アフターデジタル2  - UXと自由 -

株式会社ビービット 藤井保文

※書籍執筆のリアルタイム公開についての意図と背景は以下。

https://www.bebit.co.jp/news/article/20200221

※更新したら個人Twitterにてお知らせします。

https://twitter.com/numeroFujii

numeroFujii

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はじめに

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アフターデジタル社会を作る、UXとDXの旗手へ

本書は、アフターデジタルという世の変化に対して、私たちが持つべき精神(マインドセット)とケイパビリティ(能力と方法論)を提示する本です。

2019年3月25日に、尾原和啓さんと、私、株式会社ビービット藤井保文の共著で出版した「アフターデジタル ~オフラインのない時代に生き残る」が、有難くも予想を超える反響があったことで、様々な有難い機会をいただき、読者をはじめ、関わってくださった方々には心から感謝をしています。ありがとうございます。

この機会によって様々な議論が生まれ、また、更に進んでいく社会の状況から、一年足らずのうちに膨大に貯まり、深まったインプットを、改めて再整理して伝えようと考えて、「2」という形で早々と形にすることを決めました。1を読んでいなくても、第一章にエッセンスをまとめてあるので、十分に読み進められるようになっていると思います。

執筆をしているまさに現在、世界中が新型コロナウイルスの影響を受け、恐怖にさいなまれながら、人によっては「アフターコロナ」という言葉を使い、リモートワークや遠隔診療・教育、他にもデリバリーフードなど人の接触をなるべく避ける形式でのビジネスの重要性が解かれ、アフターデジタルとの符号を語っていただいたり、その到来が早まったのではという言葉を発してくださる方もいらっしゃいます。企業経営者も、人を集めないことを前提にした業務、サービス、販売への変化対応を迫られ、どのように働くのか、EC化率を如何に上げるかといったデジタル対応に終われている状況です。

そんな中、「アフターデジタル2」をなるべく早く書かないといけない、という想いを強くしたのは、「誤った解釈の仕方から、世の中がディストピア側に進み、社会発展が止まるのではないか」という危惧が、ずっと心の中にあったからです。

アフターデジタルに共感してくださった方、OMO(Online Merges with Offline=オンラインとオフラインを区別せず、融合したものと捉える思考法)を実践されている方であっても、お話をすると、「それは違うのではないか」「もっとこうすればいいのに」という、勘違いや陥りがちな思考の罠がたくさん見えてきました。特に、データやプライバシーに関する考えは、危ういものも非常に多く、「海外や中国と全く同じ世界が来るわけではない」とは言ったものの、どうしても「今世の中にあるもの」をそのままやろうとしてしまう傾向が見られていました。

そんな状況を目の当たりにし、かつ新型コロナウイルスの影響下もある中でビジネス変革を加速しようとする皆さんに対し、僭越ながら「まだまだありがちなビフォアデジタルな立脚点」を正し、「新たな顧客体験=UXを作り、顧客とアフターデジタル型の関係性を築くことが、あるべきDX(デジタルトランスフォーメーションなのだ」、言い換えると、「UXを議論しない、顧客視点での提供価値を捉え直さないDXなど、本末転倒である」ということを、何とか伝えられないかと、本書を書き始めました。

何故、「精神とケイパビリティ」なのか

本書では、「アフターデジタルを生き抜くための精神とケイパビリティ」と、そこから導き出す社会の提言を行なっています。何故こんなことを伝えようとしているのか。それは様々な議論を通して、危惧すべき2つの傾向を感じたからです。

一つ目に、ディストピアへの恐怖が挙げられます。

全てのデータが得られる世の中において、特に中国のような国では、顔認証を始め、様々なデータを国が保管しており、いわゆる「管理社会」を想起させます。犯罪率の低下や民度の向上、新型コロナウイルスのような有事への対応など、良い効果を示した点はあれど、正直その「管理社会」的な様相があることは否めません。

デジタルが浸透したアフターデジタル社会において、UXとテクノロジーを掛け合わせた力は非常に強いと言えます。仮に悪用すれば、人の行動を支配することも、人の格差を助長させることもできるでしょう。だからこそ、「精神」というものが必要ではないかと考えています。

前著で例示したカーメディアのビットオートでは、データは「プロダクトとUX(顧客体験、ユーザエクスペリエンス)を如何に高速改善できるかが競争原理になる」と教えてもらいました。

実はこれには後日談があります。

ビットオートに訪問した我々は、彼らにこのように話しました。

「日本では、使いもしない情報を入力させてユーザに負荷をかけた上で、そのデータをアップセル・クロスセルにしか使おうとしないんだよね。ビットオートは本当に正しいと思うよ」

すると、相手は若干怪訝な顔をしていました。どうしたのか聞くと、このように答えるのです。

それは、ユーザに不義理だよね

ユーザは君たちにデータを提供してくれているのに、君たちはそれを自社の利益のためにしか使っていないということでしょう?それでは、企業とユーザの取引関係が成り立っていないから、ユーザから信任されなくなって、愛想をつかされてしまうよ。重要なのは、如何にユーザに価値を提供して、ユーザに愛され、使い続けてもらえるかだよ。」

正直、私もまだ爆買いの中国人の印象があった頃だったので、まさかそんな風に中国の方に諫められるとは思いませんでした。

実はこれに近い話を、アリババでも聞いたことがあります。以前アリババの方に、「アリババは中国で一番データを持っていると思うけど、市民からこれってどう思われてると思う?」という、少し意地悪な質問を、知人を通じてしてもらったことがあります。

すると彼らは真剣な顔つきで「それは非常に重要な問題だと認識していて、だからこそ得られたデータを如何に社会に還元するかを大事にしています。」と答えたそうです。

「ユーザに価値で還元するのは当たり前として、大量のユーザがデータを預けてくれることには社会的責任が伴うので、社会に還元することで、ユーザが信じて預けてくれるわけです。

社会に還元するというのは例えば、我々の事例ではないのですが、深夜から明け方に大きな地震があったとしますよね。そうすると、不安で眠れない人が多く発生するので、翌朝の通勤時に事故が増えます。この時、例えばウェアラブルデバイスなどで、よく眠れなかった人がどのエリアに多いのかが分かり、かつスマートシティのソリューションがあれば、そのエリアの信号を重点的にコントロールすることで、無駄な渋滞は割けたうえで事故を減らすことが出来ます。

こうした形で、大量のデータを持っていることは社会的責任を伴うので、こうした貢献をすることでユーザ、ひいては社会に認めてもらえるわけです。」

皆さんがどう思われるかは分かりませんが、少なくとも私には、レピュテーションリスクばかりを気にしている日本と、如何に価値で還元してユーザから信任を得るのかを考えている彼らでは、マインドセットに大きな違いがあるように思えました。

二つ目は、データとUXに対する基本リテラシーにおける、日本の危うい現状です。

確かに前著の中では、「あらゆる行動がデータ化し、その利活用がビジネスの鍵になる」と書いたのですが、これによってか、よらずか、データを持っていること自体を財産と勘違いし、データを共有したり、売買したりしようとする考えが生まれてしまっていたり、こうしたデータの扱い方として、「販売のマッチング最適化」や「プロモーション効率化」ばかりを指向する傾向にあることが分かりました。

まず、データを持っていてもそのままでは全くお金にならないことを理解する必要がありますが、これは第三章で深く語るとして、ここで重要なのは、一つ前で語った「ユーザから信任を得る」という考え方の欠如だと考えています。

日本でも、ユーザから許可を取らず、勝手にデータを横流ししてお金儲けをしていた、といった事件が見られましたが、こうした「ユーザへの不義理」を続けるとどうなるでしょうか。当然、ユーザである市民はこれに恐怖するため、見かねた国家が企業のデータ利用を制限し、テクノロジーを使った社会発展を止める方向に動かざるを得ないでしょう。

データをそのままお金に変えるという考え方ではなく、どのようにUXに還元し、ユーザに価値提供をするか、という考え方がベーシックにないと、日本はテクノロジーの恩恵を受けられず、国際的な競争力を失ってしまいます。

このためには、データやテクノロジーを扱う責任としての精神が重要であり、かつそれらを正しく理解し、正しくビジネスに活用することでサステイナブルなビジネスと顧客関係を両立させるケイパビリティが必要になります。顧客との信頼関係を築けない企業は滅びていき、アフターデジタル社会を生き抜くことはできなくなるわけです。

本書の構成

逆にポジティブに捉えると、テクノロジーとUXという今の時代における最重要ケイパビリティを持つ方々は、社会を変える力と責任がある、という事にもなります。本当に伝えたいのはこちらであり、そういったUX志向DXを行う方々の持つ力を、ビジネスにも社会にも最大限世に解き放つ応援歌として、本書を構成しています。

第一章は、「アフターデジタルを凝縮し、最新状況にアップデートする」章です。

まずはアフターデジタルというコンセプトをサマリとしてお伝えした上で、それを踏まえて、スーパーアプリの進展、インドのデジタル政府、アメリカのD2Cなど、様々な観点で世界の状況をオーバービューしていきます。アフターデジタルの説明が凝縮し、表現も精査し新しくしているので、前著を読んでくださった方にとっても気づきがあるはずです。

第二章は、「新しい産業構造での生き残り方、勝ち方を事例から学ぶ」章です。

メーカーが君臨する「製品販売型」の産業構造から変化し、行動データを持って顧客の状況まで理解出来ているプレイヤーが強い「体験提供型」の産業構造になる、これが「アフターデジタル型産業構造」です。この状態が既に起きている中国では、学ぶべき事例が非常に多いため、彼らどのような動きを取っているのかを知り、学ぶのが第三章です。今の日本に起きている「ペイメント競争」や「メーカーのサービサー化」の行く末を占いながら、皆さんのビジネスに直接使えるような驚きやインプットを提供するつもりです。

第三章は、「自らの視点を補正する」章です。

日本が持ちがちな誤解、妄想や、アフターデジタルを理解した後にも起こりがちな幻想を言語化していくことで、より解像度高く、自らの構想や活動を眺めていただきます。

耳の痛いことも数多く書いてあるかと思いますが、第二章で説明した事例を例に取って具体性を持たせることで、特に企業やチームで取り組んでいる方々にとって、軌道修正をしたり、認識を揃えるために使っていただけることを想定しています。

第四章は、「アフターデジタル社会の在り方を考える」章です。

ここでは、UXインテリジェンスという考え方を中心に据えてご紹介しながら、社会レベルで必要な考え方と、ビジネスレベルで必要な技術を体系化していきます。

足元で実行している内容から少し目線を上げて、私たちが目指すべきアフターデジタルとはどのような社会なのかという提起から、そこにおける社会アーキテクチャとしてのあるべき論、それを担う企業、チーム、自分自身と落としていき、どのようなスタンスを取り、どのような人材であるべきか(または集めるべきか)、考え方を整理していきます。

第五章は、「日本の取り組みから学ぶ」章です。

「日本的アフターデジタル」の構想を念頭に置きながら、既に取り組まれているOMO事例や動きを示すことで、「日本の環境でも本当に出来る」という自信を持ち、より実践的な知見として要素を抽出していきます。

第四章で出てきたケイパビリティが、事例とともにより具体的に落とし込まれることで、自らに必要な活動が見えてくることを願って書いています。

アフターデジタルのシリーズは、デジタルトランスフォーメーションの立脚点に異を唱え、「オンラインとオフラインが融合する世界のロジック」に視点を転換することを主目的としています。これは、デジタルとリアル、オンラインとオフラインを二項対立で捉える志向からの脱却を意味しており、国家、社会、企業、コミュニティ、個人、全てのレイヤーにおいて、大量の誤解や、立脚点の誤りがまだまだ潜んでいる状況ではないかと思っています。

本書が、デジタルトランスフォーメーションやOMOを推進する方々、及び近しい課題を持つ人々の共通言語になり、この状況を打破する動きが加速することを切に願います。

株式会社ビービット 藤井保文

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目次

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第1章 世界中で進むアフターデジタル化

        1-1 アフターデジタル概論

        1-2 アジアに学ぶスーパーアプリ

1-3 スケールから質に転化する2019年の中国

1-4 インドに見る「サービスとしての政府」

1-5 アメリカから押し寄せるD2Cの潮流

        1-6 日本社会、変化の兆し

第2章 アフターデジタル型産業構造を如何に勝ち抜くのか

        2-1 変化する産業構造と、それぞれの動向

        2-2 決済プラットフォーマーの存在意義

        2-3 「売らないメーカー」の脅威

        2-4 アフターデジタル潮流の裏をかく

        2-5 「価値の再定義」が成否を分ける

第3章 誤解だらけの「アフターデジタル戦略」

        3-1 日本におけるアフターデジタル型産業ヒエラルキー

        3-2 来るOMO、来ないOMO

        3-3 「デジタル注力」の落とし穴

        3-4 データエコシステムとデータ売買の幻想

        3-5 個社で持つデータにこそ意味がある

        3-6 DXの目的は「新たなUXの提供」

第4章 UXインテリジェンス 今私たちが持つべき精神とケイパビリティ        

        4-1 人がその時々で自分らしいUXを選べる社会へ

        4-2 企業のDXが社会のDXを形作る

        4-3 UXと自由の精神

        4-4 能力・ケイパビリティとしてのUXインテリジェンス

        4-5 ビジネス構築のためのUX企画力

        4-6 グロースチーム運用のためのUX企画力

第5章 日本企業への処方箋 -あるべきOMOとUXインテリジェンス        

        5-1 状況志向サービスデザイン

        5-2 OMO型オンボーディング

        5-3 タッチポイントループ

        5-4 顧客理解の解像度を高める

        5-5 社内説得の壁とSaaS会計

        5-6 上下と横からの変革

あとがき        

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第1章 世界中で進むアフターデジタル化

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1-1 アフターデジタル概論

改めて、アフターデジタルとはどのような転換を差し、何を引き起こすのか、サマリとして説明します。前著を読んでくださった方にとって意味があるように、誰かに説明する際に短くまとめるとどのようになるのか、参考にしていただければと思います。特に、行動データ、状況ターゲティング、バリュージャーニー、アフターデジタル型産業構造といったキーワードは本書全体を通して頻出しますので、おさらいした上で読み進めていただけると理解が深まります。

オフラインのない状態が来る

中国やアメリカ、一部の北欧や東南アジアで見られる現象として、日常のお支払い、飲食、移動など、元々オフラインだった行動すべてが、モバイルで完了できるようになっています。

例えば中国では、都市部では自動販売機にお金を入れるところがないものさえ存在するほど、アリペイやWechatペイというモバイルペイメントの利用が浸透しており、現金使用率は5%以下まで落ちていると言われています。

レストランに行けば、テーブルの隅にQRコードが貼ってあり、スマートフォンのカメラでコードを読み取ると、スマートフォン上にメニューが出てきて、注文を済ませて支払いまですることも可能です。基本はWechat(中国におけるLINEのようなコミュ二ケーションを軸としたアプリ)を通してログインするような形を取るので、食い逃げされる心配もありません。

デリバリーフードの普及もすさまじく、私も上海在住ですが、半分以上の食事はデリバリーで済ませていますし、私の知人でデリバリーフードアプリをインストールしていない人、使っていない人は存在しません。街中のほとんど全てのレストランの食事をデリバリー出来るため、「食のインフラ」と言ってもよいほど広まっています。

移動する際も、街中にあるシェアリング自転車を一つ捕まえて、自転車についているQRコードを専用アプリで読み取るとロックが開錠され、30分15円程度で移動ができます。何よりも便利なのは、「自転車を所定の場所に返却する」というステーションタイプではなく、適当なところに乗り捨てしてよい、という点です。私も家から会社の近くまでシェアリング自転車に乗って出勤していました。

少し距離のある移動では、タクシー配車アプリを使います。現在日本でも使われるようになってきましたが、タクシー自体、日本と比べて料金がかなり安いため、日本以上に頻繁に使われている印象です。私も中国にいる間は、かなり多くの移動をディディという配車アプリを通して行なっています。前著で詳述した通り、ドライバーが給料を上げようと頑張れば頑張るほど、タクシーユーザの体験がどんどん改善されていくという仕組みが搭載されており、このサービスの登場で中国のタクシー体験品質は大幅に改善されました。

このような事例を一つ一つ見ると、労働力や労働コストの違い、文化や規制の違いなどによって、「そこまでデリバリーは普及しないだろう」「乗り捨ての自転車なんて無理だろう」といった意見が出てきます。実際、私も全く同じサービスを日本に展開することは難しいだろうと思っています。

しかし、オンラインがオフラインに浸透し、元々オフライン行動だった生活が次々とオンラインデータ化して、かつ個人のIDに紐づき、膨大かつ高頻度に生まれる行動データが利活用可能になる、という現状だと捉えると、今の日本でも段々とそうなっていることが実感できるのではないでしょうか。個別の事例では日本に起きないように感じるかもしれませんが、このように引いた視点で捉えると、日本にこれから起きることとして見えてくるかと思います。

裏を返せば、行動データが利活用できないプレイヤーが負けていく時代ともいえます。行動データによって顧客理解の解像度は高まり、付加価値を高めることができようになるからです。前著で示したアリババの芝麻信用(ジーマクレジット)も、行動データ活用によって新たなサービスや価値を提供した事例と言えるでしょう。

アフターデジタルという考え方

アフターデジタルという考え方が何かというと、「日本のデジタルトランスフォーメーションは、その立脚点がそもそも間違っているのではないか」という、僭越ながらの提起です。

オンラインがオフラインに浸透して来ると、「純粋なオフライン」という状況がどんどん少なくなってきます。すると状況としては、ウェブサイト、アプリ、SNSなど純粋なオンライン接点、及び、モバイルやIoTを活用したリアル融合型のオンライン接点が多くなり、オンラインと繋がらない純粋なオフラインの顧客接点が少なくなるため、以下のような状態になると考えられます。

図1-1

すると、図1-1左側の黄色い部分は、どんどん存在が少なくなっていくはずなのですが、日本のデジタルトランスフォーメーションはまだ「リアルを中心に据えて、デジタルを付加価値と捉える」というビフォアデジタル的な考え方に根差している例が殆どです。「店舗でいつも会えるお客様が、たまにアプリを使ってくれる」といったイメージです。このリアルとデジタルの接点の主従関係を逆転させて考える必要があるというのが、アフターデジタルというコンセプトになります。

これは「リアルが重要でなくなる」ということは全く言っておらず、感動的な体験や、信頼を獲得する、といったことはリアルの接点が得意なのは間違いありませんし、非常に重要です。しかし、接点の頻度としては少なくなってきます。ECで服を買うようになってお店に行かなくなったり、動画サービスを見るようになって映画館に行かなくなったりするように、デジタルでできることが増えるとリアルの接点にわざわざ出ることは当然少なくなるため、リアル接点は「今までよりも重要な役割を持つが、今までよりも頻度としてレアになる」と捉えるのが正しいと考えます。

また、「オンラインリアル」と考えることも重要です。ウェブサイトやアプリでどのような行動をしていて何に興味があるのかが分かった上でリアルの接客をすれば、当然接客品質は高まります。このように、リアル接点もデジタルによって強化されるべきものとして認識する必要があります。

属性データから行動データの時代へ

アフターデジタルという社会変化はビジネスに大きな影響をもたらしますが、その最も大きな影響は「属性データの時代から行動データの時代になること」であると捉えています。

時代変化の捉え方として、「今までは属性データ程度しか扱えなかった」とするのがおそらく正しく、従来の属性データ活用においては、属性A、B、Cに対して商品A、B、Cを最適配分するという、「属性によるターゲティングの効率化」が行なわれていました。

しかし、行動データが取れると、「最適なタイミングに、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーション方法で提供できる」ようになります。ここで言う「コンテンツ」とは、商品だけではなく、イベントでも、ウェブ記事でも、温かい言葉でも何でも構いません。ユーザから見ると、欲しいときに欲しいものが、自分に合った方法で提供されるわけですし、企業から見ると、そうした価値提供が可能であると言うことになります。

父親・母親としての自分、ビジネスパーソンとしての自分、スポーツマンとしての自分など、状況によって自分の人格や興味関心が異なることは、ご賛同いただけるのではと思います。属性データの時代は「人」単位で大雑把に捉えていましたが、行動データの時代では、人を「状況」単位で捉えることが出来るようになり、人間の自己認識や社会における人の在り方にこれまで以上に近づくことが出来るわけです。

これはビジネスにおける大きな転換点になっています。これまでは市場を検討する際、「対象顧客は若い女性で、年収が600万~1,000万円の人で、デザイン感度の高い人」など、属性ターゲティングが使われ、「この市場規模が1兆円」という市場概算がされてきました。しかし上記に示したように、これでは行動データ時代において大雑把すぎるため、「美容を通じて自身を表現したいが、十分なお金がかけられない状況」というような「状況による市場定義」を行う必要があり、その状況がどのような程度の頻度・ボリュームで発生し、各状況にどの程度お金がかけ得るのかによって市場を規定するようになります。これはクレイトン・クリステンセン氏のジョブ理論など、同様の理論は長年提唱されていますが、モバイル、IoT、センシングなどの技術革新によって、こうした理論が適用しやすくなり、親和性が高くなったと考えるのが正しいでしょう。これを本書では、属性ターゲティングに対する新たな概念として、「状況ターゲティング」と読んでいます

製品販売型から体験提供型へ、企業競争の原理が変わる

行動データの活用において重要なこととして、「接点頻度」があります。例えば自動車を考えた時、5年や10年に1度しか買い替えず、顧客との接点もそこでしか得られないとすると、「最適なタイミング」なんて分かりようもありません。では高頻度な接点が持ちやすい飲食やコンビニエンスストアなら良いのかと言うと、対象となるユーザが毎日パンとコーヒーを買っているだけだとすると、極端に言えば「最適なコンテンツ」はパンとコーヒーしか分からない、ということになります。

最適なタイミング、コンテンツ、コミュニケーションを捉えて価値提供するためには、ユーザの置かれた状況(ペインポイントや成したい自己実現)を把握してそれに対する解決策や便益を提供し、ユーザと定常的な接点をなるべく高頻度に持つ必要があります。これは商品販売型のビジネスでは実現が難しく、体験提供型のビジネスに優位性が移行していくことを示しています。

この時、モノからコトへ(モノ消費からコト消費)のことを想起される、または非日常的でアトラクション的な体験を想起される方がいらっしゃいますが、ここで私が言う「体験提供型ビジネス」は、それらと異なるものを指しています。日常的にユーザに価値提供ができ、高頻度かつ定常的にユーザの状況を把握できる形式のビジネスを指しており、サブスクリプションサービスはその代表例と言えます。逆に言うと、従来型の携帯利用料や保険のようなサブスクリプションでは、課金体系自体はサブスクリプションですが、顧客の状況理解と定常的な価値提供には繋がっていないケースが多いため、体験提供型とは言えません。

オンラインとオフラインを融合させて考えるOMO

アフターデジタルとは社会の状況や時代の変化を示している言葉ですが、こうしたアフターデジタル社会において成功企業が共通で持っている思考法のことを「OMO(Online Merges with Offline)」と言っています。この言葉は2017年9月頃に、元Google ChinaのCEO、現在はSinovation Venturesを創業し会長兼CEOである李開復(Kaifu Lee)が提唱した言葉ですが2019年を通して、日本にもかなり広まり、一般的な用語になりました。

OMOという概念を私の所属するビービットが説明する際には、「オンラインとオフラインを分けるのではなく、一体のジャーニーとして捉え、これをオンラインの競争原理から考える」としています。

もはやオフラインがなくなり始めるような環境の中、オンラインとオフラインを分けること自体が意味をなさなくなっており、かつ一般市民は「今はオンライン」「今はオフライン」という区別を意識せず、その時一番便利な方法を選んでいるだけになっています。にもかかわらず、多くの企業はオンライン・デジタルの部署は別切りになっており、オフライン系の部署と同じ絵を追っていなかったり、連携したKPI設計になっていなかったりしています。これは、ユーザから見た絵や社会における現状と食い違ったビジネス構造になっていることを示していると言えます。オンラインとオフラインを分けることなく、一体の「ユーザジャーニー」として捉えることの重要性はより高まっているわけです。

更に、オンラインとオフラインを融合して捉えるとしても、多くの日本企業はやはり「オフラインにどうやってオンラインをくっつけるか」というビフォアデジタル的発想になってしまいがちです。リアルであってもオンラインになる時代においては、店舗や人の接点であってもデータが得られてそれをABテストしたり高速PDCAしたりという、デジタルマーケティングの手法を活用しながら最適解を求めていくことが可能なため、「オンラインの競争原理から考える」ことが必須である、と捉えています。

重要なのは「エクスペリエンス × 行動データ」のループ

こういった話をすると、どうしても「行動データを如何に取得するか」という起点でビジネスを考えがちですが、データ取得を先行して考えることは全く本質的ではありません。

行動データと言っても、単独のデータがいくら集まっても意味がなく、データがシーケンス型に整理されていないと意味がありません。「一人ひとりのユーザの行動履歴」という形で時系列にデータが並んでいないと、顧客の置かれた状況を抽出できず顧客理解に利用できないため、活用価値が極めて低くなってしまいます。

「アプリをダウンロードしたけど一回使って使うのをやめた」なんて、誰もが一度は経験しているのではと思いますが、UX品質が良質で、顧客の置かれている状況に即したものでないと継続利用されず、意味のあるデータになっていかないのです。

つまり、「便利か、楽か、使いやすいか、楽しいか」といったUX品質が他のサービスよりも良いかどうかが最重要となり、これが担保されて初めて有用な行動データが、リアルやデジタル関係なくシーケンス型に貯まっていきます。このように貯まっていったデータをUXに還元し、更にUXを良くすることでより粘着度の高いサービスに改善され、進化し、更に行動データが貯まっていく、といったループを作ることが「体験型ビジネス」の成功の最重要ポイントになります。

バリューチェーンからバリュージャーニーへ

体験提供型ビジネスをOMOの思考法で運営し、エクスペリエンス×行動データのループを回す新たなビジネスモデルを、「バリュージャーニー」と呼んでいます

これまでは、「製品を販売する」というゴールに向かって、モノを企画し、生産し、ファネル型で売っていく従来型のバリューチェーンでした。機能が豊富、性能が良い、価格が安い、すぐ手に入る、といった要素が競争力になり、これにブランディングによる付加価値を乗せて販売するというモデルです。しかし、これからは「製品はあくまで接点の一つである」と考える時代になっていき、アプリや店舗やイベントやコールセンターなど、あらゆる接点と等しく扱われるようになります。ビジネスモデルは、全ての接点がコンセプト・世界観でまとめあげられ、これが体現されたジャーニーに顧客が乗り続け、企業が寄り添い続ける、新しいバリュージャーニー型に変化します。このモデルにおいては製品販売がゴールなのではなく、「顧客が成功すること(=自己実現を果たしたり、今より良い生活を送れるようになること)」がゴールになります。

2019年までサブスクリプションモデルの流行がありましたが、これも全て同様の流れと考えています。最近語られているサブスクリプションモデルは、単に定期課金型のモデルという古い考えではなく、「定常的に利用される中で、デジタルによって顧客の状態が可視化され、顧客に喜んでもらいながら使い続けてもらう」というモデルを指しています。音楽や映像の例が分かりやすく、かつてはレコード・CD・音楽ファイルを曲やアルバムごとに購入していましたが、今やApple MusicやSpotifyのように月額900円で聴き放題になり、曲のタイトルやアーティスト名は覚えられずとも聴かれていて、「曲を聴く」だけでなく、「パーティ」や「リラックス」など、雰囲気に合わせたリストを選べたり、自分で作った音楽プレイリストを交換したり、いい選曲をする人をフォローしたり、と、元々商品であった「楽曲・アルバム」は接点の一つになり、様々な接点・価値を統合したジャーニー全体を売っていると言えます。映像でもNetflixやHuluなどで同様の変化が起きています。これらの潮流も、バリュージャーニー型ビジネスへの変化の一部と捉えています。

アフターデジタル型産業構造

戦略が状況ターゲティングに、競争原理が体験提供型に、ビジネスモデルはバリュージャーニー型に変化していく中で、産業構造が大きく転換します。

今まではメーカー主導の産業構造だったと言えますが、行動データに基づくバリュージャーニーの時代では「顧客を状況レベルで詳しく理解している方が強い」という構造になります。この構造変化は既に中国では起こっており、以下のような図で示しています。

トップに君臨する決済プラットフォーマーは、ペイメントが発生するあらゆるサービサーに水平に入り込むことができ、かつユーザの好みや支払い能力が一定読み取れる価値の高いデータを取得することができます。かつ、包括的なデータ取得が出来ているため、最も顧客理解の解像度が高くなります。

2番目のレイヤーとなるサービサーは、移動、飲食、旅行、動画、音楽など、各業界ごとの覇権を握るプレイヤーが位置します。圧倒的なUXによって圧倒的なユーザ数と粘着度を持ち、その業界における詳細な行動データを抱えています。

では一番下に位置するメーカーはというと、上の2つのレイヤーのデータがなければ正しくモノが売れなかったり、サービサーにユーザの関心や接点が集まっているため、サービサーのための部品(カーシェアサービスのための車やドライブレコーダーだったり、デリバリーのためのバイクや自転車など)を作る下請けになる、という可能性さえあると言えます。

今や日本でも、メーカーがサービサーになるという宣言をしていたり、サービサーとの提携を行なっていたりという動きがありますが、これらは上記のようなヒエラルキーの変化を捉えた動きであり、書籍を通じて私やビービットにご連絡いただくご相談も、メーカーにとって恐怖の構造変化において自社がどう対応すべきかというものが非常に多く、ものづくりに強みのある日本企業が今最も恐れている構造転換であると言えるでしょう。

1-2 アジアに学ぶスーパーアプリ

アフターデジタルを書き上げたのが2019年1月。この1年以上の間に、日本でもペイメントやMaaSを中心に様々な変化が見られましたが、世界では更に様々な変化、進化が起きています。

ソフトバンクワールド2019において、孫正義氏はその基調講演で、ペイメント機能に始まり、移動、飲食、金融など生活インフラ機能を全方位的に捉えたアプリを「スーパーアプリ」と表現しながら、大々的にAIを中心としたグローバルプレイヤーを紹介されました。本書執筆をしている2020年の現在、ヤフーとラインの統合をはじめ、ペイメント競争からスーパーアプリ競争に変化しつつありますが、アジアにおいては既に多くの「スーパーアプリ」が生まれています。

スーパーアプリになり得るサービスは、毎日利用される「ペイメント、MaaS、コミュニケーション」の3つに大別されますが、特にアジア圏ではペイメント起点、またはMaaS起点が強いと言えます。ペイメント起点ではインドのPaytm(ペイティーエム)、フィリピンのCoins.ph(コインズ)、MaaSでは東南アジア全域に広がるGrabと、インドネシアのGo-Jekなどが挙げられます。MaaSやコミュニケーションから始まっても、最終的には決済機能を持つことで生活全方位に機能を拡大し、アフターデジタル型産業構造で頂点に君臨する「決済プラットフォーマー」になることを目指しています。

これらの事例から見ると、主なマネタイズが金融で行なわれていることが良く分かります。ここで得られた大量かつ高頻度のトランザクション(支払いを中心とする交易)と高い粘着性(「サービスから離れられない度合い」を指します)を持っているため、得られたペイメントデータや行動データから与信管理の効率があがる、つまり「この人にはいくらまでなら貸せる。この人にはここまで貸してしまってはいけない」という計算の精度が高まるというわけです。

移動から金融へ、金融から生活全てを繋がるGrab

例えばGrabを例にとってみましょう。

タクシー配車兼ライドシェアから始まったGrabですが、デリバリーフードとして食事を持ってきてくれたり、予約しておけば食事のピックアップも出来ますし、日本のバイク便のように、宅配したいものを届けてくれたりもします。タクシーに留まらず、「人やモノが移動する」ことに関わることは全て担ってくれる、というのがGrabのコアの価値になります。ここから派生して、タクシー配車やデリバリーフードで発生する支払いには、Grab Payというモバイルペイメントが使われています。

これだけではただの移動サービスにペイメント機能が搭載されたものに見えますが、ドライバー側にとっては自分の人生を支える重要なインフラになっています。ドライバーになっている方は、元々「アンバンクト(Unbanked)」と言われる銀行口座を持っていない方だったり、社会的な信用度が低かったりする状況があり、ローンを組んでお金を借りることが出来ない方が多く存在しました。これもあって東南アジアでは如何に日銭を稼ぐかに終始し、ぼったくりも多く、日本人から見てもタクシーに乗ることは不安が付きまとう状況でした。

しかし今や、Grabによって自分の行動が蓄積されるため、このまま稼ぐと自分の稼ぎがどの程度になるか、サービス側が予測してくれます。そこに、「車内広告を搭載する」といったオプションがサービス側から提案され、更に自分の稼ぎを増やすこともでき、このように「どの程度の収入が確保できるか」が分かるため、今度は少額の融資を受けることが可能になります。モバイルと通信のインフラが十分に展開されている一方で、金融サービスがすそ野まで広がっていない状況を踏まえて、金融業にまで発展することが可能になります。このあたりは、尾原和啓氏の新著「アルゴリズムフェアネス」に詳述されています。

さらに、デリバリーフードやピックアップがあるということは、その仕組みは既にレストランなどの店舗に導入されているため、上に記した金融サービスは、個人事業主や中小企業んに対しても展開可能になっています。

