに病にそみてむなしくなりぬ。豐雄は命恙なしとなんかたりつたへける

                                            雨月物語四之卷終

 雨月物語 卷之五

    靑 頭 巾<あをづきん>

 むかし快菴禪師<くはいあんぜんじ>といふ大德<とこ>の聖<びしり>おはしましけり。総角<わかき>より敎外<きやうぐはい>の旨をあきらめ給ひて。常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の國の龍泰寺<りやうたいじ>に一夏<いちげ>を滿<みた>しめ。此秋は奧羽のかたに住とて。旅立玉ふ。ゆきゆきて下野の國に入玉ふ。

 冨田といふ里にて日入はてぬれば。大きなる家の賑はゝしげなるに立よりて一宿をもとめ給ふに。田畑よりかへる男等。黄昏にこの僧の立るを見て。大きに怕<おそ>れたるさまして。山の鬼こそ來りたれ。人みな出よと呼のゝじる。家の内にも騒ぎたち。女童は泣さけび展轉<こいまろ>びて隈々<くまぐま>に竄<かく>る。あるじ山枴<おほこ>をとりて走り出。外の方を見るに。年紀五旬<としのころいそぢ>にちかき老僧の。頭に紺染<あをぞめ>の巾を□22<かづ>き。身に墨衣の破<やれ>たるを穿て。裹<つゝみ>たる物を背におひたるが。杖をもてさしまねき。檀越<だんゑつ>なに事にてかばかり備へ玉ふや。遍參<へんざん>の僧今夜ばかりの宿をかり奉らんとてこゝに人を待しに。おもひきやかく異<あや>しめられんとは。痩<やせ>法師の強盗などなすべきにもあらぬを。なあやしみ給ひそといふ。莊主<あるじ>枴を捨て手を拍<うつ>て笑ひ。渠等<かれら>が愚なる眼より客僧を驚<おど>しまいらせぬ。一宿を供養して罪を贖ひたてまつらんと。禮<いや>まひて奧の方に迎へ。こゝろよく食をもすゝめて饗しけり。

