ロサンゼルス発 — スターはいる。ロックスターもいる。そして、大谷翔平という、もはや超常現象としか言いようのない存在がいる。

歴史がある。ポストシーズンの歴史もある。そして、金曜の夜、私たちが目撃した、あの「地上最高(グレイテスト・ショー)の翔(ショー)」が演じた何かもがある。歴史あるシャベス・ラビーンのスタジアムを埋め尽くした人々は、何度見ても、今見ているものが信じられないという様子だった。

では、彼らが見たものとは何だったのか? こう言うほかない。

オオタニという名の男が、野球場で人間がプレイした史上最高の試合をやってのけた…もし「人間」という言葉が彼を表すのに適切だとしたらの話だが。

ハイライトを一気に見ていこう。とんでもない内容だ。

「今夜我々が見たようなことをできる人間が、他にいるでしょうか?」 衝撃的な大谷が、力及ばぬブルワーズ相手に5対1で勝利し、シリーズ突破とスイープ(全勝)を決めた後、私はドジャースの野球編成部門代表であるアンドリュー・フリードマンに尋ねた。

「いや」とフリードマンは答えた。「彼は間違いなく唯一無二の存在だ」

「それは『今』の話ですか?」と私は尋ねた。「それとも『史上』ですか?」

「『史上』というのは難しい」とフリードマンは言った。「だが、『私の人生においては』と自信を持って言える」

念のために言っておくと、フリードマンの人生の1回表が始まったのは1976年のことだ。しかし、たとえそれが1876年だったとしても、この答えは変わらなかっただろうと、私も自信を持って言える。

「今夜我々が見たものは、一体何だったのでしょう?」 私は、チームのナショナル・リーグ優勝決定シリーズ(NLCS)勝利の祝いで高まるシャンパン(飲料)の波をかき分けながら、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督に尋ねた。

「我々は、これまで誰も見たことのないものを見ているんだ」とロバーツは、その言葉の持つ強力な意味をまだ消化しようとしながら言った。

その手助けをしよう。今年はメジャーリーグベースボール(MLB)の150シーズン目だ。だから、この長い年月の間に多くのことが起こってきたと言っていいだろう。しかし、金曜にあの素晴らしい大谷が成し遂げたことか? それは一度も起こったことがない。絶対に、だ。レギュラーシーズンでも。ポストシーズンでも。どのリーグでも。どの球場でも。どの大陸でも。どの太陽系でも。

私の使命は、我々がなぜそこまで大胆な発言ができるのか、その多くの理由を記録することだ。というわけで、これが、野球場で人間がプレイした史上最高の試合であった7つの理由である。

1. 10月の舞台での3本塁打

(写真キャプション)大谷翔平、3本目の本塁打を見つめる

わざわざ聞くまでもない。「ポストシーズンの1試合で、チームの先発投手が3本塁打も打ったことがあるか?」などと。笑止千万だ。ポストシーズンで3本塁打を放った投手など、当然いるわけがない。

2本塁打ですら、いない。

こう言えば、その3本のホームランの凄さがより分かりやすくなるかもしれない。ポストシーズンの通算で2本塁打を打ったことのある先発投手は、球史においてたった2人しかいない。ボブ・ギブソン(1964年と68年)とデーブ・マクナリー(1966年と74年)だ。

だから諸君、大谷という名前以外の投手がバット置き場に近づくことさえ許されなくなった昨今、これは決して破られることのない記録なのだ。

大谷自身が破らない限りは!

2. ベーブ・ルースですら、これは成し遂げていない

かつて、大谷の歴史の初期において、彼を「現代のベーブ・ルース」か何かと呼ぶのが流行っていたのを覚えているかもしれない。まあ、可愛らしい話だった。

ベーブはポストシーズンを含め、キャリアで166試合に登板したが、その全試合の中で2本塁打を打ったのはたった1度しかない。それは1921年6月13日、ヤンキース時代のことだ。その日、彼がマウンドで奪った三振はいくつだったか? わずか1つである。

だから、ベーブと大谷の点と点を無理やりつなげようとすると、こうなる。STATS Perform社の友人によれば、レギュラーシーズンで3本塁打を打ったことがあり、かつポストシーズンで登板したことがある選手は、史上3人しかいない。

ベーブ・ルース

ジム・トービン*

大谷翔平

*トービンは近代野球(モダン・エラ)において、1試合3本塁打を記録した唯一の投手だった(1942年5月13日)…金曜日までは!

3. 1試合で3度の生還と10奪三

ポストシーズンで10奪三振を達成したことがないドジャースの選手を何人か挙げてみようか? 聞きたいだろう。オーレル・ハーシュハイザー、フェルナンド・バレンズエラ、野茂英雄、ドン・サットン、その他無数の選手たちだ。

だが、あの大谷という男は、3本もホームランを打った夜に、10奪三振の試合までやってのけた? まったく馬鹿げている。

レギュラーシーズンの試合で、それを成し遂げた選手が何人いるか? そう。ゼロだ。

では、レギュラーシーズンで10奪三振を記録した試合中に、2本塁打を打った選手は? 実は7人いる。最後にそれを達成したのは誰だと思う? ご名答。大谷翔平(2023年)だ。他に誰がいる?