スーパーアプリのマネタイズモデル

スーパーアプリで重要なのは、如何に毎日使われ、様々な領域において利用されるか、です。始めはペイメントやMaaS起点で始まり、デリバリーフードや荷物の配達、水道光熱費の支払いから、エンターテインメントなど、周辺領域にどんどん展開することで利便性を上げるとともに、「あらゆる支払い状況が可視化できる状態」を作っています。こうした周辺領域への拡大のために多額な投資を行ないながら、プロモーションを日常的に展開することでユーザを獲得、引き止めを継続する必要があるため、通常大きく赤字を生み出します。

気を付けなければならないのは、成功しているスーパーアプリは基本的に、銀行口座を持たない「アンバンクト」に対する金融サービスを収益化のコアにしている、という点でしょう。Grabの例に戻ると、収益化を目指す順番としてはタクシー配車を使う一般のユーザよりも先に、ドライバー向けの金融機能になるわけです。個人事業主であるドライバーがより良く生活できるように支える存在としてまずは機能とケイパビリティを整えながら、一般ユーザにまで展開していくという構造になっています。

もちろん、金融機能以外のマネタイズが出来ないわけではありません。毎日高頻度な利用する、超膨大なユーザとの接点を持っているため、広告を始めとしたToB向けのサービスを展開することもできます。この点、スーパーアプリのモデルで本当に収益化に成功しているのは、世界においてもアリペイを持つアリババ(アントフィナンシャル)やWechatペイを持つテンセント程度で、彼らは複合的なモデルを使ってマネタイズを可能にしています。一方でGrabを始めとする他のプレイヤーは、見込みはあるもののまだまだ収益化が出来ている状態ではありません。

どのような順序で大きくするべきなのかは各国ごとに異なり、これを社会背景と合わせて学ばないと、そのまま真似をしたら稼ぐ道筋がなかった、なんてことにもなりかねない点は強く心に留める必要があると言えるでしょう。

1-3. スケールから質に転化する2019年の中国

前述のスーパーアプリはアジアにおいても、やはりアリペイやWechatペイがモデルとなり、模倣されていることが良く分かりますし、共通点として、アンバンクトのような未整備な社会インフラに対して一気に利便性を高めていることが伺えます。前著においても、2015年以降急激に進化をした中国の一部をお伝えしました。

しかし2018年までで一定便利になったせいか、新興国に起こりがちな大きな社会アップデートは見られなかったため、「2019年の中国は大きな変化がなかった」と言われがちです。しかし私の理解では、ペイメントやシェアリング自転車のような、日本が期待する「びっくりサービス」の普及がなかっただけで、むしろ日本が参考にしうる事例が増えているように思います。

別章にて詳述しますが、これまでの中国は「日本にはないような負や不から解放される」という利便性を、テクノロジ―で解放することによってリープフロッグを起こし、ペイメントにしても、タクシー配車にしても、フードデリバリ―にしても、「10億人から100円もらう」または「とにかく人を集めて、企業側からマネタイズする」といった構造でした。

生活における負や不を利便性で解放することはマスマーケットとほぼ同義であるため、中国的なスピード感も含めて、新たなインフラが次々と整備されていくような感覚が、2018年まではありました。

世界最高水準の便利な生活

改めて中国における生活の利便性をご理解いただくために、前著でも提示したサービスを生活イメージに書き起こしてみたいと思います。

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  • 7:30
  • 起床とともにデリバリーアプリのウーラマで朝食を注文。
  • シャオミーの時計型バンドで、就寝時間と眠りの深さをチェック。
  • 8:40
  • 出勤とともにWechatのミニプログラムから、会社の近くにある個人経営コーヒー屋のコーヒーを注文。
  • 家を出てすぐの場所に止まっているMobikeを見つけ、専用アプリでアンロックして出発。
  • 会社付近に到着し、注文したコーヒーを待ち時間なしでピックアップ。
  • 9:00~11:30
  • 現地における仕事の連絡のほとんどはWechat上で済ませる。
  • 日本との打ち合わせをZoomやWechatで実施。
  • 11:30
  • ランチのサラダをウーラマで注文。
  •  ランチ中、同僚と夜火鍋に行くことに。大衆点評(レストラン検索アプリ)で店を調べ、アプリ上で予約。
  • 14:00
  • 午後のコーヒーをウーラマで注文。
  • 打ち合わせが入っているので、オフィス一階にあるウーラマ専用の棚に置いておいてもらう。
  • 15:00
  • 17:00からの外での打ち合わせのために、タクシーアプリDidiを16:30に予約。
  • 16:30
  • Didiアプリからメッセージが届き、到着したことを確認して一階に降りる。
  • 18:30
  • 打ち合わせ後、またDidiでそのまま火鍋屋へ。
  • 到着して席に着き、机にあるQRコードから注文。
  • 20:00
  • 火鍋終了。まとめて支払い、他の同僚から100元ずつアリペイで送ってもらう。
  • 洗濯洗剤が切れていることを思い出し、自宅に帰る途中に、アリババのスーパー「フーマー」のアプリで注文。
  • 受け取り時間を20:45に設定。
  • 20:45
  • 自宅に帰るとすぐにフーマーから洗濯洗剤と、ついでに頼んだ晩酌用のお酒が届く。
  • 洗濯を回し、晩酌開始。
  • 22:00
  • 週末のイベントのお誘いが来たので、Wechatでシェアしてもらい、Wechat上でチケットを予約。
  • 24:00
  • 就寝

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このように、デジタルによる利便性という意味では日本以上になってしまった中国ですが、結果として「利便性というマスを取れる余白」がプラットフォーマーによって取りつくされてしまい、多くの日本人が求めるようなバズりやすいキャッチーな事例が出てこなくなってしまった、というのがおそらく真実ではないでしょうか。

しかし、ある意味で日本のあるべきアフターデジタルに近い、「生活における意味合いを提起するようなサービス」が新たに生まれており、特に日本のメーカーが標榜する「サービサー化」において参考になるような事例が次々と生まれているように思います。

利便性と品質が同居し始める

変化をイメージしていただくために、箇条書きで「新たな動き」をまとめていきます。

  • 前著では「スターバックス派の私は、ラッキンコーヒーの便利さを知り、スターバックス1日2杯派から、ラッキンコーヒー一日3杯派に変化した」と書きましたが、現在の私は、スターバックス1日3杯派に戻っている。この事例では、「ブランド価値」がデジタルを駆使することで如何に次のステージに変化するかが体現されている。

  • リアル接点とデジタル接点の双方の強みを使った上で、高いロイヤルティや高い再購買率を生み出すようなOMO型ビジネスが数多く生まれ始めている。特に、「ブランド力」「新たな生活スタイルの提案」といった、従来中国が苦手としていたような領域においても、目を見張る事例が生まれ始めた

  • 日本においてスーパーアプリを標榜するプレイヤーが、軒並み中国における「ミニプログラム」と機能的に類似する「ミニアプリ」を作り始めているが、2017年1月からミニプログラムの展開が始まっている中国においては、既に成功事例や失敗事例、適したシーンと適さないシーンが明確になり始めている。

  • 前著でも取り上げたフーマーは、大成功(2018年の売上が約2,300億円)となった上で展開を失速させている。これは「既にターゲットとなる市場を概ね獲得しきったため」であり、2019年からは新業態の展開を強化し、新たな層の生鮮購買シェアを獲得しに行っているためである。

  • 国家レベルでの国民の移動データ履歴管理を元に、新型コロナウイルスの拡大を阻止するサービスが提供されており、収束に向けた活用がされている。

むしろ一旦デジタルによる社会アップデートが完了したことにより、「何ができるのか」がよりクリアに見えてきたり、「ブランドがデジタルと組み合わさることでどのように活かされるのか」という従来の先進国における大企業にとって示唆深い取り組みが行なわれるようになってきています。

これについては、第二章で大きく取り上げていきたいと思います。

1-4. インドに見る「サービスとしての政府

GaaSという行政のあり方

今回のメイントピックではありませんが、デジタル浸透によって政府や社会機構も、体験提供型やサービス型になっていく傾向にあります。SaaSやMaaSと同様に、Government as a Service(サービスとしての政府)と言われ、「国民をユーザとし、如何に多様化するユーザに対応する行政サービスを提供をするか」という考え方になっています。グローバルにおける近年のGaaSトレンドや思考の仕方は、若林恵氏の「NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方」に詳述されています。

この若林恵氏のまとめた書籍では、前著のアフターデジタルで触れたエストニアもGaaSや次世代ガバメントの文脈で語られるべき行政システムであるとしながら、多くの国民がスマートフォンを手にした状況を踏まえて、X-Roadと呼ばれる、全国民にデジタルIDが付与された状態でのガバメントの基本OSが作られ、「そこを使って個人は、ありとあらゆる自分の行政データにアクセスし、それを取り出したり更新したりすることができるようになって」いると書かれています。住民票や戸籍謄本、パスポートの更新など、日本ではハンコや証明書を持って役所に出向いて処理する必要がありますし、選挙も基本は投票所に出向いて実施する必要がありますが、こうした処理は全てオンライン上で済むようになっています。

同書において同様に語られる事例として、インドが挙げられます。13億人という人口を抱えながら、民族も言語も宗教も多様で、かなり大きな経済格差がある中で、銀行口座を持たない人もたくさんいるこの国では、貧しい地域に補助金を出すにしても、銀行口座がないため遠くの農村までお金を輸送し、その途中で何故かどんどんお金が減っていって消えてしまう、なんていうことも頻繁に起こっていたそうです。そもそも、「貧困層」ともいえるような人たちがどこにどれほどの人数いて、どのような状況に置かれているのかすら分からない状態でしたし、一方で課税をするにも人数が多すぎて対象が不明瞭であるため、上手くいかないという状況でした。

この無駄をなくすため、デジタルIDを13億人全員に発行するというデジタルインフラ整備に着手、2009年に開始して既にこれが完了しているそうです。このインド式マイナンバーは「アーダール」と呼ばれ、顔認証、指紋認証、虹彩認証でIDと個人を紐づけています。こうしたデジタルID基盤が揃い、このIDを持っていれば身分が保証され、携帯電話を買うことができ、銀行口座を開くこともできるようになります。先ほどお伝えした補助金はもちろんその銀行口座に送金され、携帯電話さえあればオンラインで受け取りや処理が可能になりますし、このIDによる身分証明を背景に、補助を受ける対象なのかどうかが明確になるため、医療や教育も受けられるようになります。

民間企業の可能性を高めるための仕組み

インドのGaaS対応において素晴らしいのは、更にそこからインディアスタックと呼ばれる、「誰でも使えるオープンAPIの仕組み」を作ったことで、ビジネスプレイヤーを巻き込んで浸透させたことにあります。オープンAPIというのは、企業や個人で作ったアプリやプログラムが、特定のデジタル基盤(この場合は国民ID)と簡単に連携できるようになる仕組みを指しています。例えば日本での手続きを考えるとハンコやサインなどの署名が必要なシーンがありますが、これではデジタル上で企業が登記をしたり、契約書を取り交わしたり、と言ったことが難しくなります。とはいっても全ての人や全ての会社がこれを求めているわけではありませんし、人や企業は生まれたり成長したりするので、国からわざわざ署名を割り当てず、それを必要とする会社や個人が自ら署名を作成できる規格を作り、作成した署名をデジタルIDと紐づけられるようにしました。こうした「国のシステムへの紐づけや情報連携」が署名だけでなく、「認証」「決済・送金」「書類作成・承認」などの領域でも可能になりました。この結果、13億の国民に接触できるようになったため、例えば「医者のいない村にスマートフォンで医者に掛かれるような仕組みを作るスタートアップが生まれる」など、課題を抱える農村部を中心に教育や医療を提供できるようになりましたし、容易に本人確認が取れてオンラインで完了できるようになるため、保険や金融商品なども市場が一気に開けました。結果日本でもオンライン上で完了できないようなことが、数多く実現されており、更にはこのデジタルIDのアーダールと、オープンAPI基盤であるインディアスタックを活用することで、企業がビジネスをしやすくなり、人々の生活がより便利になる形を実現しています。

始めは「銀行口座も持たない貧しい生活をしている人たちが多くいる社会」が起点となり、既得権益も基盤もない中で、新たな技術を使って基盤を整えることが出来たという点で、日本ではなかなか起き得ない状況かもしれません。とはいえ、中国の事例では「それは国が中央集権の管理社会だから」であるとか、インドにおいても「それだけの社会課題があったから」であるとか、理由はいくつでも挙げられるものの、現状では利便性や実効性の面で追い抜かれ、日本企業や日本政府が事例を学びながら次世代のガバナンスを研究しているような状態にあることは、認識しておくべきでしょう。

私たちにとっての重要な学びは、「官と民を如何に混ぜ、経済を如何に巻き込んでいくか」という観点ではないでしょうか。エストニアは限られた国土と資金の中で国家のデジタル化を推進し、その魅力を使って国外の人々であっても簡単にエストニアのビジネス銀行口座を開設したり、エストニアで法人を設立したりということが可能になり、国力を強めていると言えます。中国やインドのような大量に国民がいる国は、デジタル活用を通して、国民の抱える課題を解決することと企業がビジネスチャンスを見つけることの双方を手助けする仕組みを作っています。どの事例も、国がかなり強引に進めてはいますが、そこには国のユーザたる国民と、経済を推し進める企業にとってメリットがあることが明示され、それに従うインセンティブが働いています。どの領域は民間に任せ、任せるにしても環境を設計した上で実行されている点で、UX的な視点が取り入れられているのが特徴です。

1-5. アメリカから押し寄せるD2Cの潮流

プラットフォーマーへのカウンターとしてのD2C

アフターデジタルというシリーズでは、中国事例を中心にその他の国にも触れながら、共通で起きうる世界の変化を紐解いています。一方で、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)という世界最強のプラットフォーマー陣が君臨するアメリカにおいて、GAFAへのカウンターとも言うべき動きも起こっており、こうしたプラットフォーマーに頼りすぎず、テクノロジーをまとったブランドが中間業者をなるべく挟まず顧客とダイレクトにつながり始める動きが生まれています。それが近年言われるD2C(Direct to customer)という概念で、アメリカと同様にGAFAが浸透する日本においては参考にすべき潮流ですし、既に日本でも様々なD2Cブランドが現れています。

佐々木康裕氏の書籍「D2C 『世界観』と『テクノロジー』で勝つブランド戦略」(2020年1月発売)には、たくさんの事例とともに、このD2Cが単なるバズワードでもなく、単なる顧客へのダイレクト販売でもなく、新たな時代における重要な業態であることを詳しく説いています。

佐々木氏はこの「世界観」という言葉を「ユニークで心に刺さる、ブランドの見た目、語り口、振る舞い、佇まいについての基本方針とその実装」と表現しており、D2Cブランドはプロダクトを販売しているのではなく、世界観を販売していると説いています。SNSや自社メディアでいくらでも顧客とつながることができる現在、世界観に共感してくれる顧客をあたかも友人のように巻き込んでいくことで、SNSでの投稿は無限に増殖していきますが、こうした状況を起こしていくためには、世界観を売るだけではなく、様々な点で思想を転換する必要があります。例えば、顧客との関係性は「単発取引」から「継続的会話」へ、「購入してもらう」ものから「自己実現に成功してもらう」ものへ、また商品も「売る」ものから「一緒に作る」ものへ、といったように、従来の製品販売型ロジックとは一線を画す思考法になっています。

D2Cも「体験提供型」への変化

イメージをしていただくために、この書籍に出てくる、アメリカの寝具マットレスにおけるD2CブランドであるCasperを例にとって説明しましょう。これまでのマットレスは「安い、丈夫、長持ち、大きい」といった機能的価値のみを訴求しされた商品を百貨店で購入したら、あとは配送業者から段ボールに入れられたマットレスが送られてくるだけのものでした。

これに対してCasperは、「睡眠は人間のウェルネスを決める重要な要素」とした上で、ウェルネスをテーマにした雑誌を自社で創刊したり、睡眠やウェルネスについてのポッドキャストを展開したりすることで、スタートアップにも関わらず、質の高いブランディングを打ち立てました。こうしたブランディングにおいて圧倒的なセンスを提供しながら、購入においてもオンラインで簡潔にオーダー出来て、100日間は返品可能、商品が届く時も独自にデザインされた、美しいだけではなく女性一人でも運搬可能な小型サイズのパッケージに入ったマットレスが届く、といった形で一連のUXが設計されています。購買後においても、特定のモニターのベッドにセンサーを組み込み、得られたデータから次の商品の改良を行うため、Casperのファンになるとまたこの体験をしたくなる、というところにまで及んでいます。結果、明らかに従来型の「製品販売」のみを目的としたマットレスメーカーとは一線を画して新たな競争軸を持ち込み、創業2年目には200億円の売上を達成しているそうです。

ブランドの世界観を押し出し、テクノロジーを駆使してこれを伝えた上で、顧客に製品を販売するモデルからリレーションを作っていくモデルに転換しているという点で、アフターデジタルで伝えている「バリュージャーニー型」と同じ考え方に根差していると、私は考えています。中国事例やGaaSのように幅広く社会変化を起こしていくケースとはまた異なり、日本が比較的得意なモノづくりやブランディングを、体験提供型にシフトさせている点で、バリュージャーニー型ビジネスとして非常に参考になるのでは、と思います。

1-6 日本社会、変化の兆し

何故日本は遅く見えるのか

前著アフターデジタルを読んだ方々から、「日本はまだまだ進んでいると思っていたが、圧倒的に遅れていると感じた」といった類の声が良く聞かれました。その上で、「これだけスピードが速い中国に対して、日本が遅い、または遅く感じるのは、何が最大の理由なのか」という質問を多く受けました。

様々な理由が複合的に絡んでいるので、「最大の理由」を一つに絞り込むことは出来ません。当然十分な利便性を持ったインフラが整備されていなかった環境に、モバイルやAIなどの新たなテクノロジーをベースとしたインフラを作り上げることが出来たという、いわゆる「リープフロッグ現象」や、30年間経済成長を続ける国の変化需要度の高さ、高い社会解決意識、社会変革意識を持った企業家の台頭、14億人という人口と貧富の差による労働力の確保など、様々な理由が挙げられます。

ただそれを踏まえた上で、「自分の思う最大の理由を一つ上げろ」という無理難題を浴びせられたときに私が答えているのは、「日本はホワイトリスト方式、中国はブラックリスト方式の管理体系だから」という回答です。

ホワイトリスト方式というのは、「やっていいことを決め、それ以外はやってはいけない」という管理の仕方で、決めたことしかやってはいけないため、自由度が低くなります。一方でブラックリスト方式は、「やってはいけないことを決め、それ以外は一旦やっても良し」という市場原理に任せた管理の仕方になります。中国だけでなく、アメリカもこの方式に当たります。これだけ聞くと、後者の方が圧倒的に良く聞こえるかもしれませんが、もちろんリスクもあり、後者は企業や個人に責任を負わせることになるため、社会問題化した場合に大企業であろうと容易に潰れるリスクがあります。

中国の場合はここからさらに、国の方針として重点領域を決めます。例えば「特定の領域のデジタル推進を推奨する」というと、規制緩和や国からの投資を受けることができたり、逆にあまりに従わないと指導を受けるリスクさえあるため、国全体の経済の流れがそちらに傾きます。このようにして、ブラックリスト方式が持つ自由度もある程度コントロールして、国が持っていきたい方向に発展させるという手法が取られています。

他にも、日本は各国の動きを見て事例として学んでから動く傾向があったり(産業革命においてもそうだったと言われています)、目的よりもプロセスを重んじる傾向にあったりという話も、良く言われるところでしょう。確かにそういう傾向があることを感じつつも、新しいことを始めにくい環境設計になっていることは、かなり大きな要因であると考えています。

大きな転換点となった2019年

そのような環境ではあっても、2019年はペイメント競争を始め、大きな変化があった年と捉えるべきであると思っています。

まず国の動きを見ても、DX、つまりデジタルトランスフォーメーションに対して本腰を入れ始め、経済産業省によるDX格付けが始まったり、G20においてはデータフリーフローウィズトラストという、データについての基本的な考え方が日本起点で発表されました。経済産業省のキャッシュレス推進室では、キャッシュレスの社会浸透を目的に、「キャッシュレス・ポイント還元事業」が発足して、巨額の予算投下が行われました。

キャッシュレスへの巨額の投資は、ご存じの通り各決済事業者も行なっています。ここにおいてはかなり中国の事例を踏襲しており、「キャッシュバックキャンペーンによって如何に使い始めてもらい、如何にシェアを取るか」という競争をしている点や、その中でどのようにマネタイズが可能かを検討する中で、スーパーアプリ化とミニアプリが検討されている状況です。ミニアプリについては第2章4節で詳述します。

加えて大きなブームとなったのはOMO、Online Merges with Offlineの考え方でしょう。前著では大きく取り上げ、表紙にもその文字を入れていますが、想像以上の盛り上がりを見せています。LINEが戦略方針を発表したLINE Conference2019では、LINE×OMOという言葉が大々的に提示されていましたし、OMOという冠を付けたイベントも世の中で多く展開されていますし、良し悪しはともかくOMOを謳う事例も散見されるようになりました。

前述のD2Cの流れや、タクシーアプリ、デリバリーフード、ピックアップなどの利用頻度向上、これまでにない体験型ショッピングモールの登場、ペイメントの2大巨頭ともいえるYahooとLINEの経営統合、さらに2020年に入ってからはさらにトヨタによるスマートシティ構想など、「アフターデジタル的」ともいえる流れが加速した1年だったのではないでしょうか。

発信をしている身として、変化が始まっていることに対して一定嬉しさもある一方、環境が違うにもかかわらず中国サービスの物まねをしていたり、顧客不在のビジネスプラン、及びシステム導入先行型のDXが数多く存在していたり、データ活用に関する幻想や理解の低さから意味のない理想像が描かれてしまっていたり、といった点をもどかしくも思っています。

端的に問題点を描写すると、UXへの注力がされていないDX、顧客の状況理解のないDXプラン及びプロセスのデジタル化などほとんど成功しないということに尽きるのではないでしょうか。こうした環境を踏まえて、アフターデジタルへの対応やOMO実践の、日本における問題点や、実行の要点を3章以降でお伝えしていきます。

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第2章 アフターデジタル型産業構造を如何に勝ち抜くのか

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2-1 変化する産業構造とそれぞれの動向

第1章1節アフターデジタル概論の最後で、「バリュージャーニーが主導するアフターデジタルでは、産業構造が大きく転換する」と書きました。日本ではまだ明確にこの産業構造の転換が来ていませんが、アフターデジタル型産業構造を一足先に体験している中国においては、既に各企業がこの環境変化の中で対応を始めています。プラットフォーマー、サービサー、メーカーの各レイヤーごとに、どのような打ち手を取って勝ち抜いているのかを整理することは、ビジネスを進める方にとって有意義なインプットになるでしょう。本章では大きく4つの動きに分けてご説明していきます。

  • プラットフォーマーレイヤーがどのようにその位置に君臨したか。
  • メーカーレイヤーがどのようにサービサーを目指しているか。
  • サービサー勃興時代におけるToBビジネスの在り方とは。
  • アフターデジタル環境に置かれた海外レガシー企業はどう生き残っているのか。

なお、何度も申し上げるように、中国と日本では環境も異なり、全く同じことが起こるわけではないため、事例をそのまま鵜呑みにするべきではないと言えます。しかし、デジタルリアルの融合型モデルで如何にジャーニーを作っていくのか、どのようなビジネスモデルを組むのか、といった点においては世界最高の事例が揃っていると言えますし、Googleのようなアメリカ先進企業も中国に学びに来る状況が続いています。こういった視点で、本章の事例を眺めていただければと思います。

2-2 決済プラットフォーマーの存在意義

決済プラットフォーマーは、アフターデジタル社会において最も強い地位を獲得しますが、決済という機能を持ち、シェアが取れたからといって「決済プラットフォーマー」の地位が獲れるとは限りません。

スーパーアプリ合戦においては、日本に限らずどの国においても、中国の状況を模倣、追従しています。しかし、一体何故中国でそこまで普及することが出来たのか、中国の一般市民からどのようなサービスとして認識されているのか、といったことは意外と知られていません。ここでは、中国版GAFAとも呼ばれる、世界時価総額ランキング*6位のアリババと、9位のテンセントが、どのように決済プラットフォーマーの位置にたどり着いたのかをひも解いていきましょう。

重要なポイントは、アリババとテンセントは異なるミッション、役割、ビジネスを持つ会社であり、それらがサービスにおける展開戦略から細やかなUXにまで一気通貫していることにあります。アリペイとWechatペイにおいてもそれが反映されており、異なる利用シーンで使われるため、ほとんどの人がアリペイとWechatペイの双方を頻繁に使っている状態にあります。

全てのUXはミッションによってユニークなものになる

アリババは「デジタルによって商取引を円滑にし、中小企業を支援する」ことを自社のミッションとしています。ジャック・マーによって1999年に創業されました。GAFAに例えるならアマゾンに近い、中国最強のECのプレイヤーで、BtoCのECにおいて52.5%(2018年時点)のシェアを保持しています。前著でも記載したOMO型スーパー「フーマーフレッシュ」のようにリアルにも大きく展開をし、ニューリテールと言われるデジタル融合型の小売において、世界をけん引しています。有名なアリペイや信用スコアのジーマクレジットは、2014年に子会社としてスピンアウトしたアントフィナンシャルによって運営されており、このアントフィナンシャルは世界のフィンテックランキングでも1位を獲得しています。

対するテンセントは「全てをコミュニケーション化する」というミッションを持っています。ポニー・マーによって1998年に創業され、GAFAに例えるならFacebook、日本で例えるならLINEにあたる、SNSやコミュニケーションのプレイヤーと認識されることが多いようです。しかしその実、売上の半分以上が、ゲーム(ネットゲームやモバイルゲームなど)から生まれていますし、以前テンセントにお邪魔したときには、7万人近くいる社員の半分はゲームの開発スタッフだ、と仰っていました。ゲームを主軸にしながら、創業当初はSkypeのようなメッセンジャーでありながらゲームや音楽のプラットフォームにもなっているQQでユーザを獲得していきました。最も有名なコミュニケーションアプリであるWechatは10億人のユーザを抱え、モバイルペイメントもこのWechatの中に入っています。アリババと比べてもエンタメに強いプレイヤーであり、テンセントミュージックは中国でシェアトップの音楽サービスで、Spotifyと提携もしています。

この2社を簡単にまとめるにあたって、あえて一番初めにミッションを記載しました。それは、彼らが自社のビジネスドメインを業界のカテゴリで切っておらず、このミッションに関わる領域に拡大していくような企業だからです。裏を返せば、例え同じ業界・カテゴリでサービスを行なっていようとも、彼らは異なるミッションでそのカテゴリを捉えているため、同じようなサービスにならないのです。

「お金を送金する」という機能を例にとってみましょう。

アリペイでもWechatペイでも、相手にチャットのように送金できる同様の機能があります。しかし、アリペイは送られてきたお金がそのままウォレットに入る一方、Wechatペイでは送られてきたお金を「受け取る」というアクションを取らないと、ウォレットに入りません。中国に住み始めた頃、私はこの「受け取る」というアクションを忘れがちで、受け取り逃したことが何度かあり、「Wechatペイは何故いちいち受け取らせるんだ!アリペイの方が圧倒的に便利だな」と思っていました。

しかし、ある日のある体験で、私のWechatに対する認識が大きく変わり、Wechatペイが好きになってしまったことがあります。

ある日、部下を数名連れて、プロジェクトの打ち上げに行ったときのことです。楽しく食事を終え、上司の私は当然メンバーに「今日は僕のおごりだから、払わなくていいよ」と伝えました。すると一人の部下が、「藤井さん。こんなにお世話になって、むしろ私の方こそ感謝をしないといけないのだから、私もお金を出します!」と言ってくるのです。「いやいや、要らないから」と笑っているとその部下は「100元だけでも払います!」と言いながら、なんとWechatで100元送ってくるのです。

この時、はっと気が付きました。これは、日本でもよくある「とりあえず財布を出して、お金を出す気がある雰囲気を出しておく」という行動なのではないか、と。

試しに、「え、じゃあ本当にもらっちゃうよ?」と私が受け取りボタンに指を伸ばそうとすると、その部下は若干「え?」みたいなリアクションを隠しきれないまま、「も、もちろんです!受け取ってください!」と言ってきます。もちろん、嘘だよと言いながら受け取らなかったわけですが、「全てをコミュニケ―ション化する」テンセントは、「お金の受け取り一つにもコミュニケーションが発生する」と考え、日本で言うところの「財布を出すポーズ」をデジタル上でもやらせてくれるところに、私は「なるほどな」と思いました。Wechat上では、なるべくタッチする数が少なくて済むように無駄が省かれているのに、ここであえて「無駄」を作っているのはそういうことなのか、と。

一方、アリペイはあくまで「商取引の円滑化」。割り勘する時を想像すれば、たくさん人数がいればいるほど受け取りのアクションが増えていくわけですから、彼らからするとこのコミュニケーションは「無駄なこと」に映ります。これが上述した、「同じサービスをやっていたとしても、異なるミッションを実現することを優先しているため、同じようなサービスにならない」ということを示しています。

展開戦略にも色濃く反映される企業ミッション

ペイメントを普及させる展開戦略においても、ミッションがもたらす差異は色濃く出ています。アリペイは一つ一つ丁寧に合理的に、ユーザと加盟店のペインポイント(課題、悩み、お困りごと)を紐解いていきますが、テンセントはゲーム的にバイラルで広める、という手法を取っています。

アリペイはそもそもモバイルペイメントではなく、ペイパルのようなエスクローサービスとして2004年から始まっています。中国では相手を信用することが簡単ではないため、アリババのEC、タオバオにおいて商談が成立しても、販売者と購入者が互いに「そっちが先にモノ/カネを送れ」という形で、にらみ合いになってしまいます。そこに、アリペイが仲介に入って、「まず購入者さんは私に代金を送ってください。送られてきたら、販売者さんにそれをお伝えしますので、販売者さんは購入者さんに商品を送ってあげてください。商品が購入者さんに受け取られたことを確認したら、代金を販売者さんにお支払いします。」といった役割を持ってくれます。これによってまず中国国民から信頼されるサービスになっています。

スマートフォンが登場して程なく、アリババでは「今後携帯端末を使ったペイメントが当たり前になるはず」と考え、モバイルペイメントの実現に動き始めます。まず重要なのは、アリペイの中にお金を入れてくれるユーザ数を確保することだったため、アリペイにお金を預ける金利7%でお金が増えていく」というキャンペーンを行うことで、一気にユーザに入金させることに成功します

アリペイ上にお金が入っている状態を作ったら、次のハードルは「使える店がない」ことになるため、加盟店開拓をしていくことになるため、都市特化型で、バーコードリーダーを無料で配る「ばらまき戦略」が使われます。ただし、無料でばらまいたところで、使ってくれなかったり、受け取り拒否されてしまったりするため、顧客情報の可視化や、別のプラットフォームでのクーポン発行などのインセンティブ付けを行ないながら展開していったそうです。

このように、

  • 多くの人がECで利用する、信頼あるサービスになる
  • 金利を付けて、アリペイ上にお金を入れさせる
  • 街中に加盟店がたくさん存在する

という状況を、上手く作っていったことがお判りいただけると思います。

通常新たなペイメントサービスを使おうと思ったら、以下のような状況が発生します。

  • まずアプリをダウンロード
  • ユーザ登録を行うために様々な情報を入力
  • 入金するためにクレジットカードなどの紐づけを行なう
  • その上でどの店で使えるのか不明

しかし、アリペイは元々ECプレイヤーであるという強みも活かしながら、これら一つ一つハードルを丁寧に取り除くことで、「アプリを落としていつものアカウントでログインすればすぐに使える」という状況を作り出したことで、時間をかけて広まっていったのです。

一方、テンセントが広まった話はかなり特殊で、ビジネス脳ではなかなか思いつかないアイデアを使っています。これをご理解いただくためには、とある機能を説明する必要があります。「紅包(ホンバオ、またはレッドポケット)」という機能です。

日本でいう「お年玉」のことなのですが、中国では大人が子供に配るだけでなく、忘年会や納会のような場において、上司や部下、会社から社員へ、紅包が配られる習慣があります。文字通り、赤い包みに現金を入れて皆に配るわけです。このWechatの紅包機能は、こうした文化をデジタル化したものでした。

どのような機能かを簡単に説明しましょう。以下の3つのキャプチャをご覧ください。

まず、Wechat上で紅包を送りたいグループ(LINEグループとほぼ同様)を選んだ上で、左の図のように、「10元を2人で山分け」という形で「総合金額」と「山分けできる人数」を入力します。これをグループに投稿すると、中央の図のようにグループに投下され、早いものがちで奪い合います。右の写真のように、獲得金額は均等ではなく、「お金を受け取れる人は早いものがちだけど、受け取れる金額はランダム」になっています。

中国駐在を始めた頃、この噂を聞いていた私は「是非試してみよう」と思い、ビービット上海オフィスでの忘年会で皆が食事をしている中、突然「1,000元を5人で分ける」という設定で紅包を投げてみました。すると、気づいたメンバーが「わあ!なんか紅包が届いてる!」と驚き、他のメンバーも我先にとWechatを開き始めます。

私よりも役職の高い数名が後追いで紅包を投げ始め、「また来た!」「やった!今度こそ受け取れた!」と、忘年会はかつてない盛り上がりを見せ始めます。

私の会社では上海と台北のメンバーが全員同じWechatグループに入っているのですが、ふと気づくとそこに参加していない台北のメンバーが、何故かお金を受け取っていることに気づきます。すると上海の社員が「台北メンバーが受け取るなら、台北オフィスのトップも紅包を投げるべき」と言い出し、更に盛り上がりは台北にまで飛び火して、拠点を超えてデジタルが融合した宴会になっていきます。