 莊主かたりていふ。さきに下等<しづら>が御僧を見て鬼來りしとおそれしもさるいはれの侍るなり。こゝに希有<けう>の物がたりの侍る。妖言<およづれごと>ながら人にもつたへ給へかし。此里の上の山に一宇の蘭若の侍る。故は小山氏の菩提院にて。代々<よゝ>大德の住給ふなり。今の阿闍梨は何某殿の猶子<ゆうじ>にて。ことに篤斈<とくがく>修行の聞えめでたく。此國の人は香燭をはこびて歸依したてまつる。我莊にもしばしば詣給ふて。いともうらなく仕へしが。去年<こぞ>の春にてありける。越の國へ水丁<くはんでう>の戒師にむかへられ玉ひて。百日あまり逗まり給ふが。他<かの>國より十二三歳なる童兒<わらは>を倶してかへり給ひ。起臥<おきふし>の扶<たすけ>とせらる。かの童兒が容<かたち>の秀麗<みやびやか>なるをふかく愛させたまふて。年來<としごろ>の事どもゝいつとなく怠りがちに見え玉ふ。さるに茲年<ことし>四月の比。かの童兒かりそめの病に臥けるが。日を経ておもくなやみけるを痛みかなしませ玉ふて。國府<こうふ>の典藥のおもだゝしきまで迎へ給へども。其しるしもなく終にむなしくなりぬ。ふところの璧<たま>をうばはれ。挿頭<かざし>の花を嵐にさそはれしおもひ。泣に涙なく。叫ぶに聲なく。あまりに歎かせたまふまゝに。火に燒。土に葬る事をもせで。臉<かほ>に臉をもたせ。手に手をとりくみて日を經玉ふが。終に心神<こゝろ>みだれ。生てありし日に違<たが>はず戲<たはふ>れつゝも。其肉の腐り爛<たゞる>るを吝<をし>みて。肉を吸骨を嘗て。はた喫<くら>ひつくしぬ。寺中の人々。院主こそ鬼になり給ひつれと。連忙迯<あはたゝしくにげ>さりぬるのちは。夜々里に下りて人を驚殺<おど>し。或は墓をあばきて腥々しき屍<かばね>を喫ふありさま。実<まこと>に鬼といふものは昔物がたりには聞もしつれど。現<うつゝ>にかくなり給ふを見て侍れ。されどいかゞしてこれを征し得ん。只戸<いへ>ごとに暮をかぎりて堅く關<とざ>してあれば。近曾<このごろ>は國中<くになか>へも聞えて。人の徃來<いきき>さへなくなり侍るなり。さるゆゑのありてそ客僧をも過りつるなりとかたる。快庵この物がたりを聞せ給ふて。世には不可思議の事もあるものかな。凡<およそ>人とうまれて。佛菩薩の敎の廣大なるをもしらず。愚なるまゝ。慳<かだま>しきまゝに世を終るものは。其愛慾邪念の業障に攬<ひか>れて。或は故<もと>の形をあらはして恚<いかり>を報ひ。或は鬼となり蟒<みづち>となりて祟りをなすためし。徃古より今にいたるまで□9ふるに尽しがたし。又人活<いき>ながらにして鬼に化<け>するもあり。楚王の宮人は蛇<をろち>となり。王含<わうがん>が母は夜刄<やしや>となり。呉生が妻は蛾となる。又いにしへある僧卑<あや>しき家に旅寢せしに。其夜雨風はげしく。燈<ともし>さへなきわびしさにいも寢られぬを。夜ふけて羊の鳴こゑの聞えけるが。頃刻<しばらく>して僧のねふりをうかゞひてしきりに□42ものあり。僧異<あや>しと見て。枕におきたる禪杖<ぜんじやう>をもてつよく撃<うち>ければ。大きに叫んでそこにたをる。この音に主<あるじ>の嫗<うば>なるもの燈を照し來るに見れば。若き女の打たをれてぞありける。嫗泣々命を乞。いかゞせん。捨て其家を出しが。其のち又たよりにつきて其里を過しに。田中に人多く集ひてものを見る。僧も立よりて何なるぞと尋ねしに。里人いふ。鬼に化したる女を捉へて。今土に□43<うづ>むなりとかたりしとなり。されどこれらは皆女子にて男たるものゝかゝるためしを聞ず。凡女の性の慳しきには。さる淺ましき鬼にも化するなり。又男子にも隨の煬帝<やうだい>の臣家<しんか>に麻叔謀<ましゆくばう>といふもの。小兒の肉を嗜好<このみ>て。潛<ひそか>に民の小兒を□44<ぬす>み。これを蒸て喫ひしもあなれど。是は淺ましき夷<ゑびす>心にて。主のかたり給ふとは異なり。さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ。過去の因縁にてぞあらめ。そも平生の行德のかしこかりしは。佛につかふる事に志誠<まごゝろ>を尽せしなれば。其童兒をやしなはざらましかば。あはれよき法師なるべきものを。一たび愛慾の迷路に入て。無明の業火の熾<さかん>なるより鬼と化したるも。ひとへに直くたくましき性<さが>のなす所なるぞかし。心放せば妖魔となり。収むる則<とき>は仏果を得るとは。此法師がためしなりける。老衲<らうのう>もしこの鬼を敎化<きやうげ>して本源の心にかへらしめなば。こよひの饗<あるじ>の報ひともなりなんかしと。たふときこゝろぎしを發<おこ>し給ふ。莊主頭を疊に摺て。御僧この事をなし給はゞ。此國の人は淨土にうまれ出たるがごとしと。涙を流してよろこびけり。山里のやどり貝鐘も聞えず。廿日あまりの月も出て。古戸の間<すき>に洩<もり>たるに。夜の深きをもしりて。いざ休ませ給へとておのれも臥戸に入りぬ。

