ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第37号

 『日本孤島国の政治屋時代はもう終末期に来ている。変革しかないであろう』

 2008年秋、サブプライムリーマンショック問題がおきる前のロンドン・ゴールド〔AU〕相場は、トロイオンス当たり680米ドル前後でした。2012年8月31日PM Fix価格がトロイオンスあたり1648.50ドルです。

 日本孤島人はサブプライム・リーマンショック以来世界に目が開いていない。今回、私は故国日本を振り返り、辛口の発言をせねばならない事を残念に思いつつ、切歯扼腕してるのです。

 2008年のサブプライム・リーマンショック以来、わずかなゴールド〔AU〕買いを口座預金してた方が今では世界90ヵ国の人々が、このロンドンの口座にごく小額でも、 AU口座を開設して任せているシステムがあります。いわばAU口座のグラミン銀行版とでもいうべきもので、本来限られた数の大きな金力のあるメンバーしか参加できなかった、ロンドンゴールド・シルバーの相場取引に、多数の小口資金を集め共同資金組合方式で、相場取引に参加して、その得た利益を配当分配しあうというAU口座を世界で最初に作り上げたものです。

 自分の持つAU口座内で現金からゴールドへ、ゴールドから現金へと、毎日毎週相場の動きを見て電話FAXメイルで自由に換える指示を出すだけのことで、この自分の持つAU口座内で、利殖が出来るという画期的なシステムがあり、英国のエリザベス二世女王がビジネス革新賞を授与した理由であります。そしてこのAU口座の中にある利殖は無税です。 ですから世界の人々の中には、ただそこに入れとくだけでもっとも安全かつ確実な財産管理遺産管理になる便利な所だと、ただ預けっぱなしの富豪もいると言うことです。ただこれは株のように変動しますから、日々の経済情勢を観察していて対応することも必要ですが、ただ株や債権と異なるのはゴールド〔AU〕の裏付けが主体となってることです。

 日本人はゴールド投資のお話しになると、過去に根拠の全くない詐欺話があり過ぎた為に、つい味噌も糞も一緒にしてしまう、あるいは玉石混交してしまう、ダイヤモンドもガラスにしか見えないという傾向がありますが、このロスチャイルド資本の入ってるAU口座はエリザベス女王の表彰を受けたものですから、詐欺話とは異なります。

 このような世界初のケースAU口座まで、その詐欺話の類でしか見えないというのは、あまりにも日本人は研究不足です。今は新興国インド・中国・ブラジルからのAU口座開設者が急増しています。

 ここから、私は余り日本では戦後伝えられていない歴史の真実に、あえて触れる事にします。長年このことはタブーみたいにしてきましたが、しかし戦争を知らない世代が増えた今日、こういうここともあったという歴史の事実は、事実として記録しておくことを誰かがやらねばならないと思うからです。戦後日本の世界史教育が、受験用羅列年表教育でしかなかったこと、学校では教えてもらえなかったことが、1966年から海外に出て以来、世界の人間関係史を現地現場であらためて体験学習することで、目から鱗が落ちたことが多々あり過ぎました。

 2012年は前世紀から三度目のロンドン・オリンピックの年でしたが、もう一つ忘れてはならない事は、エリザベス二世女王が即位してから60周年を迎えた記念すべき年でもありました。 一口に60年と申しても、英国の歴史では珍しいことです。第二次世界大戦が終わった年が1945年です。ドイツが愛人エバとアドルフ・ヒットラーがピストル自殺心中して、連合軍に無条件降伏したのが、同年5月9日で、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏したのが同年8月15日でした。

 第二次世界大戦直後からの20世紀を超えて、21世紀の今日まで王位に君臨したのは、大変なことです。エリザベス二世女王は1926年4月21日生まれで、戴冠式は1952年でした。私はウエストミンスター寺院での戴冠式の光景は、当時まだTVもない時代で、白黒フィルムの映画館のニュースで観た場面を、はっきりと記憶しています。平成天皇がまだ皇太子の頃、昭和天皇名代として、ウエストミンスター寺院での戴冠式の長い列の出入り口に近い末席の方に立っておられました。終戦の年の1945年の7年後でしたから、まだ第二次大戦の傷跡が残っていましたし、戦勝国と敗戦国の格差もあった頃です。

 

 それだけに2012年のエリザベス二世女王戴冠60周年式典晩餐会に、平成天皇皇后両陛下がにほんから見えられ、宴会場入り口前での御対面の御挨拶をされてる光景は、わたしにとっては特別な感慨がありました。

