ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第41号

 『日本に今必要なのは歴史教育革命、国家革命、国家企業会社』

  副題『法人設立の重要性と国際特許』

前説      

 海外二酸化炭素排出CARBONCREDIT取引権設定獲得、ECOWING装置製作、VEGEPLANT-BOX製作、リチユームなど レヤメタル鉱区権獲得などを総合的に扱うHOLDING COMPANY設立を真剣に考えています。今ここには書ききれない他の国際的プロジェクトも含みますが。 とにかく、もう国際的展開を考えないと、日本市場は限界があります。

 しかし、『歴史教育革命』をおこし、知恵を絞り『国家革命』を興し、国営公営企業を起こせば、日本国の経済力、国内政治力、外交政治力の活性化の道はまだあるという事は、幕末から大政奉還、明治維新当時の薩摩藩の賢策の足跡をたどってみると、そこに歴史的ヒントがあります。

 ひところ何でも民営化さえすれば、国力がつき、経済は活性化するとして、結局大手企業を優先し、日本孤島国内の中小企業を疲弊消滅させ、デフレに歯止めがかからない社会現象が、起きてしまったのです。

 最初に小さな政府、国営企業公営企業の民営化と唱えたのは、英国のマーガレット・サッチャー首相で、米国大統領はレーガンで、リバプールで4月に日本政府も参加した万国庭園博覧会が開催され、エリザベス二世女王陛下が開会式のテープカットをされて幕開けとなった。

 その翌年日本では筑波科学技術万博が開催されることがきまっていた。そして庭園万博酣の8月の日本週間は、当時オクスフォード大学に欧州中世運河史研究のテーマで留学中の浩宮徳仁殿下が開会式に参加された。

 その時ロンドンでG7回会議が開催され、マーガレット・サッチャー首相が、小さい政府、そして国営公営企業の民営化を提唱した。それを一足早く日本がパクリをしたようなものです。

 英国は産業革命以来、ほとんどの企業は民営でスタートしてきましたが、第一次世界大戦、1920年世界不況、第二次世界大戦を経過して、経済状況の変化に伴い不況時には、鉄道や自動車産業など民営不況業種を纏めて一括国営化公営化し、国民の税金を充当し、国策で支援延命し、又期が熟したら、一般競売にかけて、再度民営化したり、売却したりしました。

 それらの収入は、当然国庫に入ります。特に英国の郵政では、郵便事業は結局完全民営化は行えませんでした。国営放送BBCも同様でした。

 

 ここで、その産業革命時代からの英国の歴史を理解されてない方は、ただもともと日本式に国営公営企業だったものを民営化したと勘違いされると思いますので、それについては又、北広次郎のミスターヨーロッパの次の別章編号で改めて説明いたします。

 私にはいまいくつか新技術国際パテントの製品化の依頼案件がもちこまれていますので、総合的に考えています。とにかく製造部門販売部門を同時併行的にスタートさせないことには、日常運転経費の掛かる企業は回って行きませんので、複合的経営を考慮せねばなりません。

 いまXXXX国政府のCARBONCREDIT取引権設定にからみ出てきてる風力発電の大量採用計画プロジェクトにしても、法人化の必要性は必至とされています。それに先方は、ECOWING風車発電は、大型も直ぐ導入出荷でき体制にあるものとして捉えがちであり、こちらは慎重に大型は実験に時間があかかると言う表現をしていますが、しかしそんな言い訳ばかりしているようでは、こんごのもう国際競争には勝てません。

 従来の日本型のオーソドックス企業立上げ発想はもう現代には時代後れです。発展途上国が、もうここまで経済力技術力もそこそこレベルアップしてきたこの現実は、かつて日本がエコノミックアニマルと言われても、独り相撲で伸びてきたあの時代とは、全く異次元時代に突入してること、その時代的環境差の見えていない政治家官僚財界一般人が、八方海洋孤島国Jのネオ鎖国時代にオタクしています。

 とにかく昨年からさまざまな作戦を熟考して来ましたが、今後の国際市場のターゲットを視野に入れ、

新技術工業国際的プロジェクトの複合的ビジネス組織の創生を目途とするに、最善なる一つの選択肢として別メイルで、新作戦としての提案をいたします。

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 『北広次郎の国際特許への取組歴』  (パート1)

 私は戦後日本の工業経済力の草創期から、新技術に基ずき海外での市場開拓を担当してきました。その間海外で多くの国際特許問題にぶつかりました。

 1960年代70年代初期、日本にはまだ海外では『欧米特許の物真似猿真似コピー屋』とまで言われて来ました。ある晩、私は英国の片田舎村の織物工場の近くにあったパブの二階の部屋に宿泊していて、一階の大衆酒場の中で私は独りで夜飲んでた時に、周りの飲み客達に囲まれて私が日本人だと知ると、一斉に飲んだ勢いで非難気味に口々にそういわれました。

 しかしその中に、ただ一人の、日本を知る英国人がいて『終戦後の今の日本はそういうイメージを海外では一般に持たれてるが、私が朝鮮戦争時代軍隊にいて日本の呉に駐屯していた事があるが、それはちょっと違う』と反論し庇ってくれたあの場面を今でも思い出します。

 これは私が大学出て総合商社丸紅機械部に入社して、1966年以来からの英国駐在時代、私の輸出したメイドインジャパンの機械の技術的メカニズムやそこに使われてた装置部分が、欧米メーカーのあちこちから、特許侵害のクレームが来はじめて、『出る釘は打たれる』を文字通り体験しました。

 あるとき、1965年英国工場から日本製大型捺染機械の初注文を貰って喜んだのもほんの束の間の事で、欧州の同様な機種のメーカーやその代理店から、特許侵害のクレームの手紙が舞い込み、既に関西のメーカーさんには製造発注をしてしまっていたのですが、特許侵害クレームに恐れをなした係長上司に、「この注文は、多少の損害は覚悟で一刻も速く降りた方が安全で、被害が小さくて済む」と言われて、泣く泣く手を引かされた経験がありました。

 当時戦後の日本には、国際特許の専門家が皆無状態の時代でした。「国際特許裁判にかかれば、裁判費用も掛かるし、莫大な損害賠償金をとられる」と言う自らの思い込みの恐怖観念しか湧いてこない日本人がほとんどで、「触らぬ神に祟りなし「三十六計逃げるにしかず」「国際特許と聞いたらもう無条件に下りるにしかず」の一点張りでした。