しかし一方、台北ではWechatは一般的ではなく、ペイメントも普及していないため、上海に出張経験のない社員は、Wechatペイを開通しておらず、お金を受け取れない、という事態が発生していました。火付け役になった私は、そのメンバーに「盛り上げちゃってごめんね、大丈夫だった?」と謝ると、そのメンバーから「全く参加もできないし、皆お金もらって得しているのに私は全く得をしないし、最悪の気分でした」と怒られました。実は、まさにこれがWechatペイが普及した理由なのです。

Wechat自体も、早い段階からペイメント機能は付けていましたが、ITオタクのようなギークたちが、お金を普通のチャットと同様に送れるのを面白がって送金していました。テンセントの方の話を聞くと、明確にこの人達を火付け役にするためにターゲットを絞っていたそうです。

元々文化的に存在していた「ただ受け取るだけの紅包」を、「コミュニケーションを生み出すデジタル紅包」として忘年会のシーズンにゲーム化し、元からWechatペイを使っていたITギークが、実際の忘年会を通じて会社に広め始めます。やってみると楽しく、しかもお金がもらえるわけですから、皆がペイメント機能を開通し始めます。日本の感覚からするとイメージしにくいかもしれませんが、多くの企業は会社のWechatグループを作っているため、会社のグループチャットというコミュニティを使って「面白さ」を使ってバイラルで広めていく、まさにコミュニケーションに特化したゲームカンパニーならではの方法と言えます。

最終的には中国の紅白歌合戦に当たるイベントとテンセントが提携し、テレビ画面上にQRコードを出してWechatで読み取り、携帯を振るとお金がもらえるというキャンペーンを行い、その時点で、家族には会社の忘年会で紅包を経験した人がいるので、今度はその人が火付け役として使い方を説明してくれるようになります。ITギークから企業に広まり、企業で働く人から家庭に広まっていく、というアリババとは全く異なる形で展開されていきました。

機能やUXだけでなく、展開戦略にまでその企業の「社人格」のようなものが立ち現われ、だからこそユーザに「この企業はこういう存在である」という認識がされるのだ、ということが伝わったでしょうか。とはいっても、中国のあらゆる企業がこのようにミッションを大事にしているというわけではありません。単に機能を模倣してプロモーション合戦をして疲弊するケースがほとんどですが、そういった機能模倣のプレイヤーは潰れていき、勝ち残るプレイヤーにおいては、ミッションを元にした社人格がジャーニー上の全ての顧客接点に反映されているような企業が多いと言えるでしょう。この視点から、「日本におけるプラットフォーマーが存在するのならば、どのような存在であるべきか」を考えられると良いのではないでしょうか。

なお、「ミッションが全てを規定する」と言うのは、決済プラットフォーマーに限らず、全てのサービサーにおいて同様に重要であると考えています。しかし、多機能になり、サービスとしての目立った特徴がなくなっていけばいくほど、このミッションの定義がぼやけていったり、投資提携合戦になって同じようなアセットが並び始めると競合との差別化要因が失われていったりするため、特に決済プラットフォーマー(≒スーパーアプリプレイヤー)に代表される多機能サービスであればあるほど、気を付けるべきポイントであると考えています。

2-3. 「売らないメーカー」の脅威

アフターデジタル型ヒエラルキーに対して最も恐怖を感じているのは、メーカーのプレイヤーだと言えますし、トヨタが「モビリティサービス・プラットフォーマーになる」と標榜していることからも、多くの企業がこの危機感を持っていることは窺い知れます。

特に顧客接点の頻度が低いプレイヤーは、顧客理解の解像度がどうしても低くなってしまいますし、一度購入や成約があるとその後は全く接点が取れない、と言うこともしばしばでしょう。

それでは、アフターデジタル時代真っただ中の中国のメーカーは、どのようなモデルチェンジを行なって時代に対応しているのでしょうか。今回いくつかご紹介する事例には、読者の方が働いている業界どんぴしゃりではないかもしれませんが、どのように接点を構築し、顧客との関係性を作っていくのかについては、参考になる事例だと思います。

「鍵を渡してからが仕事」の自動車メーカーNIO

中国の次世代EV(電気自動車)メーカーの中で、最も販売台数が多いのがNIO(ニオ、上海蔚来汽車)というメーカーです。「テスラキラーの筆頭」とも呼ばれるテスラの競合で、自動運転やAIなどの導入も含め、先進的なブランドイメージと機能で注目を集めています。ただし価格はテスラの半額程度で、約600~700万日本円です。

NIOにテスラをどう思うか聞いてみると、明確に意識をされていて、「我々の会社の中では、テスラは鍵を渡すまでが仕事だが、NIOは鍵を渡してからが仕事だ、と言っています。我々が提供しているのはライフスタイル型の高級会員サービスのようなもので、それの会員チケットを買うために600~700万円程度払ってもらい、ギフトとして車を差し上げるような感覚なんです。」と語ります。

気になる「会員サービス」とはどんなものなのかというと、以下の4つが主なサービスになります。

  1. NIO POWER(充電関連)
  2. NIO SERVICE(メンテナンス・サポート)
  3. NIO HOUSE(会員用ラウンジ・イベント)
  4. NIO APP(コミュニケーション・EC)

1と2が、「車を使う上でのペインポイントを解決する、便利系サービス」であるのに対して、3と4は「ライフスタイルに新しい意味をもたらすサービス」ということが出来ます。

NIO POWERは電気自動車用の充電サービスで、なんと3分でフル充電出来たり、充電デリバリーまでしてしまいます。

電気自動車のペインポイントの一つに「充電に時間がかかる」ということが挙げられますが、NIOは大きなコンテナ型充電ステーションで、電池パックごと入れ替えてしまいます。これによって3分でフル充電してしまうそうです。さらに旅行中や移動中であっても充電しやすいように、充電カーが指定した場所まで来てくれるという電力デリバリーも行なっています。実際に使っているユーザに聞いてみると、「旅行に行く時、空港に車を預けて、アプリでNIOのスタッフに『この空港のこのあたりに止めてあるので、何日後に帰ってくるから、それまでに充電をしておいて』と伝えておくと、帰ってきたら充電されているのでとても便利」と話していました。なお、NIO POWERは無料版では町中にあるNIOの充電ステーションが使えて、アプリでその場所を検索できる程度のものですが、年に10,800人民元(日本円で16万円程度)支払う有料サービスにすることで上記のデリバリーや電池交換が使えます。大変好評であるため、現在NIOではない他の電気自動車メーカーのユーザに対しても有料サービスとして提供を開始しており、機能単体でのマネタイズが行なわれています。

次にNIO SERVICEですが、年間14,800人民元(日本円で23万円程度)支払うと、メンテナンスサービスや修理、保険、Wifiの使用量グレードアップ、空港の駐車場無料など、様々な特典がつきます。こちらも、ユーザに聞いてみたところ、「今まではメンテナンス出すときに、本当は子供と遊んでいたいのに土日のうち一日を潰して、メンテナンスに出しに行って数時間待つ、みたいなことは当たり前でした。それが今は、今日は雨が降りそうだから一日家にいよう、と思ったタイミングでNIOのスタッフにメンテナンスをお願いすると、家まで来てくれて、車の鍵を渡すと彼が代わりにメンテナンスに出して帰ってきてくれます。一日子供と遊んでいられるので、生活の質が上がりましたね。」と話していました。

通常、カーメーカーにとって「顧客接点」を持つことが非常に難しく、一回購入されたらその後の顧客との関係性は切れてしまうのですが、こういった定常サービスによって接点を確保し、いつでも顧客の相談に乗れるような関係性まで作っています

しかし、これに留まらない「ライフスタイルに意味をもたらすサービス」によって、NIOは更に顧客と深い関係を築いていきます。

まずはNIO HOUSE。これはいわゆる会員制ラウンジで、カフェスペース、図書館、ベビーシッター用のスペース、イベントスペースなど様々な機能を持っており、例えば子供を預けて自分は買い物に出かける、なんてことも可能です。さらに一日に1~3回、毎日イベントが開かれていて、親子で学ぶ英会話や、女性向けにヨガ教室や、NIOの幹部とNIOの車やサービスについて語るユーザ会など、様々な種類のイベントが開かれています。

日本でもこういった会員制ラウンジはありますし、そういった方々からこのNIO HOUSEを見ると、大した驚きはなく、自社の取り組みの方が品質が高く見えることがあるようですが、OMOの事例はリアル側のみ観察しても全体像は全く見えません。重要なのは、このラウンジとアプリの連携にあります。

NIO APPというアプリで何が出来るかというと、まずSNS機能としてユーザが「NIOのある生活」を投稿しています。数百の「いいね」がついている投稿が散見されるほど、非常にアクティブで活気のある専用SNSになっています。イベント最新情報を見て参加予約をしたり、新しく出た車の市場予約をしたりすることもできますし、毎日ログインするとポイントも貯まっていき、そのポイントを使ってNIOグッズ(服、文房具、食器、テント等レジャー用品など、かなり広範囲)や、NIOが選んだ商品や旅行を購入したり、NIO HOUSEで飲むコーヒーにも使えたりします。

ラウンジとアプリの連携とは、場でつながる人の縁を上手く利用して、双方をもっと使うようなジャーニーを作っている点にあります。

NIO HOUSEでのイベントには、NIOの世界観に共感し、かつ600万円もする車を買えるような生活水準の方々が集まっているので、NIOのスタッフや、イベントに参加している人たちと仲良くなることも多いそうです。この時彼らはWechatだけでなく、専用アプリであるNIO APPのアカウントも交換してフレンドになります。イベントで知り合った人の投稿を見つけて、「いいね」をしたり、コメントを残したりする中で、その投稿をWechatのSNSでシェアしようとすると、「NIOのことを周りにお勧めして広めてくれている」ことになるため、ポイントをもらうことができます。アプリを使う中で試乗のお誘いが来ることもあれば、イベントの情報を見てまたNIO HOUSEに出向き、更に友達が増えて... と言った具合にどんどんとアプリを開くようになっていき、エンゲージメントが高まっていくわけです。

ラウンジはあくまでファンやフェローを繋ぎ合わせるための場でありながら、そこで完結せず、高頻度なデジタル接点に移行させて、リアルで作った縁をアプリの中で強化させ、高頻度化させることで、どんどんNIOに触れる機会が増えていくという仕掛けが作られています。このようにリアル接点の強みを活かしてデジタルの受け皿に乗せていき、またリアルに返ってくるという「ハマる楽しさ」によって強い関係性を築くことが出来ています。実際、NIOは一時期経営が傾いた局面があったのですが、その時にはユーザが周囲の友人に車を売り始めるという状況まで生まれたそうで、それによって乗り越え、今では中国の次世代EVメーカーにおいて出荷台数が最も多いプレイヤーになっています。

とはいえ彼らは「まだマネタイズを指向する段階ではない」と考えており、とにかくユーザ数と満足度を追ってファンを増やしていくことを最重視しています。そのため、まだまだ赤字を生みながら回している状況で、フェーズの変化に応じて大規模なリストラも行なっています。現状はかなり過剰サービスになっている側面もあるため、果たして長期に生き残る企業になるのかどうかを冷静に見極める必要がありますが、とはいえ現状非常に高いロイヤルティを生み、中国自動車市場においてもグローバルにおいても非常に注目される存在になっているため、デジタルとリアルの接点を繋いで関係性を築いていく事例として学んでいくことが重要と考えています。*

顧客接点の高頻度化を目指す「一発成約型」ビジネス

一度成約したらそのあと関係性が切れてしまうタイプの「一発成約」系のビジネスが、体験提供型のビジネスに進化した事例は、NIOだけではありません。他にも、顧客との高頻度な接点を持てるようになった事例をいくつか紹介します。

中国の電動バイクメーカーにNIU(小牛電動)というブランドがあります。NIOと名前が似ていて大変紛らわしいのですが、「バイクの管理とカスタマイズ」を軸に、購入後の接点を作っています。

単純に電動バイクというモノとしての機能においても、これまでの「安いだけの電動バイク」ではなく、「都会でかっこよく乗る、自分だけの電動バイク」を指向しており、安さはそのままに、デザイン性が高くカスタムしやすい作りになっています。特に重視されているのは、蓄電池の持ち運びやすさ。電池の盗難が多い中国では、電池を簡単に持ち運べて家の中で充電ができ、たとえ盗まれてもGPSで場所を調べることが出来て、かつこの蓄電池を使ってスマートフォンの充電もできるというところで、ユーザのペインポイントを解決している機能に魅力を感じられています。

モノとしての機能だけではなく、アプリと一緒に使うことで、更にNIUのある生活を楽しめるように作られています。バイクの位置やバッテリーの位置が確認出来る機能はもちろんのこと、NIOのアプリ同様にSNS機能があり、その中では普通の投稿だけでなく、改造マニアユーザが自分らしく改造したマイバイクの写真や、改造プロセスをアップしています。

ほとんどの店舗に改造ステーションがついているので、店舗に行けばスピード上限を上げたり、カゴを追加したりといった簡単なカスタマイズから、デザインにこだわった本格的な改造まで行なうことができます。普通にバイクが欲しいだけのユーザはアプリの管理機能しか使わず、蓄電池にGPSがついていて場所を調べられるので盗まれにくいという点にメリットを感じているユーザが大部分ではありますが、マニアユーザになってくると、特定のイベントに参加したり、記事を投稿したりするとポイントがたまっていき、このカスタマイズパーツやNIU専用グッズをアプリ内のECで購入することができます。このように、購入後に更に愛着を沸かせたり、コミュニティを作っていったり、といった体験を、デジタルとリアルを融合させた形で実現しています。

こういった事例はメーカーだけに見られるものではありません。若者向け賃貸サービスの「自如(ズールー、ZiRoom)」を見てみましょう。ズールーはテンセントと提携関係にある「鍵家(Liang Jia)」という不動産+仲介業社からスピンオフしたサービスです。

大きく分けて機能は4つあります。

  1. 賃貸物件探し
  2. 生活サービス
  3. 旅行
  4. コミュニティ

賃貸物件探しは、日本にもあるようなサービスですが、中国ならではの家探しにおけるペインポイントを解決しています。例えば中国都市部では、複数人で一緒に住む「ルームシェア」は日本以上に一般的なのですが、誰か一人、他のメンバーから徴収し、まとめてお金を支払う責任者が必要です。ズールーでは、これを同居する全員がそれぞれ別々に支払える仕組みにしています。他にも中国の住宅事情として、一見良さそうに思えたので住んでみたら水回りが極端にひどい、など、すぐに気づけない品質のムラがあって後で後悔することもしばしばあるのですが、ズールーはどこの部屋でも家具や間取りが同じように作られているため、その点の不安がありません。

2つ目の「生活サービス」というのは、賃料に8%の管理費を上乗せすることで、定期的な清掃や家具の修理といったサービスを一定回数利用することができます。言い換えると、追加料金を支払ってサービスアパートメント化することが出来る、というわけです。サービス側の視点から見ると、家を貸した後でも、顧客との接点を持ち続けることが可能になります。

ここまでは、NIOの事例でいうところの「ペインポイントを解決する、便利系サービス」であると言えますが、残りの2つは「ライフスタイルに新しい意味をもたらすサービス」に当たります。

3つ目に挙げた「旅行」という機能は、中国国内で旅行するときに使える2種類のサービスがあります。まず、ズールーの家を借りている一般ユーザが、もう一部屋借りてデコレーションし、AirBnB同様、民泊用の宿にして登録をしているため、自分がズールーユーザであればその宿に泊まることが出来ます。こちらはデザインがかなりこだわられているものが多く、その代わりに値段もAirBnBレベルの印象です。一方でもう一つのサービスでは、ズールーアパートとも言うべき、ズールーが自社で抱えるマンションの空き部屋に非常に安く泊まれます。ホステルのような場所を構えている場合は、1,000円以下で宿泊することも可能です。ズールーのユーザである限りは、中国国内で旅行に行く際、このように安く良いところに宿泊することができるわけです。

最後の4つ目はコミュニティです。ズールーが自社で抱えるマンションの中にはイベントスペースがついているものがあり、ズールーユーザがそのスペースを借りてイベントをやることもできれば、ズールーが自ら料理教室や音楽・ダンスなどのイベントを開くこともあります。そうしたイベントはアプリでの通知だけでなく、アプリ内にある一定距離内に住むユーザとのチャットグループで告知されたりしています。その他にも、その地域での皆の意見を聞いたり投票したりするアンケート等もあり、新型コロナウイルスが猛威を振るった時期には、この中でサービス側の対応の悪さを追求されるようなこともあったようです。

このように、「住居・賃貸」という業界ベースでのビジネスドメインではなく、「より便利で楽しい住空間」と捉えていくと、地域での交流や旅行時の住まいまでドメインとして捉えられることで、提供価値を広げ、かつ、ユーザとの接点もより高頻度に長期に転換することが出来ます。私の仲の良い知人でもズールーユーザが2名ほどいますが、この2名はズールーの中で何度も引っ越しています。日本においては「特定の不動産仲介業にロイヤルティがあり、何度も同じところを使う」なんてことは考えにくいので、賃貸物件を決定して住み始めた後にも関係性を持てることがもたらす効果は十分にあるといえるのではないでしょうか。一人は単に家探しや住空間における利便性が気に入っているようですし、もう一人は国内を旅行することが多く、旅行の機能を使って様々な形態で宿泊するのが好きなようです。

NIO、小牛、ズールー、いずれも商品に関わるペインポイントを解決するだけでなく、ユーザにより良い生活スタイルを提案する形で、定常的に顧客との接点を持てる「体験提供型」のサービスに変化させています。これにより、商品販売型では提供できなかった顧客との新たな関係を作り出し、これを新たな優位性としながら、いつでも顧客の状態を知ることが出来ています。前著に事例としてあげた「平安グッドドクター」はまさにこうしたモデルの先駆者であるわけですが、「売ること」「成約させること」にフォーカスするのではなく、顧客にずっと寄り添うことを重視することで、他社を圧倒し、人が人を連れてくるというモデルが、多方面に成立し始めているのです。

※左から、ズールーのトップ画面、AirBnB的な民泊機能のトップ、ズールーアパートに泊まれる機能のトップ。右と真ん中では値段に大きく差があることが見て取れる。

コマースの遍在化 ~欲しいものを探さない時代へ~

ズールーにおいても、ズールーが選んだ家具、IoT家電、日用品の販売をアプリ内で行なっており、ポイントがたまったり、クーポンが使えたり、タイムセールがあったりします。NIO、小牛(NIU)含め、EC機能がついていることはもはや中国サービスのスタンダードになっているといえるでしょう。

これらの事例から、「商品販売型」から「体験提供型」になったアフターデジタル社会の1つの変化が見て取れます。それは、サービスの利便性や世界観が優位性を持ち、商品の購買がサービスのジャーニーの中に埋め込まれていく状態が進んでいる、ということです。これを「コマースの遍在化」と呼んでいます。イメージしやすい例で言うと、「テスラのファンが、テスラが出したコーヒー豆を買う」といった形で、全く関係のないビジネスドメインの商品でも、その世界観やブランドが好きなので、特に比較もせずに購入してしまうような行動を指します。現に私も、これだけ熱意を込めて話しているので、車は持っていませんが、NIOと、トムディクソンというイギリスのインテリアデザイナーとのコラボバッグを持っています。

PCインターネットの時代、何かを買いたいと思う際に起点となるのは検索でした。YahooやGoogleで検索をしたり、ゾゾタウンやアマゾンを開いて欲しい商品を検索したりする中で、価格や品質を見比べたりしていました。それが、モバイルが当たり前のように使われ、リアルとデジタルが融合して生活に溶け込む時代になり、特定のサービスへのロイヤルティが高まってファンになったり、いつも使う必需サービスになってくると、「そのサービスが選んでいる」という心理的な付加価値や、「ポイントもたまっていて便利だから」というインセンティブによって、そのサービスからモノを買ってしまうようになります。この時、検索や比較検討という行動は起こりません。

前著のアフターデジタルでも出てきた平安グッドドクターでも、歩いて貯まったポイントを使って医薬品や美容品を購入していますし、今やフーマーでも「ついでに家の清掃やクリーニングを頼む」という行動が起きています。NIO、小牛(NIU)、ズールーも同様の事例と言えます。これはアメリカではD2Cという潮流において起きていることに近いですし、日本においてもファクトリエのような「世界観」によってそこに集まる「工場直販」の商品がキュレーションされていったり、FinCのようなワンストップヘルスケアサービスによって健康食品ブランドのシェアが奪われていくようなことも当然あります。クラシルのようなレシピ動画から、そのままミールキットを購入するといった行動も、これまでは「献立を決めてスーパーに行って買う」という購買行動を、利便性という視点から切り崩しに行っているように見えます。

商品を購入しようとする意志の前に、このように利便性が高く、生活に新たな意味をもたらすようなサービスが「想起が起こる前」から顧客の心理の内側に存在することによって、メーカーや小売のシェアが奪われていく流れにあると言えるのではないでしょうか。この状況を踏まえて、今回お伝えしている「メーカーや一発成約型ビジネスがどのようにしてサービサー化したのか」という対応は重要になってくると考えています。

2-4. アフターデジタル潮流の裏をかく

前述のようにサービス優位の時代になるという「アフターデジタルの潮流」を正しく捉えると、今度は新たなビジネスチャンスが見えてきます。それが「たくさん生まれてくるサービサーに対してサービスを提供するプラットフォーム」というポジショニングです。toB向けのソリューションプラットフォームと言い換えても良いでしょう。ここでは、衆安保険とミニプログラムを例に挙げたいと思います。

全てのサービサーのための保険OEM、衆安保険

衆安保険とは、2013年にアリババ、テンセント、平安保険の3社を中心に作られたジョイントベンチャーで、2015年にはKPMGとH2ベンチャーズによる世界のフィンテックランキングで1位に輝いた中国初のオンライン専門保険会社で、2017年9月には香港でIPOを果たしています。

一風変わった保険会社であることは、商品を見れば一目瞭然です。

例えば「飛行機遅延保険」。中国は日本と異なり、飛行機が数時間遅れることは一般的です。この保険は、「自分が乗る飛行機はきっと遅延する」と思ったら事前に購入しておき、実際に遅延すると1時間だといくら、2時間だといくらというような形で保険金が支払われ、遅延しないとお金は受け取れない、というものです。ほとんどギャンブルのようにみえるのではないでしょうか。他にも「高温保険」という保険は、被保険者のいる都市で37度以上の真夏日の累計日数が規定日数を超えると保険金が出始めるというもの。飛行機遅延保険と同様で、まるで今年は猛暑かどうかをギャンブルするような保険です。

かと思えば、「糖尿病保険」という保険は、加入すると指に付けるデバイスが配られ、この痛くない無痛針のついたデバイスを使って毎日血糖値を図り、状態が改善されるとプライスが変わっていくという、IoTとダイナミックプライシングを使った正統派インシュアテック(=InsurTech、テクノロジーを使った保険という意味)です。

最も有名なのは「返品運賃保険」。中国では偽物が一定数存在し、仮に本物であっても思っていた品質でないことも良くあるため、アリババのECで物を買う際にこの保険を買っておくと、商品が届いてから正式に購入するかが決められ、気に入らない場合の返送料を保険金でカバーしてくれるものになります。

前著で事例に挙げた平安保険は、顧客ロイヤルティを重要視しているため、実際のユーザにインタビューをすると「私、平安保険が好きなんです」であったり、「平安保険は、信頼できる友人のような存在ですね」と言った意見が聞かれ、あまりのロイヤルティの高さに驚きますが、この衆安保険は異なります。試しに衆安保険の返品運賃保険を頻繁に使っているユーザにインタビューをしてみると、普段からこの返品運賃保険にはとても助けられていると語っているので、「では、衆安保険のロイヤルカスタマーなんですね」と伝えると、「何ですか?その保険会社は。これって、アリババの保険ですよね?」という受け答えをされました。

例えば、タクシー配車サービスのディディには、タクシードライバー専用の保険があります。ドライバーはディディが保障してくれていると思っているわけですが、実際には、衆安保険が商品を作って保障をしています。先ほど例に上がった飛行機遅延保険についても同じで、ユーザはそのオンライン旅行会社が保険も提供していると思っているのですが、実際には衆安保険によるものです。このように衆安保険のモデルは、サービサーが勃興し乱立する時代を捉え、そのサービサーが保険を作りたい、付加価値を増やしたいと考えた際に高速でそのサービスにおける保険商品を作る、新時代型の保険OEMということが出来ます。中の方に話を伺うと、保険を作るというよりも、体験価値を強化するサービスを提供しているという考え方に近いと言います。

商品の作り方も、通常の保険企業とは異なります。これまでの保険商品は、既存の保険商品の枠組みに合わせて、市場の環境を踏まえ、リスク計算をする保険計理人の下で保険の専門家が商品設計をします。しかし衆安保険は各業界の専門家を責任者に据えることが多いそうです。例えば旅行保険の部門であれば、オンラインの旅行会社でマネージャをやっていた人を雇い、「旅行におけるカスタマージャーニーを考えたときのリスクを考え、商品化せよ」と言われるそうです。そうしてカスタマージャーニーを丁寧に紐解くと、飛行機が遅れることは当然旅行や出張のリスクになるだろう、と考えられ、これが商品化されるそうです。このようなプロセスを高速にアジャイルで開発することを重視しているため、年間の目標商品開発商品数は100商品、既存の商品は数百と数え切れません。

根本思想としてどのような点が新しいかを伺うと、「保険のバリューチェーンのリビルドを目指している」と発言されていました。「リビルド後の保険の起点は、お客様のシチュエーションやニーズの把握です。お客様の状況を掘り下げてキャッチするテクノロジーが保険を変えていくと信じています。得られたお客様の状況を商品として具現化するために、如何にプロダクトデザインとマーケティングがスピーディーに連携できるかを重視しています。」とのこと。更になぜそこまでスピードを重視されるのかを伺うと、オンラインでやっている以上、プレイヤーもニーズもすぐ変わるかもしれないという危機感があるからだそうです。前著同様、顧客の状況を捉えて設計するUXの考え方が通底していることが見て取れます。

体験型ビジネスを支援するミニプログラム

近しいポジショニングで例に挙げられるのが、Wechatを始めとするスーパーアプリに内蔵される「ミニプログラム」でしょう。ミニプログラムとは「アプリ内アプリ」ともいえる機能で、わざわざ専用アプリをダウンロードしなくても、Wechatやアリペイの中でアプリに類する機能を使える、というものです。ペイペイ、LINEペイ、その他通信事業者系のペイメントなど、日本でスーパーアプリを目指しているアプリでは、現在これと同じ「アプリ内アプリ」である「ミニアプリ機能」を作る流れにあります。アプリをわざわざ作らなくても顧客との接点を持つことが出来るという意味で、決済プラットフォーマー以外の企業にとっての重要な顧客接点になる可能性がありますし、一方で決済プラットフォーマーにとって、より粘着性が高いアプリになる、マネタイズの源泉を確保する、といった意味合いがあります。この動きの源流は全て、Wechatが始めたこのミニプログラムにあると言えますが、中国では既に使われ始めて3年近く経つため、向き不向きや利用特性の知見が既に貯まっています

ミニプログラムには、以下のような例があります。

  • EC付きの会員証機能(中国企業だけでなく、日系企業でもユニクロや無印、JINSなども提供している)
  • レジの代わりにスマートフォンで商品バーコードを読み取って会計できる、コンビニ用「スマホレジ」機能
  • 飲食店のメニュー機能(私の家の近所の個人経営コーヒーショップは、メニューだけでなく店に入る前から注文しておいてピックアップが出来るようにしている)
  • 住宅内見をVRで実施できる機能

※左から、コンビニのスマホレジ機能(緑の丸いボタンを押して商品のバーコードを読み取ると価格が出てきて、そのままWechat Payで会計が可能)、EC付きの会員証機能、住宅のVR内見機能

これらはほんの一例でしかなく、数え切れない程の種類があります。よほど複雑でない限りは基本どのような機能でも提供可能です。大企業の視点から見ると、「わざわざ自社でアプリを作ると、費用もかなりかかる上になかなかダウンロードしてもらえない」という状況になるくらいなら、既に10億近いユーザ数を抱え、かつ毎日高頻度に開かれているWechatやアリペイの上でこうした機能を提供した方が、顧客に使ってもらいやすいというメリットがあります。何より、制作費がアプリと比べて段違いに安上りですぐに作れることも重要なポイントになります。

特に注目していただきたいのは、3つ目の例として書いた個人営業のコーヒーショップの事例でしょう。日本で考えると、個人で営業しているようなコーヒーショップでアプリを作るようなことはコスト上できないため、ピックアップのような機能はスターバックスのような大企業にしか提供できません。ですが、このミニプログラムはそれこそ10万円程度の安さから、簡単に作れるため、少し大きな個人経営レベルでもコーヒーのピックアップ機能を持つことが可能です。

ここでは深く書きませんが、中国においてはこのように、零細企業や個人事業主でも簡単にデジタルトランスフォーメーションを行ない、顧客接点を増やしたり提供価値を高める支援をするプラットフォームが多数存在します。顧客といつも接点を持ち、より利便性を高めたほうが勝つ時代において、こうしたプラットフォームを提供することは衆安保険と同様、時代を捉えたポジショニングと言えるでしょう。

LINEやPayPay、その他通信事業者系のペイメントアプリが軒並みスーパーアプリを目指し、ミニアプリ(中国でいうミニプログラム)を提供しようとしているのは、このポジションを狙っているためであるといえます。日本でこの動きがどのように起こりうるのか、またどのような機能であればミニアプリに向いていて、どのような機能は向いていないのか、と言った論点は第3章で詳述します。

衆安保険も、ミニプログラムも、共通して世の中のバリュージャーニー化(体験提供型ビジネス化、サービサー化)の潮流を捉え、安価に顧客との接点を増やしたい、体験における価値を強化したい、といった状況に答えるポジショニングをしています。ストレートに「体験提供をする」ことも重要ですが、世界に既に起こっている潮流の中で、日本において起こりつつある現象に着目して手を打つという戦略は、アフターデジタルに対応する意味で持っておくべき視点ではないでしょうか。

2-5. 「価値の再定義」が成否を分ける ― 続・ラッキンコーヒー VS スターバックス

第2章の最後は、成功体験のある企業、歴史のある企業が考えるべき、「アフターデジタル環境における価値の再定義」を記したいと思います。多くの企業が、環境が変化していることで価値が目減りしていることに気が付かず、気が付いたら対応に後れを取ってしまっていた、という状況に陥っており、その際に最も重要なのがこの「価値の再定義」です。

前著のアフターデジタルに書いた「ラッキンコーヒーとスターバックスの戦い」のその後をアップデートすることで、この例を示せればと思います。前著には、「元々スターバックスを一日2~3杯飲んでいた私の生活が、圧倒的な利便性を提供するラッキンコーヒーを一日2~3杯飲む生活に変わった」と書きましたが、結論から言うと現在私はスターバックス一日2~3杯の生活に戻っています。

まずはおさらいとして、2018年末時点までに何が起きていたのかをおさらいします。元々スターバックスは中国市場に注力し、一年で500店舗増やすというペースで拡大をしていました。しかし、2017年は売上が7%増える結果でしたが、2018年は500店舗近く増やしているのに全体売上が2%落ち込む、という事態になりました。この売上の減少を受け、デリバリーに参入しなかったことを反省し、2018年8月、アリババとの提携(正式には参加のデリバリー事業であるウーラマとの提携)を発表しました。元々スターバックスは、中国で生活インフラになるレベルで使われているデリバリーフードには参入しておらず、これはサードプレイスという場所の価値を重視していることや、30分後に届いたコーヒーは泡も匂いも消え、味も劣化してしまうといった理由が背景にあります。

時を合わせて2018年1月から始まったラッキンコーヒーは、2018年末時点、つまり立ち上げて1年でなんと2,000店舗を構えるという驚異のスピードで拡大したスタートアップです。そこまで店舗を拡大するには、当然多額の投資を集める必要がありますが、そこまで投資を集められたのは、圧倒的な利便性とブランディングで市民権を得たことが挙げられます。

特に購買体験の利便性が高く、家に届けても、家を出る時に買って会社に届けても、先に買っておいて会社に行く途中にピックアップしても、購入時に発行されたQRコードを友人に送って、その人にピックアップしてもらってもよい、という融通無碍の買い物体験が人気を呼び、瞬く間に「スターバックスの競合」と言われるまでになりました。

実際に私も、家を出た瞬間に朝ごはんとコーヒーをスマートフォンで注文し、会社に届けておくと、会社に着いたタイミングでコーヒーと朝ごはんが届くという便利さと、2杯分のコーヒーチケットを先に買っておくと1杯無料になるという価格上のインセンティブに心を奪われ、元々は会社の近くのスターバックスに足を運んでコーヒーを買っていたのに、ラッキンコーヒーしか飲まなくなりました。

スターバックスが行なった価値の再定義

ここからが、2019年以降の「続・ラッキンコーヒーVSスターバックス」になります。アリババ傘下のデリバリーサービスであるウーラマと手を組んだスターバックスは、単に通常のデリバリーを提供するのではなく、ウーラマにスターバックス専属配達員を作りました。何が違うのかというと、通常のデリバリーでは、配達員が配達ルートを自分の意志で決定するため、「如何に1時間で数多くの案件を回せるか」が勝負でした。すると、商品を優先的に届けてくれるということは全くなく、実際デリバリーアプリ上で「30分後に届く」と出ていると、概ね30分前後で届くのが通例です。しかし、スターバックス専属の配達員は一件の注文に対して、寄り道せずに直接届けてくれる1to1配送を実現するため、注文後10~15分での配達が実現します。(私の経験では最短7分でした。)通常100円程度の配達費用が150円程度まで値上がりしますが、こうなると、単純に早く届くだけでなく、コーヒーの味も損なわれず、かつフードを頼んでもまだ温かい状態で届くため、味自体が普通に美味しい、というベネフィットを感じるため、スターバックスを迷わず買うような顧客層は、デリバリーの50円など特に気にせずに注文するようになります。