 そして昭和天皇皇后陛下が戦後バッキンガム宮殿を訪問された晩餐会を思い出しました。晩餐会の女王の横のマウントバッテン公の席は空席でした。マウントンバッテン公は第二次大戦中の英国軍の総司令官でした。日本軍の山下奉文総司令官が一時シンガポールを陥落した時にマウントバッテン将軍は、一時シンガポールから退却したのでした。私の母方の叔父は、その当時山下総司令官の下で、通信隊小隊長をしていました。この晩餐会の席のスピーチでエリザベス二世女王は第二次世界大戦中、日英米が敵対した歴史的事実にも言及されました。  昭和天皇がハイドパークで植樹をされたのですが、翌日硫酸をかけられてしまいました。

 そして私は商社時代、フィンランドのヘルシンキ出張からオランダのスキポール空港に着陸したその直後、三機の日航機が着陸するのを空港で眺めていました。それは昭和天皇皇后両陛下がスキポール空港に到着した瞬間でした。そしてハーグのユリアナ女王の宮殿に向かわれました。しかし王宮の門の前で、お迎えの車の窓に生卵が投げつけられました。私が戦争たけなわのB29爆撃機の空襲が激化した名古屋から信州松本へ疎開下のは、今で言う小学2年生の頃でした。1週間疎開が後れていたら、東区東杉町の住宅街も爆撃されて、私もこの世にいいなくなっていたところです。隣り近所の幼馴染の子ども達は爆撃の犠牲になったと聞かされました。ルネクレマン監督の名作映画『禁じられた遊び』の映画を観たり、音楽聴くたびに当時の爆撃下の回想がよみけがえっきました。少年時代、あの空襲の日夜を記憶から消そう消そうと思っていた時期がありました。しかしそう簡単に消せるものではなかった。

 疎開先の信州松本でたまたま旭町中学(現在松本市立旭町中学合併桐分校の渡邊謙など出演のNHK映画が宇宙衛星中継で欧州でも最近TV放送された。)で同級になった瀬戸川道男君がいました。疎開者同士で特に親しくなったのですが、彼は松本市の鈴木鎮一音楽院(鈴木才能研究所)(海外ではDr Suzuki Method schoolとして有名)の門下生でバイオリンを習っていましたが、後に横浜に戻り、東京芸大コントラバス科を出て、NHK交響楽団入りし、その後オランダロッテルダムオーケストラに移籍していました。 ですかラ彼の家に時々泊まりに行きました。 昭和天皇皇后陛下がオランダ訪問されたときアムステルダムのホテルオークラでクアルテット室内楽御前演奏会を行いました。最後に昭和天皇陛下が近寄って来られ『日蘭親善のために今後なお一層の貢献をされることを祈ります』という御言葉をかけられました。瀬戸川君の祖父は実は疎開前は皇室の宮城写真家でした。

 英国の女王には長寿で在位機関が長い方が多いのですが、エリザベス一世女王は1533年生まれ、戴冠されたのが1558年、1603年70歳で逝去され在位期間は44年でした。

 ビクトリア女王は1819年5月24日生まれで、戴冠が1837年、在位期間が63年間、享年81歳で1901年1月22日に逝去されています。大英帝国は、エリザベス一世、ビクトリア女王の統治時代に植民地を増やし、大繁栄してきた歴史があります。エリザベス二世女王が2015年にビクトリア女王の在位期間を超えることはほぼ間違いないと思われます。私はエリザベス二世女王が戴冠25周年の式典の時、ロンドンのテームズ河畔のストランドホテルの窓から、当時売れっ子だった鹿児島出身のマーガレットサッチャー首相等著名人が御ひいきであった国際的ファッションデザイナー鳥丸軍雪氏等とともに、大花火大会を観て祝ったことを鮮明に覚えています。ルームのTV実況放送画面と、目前の夜空の実物花火の打ち上げを同時に見比べていました。

 2011年4月29日には、程なく英国王になる事が確実なダイアナ妃の嫡男で長男のウイリアム皇太子が、キャサリン妃と華燭の典を挙げましたが、英国のロイヤル外交はますます盛んになりつつあります。 なんやかやいっても、いま英国はあらゆる面でその上昇気流の気配が濃厚になってるのを英国住民として肌で感じます。英国がEUに加盟したものの通貨だけは、EUROに変えず、STG.ポンド(英国ポンド)を守りぬいていますのが米ドルやユーロ圏とは異なる動きをしています。

 2012年はエリザベス二世女王が戴冠60周年を迎え、3回目のロンドン・オリンピックヲ行い、英国はファーンボローという所でエヤショー(AIRSHOW)(航空機ショー)が開催されます。これには三菱重工が新型中距離ジェット機をもって参加することでしょう。日本国は技術工業国だと自負しながらも、航空機産業だけは日本は手が出ないものでした。かつて三菱重工がYS-11というプロペラ機を製造していましたが、国策で支援したが、結局は世界の航空機産業のレベルからしてトップには近ずけず、採算がとれずに断念し中止というより廃止となりました。