 こんな大型機械の注文を初めて先進国の欧州からもらった私は、実に関西のメーカーさんには、深々頭を下げて、ばつの悪い思いで、一旦出した注文のキャンセルを受けてもらっては腑に落ちませんでした。

 後に欧州に駐在してから、さまざまな日本企業からの欧米特許申請案件を依頼されて申請を請けおって各国別申請手続きを行い、欧米の特許専門弁護士とも共同研究調査し、またロンドン・ストランドの最高裁法廷に出廷し、国際特許裁判係争に立会いましてから、気がつきました。『三十六計』の論法で折角もらった注文を自らキャンセルし、辞退する必要は全くなかった事を知ったのでした。

 この事例は、今までこの英国工場が、長年使用してきた古い機械新機に入れ換えしようとしてたのですが、それまで継続して注文をもらって来ていたことから、欧州機の地元販売代理店が、お得意さんだった工場が、想定外のダークホースであるメイドインジャパンの布捺染機械に発注したことを知り、驚いて欧州メーカーと打合せ、パテント侵害をほのめかして脅しをかけてきてたのですが、戦後当時国際特許に無知であった日本孤島国内では「国際特許抵触侵害してる」と言われただけで無条件降伏でおりるしかない』と精査もせずに すぐ最初からお手上げをして逃げるのが精一杯でした。

 ここで国際特許と類似共通性があるので、音楽著作権にまつわる私の体験的エピソードに触れさせて戴きます。戦後日本にはまだ音楽著作権だとか、映像権肖像権だとかなんて意識も一般には無い時代でした。私の高校の一年先輩ん宮澤氏が、早稲田仏文科に居た時の恩師が西条八十先生で、その頃戦後日本に初めてJASRAC〈日本音楽著作権協会)が創設され、その初代会長に就任したのですが、宮沢先輩は卒業時に『西条八十先生に随いて行く所なら、どこでもいいや』という軽い気分だけでJASRACに就職しました。ところが本人は、JASRACって何をする所か全く何の知識も無かったままに、セミナーの延長として、随いて行ったといいました。

 後にJASRACの国際部長になった宮澤先輩が、ロンドンで開催された音楽著作権公演権世界会議に日本代表として来る事になり、「自分は英語が心もとないので、大会期間中は君が同席して脇に一緒についていてくれないか。頼む」と言われ、3日間随行し会議に立会いました。又その間に英国音楽著作権パーフォーマンス権協会会長グリーガードさんとも食事をしたり、その後私が英国マンチェスターのポップアーテイスト達と作詩作曲共作やレコーデイングをする時にも、音楽著作権に関する指導をうけるようになりお世話になるようになりました。

 私は中京地区の交響楽団指揮者田中瑞穂氏(インターネットで索引して見て下さい)が欧州はブラッセルに駐在滞在中の時代に、私の作詩約12編に作曲しています。

 それかから戦後、東京外国語大学新校歌一般公募に、私の応募作品が特選に選ばれ採用されました。

 北広次郎(エッセイスト名)の詩人名は柴原徳光でインターネットで索引出来ます。学校歌の作詩は他二校にもあります。

 ちなみに、その応募詩の作曲は後にJASRAC会長になった、芥川也寸志氏(作家芥川龍之介の子息)がやることになっていたのですが、その直前になって元宝塚出身の女優草笛光子夫人との離婚問題が突然発生し、芥川也寸志氏が日本作曲界の大御所であり初代日本作曲家協会々長清瀬保二氏(愛弟子には世界的作曲家武満等がいる)に頼んで選手交代になりました。清瀬保二氏につきましてはインターネットでご参照下さい。

 大学卒業時にコロンビヤ作詞課からお誘いの声が掛かったのですが、私は大学卒業後は海外で仕事をする希望でしたので辞退して商社に入りました。これは後になって知ったことですが、もしコロンビヤに就職していたら、阿久悠さんと丁度同期入社で、ご一緒にコマーシャルソングなど 制作のお仕事からやらさせて戴いていた事になっていたはずだったようでしたが。当時私は海外志向だったので違う道を選びました。

 ここで今なんで、国際特許から音楽著作権の話しになったかと言うことの説明をしなければなりませんかと思います。実は国際特許と音楽著作権は全く共通性があるからです。

 JASRACは音楽における特許権を管理するところと言えます。宮澤JASRAC(日本音楽著作権協会)国際部長は、その後英国音楽著作権パーフォーマンス権協会グリーガード会長に、日本が地理的に香港に近いと言う理由で協力を依頼され、当時はまだ英国植民地だった香港での音楽著作権の確立に共同作業をしていました。そして音楽著作権世界大会を北京で開催する所まで漕ぎ着けました。

 

 当時北京政府は、世界音楽著作権協会には「まだ時期尚早なので、加盟までにはもうしばらく猶予時間を戴きたい」といっていました。

 その理由は「十三億以上と人口が多い共産社会主義国家中国では、一枚のレコードがヒットすると、一晩で超富豪アーテイストが続々と誕生することになるので、今の中国国家体制にはふさわしくないからである」と言って、直ちに加盟ことには消極的でした。

 改革開放政策に転換し、99年間統治してきた後に1997年英国のマーガレットサッチャー首相政権が中国へ香港返還を実施してから、たった十数年後に経済大国に躍進し、GDPで日本を抜いて世界第二位となリ、金保有高でもアメリカを抜いて、ゴールド保有高世界一位になった今と、当時とはまるで隔世の感があります。

 当時私の先輩が英国に依頼されて、香港における音楽著作権確立と著作権侵害摘発法を指導していました。そして北京会議を開くまで啓蒙運動をしていました。

 戦後出来たばかりのJASRAC(日本音楽著作権協会)が一体何をする所か、まったく何の知識のかけらもないままに西条八十セミナー塾が、早稲田から別な都内ビルに移転しただけだったに過ぎなかったと言います。