 山院人とゞまらねば。樓門は荊棘<うばら>おひかゝり。經閣もむなしく苔蒸ぬ。蜘網をむすびて諸佛を繋ぎ。燕子<つばくら>の糞護摩の牀<ゆか>をうづみ。方丈廊房すべて物すざましく荒はてぬ。日の影申<さる>にかたふく比。快庵禪師寺に入て錫を鳴し給ひ。遍參の僧今夜ばかりの宿をかし給へと。あまたたび叫<よべ>どもさらに應<こたへ>なし。眠藏より痩槁<やせがれ>たる僧の漸々<よはよは>とあゆみ出。咳たる聲して。御僧は何地へ通るとてこゝに來るや。此寺はさる由縁<ゆゑ>ありてかく荒はて。人も住ぬ野らとなりしかば。一粒<いう>の齋糧<ときりやう>もなく。一宿をかすべきはかりこともなし。はやく里に出よといふ。禪師いふ。これは美濃の國を出て。みちの奧<く>へいぬる旅なるが。この麓の里を過るに。山の靈<かたち>水の流のおもしろさにおもはずもこゝにまうづ。日も斜<なゝめ>なれば里にくだらんもはるけし。ひたすら一宿<ひとよ>をかし給へ。あるじの僧云。かく野らなる所はよからぬ事もあなり。強てとゞめがたし。強てゆけとにもあらず。僧のこゝろにまかせよとて復び物をもいはず。こなたよりも一言<こと>を問はで。あるじのかたはらに座をしむる。看々<みるみる>日は入果て。宵闇の夜のいとくらきに。燈<ひ>を點<あげ>ざればまのあたりさへわかぬに。只澗<たに>水の音ぞちかく聞ゆ。あるじの僧も又眠藏に入て音なし。

 夜更て月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏<れいろう>としていたらぬ隈もなし。子ひとつともおもふ比。あるじの僧眠藏を出て。あはたゞしく物を討<たづ>ぬ。たづね得ずして大に叫び。禿驢<とくろ・くそぼうず>いづくに隱れけん。こゝもとにこそありつれと禪師が前を幾たび走り過れども。更に禪師を見る事なし。堂の方に駈<かけ>りゆくかと見れば。庭をめぐりて躍りくるひ。遂に疲れふして起來らず。夜明て朝日のさし出ぬれば。酒の醒たるごとくにして。禪師がもとの所に在<いま>すを見て。只あきれたる形にものさへいはで。柱にもたれ長嘘<ためいき>をつぎて黙<もだ>しゐたりける。禪師ちかくすゝみよりて。院主<ゐんじゆ>何をか歎き給ふ。もし飢<うへ>玉ふとならば野僧が肉に腹をみたしめ給へ。あるじの僧いふ。師は夜もすがらそこに居させたまふや。禪師いふ。こゝにありてねふる事なし。あるじの僧いふ。我あさましくも人の肉を好めども。いまだ佛身の肉味をしらず。師はまことに佛なり。鬼畜のくらき眼<まなこ>をもて。活佛<くはつぶつ>の來迎を見んとするとも。見ゆべからぬ理<ことわ>りなるかな。あなたふとゝ頭を低<たれ>て黙しける。禪師いふ。里人のかたるを聞けば。汝一旦<ひとたび>の愛慾に心神<こゝろ>みだれしより。忽鬼畜に墮罪したるは。あさましとも哀しとも。ためしさへ希なる惡因なり。夜々里に出て人を害<わざわひ>するゆゑに。ちかき里人は安き心なし。我これを聞て捨るに忍びず。恃<わざわざ>來りて敎化し本源<もと>の心にかへらしめんとなるを。汝我をしへを聞や否や。あるじの僧いふ。師はまことに佛なり。かく淺ましき惡業を頓<とみ>にわするべきことわりを敎給へ。禪師いふ。汝聞とならばこゝに來れとて。簀子の前のたひらなる石の上に座せしめて。みづから□22<かづ>き玉ふ紺染の巾を脱て僧が頭に□22<かづか>しめ。證道の哥の二句を授給ふ

   江月照松風吹<こうげつてらしせうふうふく>

    永夜淸宵何所爲<えいやせいしようなんのしよゐぞ>

汝こゝを去ずして徐<しづか>に此句の意<こゝろ>をもとむべし。意□45<とけ>ぬる則<とき>はおのずから本來の佛心に會ふなるはと。念頃に敎て山を下り給ふ。此のちは里人おもき□32<わざはひ>をのがれしといへども。猶僧が生死をしらざれば。疑ひ恐れて人々山にのぼる事をいましめけり。