 しかし2012年には英国の航空機エヤショーに、日本初の中型民間ジェット航空機が登場することを期待されています。その時、巨人に対して小人のワンマンミニヘリコプターH4型機をもって、航空機ショーに参加します。このH4型ヘリの開発者は、柳沢エンジニヤリング・コーロレイションのアイデイヤマン柳沢会長です。私の従兄が内科医になる前に、学徒動員の軍隊から終戦後引き揚げてきて信州の旧制松本第一中等学校(現松本深志高校)からNHKの朝ドラでやっていた『おひさま』に登場する、信州の旧制松本高等学校(現信州大学)に戻ったとき、その前一時期代教をやってた頃の教え子が、この柳沢源内会長であるという縁です。その後従兄は医学部に進み、内科医になってから、ずーっと柳沢一家の係り医となってきました。この教え子は従兄に言わせると、『栴檀は双葉よりかんばし』で、とにかく教え子の中では、異色の才能のある生徒だったといったといってます。それがヘリばかりでなく、医療関係の分析機とか、様々な分野でそのアイデヤマンぶりが発揮されていて今でも意気軒昂です。このミニヘリはすでに世界あちこちで紹介されていますが、ラジコンで無人でも飛ばせます。この日本製のミニヘリコプターもTVニュースで世界中に配信されましたが、ただ残念ながら、日本孤島の土壌では余りに規制が多すぎて、独自の航空機産業がうまく育たないことで、肝心な部分で長期的ビジョンの国家支援政策が施されない欠点があります

 これは真の国家的長期ビジョンを持つ国際的政治家が、最近は不在となり、政治家でなく残念ながら 海外から故国日本を望見すると、どの政党も政治屋になってしまい『縮みゆくジパング』を孤島内で傍観してるに過ぎない。ますます孤島内こじんまりした政治屋が増えて行くばかりの傾向に、歯止めがかからない。

今後政治家たるものは、国際的政治家のキャラクターが輩出しないようでは、日本再興の兆しは薄い。日本は外交が下手だと海外国の新聞記者にまでいわれているのです。大統領を抱く国家には、個性とカリスマ性のある国際政治家が多い。いまや世界は国内政治家=国際政治家でなければならない時代である。ところが残念ながら日本には国内政治屋ばかりが増えても、国内外双方で通用する真の国際政治家が万年不在である。したがって首相たらいまわしの短期政治屋政権孤島国として、もう国際的にはあまり重要視されなくなりつつあるが現状です。そして、その自覚喪失マンネリ化症候群傾向が見られる。これは『NEOFEUDALISM(ネオ封建鎖国〕』状態である。

 英国は政治経済ロイヤル外交で2012年は、又世界の注目を浴びた事は間違いありません。

 しかし日本人一般には、この世界の動きがまだ、まったく理解できていない気がします。かつて明治維新、そして第二次大戦後の新興国だった頃の日本の上昇志向が衰え、今や新々振興国の出現以来、日本孤島国はオタク思考になり、新々振興国に便乗する儲け話に便乗する小手先型思考法が増えています。かつて 山岳湖水ばかりでなく 『東洋のスイス』といわれたとこともあったが、かつて英国人神父登山家ウエストン卿が名ずけてくれた 『日本アルプス 』の光景がスイスの山々に似てるというだけで、自画自賛で自称していただけかも知れないが、そろそろ中身もスイス流にしてはどうかと思う。スイスは小国であり山岳国でありながら、いまだに世界の金融の中心であり、そして時計産業の伝統からの最先端技術先進国であり、国連外交の中核ポジションを担っている。ここに日本国にとってもヒントがあるのではないだろうか?小国であっても、スイスのように国連の主要支部機構を自国内に多く呼び込んでいたり、ダボス会議を行ったり、バチカンに衛兵を送り込んだリ、結構大国の狭間をうまく利用して、金融の中心にもなったりしている。

 日本は戦後右肩上がりの高度経済工業成長をしていた時代に、一つ大きな事を忘れていた。それはゴールドの国家的保有である。札束というものはオカネではありません。日本人はオカネのカネは金〔ゴールド〕という意味であった。徳川幕府時代末期は藩札が乱発されて歴史的には、藩札乱発が徳川幕府の崩壊自滅を招くことなった要因ともいえる。各藩の膨大に膨れ上がった借金を棒引きチャラにするために、明治維新政府の廃藩置県がうまく利用されたといわれる。藩札という藩の借用証書、すなわち藩の借金がチャラになるなるのを藩主や家老が内心では期待せぬはずがない。最近のPLASTIC MONEYといわれるCARDになったが、そのうちFINGER PRINT MONEY DNA MONEYなんていう新語時代も近いかも。