 しかしそれからやった事は、キャバレーやバーかららパチンコ屋を主に夜回ってあるき音楽著作権とは何たるものかということから語り始め、著作権料を回収しようとするのですが、どこもかしこも『あほな事いいなさんな。わしらはちゃんと店で金出してレコードやテープを買って来て、毎日毎晩かけとるんや。なんでまた後から音楽かけるたんびに、使用料を払わにゃならんのや? そんなの二重どり、三重どりどころか、ぶったくりやんか。帰れ。帰れ。

「そんなの、誰が払うんじゃい」と毎晩行く先々の店で、どこでも追い払われる事の繰り返し。西条八十塾が、高利貸しに雇われたローンの借金取立屋みたいになってる事に初めて先輩は気づいたのでした。どこへ行っても、押し売りよりも好かれない厄介者扱いで追い出される。バーなんかでは女将が「うるさい。しつこいわねえ。警察呼ぶわよ」なんていう。こうなると説得は不可能に近いと気がつく。

 やがて、警察と弁護士と裁判所の協力が不可欠だとするようになる。その時の苦い経験が、今度は英国の協力要請により香港で生かされたのでした。

 中国人のインダストリアル・ファイナンス専門の先生が「2012年過ぎた今でも、一般の中国人には特許権とか著作権とかいう概念意識が全く無いのが普通です」と言ってる話しも聞きました。

  そこで私は国際特許の多くの事例を学習研究せざるをえなくなりました。また新案特許や商標権についても、さまざまなケースにぶつかりました。国際市場においては、単なる技術仕様や売った、買ったの価格問題だけではなく、特許の知識認識も重要であると言うことも学んできました。  

 そしてついに大国際特許係争を体験する事になります。それは、私は丸紅の頃ロンドンの最高裁法廷に2年かかって20回余り、チェコスロバキヤ国営機械公団に対抗し、英国最大の民間企業顧客ICI(IMPERIAL CHEMICAL INDUSTRIES)のその傘下の大手繊維グループ・キャーリントン・バイエラ社とニッサン自動車繊維機械部、丸紅株式会社を 私が束ねて代表し、戦後日本最大の特許大係争を行なわざるを得ない羽目に直面する事になりました。

そして実質勝訴しました。これは敗訴すれば、日本の戦後最大の莫大な賠償金が絡む大裁判で 私が世界市場に始めて売り込み欧州の工場で,量に使用され始めて来た当時のニッサン自動車繊維機械部製造の水噴射式織物機械に関する特許係争でした。  

 

敗訴の夢を見て冷汗を掻いた夜が幾晩幾朝かありました。ロンドン・ストランド最高裁判法廷は、毎回朝9時から夕方5時まで出廷させられました。この裁判の準備のために、弁護士に提出する書類やデータは,、こちらがすべて収集し提出しなければならず、普通弁護士(SOLICITORS)、法廷高等弁護士(BARRISTERS)などと、打合せを重ねると同時に、過去現在の法令や判例も勉強する必要に迫られました。以後商社メーカー間では 国際特許部長という異名がつけられました。

 ここで日本と欧米の間の特許に関する制度の大きな差があることに気がつきます。日本では特許新生を扱うのは特許弁理士ですが、海外には特許弁つまり日本で言う特許弁理士は、欧米では特許弁護士に相当します。特許弁護士と言うのは、他の弁護士より欧米では地位が高い。

 なぜなら、その分野はあまりにも広くて深い専門知識と経験を要しますことは、他の分野の弁護士さんの数倍以上です。これは人間を扱う医師と獣医にも似て、どちらがより広くて深い知識訓練が必要かと言うと、後者です。

 

 英語圏では普通の医師をドクターというが、普通の医師の上に立つ監督主任の医師のことはミスターといい、大きい総合病院内の専門科別表示にもDRが数名そのトップである主任部長医師の敬称はDR。ではなく、MR.で記載されて居ます。これは日本人がみたら、以外だと首を傾げています。

 弁護士にしても、普通弁護士はソリシターと総称されていますが,法廷に立って文書を作成して提出は出来るが、法廷では一切発言できません。法廷で発言できるのは高等法廷弁護士であるバリスターのみです。その点でも、日本の司法制度とは、大違いです。日本の司法制度は、明治維新以後 欧米の六法全書の直訳採用からはじまったといわれて居ます。

 ですからいまだに明治時代がそのまま継承されてる法律とか、スタンダードがそのまま日本にはのこってると言われてるものもあります。JIS(日本工業規格)といわれる規格基準にしても、例えば電気規格にしても、或いは民法の国籍法にしても、明治がそのまま残ってる部分もあるとか言われます。

 その後日本の大中小の機械メーカーさんからの、国際特許ケースや国際的商標権登録申請を代行しました。日系企業の現地会社や工場設立に際しての法的手続きとかも行うようになりました。

 海外で機械販売する場合は、ただ売り込むだけではだめで、どうしてもアフターケヤーサービス画必要です。故障したら修理せねばならないし、アクセサリーパ―ツが破損したら、直すか交換せねばなりません。従来そのような仕事は、商社の仕事ではなく、メーカーさんの仕事だといわれて来ました。しかし複数のメーカーさんの機械を海外国で、客先工場に納入したり取り扱っていると、やはり部品ストックが必要不可欠になってきますし、修理屋部品交換などのサービスには、現地国現地人技師が必要になってきます。

 最初は壊れた部品を、航空便で取り寄せて間に合わせていましたが、それではサービスが遅れてしまい工場はしばしストップせねばなりません。そこで商社機械部が開会を扱うには、メーカー機能も併用せねば成り立たなくなってきたので、稟議をおこし、戦後商社初の繊維機械合成樹脂機械販売サ創ることにして、先ず最初欧州は実験的に英国に子会社を創立し、初代取代表取締役に就任し、その後更に丸紅テクマテックスフランス会社、丸紅テクマールイタリヤ会社など現地法人を次々に各主要国工場地帯に創立し、役員を兼任しました。

 更に英国通商工業省傘下機関の英国地方工業開発協会委員会の顧問に任命され、日系企業工場建設の英国誘致促進活動に従事しました。マーガレットサッチャー首相時代、ニッサン自動車英国工場建設を皮ぎりにして、多くの日系英国工場建設のアドバイザーとなり、英国地方政府、中央政府の返済不要工場建設支援補助金(GRANT)制度を活用し、英国へ日系企業の工場建設進出を促すようにPRをASSISTするように依頼されました。 その頃日系の工業新聞や産経新聞、雑誌社などから、工業ジャーナリストとして、英国工業事情ルポを書くように依頼が来るようになり、私の書いた記事が各紙に掲載されて来ました。