元々、ラッキンコーヒーの味には不満があったこともあり、この利便性と味のベネフィットにより、私も一気にスターバックスに寝返り、今では一日2~3杯スターバックスを注文するようになりました。

初めは「サードプレイス」という価値に固執し、デリバリーというユーザ側の利便性を無視したスターバックスでしたが、「ユーザがすでにその便利さの向こうに移行している」という現状を捉え直し、「スタバらしいデリバリーとは何か」「アフターデジタル型のスタバが提供すべき価値とは何か」を再定義した跡が見られます。現に、北京を皮切りにスターバックスNOWという、イートイン席なしの、デリバリーとピックアップのみの店舗を増やしており、「サードプレイス」に固執していてはできない芸当であるといえます。

これは推測でしかありませんが、おそらくデリバリー浸透時代のスターバックスは、「いつでもどこでもサードプレイス化できる」という価値を提供すべきと捉えなおしたのではないかと考えています。実際、専属配達員がコーヒーを届ける際には、他のデリバリー配達員が絶対にやらないような、「両手を揃えて手渡しし、お辞儀をする」というプロセスを挟むようにしています。これも、「スターバックスの店員の代理となる存在」として配達員を見ていることの現れであると言えます。この結果、2019年第三四半期は過去3年で最高の成長率を記録し、実際に成果を挙げています。

この事例は、デジタルによってディスラプト(業界破壊)されるという恐怖を感じる企業にとって、福音のような側面があると捉えています。というのも、利便性はコピー可能である一方、ブランドは模倣が難しいため、時代に合わせて価値を再定義して技術を正しく導入すれば、アフターデジタル時代においてもより大きく成長することが可能であるという事例であるためです。逆に、歴史や過去の栄光にすがり、「我々の誇りであるサードプレイスは絶対に捨ててはいけない!」と考えていた場合は、このような結果にはならなかったことでしょう。これだけの規模がある巨大なブランドが、時代を正しく捉えて価値を再定義することが出来たというのは、本当に称賛されるべきことだと思います

第2章のまとめ

第2章では、アフターデジタル型に変化した産業構造において、各レイヤーごとの先進企業の動きを整理しました。

  • 最上位に来る決済プラットフォーマーは、「決済機能を提供する」という考え方ではなく、それぞれの企業ミッションと元来のケイパビリティを活かして普及させていった。
  • 購入後に接点を持ちにくいメーカーや成約型ビジネスは、「ペインポイントを解決する便利系サービス」と「ライフスタイルに新しい意味をもたらすサービス」の双方に拡大し、顧客との定常的な接点を持つバリュージャーニーに変化している。
  • これにより、「何かを購入する」という行動がサービスに埋め込まれ、サービスへのロイヤルティやその利便性の中で「ついでに購入する」ような行動が当たり前になりつつある。これを「コマースの遍在化」と呼んでいる。
  • 上記のようにメーカーもサービサー化する中、その潮流を捉え、サービサー向けの支援を提供するToB向けプラットフォームビジネスも生まれている。

今、日本ではこれに追従するような流れが一定存在する中、ここから学びを得る視点は3つあると考えています。

1つ目は、自社のポジションやデジタルトランスフォーメーションにおける参考にすること。ペイメントやプラットフォーマーを狙っている場合は2-2、既にサービスを提供していたり、サービサー化を狙っている場合には2-3、ToB向けのビジネスを提供している場合は2-4を、参考にしていただけたらと思います。

2つ目は、他社や社会の変化を捉えること。2-4のように、自社が変わるだけでなく、社会全体の変化の方向性を捉えてそこに陣地を張っていくことも可能ですし、決済プラットフォーマーの現在の動向や必要な考え方を知ることで、今後の動きを読むことも一定やりやすくなります。

3つ目は、スターバックスの事例で示したように、本当に重要なのは社会や市場環境の変化を見極めて、提供価値の見直し、再定義を行なうことで、デジタルによる業界破壊への対抗手段を得ることも可能だということになります。特にデジタルトランスフォーメーションを行なう企業にとって、システム導入を先に行なったり、ビジネスモデルの変更ばかりを考えてしまうことが多く存在しますが、顧客との関係性の変化を捉えて価値を再定義することが何よりも率先して行なわれるべきである、という点は重要な示唆になるのではないでしょうか。

さて、中国に見られる、更に進化し続けるアフターデジタル社会はこのあたりにして、第3章からはいよいよ、日本の話に入っていきたいと思います。

第3章 誤解だらけのアフターデジタル

本章では、「アフターデジタルに対応しよう」「OMOをやろう」という方々がやりがちな思考のミス、実行時に陥る罠を描いていきます。第2章でご紹介した事例から要点を抽出しながら、私が実務や研究、議論を通して見つけた「デジタルトランスフォーメーションを行なう人々の、やりがちな立脚点の間違い」が、皆さんのビジネスの参考になればと思います。

3-1. 日本におけるアフターデジタル型産業ヒエラルキー

日本で起こること、起こらないこと

前著アフターデジタルの読者から頂く質問に、「日本とは全く同じことは起きないのではないか」というものがありますが、前著や本作の前書きで申し上げている通り、中国と全く同じことが起こるとは思っていません。一方で、デジタルとリアルの使い分けや連携は世界中で見ても中国がおそらく一番上手なので、ビジネスを作る上で大変参考になりますし、起きていることについても、個別の事例ではなく社会で起きていることとして捉えると、共通項が見えてきます。

「起きない個別の事例」というのは主に、国家の運営体制、経済構造、文化背景の3点から見ると起きそうか起きなさそうかを判別しやすいでしょう。例えば第1章6節で書いた「ホワイトリストとブラックリスト」によって、法規制の違いによって新たなサービスの生まれる速度が異なったり、生まれやすさそのものが異なったりします。これは国家の運営体制による違いで、「乗り捨てOKなシェアリング自転車なんて日本では無理」「白タクのサービスなんて国が許してくれない」と言った話はここに属します。

経済構造による違いというのは、簡単に言うと貧富の差やその分布を指しています。第1章2説では、スーパーアプリが中国で成功し、東南アジアで拡大していると書きましたが、これは銀行口座を持たないアンバンクト(un-banked)が一定存在しており、その人々に金融機能を提供することで成り立つ側面が大きいといえます。デリバリー配達においても、安い値段でデリバリーが可能なのは年収100万円もあれば十分に暮らせる環境があるためです。また、中国の場合は14億という人口を持つため、数億人から100円ずつ稼ぐだけで非常に大きなサービスになりますし、都市部の富裕層に集中してビジネスを行なっても小国レベルの人数になります。この点は踏まえておく必要があるでしょう。

文化背景というのは、外食文化なのでデリバリーとの親和性が高い、またはコーヒーが多少冷めていてもあまり気にしない、と言った基本的な習慣を指し、日本含め、外国の事例を見るとこれが一番理解するのが難しいと言えます。例えば第2章2節に、テンセントが紅包(レッドポケット)というお年玉の風習を使ったゲームでペイメントを一気に普及させたという話がありましたが、重要なのは「ゲームを使ったこと」よりも「どの道年末にやる予定だった習慣をゲーム化させたこと」にあります。しかし、我々が文化背景を理解せずにこの事例をみると、「なるほど、ゲームで広めるという手があったか」と、大切な背景を捨象してしまいます。

こういった違いはあらゆる個別事例において発生するため細かくは取り上げませんが、上記のような観点で捉えることで一定の整理がつけられ、グローバルの事例を見たときにもどのように日本にローカライズするのか、日本で起こりうる現象なのかを考えることが出来るかと思います。これを踏まえて、今回は全体潮流としてアフターデジタル型産業ヒエラルキーがそのまま日本に訪れるのかどうかを考えていきます。

日本と中国における決済プラットフォーマーの違い

決済プラットフォーマーを頂点とし、その下のサービサー、更にその下にメーカーが位置する「アフターデジタル型産業構造」のヒエラルキーに関して、「この産業構造はそのまま日本に起きるのか」という質問を頻繁に頂きますが、私の考えとしては以下のような形で到来すると考えています。

  • 決済プラットフォーマーがそこまで強くならない。
  • 中国の構造は、アリババとテンセントによる二大経済圏に牛耳られており、かつ得られた顧客接点及びデータを何に活かし、何をマネタイズに活用するのかが明確であるため、決済プラットフォーマーは日本よりも圧倒的な強さを持っている。
  • 日本においても一定の強さを持つと思われるが、中国ほど極端なヒエラルキーにならないと考えられる。

  • サービサーとメーカーの関係性はこのまま起こる。
  • 行動データの時代になり、顧客の状況を把握できているプレイヤーの方が強くなることは間違いない。従って、サービサーとメーカーの主従関係はそのまま起こるはず。

これはあくまで予測に過ぎず、YahooとLINEの経営統合のように新しい動きも、このレイヤーを如何に取りに行くかを考えた結果の戦略的打ち手にも見えますし、ペイメントからスーパーアプリ化を目指す通信事業者系(DocomoやKDDI)も様々な統廃合を行なっています。これらのペイメント合戦に乗り込んだプレイヤーがアセットとビジネスモデルを整え、同様の構造になる可能性も十分にあるといえるでしょう。

今後に期待をする意味でも、何故現状では難しく見えるのかを、もう少し具体的に説明したいと思います。

まずはプラットフォーマーが中国ほど強くならない点ですが、前提として、人口が14億人もいるとネットワーク効果(人数が多いことによって提供価値や効果が増幅すること)が働きます。ユーザが5,000万人のプラットフォームと、5億人のプラットフォームでは、企業がオンラインショップを出店したり、アカウントを作る際のインセンティブは当然大きく異なります。そうすると、より多くの企業がよりユーザの多いプラットフォームに乗ってくるので、ユーザにとっても選択肢が増え、更に多くのユーザが高頻度に使うようになり、すると企業にとってのメリットもさらに増え…といった形で効果が増えていきます。

これが何を意味しているかというと、「マネタイズは一旦忘れてでも、アクティブユーザ(利用し続けているユーザ)を増やすべき」という考え方が成立するようになり、足りない分の資金は投資を集めてまかなう、という構造になります。世界一人口の多い国である中国は、このネットワーク効果が最も働きやすい国であり、アリババとテンセントはペイメントのレイヤーを取ることでこの構造を上手く利用することに成功したという見方ができます。

つまり簡単に言えば、アリババとテンセントは、サービサーに投資して自陣営に加えることで、このヒエラルキーをコントロールしているのです。

  • 10億人を抱えるスーパーアプリ化し、各種サービサーが「関連サービス」として、このアプリに入口を設けてもらえることで、「アリババかテンセントに選ばれれば勝利」という状況を作った。
  • アリババとテンセントは既にデータと顧客接点を活用してマネタイズする仕組みを持っているため、サービスを自陣営に取り込むことでビジネスを大きくすることが可能。

   

※ 左がWechat、右がアリペイの、「サードパーティサービス」への入口。右の英語版が分かりやすいが、このように、移動や飲食、娯楽に関する自社経済圏のサービスへの入口が設けられている。

決済プラットフォーマーがアフターデジタル型産業ヒエラルキーのトップに来るには、「圧倒的な資金力」と「圧倒的なUXによる圧倒的なユーザ数」の2つの条件が同時に必要になります。双方の条件を持っているアリババとテンセントは、2つ目の条件をサービサーに揃えさせないために、投資提携によって「我々がお金を出して存続させてあげるから、君たちはとにかくユーザをかき集めてサービスを大きくしなさい。何なら我々のサービスからの入り口も作ってあげましょう」というスタンスを取っているわけです。

さて、翻って日本のペイメントプレイヤーを見てみると、現状このレイヤーを取ろうと事業を進めているわけですが、以下の点で大きな違いがあります。

  • 中国と比べ、人口を背景にしたネットワーク効果が効きにくい。
  • 既にサービサーが単独でマネタイズしているケースが中国よりも多い。
  • ペイメントサービスが、購買データや接点からマネタイズする機能を有していない、または機能として弱い。

ペイメント事業者が乱立していたり、キャッシュレス浸透率が十分でないことが良く言われますが、これは時間さえ経てば一定の解決が可能と考えられます。しかし、上記で書いている3つのうち、上に行けば行くほど、社会の構造上成立しにくいということを示しています。

一方で、行動データが出てくる時代であることには変わりがなく、これによって提供できる付加価値を高められるプレイヤーの方が強くなるのは間違いがないと言えますし、前述の「コマースの遍在化」のように商品を販売する役割の一部をサービサーが持つ時代にもなります。かつ、日本においてはサービサーがマネタイズ出来ているケースも多いため、「メーカーがサービサーの下に隷属される」という構造はそのまま起こるだろうと考えられます。その意味で、モノを生産して売っているだけのプレイヤーにとって変化が迫られていることは、グローバル全体で見ても共通で起こりうることと言えるのではないでしょうか。

3-2. 来るOMO、来ないOMO

2019年、先進的な取り組みを進めようとする方々が、OMOという言葉を頻繁に使い始めました。しかし、単純にオンラインとオフラインを繋げただけでOMOと言っているケースや、中国の事例をそのまま転用できると思い込んでいるケースも見られており、様々な使われ方をしているのが現状です。

特に社内でOMOを使う際、認識や理解がずれていては推進できるものもできなくなります。改めてOMOとは何なのかを、それが興った中国の環境とともに振り返り、皆さんのOMO理解の解像度を高めることが出来ればと思います。

OMOの定義と本質

「アフターデジタルという社会的な変化に対し、企業は対応をせねばならない。この対応において、成功している企業が共通で持っている思考法のことをOMO(Online Merges with Offline)と言い、オンラインとオフラインを分けて考えず、一体のジャーニーとして捉える考え方のことである」というのが、アフターデジタルで伝えているOMOの概念です。

OMOを提唱した開祖の李開復(リー・カイフー)は、「ピュアなECからO2Oに変わった世界を更に進化させた次のステップ」と表現していますが、「成功企業が持っている思考法」という意味でこの「進化」を捉えると、O2Oとは地続きでない、一線を画した思考法であることが分かります。

改めてO2Oについて考えると、デジタルマーケターの方々が良く閲覧する「ウェブ担当者フォーラム」においては、以下のように定義されています。

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ネット上(オンライン)から、ネット外の実地(オフライン)での行動へと促す施策のことや、オンラインでの情報接触行動をもってオフラインでの購買行動に影響を与えるような施策のことを指す。

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基本的に考え方そのものが「オンからオフに誘導する」という企業目線で書かれており、基本は購買や成約をゴールとした思考です。一方でOMOは、そもそも「ユーザはその時一番便利な方法を選びたいだけであり、オンラインとオフラインと言ったチャネル概念で分けていないので、それに合わせてジャーニーで考えよ」という意味合いです。顧客目線をベースにしていますし、オンラインとオフラインのどちらでも選べてそれが繋がりあったジャーニーを目指している点で、定常的な体験提供を指向しています。つまり、従来型ビジネスを徹底的に「体験提供型」及び「顧客視点」に書き換えることを意味します。

以前、以下のような質問を受けました。

「先日、新宿を歩いていたら、近くにあるショッピングモールからメッセージが飛んできて、キャンペーンの情報を受け取ったのですが、これってOMOでしょうか?」

この質問に対しては様々な回答が考えられますし、「それはただの呼び込み施策なのでO2Oでしかない」「リアル行動のデータをうまく使っているという意味では広義ではOMOと言えるのでは」など、人によって様々な回答が考えられると思います。

とてつもない違和感を感じていた私は、「ユーザとしてそれが便利だとか、自分にあった嬉しい情報だと感じましたか?」とまず聞いてみました。すると、その方は「うーん、あまり便利とは思いませんでした。通知が送られただけなので」とおっしゃるので、私は「じゃあ、OMOではないですね。全く顧客目線ではないですから」と回答しました。ただ単にオンラインとオフラインを融合させれば良いという考え方は、結局のところアフターデジタル時代に必要な視点に転換していないので、本質を失った「単なるオンラインとオフラインの連携」と言わざるを得ません。

そもそもOMOとは目的には成りえず、あくまで顧客提供価値を増幅するためのものです。その増幅の度合いという意味では、オンラインとオフライン双方を融通無碍に活用するため、価値を最大限増幅できる道具ではありますが、オンラインだけの方が便利であればオンラインで済ませれば良いわけなので、「OMOをやらねば」と先行しても目的不在になってしまいます。どれがOMOなのか、そうでないのかという無駄な議論の前に、本質的にユーザの状況に根ざし、ユーザにベネフィットを提供することを前提とした概念であることを、今一度強調出来ればと思います。

中国のOMOは「やむを得ず」始まった

こうした本質を踏まえると、中国においても様々な「OMOもどき」が生まれていることが見えます。ユーザのベネフィットを一切考えずに、流行っているので無人コンビニをやってみたり、流行っているのでシェアリングの自転車をやってみたり、といったことがたくさん起きていました。そういった事例も情報として輸入されていますが、「OMOをやろう」と意気込んでいると、「何が日本において意味がある動きなのか」を見失いがちです。一つ一つの事例に対する理解の解像度を上げるためにも、何故中国において、オンラインがオフラインを侵食するような現象が起きたのかを理解することは重要だと思っています。

中国でOMOが始まり、大きくなった背景は大きく2つあります。

  • EC化率20%の壁に対する対応としてオフラインに出た。
  • オンラインの顧客獲得コストより、オフラインの方が安くなった。

EC化率というのは、あらゆる購買の中ECによって代替された購買の割合を示しており、世界で20%を超えている国は存在しません。中国で20%手前で頭打ちになり、アメリカでも15%に行かずに頭打ちになっています。この時、通常どのようにビジネス拡大するかというと、アマゾンのようにグローバル展開を行ない、世界中の20%(まで行きませんが)を取りに行くという戦略を取ります。

しかし、中国には14億人、つまり全世界の五分の一の人口がいる中で、アリババはこの非常にユニークな中国市場で圧倒的な存在になっています。「だったら、残りの14億人×80%を取りに行こう」というのが、アリババによるオフライン進出作戦なのです。

事実、アリババの方は「ECだけではシニア世代を獲得できなかったが、アリペイを始めてからはシニアまで一気に獲得できた」と話しています。アリババのOMO型スーパーであるフーマーフレッシュも、2018年には100店舗展開して約2,300億円の売上を獲得、十分な黒字を生み出し、その後も展開自体は進めています。この展開戦略も、当初の「25~35歳既婚女性で、品質や鮮度を優先する人」をメインターゲットにしていた都市型大型店はある程度落ち着き、その代わりに30~40代で、郊外に住み、生鮮を市場で買うような人たち向けに、「フーマー菜市」という別業態を展開したり、大型店舗が出しにくいエリアにはフーマーミニを展開していたりします。(私は直接見に行けていないのであくまで聞いた話なのですが、シニア層の多いエリアに、現金しか使えないフーマーも出していると聞きました。シニアが嬉々として現金を使ってお買い物をしているそうです。)

このように、特にECプレイヤーであるアリババの戦略は「EC化率20%の壁に対応し、オフライン側の市場を侵食している」ということができ、この動きをアリババが作ったことで、テンセントをはじめとした他のプレイヤーもオフラインの浸食をはじめ、大きな潮流になりました。

もう一点の「オフラインの方が、オンラインよりも顧客獲得コストが安くなった」という背景についてですが、10億人と接触が可能なオンラインチャネルは、人口が多く国土が広いだけに他の国と比べても重要度が高く、レッドオーシャン化してしまうため、業界にもよりますが「オンラインでユーザ1人を獲得するために数万円コストを使う」ということも常態化していました。

その結果出てきたのは、例えば「ショッピングモールに化粧品の試供品が入った自動販売機が置かれ、Wechatやアリペイのアカウントを登録し、会員になることで、安い値段で試供品をもらうことができる」といった施策です。これは、「オンラインでやみくもにプロモーションをするよりも、ターゲットになりうる人が多く来訪しそうなモールに自動販売機を置いた方が、目にも触れるし、安上りで済む」といった考え方から実行されています。そもそも高価な化粧品は、一度も試したことがないとなかなか手が出ないため、オンラインで初回購入されるケースは多くありません。リアルに面を取り、ユーザ側は化粧品を簡単に安く試せて、企業側は顧客リストを獲得できる、という構造を作るには、うってつけの業界であったとも言えるでしょう。

日本人が中国へ視察に来てこうした取り組みを見ると、「なんとなくOMOっぽいし、面白いんじゃないか」という理由でやりたがってしまう傾向にありますが、実際の中国での事例は切羽詰まったビジネス状況の中で、「その方が効率が良いから」「その方が顧客にとってメリットがあり、こちらも儲かるから」と言った、切実な理由から行なわれているものが多いと言えます。(一方で、もちろん「一旦試しにやってみよう」という高速トライアルであるケースが多いことも付記しておきます)

フーマーに見る視察の過ち

「見た目に囚われ、本質に目がいかない」という意味では、多くの海外視察がそうなっているのが現状ではないでしょうか。デジタル先進国である中国に視察に来ているというのに、リアル面だけ見て満足するケースが良く見られます。

先にも取り上げたアリババのOMO型スーパーであるフーマーも、今中国に視察に行ったら必ずと言っていいほど日本人が訪れていますが、天井を動くベルトコンベアや、生きた魚が水槽を泳いでいる海鮮売り場が目を引きすぎて、アプリを開かずに視察したり、デジタル側の体験を一切経験せずに行なわれています。

フーマーは、オンライン比率が多い店では9割がオンライン購入です。オフライン比率がどこまで上がったとしても、4割程度までしか行かず、結局は配達してもらうオンライン購買の方が売上構成比が大きい状況です。確かに、水やトイレットペーパーなどの日用品を買うのに、わざわざ店舗に足を運ぶ必要はないので、作る献立が決まらないから直接見て決めたいとか、海鮮を皆で囲んで食べようといった理由がないと店に行かないというのは、ユーザの視点から見ても良く分かります。

実際にフーマーのオンライン側の体験は圧倒的です。次のアプリ画面のキャプチャを見ていただくと分かっていただけるかもしれません。

一番左は専用アプリのトップページですが、下にスクロールしていくと、左から2番目の画面が出てきます。ここには家の清掃、ネイルなどの美容サービス、クリーニングサービス、家電の修理、革製品の手入れなど、生鮮とは関係ない、生活における便利なサービスが展開されています。食材や日用品をいつも購入している、家から3km圏内のサービスですし、住所を改めて入れる必要もないため、こういった付随サービスも併用して利用するインセンティブが一定あると言えるでしょう。

このアプリを更にスクロールしていくと、右から2番目のような画面になり、料理のレシピが表示されます。レシピをタッチすると一番右のような画面になりますが、この画面の下の方を見ていただくと、このレシピに使われている食材が表示されているのが分かると思います。これを右下の青いボタンで一括購入することができるので、レシピを見て「この料理にしよう」と決めたら、使用する商品を一括注文することが出来てしまうのです。もちろん既に家にある食材や調味料がある場合には注文から除外できます。

このレシピですが、実は店舗ではもっと便利に使うことができます。フーマーに行き、例えば旬の「春キャベツ」があったとして、この商品のQRコードを専用アプリで読み込むと、商品の詳細情報やトレーサビリティ(産地や生産者の情報)はもちろんのこと、その食材を使ったレシピが複数出てきます。調理時間や実際に作った人数、評価を見ながら、レシピを選択すると、先ほどと同様のレシピページに行くので、今日はこれを作ろうと決めたらあとは「一括購入」のボタンを押して、自分は手ぶらで帰り、30分後に家で食材を受け取れます。「献立を決めて具材を買うのが大変」という万国共通の悩みの中で、どうしても献立が思いつかない際に、スーパーに行って特売品や旬のものから献立を発想するという行為は日本でも中国でも見られますが、そうした生活の細かなペインポイントにも対応しているからこそ、ここまで愛されるサービスになっているわけです。

オンラインとオフラインの融合による便利さはもちろんありますが、とにかく生活における細かなお困りごとを見つけ、それを解決することで成功しているという点は、改めて認識しておきたいポイントです。

※ 実際にフーマーでアボカドの棚にあるQRコードを読むと、このような画面が出てくる。真ん中の画面の下半分には、このアボカドを使って出来る料理と、その料理の所要時間、作ったことがある人数、おすすめ度が書かれているので、レシピも選びやすい。フーマーにある食材ほとんど全てにこうしたこのレシピが5個前後作られているコンテンツ力もさることながら、食材が売り切れてしまって作れないレシピがあるとそれも可視化されるようになっている。

OMOにおける2つの革命

OMOの事例には、大きく2つの傾向があります。1つは流通革命としてのOMO、これはユーザに融通無碍な購買体験を提供するものです。もう1つは接点革命としてのOMOで、こちらは顧客接点を高頻度に持つことで、より顧客理解の解像度を高め、今までできなかった価値提供を行なうものです。これらを、「発想の転換」と「技術革新」という2つの観点から見ていきます。

流通革命としてのOMOは、フーマー、ラッキンコーヒー、ウーラマのようなデリバリーフード、ディディのようなタクシー配車が該当します。発想の転換として、「ECの倉庫に客を入れる」「コーヒーが自分のところにやってくる」といった、オンラインで当たり前と言われることをオフラインに応用するような逆転の発想が使われています。これを支える技術革新には、効率化のための技術と、ロジスティクスを支える従業員のパフォーマンスコントロールが挙げられます。そもそもデジタルという環境だからこそ実現できていたことをリアルで無理やり行なおうとするので、人的リソースが大量に必要だったり、技術で圧倒的な高効率化が実現されないと難しいのが通常です。需給予測によるリソースコントロールや、高効率な配送ルートの自動選出などのAI技術が必須になります。加えて、デリバリー配達員に代表される「業務担当者」の提供品質とモチベーションをコントロールするために、彼らの頑張りや業務実行精度を可視化・評価して「良い品質で頑張れば頑張るほど評価される」という仕組みを提供しながら、ゲーミフィケーションなどを使うことでやる気を鼓舞したり長続きさせたりする、モバイルやセンサーを使った行動把握とUX技術が必須になります。

接点革命としてのOMOは、平安グッドドクターやNIO、ズールーのように、多様な顧客接点を繋ぎ合わせていくモデルが該当します。発想の転換として、「リアル接点を軸に、デジタルをツール的に扱う」という従来型から、「デジタル接点を軸に、ユーザの状況を捉え、リアル接点をツール的に扱う」という考え方に変化していると言えます。平安グッドドクターのように、日常的に高頻度な接点を取りながら、商品ニーズや信頼獲得のフラグが立ったら、来店を促したり、電話をかけて話を聞いたり、営業マンが訪問したりする、といった形です。これを支える技術革新として、データを保持する際、購入や成約などのコンバージョンをゴールとしたファネル型のデータではなく、ユーザとの関係構築や状況の可視化を目的とした、IDベースのシーケンスデータとして保管される必要があります。ユーザ行動がデジタル接点、リアル接点ともにタイムライン上に並ぶことで、ユーザ行動の文脈を把握し、適切に手を打つことが可能になります。

3-3. 「デジタル注力」の落とし穴

ハイタッチ、ロータッチ、テックタッチの違い

何故こんなにも日本企業のデジタル対応が遅いのかを考えた時、日本と中国を比較すると、「圧倒的にデジタルの強みと弱みの理解が深い」というのが中国先進企業への印象です。デジタルを妄信したり、デジタルだけ切り離したりすることがあまりなく、強みと弱みを理解して補いながら実行しているように見えるのです。

OMOを語る際、オンラインとオフラインを統合する、融合させる、とは便宜上言っていますが、「違いはない」と言っているわけではもちろんありません。先進事例を読み解くと、前著でも取り上げた、カスタマーサクセス理論のタッチポイントに関する考え方を上手く活用していることが分かります。

改めて説明をすると、この三角形は顧客接点を3つに分類したものです。

  • ハイタッチ:1対1の接点で、訪問、相談などを個別対応するもの
  • ロータッチ:1対多の接点で、ワークショップやイベントなど、リアルではあるがまとめて対応するもの
  • テックタッチ:1対無限の接点で、オンラインコンテンツやメールなど、量産可能でいつでもどこでも触れられるもの

例えば店舗での接客を考えた場合、マニュアル通りのテンプレート対応をしているときはロータッチと言えますが、お客様の名前を覚えてその人に対応した接客をする場合はハイタッチと言えるでしょう。それぞれの接点が得意とする提供価値は異なっていて、ハイタッチでは信頼を獲得したり、感動を提供したり出来ますし、ロータッチは快適さや楽しさ、学びにおける深い理解等が提供できますし、テックタッチは早さやお得さ、便利さの提供を得意としています。同時に、ハイ側に行けば行くほどリソース・人的コストがかかる、という構造になっています。

この構造を日本のデジタル対応に照らし合わせた時に、良くある2つの過ちがあります。

1つ目は、ハイタッチ、ロータッチが強い大企業が、「デジタルをやらねばならない」と思い込みすぎたり、ハイタッチやロータッチ側から協力が得られずに、テックタッチに閉じた事業や施策が実行されるケースです。テックタッチだけで勝負してしまうと、プラットフォーマーやデジタル企業の方がどう考えても強いにもかかわらず、「デジタルをやる」ことが先行してしまった結果、デジタルに閉じてしまい、ハイタッチ・ロータッチで自分たちが持っている強みをデジタルで活かすことが出来ず、ユーザから見て大して価値のないものになってしまう事態が良く見られます。

2つ目は、リアル接点でデジタルを活用するが、デジタルの強みを十分に活用できていないケースです。例えば「会員カードをデジタル化する」といった施策がこれに当たります。これについては良くないことだとは全く思っておらず、顧客が店舗に来たタイミングでのデータを取ることが可能になりますし、プッシュで通知することも可能になりますし、一定ユーザにとってベネフィットもある施策だと思います。ただ惜しいのは、店舗に行ったときにアプリを開くだけでそれ以外のタイミングではアプリを開かないため、せっかくデジタルを導入したのに接点の頻度が増えていない、という点です。テックタッチはリソースがかからない分、高頻度な接点として生かせるのが理想になります。

学ぶべきは「接点をつなぐループ」

既にお伝えしている事例には、これらをテックタッチとハイタッチ・ロータッチを繋ぎ合わせてシナジーを作るものが多く存在します。

平安グッドドクターでは、まずハイタッチである「人」が直接ユーザに話しかけ、信頼を構築した上でアプリの使い方も丁寧に教えることで、カスタマージャーニーにオンボードさせます。このオンボーディングによって、テックタッチである「アプリ」を常日頃使うようになると、「この人はがんに興味がある」「小さい子供がいる」「運動に興味がある」といったその人に関する情報が貯まっていきます。貯まってきたデータを元に、再度営業マンががん保険の説明をしに行ったり、子供と運動するヘルスケア系のイベントに招待したり、といった形で、更にハイタッチやロータッチに誘導します。ハイタッチ、ロータッチというリアル体験で新たなベネフィットを提示されると、よりロイヤルティが高まってアプリを引き続き利用したり、新たな機能を使い始めたりします。

NIOも同様です。NIO HOUSEのイベントに行くと、店舗スタッフや参加している他のNIOユーザと仲良くなり、アプリに戻ってその人の投稿やステータスを見に行きます。友人登録やその人の記事をSNSでシェアすることでポイントが貯まっていくのでアプリ上でできることが増えていき、するとイベント情報も以前より見るようになって、店舗のイベントに行くとアプリで見た投稿が話のタネになって盛り上がったり、新たな友達が出来るので、またアプリに戻って出来ることが増えていきます。新しいモデルの車が出るときには、アプリ上で新車に興味を持っていそうな行動を取っている人に試乗のお誘いも届きます。

ハイタッチ、ロータッチで得られた信頼や関係性を、テックタッチでの高頻度な行動に還元し、テックタッチで得られたユーザ行動を元に、再度ハイタッチやロータッチに誘導したり、別のアクションをおすすめしたりする。このように、デジタルとリアルの接点におけるそれぞれの強みと弱みを使って、相互に行き来できるようなUXを作っていくことで、ジャーニーとして繋がっていき、ユーザが使い続けてくれるようなサービスになっていくわけです。中国の事例は、ブランド力や商品力においてはアメリカや日本に劣ることがまだまだ多い一方、このようにデジタルとリアルの強みを理解して繋ぎ合わせるUX作りは世界中でトップとも言えるほど強いため、参考にすることをお勧めします。

3-4. データエコシステムとデータ売買の幻想

アフターデジタルにおいて、最も興味を持たれやすいことの一つに、「如何に行動データを取得するか」という問いがあります。とりわけ、如何にデータを牛耳ることが可能か、という話が上がりやすく、以下のような質問を頂きます。

  • どうやって顧客の行動データを全方位で取っていくのか。
  • データエコシステムを作るならどこと組めばいいのか。
  • 一社で持っているデータでは意味がないのか。

この質問には、私の経験からお答えしたいと思います。

「データは財産」という幻想

一時期、私は「生体データプラットフォーム」のプロジェクトに関わっていました。ウェアラブルデバイスから取得した生体データを使ってデータ共有エコシステムを作り、エコシステム内の企業やサービスは出てきたデータを取り出して使うことができたり、そうした生体データを販売することができたりする、と言ったものでした。