4. 許した安打より打った本塁打の方が多い

このボックススコア(試合記録)には、もう一つ私を笑わせてくれるおかしな部分がある。

大谷の本塁打 — 3

大谷の被安打 — 2

これもSTATS社に調べてもらった。1901年以降のレギュラーシーズンで、投手が2本塁打以上を放ち、なおかつ許した安打よりも本塁打の方が多いという試合が、たった2試合しかないことをご存知だろうか?

リック・ワイズの試合 — 1971年6月23日、フィリーズ時代。ノーヒットノーランを達成し、2本塁打を放った。これはかつて「史上最高の試合」談義で常に取り上げられていた。大谷はその会話を終わらせてしまったのだろうか? 私はそう思う。

ジェス・ドイルの試合 — 実際には誰もこれをジェス・ドイルの試合とは呼ばないが、我々が流行らせるかもしれない。1925年9月28日、ドイルはタイガースで2本塁打を放ち、許した安打はわずか1本だった。だが、あまり大谷的ではなかった。彼はリリーフ投手として11アウトしか取れず、敗戦投手になった試合でそれを記録したのだ。

ちなみに、ポストシーズンの試合で本塁打を放ちながら、1本もヒットを許さなかった投手も2人いる。だが、興奮を抑えてほしい。彼らが2人合わせて取ったアウトは、大谷が1人で取ったアウトよりも少ないのだ。ブランドン・ウッドラフ(2018年、6アウトのみ)とトラビス・ウッド(2016年、4アウト)である。

さて、これらの試合のどれかが、金曜に大谷がやったことを思い起こさせるだろうか? まさか。そうは思わない。

5. 史上最高の初回

一体誰がこんな脚本を書くんだ? 大谷の1回表のマウンドはこうだった。

先頭打者(ブライス・トゥラング)を四球で歩かせる…その後、何気ない顔で続く3打者を三振に仕留める…ジャクソン・チョーリオを100.3マイル(約161.4キロ)の火の玉で、クリスチャン・イエリッチを100.2マイル(約161.3キロ)の燃え上がるような速球で、そしてウィリアム・コントレラスを、横に17インチ(約43センチ)変化し、縦に29インチ(約74センチ)も落ちるスイーパーで空振りさせた。

ドジャー・スタジアムはケープカナベラルの発射台よりもうるさかった。そしてその裏、ドジャースの先頭打者、つまり先発投手が打席に立ち、これをやってのけた…

(訳注:原文にはここにホームランの描写が入ることを示唆する一文があるが、省略されている)

かくして、446フィート(約136メートル)先で、この試合は二度と同じではなくなった。そして歴史書も同様だ。

歴史講座その1 — 大谷があの一発を叩き込むまで、ポストシーズンの試合で先頭打者本塁打を放った先発投手が何人いただろうか? そう、ゼロだ。ポストシーズンのどの試合でも。レギュラーシーズンのどの試合でも。だが、うーん、もうそうではなくなった。

歴史講座その2 — これはポストシーズン史上1,869試合目だった。つまり、16,000イニング以上が行われてきたことになる。ポストシーズンの試合で、同じイニングに3者連続三振を奪い、かつ本塁打を打った投手が何人いると思うか? いつものように、ゼロと答えるのが賢明だろう。(情報提供:Elias Sports Bureau)

6. 先発投手が場外へ

金曜の午後、私はドジャースの偉大な歴史家であるマーク・ランギルと共に、ドジャー・スタジアムのライトフィールドを散策した。それは歴史を巡る散策になるはずだった。その夜、私たちに何が待ち受けているのか、その時は知る由もなかった。

つい先週、フィリーズのカイル・シュワーバーが、このスタジアムで50年以上も誰も到達しなかった場所へとてつもない打球を放ったばかりだった。打球はライト側のパビリオン席を越え、推定455フィート(約139メートル)を記録し、ドジャースはその打球が飛んだおおよその地点、パビリオンの後方に「455」の目印を設置した。

我々はその後、そのパビリオン越えの本塁打を打った唯一の男、パイレーツのレジェンド、ウィリー・スタージェルが放った特大弾を記念する目印も確認した。彼はそれを2度もやってのけ、1本は1969年(507フィート!=約154.5メートル)、もう1本は1973年のことだった。

(写真キャプション)ウィリー・スタージェルは1969年にドジャー・スタジアムで推定507フィートの本塁打を放った。第4戦での大谷の4回の一撃の後、ドジャースは新しい銘板を設置する必要があるだろう。

そして…何か「オオタニ的」なことが起こった。4回、あの大谷が今夜2本目の本塁打をパビリオンのはるか上空へと粉砕し、あのおとぎ話のようなパビリオン越えの打球に仲間が加わったのだ。打球は地球に降りてきたのかどうかすら怪しいほどで、どこへ着弾したのか見極めるのは困難だった。

「私の反応は、ただ口をあんぐり開けているだけだった」とフリードマンは語った。「打球を追おうとして、落ちてくるのが見えず、『今のはスタジアムを出たのか?』と言ったよ」

その通り。打球は夜の闇の奥深く…どこかへ消えていった。サン・ガブリエル山地でハイキングでもしているのだろうか? L.A.ライブをチェックしている? それともユニバーサル・スタジオの撮影所をツアー中? 誰にも分かりっこない。

我々に分かるのは、半世紀以上にわたり、誰もあのライト側パビリオンを越える本塁打を打てなかったということだけだ。それがどういうわけか、9日間のうちに、4試合で2度も起きた? しかも、ドジャースがあの「455」の銘板を設置したほんの数日後に? 本気か?