 そして英国に工場進出に関心を抱く日系企業現地調査使節団が来英するようになり、英国地方工業開発協会に依頼され、英国工場見学に案内し、また英国事情についての日本語での説明講演をするようになって来ました。また逆にスコットランドの工業開発協会などは、日本の製造工業事情や日本式会社経営工場経営について、受入れ英国人側工業界財界地方政府大学代表たちに説明会講演に講師として招待を受けました。

 エジンバラ市の歴史的なピーブルズ・ホテルを借り切り、二泊三日のセミナーが行われ、参加者は家族ぐるみで泊り込みで来ていました。初日開会の晩餐会のスピーチは、延々と続来ましたが、私が参ったのは、当初歓迎の意を表されたのはいいが、バイキングの銀製の兜にスコッチウイスキーを一本分注ぎ込み、いっき呑みを強要されたことです。会場の全員が私を注目しているのです。これを一気飲みするのは相当な勇気が必要でした。

 黒田節{武士}を思い出しました、ここで躊躇したり、くじけては日本人の恥になると思い目を閉じて呑み干しましたら、大拍手喝采を受けましたが、少しくらくら眩暈{めまい}がしました。これはその昔10世11世紀に、バイキングがスコットランドを征服し英国王に即位し田時以来の、ナイト{騎士}の儀式{しきたり}であると言われたので、今後この地域に、日本企業工場進出を受け入れて貰うためには、絶対にいっき飲みを敢行せねばならないと悲壮な覚悟でやりました。

 そこには、スコットランド銀行の経営陣、DTI(英国通商産業省)代表,英国総労働組合連合会々長やスコットランド・キリスト教会総連合代表、元東大に研究留学していたスターリング大学の経営学科教授などが並んでいました。じつはその後が心配で晩餐会終了後、今度は大ホールで大人だけのダンスパーテーが始まったのですが、参会者達が入れ替わり立ち代り手にブランデーやスコッチの入ったグラスを持って来て、私はそのあと、どうなったかは、オフレコ。

 翌朝セミナー開始、座長の大学教授が、私に講演の指名をした時、壇上で私はまだ空中遊泳をしてるようでした。又この日に限って、会場では質問者が次々挙手をして立ち上がって、その時頭に浮かんでいたのは、マーガレット・サッチャーさんの顔でした。実はサッチャーさんは、男顔負けの大のすスコッチ・ウイスキー愛飲党でした。お茶みたいなもので、いくら呑んでも平気なほうで、それも鉄の女のニックネームの片棒を結果的に、偉大な業績を挙げたことは事実です。

 2012年現在欧州のEU加盟国は27ケ国在りますが、特に日系工場進出数が圧倒的に最も多いのが英国です。1960年代70年代前半は、まだソニーもホンダも海外では発足したての、ほとんど無名の小メーカーでした。幕末明治維新以来、世界産業革命の発祥国英国は、日本にとって遠くて近い島国です。

 現在英国にある日系工場は、ニッサン、トヨタ、ホンダ、日野、ソニー、三菱電機、日立マクセル、シャープ、富士通、ブラザー、サンヨー、旭ガラス、ノリタケ、東レ、日本本板ガラス、コマツ、三菱グッドイヤータイヤ、MAZAC(山崎鉄工),紀文カマボコ、YKK吉田工業等々、製造業以外では商社、銀行、証券会社、保険会社、日通、日伸運輸、HISやEURO-JAPAN-HOLIDAYS等旅行会社、教育学校 立教、頌栄ウインチェスター女学院、前田学院、日本食品店、レストランなどなど枚挙にいとまがありません。

 1960念半ば、ロンドンに赴任した頃の、ロンドン在住日本人は家族あわせても800人位でしたが、2012年には6万人となっています。これは日本大使館に届けを出してる邦人ですが、届けをだしてない邦人数を加えると推定5千人以上加わる可能性もあります。

 私が1960年後半から国際特許にかかわって以来、世界情勢も変化しました。まずEUの統合、その起源的思想はローマ帝国の拡大、東ローマ帝国、十字軍遠征、バイキングの南下、ハンザ同盟、バチカンと結びついたハプスブルグ王朝の確立、ナポレオン征服戦争ロシヤ遠征、第一次世界大戦、四世紀半続いた欧州覇権のハプスブルグ王朝の消滅、第二次世界大戦と欧州統合は欧州の長い歴史的な夢でしたが、第二次世界大戦までは、ハンザ同盟を除けば、すべてが軍事力に頼っての征服統合でした。

 しかし第二次世界大戦終結、武力、軍事力に頼らない任意加盟契約制欧州共同体EUが誕生しました。 その初歩的お手本はハンザ同盟にあったともいえます。EU(EUROPEAN UNION) は最初EECと称していました。

 

 英国はEUに加盟するのが、遅れましたが、それには歴史的理由があります。EEC/EU以前に英国は、地球上の英国旧植民地を束ねるEFTAと言う同盟協定を結んでいました。そして英国はEUに加盟しましたが、通貨に関しては英国ポンド(STG.£=GBP=BP=UKP)を変えず、ユーロ(EUR=) 通貨には加盟していません。こういう独自性も認めてる所がEUの特質です。

 つまりEUが国境を越えて地域共同体連合組織を果たしました。このパターンは やがてアジヤ豪州連合(ASAU)、北中南米連合(AMU), アフリカ連合 (AFU)になるでしょうが、まだまだ遠い道程です。

 しかし、欧州はEU27ヶ国個々別々にそれぞれの国の特許庁に特許申請をして、特許維持料を個別に払い続けねばなりませんでした。だが、EUに統一されてから、今は特許申請はEU一回の申請で 少なくとも17ヶ国から27ヶ国の特許がとれてしまうことになっています。

 従来日本の場合、先ず日本の特許庁へ申請し、次米国、そしてEU欧州へというパターンでしたが、今は国際特許の専門家は、先ずEUへの申請からはじめることが最も得策で経済的となってきています。