データに対しての理解が浅かった私は、この絵を実現させるべく、杭州にあるアリババに伺いました。これまで何度か議論や相談をしている、インターナショナル・ユーザ・エクスペリエンス・デザインの元責任者であるポール氏にこの話を持っていき、「プランを話すので、意見やフィードバックがほしい。もし望みがあると思っていただけたら、一枚乗っていただきたい」と伝え、話を聞いてもらいました。

すると、険しい顔をしたポール氏は、このように言いました。

藤井さんが考えている、データエコシステムとか、データの売買という考えは、全て幻想だよ

シーンとする私に向かって、彼はこう続けました。

「僕らはデータに関してはおそらく中国で一番研究をしてきて、試してきたけど、データはソリューションにしないとお金にならないんだ。例えば『10社でデータエコシステムを作ろう』となったとして、全ての企業においてデータの形が違う。姓名の間にスペースがあるかないかだけで、もうデータは突合できなくなってしまうので、突合のためにはどこかが主導して全てのデータを整理し、揃えなければならない。それには膨大な時間とお金がかかるので、誰もやりたがらずに終わってしまうんだよ。

そのデータも、ただきれいに揃えただけでは、どうやって使うか分からないので、お金を使うだけ使ったとしても、あんまり意味を持たない。データとはその解釈とセットでないと意味を持たないし、お金にならないんだ。

ECのデータなら、買った買ってない、閲覧した閲覧してない、といったデータだからまだ活用余地を見出しやすいし、アリババはそれをマーケティングソリューションにして売っている。『どんなデータの活用価値が高いのか』をトライアンドエラーしながら判断しているし、そのために傘下に加えた企業の持つデータをアリババのデータとして使えるようにクリーニングし、突合している。これはソリューションをより豊かにするために必要なデータを把握した上で、アリババ主導でやっているから出来ることなんだ。

しかも藤井さんが言っているのは生体データだから、買った買ってない、のような単純なイエス・ノーのデータではなくて、波形データだよね?そうすると、そんな生データをもらったところで、誰も解釈が出来ないよね。皆、そのデータが何に使えるのかというベネフィットが分からないと、わざわざデータを買ったり使ったりしてくれないし、ベネフィットが分かってもデータの値付けはかなり難しいよ。というか、単一のデータではあまり意味がないので、とても安いものにしかならない。なので、この企画は、どのような人に、どのようなベネフィットを提供するのかを考え、ソリューション化することを先にやらないとダメなんじゃないかな」

データは意外とお金にならない

アリババ・ポール氏の発言から改めて社会に起きていることを俯瞰してみると、全ての行動データが可視化可能になり、つなぎ合わせることで出来ることは変わります。しかし、全ての生活を網羅するような広範囲な形で他社と共有してソリューション化するのは、実際には中国においてもアリババ程度しか実現できていません。

そもそも、ペイメントデータや行動データを「直接的に」マネタイズに使おうとすると、方法は限られ、現状の事例から整理すると以下3パターン程度しかありません。

  • マーケティング・広告に活用する
  • この人はどのあたりで何をいつ頃買っている」という情報から、マーケティングソリューションをB向けに提供して、そのソリューションフィーで稼ぐ。
  • 例えばアリババは、ECのシェアを半分以上押さえているため、ウェブ上での購買行動データも潤沢に持っているが、モバイルペイメントのシェアも半分以上持っている。「リアルで消費された行動」の方をより参考にしたいという企業もいるため、リアルとデジタル双方を併せた消費行動を元にマーケティングをしたい、という企業にはより高いソリューションを販売できる。
  • 金融に活用する
  • どれくらいの支払い能力があり、どのような消費行動を取るのかが分かることで、主に個人向け融資の与信管理効率が良くなる。
  • これによって明らかになった「信用度」を別の企業に展開して活用することで、他社もそれに依拠してサービス展開できる「信用スコアプラットフォーム」になり、ソリューションとしてのマネタイズも可能になる。
  • インフラに活用する
  • 人の動きのデータを活用して、交通や医療の効率を向上させることで、それ自体でのマネタイズは難しいが、スマートシティに対する投資や管理費用として、国、自治体、エンタープライズからのマネタイズが可能になる。

アリババは全体売上の8割以上が、1つ目の「マーケティング・広告」によるものですし、アリクラウドはスマートシティに注力しています。金融は中国最大のユニコーンであるアリババ子会社、アントフィナンシャルでカバーしているため、上記3つのパターンを全て強力なアセットとして所持しており、データが生まれれば生まれるほどマネタイズが可能なモデルを作っていると言えます。

逆にテンセントは、5.5割の売上はゲームによる収入です。2.5割がマーケティング・広告・その他サービスフィー(行動データをベースにしたソリューションの割合は不明だが、多くはない)で、残りの2割が金融になっています。データを活用したマネタイズは主に金融によって実現されているため、データによってマネタイズしているというよりは、「ゲームをはじめコンテンツを作って儲けている会社」であると言えます。

データの突合という観点で見ても、自社経済圏に数百という企業を抱えるアリババであっても、全てのデータが繋がっているわけではありません。例えばECのtoB向けマーケティングソリューションにおいてデータを繋げているのは、次のグラフにあるサービスくらいのもので、逆に言うとこれらのサービスは「マーケティング・広告活用において顧客を理解するための重要なサービスであるため、アリババ主導でデータを突合すると決めているもの」にあたります。実際にはこれらのサービスも刻一刻と変わっているため、トライアンドエラーしながらデータ共有対象に入れたり外したりしているはずです。改めて、ポール氏の言うように、特定ソリューションのためにデータを突合させて初めて意味を成しており、自社の目的に併せて一社が主導しながらリアルタイムで運用しているわけです。

※特にローカルサービスとデジタルエンターテインメントにおいて、ECとは直接関係のない多様なサービスが含まれている。ローカルサービスにおいてはデリバリーフード、映画や演劇の予約、食べログのようなレストラン検索、旅行。デジタルエンターテインメントには、Twitter的なSNSであるウェイボーや映像メディア、音楽メディアが含まれる。

ペイメントがもたらす利益とは

では、アリババほど包括的なデータ活用が出来ないテンセントが、何故ペイメントに乗り出したのか。これは、「顧客のタイムシェアと接点頻度を重視する」という戦略に基づきます。次のグラフを見ていただくと良く分かります。

このグラフは、「中国の全インターネット利用時間において、どのプラットフォーマー(経済圏)で何%の時間が割かれたか」を示したグラフになります。左から、テンセント系、バイトダンス系、アリババ系、バイドゥ系、その他、となっています。この絵からお分かりの通りで、テンセント経済圏が占める時間が圧倒的であることが分かります。コミュニケーションやゲームが強いテンセントにおいて、ECであるアリババよりも多くの時間が割かれるのは一定当たり前のことではありますが、テンセントがこうした「離れられないサービス」を目指していることが良く分かるグラフになっています。

テンセントがペイメントを取りに行った具体的な目的を2点説明をすると、1つ目は、アリババに対するカウンターだったと言えます。元々、1日に50回近く開かれるコミュニケーションアプリであるWechatは、ペイメントという高頻度で日常的な利用を皮切りに、アリババにユーザのタイムシェアを奪われることを恐れていたことが挙げられます。2つ目は、ペイメントによって「ミニプログラム」という武器を得たこと。第2章4節で説明をしたミニプログラムですが、これは「ユーザ数、頻度、時間として圧倒的に利用されている顧客接点であること」と、「ペイメントの機能を持っていること」によって、マネタイズ可能なtoBビジネスになります。仮にペイメント機能がなければ、前述した「個人が経営しているコーヒーショップのピックアップシステム」で簡単に支払いを完了させることも、「コンビニ用スマホレジアプリ」でスマートフォンで会計を完了することも出来なかったでしょう。行動データの取得ではなく、ペイメントを機能として得ることでミニプログラムで提供できるソリューションの幅を広げることを可能にした、という意味で重要な役割を果たしています。

ペイメント由来のデータでマネタイズ可能なアリババと、直接的なマネタイズは難しいものの、ユーザを囲い込むことで別のビジネスに繋げていくテンセント。それぞれ、ペイメントを役割や活用の仕方が異なることが分かっていただけたでしょうか。

3-5. 個社で持つデータにこそ意味がある

自社の持つ行動データにフォーカスすべし

ここまでのお話から日本を翻って見てみると、この節の序盤に書いた「如何にデータを牛耳ることが可能か」という言葉自体が、如何に本末転倒で、様々な幻想に満ちたものかが見えてきます。ありがちな幻想と現実を以下に対比してみます。

  • 【幻想】保持しているデータそのものが財産だと思っている。
  • 【現実】ソリューション化して活用できないと持っていても意味がない。(漏洩するリスクでしかない)

  • 【幻想】社会レベルでの共有、または他社とのエコシステムによってビッグデータ活用できると思っている。(結果実現できない大きな絵だけが出来上がる)
  • 【現実】データ突合には「目的設定の主導権争いとコストの壁」が立ちはだかり、一社が目的を持って主導しないと実現は難しい。

  • 【幻想】ペイメントデータさえ取れれば勝ちだと思っている。
  • 【現実】ペイメントデータで直接的にマネタイズする方法は限られ、ビジネスとビジョンに基づいた目的設定が重要。

なお、社会レベルでのデータ共有に関しては、第1章2節に書いた中国やインドのGaaSのように、社会管理目的であれば効果がありますし、政府主導であれば実現は可能でしょう。ただし仮に政府主導であっても、データ共有の枠組みを決めることで固定化し、新たなビジネスを作りにくくなってしまうため、変化が速くイノベーションを起こすべき領域においては市場原理に任せるべきと考えるのが通例でしょう。

では、マネタイズも容易ではなく、包括的にデータを牛耳ることも難しいのであれば、「行動データを活用する」とはどういうことなのでしょうか。ここで「エクスペリエンス×行動データのループ」が改めて重要になります。「行動データをそのままお金儲けに使おうとするとユーザにとって不義理な事態になりやすく、信頼関係を失ってしまう」というのは前書きにも記述しましたが、一方でUXに還元することでユーザの信頼を獲得でき、長くそのサービスを使ってくれるようになっていきます。

「エクスペリエンス×行動データのループ」を実現するにあたっては、個社で持っているデータだけで十分であることが、様々な事例から見て取れます。平安グッドドクターやディディのデータ活用は、自社に限られたデータのみを活用してUXを高め、そこからビジネスにつなげている良例と言えるでしょう。

行動データを活用してUXをより良くしていくには、大きく分けて「ユーザ側の体験向上」「ビジネスプロセス側の効率向上」「双方を助ける付加価値」の3つのパターンがあります。

  1. 【ユーザ側の体験改善】タイミング、コンテンツ、コミュニケーションを最適化した価値提供

  1. 【ビジネスプロセス側の効率向上】業務やサービスにおける品質管理

  1. 【双方を助ける付加価値】ゲーム化によるモチベーション向上

行動データのUX活用 その① タイミング、コンテンツ、コミュニケーションを最適化した価値提供

まずはタイミング、コンテンツ、コミュニケーションを最適化した価値提供です。ありがちな思考として「データを持つことで、ユーザが何が欲しいのかもっと分かり、あんなものもこんなものも売れるようになるし、広告もできるようになる」と思ってしまう傾向があります。その通りではありますが、これは「商品を売る」ことにしか思考が及んでおらず、コンテンツ=商品だと考えてしまうビフォアデジタル的なマッチングです。商品を売ること、販促を行うこともお金を稼ぐために重要ですし、悪いことではありませんが、ここでの「価値提供」はもっと広範囲で、より高い価値や利便性を提供したり、ユーザの行動や意思決定を促したり、支援したり、新たな選択肢を提示したり、ユーザにとってのベネフィットを優先する考え方であることを強調しておきます。

行動データを使ったユーザへの価値提供は、あくまで「顧客の状況理解の解像度を上げること」に利用されるにすぎませんが、タイミングを把握したり、行動における場所や時間が分かることで、アマゾンなどのECでイメージされる通常のマッチングやレコメンドよりも多様かつ高い精度で価値提供ができます。

タクシー配車サービスのディディでの私の経験をお話ししましょう。

私が日系企業向けに上海視察を行う際、オフィスとは違う場所にある会議室を使います。この視察の初日18時から19時の間で通常会議室からフーマーに移動するのですが、月に1~2回そのような行動を取っているため、移動でディディを使おうとすると必ずおすすめの一番上に行きつけのフーマーが出てきます。しかし、同じ平日18時台であっても、オフィスからディディを使おうとすると、行きつけの居酒屋や中華料理店が、良く行く順に表示されます。いちいち住所を入れなくても、曜日や時間とその時のGPSから判別して良く行く行き先を表示してくれるので、この利便性からディディ以外のタクシーサービスはほとんど使っていません。これも、場所や時間を使った価値提供と言えるでしょう。

よく引き合いに出す平安保険では、顧客の行動データを時系列で管理して、顧客の状況に応じて営業マンやコールセンターを動かしています。ユーザがアプリ上でがんに関わるコンテンツを見ていたら、がん保険の営業に行く、といったことはもちろん、例えば自然災害があった地域で車や家に損害があったかもしれない場合に、その人が請求できる保険に入っていた場合に「もし災害で損失があったら保険金請求できますよ」というリマインドコールをすることも可能になります。なお、この時に顧客の生涯価値、つまり現在ではなく生涯を通してその顧客がどれくらい平安保険にとって大事な(お金を出してくれる)ユーザなのかが可視化されており、こうした連絡においても優先度がつけられているそうです。

行動データのUX活用 その② 業務やサービスにおける品質管理

次に、ビジネスオペレーション側の品質改善に対する行動データ活用です。中国の安価な労働力を使うと、サボったり、成果や結果を偽ったりすることは日常茶飯事なのですが、デジタルで行動を可視化することで非生産的な労働をなくし、管理や監視を行うために使われています。

前著でも詳細にお伝えした通り、ディディの仕組みが分かりやすいでしょう。通常のタクシー配車アプリのように、ドライバーとユーザの相互評価だけでは容易に賄賂が起きてしまう中国においては、評価体系もなるべく客観的なものである必要がありました。これを踏まえてディディでは、主観的な相互評価だけではなく、ユーザの配車リクエストへのレスポンスの速さ、受けた配車に対してのキャンセル有無、移動時のスピード、急ブレーキや急発進など危ない運転をしていないか、といった行動を見ることによって、ドライバーの品質を評価するようにしました。ドライバーは配車中、ずっとドライバー専用アプリを開いておかないといけないので、この専用アプリからGPSで移動速度を見たり、ジャイロセンサーから急ブレーキ急発進の有無を判別しています。

これらを明確にドライバーに伝え、順守すればスコアが貯まっていってグレードが上がるため、「給料を上げようと頑張れば頑張るほど、UXが良くなっていく」という仕組みを作っています。まさに、行動データを活用した業務・サービスの品質改善と言えるでしょう。こういった業務管理や業務指示は、デリバリーやフーマーのピッキングなどに取り入れられています。

他にも、アリババのtoB向けソリューションSaaSであるディンディン(釘釘/DingDing)には、社内の営業管理機能が含まれているのですが、いわゆる空アポ、つまり本当はアポイントメントがないのに訪問予定を入れることで仕事をサボる人たちがいるので、訪問開始時に「今から営業訪問を開始する」というボタンを押さないといけないようなフローにした上で、訪問先の場所の周辺数百メートルにいないとそのボタンが押せないようになっています。起きている事象自体は、日本国内ではあまり活用余地はないかもしれませんが、場所や時間のデータを使って成果を可視化するという意味では、一定活用が可能かもしれません。

行動データのUX活用 その③ ゲーム化によるモチベーション向上

3つ目に、「ゲーム的に楽しめる仕組みを使って利用意欲を高める」ために行動データを使う方法が挙げられます。日本でも「ゲーミフィケーション」という言葉でかなり前から取り入れられていますが、これを更に行動データで強化して、本当にゲームのように楽しめる仕組みが取り入れられています。

例えば先ほど例に挙げたディディは、ややもすると「管理されている抑圧感からモチベーションが下がる」ということもあり得るように見えます。しかしドライバー専用アプリの中では、まるでRPGゲームのレベルや経験値のように、自分の現在のスコアや今日の配車状況がリアルタイムに可視化されていて、「今日は目標まであと少し頑張ろう」「やった!スコアが上がった!」と思えるようになっていたり、ドライバーが自分の今日あった出来事やティップスを投稿して「いいね」がもらえたりしています。このあたりは、前著の第2章5節にある「RPG型世界観ビジネス」にも詳述しています。

ディディのデザインとクリエイティブの責任者である程峰氏によると、「如何にドライバーと乗客がただの冷たい関係にならず、ドライバーが尊重されている感覚を感じられるか」を大事にしており、例えばユーザからドライバーにお礼が送れるようになっていたりします。私も実際、対応も丁寧なのに意外なルートで近道をして早く到着できた時に、お礼として10元ほど送ったことがあります。配車してくれるドライバーが決まってから自分のところに来るまで、様々な定型文が入ったチャットでコミュニケーションを取るのですが、この時にも定型文に「急いで向かいます!今日は寒いので、温かい所で待っておいてくださいね」とか、「あけましておめでとうございます!今から向かいます!」といった形で、季節や状況を踏まえた細やかな気遣いが入っていることで、定型文という楽さを上手く利用しながらすこし温かい気持ちでやり取りをスタートする工夫が織り込まれています。

他にも、上記は業務プロセス側ですが、ユーザ側でも同様のゲーム化が行なわれています。代表例は、意外かもしれませんが、アリババの信用スコア「ジーマクレジット(芝麻信用)」が挙げられるでしょう。日本では「アリババのやっている信用スコアというものがあり、人の行動を評価していて、管理社会の温床である」という論調が一定ありますが、これはいくつかの誤解が含まれており、アリババのジーマクレジットと国が管理しているスコアは別物で、連携がされていません。ジーマクレジットはほとんど「アリババ経済圏のVIP度合いを可視化したもの」に過ぎず、ポイントが著しく下がるようなことはあまり発生せず、条件を満たしていくと加点式で上がっていくものです。イメージとしてジーマクレジットはアリババのVIPスコアであり、「アリババ経済圏で優秀なユーザになると、現実で使える魔法が増える」くらいに思っていただけると良いかと思います。与えられたタスクを消化していき、アリババでの活動を増やしていくことでメリットが得られていく一種のゲーム的な楽しさがあるわけです。

このように、行動データの利活用事例は既にある程度パターン化が出来ます。世の中にある様々なデータを取りに行けばそれが財産となる、といった幻想を追う前に、自社が抱えるファーストパーティデータを使って、とにかくUXの改善に使うことが、本質的なデータ活用であることが伝われば幸いです。

3-6. DXの目的は「新たなUXの提供」

真に顧客提供価値勝負の時代

これまでにお話してきた各論を、デジタルトランスフォーメーションという文脈に落とし込んで行きたいと思います。

アフターデジタルで提唱している「あるべきデジタルトランスフォーメーション」は、デジタルとリアルが融合した時代、及び行動データが膨大に高頻度に出てくる時代を捉えた上で、企業競争の原理が商品販売型から体験提供型になる、つまりバリュージャーニーを創り、運用していくことを踏まえた上で、「新たな顧客との関係性」とはどのようなものであり、どのような体験を提供する存在になるべきなのかを考える活動であると捉えています。言い換えると「UXの変革を中心に置かないデジタルトランスフォーメーション」は、概して中身のない変革になりがちであると言えるでしょう。

アフターデジタルという概念の本質は、「真に顧客提供価値勝負の時代」であると考えています。例えば自動車を購入するというシーンであれば、かつては選択肢は多くなく、テレビCMや新聞広告、ディーラーのおすすめによって限られた選択肢から選ばされるような時代であり、利用形態も「所有する」以外にはレンタカーくらいしかありませんでした。しかし現在、所有するだけでなく利用のみをするシェアリングや、借りて使うリースのような利用形態が出てきた上に、インターネットを自発的に調べたり、逆にユーザへの不義理な行動は全て伝わってしまうような透明性の高い時代になっています。これによって、「ユーザが大量の選択肢とともに、選択権を得た時代」が到来しています。

皆さんも、ユーザとしての日常生活からお分かりの通り、ユーザがサービスを選んだり使い続けたりする際の基準は、「テクノロジー導入度」でも「OMO展開度」でもなく、「便利か、好きか、ベネフィットを感じるか」といった体験品質になります。テクノロジーにしても、OMOにしても、「先に顧客の状況を捉え、提供する価値を決め、その価値をどのようにテクノロジーや、リアルとデジタルの融合によってエンハンスするのか」という思考の順になって然るべきでしょう。

一見当たり前のことを言っているように思うかもしれませんが、「体験提供の時代」だからこそ、この顧客提供価値を分かりやすく定義できるかどうかが重要になります。製品を作って販売すればよい、ECなどの販売チャネルを作ってリリースすれば後は回るという時代であれば、提供価値の定義の重要性はそこまで高くありません。商品を企画した人たちの中でそうした価値が作り込まれていれば、あとは物自体が価値を持つからです。しかし、体験提供型ビジネス=バリュージャーニー型のビジネスを創り、運用していく場合はそういうわけにはいきません。バリュージャーニー型ビジネスとは、多様な接点をジャーニーとして繋げる「時間軸を持つビジネス」であり、マーケティング、購入時、リアル接点、デジタル接点などで担当するメンバーが異なるため、メンバー間で認識している提供価値や、提供しているカスタマージャーニーの認識がバラバラになっていると、例えばサービスの説明が統一されていなかったり、コールセンターとECと店舗で言っていること異なっていたり、ということが起こると、ユーザから見たときに一貫性が無いに感じられるからです。ユーザから見た体験や価値がいつも揃っているためには、提供価値を分かりやすく定義した上で、そこに携わる企業側のメンバーが各々で正しく認識、解釈をして動ける状態にする必要があります。

このように、時代の変化によって、今まで以上に顧客提供価値の定義が重要になっており、それは第2章5節のラッキンコーヒーとスターバックスの戦いからも読み取れます。

UXへの注力なきデジタルトランスフォーメーション

一方で、日本におけるデジタルトランスフォーメーションは「デジタルを導入せよ(=多くの場合、意味としては『AIやデータを活用せよ』と同義)」という命令が出てしまい、この「顧客提供価値をアフターデジタル社会に照らし合わせて再定義する」という大上段の議論が抜けがちです。「顧客にどのようなUXを提供するのか」を考える前に、業務や人事のデジタル化を先に行なってしまうことが多い状況だと言えます。

実際に私がデジタルトランスフォーメーションのご支援をする中でも、「アフターデジタルに対応するために、顧客提供価値、カスタマージャーニー、ビジネスモデルを一緒に考えてください」と言われることがあります。この時に私が「実際のユーザに触れてユーザの状況を理解することと、顧客提供価値とジャーニーを検証することは、どのタイミングで行ないましょうか?」という質問をすると、「確かにそれもやってもいいかもしれないがどちらでも構わない」と言われることがかなりの確率で発生します。多くの場合、顧客が今どのようにその企業に触れていて、何を価値だと捉え、何に困っているのかが分かっていません。にもかかわらず、なるべく未来的で大きな絵を書くことを優先してしまったり、先にビジネスモデルを書こうとしたりと、顧客の状況理解とそこに提供するべきUXの企画がないままデジタルトランスフォーメーションを進めようとしてしまいがちなのです。

現在の日本において、UXという言葉はUI(ユーザインターフェース、つまりはアプリやウェブの画面上のデザインや使いやすさ)と一緒に使われてしまい、なかなか経営レベルで語られることはありません。しかし、GAFAやアリババ、テンセントではUXの設計がビジネスの全てを決めるといっても過言ではないことが理解され、経営レベルでそれが語られます。何故なら、彼らがそもそもUXを「ユーザ(デザイン)、ビジネス、テクノロジー(機能)の3つがそれぞれ関わり合う時に生まれる体験・経験」であると捉えており、かつ体験提供型のプレイヤーであるため、如何に高頻度に長く使ってもらえるかがビジネスの全てを決めるからです。

これまでは、リアルの接点ではユーザの行動を把握すること、その行動をコントロールすることも難しい状態でした。しかし更にデジタルとリアルが融合すると、リアルであっても「オンラインリアル」になってきて境目がなくなるため、こちらが想定したような動きをリアルにおいても取ってもらったり、それがうまく行ったかどうかを検証して改善することが可能になりますし、モノが購入されたらOKなわけではなく、本当に購入したモノが使われ続けているのか、問題はないのか、付随サービスにまで手は伸びているのかを把握し、検証し、改善せねばなりません。

デジタルトランスフォーメーションにおいては、「顧客との関係性を新たにする」ことから生まれる提供価値やビジネスモデルの変化と、コストや生産性の効率・パフォーマンスを高めるための変化の、大きく分けて2つが語られますが、前者なしでは、後者の最適解は分かりません。UXへの経営の注力はもはやデジタルトランスフォーメーションの最重要トピックであると考える必要があるのではないでしょうか。

第3章のまとめ

第3章では大上段として、アフターデジタル時代に合わせた新しいUXを作ることこそがDXの目的であり、新たな顧客提供価値も見定めずに、仕組みやシステムのみをデジタルトランスフォームしようとしても意味がない、というメッセージになっています。

これを大前提としながら、様々な「ビフォアデジタル的立脚点」を指摘していきました。

  • データエコシステムやデータ売買を中心に置いた「実現性の見えない大きな絵」ばかりを描かないように、まずはデータ活用や共有の幻想を解く必要がある

  • 「デジタル」という手段に囚われすぎず、デジタルとリアルの強みと弱みを正しく捉え、繋ぎ合わせることで顧客との新たな関係を作っていくことにOMOの本質がある

  • 「広範囲なデータで如何にマネタイズできるか」ではなく、「個社で取得できる行動データを如何にUXに活用するか」がカギとなる

本質的かつ実現可能で、ユーザの役に立てる製品・サービス・企業を作っていくために、共にビジネスやDXを推進する方には、出来るだけ同じ絵を共有していただけると、精度が高まり、向かうべき方向性、実行する順番が定まっていくのではないかと思います。

第4章 UXインテリジェンス ー今私たちが持つべき精神とケイパビリティ

※UXインテリジェンス全体像

ここまでは、世界のアフターデジタル的先進環境を再確認し、その環境で生き抜く企業の対応を見渡した上で、その状況に日本が追いつくにあたって溝となってしまっている「よくある誤解や勘違い」を一つ一つ確認していきました。つまり、事実をベースにした過去を解釈してきたのがこれまでの章でした。

第4章では、これらの「事実をベースにした世界と日本の違い」に対し、「私たちがより良い未来、社会を作っていくための提起」をしていきます。

本書はデジタルトランスフォーメーションのあるべき姿を描いたものですが、それは社会のデジタル化、人々の生活のデジタル化にどう対応するのかであると同時に、企業が対応することによって社会が変化していき、人々の生活が変わっていく事でもあります。中国の先進環境は、一方では監視社会の様相も呈しており、これを認めたり推奨したりすることは決してあってはならないと思いますが、前書きに書いた「ユーザに不義理なことをしない」「データを持っていることは責任であり、社会貢献に還元する」という企業の持つマインドセットによって、劇的な進化を遂げながらも、以前と比べて人々にとって善い社会になったようにも思えます。

一度社会レベルに視点を上げて、現在の社会の可能性や自分たちの強さやを再確認してから、どのように対応していけばよいのかをご説明していきたいと思います。前半の3節は、「ディストピアではなく、より良い社会としてのアフターデジタルとどのように作っていけるのか」という提起、後半3節は実践を見据えて、よりプラクティカルな「考え方と方法論」を提示していきます。

4-1. 人がその時々で自分らしいUXを選べる社会へ

2種類の「自由」

中国とは異なる環境にある日本が、どのようなアフターデジタル社会を目指すべきなのか。前著の共著者、尾原和啓さんとこのテーマを議論していた際、尾原さんが教えてくれたのが「自由という言葉には、本来は2つの意味合いがあることを捉えるべきではないか」ということでした。

「自由」を英語にすると、FreedomとLibertyという2つの意味があります。

  • Freedom…「制約や負・不からの自由」を指し、制約がない状態に解き放たれることを意味する。
  • Liberty… 「主張して獲得する自由」を指し、自分の権利や生き方を獲得することを意味する。

何故こんな話をしていたのかというと、中国と日本の差を考えていたからでした。

特に2018年までの中国で見られる事例は、医療や交通に人が集まりすぎて圧倒的に効率が悪かったり、すぐに詐欺やぼったくりが起こったり、金融においてもそもそも生まれた状態から信用がないのでお金や家が借りられなかったり、といったように、社会的な不・負が大きすぎる状態を前提にしています。ディディにしても、信用スコアにしても、平安グッドドクターにしても、こうした「不・負」の多い社会環境にモバイル起点のデジタル技術が入り込んだことで、欧米や日本を飛び越して便利になってしまった事例が多いといえます。一方で日本はというと、医療にも交通にも金融にも、全体的な日常生活を通してそこまで社会的な不便、不利益、格差が大きくないため、中国の事例をそのままあてはめることはなかなか出来ません。

この時に、私の頭に浮かんだのは、深センでインタビューしたアーティストの発言でした。

彼に「日本の良さはどんなところ?」を聞くと、「日本人は中国人に比べて、一人一人が独特なユニバース(宇宙・世界観)を持っているように見えて、そこが素晴らしいと思います。多様な文化やアートを吸収して自由に組み合わせ、自分なりに独特な世界観を持っているように思えるんです」と言うのです。

貧富の差が大きいことはもちろん、30年間経済が大きく成長し続けた中国では給料が10倍になることもあり得ない話ではありません。こうした状況下では、「お金を稼ぐ」「豊かな生活をする」ことが一つの大きな「幸福」の方向として位置づけられ、文化やアートを考えても「儲かるメインストリーム」を軸に展開されていきますし、思想統制も相まって、日本ほどの多様性、特異性が生まれにくい構造にあります。

一方の日本はというと、総中産階級ともいわれるようにグローバルで見れば貧富の差は小さく、年功序列がまだまだ一般的であるため、給料が倍になるなんてことはなかなか想像がつきません。「お金を稼ぐ」「豊かな生活をする」という「幸福」の方向づけにはすぐ天井が見えてしまうため、「自分らしい幸福や生き方」を求めて、多様に飛散していきます。そう考えてみると、深センのアーティストから、私たち日本人が(おそらく彼が見ている日本人はかなり文化レベルが高いのではという邪推は置いておいて)、様々な文化やストーリーに囲まれながら、自分らしいものを寄せ集めてくっつけて生きているように見えており、それが「自分らしさ」を表すユニバースのようだという表現になったのではないでしょうか。(とはいえLGBTQをはじめ自己表現の許容度が開かれている社会ともなかなか思えないため、小さな物語が多様に存在する、というのが正しいのかもしれません)

改めて尾原さんとの「日本と中国のアフターデジタル到来の違い」という議論に戻ると、私からの深センのストーリーを聞いた尾原さんは、山口周氏が示されている【「役に立つ」から「意味がある」へ】という考え方になぞらえられるのではないか、と提起されます。

山口周氏は著書「NEW TYPE ニュータイプの時代」で、「役に立つ」=機能的便益の有無、「意味がある」=自己実現的便益の有無として区別し、以下のように解いています。

  • モノが充足し一定便利になった時代においては逆に意味が不足し、意味を見出すことができるニュータイプ(新しい世代)が生き残っていく。
  • 「役に立つ」で戦うと価値が単一なので(評価基準が決まっているので)、その単一な評価において少数のみが勝利してほぼ全員が負ける一方で、「意味がある」市場では多様化が進む。例えばタバコは体や健康の役に立つわけではないが、味、求める効果、ファッション性などが「意味」として重視されているため、数百種類が生き残っている。
  • 「意味がある」方がコピーができず、高く売れる。例えば自動車では、便利だが意味性の弱い一般的なファミリーカー、便利で意味性もあるベンツやBMWのような高級カー、メンテナンスが大変で乗れる人数も少ないため利便性は低いが意味性に富む、フェラーリやランボルギーニのようなスーパーカー、これらを比べると後者に行くほど値段が高くなる。

多様な自由が調和するアフターデジタルを目指す

実はこの「役に立つ」と「意味がある」という概念は、第2章3節のNIOやズールーの事例において、「利用する上でのペインポイントを解決する、便利系サービス」「ライフスタイルに新しい意味をもたらすサービス」という形で登場させています。前者を利便性、後者を意味性とすると、Freedomは社会的課題が解決されて皆が便利になる利便性を指していますし、Libertyは自分らしい生き方を獲得することで人々が獲得する意味性を指していると言えます。成長が鈍化した成熟市場であればあるほど、市場原理におけるLiberty=意味性が重要になってくるということを示しており、深センの彼が話した「個人が持つユニバース」も、多様な意味性を取捨選択して生まれた自分らしい生き方のことを指しているといえるでしょう。

ここまでの話を統合して、まず中国から考えてみます。中国にはFreedomの対象となる社会的課題、皆が持っているペインポイントが多く存在し、この課題に対して利便性の向上を目指すプレイヤーが大量に表れながらも多くは滅びていき、限られたプレイヤーが生き残りました。社会に広範囲に存在する課題を利便性によって解決することは「マスマーケット」を狙うことになるので、世界最多の人口を抱える中国が世界で最もネットワーク効果が効き、一気に進化した結果、2018年で利便性のレイヤーは概ね取りつくし、NIOやズールーの例で示したように、現在は意味性のレイヤーが大きく広がりつつあると言えます(無論、これまで全くなかったというわけではありません)。