 一とせ速くたちて。むかふ年の冬十月<かみなづき>の初旬<はじめ>快庵大德。奧路のかへるさに又こゝを過給ふが。かの一宿<ひとよ>のあるじが莊<いへ>に立よりて。僧が消息を尋ね玉ふ。莊主<あるじ>よろこび迎へて。御僧の大德によりて鬼ふたゝび山をくだらねば。人皆淨土にうまれ出たるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて。一人としてのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど。など今まで活<いき>ては侍らじ。今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も隨縁したてまつらんといふ。禪師いふ。他<かれ>善果に基<もとづき>て□46化<せんげ>せしとならば道に先達<せんだち>の師ともいふべし。又活てあるときは我ために一個<ひとり>の徒弟なり。いづれ消息を見ずばあらじとて。復び山にのぼり給ふに。いかさまにも人のいきゝ絶たると見えて。去年ふみわけし道ぞとも思はれず。寺に入て見れば。荻<をぎ>尾花のたけ人よりもたかく生茂り。露は時雨めきて降こぼれたるに。三<みつ>の徑<みち>さへわからざる中に。堂閣の戸右左に頽<たふ>れ。方丈庫裏<はうじやうくり>に縁<めぐ>りたる廊も。朽目<くちめ>に雨をふくみて苔むしぬ。さてかの僧を座らしめたる簀子のほとりをもとむるに。影のやうなる人の。僧俗ともわからぬまでに髭髪もみだれしに。葎<むぐら>むすぼふれ。尾花おしなみたるなかに。蚊の鳴ばかりのほそき音して。物とも聞えぬやうにまれまれ唱ふるを聞けば

    江月照松風吹

    永夜淸宵何所爲

禪師見玉ひて。やがて禪杖を拿<とり>なほし。作麼生何所爲<そもさんなんのしよゐ>ぞと。一喝して他<かれ>が頭を撃<うち>給へば。忽氷の朝日にあふがごとくきえうせて。かの靑頭巾と骨のみぞ草葉にとゞまりける。現<げ>にも久しき念のこゝに消じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。

 されば禪師の大德雲の裏海の外にも聞えて。初祖の肉いまだ乾かずとぞ称歎しけるとなり。かくて里人あつまりて。寺内を淸め。修理<しゆり>をもよほし。禪師を推<おし>たふとみてこゝに住しめけるより。故<もと>の密宗をあらためて。曹洞の靈場をひらき給ふ。今なほ御寺はたふとく榮えてありけるとなり

    貧 福 論<ひんぷくろん>

 陸奧の國蒲生<かまう>氏鄕の家に。岡左内といふ武士あり。祿おもく。譽たかく。丈夫<ますらを>の名を關の東に震<ふる>ふ。此士いと偏固<かたわ>なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁<ぶへん>にひとしからず。儉約を宗<むね>として家の掟をせしほどに。年を疊<つみ>て富昌<さか>へけり。かつ軍<いくさ>を調練<たなら>す間<いとま>には。茶味翫香<さみくはんかう>を娯しまず。廳上<ひとま>なる所に許多<あまた>の金<こがね>を布班<しきなら>べて。心を和<なぐ>さむる事。世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて。吝嗇野情<りんしよくやじやう>の人なりとて。爪はぢきをして惡みけり。家に久しき男に黄金一枚かくし持たるものあるを聞つけて。ちかく召ていふ。崑山<こんざん>の璧<たま>もみだれたる世には瓦礫<ぐはれき>にひとし。かゝる世にうまれて弓矢とらん躯<み>には。棠谿墨陽<とうけいぼくやう>の剱<つるぎ>。さてはありたきもの財寶<たから>なり。されど良劔<よきつるぎ>なりとて千人の敵<あた>には逆<むか>ふべからず。金の德は天<あめ>が下の人をも從へつべし。武士たるもの漫<みだり>にあつかふべからず。かならず貯へ藏むべきなり。□28<なんぢ>賎しき身の分限に過たる財<たから>を得たるは嗚呼<をこ>の事<わざ>なり。賞なくばあらじとて。十兩の金を給ひ。刀をも赦して召つかひけり。人これを傳へ聞て。左内が金をあつむるは長啄<ちやうたく>にして飽ざる類にはあらず。只當世の一奇士<きし>なりとぞいひはやしける。