 そして会社設立はロンドンからはじめるがいいとされています。それは法人税が日本より安いということもありますが、2012年エリザベス二世女王戴冠60周年式典、ロンドン・オリンピック・パラリンピックの成功でもあり、不動産建設経済価格も堅実であり、政治的に英国は安定してると言うこともあります。

 英国はEUに加盟しながらも、通過だけはユーロに変えず、英国ポンドを守り独自制を通してきてることは賢明であったという経済専門家もいます。 EU加盟国のなかでも、各種案件ごと個別にそれぞれの任意的合意性を重んじる点が、欧州の永い歴史の積み重ねの知恵に基づいた独自性をも尊重する大人の同盟圏である。

 日本孤島国の政治屋たちはいま国会解散の政治の駆け引きにTPPの扱いを、選挙の票を意識するための迎合的術策の道具に曲用しつつある。TPP賛成派、反対派が、白か黒の二色しか言わないのはおかしい。

 まだ大部分の国々が灰色以前の段階である。TPP絶対反対を、原発絶対反対と同列に並べる事自体が、

当面の呼び込み選挙票のみを意識した政治屋の掛け声で、そもそも政治屋も、国民自体もTPPの最終目的の中味を国際経済的局面、国際政治的局面、戦略的局面、どれだけ深く理解してるかははなはだ疑問に感じるのです。

 現に今の日本国の立場からすると、政治家が真の政治家でなくてはならない資格は、国内政治家であると同時に国会議員たるものはリーダーも含め全員、国際政治家レベルでなくてはつとまらないが、現実にやってることは政治屋活動であり、県会議員、市町村会議員と同列の事を三重構造でやってるに過ぎない。

 そうなると、選挙のときだけどちらかというと片方で国家レベルの自国重視は表向きの東京での顔、、そしてもう片方では票のための地元重視の顔を持たねばならないという、二重人格構造になるから、政治屋レベルに、後の政界は正に離散分裂野合烏合の衆愚状態に近い国家になってしまった。

 これを一体、海外国にはどう見えるか? と言うと、不統一孤島国家、リーダー不在迷走国家、小田原評定国家、ネオ・フューダリズム混迷国家、外交拙劣低迷(ある所では音痴とも言う)国家、、我田引水(日流我流)解釈国家、分裂離散国家、政治屋屋号(野合)世襲タレント国家、そして極めつけのレッテルは斜陽化国家、信用不安国家です。

 日本孤島国の中には、いくらなんでもそこまではと、旧態然的現実不感症候群のノー天気型人種も存在するが、しかし当今の現実は現実です。

 

 ここで明治維新革命の直後の日英関係の歴史の原点に再度戻って、日本を見直してみる必要性を痛感します。 日英関係ということは、日米関係と言うことにもなります。

 

 世界第一次大戦、第二次大戦のような、世界的な戦争になると、英米を主体に、英語圏国同盟は、先ず一致団結します。

 米国の大統領はワシントン以来、オバマを除くと、歴代先祖が英国系です。ジョージ・ワシントンの御先祖は、英国から新そこにはニッサン自働車英国工場があります。

 私は丸紅テクマテックス時代、ニッサン自動車繊維機械部製造のニッサン・ウオーター・ジェット・ルーム(水噴射式自働織機)の代理店をしていたので、自動車工場建設前にその建設候補地の土地探しなどを依頼され、手伝って来ました。

 

 当時のニッサン自動車社長は石原洵社長で、しばしば英国を訪問去れましたので、私もニッサン織機採用稼動工場車など案内をしました。石原社長は、私に英国の労働組合事情とか、英国の技術者や工場事情など、熱心に訊かれまして航空機の中でも、私を隣の席に座るように求めて、私の説明を小さなポケット日記帳に、こまめにメモをとっていました。

 後に石原社長はエリザベス女王から受勲されることになりました。また英国側で、ニッサン自動車英国工場建設を最も熱心に支援したのが、マーガレット・サッチャー首相御自身でしたので、石原社長は、たびたび訪英して、ロンドンのダウニング街10番地の首相官邸を訪問しました。

 マーガレット・サッチャーさんも又日本のニッサン工場も訪れ、ヘルメットかぶって自動車組立工程視察もして、英国工場建設致を盛んに呼びかけていました。

 これはニッサンばかりでなく、キャノンとか他の日本の工場も視察して回り、英国工場進出を誘致する運動をしています。もと世界産業革命の発祥地国の首相が、ここまでやったケースは珍しいというか、    とにかくサーッチャー首相は日本贔屓で、特に日系の企業誘致には燃えていました。

 何故サッチャーさんがそこまでやったかという事については、ここでは紙面の都合で、説明しきれませんが、北 広次郎を検索されて、ミスターヨーロッパ 中、かぶってる部分もありますが、エッセイ第6号,7号.9号.10号、21号 23号を参照しても見てください。

 永い英国政治史上において、後にも先にも女性で首相になったのは、目下の所、マーガレット・サッチャー首相だけですが、私は首相在任中"鉄の女宰相"といわれた通り、時には強引なまでのリーダーシップを発揮し、最初一見不可能と思われてた常識破りの国家大改革政策を、次々推進実践して来ました。私はそれをずーっと見てきました。

 英国に戦後の政治経済社会の大革命的変革を敢行するために、ここまでやったマーガレット・サッチャー首相のような政治哲学と発想力と行動力を駆使できる政治家や首相が日本にも出現すれば、日本病(Japanese Dasease)から、脱却できるチャンスは大きい。

 いまいちどサッチャリズム(サッチャー主義)を復習してみれば、そこに模範的ヒントはあると思う。 幕末明治初期薩摩藩の多くの志士たちは、自己発意と使命感を持って、英国に留学し産業革命酣の工場見学をして歩き、帰国後彼らは政治家や官僚にもなり意欲的に工業資財や機械類工業技術を導入しドラスチックな日本国近代化を推進しました。 その百年後、サッチャー首相は、歴史上日英入れ替わり、幕末明治の英日関係逆版能動的に実践してると、私は痛感しました。