欧米や日本の人々から見て、中国の状況が管理社会やディストピアを彷彿とさせるのは、Freedomの自由を解決する際に、IDを広範囲に取りつくした結果、管理可能な秩序を国家やプラットフォーマーが手にしている点にあるのでしょう。デジタルによって強められた秩序(統治)に対しての自由の選択肢ももちろんありますが、そこまで多様な選択肢でもない(特に現状はアリババ経済圏とテンセント経済圏の大きく2パターン)ですし、日本から見て抵抗感があるのも当たり前かもしれません。

しかしLiberty型のアフターデジタル社会は、つまり利便性を軸にIDを総取りして秩序を保つ中国のモデルとは異なり、意味性に富んだ「世界観型ビジネス」が多様に生まれ、人々にはUX選択の自由が担保され、結果、人がその時々で自分に合ったUX・ジャーニーを選び取れるような社会を指向しています。

デジタルによる秩序は一定の範囲内(例えば疫病対策など)で、高いレベルで提供されるが、多様な世界観が存在していて、ユーザーの意志による「UX選択の自由」は脅かされない、といった「多様な自由が調和する、UXとテクノロジーによるアップデート社会」こそが、私たちが目指すアフターデジタルの社会像ではないでしょうか。この目指すべきアフターデジタル社会は、「国家やプラットフォームといった権力による総取り社会」とは異なるため、日本企業がデジタルトランスフォーメーションによって貢献するチャンスが非常に大きいものと考えます。UXとテクノロジーを柔軟に活用しながら、自分たちが描きたかった世界観やUXを作り出し、ユーザが成し遂げたい自己実現を捉えたり、「こうありたい」という新たな価値観を生み出したりしながら、その実現を支援することを何より最優先にするべき時代にいると考えます。

「おもてなし」とは世界観の提示である

少し脇道にそれるようですが、「意味に富んだ世界観型ビジネスが多様に生まれる」状態というのは、日本人の特異性や得意領域にも合致しているのではないかとも思っています。

「おもてなし」という言葉が日本の強みや誇りのように使われることが多いのは周知の事実ですが、あたかも「間や先を読んで丁寧に対処する」という意味で使われるケースがほとんどで、これは本来の意味とは異なっています。星野リゾートの星野佳路氏は、日本におけるおもてなしの本質を、世界観を見せつけることにあるといいます。

西洋における、接客としての「サービス」という言葉は”Serve”から派生しており、相手に尽くすServant(召使い)という言葉もこれを踏まえています。つまり、相手の言うことを御用聞きし、相手がやりたいことを全て実現するものであり、「間や先を読んで丁寧に対処する」ことも十分に含まれています。「相手に対応する接客・接待」と言えるでしょう。

一方で、日本のおもてなしは、美徳やモラルが共有されていることを前提に、むしろこちらが作り出した世界観を相手に提示するものです。トヨタのレクサスにおける接客方法に使われているという、おもてなしの礼法として有名な小笠原流礼法を例にとってみても、お辞儀の仕方、接し方、言葉遣いなど、完成された世界観、人との関わり方の哲学を元に、全ての所作を完璧にこなすものです。正直一つ一つの所作は、ユーザ側が「そうして欲しい」と思っているわけではないのですが、それでもその完成された世界観に裏打ちされた所作・対応に美しさを感じたり、魅了されたりするわけです。一つ一つの物や所作や配置に意味を込めた自らの茶室にお招きする、といったことも同様でしょう。相手の御用聞きや、相手に仕えることを中心に置いているというよりも、極端な言い方をすれば「練りこんだ世界観を相手に提示する」ことが日本らしいおもてなしである、ということです。ただし、これらの作法も「完成された世界観や哲学」を元にしているだけで、お客様を置いてけぼりにしたり、押しつけて相手をないがしろにしたりすることは全くありません。相手を理解し、その状況を捉えて先回りをする体験設計も当然徹底されており、その時の対処も全て、独自の世界観によって定義されたルールで対処されるということです。

2020年にシン・二ホンを書かれたヤフーCSOの安宅和人氏は、付加価値の時代(売上・利益ベースの成長の時代)はもう大きく進化することはなく、マーケットキャップ(時価総額)ベースで企業の価値を考えねばならない時代に来ており、それは付加価値を生み出す(売上・利益を作る)既存の仕組みの延長線上ではどうやっても到達できない、と語っています。これを踏まえ、安宅氏は「次の時代は、夢を形にする『妄想の時代』である」とし、妄想を形にするのが技術とデザイン・アートの力であると語ります。この発言には共感するところが強く、「バリュージャーニーが優位となる時代において、作りたい世界観を実現するテクノロジーとUXの能力が必要だ」という本書のメッセージとほとんど重なっているように思っています。

デジタルとリアルが融合した社会の到来により。独自の世界観作りも、ユーザの状況理解も、これまでよりも高いレベルで実現することが可能になった今、「意味に富んだ世界観型ビジネスが多様に生まれる社会」は、日本の系譜にも符合する社会の在り方になるのではないか、と考えています。

4-2. UXと自由の精神 -企業のDXが社会をアップデートする

目指すべき「多様な自由が調和する、UXとテクノロジーによるアップデート社会」(ユーザ側の視点で書くと、「人がその時々で自分に合ったUXを選べる社会」)は、実は民間企業が社会のアーキテクチャ設計を担うことができる、すごい時代の到来を示しています。

アフターデジタルは常に社会起点でDXを捉えてきました。社会と企業(経済・ビジネス)は当然ながら相互に影響し合うため、言い換えると皆さんのやっている「企業のDX」は、そのまま社会のDXを形作ります。この第4章2節では、経営者およびDX、OMO、UXの推進者がこれまで以上に社会に貢献できる状況になっていることを示し、その応援歌としたいと思います。

ビジネスパーソンが社会設計の一翼を担うべき時代

上記にある「民間企業が社会のアーキテクチャ設計を担うことができる」という言葉における「アーキテクチャ」の意味は、単に構造という意味を表しているのではなく、ローレンス・レッシグのいうアーキテクチャを引用しています。簡単に説明すると、レッシグは「人を動かす力、行動を規定したり変えたりする力」には、法、規範、市場、アーキテクチャの4つが存在すると言っています。法が行動を規定することは説明不要かと思いますし、規範はいわゆるモラルや倫理を指すため、「善き行いを取るべき」と教えられる、または風習としてそうなっていることで、行動が規定されていきます。市場というのは、「そう行動する方が儲かる、得をする」という方向付けがされ、人々がその原理に従って行動することを指しています。

では4つ目のアーキテクチャが何かというと、「環境の設計を通じて、行動をコントロールする手段」を指しています。例えば、信号が赤になったり踏切が鳴ったら止まらないといけないとか、建物にドアがついていたら基本そこから出入りするものだとか、自然と周りの環境に適した行動を取るための「環境設計」を指しています。良くある事例として、男性用トイレの小便器にはしばしば「的(マト)」がついていることがあります。この的は「そこに当てると飛び散らない」場所に置かれており、このような的を置かれると人はなんとなくそこを狙ってしまうので、結果としてトイレが奇麗に保たれます。他にもマクドナルドでは、あえてイートインの椅子を硬いものにしておくことで、ユーザが座るのに疲れてしまい、結果滞在時間が短くなって店舗の回転率を上げることが出来るといった手法が使われていました。このように、環境設計によって行動規定する手段をアーキテクチャと呼んでいます。

社会レベルのアーキテクチャは、通常国や自治体などの行政レベルで作られるものですが、インターネットの上ではアーキテクチャが整備されていませんでした。ポータルや検索サイトを中心にして、Googleやヤフーが整理した一定のルールに基づいて何かを調べにいく、といった「行動様式」が生まれたわけですが、これらは行政レベルではなく各インターネット企業が作り出すものだったわけです。インターネットには国境がないので、当たり前と言えば当たり前かもしれません。

インターネットの領域においてはその初期のころから、UXやカスタマージャーニーという言葉が使われ、重視されています。インターネットの世界におけるUXとは、まさに行動様式を決める環境づくりなわけですから、リアルの世界における街や道路や交通機関の使いやすさ、便利さと同等のものと言えます。インターネットの世界において、欲しい服を見つけ出すまでに30分かかる使いにくいECサイトよりも、欲しい服がすぐに見つかるだけではなく新たなスタイルも含めて提案してくれるECを皆使うようになるわけですが、これをリアルに置き換えると、モノを買いに行くまで電車を数時間乗り継いでいかないと行けない国や都市よりも、自分の家の近くで欲しいモノが変えたり、街に出るまでの交通機関が楽に設計されている国や都市の方に人が集まることと同じと言えます。バーチャルな空間なのかリアル空間なのかという違いがあるだけで、共通して「行動を決定する環境設計の力」、つまりアーキテクチャ設計の力が、大きな影響力を持っていると言えます。

今や、PCからインターネットに接続する時代から、モバイル、IoT、センサーなどがオンラインにつながって、デジタルがリアルに浸透したアフターデジタル社会が来ています。デジタルがどこにでも浸透してオフライン状態がほとんどなくなりオンラインベースとなった社会においては、民間企業がこれまでオンライン上で行なっていたアーキテクチャ設計を、リアルの世界にも侵食させることが可能になっており、企業がUXとテクノロジーの力を駆使して社会のアーキテクチャの一端を作り上げられるようになったと言っても過言ではありません。

例えば、第一章で書いたGrabの例を取るなら、元々銀行口座さえ持らず生活が安定しなかったタクシードライバーが、Grabの作ったアーキテクチャに乗ることでタクシードライバーとして儲かるだけでなく、自分の行動を信用情報に変えることでGrabのサポートを受け、タクシー広告やローンを駆使してより安定した家庭を築き、行動が蓄積されることと生活の安定性が増すことの双方から、社会的に品行方正にまでなっていきます。これが、ユーザ側に大きな負荷をかけることなく実現される環境が整っているわけです。

2020年の5月下旬、SNSにおける誹謗中傷問題が取り沙汰されました。テレビ番組やメディアの問題であるとか、人々のリテラシーの問題であるとか、様々な論調がありましたが、これも「アーキテクチャ設計」の問題と捉えることができます。アーキテクチャ設計では「特定の行動がしやすい」「特定の行動は出来ない」という環境を作ることで、発生しやすい状況を生み出すことができます。Twitterを考えると、「増殖したツイートに返信をつける」という行動を誘発しやすい構造があえて作られています。かつては他人の投稿をシェアする「リツイート」のみがフォロワーのフィードに反映されていましたが、2017年3月以降から「いいね」もフォロワーのフィードに反映されるようになりました。ツイートは拡散すればするほど広告的な効果や影響力を示すことができる一方で、元々の興味関心や考え方が遠い人に露出され、仮に前後の文脈があったとしても140文字の1ツイートだけが読まれやすくなります。しかも「@(アット)」を付ければ、相手に通知しながら返信が出来るようになっているので、異なる意見や立場から様々な言葉を受け取ることも増え、それが前後の文脈を理解していないことも多く発生します。この観点から誹謗中傷問題を捉えると、「そういうものが生まれやすいアーキテクチャだから」ということもできます。

対して、ニュースメディアのニューズピックス(NewsPicks)を見てみましょう。このメディアは、世にある様々なオンラインメディアからニュースを集めてきて、そのニュースに対してコメントをしていくことができます。そこにはプロのコメンテーターとして「プロピッカー」が存在し、ニュースの解釈の仕方や背景情報を「コメント」として追加することで、各ニュースをより深く理解することが出来るメディアです。それらのコメントに対して、「いいね」や「専門的・共感できる・分かりやすい」という評価を付けることができます。

ここでもコメント欄が荒れることはあるのですが、まず「@」で返信することができないため、積極的に自分へのコメントを探さない限り、誹謗中傷は目に入りませんし、相手のコメントに対して悪い評価を付け加えることも出来ません。運営の方からは「あくまで、ニュースに対してコメントし、良いコメントを評価する場であって、コメントにはコメントをしないという考え方を貫いている」と伺いました。確かにこうした「願い」「世界観」を実現するために「相手のコメントにはそもそもコメント出来ない」アーキテクチャになっていると言えるでしょう。

中国企業に見るアーキテクチャの分散化

さらにイメージを深めていただくために、改めてこの視点から中国を見返してみたいと思います。皆さんが感じるように、中国政府は日本と比べて「監視社会」という側面は強いと言えます。新型コロナウイルスのような有事の際には統制を効かせて押さえこみやすかったり、人それぞれの状況に合ったサービス提供ができるようにはなるものの、思想統制の側面もあり、監視カメラの多さはもちろん、SNSやコミュニケーションアプリで反政府的な発言をするとアカウントが止められたりすることもあります。実際にその社会に住んでいる人たちがそこまで抑圧されているかというとそういうわけでもないのですが、とはいえこうした監視国家を礼賛するつもりは毛頭ありませんし、中国のようになるべきだとも全く思っていません。

しかしこの5年、デジタル浸透が進んだ結果、生活の利便性が一変するだけでなく、相手を信用して貢献したり、品行方正になったりするという社会進化が生まれたことは事実ですし、これは社会貢献意欲や変革意欲を持った企業家による側面が大きいと言えます。アリババやテンセントによって、今まで信用情報が全くなかった市民が、正しい行為を積み重ねた行動履歴によって信用してもらえるようになり、お金を借りたり家を借りたり起業したりすることができるようになりました。配車アプリのディディが作ったアーキテクチャによって、これまでは詐欺や乗車拒否が横行し、非接客業であったタクシー業界が一変し、ドライバーは品行方正に振る舞いながら決められた水準の仕事をきっちり実行すれば儲かり、ユーザも相手に失礼なく振舞うことでタクシーが捕まえやすくなり、殺伐とした緊張関係がなくなって互いに親切にするようになりました。このように、本来は国家が持つべき「アーキテクチャ設計」を、デジタルとリアルを融合させたUXによって各企業が担うことで、かつてよりもずっと豊かな社会が生まれていると見ることができます。これを本書では「アーキテクチャの分散化」と呼び、デジタルが浸透したアフターデジタル社会だからこそ民間に与えられた力であると考えています。

実際に中国のトップ層の企業家と話をすると、「これまでの中国は、人が信頼し合わないし不便だし本当にひどかったけど、それでも自分も家族も育ったこの国が好きだし、自国の文化も大好きなので、何とか自分たちがこの社会を良くしていかなければならない」という使命感と意欲を持っている方たちが非常に多いことが分かります。NIOの創業者であるウィリアム・リー・ビンがアメリカから戻って北京に降り立った時、大気汚染で真っ白だった北京の空を見て憤り、「私は電気自動車で北京の空を青くするんだ」と決意して、”Blur sky coming”というスローガンを掲げました。NIOは中国語名で「蔚来汽車(ウェイライチーチャー)」といいますが、「蔚」は空の青を示す単語なので、まさにBlue Sky Commingをそのままブランド名にしており、こうした考えや想いに共感した優秀な社員や顧客が集まっています。中国政府のやり方、考え方はともかく、こうした「より良い社会を作ろう」とする企業家の意志は、私たちにとって学ぶべきところが大きいように思います。

社会課題が多い国では、「利便性の改善」という分かりやすい価値観と、これまでのインフラの未整備ぶりをテコにして、DXの社会実装が超高速で行なわれており、そのスピード感を羨ましく思わざるを得ない状況でした。実際多くの方から、「社会的なペインポイントがあまりない日本において、DXの社会実装はどうしても進まないのではないか」というお言葉をいただいてきました。しかし新型コロナウイルスによって社会課題が噴出した2020年、自らが苦しい中でも何か社会の役に立とうとする企業や活動が日本でもたくさん生まれています。まさに企業が行う対応が社会に波及し、助け合いの中で企業のDXが「社会全体のDX」を形作っている様が見られているように感じています。

重要なのは、FreedomとLibertyは相反する構造で捉えないことでしょう。私の勤めるビービットでのサービスデザインでは、「ペインポイントのゲインポイント化」という手法を使います。これは「生活に潜む課題(顧客の置かれた不幸せな状況)を見つけ、それをどのような幸せな状況にするか」を追求する、ビービット独自のサービスデザイン手法なのですが、これはまさに「不便」を見つけた上で、その不幸せを幸せな状態にまで転化してしまうような意味性(世界観)を作り出すことに他なりません。コロナ対応においては社会的な痛みが大きく、その痛みにとにかく対応している状況ですが、そんな中でも、自社にとっての「意味性」を追求し、作り上げることを忘れないようにすることで、自由と秩序の共存する社会の実現が近づくように思います。

4-3. 企業家精神としてのUXインテリジェンス

「アフターデジタル時代のDXに挑むビジネスパーソンとその組織が持つべき精神と能力」こそが、本書で示す「UXインテリジェンス」なのですが、このUXインテリジェンスは、精神と能力の2つで構成されます。多くの方が一番興味があるのは「能力」の方でしょう。

しかし前述の通り、企業のDXは社会のDXに直結するわけですから、「社会のDXを念頭に置かないと企業のDXも上手くいかない」ということも言えます。私たちが企業としてのDXをどのように実現するのかが、その集合体としてどのような社会になるのかを規定するわけですから、どんな世の中にしたいかという企業家精神が不可欠になると考えています。「精神」を踏まえずにこの「能力」だけ持っていても、社会に受け入れられるDXを成し遂げることは出来ないと考えています。

私たちの行動次第で、ディストピアになるかどうかは決まる

アフターデジタル時代に必要な人材や組織は、AI・データをはじめとするテクノロジーで実現できること・できないことを理解した上で活用し、UXを企画する技術を使ってビジネスやサービスにおける環境設計(アーキテクチャ)を行ないます。こうした技能や専門性を持った人や組織が現在世の中にたくさんいるわけではありませんが、デジタルマーケティングやサービスデザインを顧客視点で行なってきた人たちはこうした能力を持っていたり、秘めていたりする傾向にあります。一人ではなかなか持ちきれない能力であるため、組織内で役割を分担しながらこの能力を持つことも考えられます。

しかし、UXとテクノロジーを扱うこの人材または組織が持つ影響力は前述のように非常に大きいため、「その力を悪用する」という恐ろしいシナリオも想像されます。例えば以下のような悪用は容易に想像できるでしょう。

  • 特定のサービスに登録したら楽しく利用しているうちに、気づいたら返せない額のお金を借りてしまっていた
  • すごく便利だと思って毎日使っていたのに、裏では自分の個人情報や顔のデータが勝手に売買されていた
  • 書き物や写真などの自分の著作を、とあるプラットフォーム上に大量に公開していたら、突然その著作権を運営会社が独占することになった

いずれも、圧倒的な使いやすさや利便性、生活の豊かさと引き換えに、最終的には自社のみが大きく得をする状況にユーザや社会を引っ張り込むような事例ですが、近しい事象は実際に世の中でも起こっています。利益を最優先で追求するタイプの企業体は、どうしてもこのような方向にUXとテクノロジーを使ってしまいがちです。意識的に悪用しようとしなくても、KPIに終われてつい無意識にやってしまっていた、ということもしばしば起こり得ます。お気持ちは分かるのですが、こうした事象が起きることで社会の進化は大きく停止します。

特にデータとAIの利己的な活用は、「監視社会」を始めとした恐怖を社会に感じさせます。「自分たちのデータが勝手に使われ、プライバシーが侵害され、ゆくゆくは監視社会になっていく温床なのだ」という論調です。こうした議論は、多くの人が「何ができるか」を理解できていないため、事例とセットで語られます。データとAIの活用が語られる際に、利己的活用、つまり悪用の事例がいくつも挙げられる状態になってしまうと、データとAIは社会悪とされ、活用が大きく制限されていきます。アメリカでも中国でも、インドでも台湾でも、一定の社会実験とそれぞれの倫理の下でデータ活用がなされていますが、日本がテクノロジーの恩恵を受けて進化していけるかどうかは、如何に企業家・ビジネスパーソンが善き精神(Spirit)を持ってUXとテクノロジーを活用できるかにかかっているといって差支えないでしょう。

この「UXインテリジェンスにおける精神」が重要なのは、企業でDXを推進したり、OMOやデジタル活用で世の中にインパクトを与えようとする方々が、仮にこの精神なしで企業をデジタル進化させてしまうと、社会にもユーザにも受け入れてもらえないようになる可能性が極めて高く、かつそれがいくつも実際に世に出てしまうことで、社会的発展が止まってしまう可能性が高いからです。DXを推進する人や、アフターデジタルに対応しようとする人、およびその組織はすべからく、「次世代の価値を作る体験設計者」として、社会と企業とユーザに受け入れられるアーキテクチャを作る責任が発生していると考えます。

「データをUXに還元する」を社会実装するために

この「精神」においては、「データを何に使うのか」という論点が最も重要だと考えています。「データをそのまま売上・利益に還元できる」と考えるデータ幻想が広く存在するため、リアルとデジタルが融合した社会での新たな自由の在り方にアップデートしていかねば、今ある自由や社会観念を大きく毀損してしまう可能性があります。

データを扱う上で、日本における考え方は欧米や中国とはまた異なる背景があるため、一般的な社会感情を改めて言葉で整理しておきます。これまで、インターネットにおいて人は「ダブルを生きる」ことが出来ました。特に日本社会において、耐え難い抑圧から逃げたり、面と向かって言えない不満を晴らしたり、表に出しにくい自分の好みをさらけ出して人とつながったりするために、匿名性が強い形でインターネットが使われる傾向があります。かつての2ちゃんねるもそうですが、日本でTwitterは世界各国と比べてもよりアクティブに使われており、一人が複数のアカウントを持つことも当たり前になっていて、他国よりも顔や実名を公開した利用が控えられる傾向にあります。こうした「別人格を生きること」「身を隠して本音を出すこと」が、窮屈な社会環境に対する自由として確保されていた側面が強く、これが一定の秩序と自由のバランスを保っていたと言えるでしょう。

この社会からすると、「オンラインがオフラインを覆い、全ての行動データが一つのIDに紐づく」という世界は、オンライン側で生きていたダブルの自分を、リアルの自分と繋げて統合してしまうため、よく言われる「プライバシーの侵害」というよりもむしろ、自らの隠された欲求を吐き出すプライベート空間という、自由のはく奪に見えてしまいます。前著を出版した後には、こうした状況に恐怖を感じて「アフターデジタルはディストピアを作り出す」という考える方々もいらっしゃいましたし、このように思われることも非常によく分かります。

一方、ID統合によってユーザが受け取れるベネフィットが大きいのもまた事実です。オンラインとオフラインが融合した体験が提供されることで、これまでよりもスムーズかつ楽な形で、その時々に最適な方法・商品・サービスを融通無碍に選べるようになります。UXとしての魅力が大きいとなると、ビジネスでの活用は必須と言えるでしょう。かつ、実際にはあらゆるデータが繋げられることなどほとんどあり得なく、特定企業が保持するファーストパーティデータの利用に留まるため、「様々なダブルが統合されて、個人として白日の下にさらされる」などということは起きません

データ管理社会、プライバシーのない世界といったディストピアが想定されてしまうのは、基礎知識やリテラシーの欠如だけではなく、結局のところ「どのような事例が世に出るのか」によるところが大きいと言えます。

例えば新型コロナウイルスを抑え込むような国家レベルでの対応では、特に感染者の位置情報を管理するテクノロジーに関して中国や台湾の事例が取り上げられました。人道的ではないという批判を一定浴びつつも、パンデミックを止めるためのソリューションとして実際効力を発揮しており、重要かつ必要ではないかという議論もあるため、ヨーロッパのGDPRにおいても、こうした社会実装事例と自国の状況を照らし合わせて、個人データの活用範囲を改める新たな線引きの必要性が話題に上がっています。

世の中において新しいものが出てくると、どうしても一度多くの人々が怖がります。AIに仕事が奪われるという話もそうですが、実際にかつて初めて写真が出てきたときは、「映ったら魂が抜かれる」という噂まで出てきています。この状況下で重要なのは、「実際に使ってみたらどうなるか」を多くの人が目の当たりにすることです。つまり、小さくても良いので社会実装した事例を如何に世に出すかが重要ですし、逆に「どのような事例が世に出るか」によって大きく社会発展の方向性が変わりうると言えます。

新型コロナウイルスの蔓延は、未曽有の混乱をもたらした悼むべき大災害であると同時に、それに対応するために様々な社会実装がされて世の中が変化しているという意味でも大きな契機になっています。ヨーロッパにおいても個人データの取り扱いが見直されているのは、各国の対応の中で、IDデータ活用やGaaS的なテクノロジー活用による押さえ込みが上手くいっている事例を目の当たりにしたことが大きく、「医療への活用と発症者の位置情報程度であれば、社会善として活用を認めても良いのではないか」と考えられています。日本の遠隔医療においても、これまではなかなか重い腰の上がらなかった「オンラインでの初診解禁」が、新型コロナウイルスへの対応として実現されました。海外事例に加え、日本における医療系デジタル企業のこれまでの努力と技術力によって実現が可能になったわけですが、これも社会実装した実例から「怖いものではなく、活用すべき有益なものだ」と証明できたことは大きいと言えます。

こうした事例と、「データを何に使うのか」という議論を組み合わせて考えてみると、DXを推進する方々をはじめ、データを扱う全ての方々が認識すべきなのは、自分たちが実現するビジョンやサービスによって、世の中がどちらにも傾き得るということではないかと思います。「UXとテクノロジーを駆使することは、ディストピアを生み出すのではなく、新しい自由を形作るのだ」という精神を私たちビジネスパーソン及びその組織が持つことで、より良い社会へのアップデートが可能になるはずです。

しかし現在の企業の考え方、DX推進者のデータ利用の認識を見ると、手触り感のない「ハイレベルなデータ議論」による大きなデータ幻想を抱くケース、企業の利益のみを見てユーザが不在になっているケースが多く、ここに危なさを感じています。実際データが直接的にお金になるような事例はほとんどなく、ソリューションビジネスに転換したり、マーケティングの効率化に使ったりといった成果事例しかありませんし、それはこれまでも十分に実施されてきたSaaSやデジタルマーケティングの範疇を出ません。アフターデジタルにおいては、「ユーザの行動データをそのまま自社の利益にのみ繋げるのではなく、UXに還元することで、ユーザとの信頼関係を作っていく」「行動データを使って提供価値を増幅させる」ことこそが、データ活用のスタンダードであると考えています。データをUXに還元することで、ユーザからの信頼と、サービスへの吸着が生まれ、より高い付加価値を提供して課金をしていったり、より高頻度に接するユーザが増えることから新たなビジネスにつなげていったり、という形で成果に繋げる道を目指すことが、社会にも、自社にも、ユーザにも、結果として利益をもたらす構造を生み、持続可能なビジネスをもたらします。

UX競争による多様な自由の調和

このデータに対する基本思想は、従来の製品販売が成されるバリューチェーン型資本主義を、体験提供が成されるバリュージャーニー型資本主義に転換する思考に基づいています。これまでのバリューチェーン型資本主義は、利潤(正しくは剰余価値)を生産活動に再投資するのが基本構造でした。しかし、「製品をもユーザ接点の一部でしかない」とするバリュージャーニー型ビジネスにおける「生産活動」とは主に「UXの企画」を指しています。さらに生産の結果生まれる剰余価値として、利益だけでなくデータも得られるようになっています。生まれた利潤とデータを再投資する対象が「UXの企画」になるのが、バリュージャーニー型ビジネスの根本であり、データをUX還元するということなのだ、としています。

ここまでの総括にもなりますが、「こうありたい」「これに共感する」という様々なUXの選択肢があふれる結果、利潤とデータをUXに還元する「UXの素晴らしさを競い合い、ユーザの支持を得る競争」によって、多様な自由が競い合いながら調和する社会になることが理想であり、データを利潤に還元する思考によって社会が破綻することは免れるべき、という主張が、UXインテリジェンスにおける企業家精神の根底にあります。デジタルとリアルが融合し、企業がアーキテクチャ設計を実行できるようになったからこそ、人々がアップデートされた自由によってこれまで以上に自分らしく生きられるようになります。企業家・ビジネスパーソンの役割は、この自由のうちの1つ(または複数)を世に生み落とし、人々の自己実現や社会に貢献することであり、同時に「ユーザの管理・コントロール」側に堕ちない・堕とさないことでしょう。この「自由のアップデートに挑戦する勇気」こそが、アフターデジタル時代に必要な企業家精神であると考えます。

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UXインテリジェンス:精神としての要点

  • アフターデジタル時代に必要な企業家精神とは「新たなUXの提供によって自由のアップデートに挑戦する勇気」である
  • テクノロジーとUXによって、人の行動を変え得る「アーキテクチャ」を設計していることを自覚する
  • これを悪用することは、テクノロジーによる社会発展を止めることと同義であると認識する
  • データを金儲けではなくUXに還元し、ユーザとの信頼関係を作ることを最優先する
  • 「多様なジャーニーの中から最適な生き方を常に選べる」という社会の中での選択肢として自社を位置づけ、新しい世界観(コンセプト)を持って事業・サービスを構築する

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4-4. 能力・ケイパビリティとしてのUXインテリジェンス

さて、社会の変化や概念としての説明はここまでにして、今度は「能力としてのUXインテリジェンス」についてお話していきたいと思います。この能力とは「バリュージャーニーを創り、運用する力」、端的には「UX企画力(プランニングする力)」を指しています

3章でも書いたように、ここで使うUXとは、俗に言う「UI・UX」や「デザインシンキング」よりも広く捉えており、ユーザ、ビジネス、テクノロジーの3つの視点がそれぞれ関わり合う時に生まれる体験・経験を指しています。素晴らしいユーザインサイト(ビジネスに有用な、ユーザに潜む発見点)から体験が設計できても、儲からない、ビジネスメリットがない、となってはただの慈善事業になりますし、体験自体が素晴らしくてもそれを実現出来る技術がなく、そのめども立たないとなると時間の浪費になってしまいます。この3つの視点を全て補完しながら体験設計ができれば、競合優位性もあり、自社にもユーザにもメリットがある素晴らしいUXを作ることが出来ますが、これら3つの視点は得意な人が別々であることが多いため、組織的に解決する必要があります。

ここでは「一企業がUX企画力をどのように組織ケイパビリティとして形作っていくのか」を、以下の流れで語っていきます。

  • バリュージャーニー:データをUXに還元する基本構造(UX・データ・AIのループ)
  • 全てに通底する「ユーザの置かれた状況を理解する」
  • ビジネス構築のためのUX企画力
  • グロースチーム運用のためのUX企画力

バリュージャーニーを形作るUX・データ・AIのループ

アフターデジタルで語る、UXとデータ・AIの関係性の全体像は以下のようになります。特定の世界観と提供価値を定義し、それを具現化するジャーニーボードを創ります。様々なユーザ接点(データポイント)から取得されたデータが蓄積され、それがAIに処理されて、UXに還元されるというのが簡単な基本構造です。細かく書いてある概念や説明書きは追ってご説明するので、まずは円で囲われている左側の構造をを把握していただければと思います。

テクノロジーを活用することで、ユーザ側だけでなくビジネス側に対しても、人事や社内管理などの社内プロセス、サプライチェーンやマーケティングのような業務プロセスに貢献することはもちろん可能です。ここではユーザ側の話にフォーカスして書かれていますが、基本構造はビジネス側にも、ToBビジネス向けでも適用可能です。世界観やジャーニーボード(世界観を具現化するUX)を、物流やマーケティングプロセス、社内プロセスに置き換えてそこに「ユーザ」を想定することで、同様の仕組みがあてはめられると思います。ただし、何度も言うように「DXの目的は新しいUXを作る事」であり、顧客との関係性が新しくなることなので、最終的なエンドユーザにどのような価値が届けられるのかを中心に据える必要があります。

この図からも分かるように、データがAIを通じてUXに還元されていくことでジャーニーボード全体がより良い形、または個々にカスタマイズされた形に更新されます。この時どのようなデータを取得し、どのようなアウトプットをAIに出させるかは、「世界観」に準じて行われます。「この世界では、〇〇のようなメリットや体験がユーザに提供されるのだ」という定義に基づいて、人間がAIに対して目的設定を行い、その目的に合致したデータをユーザ行動から取得して、ユーザへのベネフィットとして還元されるわけです。まさにこのUX→データ→AIがループとして回り、サービスとユーザの双方が成長したり成功していく様こそアーキテクチャと言えますし、どのようなデータをユーザから預かることが出来、それをどのようなシステムで回すことができるかが「アーキテクチャをどのようなテクノロジーエッジで駆動させるのか」を意味し、競争力を生みます。

重要な観点として、このアーキテクチャには「企業やサービスが成し遂げたいこと」が明確に反映され、社人格を形作っていく、ということが挙げられます。その意味で、「データをどのように扱い、何を生み出すのか」という定義はおろそかにすべきではないですし、この設定はゆくゆく組織全体の文化になっていきます。スタートアップの強さは、意思決定者たる経営者、創業メンバーなどがこの全てを自ら確認しながら、高速に意思決定し、全員がその社人格を共有しやすい構造にあると言えるでしょう。その意味では、大企業の場合、如何にスタートアップのような単位の組織で世界観や提供価値を解釈し、意思決定していけるような構造を作り、正しく決定・判断するためのメッセージや対話を経営が行えるかが試されます。これらの個別サービスを束ねて、データやIDを全社で共有する場合の構成を、トップマネジメント、特にCDO、CTO、CXOなどが定義していくことになるでしょう。

「ユーザの置かれた状況を理解する」

こうしたバリュージャーニーを作るに当たって、全ての活動の根源となるプロセスがあります。どのような世界観を描くのか、どのような機能とジャーニーでその世界を体験として体現するのか、更にはそれをどのように運用し、成長させていくのか。これら全てのフェーズで、「ユーザのおかれた状況を理解する」というプロセスが必要になります。何度もこれを強調するのは、私がこれまでご支援してきた中で、以下のような「ありがちな失敗」をたくさん見てきたからです。