スタジアムがあの469フィート(約143メートル)のスペースシャトルが空を切り裂く光景に、信じられないといった様子で揺れる中、ランギルが私に次のやることリストをテキストで送ってきた。

「また銘板が増えるな」

7. 一夜にしてキャリア分の活躍

最後に、もう一つ歴史講座を。ウィリー・メイズがポストシーズンの試合で2本塁打(以上)を打ったことがないと聞いたら信じられるだろうか? ヘンリー・アーロンも、マーク・マグワイアも、マイク・シュミットも、ケン・グリフィーJr.もそうだ。

一方、ボブ・フェラーはポストシーズンの試合で10奪三振(以上)を記録したことがない。フアン・マリシャルも、ジャック・モリスも、クリスティ・マシューソンもそうだ。

だが、大谷という名のスーパーヒーローが、その両方を同じ夜にやってのけた、という話はもうしただろうか?

これに触発され、STATS社のグレッグ・ハービーが、ポストシーズンのキャリアにおいて「複数本塁打の試合」と「2桁奪三振の試合」の両方を経験したことがある全選手の驚異的なリストを作成してくれた。

大谷翔平。

彼はその両方を…同じ試合でやってのけたのだ。

「これは私が見たことのないパフォーマンスだ」とロバーツは試合後に語った。「こんなものは誰も見たことがない。私は今もなお、翔平に畏敬の念を抱いている」

ムーキー・ベッツは、ネクストバッターズサークルから3本の本塁打すべてを、ショートの守備位置から10奪三振すべてを目撃した。そこで私は彼に、見たものへの反応をどう表現するか尋ねてみた。

「言葉があるかどうかさえ分からない」とベッツは言った。「ただ見て、楽しむだけだ。本当にそれだけ。いつか自分の子供たちに、大谷と一緒にプレイしたこと、彼と長く一緒にプレイしたことを自慢できるだろう。でも、彼がやることを表現できる言葉なんて、もうないよ」

その通りだ。謎の惑星オオタナスから来たこのマントをまとったヒーローが、「可能」の定義を書き換え続ける今、我々は皆、見ているものを説明する言葉を使い果たしつつある。

しかし、我々は、これが史上最高の試合だったと、絶対に、間違いなく確信しているのだろうか? もちろんだ! その理由を示すために、ポストシーズンの他の候補をいくつか振り返ってみよう。

レジー・ジャクソンの3本塁打の試合(1978年、ヤンキースのワールドシリーズ制覇を決めた)。

デビッド・フリースの試合(2011年、壮大なワールドシリーズ第6戦でカージナルスを死の淵から蘇らせた)。

カーク・ギブソン(1988年)、ジョー・カーター(1993年)、ビル・マゼロスキー(1960年)、さらには(昨年の10月の)フレディ・フリーマンによる伝説的なワールドシリーズのホームラン。

それらはすべて、物語の本にも歴史書にもふさわしいものだ。だが、一つだけ指摘させてもらおう。彼らは皆、その試合で投げるのを忘れていた。

そして、投手の話で言えば、ボブ・ギブソンの伝説的な17奪三振の試合(1968年ワールドシリーズ第1戦)がある。

ロイ・ハラデーの忘れられない、キャリア初のポストシーズン登板でのノーヒットノーラン(2010年)。

ドン・ラーセンの一生に一度の完全試合(1956年)。おそらく、史上最も有名で、最もロマンチックに語られる投球だろう。

だが、ここでまた小さな所見を述べさせてもらう。彼らは皆、その日、1本のホームランを打つのさえ忘れていた。

ならば、あなたが候補に挙げたいと思うどの伝説的な試合が、この試合に匹敵しうるというのだろうか? 野球場での誰かの最高の一日を貶めるつもりはないが、もし彼らが奪三振の欄を埋め尽くし、打球をスタジアム(そしてことによると太陽系)の外までかっ飛ばし、そしてチームをワールドシリーズに導く、というすべてを同じ試合でやってのけていないのなら、到底かなうはずがない。そうだろう?

だから、大谷が投手の「副業」を辞める時が来たと意見を飛ばしたがる人々、つまり、それは割に合わない…打撃の妨げになっている…彼は片方だけやるのと同じくらいの価値しかない、などと言う人々がいる。今や、そういう人々への答えがあるかもしれない。こうしてはどうだろう。

そういう話が持ち上がるたびに、我々はただ2025年NLCS第4戦のビデオを再生し、何が可能であるかを彼らに思い出させるのだ。

「ああ」とフリードマンは言った。「その通りだ。我々はそれを証拠として提出し、弁論を終えることができる」