 其夜左内が枕上<まくらがみ>に人の來たる音しけるに。目さめて見れば。燈臺の下に。ちいさげなる翁の笑<ゑみ>をふくみて座れり。左内枕をあげて。こゝに來るは誰。我に粮<かて>からんとならば力量の男どもこそ参りつらめ。□28がやうの耄<ほげ>たる形<さま>してねふりを魘<をそ>ひつるは。狐狸などのたはむるゝにや。何のおぼえたる術<わざ>かある。秋の夜の目さましに。そと見せよとて。すこしも騷ぎたる容色<いろめ>なし。翁いふ。かく参りたるは魑魅<ちみ>にあらず人にあらず。君がかしづき給ふ黄金の精靈なり。年來篤くもてなし給ふうれしさに。夜話<よがたり>せんとて推てまいりたるなり。君が今日家の子を賞じ給ふに感て。翁が思ふこゝろばへをもかたり和さまんとて。假に化<かたち>を見<あら>はし侍るが。十にひとつも益<やう>なき閑談<むだごと>ながら。いはざるは腹みつれば。わざとにまうでゝ眠をさまたげ侍る。さても富て驕らぬは大聖<おほきひじり>の道なり。さるを世の惡<さがなき>ことばに。富<とめ>るものはかならず慳<かだま>し。富るものはおほく愚<おろか>なりといふは。晋の石祟<せきそう>唐の王元宝<わうげんぼう>がごとき。豺狼蛇蝎<歳らうじやかつ>の徒<ともがら>のみをいへるなりけり。徃古<いにしへ>に富る人は。天の時をはかり。地の利を察<あき>らめて。おのづからなる富貴を得るなり。呂望<りよぼう>齋<せい>に封ぜられて民に産業<なりはひ>を敎ふれば。海方<うなべ>の人利に走りてこゝに來朝<きむか>ふ。管仲<くはんちう>九<こゝの>たび諸候をあはせて。身は倍臣<やつこ>ながら富貴は列國の君に勝れり。范蠡<はんれい>。子貢<しこう>。白圭<はくけい>が徒。財を鬻<ひさ>ぎ利を遂<おう>て。巨萬<こゝだく>の金<こがね>を疊<つみ>なす。これらの人をつらねて貨殖傳<くわしよくでん>を書<しる>し侍るを。其いふ所陋<いやし>とて。のちの博士筆を競ふて謗<そし>るは。ふかく頴<さと>らざる人の語<ことば>なり。恒<つね>の産<なりはひ>なきは恒の心なし。百姓<おたから>は勤<つとめて>て□47<たなつもの>を出し。工匠等修<たくみらつとめ>てこれを助け。商賈<あきびと>務めて此を通はし。おのれおのれが産<なり>を治め家を富<とま>して。祖<みおや>を祭り子孫<のち>を謀<はか>る外。人たるもの何をか爲ん。諺にもいへり。千金の子は市に死せず。富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに渕<ふち>深ければ魚よくあそび。山長ければ獸よくそだつは天の隨<まにまに>なることわりなり。只貧しうしてたのしむてふことばありて。字を學び韻を採る人の惑<まどひ>をとる端となりて。弓矢とるますら雄も富貴は國の基<もとゐ>なるをわすれ。あやしき計策<たばかり>をのみ調練<たならひ>て。ものを□48<やぶ>り人を傷<そこな>ひ。おのが德をうしなひて子孫を絶<たつ>は。財を薄<かろ>んじて名をおもしとする惑ひなり。顧<おもふ>に名とたからともとむるに心ふたつある事なし。文字てふものに繋がれて。金の德を薄んじては。みづから淸潔と唱へ。鋤を揮<すて>て棄たる人を賢しといふ。さる人はかしこくとも。さる事は賢からじ。金<こがね>は七のたからの最<つかさ>なり。土に□43<うも>れては靈泉を湛<たゝ>へ。不淨を除き。妙なる音<こゑ>を藏<かく>せり。かく淸よきものゝ。いかなれば愚昧貧酷<ぐまいどんかう>の人にのみ集<つど>ふべきやうなし。今夜<こよひ>此憤りを吐て年來のこゝろやりをなし侍る事の□58<うれ>しさよといふ。