  • 絵は描かれているが、ユーザがそのサービスに一切価値を感じない結果、または既に市場に十分な代替手段がある結果になってしまう
  • 価値とジャーニーは作られているが、自社の商品や大義が起点で作られており、ユーザの状況起点になっていない
  • 儲かる仕組み、データ取得の仕組み、社内政治などから出来た「絵」を全員で見ていて、ユーザの状況に全く目が行っていない

  • ユーザの事を考えてはいるものの、顧客の置かれた状況を無視して「幸せな理想的状況」を先に定義した結果、理想状態が遠すぎてユーザが到達できない

例えばメーカー企業の方は、商品開発をする際、顧客インサイト発掘や商品の試飲などをこれまでも当たり前のようにやってきたと思います。そういった企業に限って、サービス作りや、アプリ・ウェブサイト作りにおいてはこのプロセスを省いてしまう傾向にあります。毎回以下のような作業が必要だと肝に銘じていただくことは、非常に重要です。

  • 「ユーザが置かれている状況」に関する仮説を持つ
  • →実ユーザや消費者にあたってそれを検証する
  • →「その不幸せな状況をどう改善するか、どのような幸せな状況にするか」という仮説を持つ
  • →「幸せな状況」の企画が受け入れられるかを検証する

とにかく仮説検証を、実際のユーザと向き合って行なう必要があります。顧客の状況仮説や「幸せな状況」が間違っていることを恐れたり、間違っていてはいけないと考えるケースがありますが、ほとんどの確率で何かしら間違いや勘違いが発生して作り直すことになります。サービスデザイナーやUX設計者は、自分の状況仮説の勘違いが発見できて、実際のユーザインサイトで補正された正しい状況理解ができることをむしろ喜びます。これは、「ユーザの状況を見ないで作った仮説など間違っていて当たり前」と思っているからですし、誰も知らないようなインサイトが見つかれば見つかるほど、UXによる差別化が強化されるからに他なりません。

このプロセスを実行するにあたって、いくつか質問を頂く事があります。まず「これだと時間とコストがかかってしまう」という質問でしょう。これに関しては「すぐに市場に出してしまって反応を見る」というABテスト型で実施して、ショートカットすることは非常に多いと言えますし、状況に応じては利用すべきと考えます。市場のリアルな反応が得られる一方で、サービスローンチ時に変に失敗してしまうと、二度とユーザが寄り付かなくなるケースもあったり、UXのレベルが低い状態でこれをやると「仮説は合っていたが体験が悪かっただけ」なのに、インサイトまで失敗だと決めつけられてしまう可能性がある点に注意が必要です。スピード重視の中国ではこの手法が取られることが多く、あのテンセントのWechatも、ローンチ時、近しいコミュニケーションサービスがテンセント内で4つほど起案され、まとめて走らせて全て市場に出した結果Wechatが生き残り、そこから大きく育てられていったそうですし、平安保険も様々なサービスをローンチしてはお取りつぶしにした結果、生き残ったサービスを大きくして現在の地位があります。ユーザの状況理解が全く出来ていないサービスではひたすら失敗してしまうため、「どの程度までプランニングを行ない、どの程度から市場で試すか」はバランスの見極めが難しいところですが、少なくとも成功企業は高い状況理解力とUX設計能力を保持した上でこのクイックローンチを行なっている点は忘れてはならないでしょう。

他に、「スタートアップが立ち上がる時には、このような状況理解のプロセスを実施していないのでは?」という質問を頂くこともありますが、往々にして成功しているスタートアップは創業者が日常生活において何かしらのユーザインサイトや社会課題を捉えて立ち上げています。かつ常に自身がユーザの肌感を持っていたり、定期的に自分で自社サービスを使ってフィードバックしているケースが多く、言語化してはいなくとも「きちんとユーザの置かれた状況に価値提供できているか」を常日頃反芻していることが多いと言えます。創業者がいなくなって崩れるケースが多いのも、この領域を創業者が属人的・感覚的に行なっていたため、その機能が弱くなってしまうというケースが一定見られます。

「顧客の状況理解」さえ出来ればよいので、行動データからそれが理解できても良いですし、直接実際のユーザの行動を見るような定性手法をとっても構いません。通常の場合、ビジネスドメインを決めたり、サービスの元になる状況理解を行なう際には、定性的に深く入り込むケースが多いですが、弊社のクライアントでは、行動データからインサイトを掘り出して大きく成果を出している方もいるため、状況理解さえ出来れば手法は問いません。ただし、行動データからの状況理解は「既に得られているデータから仮説を持って発想する」という必要があるため、既存のサービスがあってそれを発展させる、といった場合の方が有効です。

4-5. ビジネス構築のためのUX企画力

ここでは、「世界観を作り、それを体験に落とし込む」という、ビジネス・サービスの構築における企画力を取り上げます。これは、全体構造の図における「ジャーニーの台」、つまりジャーニーボードを作ることであり、前著で示した「UXイノベーション」がこれに当たります。「新たなサービス・事業を作る」という状況を想定してプロセスをまとめていますが、既にあるサービスの新機能を開発するとか、既にある商品群をまとめて会員サービス化するなど、既存ビジネスを拡大する際にも十分応用できるかと思います。

大きく、世界観を作る「コンセプトフェーズ」、コア体験・高頻度接点・ユーザ成長シナリオ・UX自動化システムを作る「ジャーニーボード設計フェーズ」があり、この途中で随時ビジネス検討を挟んでいく、という順で設計をしていきます。具体的にそれぞれを説明していきましょう。

ビジネスモデルから先に考えない

まず、世界観・コンセプトやジャーニーボードを設計するより前にビジネスモデルを先に考えようとしてしまうケースが多いため、ここではそれをやらない理由から解説しましょう。DXにおいて、新たなビジネスモデルを構築することは確かに重要ですが、目的は「世界観を体現する新しいUXを生み出すこと」であるため、考える順番としてビジネスモデルが先に来ないのが通常です。

スタートアップ創業者やビジネス立上げのプロのような、ビジネスセンスに富んだ天才的な方々は、業界構造上の穴とそれを突くビジネスモデルから先に見つけ、そこをビジネスドメインとして指定してから、しっかりと顧客洞察を行なってUXを高めていく手法を取っている方もいます。このような方々はユーザ視点とビジネス視点を行ったり来たりしながら、バランスを取るようにしてビジネスを作り上げていきますが、そんなことが出来るのは一部の限られた天才だけなので、特に企業でDXを推進するような方々には、とにかくユーザのインサイトとコンセプトから作ることをお勧めします。

何故かというと、ユーザの状況が判明し、世界観が決まり、自社で提供できるテクノロジーエッジを踏まえて体験を作った結果、あるべきビジネスモデルは大きく変わってしまうことがほとんどだからです。世帯数、利用頻度、価格、競合優位性などがある程度見えないとビジネスモデルは作れません。仮にこれが日用品の宅配サービスだとして、始めは全国で広く、週に1回は使ってもらえるだろうと思ったのに、「月に1回程度でまとめて配達してくれれば十分な地方のユーザと、2日に1回なるべく細かいニーズに対応して配達してほしい都市部のユーザ」がいて、かつそれぞれに異なる競合がひしめき合っており…となり始めると、当初作ったビジネスモデルが容易に破綻することはイメージできるでしょう。

ただし、「ビジネスのことを全く考えるな」ということを言っているわけでもありません。仮に読者の方が大企業でDXを行ない、体験提供型のビジネスを立ち上げろと言われている時に、ユーザの置かれた状況仮説の話だけでは上に説明ができません。サービスやビジネスを立ち上げることに長けている方々は、規模の大きい市場、構造の転覆しやすさに目を向けながら、どのビジネスドメインで戦うのかを考えていますし、大企業であれば、自社の持っている潤沢なアセットでどう戦うかまではある程度答えられるはずでしょう。細かく作ってもどの道時間の無駄になるので、精緻化は避けながら、「上や周囲を説得するためにどのビジネスドメインでどう戦う想定なのか」の説明責任を果たす、程度までは考えておく必要があるでしょう。実際、私が検討するときは、始めに大義を設定して説明しつつ、作りうるビジネスやサービスの形が変わるにつれて、都度目指すべき姿に更新をかけながら、ビジネスモデル化していきます。このポイントについては5章で詳述します。

コンセプトフェーズの要諦① 企業の系譜と環境変化

ではいよいよ、「どのようなプロセスでバリュージャーニーを構築していくのか」を説明していきます。まずはコンセプトフェーズ、つまり「世界観を作る」というプロセスですが、どのようなものを「世界観」と呼んでいるのか認識を合わせたいと思います。例えばパナソニックでは「くらしアップデート」という言葉が掲げられていますが、これは全社を統合するためのスローガンとしての役割が強く、実際のビジネスに落ちたときは、例えばHomeXの「より自分らしい生活を発見できる『くらしの統合プラットフォーム』(くらしのセレンディピティ(偶発的出会い)を量産する)」といった言葉に落ちています。ここで対象としているのは、この後者に当たる、サービスレベルでの世界観を指していると思ってください。

サービスというレベルでは、D2C系のブランドはやはり非常に強い世界観を提示しています。例えば日本のD2Cの走りともいえるFactelier(ファクトリエ)は、「世界に誇るメイドインジャパン技術を持った工場と直接提携し、語れるものだけを適正価格で届ける」と言っています。ブランドのタグが付くだけで値段が高騰する世の中において、本当は服や鞄や靴の品質を担保している工場や職人が存在し、その裏には職人のこだわりや歴史という豊かなストーリー性があります。それであれば、工場直送で、ブランドタグ無しの商品をストーリーとともに届けることで、ユーザは安く良いものが手に入りながらストーリーに共感し、職人は直接ユーザと繋がることでこれまでにない充足感が得られる、という結果を生み出そう、というのが彼らの世界観であると言えるでしょう。

もう一つ、オリィ研究所を例に挙げておきます。彼らは遠隔コミュニケーションロボットを作るベンチャーで、「孤独化の要因となる『移動』『対話』『役割』などの課題をテクノロジーで解決し、これからの時代の新たな『社会参加』を実現」することを自社のミッションとしており、明確に「孤独」を「自分が誰からも必要とされていないと感じ、辛さや苦しさに苛まれる状況」と定義して、これを分身としてのロボットが解決する、としています。具体的事例としては、不慮の事故で寝たきりになってしまった、元々優秀で能力がある方が、このOriHimeというロボットを通じてカフェで働いたり、自分が詳しいスキルの指導などを行なうことが出来ます。寝たきりの方々は家で介護を受けながら、何も貢献できず迷惑をかけ続けているのではないかと嘆き、孤独になりがちな中、コミュニケーションテクノロジーとそれを実現するロボットを通じて他者に貢献できることで、孤独が解消され、生きがいを見つけられるようになっていますし、事実そういった方は非常に高いスキルを持っている事も多いため、導入する企業にも喜ばれています。心温まるストーリーがあるだけではなく、孤独が生み出す社会課題を解決しているわけです。

このように、「こういう世の中のあり方は、今よりも良い世の中ではないか」「こんな考え方のライフスタイルは素敵ではないか」といった、人々の共感や参画を生む提案を、サービスや商品とともに打ち出しているものが世界観であるといえるでしょう。製品指向の企業の場合、その製品には世界観を宿らせてはいるものの、マーケティングや購入時の接点、購入後の利用体験を切り離してしまっていることも多く、バリュージャーニー型のビジネスであらゆるユーザとの接点でこの世界観が体現されていないといけません。

こうした世界観を作り上げるコンセプトフェーズにおいて、いくつかのありがちな失敗例があります。

  • ワークショップで皆の総意として作る
  • ユーザが主語になっていない、またはユーザや社会への価値が体現されていない
  • ありがちなバズワードをふんだんに使って未来感を出す
  • 全てのアセットを入れこもうとした結果、誰も具体的にイメージできなくなる

ユーザの置かれている状況や社会課題からスタートし、しっかり検証すべきであることは既にお伝えした通りですが、それ以外にも「確かな軸」を持って作る必要があります。ここでは2つの重要なやり方をご紹介します。

一つ目は「企業の系譜と環境変化」で、特に歴史ある大企業であればあるほど必要な考え方です。企業にはこれまで重視してきた理念であったり、存在意義を示すミッションがあったり、顧客にとってどのような価値を示すために存在しているのかが決められています。過去に成功した企業であればあるほど、その価値が時代にマッチし、その価値を体現した結果大きな成功を収めています。同業界においても、トヨタとホンダがそれぞれ異なる価値を体現しているように、必ず異なるポジショニングが取られているからこそ複数のきぎょうが 生き残っています。ですが、この「時代にマッチした」という部分がくせ者です。

既にお話した中国スターバックスの例は、まさにこれを示しています。これまではサードプレイスという価値を体現し、一定成熟しつつもコーヒー文化(またはセカンドウェーブのコーヒーブーム)が広まりきっていないところに、「禁煙で、強い匂いの商品は置かず、大きなテーブルで出来立てのコーヒーを楽しむ空間」を提供していました。しかし中国で起こったのは、デリバリーが圧倒的に普及する中で、「わざわざお店に行かなくても手に入る利便性」が当たり前になったという環境変化でした。これによって、別にスターバックスが嫌いになったわけでもないのに、普段は便利な方を使ってしまうため、「わざわざその空間に行く」という頻度が減ってしまいました。だからこそスターバックスは「スターバックスらしいデリバリー」を開始し、「いつでもどこでも、コーヒーを楽しむ空間を作れる」形にシフトしたわけです。

こういった変化はよく見られます。一般的に語られる環境変化は以下のようなものです。

  • 戦後、モノが不十分だった時代の社会課題に価値を提供したものの、高度経済成長でモノが溢れたため、課題が消えて価値も消失しそうになる。

  • 大量にモノが溢れた結果、粗悪品が生まれてくるため、これに対応し、安全訴求やハイエンドな暮らしなど、マスメディアを通して誰もが羨むストーリーを生み出しながら価値を高める対応が取られる。

  • インターネットが登場し、情報が共有され、人がネット上でつながるようになると、価値観が多様化し、かつ離れていても繋がれるようになった。結果、「誰もが羨む」というマスやメインストリームがなくなり始め、多様なストーリー性や体験型消費に移行し、多様な価値観に対応できる構造を作らざるを得なくなる。

この流れでアフターデジタルという変化が到来しつつある中、新型コロナウイルスによってその対応を余儀なくされている、というのがおそらく2020年現在でしょう。自社の起源や提供価値を改めて見つめ直し、どのような環境変化によってその価値がどう変わり、価値を享受していた人たちはどうなってしまっているのか。これを問い直すことで現状認識を組織で共通化できるとともに、これが世界観を規定する「軸」になります。この時、絶対に会社の歴史に詳しい生き字引のような人を入れ、一緒に検討したり、フィードバックをもらったりすることをお勧めします。始めは言葉の定義などに口うるさいと感じるかもしれませんが、そういった言葉の端々から会社のDNAが見えてくることで成果物が良くなりますし、そういった生き字引の方のお墨付きは、後で社内を巻き込み動かすための大きな力になります。

ここでよく頂く質問が、「時代を変遷して捻じれに捻じれてしまっている場合どうしたらいいのか」「経営が決めることではないのか」といったものです。これについては第五章で丸井の事例で具体的にお話しますが、丸井の場合前者は「会社の創業起源に立ち戻る」、後者は「方針は見せつつ、対話型組織で各自に考えさせる」という形を取っています。

他にも「ビジネスラインが多岐に渡っていてまとめられない場合どうすればいいのか」という質問がありますが、確かに企業が大きくなればなるほど、異なるビジネスラインで異なる環境変化が起こり、時間が経過するにつれてどんどんまとめにくくなります。しかし目的は「顧客の状況に基づいた世界観」を設定することなので、ビジネスラインごとに分岐させたり、世界観を複数設定してはいけないわけではありません。具体性をもってイメージできないときには、イメージできて納得できる程度にまで分解していきましょう。

コンセプトフェーズの要諦② ペインポイントのゲインポイント化

世界観作りにおけるもう一つの軸の作り方、2つ目の方法に、「ペインポイントのゲインポイント化」があります。複雑に聞こえるかもしれませんが、簡単に言うと「不幸せな状況を、幸せな状況に転換する」というものです。

「便利性」のレイヤーで貢献をすることは、基本的には負や不から解放されることなので、課題を解決してマイナスの状況をゼロにすることと同義と言えます。もちろん極端に便利になることもあるので、プラスにも見えるかもしれませんが、「自分の生き様・ライフスタイル」というよりは「一律の利便性」が届けられてそれが一般化していくため、ここではあえてプラスと表現していません。

一方で「意味性」のレイヤーで貢献すると、「自分らしい生き様・ライフスタイル」を提供し、サービスの力を借りて今まで出来なかった事が出来るようになります。これは自分の好きな生き方を選べていない、または何かで代替しているゼロの状況から、それが得られるようになってプラスになる、とここでは言いましょう。

意味性を生み出し、人を惹きつけるライフスタイルを提案することは非常にクリエイティブな仕事なので、これもまた選ばれた天才が感覚的に編み出すものだったりします。一般のビジネスパーソンでも何となく思いついているのですが、こうした天才はそれを言葉や形に落とし込むのが圧倒的に上手いため、「提案」にまで持っていくことが出来ます。

このハードルを少し落として、UX手法にある程度精通していれば出来るように落とし込んだのが、ペインポイントのゲインポイント化です。通常様々な非線形の思考やひらめきが必要な「意味性に富む世界観」を、ペインポイントからスタートすることで、「考える根拠」を作って発想しやすくし、かつマイナスからプラスに移行する分価値を感じやすくなります。「不幸せな状況の発見」「幸せな状況に転換」の2つのプロセスを、少し具体的に説明しましょう。

「不幸せな状況を発見する」のは、クリエイティブな作業ではないので相対的に簡単に見えるかもしれませんが、「幸せな状況に転換」をするためにユーザの内面に深く入り込むため、一筋縄ではいきません。置かれている「不幸せな状況」を構造的に理解して、根源的なペイン・状況を発見する必要があります。

まず、グループインタビューやアンケートは状況理解の主要な手法として使わないでください。状況とは時系列的な因果関係の連鎖で発生するため、一人ひとりに起こっている因果を丁寧に読み解く必要があります。行動観察やデプスインタビューで実施してください。すると様々な小さい課題や、人それぞれの個別状況が出てきます。個別状況に集中しすぎると、「状況は人それぞれじゃないか!」と思い始めてしまい、身動きが取れなくなります。重要なのは、「状況」を「出来事」として捉えるのではなく、「こんがらがった構造やシステム」として理解することです。多くの人は、問題はあって解決しようとはしていても、人間関係、体裁、余裕のなさなど、様々な壁が邪魔してがんじがらめの状態になり、何かを選べない状態にあります。そのうちの一つの問題をピックアップしても、他の要因が邪魔してそれを選べません。

例えば、共働きの母の家庭料理を考えると、「母として責任を果たし、自分が作ってあげたい」「でも帰宅が18:30になってしまう」「事前に献立を考えて休日買っておこう」「とはいえ平日は仕事で疲れていて献立が思いつかない」「適当に作ると子供や旦那に文句を言われる」「たまに頑張って作った料理もほめてもらえないから頑張るだけ無駄」「旦那も子供も手伝ってくれないし...」「外食とミールキットにすると予算使い過ぎ?」「とはいえ母としての責任が...」「少なくとも不健康な食事だけは避けなければ」という、まさにがんじがらめの状況にいます。検討の結果、「褒められなくてもいいし時短料理でいいから手作りで健康と栄養重視なものを」などの暫定措置に妥協します。この暫定措置は人によるので、「食事に時間を使うよりも子供との会話時間を優先したいので、出前や外食を最大限活用しよう」という場合もあります。結論としての暫定措置は異なるものの、置かれているがんじがらめな状況は実は皆さん似通っているので、その「仕組み・システム」を理解すると、「食にこだわりのない価値観の人は、食事の検討や料理をとにかく減らす選択をするよな」や、「このソリューションを提示しても、旦那も子供も協力してくれないから無理、と返事が返ってくるんだろうな」と言ったように、どんなロジックでそのシステムが動くのか分かるようになってきます。ここまで理解できて、初めて「状況理解」と言えます。この時、言葉に奇麗にまとめることに集中しないように気を付けてください。人に伝えるためには大事ですが、このシステムの何処を変えて幸せな仕組み(アーキテクチャ)にするかによって、状況の描写の仕方は変わりますので、状況理解の段階ではそこまで重要ではありません。

次の段階は「幸せな状況への転換」です。このプロセスの難しさはやはり「論理的な説明が難しいところ」にあり、かつひとつ前の「不幸せな状況発見」での綿密なロジカル思考とは異なる考え方である点がより一層難易度を高めています。先ほどの状況に対して、どのような「理想的な状況」を描くのかは、アイデアとしてかなりたくさん出てきます。今ある食材を確認しながらとにかく献立が全自動化していて買い物まで済ませてくれる全自動AI冷蔵庫、健康的な中食を上手く利用して手抜きができる賢いお母さん、旦那や子供の好きな料理が手に取るように分かるようになって毎回喜んでもらえる必殺献立お母さんなどなど。どれもこれも魅力的な上、考えれば考えるほどアイデアが出てきそうなので、終わりがないように見えます。ロジカルな思考だけでは決して選定ができないため、どこかで「それいいじゃん、それにしよう!」が必要になります。

それゆえにあまり方法論化は出来ないのですが、アイデアをたくさん出すというよりも、「不幸せな状況」の何処をどのように変えたら、幸せなサイクルがを生むことができるかをひたすら考える方法を取るべきと考えます。いくつか「ここをこう変えたら全てが好転する」というトリガーが見つかると思いますので、そこから絞り込むために「企業の系譜と環境変化」で考えた、「自分の会社が今の時代だからやるべき事と、活かすべき競争力」が活きてきます。加えて専門家も巻き込んで、「技術的に実現可能かどうか」も一定考慮してください。この時、「どうやって儲けるか」はあまり考えないようにした方が価値が濁らないため、良い世界観が生まれます。スタートアップなど、企業の系譜が特にない場合は、自分がとにかく熱意を捧げられて最高だと思うものを選んでください。

幸せな状況を定義したら、理想的にはそのサービスを初めて使う際の体験を再現するプロトタイプを作成する、またはそれが難しければ、まずはサービス紹介のウェブページやパンフレットなど、何でもよいのでユーザがイメージできる形にして、実際のターゲットとなるユーザに当てて反応を見る「コンセプト検証プロトタイピング」を行ないます。ですから、この「幸せな状況定義」と次の「体験設計フェーズ」は密接に絡まっています。起こりがちな事として、この「幸せな状況」を具現化する能力が著しく低く、言語化やプロトタイプ化が上手くできないと、本当は素晴らしい世界観・コンセプトなのに、ユーザから良い反応が得られず、「違ったのか...」と思われてしまう可能性があります。品質高く作れる人材を確保しながら、世界観が受け入れられていないのか、単に伝わっていないだけで本当は良い世界観の提案ができているのか見極められるようにしましょう。

ジャーニーボード設計フェーズの要諦① コア体験・高頻度接点・成長シナリオ

コンセプトの仮説が出来たら、それを一度体験に落とし込み、「コア体験」を作っていきます。コア体験とは、「不幸せな状況を解決し、幸せな状況に転換し得る体験」を指しており、深いペインポイントを解決して高い価値提供をすることで、ユーザが「このサービス・機能は素晴らしい、使いたい」と思うようになります。当たり前に聞こえますが、このコア体験が弱いまま、何処にでもある機能を寄せ集めて作るケースは極めて多く、改めてこの重要性を強調しています。前述の通り、特に「そのサービスを初めて知り、使ってみる」という初回体験に集中してプロトタイプを作り、「サービスをどのように理解するか」「使ってみてどう思うか」といった反応を収集していきます。

この時、アフターデジタルのビジネス原理をよく理解しているほど、「如何に高頻度な接点を作り、その行動データをエクスペリエンスに還元していくか」を考えてくださるのですが、ここには落とし穴があります。それは、コア体験が高頻度接点にならない、という場合が多いことです。例えばアフターデジタルシリーズによく出てくる平安グッドドクターアプリのコア体験は「病院にかかり、診療を受ける際の従来のペインが解決され、無駄なく安心に診療を受けられる」ことにあります。この頻度はおそらく年に数回程度ですが、圧倒的な提供価値によってユーザが信頼を覚え、また使いたいと思うようになります。これをサービスの世界に入る、ジャーニーに乗っかるという意味で、「オンボーディング」と呼びます。まずはオンボーディングされるだけの強い体験がないと、誰も使ってくれません。

高頻度な接点を持つべきとは言いますが、無目的に高頻度に利用してもらう必要はないので、得られる接点やデータからUXの改善が出来るのか、またはどのようにビジネスに繋げていくのか、が高頻度接点を設計する目的となります。このタイミングは2回あって、①ビジネスドメインを設定する際、つまり世界観を検討し始める前か、または②コア体験を作った後、の2回です。①は、勝負するビジネスドメインを例えば医療、旅行、レジャー、服や嗜好品の買い物といった業界や、「非日常な体験をしたい」「ハレの日」などの状況に設定した時点で、接点頻度はなかなか高くなりません。対してヘルスケア、移動、飲食小売といった業界や、「業務パフォーマンスを高めたい」「奇麗に・かっこよくなりたい」「暇を消化して有意義なことをしたい」といった状況は、当然接点頻度が高くなります。その意味では、行動データを活用しながら日々の利便性を向上させるOMO手法は、特にDAU型のサービス(デイリー・アクティブ・ユーザ型、毎日利用されるサービス)に向いていると言えるでしょう。

一度ドメインを決めて先に進んだら、「如何に深いペインポイントを解決するか」「如何に深くハマってもらえるか」を重視してコア体験を作ることに専念します。コア体験が定まると、どの程度の利用頻度になり、どの程度熱狂され、支払われ、どのようにユーザ層を広げていき得るのか、といったサービスの形が見え始めますので、このタイミングでビジネスモデルを決めていくことになります。ビジネスモデルを決めていくときに、同時並行でどのようなユーザの成長シナリオを描き、どの程度高頻度に使ってもらう必要があるのかを検討していきます。ユーザの成長シナリオを描くことは非常に重要で、課金やPro版へのアップグレードなどビジネス目標だけを設定するのではなく、どのようなメリットでユーザがそのアップグレードを欲し、そのメリットを得る前後でどのような状態変化(例えば特定機能を使うことで仕事の効率が向上し、チームメイトにもお勧めしたくなる、など)が起こるのかを考えると良いでしょう。特にこの成長シナリオは、世界観に沿った「なりたい自分」「送りたい生活」に向かって成長できるように設計してください。これがサービスロードマップになり、ユーザの利用が長期化し、かつビジネス貢献が得られるようになっていきます。

高頻度接点の検討は、コア体験とセットで考え、「コア体験に隣接する領域」で高頻度な接点を作ることが肝になります。平安グッドドクターを例とするならば、「診療を受けるまでのプロセス」がコア体験である一方、「健康情報メディア」「歩くとポイントがもらえる」「健康グッズや美容品の購入」「エクセサイズ」などが高頻度接点として周辺にくっついています。後者だけでは「何処にでもある、差別化できない機能」ですが、コア体験が魅力的であり、例えば得られたポイントを使うとコア体験がより便利に・安くなる、となれば、連携して頻度を高めていくことが可能になります。

ジャーニーボード設計フェーズの要諦② 「自動化する体験」の設計

コア体験、成長シナリオ、高頻度接点という体験設計が出来たら、そのあとはこのジャーニーボードを回すための仕組みを作ります。つまり、アーキテクチャを作動させ、「最適なタイミングに、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーションでの価値提供」が自動で回るような設定を行う必要があります。

ここでは「ユーザの状況を把握し、条件が満たされたら指令を出す」というシステムを設計するためにテクノロジーを活用する必要があります。ここでいう「指令」とは、具体的には以下のようなものが該当します。

  • 「パーソナライズされたレコメンド提示」…AmazonやNetflixなどによくあるように、「これを買った人にはこれがおすすめ」「こういった動画を見ている人にはこれがおすすめ」といった、個人に合わせたレコメンドの提示。

  • 「顧客の状態やレベルの評価」…ゴールド会員やVIPといった顧客のレベルを示したり、サービス上での行動に対してスコアを提示したりといった、いくつかの条件を満たした人に異なる権限を与えるもの。他にも、「この行動パターンを取っているユーザは解約しやすい」といったフラグが出来上がっていることで、解約を食い止めるためのアクションを取ることが出来る。

  • 「アンケートの発信」…購入や予約の使いやすさ、またはホテル利用後のような体験後の感想などを聞くために、決められた条件下で配信される。平安保険のようにレベルの高いシステムになると、アンケートが飛びすぎないように、「1週間に2通以上のアンケートを送らない」といった条件指定がされる。

このように作動するシステムの「条件、指令」は、その世界観や成長シナリオを実現する、または競合サービスに差をつける、という目的で人が設定するものになります。アーキテクチャにおける「どのような状況を多く発生させるのか、少なくするのか」は、この設計に明確に現れます。

2020年5月に、Netflixが「一定期間サービスを利用していない会員に対し、契約を継続するかを確認し、反応がない場合は自動解約する」ことを発表しました。「なんという優良企業!」という絶賛の声を各地で浴びていましたが、これはまさに「自動化する体験」の設定として、こうした姿勢を見せることで、その企業の社人格を見せている事に他なりません。

こうした機能は他にもあり、例えばアマゾンは、一度買った書籍をもう一度買おうとすると「20XX年X月X日に既に購入しています。もう一度購入しますか?」と聞いてくれます。ビジネスチャットアプリのSlackは、アカウント数でチャージするモデルですが、登録している和に関わらず、実際にSlackを利用しているアクティブなアカウント数でチャージしてくれます。このような「善意ある行動」ばかりをせよと言うわけではありませんが、こうした一つひとつの自動化に、社人格が現れます。ユーザと商品のマッチングばかりを自動化する企業とは大きな差が開いていくことでしょう。

さらにこうした指令は完全にデジタルの中で完結するものだけではなく、「システム側に出された指示に従って人が作業する」といった内容も含まれます。例えば「特定の場所に来るユーザを出迎える」「不満を持ったユーザに電話し、謝罪と問題点を聴き、改善を約束する」「店舗に来店したユーザの過去のサービス利用記録などから、店舗スタッフに最適な接客を提案する」などが考えられます。ここに、技術力の高さに裏付けされた機能(テクノロジーエッジ)が加わることで、競合には実行できない仕組みにすることも可能になりますが、「技術が先にある」というよりは、このようなUXを実現したいという想い、狙いが先にあって、それに対して必要なデータがあるか、技術的に可能か、といった順番で考えることが通常です。「こんな技術があり、こんなことができる」という視点から始まると、余計な機能で「自動化する体験」のシステムのコンセプト・思想がねじ曲がったり、大層な技術を使わなくても簡単に代替できることを無理やり難解な技術を通して行なうせいでシステムに余計な負荷がかかったりします。

コア体験、高頻度接点、成長シナリオが描かれ、それが「自動化する体験」としてのシステムに落としこまれ、ビジネスとしてのスケールアップと組み合わさって持続成長が可能な状態が作れると、まさに「アーキテクチャ設計」と言えるでしょう。当たり前ですが、リリースするまでがゴールなのではなく、リリースしてこのアーキテクチャを動かし、育てていくプロセスがようやく始まるので、むしろこの後からが本番です。

4-6. グロースチーム運用のためのUX企画力

ここからは、実際にサービスやアプリ・ウェブ、デジタル融合店舗などを運営し、企画や改善をしていく際のUX企画力について説明していきます。イノベーションや新規事業ばかりがDXで取り沙汰される中、本当に必要なのはグロース業務(行動データやユーザの状況洞察から既存のジャーニーを改善し、成果を上げていく活動)が出来る組織ケイパビリティであり、この力がないと新規事業を作っても満足に運用ができず、「立ち上げて終了」になりがちです。アフターデジタルに対応する全ての企業が、この組織ケイパビリティを持つ必要があると考えます。実際、多くの企業は「コストを落としつつ品質の良い製品を作る」「その良さを表現する」「たくさん売る」といった、製品販売をゴールとしたケイパビリティは既に持っています。しかし「普段サービスをどのように使っているかを知る」「ユーザの困りごとに優先度をつけて対応する」「ユーザの生活がより良くなるコンテンツを毎週発信する」といった、顧客の成功や自己実現を助けながら寄り添うケイパビリティはほとんど持たれておらず、これではビジネスモデルをバリュージャーニー型にしたところで、運用が出来ずにユーザが離れていってしまいます。多様な業務がある中で、特に今組織に不足しているが不可欠な「ユーザの状況を把握して対応するUX企画力」に注力してご説明することで、バリュージャーニーの運用技術を組織に定着させるお手伝いが出来ればと思います。

人とテクノロジーの共創 ーIdeation by Data

バリュージャーニーの運用は、ジャーニーボードを如何に改善・更新できるか、にかかっています。この作業は事業成長を目的にしながら、ユーザインサイトを元に、「人がUXの改善やシステムの更新を企画する」ことを指します。

テクノロジーの業務への活用方法には、大きく分けて「人間を介在させずに自動化するタイプ」と「人間と協業するタイプ」の2種類があります。特にこの「UX企画」という分野はまだまだAIに実行できるものではないため、後者のような「如何にテクノロジーで人の価値を増幅させるか。如何に人の企画を支援し、共創できるか」がカギになっていると言えるでしょう。人が行なう業務は「ユーザの状況理解を元に、今までないものを追加すること」であり、具体的には「新機能の追加」「新たなコンテンツ作り」「サービス上の導線変更」「新しい自動化条件の追加」などが該当します。