 当時以前、日本人は" "エコノミック・アニマル"と揶揄されていました。 田中角栄首相が東南アジヤ国を歴訪した時、ある国ではメイドインジャパンの輸出超過に対する抗議団が街頭で、日本車をぶち壊す示威運動を行ったことがあります。

 一方日本のマスコミや評論家達はいっせいに"英国病(Enlish Desease)の老頽国"と書きたてていた時期が続いていました。戦後当時の英国政府は財政赤字を抱えて、今の日本と似た状態にはありましたが、日本と異なるのは260を超える職能別労働組合制度が、" 英国病 (Enlish Desease)"の原因ともいわれ、日本のマスコミは "年がら年中ストライキをやってる非生産性国"と酷評してました。

 ところが最初は、保守的英国民は女首相が何が出来るか?と侮っていました。しかし大胆な政策が、次々打ち出され国内政策のみならず、対外政策でも、南アフリカのアパルトヘイト対策、フォークランド戦争、中国への香港返還、ロシヤの民主化へのゴルパ常に実にユニークでした。

 サッチャー首相の実績の具体的な内容については、北広次郎を検索し、ミスターヨーロッパを参照ください。 現今の問題点は日本孤島国がジャパニーズ・デイジーズ(日本病)老頽国"と逆転してしまってることです。

 サッチャー政権下の英国人の反応を 私はずーっと見てきました。そして首相退任されてからも、宇都宮グランドホテルで、2泊3日の日本商工会議婦人経営者セミナーの座長をつとめられた初日開会式と、チャルロッテ・ド、ロスチャイルド特使の前座コンサートでもお会いいたしましたが、鉄の宰相のオーラは消えていませんでした。

 サッチャーさんは、それも単なる掛け声だけでなく、日本を含む外国企業の英国工場建設のためには、補助金(返済不要)グラント(GRANT)まで準備して、国内企業外国企業の差別なく同条件で扱われました。

 その中でも、日本には特に好意的で、肩入れしていることが良く分かりました。それにはまた別な理由がありますが、ロンドンのユキさんと言う鹿児島出身の私の親友のファッション・デザイナー鳥丸軍雪氏を特に御贔屓にしていたせいもあります。

 もともと米国はジョージ・ワシントン第一代大統領以来、独立戦争はあったにせよ、英米は言語も人種もキリスト教も、社会制度も基本的法律も、生活様式も、建築様式も根底では共通一体であったこと想起してみるべきであります。

 エリザベス二世女王から チャールス皇太子とダイアナ妃の間に生まれウイリアム皇太子がキングに即位する日も刻々と近ずいています。

英国は王室外交を、いい意味で実にたくみに活用しています。同じキリスト教のカトリックから、英国国教のプロテスタントに改革したヘンリー八世の娘であるエリザベス一世女王の即位期間は63年でしたから、現今のエリザベス二世女王が、エリザベス一世女王の即位期間を超えるのは、ほぼ間違いないでしょう。

 

 英国の歴史の変遷のなかで、数々の法制やスタンダード(規格基準)が制定されて、国際基準現人類は、

今恩恵を受けています。特許法が生まれ知的財産権が発祥したのはヨーロッパで、商業工業活動の権利の保全同盟意識は条約、契約、盟約の国際的法文化が積み重ねられた欧州でこそ広範囲な国々を束ねるEUが結成される素地があったと言うことになるでしょう。ここでも、又感じることは、国境陸続大陸民族と、四海八方海洋孤島民族の、歴史教育の局限の相違点であります。

 薩摩藩の密出国留学生が幕末に英国を主体にして、欧州に渡り貪欲なまでに吸収してきた欧米の文明文化が、近代、現代日本の建国の礎になったことを再確認する必要があります。

 そのためには、日本の戦後の歴史教育を大革新せねばならない。最近特に日本孤島国では現行の政治への不安がはびこる余りやたら『維新』『維新』を流行語にしてるが、幕末明治維新に比べるとその次元の差や、ほとばしるマグマ的エネルギーの差に比べると単に口舌の徒である。政治家ならぬ野合政治屋の唇から出る『維新』の掛け声は、空ろでむなしく響くのみで、またかです。

 私は1960年代から欧州に在住し、日欧間の歴史教育法の民族生活環境の中でのデイシプリンとモラル的感覚差に気がつき愕然としました。

 欧州では古代中世近代の街の環境の中に現代があり、世代が変わって交代しても、新世代でも歴史環境の中にそのまま、現代でも生活しています。それだけ歴史を身近に感じている生活をし、歴史教育も身近に思っているのです。

 日本の歴史教育は中味よりも背景よりも年表集約羅列型です。その格差に気がつかないのは、特に戦後日本の年表羅列型歴史教育、とりわけ世界史教育にあることに、真剣に革命を唱える政治家・官僚教育者が不在であることに起因しています。

 鎖国日本から幕末明治維新を起こした時の『維新』と今現在の日本の口舌の徒の政治屋さんが、軽佻浮薄な流行語で唱えてる『維新』では、その軽重差は歴然としています。

 『維新』という前に、何故『革命』と言えないのか? 『明治維新は』は『明治改革』でなく真の『明治革命』だったのです。

 政治も経済も『革命』でなければ、真の再生復興の原動力になりえない。片や英国王室型ロイヤル外交めざして、日本にも英国に似た世界最長の歴史がある皇室があり、英国王室とならんでロイヤル外交行うにふさわしい環境が整っています。

 世界の二大王室国は英国と日本です。 日本国も、英国と同じ孤島国です。極めて似てる歴史があります。世界産業革命の発祥国、英国は世界一の発明特許技術大国でした。

 今後の日本再生の道は、国家を挙げて発明特許大国になることが、日本の生きる道です。それには国家が資金的支援して、大企業中小企業、個人の差別なく、国際特許取得を国家事業として行うことです。

 それから何でも民営化を唱えて来た方針を改めて逆に不況産業の国営化を実施すべきです。それと国家国営公営でなければ出来ない海底メタンハイドレート開発や火山利用の地熱発電とか、大資本を要する国家的事業もまだまだ多くあります。

 与野党談合して税収入の不足に対しての、マンネリ赤字国債の積み重ねをしていては、国家の財政経済の根本的復興改善には繋がらない。それを抜本的に改良するには、税収入依存症には、見切りをつけて、思い切った国営公営事業による主導的能動的中央政府、地方政府の収入源を確保する革命を興さねば国家社会は、変らない。