 左内興じて席をすゝみ。さてしもかたらせ給ふに。富貴の道のたかき事。己<おの>がつねにおもふ所露たがはずぞ侍る。こゝに愚なる問<とひ>事の侍るが。ねがふは詳<つばら>にしめさせ給へ。今ことわらせ給ふは。專<もはら>金の德を薄<かろ>しめ。富貴の大業なる事をしらざるを罪とし給ふなるが。かの紙魚<しぎよ>がいふ所もゆゑなきにあらず。今の世に富るものは。十が八ツまではおほかた貧酷殘忍<どんかうざんにん>の人多し。おのれは俸祿に飽たりながら。兄弟一属<はらからやから>をはじめ。祖<みおや>より久しくつかふるものゝ貧しきをすくふ事をもせず。となりに栖<すみ>つる人のいきほひをうしなひ。他<ひと>の援<たす>けさへなく世にくだりしものゝ田畑<たばた>をも。價<あたひ>を賎<やす>くしてあながちに己がものとし。今おのれは村長<むらをさ>とうやまはれても。むかしかりたる人のものをかへさず。禮ある人の席<むしろ>を讓れば。其人を奴のごとく見おとし。たまたま舊<ふる>き友の寒暑を訪らひ來れば。物からんためかと疑ひて。宿にあらぬよしを應<こた>へさせつる類あまた見來りぬ。又君に忠なるかぎりをつくし。父母に孝廉の聞えあり。貴きをたふとみ。賎しきを扶<たす>くる意ありながら。三冬のさむきにも一裘<きう>に起臥<おきふし>。三伏<ぶく>のあつきにも一□49<かつ>を濯<すゝ>ぐいとまなく。年ゆたかなれども朝に□50<くれ>に一椀<わん>の粥にはらをみたしめ。さる人はもとより朋友<ともがら>の訪らふ事もなく。かへりて兄弟一属にも通<みち>を塞<きら>れ。まじはりを絶<たゝ>れて。其怨<うらみ>をうつたふる方さへなく。汲々<きふきふ>として一生を終<おふ>るもあり。さらばその人は作業<なりはひ>にうときゆゑかと見れば。夙<つと>に起おそくふして性力<ちから>を凝<こら>し。西にひがしに走りまどふ□51蹊<ありさま>さらに閑<いとま>なく。その人愚にもあらで才をもちうるに的<あた>るはまれなり。これらは顏子<がんし>が一瓢<いちべう>の味はひをもしらず。かく果<はつ>るを佛家<ぶつか>には前業<ぜんごう>をもて説<とき>しめし。儒門には天命と敎ふ。もし未來あるときは現世の陰德善功も來世のたのみありとして。人しばらくこゝにいきどほりを休めん。されば富貴のみちは佛家にのみその理<ことはり>をつくして。儒門の敎へは荒唐なりとやせん。靈<かみ>も佛の敎にこそ憑<よら>せ給ふらめ。否<いな>ならば詳にのべさせ給へ。