 日本は世界の貴金属の国際性知識が希薄であったがために、ゴールドの裏打ちのないペイパー(マネイ=紙幣=札束)がオカネと混同錯覚したままになってしまった。

 それで幕末明治初期のゴールド・シルバーの小判の不平等対価流出がおきてしまった。一時銀本位制を採用したが、世界第二次大戦・太平洋戦争終結後、戦後復興に邁進する所までは勤勉さをもってよかったのだが、札束〔紙幣〕をマネーと錯覚してしまった。一時ドル札という紙幣を溜め込めばいいという考え方になってしまった。何故あの貿易収支万年黒字国だった頃、今の中国政府のようにゴールドを保有する頭が働かなかったのか? 日本孤島国はゴールドの自由化がかなり後れてしまった。ゴールドといえば、日本は頭越しで香港や中国に行ってしまう。日本は相手にもされない。わずかに工業用と装身具アクセサリーくらいに

輸入する程度でしかない。

 債権というのも、実は借用証書。国債も国の借用証書で、これをPaper Moneyというが、ラテン語起源のMonetaというのは、Stamped Metal Coinに基ずいた価値基準のことでありもともと紙幣のことではなかったのです。 もっとラテン語で詳しく言うと Moneta Mintという。 Mintといえば香料のハッカの事ですが、ここでは一応関係ない事にしておこう。Mintの本来の意味はコイン鋳造、貨幣の造幣局の意味です。かつて大貿易時代インドの香辛料特に胡椒〔PEPPER〕などがゴールドよりも高価であった。胡椒一斤がゴールド一斤と等価で、天秤量りで交換された時代があった。つまり味覚嗅覚視覚〔化粧〕ハーブ不老長寿の霊験薬品に関するものが紀元前から珍重されたことからその原料や製法が錬金術であった時代がある。すなわち今で言うChemistry(化学)の源であるが、太古のエジプトのミイラ保存にも生かされて来た。

 かつてEFTAという英国中心の経済同盟があった時、スイスはそのメンバーに入っていたが、しかし欧州内の国でありながら、EUには加盟していない。通貨はユーロでなくいまだにスイス・フランを守っている。なぜかお分かりですか?その説明は長くなるから、ここでは割愛し、次の機会にまわすことにします。

 英国もEUに加盟はしてるが、通貨だけはユーロ機軸同盟には加盟せず、英国ポンドを守っている。そしてロンドンでは、世界のゴールド相場が日々午前午後建てられている。

 2年前ゴールドの保有高は中国がついに米国を抜いて世界第一位になったが、アラブの産油国もゴールドを溜め込んでいる。日本はかつてドル外貨の溜め込みを繰返したが、八方海洋孤島国の日本人にはペイパーマネーにこだわり過ぎて、おれおれ詐欺の餌食になる事件はますます増殖している。何かおかしい。変なところには猜疑心が強い習性があるのに、変なところはまったく抜けている。いまだに海外でも、詐欺強盗変な盗難事件に引っかかっているのは日本人が多い。これも国境陸続大陸型人種の外交的したたかさが欠けていて、八方四海海洋孤島国のモノトーンの外交が、世界ではもう通用しない。この世界の動きがまだ、まったく理解できていない。しかし肝心の日本人自身はそうは思っていない。 そのギャップが日本国の『いかがなものかの課題点』ではなく『ずばりストレートな最大の問題点』である。

 2012年のエリザベス二世女王戴冠60周年記念式典から見て、ダイアナ妃とチャールス皇太子の間に生まれた長男ウイリアム王子の王位継承は時間の問題になってきたと思う。仮にチャールス皇太子が王位に就いても短期間であろうし、場合によってはウイリアム王子が、すっ飛び戴冠になることもありうる。キング・ウイリアムが誕生すると、実母のダイアナ妃の復権が実現する。ダイアナ妃の人気はいまだに英国内外で強いのです。キング・ウイリアムがケート女王と訪日する日が、必ずある。

 そこで、今後の日本国の再興の道があるのです。立憲王国英連合王国(正式国名:INITED KINGDOM=UK)のロイヤル外交に連動して日本孤島国にも世界最長の歴史を持つ皇室があります。ロイヤル外交が最大の利点になりうる要素は充分にあります。そして自然環境保全や観光や国連機能のアジヤ支部核心はスイスに倣い。頭脳はイスラエルに倣い、ロイヤル外交を柱にすれば、日本再興の道は拓ける可能性はある。米国大統領は8年任期でかわるが、王位は継続するからロイヤル外交は続行する。

 ここに、今後の日本国の国際外交的活路のヒントがあると考えるものです。

 第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦後、八方海洋孤島国ジパングが忘れてきたことを振り返ると、日本孤島国の政治屋でなく国内政治家=国際的政治家レベルに早くなって欲しいと希うもので、日本孤島国の政治屋時代はもう終末期に来ている。米合衆国のように、或いは英国連合王国のように、道州制にするのも一案である。『変革しかない!』と考えるのは、海外に在住する私のみなのだろうか?