 そのお手本は世界産業革命の発祥地の英国の歴史にあります。民営から始まった企業の国営化を行いそしてまた民営化を繰り返してきたのが、英国です。

 明治維新直後薩摩藩出身の北海道開拓長官黒田清隆は、米国政府から派遣され米国型民営起業論政策を唱えていた米国政府派遣のケプロン特使(元米国農務省長官)と激しい議論をして対立しながらも、当時の日本の基幹産業などは、まだ民間社会資本に依存していては、いつになったら起業できるか分からないと主張し、鉄道、通信、郵政、炭鉱等基幹産業工業を興すについては、国営化事業としてスタートに踏み切ったのでした。

 国家の大改革を要する時代には強いリーダーシップが必要です。これはどこの国でも世界共通です。 最近の日本孤島国の政治家ならぬ政治屋は、たしかに二世三世世襲家業国会議員とタレント議員が、極端に増えてるのは、世界で日本独特の現象です。

 これはかなりゆゆしき問題です。二大政党の片方の幹部たちが、苦渋の言い訳してるのを見てるのも 痛ましくむなしく響いている。そのスピーカーも内心ではやはり、国家の政治のためにはかんばしくないと思ってる顔色がにじみ出ている。

 国民にそれが見えている。最近の日本孤島国の政には、リーダーシップがないまま、口先だけ、国家のため、国民のため、維新維新と言うが、幕末明治維新の時の志士のような、身命を賭して闘う迫力は全く感じられない。

 いまや政治家たる者は、国内政治家だけではだめで、国際的に通じる政治家でなければ、政治家といえません。

 欧米の政治家は特に閣内の政治家であり同時に国際的な政治家です。最近の日本にはそういう真の国内国際政治家が出たためしがない。又そういう政治家がどの政党にも不在です。だから島国内の村落政治屋レベルでしかない。

 

 それで一年交代首相ばかりです。海外から日本は永遠に赤字尻拭いを続行するしかない政治では、国民はジリ貧に向かうしかないのです。

 私は国営公営営利企業公社を創成し、雇用を増やし任意制で退職定年者の知恵と経験を生かすシステムを創り知能生産性集団を設営し、国営公営企業公社が地方税の50%負担し族を行うシステム構築を興すべきだと考えます。

 少子化高齢者社会に入ったら、そのような革命システムを構築しない限り、国家が成り立ってゆきません。ですから毎年赤字国債発行だけを繰り返しやり続けるだけではいたちごっこのモグラ叩きで、全く能がないので、私は公営営利公社の早期創成を強く主唱したいのです。

 その方法はあります。高齢者の知能財リソースを生かし、経験ノウハウを総合有効活用するスステムを創るということです。

 幕末、摩藩密出国留学生が英国にわたり、欧米文化法制工業技術などを吸収し、明治維新革命開化の推進に貢献したエネルギーは、欧米での生活と文明を実体験した基盤が身についていたからこそ、培われたものでした。

 徳川幕府の御禁制を破ってでも、英国へ密出国留学を黙認した薩摩藩島津公は欧米を賢察していました。

 幕末、薩摩藩は薩英戦争から一変して、薩英同盟を締結し、英国の技術機械を導入し、大砲製造工場、日本初の綿紡績工場を造り、初期の水力発電所までつくって電燈まで灯していました。

 そのころ英国マンチェスターのプラット・ブラザーズ社から綿紡績機械を輸入し、英国人技術者七人が鹿児島に招聘されてきて滞在していました。

 後に日本が技術工業立国になったすべての源は、薩摩藩の鹿児島港にあります。そして世界産業革命発祥地マンチェスター・リバプールに繋がっていました。

 ところがこれが宿命的因縁で、実は後のトヨタグループに繋がってゆくのです。トヨタグループ始祖である創立者は豊田佐吉翁ですが、佐吉翁が発明した自豊田式自動織機がロンドン万国博覧会に出品展示されました。そのプラット・ブラザーズ社が豊田佐吉翁の自働織機特許に支払ったロイヤリテイーが、トヨタ自動車発足の資本金になったのです。

 このロンドン万国博覧会にもう一人の日本人が人工養殖真珠で作った五重の塔を出品していました。それは三重県志摩半島志摩湾で、世界初の養殖真珠製法の技術開発に成功した御木本幸吉翁でした。佐吉と幸吉で、その後の日本の工業産業化を推進進する希望の星である二大チャンピオンの二キチ(ニ吉)となったのでした。

 

 2012年ロンドン・オリンピックでレスリング女子55キロ級において3連覇目の金メダルを獲得し、国民栄誉賞を授与され、ご褒美に地元御木本のゴールド・パール・ペンダントを戴きましたのがヤマトナデシコ吉田沙保里選手です。御木本幸吉翁も吉田選手も双方、ロンドン万博とロンドン ・オリンピックという大国際イベントは、すべてロンドンに結びついていますのは、単なる偶然とは思えない歴史的宿命の因縁の日英の絆で結びついているとしか私には思えません。

 工業産業もスポーツも技術力、先を見抜く洞察力、判断力、耐久力、努力です。薩摩に示現流という剣法があるが、時代を超えても、正にその伝統的神髄の精神に相通じるものがある。

 その嚆矢として、幕末に先鞭をつけたのは、日英同盟を結んで、英国に留学生を送り込み、また 産業革命酣わの英国から技術者を招き封建制鎖国日本に国家大改造革命Miracle Revolutionwoを興す桜島のマグマを起爆剤にした薩摩藩でした。そして日英同盟を結び、これに長土肥が呼応してゆきます。

 繰り返しますが、英国と日本は共通点があります。それはロイヤル外交です。そして英国は世界産業革命発祥の地であり蒸気機関など、さまざまな革命技術がありました。

 日本は戦後いっとき、いちどは工業技術立国になりましたが、しかし翳りがあります。工業産業には民間民営が出来ることと国家国営でないと出来ない大事業に向かないことは、明治維新薩摩藩出身の黒田清隆がいみじくも、北海道開拓長官の時に唱えていました。