 翁いふ。君が問玉ふは徃古より論じ尽さゞることわりなり。かの佛の御法<みのり>を聞けば。富と貧しきは前生<さきのよ>の脩否<よきあしき>によるとや。此はあらましなる敎へぞかし。前生にありしときおのれをよく脩め。慈悲の心專<もは>らに。他人<ことひと>にもなさけふかく接<まじ>はりし人の。その善報によりて。今此生に富貴の家にうまれきたり。おのがたからをたのみて他人にいきほひをふるひ。あらぬ狂言<まがこと>をいひのゝじり。あさましき夷<ゑびす>こゝろをも見するは。前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。佛菩薩は名聞利要<みやうもんりよう>を嫌<いみ>給ふとこそ聞つる物を。など貧福の事に係<かゝ>づらひ給ふべき。さるを富貴は前生のおこなひの善<よか>りし所。貧賎は惡かりしむくひとのみ説なすは。尼媽<あまかゝ>を蕩<とら>かすなま佛法ぞかし。貧福をいはず。ひたすら善を積ん人は。その身に來らずとも。子孫<しそん>はかならず幸福<さいはひ>を得べし。宗廟これを饗<うけ>て子孫これを保つとは。此ことわりの細妙<くはしき>なり。おのれ善をなして。おのれその報ひの來るを待は直<なほ>きゝろにもあらずかし。又惡業慳貧<あくごうけんどん>の人の富昌<さか>ゆるのみかは。壽<いのち>めでたくその終<をはり>をよくするは。我に異なることわりあり。霎時<しばらく>聞せたまへ。我今假に化<かたち>をあらはして話るといへども。神にあらず佛にあらず。もと非情の物なれば人と異なる慮<こゝろ>あり。いにしへに富る人は。天<あめ>の時に合<かな>ひ。地<くに>の利をあきらめて。産を治めて富貴となる。これ天の隨<まにまに>なる計策<たばかり>なれば。たからのこゝにあつまるも天のまにまになることわりなり。又卑吝貪酷<りひんどんこう>の人は。金銀を見ては父母のごとくしたしみ。食<くら>ふべきをも喫<くら>はず。穿<き>べきをも着ず。得がたきいのちさへ惜<をし>とおもはで。起ておもひ臥てわすれねば。こゝにあつまる事まのあたりなることわりなり。我もと神にあらず佛にあらず。只これ非情なり。非情のものとして人の善惡を糺<たゞ>し。それにしたがふべきいはれなし。善を撫<なで>惡を罪<つみ>するは。天なり。神なり。佛なり。三ツのものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。只かれらがつかへ傳<かしづ>く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金に靈あれども人とこゝろの異なる所なり。また富て善根を種<うゝ>るにもゆゑなきに惠みほどこし。その人の不義をも察<あきら>らめず借あたへたらん人は。善根なりとも財はつひに散ずべし。これらは金の用を知<しり>て。金の德をしらず。かろくあつかふが故なり。又身のおこなひもよろしく。人にも志誠<まごゝろ>ありながら。世に窮<せばめ>られてくるしむ人は。天蒼氏<てんそうじ>の賜<たまもの>すくなくうまれ出たるなれば。精神を勞しても。いのちのうちにや富貴田貴を得る事なし。さればこそいにしへの賢き人は。もとめて益あればもとめ。益なくばもとめず。己がこのむまにまに世を山林にのがれて。しづかに一生を終る。心のうちいかばかり淸<すゞ>しからんとはうらやみぬるぞ。かくいへど富貴のみちは術<わざ>にして。巧なるものはよく湊<あつ>め。不肖のものは瓦<かはら>の解<とく>るより易<やす>し。且<かつ>我ともがらは。人の生産<なりはひ>につきめぐりて。たのみとする主<ぬし>もさだまらず。こゝにあつまるかとすれば。その主のおこなひによりてたちまちにかしこに走る。水のひくき方にかたふくがごとし。夜に昼にゆきくと休ときなし。たゞ閑人<むだびと>の生産もなくてあらば。泰山もやがて喫<くひ>つくすべし。江海<ごうかい>もつひに飮ほすべし。いくたびもいふ。不德の人のたからを積<つむ>は。これとあらそふことわり。君子は論ずる事なかれ。ときを得たらん人の儉約を守りついえを省きてよく務めんには。おのづから家富人服すべし。我は佛家の前業もしらず。儒門の天命にも抱はらず。異なる境にあそぶなりといふ。

 左内いよいよ興に乘じて。靈の議論きはめて炒なり。舊<ひさ>しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試<こゝろみ>にふたゝび問ん。今豊臣の戚風四海を靡<なみ>し。五畿七道漸<やゝ>しづかなるに似たれども。亡國の義士彼此<をちこち>に潜み竄れ。或は大國の主に身を托<よせ>て世の変をうかゞひ。かねて志を遂<とげ>んと策<はか>る。民も又戰國の民なれば。耒<すき>を釈<すて>て矛<ほこ>に易<かえ>。農事をことゝせず。士たるもの枕を髙くして眠るべからず。今の躰<さま>にては長く不朽の政<まつりごと>にもあらじ。誰か一統して民をやすきに居しめんや。又誰にか合<くみ>し給はんや。翁云。これ又人道なれば我しるべき所にあらず。只富貴をもて論ぜば。信玄がごとく智謀<はかりごと>は百<もゝ>が百的<あた>らずといふ事なくて。一生の威を三國に震ふのみ。しかも名將の聞えは世擧<こぞ>りて賞ずる所なり。その末期の言に。當時信長は果報いみじき大將なり。我平生<つね>に他<かれ>を侮りて征伐を怠り此疾<やまひ>に係る。我子孫も即<やがて>他<かれ>に亡<ほろぼ>されんといひしとなり。謙信は勇將なり。信玄死<しゝ>ては天が下に對<つい>なし。不幸にして遽死<はやくみまか>りぬ。信長の器量人にすぐれたれども。信玄の智に及<しか>ず。謙信の勇に劣れり。しかれども冨貴を得て天が下の事一囘<たび>は此人に依<よぎ>す。任ずるものを辱しめて命を殞<おと>すにて見れば。文武を兼しといふにもあらず。秀吉の志<こゝろざし>大<おほい>なるも。はじめより天地<あめつち>に滿るにもあらず。柴田と丹羽が富貴をうらやみて。羽柴と云氏<うぢ>を設<まうけ>しにてしるべし。今龍と化<け>して太虚<みそら>に昇り池中<ちちう>をわすれたるならずや。秀吉龍と化したれども蛟蜃<かうしん>の類也。蛟蜃の龍と化したるは。壽<いのち>わづかに三歳<みとせ>を過ずと。これもはた後なからんか。それ驕<おごり>をもて治<をさめ>たる世は。徃古<いにしへ>より久しきを見ず。人の守るべきは儉約なれども。過るものは卑吝<ひりん>に陥<おつ>る。されば儉約と卑吝の境よくわきまへて務むべき物にこそ。今豐臣の政久しからずとも。萬民和<にぎ>はゝしく。戸々に千秋樂を唱はん事ちかきにあり。君が望にまかすべしとで八字の句を諷ふ。そのことばにいはく