 今後の日本経済力の再生・活性化には、新発明技術とか、新発見鉱脈など、国営企業を創成してゆく以外にありません。その場合に気をつけねばならないのは、東電方式の民だか国営だか、最初から曖昧な企業体を作ってはならないことです。

 国営公営企業は国民への奉仕隊サーバントであるというデモクラシー哲学の理念意識の涵養・養成から初めないと、日本はまだまだ中途半端国家です。

 

 たとえば国警察ではNO-TORERABCE予防主義方式を以前から採用してきていますが、日本の警察では変なストーカー事件、俺俺詐欺事件、尼崎鬼女連続殺人事件など、後手後手の後追い事後処理型から、一歩も出てない段階で予防主義には程遠い感じです。 最近英国警察では、ストーカー取締専門捜査被害者防衛対策の刑事・警察官隊の養成訓練を開始しています。

 日本孤島国内も、近年犯罪オンパレードのCRIMINAL DEPARTMENTSTORE{犯罪百貨店}化してきました。その昔、戦後日本国は国連統計でも、犯罪検挙率世界一の優秀な警察による安全安心国家といわれていた時があり、日本の警察の信頼度が高く、日本省庁の官僚は世界一優秀で、官僚護送船団方式の日本丸経済は不沈艦船団である豪語していた時代がありました。

 今現代の若い世代の日本人はそんなことを信じられないというでしょう。しかし、戦後の一頃、自画自賛だったのか、張子の虎だったのか、買いかぶりだったのか、奢れるエコノミック・アニマルといわれことがありました。

 あれはうたかたの夢まぼろしの今昔物語なのか。あの頃の日本はどこへ消えてしまったのか? あれは砂漠の蜃気楼の幻影だったのか。

 そして失われた20年も通りこして30年にもなろうか? と言うところで、明治維新革命の原点に戻って、出直すしかない時点に来ていることを、日本国民全体が自覚せねばならないのです。歴史教育の革命から興して行かないと日本国は変わらない。

 今の日本国では、歴史教育革命を真剣に起こさないと、何処かが変で、何かが欠落している空気が漂っています。

『明治維新』は『明治変革』でもなく『明治革命』であったのです。その精神と実践行動を正しく教育し継承せねば、今後の日本孤島国は変わらない。『明治維新』は今の政治屋が軽く、単なる掛け声だけで曖昧語の言葉の『維新』ではなく壮大なる『国家改造革命』であったと言うべき歴です。

 そういう歴史上の出来事だったという認識革命を今後の歴史教育で、焦眉の急として、次世代に植えつけて行かないと、日本経済力再興の人的リソースと国家的エネルギーが生まれて来ない。さもないと 日本国の明日にとって、悲惨な最大の損失と取り返しの効かない禍根になることは明白である。

 又日本国にとって、今日こそ発想の大転換と、明治維新革命の歴史の見直しと再認識が必要とされていて、国情は戦後最大の逼迫した瀬戸際状態に来ていることを心底から感得し、国を挙げて全体が意識革命に目覚め、行動を興し実践しなければならない時期に直面しているのです。

 かつて日本孤島国では明治維新直後, 廃藩置県が実施された歴史があるが、廃県置州という国家大改造法もありうるのではないか。

 この先例はやはり英国にあり、マーガレット・サッチャー政権時代、真中の政府は不要として、グレーター・ロンドン政庁、つまり都庁府庁都府議会を全面廃止しました。英国の正式な名称はユナイテッド・キングダム(UNITED KINGDOM=連合王国)です。すなわち歴史的にイングランド、スコットランド、ウエールス、北アイルランドの四つの王国で成り立っています。

 北海道州議会(HKU)、東北州議会(THU), 関東州議会(KTU)、中越州議会(CEU)、中部州議会(CBU)、関西州議会(KSU)、四国州議会(SKU)、中国州議会(CGU)、九州沖縄州議会(KOU)の9州制にする地方分権化の方法も考えられないことはない。 9州制にして、それぞれの州内市町村を州議会州政府に直結させる。

 中央政府は国家安全保障や、国防、国家外交など国家的中央行政に専念する。これは地方分権化の推進のためにも有効。そして首相全国民公選制とする。その場合二つのやり方があります。

 米国方式のように、先ず州単位で投票して、最後に9州の結果に従うか、それとも国民総投票制にするかです。

 9州制を5州制にすることも場合によっては4州制にすることもありうるが、国家大改造の方法を考え、国民的エネルギーを注ぐようにしないと、どこかの国のシンクタンクが予告してるように、2030年には、日本国はLEVEL-2の経済国に2050年にはLEVEL-3の小国に低落するといわれてる通りになってしまう危機感が当たってしまうのではないか。

 この予想を、日本孤島国人は、現在はお腹の中ではそんなことはないないと、他人事のように思って、あまり深刻に考えてはいない。要するにノー天気すぎる。『明治維新』 『明治革命』の原点と初心に戻って歴史を学び直さないと、斜陽没落のCLIMACTERIC CLIFF(危機の崖)が見えてこない。

 今こそ発想の大転換を図り、国家的主要問題の総国民投票制度を早期導入する大鉈を振るわないと、日本孤島国の不況脱出の経財政政策、その他のSTAGNANT(停滞的)な国情は形も中味も変容しない。

 既に繰り返し申して来てますが、日本孤島国内の経済の致命的癌治療は、急ピッチで国営公営企業を創成育成して行くしか方法が無い所まできているにもかかわらず、政治屋たちはますます離散分裂の野合迎合に走って、国民をますます戸惑わせている。

 今日本列島国は、本当にこの国を建て直すには、そんな表面的もっともらしい言葉のマニフェストごっこをやってる場合ではない。

 本当に国家、国難を救える強い真性リーダー的国内国際政治家不在で、国民はFRUSTRATIONを感じ苛立ってる事が伺われる。

 明治維新直後の日本政府は、金欠病に悩まされながらも次々国営公営企業を立ち上げて近代化を遂げてきた歴史がある。

 日本の戦後の歴史教育の曖昧さ不備状態放置がこの状態を作ってしまった。早急に歴史教育の根本的改革革命を実施しないことには、手遅れになるという逼迫間と自覚が、地球の反対側から日本国を望見していて、2012年末ほど、故国への焦燥感が吹き上がって来て、歯がゆさが極大化しています。