  尭□52日杲<ぎやうめいひにあきらかに>

  百姓歸家<ひやくせいいへによる>

數言<すげん>興盡て遠寺<えんじ>の鐘五更を告る。夜既に曙<あけ>ぬ。別れを給ふべし。こよひの長談<ながものがたり>まことに君が眠りをさまたぐと。起<たち>てゆくやうなりしが。かき消て見えずなりにけり。

 左内つらつら夜もすがらの事をおもひて。かの句を案ずるに。百姓家に歸すの句粗<ほゞ>其意<こゝろ>を得て。ふかくこゝに信を發<おこ>す。まことに瑞草<ずいさう>の瑞あるかな

                                            雨月物語五之卷大尾

 安永五歳丙申孟夏吉旦

                 寺町通五條上ル町

               京都   梅村判兵衞

    書肆

                  髙麗橋筋壹町目

               大坂   野村長兵衞

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□語注

 1 「幅」の左半分が「にんべん」

 2 「口」の右上に「合」、右下に「廾」

 3 一字で「句隹」

 4 「田」の下に「兀」

 5 「秋」の左右が逆

 6 「潟」の右側が「写」

 7 「筑」の「凡」に替えて「おおざと」

 8 「堀」で、「屈」に替えて「敦」

 9 「竹」の下に「弄」。「算」に同じ。

10 「广」の下に「苗」。「廟」に同じ。

11 「窗」の下に「心」

12 「款」で「士」→「上」、「示」→「矢」に変更。

13 「古」の下に「又」

14 一字で「肴殳」

15 「潸」の「月」が「日」

16 「さんずい」に「區」

17 「琢」の「王」に替えて「さんずい」

18 「塚」の右側が「龍」

19 「詼」の右に同じ

20 一字で「休鳥」

21 一字で「留鳥」

22 「巾」の右に「皮」

23 「廻」の「回」は「囘」

24 「草かんむり」の下に「繁」

25 「臈」の「くさ」が「月日」の上に

26 「將」の下に「衣」

27 「求」の下に「食」

28 「にんべん」の右に「尓」

29 「白」の下に「八」

31 「奸」の「女」が縦に二つ

32 「宀」の下に「火」

33 「籀」の「留」の右が「木」

34 一字で「女聚」

36 「しんにゅう」に「黎」

37 一字で「糸兼」

38 「秋」の下に「金」

39 「魚」の右に「條」

40 一字で「虫也」

42 「嗅」の右側と「鼻」

43 「やまいだれ」の下「夾」の下に「土」

44 「偸」の右側が「輸」の右側に同じ

45 一字で「角羊」

46 「しんにゅう」に「千」

47 「穀」の「木」が「米」

48 「伐」の左側が「爿」

49 「葛」の下部が「曷」

   ※WINDOWSのフォントにより相違あり。

50 「哺」の「口」に替えて「日」

51 「曉」の「日」に替えて「足」

52 「草かんむり」の下に「冥」

53 一字で「女戸」。「妬」に同じ。

54 「宀」の下に「取」。正字は「冖」。

55 「者」の下に「火」。「煮」に同じ。

56 「孰」の下に「火」。「熟」に同じ。

57 「熱」の下部が「火」。「熱」に同じ。

58 「品」の「口」を「七」に。