これまで、ユーザの状況を理解しようとする場合、インタビューやグループインタビューなどの定性手法か、アンケートによる定量手法が主流でした。こうした手法の多くは「ユーザの声」ではあるものの、ユーザ自身が嘘をつくつもりはなくとも、記憶が曖昧だったり、本当の感情を表現できなかったり、ユーザ自身の答えにぴったりの選択肢が無かったりします。如何に真実に近い情報を得られるかが、ユーザ理解の肝でした。

膨大に行動データが出てくる時代の「ユーザ理解」は、その人たちの行動履歴がデータとして残り、それを元に「何処で違和感を抱いているのか」「どんなコンテンツが好きなのか」といったことが理解できるため、圧倒的に解像度が高まります。「タイミング・コンテンツ・コミュニケーションを最適化する」といった自動化とは異なる手法として、このようにユーザの状況を把握し、ユーザ理解の解像度を高めることで人間の思考や企画を助けることが可能になり、膨大なデータから判別されることで、人間の限られた処理能力では気が付けなかった課題に気づけるようになります。テクノロジーの役割としては、以下のような支援例が挙げられます。

  • 「ユーザ行動のパターンや状況分類の整理・提案」…ユーザの行動の中で、ビジネス成果やユーザの成長に繋がっている「成功パターン」を提示したり、そうした行動パターンからセグメントを整理したり、新しい条件フラグの可能性を提示したり、といった形で、人に対してヒントや施策の種を出す支援。

  • 「仮説や施策結果のチェック」…「ユーザの動きがこうなっているのではないか」、「この間ローンチした新たな企画が思った通りに使われているか」を、「何人が想定通り動いているか・いないか」まで検索して確認することで、検証の精度を圧倒的に高める支援。

こうした処理をするためにはユーザの同意を頂いた上で、「Aさんの行動履歴」といった形で全行動データがユーザIDに紐づけられ、時系列に並んでいる必要があります。ユーザIDごとにデータが整理されている、と言い換えることもできるでしょう。業種やサービスによっては個人名や属性データと繋げる必要はありません。これは「藤井保文という30代男性が何かをした」というデータは不要で、「ID番号054321のユーザが、過去に2回購入直前で利用をやめ、それ以降半年サービスを使っていない」「同様の行動パターンでサービスを退会したユーザが1,000人いる」と分かっただけで十分目的が達成されることも多いでしょう。金融等のように、顧客に直接連絡を取ったり、属性データや実名に紐づく価値が高い場合は実名に繋げる必要がありますが、目的次第では繋げなくても十分な企画や改善ができるかもしれません。

これを実現するにはまず、関わるサービス群でIDが統合されている必要があります。単一のサービスであれば特に苦労はないですが、複数の事業、サービス、接点ごとに全く別のIDで管理されている場合には、これらをまたがった統合に苦労するでしょう。

更には、それらの行動データが時系列に並んでいる必要もあります。行動の順番や、各行動の時間の長さを知ることで、文脈類推ができ、ユーザの状況を把握することが出来ます。「Aさんは今年、動画を100本見ている」と「2か月前までは月2本程度しか見ていなかったのに、とあるドラマシリーズを見てから、そのドラマに出ている俳優が出ているドラマとバラエティを中心に平均一日1.5本見るようになっている」では、得られる価値に大きな差が出ます。順番だけでなく行動の長さまでを把握する分析をシーケンス分析と呼びますが、このシーケンス分析ができるようなデータ保存の形式になっていないことがほとんどと言えるでしょう。自社でこれを準備することももちろん重要ですが時間がかかってしまうため、まずケイパビリティをつける意味でも、SaaSのサービスなどを利用する方が楽だと思います。

こうした条件が揃うと、これまで以上に確かで細かな事実(データ)に基づいて、テクノロジーの支援を受けた企画や発想が可能になり、クリエイティビティを今まで以上に発揮することが出来ます。こうした企画や発想はデザインシンキングの領域で”Ideation(アイディエーション)”と呼びますが、データサイエンスとAI技術で組織全体の発想力を底上げすることを、私の所属するビービットでは”Ideation by Data”と呼称しています。機能やコンテンツを作ることは才能がいることですが、自転車や自動車を使えば世界一足の速い人よりも速く移動できるように、より良いUXを作って成果をあげていくことが可能になるでしょう。

UX企画業務における共感の技術

このUX企画を実施するに当たって、あくまで「人が考え、テクノロジーが支援する」という構造なのですが、やりがちなのは「課題を見つけたらそれに対応する」という、直線的なやり方です。

例えば、「1か月以内に4回購入した人は、その後定着する傾向にあるので、そういう人を増やそう」と考え、3回購入した人に期限付きの4回目購入用クーポンを配ったりすることがよくありますが、果たしてこれは「顧客の状況に即したUX企画」と言えるでしょうか。確かに顧客の行動データを元に、行動パターンを抽出し、人が企画を考えて対応をしているとは言えますが、想像力やクリエイティビティは全く活用されず、短絡的な解釈と解決策に落ちています。実際、無理やり4回目購入用のクーポンは使ったものの、定着には至らないケースがほとんどです。

以前私の知り合いがやっている、とある「小さなギフトを送れるサービス」では、上記に近しい傾向が見られた際、これだけでは顧客の状況を理解できなかったため、さらに深堀りした分析を行った結果、「ギフトの送り先」に2つの特徴があることに気が付いたそうです。一つ目は「2人が定期的にギフトを送り合っている行動」、もう一つは「多くのユーザが1人に向かってギフトを送っている行動」でした。前者は「カップルがギフトを送り合っている行動」であり、後者は「地下アイドルに対してファンが送っている行動」なのではないかという予測が立ち、そのサービスをやっている本人たちも「なるほど、そういう使い方があるのか」と、ハッとしたそうです。つまり、実際には「一カ月に3回購入する人」と「一カ月に4回購入する人」の間には何の因果関係もなく、ただ単に「そういう使い方をマスターした人たちが頻繁に利用し、定着している」ということを示しており、仮に彼らが「4回目用クーポン」を送っていたとしたら、定着する可能性のない人に投資してしまう赤字施策になってしまっていたわけです。

彼らはそうした使い方を促進するプロモーションやブランディングを行うことで、「定着しやすいユーザ」をオンボードすることに成功しました。この際、ここでは止まらずもう一段深く「ユーザの置かれた状況」を理解しようとした結果、単純に「ファンは地下アイドルにギフトを送りたい」という行動理解で留まるのではなく、「同じような『軽くて簡単なギフトで、想いを示しながら、やり取りの頻度を高くしたい状況』は他にも発生するはず」と、状況レベルにまで入り込んで考え、ミュージシャンにも転用したり、アイドルのライブ配信における投げ銭に使ったり、といった別の手法も考えていきます。

「何故そのような行動をしたのか」「何故行動に違いが出るのか」という理由と状況を考え、想像し、理解することで、提示するソリューションは全く異なり、本当にターゲットにすべきユーザたちに向けたUXが企画でき、成果も出るようになります。このUX企画の実現は、ビジネス視点でユーザ行動を眺めたり、ユーザを個ではなく集団として捉えている限り、絶対に成し得ません。自分だったらどんな風に使うのか、人がこんな風に使うのはどんな時か、このように「想像力を働かせて自分ゴトとして考える」ことで、初めて顧客の置かれた状況が理解でき、その状況を支援したり加速したりする施策が打てるようになる、ということです。

この能力は得意不得意は多少あれど、基本的には誰にでも備わっています。「この能力を持った人材が欲しい」といった類のものではなく、行動を可視化でき、そういった業務プロセスさえデザインされれば、商品やサービスに愛を持っていて、ユーザを想像することが好きな人たちがなるべくたくさん集まることが重要になります。業務の型さえ変えられれば、これまでの経験を十分に生かすことができますし、個の力ではなく組織ケイパビリティに転換可能です。

全ての起点に「ユーザの置かれた状況を理解する」という共感の技術が使われることで、より良いUXを作ることができ、UXが良いから行動データが高頻度にたくさん貯まっていき、それによって更にUXが高められ、こうしたループを回せる企業・サービスにユーザが留まり続け他社を圧倒する。これが、バリュージャーニーというビジネスモデルが中心となるアフターデジタル社会におけるビジネスの勝ち筋である、ということが伝わったでしょうか。

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UXインテリジェンス:能力としての要点

  • アフターデジタルに対応する能力は、「バリュージャーニーを設計するUX企画力」であり、この作業全てに通底して、「ユーザの置かれた状況を理解する」というプロセスを仮説検証型で実施する必要がある。
  • 以下3つのプロセスを通じてバリュージャーニーを実現する。
  • ① コンセプトフェーズでは、「企業の系譜と環境変化の定義」と「ユーザの不幸せな状況を幸せな状況に転化する方法の思考」を通して、より受け入れられる世界観を作り上げる。
  • ② ジャーニーボード設計フェーズでは、まず顧客を魅了する「コア体験」を見出すことが重要。これが決まった後、何処で儲けるビジネスなのかを考えながら、「ユーザ成長シナリオ」「高頻度接点の設計」「体験を自動化するシステム」を設計する。
  • ③ 運用フェーズでは、テクノロジーを活用してユーザの状況を可視化することで、人が仮説構築、企画、発想をしやすくする。

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第4章のまとめ

もう一度全体構造図を使っておさらいします。

UXインテリジェンスとは、アフターデジタル時代に必要なビジネスモデルである「バリュージャーニー」を創って運用することが目的になりますが、前提となる精神がないと社会に受け入れられません。

  • デジタルとリアルが融合し、オンライン前提となったアフターデジタル社会は、UXとテクノロジーを使うことで一企業がアーキテクチャを創れる。
  • その分、データを悪用したり、ユーザを監視・管理・コントロールすることも可能であり、こちらに進むと社会発展が止まるため、断固として防ぐ意志が必要。
  • DX・UXに携わる全てのビジネスマンは、ユーザに不義理を働かず、在りたい自分の実現が出来る世界観や、心の底から共感する世界観を提供しているUX(バリュージャーニー)があふれ、UXの善さを競う環境になることで、ディストピアではない「多様な自由が調和するアフターデジタル社会」を目指すべき。

これは、AI・データを始めとするテクノロジー前提・オンライン前提社会において、企業から発信する新しい自由のあり方(アップデート)を示し、これに挑戦し、ディストピアを防ぐ勇気を持とう、と言うのが前提となる精神です。

これを持った上で、その実現(つまりバリュージャーニーを創って運用すること)において最も重要なケイパビリティが「UX企画力」であり、全てに通底するのは「ユーザの置かれた状況を捉える」ことである、としています。これは大きく2つに分かれ、「ビジネスを構築するためのUX企画力」と「グロースチーム運用のためのUX企画力」となっています。

この2つを行なうことで、バリュージャーニーが実現されますが、これはアフターデジタル社会にとって「UX選択の自由における選択肢の一つ」としてのUXを提供しており、こうした「今まで以上の自己実現を可能にする、自由の選択肢」を皆さんとたくさん作り、それが溢れる社会にしたい、という願いと方法論が、本章のメッセージになります。

第5章 日本企業への処方箋 -あるべきOMOとUXインテリジェンス        

いよいよ最終章です。ここまで概念と海外事例を中心に論旨を展開してきましたが、誰もが簡単に成功できる理論はもちろん存在しません。現実に市場に落とし込もうとすると、上手く理論が適用出来なかったり、やったことがないので本当にそれで合っているのか分からなかったり、会社や組織が動かずに時間だけが過ぎていったり、など様々な壁が待ち受けています。

幸いなことに、既に日本でも素晴らしいアフターデジタル対応の取り組みが見られ始めています。第5章では、日本においてももはや待ったなしで実践されている事例を眺めながら、どのような思考錯誤がされているのかをなぞり、今まで以上にクリアな実践イメージを持っていただくことが出来ればと思います。

5-1. 流通系OMOは「オペレーションとUXの両立」が肝要

ここでは、第3章2節で提示した、「流通革命としてのOMO」「接点革命としてのOMO」という枠組みを使い、日本で取り組まれるOMO的活動から重要なエッセンスを引き出していきます。まずは流通系OMOからです。

以前、ある方と対談した際に、「OMOとはマーケティングのチャネルの話ではなく、全社取り組みであることがなかなか伝わらない」と仰っていました。

  • オンラインで実施したことは店舗に連携されている
  • コールセンターに電話したらすぐ自分の状況を察してくれる
  • 商品の受け取りもその時一番便利な方法がもちろん選べる

上記は、ユーザ目線で見ると「これくらい、対応してくれても良いのでは?」と思われやすい一方、企業側の都合で実現が難しくなりがちな体験の例です。「企業論理・企業都合によって実現できていないといった現状を打ち破り、UXを中心に置いて全てを設計し直さなければならない。それが『OMOを実現する』ということであり、だからこそ実現した結果、非常に強い競争力を持つんだよね」と、その対談では盛り上がりました。流通系OMOでは、「ユーザにとってその時一番便利な方法を提示する」ことを実現するために、どうしてもリアルのリソースを厚くして対応せざるを得ず、コストが爆発する傾向にあります。成功事例は、どのような思考でこれらを上手く成り立たせているのでしょうか。

実践される流通系OMO

流通革命においては「オンラインで当たり前と言われることをオフラインに応用する」必要があると書きましたが、イメージとしては、「あたかもファイルをダウンロードするように、何処にいようがすぐに手に入る」ことを実現する必要があります。この実現には、取引量が一定多く以上あり、潤沢な人材がいないと、配送料が高くなりすぎたり、配送負荷が高くなりすぎるため、各種サービスが自前で配送を持つ難易度が非常に高くなります。実際、多くのD2Cブランドはそこまで高速な配送は実現できていないのが現状でしょう。

このため、流通における「物流・配送」でのOMOは、Amazonやヤマト運輸などの強い物流会社による実践が期待されます。

Amazonの「置き配」は非常にOMO的です。宅配ボックス、玄関、ガスメーター、車庫、自転車かごといった選択肢から「置き場所」を指定しておくと、指定場所に置いておいてくれて、置いた後に配達員から「ここにこんな風に置きました」という写真がメールで送られてきます。まさにユーザの論理からすれば、「それくらい、前からやってくれていても良かったんじゃないか」と思うような事なのですが、企業目線の論理からすると、「もし盗まれたらどうするのか」「風に飛ばされたり、雨にぬれたりする可能性はどうするのか」といったリスク・不確実性から、なかなか正式には実施が出来ませんでした。とはいえ実は、少し郊外に行けば、配達員から電話がかかってきたときに「今不在なんですけど、もうこっちで責任持つんで、ガスメーターの中入れておいてください!」といったやり取りは既にされていました。

置き配の素晴らしいところは、配達員側の効率も向上させられることです。不在票をおいて、電話がかかってきたらまた同じところに行かねばならないという効率の悪さを、「相手がそれでいいなら置いてこよう」とすることで、再配達不要になります。Amazonはエリアを限定した実証実験を行ない、モラルハザードや盗難は起きにくい事を確認した結果、家にいる必要もなく、家にいたとしても対応する必要がない「受け取り方の融通無碍」と、いちいち同じところに何度も行くことのない「安定した配達オペレーション」を両立させているわけです。

なお、置いていたら実際に盗難にあってしまった方が、Twitterで「置き配したら盗まれた」と書いた瞬間、Amazonの公式Twitterから相談窓口のURLが飛んできて、トラブル対応の迅速さと素晴らしさに感動した、という話もあるようです。どうしても起きてしまうトラブルに対して、多少泥臭くてもきちんとSNSを巡回しつつ、対応の手厚さによってピンチをチャンスに変えていますし、なるべくコミュニケーションの齟齬がないように、置いた荷物と周辺の写真を送る対応を行なっているところは、さすがと言わざるを得ません。「OMOというには小さい事例だ」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの企業がこうしたリスクを解消できず、実現せずに終わっています。ユーザにとっては、このような体験のありなしが、サービスを選ぶかどうかを大きく左右しますし、企業論理ではなくUXを中心に据えられるかどうかは、企業・サービスとして天と地ほどの開きがあるため、私はこれこそOMO的事例であると思っています。

これに対して、ヤマト運輸も「ユーザ側の論理」に対応する新たな物流を行なっています。フルフィルメントサービスと呼ばれる新サービスで、2020年3月に、PayPayモール及びYahoo!ショッピングの出店ストア向けに展開しています。通常モールに出店しているストアは、受注が成立すると、データの処理から領収書や納品書等の発行、梱包など様々な業務を行った上で出荷し、この出荷のタイミングから運送業者に渡します。このフルフィルメントサービスでは、受注から出荷までの上記作業を全てヤマト側で業務代行するそうです。出店しているストアに対し、出荷作業の負担軽減や、物流にかかる人的コスト削減といったメリットを提供する一方、ストアの営業日に関わらず出荷可能になり、受注から出荷までのリードタイムを短縮できるため、ユーザ側が「翌日配達」で受け取りやすくなる、という利便性向上のメリットもあります。Yahoo!にとっても、こうした提携の取り組みが行えることで、モールそのものの体験品質が高まることになります。

このような配送ソリューションが提供されたり、提携によってユーザメリットの大きいサービスが展開されることで、流通としてのOMOの実現がしやすくなります。実際、ラッキンコーヒーも物流は順豊エクスプレスと提携してデリバリーをしていますし、この順豊エクスプレスは中国においてユニクロとも提携しており、ユニクロのアプリ経由で購入した商品を1時間以内に配達しているそうです。

オペレーションエクセレンスとUXの追求 -クリスプ・サラダワークス

新型コロナウイルス以降、フードデリバリーはこれまで以上に一般的になりましたが、人的コストが高く、需要もそこまで多くない日本の現状には、モバイルオーダーをしておいて自らピックアップするような仕組みは非常に有効だと思っています。

この観点から、もう一つ事例をお話します。クリスプ・サラダワークスという、具材などを自由にアレンジできるカスタムサラダ専門レストランがあります。2014年末から始まっているのですが、2017年にはモバイルオーダーアプリ、2018年には完全キャッシュレス・レジレスの店舗を開いています。創業社長の宮野氏のブログには、ビジネス街での混雑時1時間当たりの提供数はこれによって1.7倍近くまで伸び、現在では60%以上の注文がモバイルオーダーやセルフレジなどのデジタル経由のチャネルで発生しているそうです。かなり早い段階からデジタル上での購入を行なっていたのは、オープン当初から人気でたくさん人が並んでくれるのは有難い一方、あまりにもお客様を待たせてしまいイラつかせることもあれば、作っている方もとにかく捌ききれない量をひたすら作り続けるため、全く嬉しくも楽しくなく、「お客様から評価されて混めば混むほど大変になってクオリティが下がっていく」ことを何とか解決できないか、と考えたそうです。宮野氏のブログには以下のように書かれています。

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例えば夜にスーツ姿のお客様が来たら「まだ仕事だったんですか?夜遅くまで大変ですねぇ、今日も1日お疲れ様でした!」ちょっとしたことだけど、そんな一言こそがお店の価値であり競争優位性であり、注文や購買に必要ない無駄な会話や行為こそが飲食店が飲食店にしかできない価値を生み出す源泉のはず。

だったら機械でできることは全部機械に任せて、人間は人間だけが価値を生み出せるような人らしい行為に時間を使えるようにできないか?そうしたらもっと接客の仕事も楽しくなって人気職業になるかもしれないし、お客様も商品や価格だけでお店を選ぶんじゃなくて、もっと人と人とのつながりで飲食店に来てくれるようになるんじゃないか?

そう考えた結果が「よし、儲かったお金はとにかくテクノロジーに投資して、既存の飲食のあり方を全部再定義しよう」という決断でした。確か2016年くらいだったと思います。

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前述のように、モバイルオーダーやセルフレジ導入で、オペレーションは楽になって生産性も心理的な健全性も向上し、ユーザは長い間列で待つ必要はなくなります。アプリが使えないお客様や一見さんにとっても、常連さんや若い世代がアプリで先に頼んで取りに来る分、列は少なくなるわけです。

これ以上にクリスプがすごいのは、自社でオペレーションエクセレンスとUXを追求して生まれたこのモバイルオーダーシステムを、「PLATFORM」というモバイルオーダー運用ソリューションのSaaSとして外販してしまうところです。モバイルオーダーがメインではありますが、キャッシュレスセルフレジと、顧客データ管理のソリューションも併せて提供しています。「データやテクノロジーを使ってUXを良くすることが出来たら、その自社が実現したUX運用やデータ活用を、そのまま業務スタンダードとして外販できる」というのは、前著でもアリババの事例を通してお話してきましたし、平安保険なども実施しています。2016年から、人の役割を充実させるためにオペレーションをデジタル化し、それを突き詰めた結果、その仕組みの外販まで可能になるというのは、思考の仕方がまさにアフターデジタルそのものと言えるでしょう。

モノをリアルで届けたり渡したりする必要がある場合、UXを中心に据えるとオペレーション・労働力の問題が大きく膨れ上がるため、これをどう解決して両立させるかが大きな論点になります。「お互い、その方が楽だよね」という一種合理的な妥協を、テクノロジーで成立可能にするというAmazonやクリスプのようなパターンもあれば、重い負荷を軽くするところにソリューションとして入っていくヤマトのようなパターンもあります。単に「オンラインとオフラインを融合させる」ことを考えているのではなく、UXとオペレーションエクセレンスの両立を追求した結果、デジタルとリアルの強みが融合され、全てのステイクホルダーに対する価値が高まるように設計されており、こうした思考の仕方自体、非常に参考になるように思います。

5-2. 接点系OMOは「ケイパビリティ調達」が肝要

互いに足りないケイパビリティ

次は、接点系OMOの重要ポイントを掘り下げていきます。新たなユーザ接点を作るためにOMOに取り組んでいる方々から話を聞くと面白いのは、オンライン企業とオフライン企業で、非常に似通った悲鳴が聞こえてくることです。

  • オンラインが強い企業のOMO実践者の声(概して、O2O・オムニチャネル・OMO推進チームの方)
  • 打ち手を考えても、「リアルをここまで使う必要はない、コストが無駄にかかるだけ」と言われ、社内に全く納得してもらえない。
  • ようやく動き出したが、店舗運営・管理や、お客様との円滑なコミュニケーションなど、オフラインのケイパビリティが全くない。

  • オフラインが強い企業のOMO実践者の声(概して、これまでデジタルマーケティングを担当していた方)
  • 「デジタルで出来ること」の目線が揃っておらず、目の前の売上に危機感を感じていない上に、漠然とデジタルに道の恐怖感があるため、デジタル融合のメリットを納得してもらえない。
  • ようやく動き出したが、データを取得して活用したり、コンテンツを高速で作ったりする、オンラインのケイパビリティが全くない。

オンオフどちらが得意にせよ、社内説得とケイパビリティという2つの壁が高く立ちはだかっていることが見て取れます。社内説得に関しては前著の第4章3節「日本企業が変わるには」にも示しましたので、ここでは「どのようなケイパビリティが必要になるのか」を事例とともに示せればと思います。

成果を生み始める接点系OMO ーメルカリ教室

接点革命としてのOMOの要点は「リアル接点を軸に、デジタルをツール的に扱う」という従来型から、「デジタル接点を軸に、ユーザの状況を捉え、リアル接点をツール的に扱う」という考え方に変化することでした。実際に成果も出されているという意味では、「メルカリ教室」が事例として挙げられます。

メルカリ教室とは、ドコモショップなどのリアルの場を通じてメルカリが主催している「メルカリ使い方講座」です。実際に売ってみたい商品を持参し、会員登録から、購入、出品の仕方などを教えてもらいながら、その場で出品を行ない、教室の時間中に売れてしまうことも珍しくないそうです。一見、リアルの場所を使って限られた人数にしか教えられないため、ユーザ数2,000万人を超えるメルカリにとっては非常に非効率な活動に見えますが、この教室を通して学んだ人のLTVが高く、周囲にも広めてくれるため、経済合理性(採算が合うか)が十分に成り立つと判断されたそうです。

若い人ももちろん来ますが、ここではシニアの人をイメージすると分かりやすいでしょう。シニア層はメルカリで売れそうなモノをたくさん持っているわけですが、使い方が分からないので、実は孫に渡してメルカリで売ってもらい、孫のお小遣いにしたり、自分と折半している人もいます。このような方々が教室に行くと、若いお兄さんお姉さんと楽しくコミュニケーションしながら、やり方を学んでいくことができます。実際に教室で売れたりした時には、自分が感動するだけでなく、周囲にも祝われて大喜びされるそうです。教室が終わってシニアのコミュニティに戻ると、「私、メルカリ使えます」となると自慢することもできますし、その人が周囲に教えたり、教室をおすすめしたり、という事も起きてきます。

第3章3節で、「ハイタッチ、ロータッチで得られた信頼や関係性を、テックタッチでの高頻度な行動に還元し、テックタッチで得られたユーザ行動を元に、再度ハイタッチやロータッチに誘導したり、別のアクションをおすすめしたりする」ことで、相互に行き来できるようなUXを作っていくべきであると書きましたが、まさにメルカリ教室はこれを実践していると言えます。若い子たちに教えてもらった嬉しい体験、丁寧なインストラクションで使えるようになった信頼、加えてその場で売れた場合は感動的な想い出が、スムーズにメルカリへのオンボーディングを行ない、更に自身がより学ぶためにもう一度教室に行ったり、周囲の人におすすめするという好循環が生まれています。中国で平安保険やNIOで実践されていた理論ではありましたが、実際に日本においても「成果を生む施策である」ことが証明されて幅広く展開されており、リアルチャネルを使ったオンボーディングによるLTV向上事例というだけでなく、デジタルが苦手な層をどう巻き込んでいくのかという意味でも非常に示唆に富んでいると思います。

2020年2月にオンラインで開催されたメルカリカンファレンスでは、メルカリステーションをはじめとする数多くのリアル連携プロジェクトが発表されましたが、こうしたOMOの成功事例があるからこそ、組織的に注力できたのだろうと見ることが出来ます。

とはいっても、元々ウェブサービスであるメルカリには、場所に人を集め、盛り上げながら教えるという専門家はいません。前述のとおり、「リアルオペレーションのケイパビリティがない」という状況の中、元々ドコモショップには「ドコモスマホ教室」があり、LINEやメルカリなどサービスの使い方を教える場と人材が既にあったことで、スムーズに実施できたことは間違いないでしょう。2020年2月のメルカリカンファレンスで発表されたメルカリステーションも、株式会社丸井との協業によって実現しています。メルカリステーションとは出張所のような場を丸井の中に設け、そこでは「メルカリ教室」に加え、出品する商品の撮影ブース、売れた商品を投函するだけで発送できる「メルカリポスト」などの機能が展開されていますが、売場運営や接客のノウハウを持った丸井側の社員によって運営される形式になっています。

オンラインサービスとオフライン小売では利益構造もケイパビリティも全く異なる中、双方にメリットがあり、ケイパビリティを補完し合える並走パートナーとして協業することで成功確率を高めていることが、こうした動きから見て取れるでしょう。アリババのOMO型スーパーであるフーマーでも、リアルオペレーションを行なっていた人材の登用や、スーパーとの協業を幾度か行なっていますし、Amazonがホールフーズを買収しており、海外事例においても同様のケイパビリティ調達が行われていることが分かります。

補完しあうエコシステムの考え方 ー丸井グループから見た場合

このように、ケイパビリティを補完するパートナーシップを検討するに当たって、丸井の視点から見返してみることは非常に有意義です。青井浩社長率いる丸井グループは、「信用の共創」「売らない店舗」といったキーワードを掲げながら、アフターデジタルへの対応を全社で取り組もうと実践されています。一度、丸井グループの私なりの戦略解釈を青井社長に持っていき、「こういうことを考えられているのではと思うのですが、どうでしょうか?」と伺ってみたことがあります。如何にまとめてみましょう。

既にご説明したメルカリとの協業以外に私が着目したのは、”D2C&Co.”というD2C支援に特化した子会社の立上げでした。事業内容として、D2Cブランドへの投資・融資、リアル店舗の出店、運営支援、D2Cブランドのキュレーションサイトの構築などが挙げられます。

丸井が掲げる「売らない店舗」を「サービス・体験を主にした店舗」とした上で、青井社長は、「日本は製品からエクスペリエンスへとシフトしていく過渡期であり、丸井はサービス・体験に軸足を置くことで未来の店舗をつくりたい。その中心になるのがD2Cであり、それは彼らがモノを売るのではなくて、世界観を売っているからである」と発言をされています。これを聞いたとき、4章で示してきた世界観と同じ絵を描いていらっしゃるのではと感じ、「なるほど、独特の世界観ビジネスを展開する企業が次々と生まれる中で、そうしたデジタルネイティブ企業に対してのリアルビジネス用プラットフォームを提供しようとしているのか」と理解しました。その意味では、第2章4節でお話しした「全てのサービサーのための保険OEM、衆安保険」と近しいポジショニングを取っているように見えます。

ここまでの私の見立てを聞いた青井社長は、「見ている社会像はその通りだが、リアルビジネスのプラットフォームというよりは、同じ絵を作り上げるエコシステムのように見ている」と話します。ネットショップ作成サービスを提供するBASEのCEO、鶴岡裕太氏との話では、BASEにネットショップを出店する方々の要望として「実店舗の展開をしたい、それをサポートしてほしい」という声は多い一方で、BASEもネットのことなら分かるが実店舗のノウハウはない、という状況であることが分かったため、「それならば、世界観を大事にするブランドやスモールビジネスがたくさん生まれる社会を一緒に作れるのではないか、と考えたそうです。実際このD2C&Coではリアル店舗の出店支援として、年間2億人が来店する全国のマルイで、ポップアップショップや常設店など、期間や面積に柔軟に対応した出店機会を用意したり、什器や内装といった売り場作りのノウハウや、店舗運営や接客のスキルに長けた丸井グループ社員の派遣なども行なうそうです。

場を持って店舗を貸すだけではなく、元からリアル店舗運営に強い派遣業も持っていることが丸井の強みであることが重要であり、それを必要としているメルカリやD2C企業と、互いにケイパビリティやビジネスメリットの補完関係を作っている、と言えるでしょう。ではこの時、組めてOMOが実現できればどこでもよいのかというとそうではなく、「同じ絵を作り上げるエコシステム」という言葉が非常に重要になります。

丸井グループでは、「信用の共創」をコアバリューとして掲げています。これはいわゆる与信、信用を与えるという言葉の反対にあるものだとしており、若くてやる気も野心もある人が、ただ若いというだけで信用してもらえず、クレジットカードが作れないという状況に陥るのが与信的な考え方だとすると、「丸井側もあなたを信用することで、信用と共に創り上げる」というのが信用の共創だそうです。「若い世代への先行投資」ということもできますし、ターゲットとする状況を仮に「お金のやりくりに苦心しつつ、なるべく良いものと出会いたい」状況であるとするならば、メルカリやD2Cブランドとかなり近い状況を捉えていることが分かります。メルカリも年代を限るわけではありませんが、自分の持っているものをお金に変えて、新しいものも人から安く買えるサービスですし、D2Cは構造上、間を介さずにブランドと直接取引できる分、良いものを比較的安価に買うことができます。

このように、「信用の共創」「世界観型ビジネスがたくさん生まれる社会」に見られるような、成し得たい世界、提供価値、ターゲットとする状況において、シナジー効果が得られやすい企業(または潮流)と組むことで、ユーザから見て世界観が統一され、またケイパビリティの相互補完しもやりやすくなります。逆に成しえたい世界や提供価値が曖昧だと、エコシステムを作る事さえできずに孤立していくこともあるかもしれません。

5-3. DX推進に立ちはだかる壁

新たな顧客との関係、新たなUXを作るDXを推進する方々の前には、既に書いたような課題以外にも、様々な壁が立ちはだかります。これまでは思想や観点、ケイパビリティ、方法論など、組織を外から見た時の話を中心にしていましたが、実際には組織内部の課題が非常に多いのが実情です。

前著では、日本企業はなかなかトップダウンで変われないため、変革ラインを作っておきながら成功事例を作ることが重要であると書きました。具体的には以下のようなポイントです。

  1. 経営レベルがアフターデジタルの世界観を理解し、 OMO型でデジタルトランスフォーメーションを行う必要があると認識する。
  2. 社長-役員-部長-現場で、同じイメージを共有して実行するラインを作る(デジタル部門などが対象になることが多い)。
  3. 行動データ ×エクスペリエンスのクイックウィン(小さい成功)を作り、上が引き立ててムーブメントにしていく。
  4. 成功事例を大義名分に、組織構造やデータインフラを整える大きな動きにしていく。

本書の最後では、そうした組織変革の内面にもう少し入り込んで、実際に行なわれている努力や活動からの学びを、以下の3つの観点でお話したいと思います。

  • 見るべき絵と対話型思考
  • サービサー化に取り組むDXとそのきっかけ
  • 大義とビジネスモデルによる社内説得

対話型思考による有機的組織

「今世の中がどのような変化をしているのか」というアフターデジタルの理解と、それによって自社がどのような環境変化に置かれ、競合や海外勢がどのような動きをしているかを理解することは前提となります。私の周辺では、それこそアフターデジタルを読んでいただいたり、私が講演や勉強会を行なったり、中国視察にお連れすることで、変革における重要幹部の考え方をアップデートする、といったことを行なっていますし、他にも様々なやり方があるでしょう。

しかし、アフターデジタルという変化を理解し、皆が追う絵を提示できて、戦略やビジネスモデルを仮に書き換えられたとしても、それだけでは組織は変われない、と丸井グループの青井社長は言います。「組織戦略の基盤となっているのは、それを実行する社員であり、それを形作るのは組織文化である」とした上で、「命令型組織ではもう上手くいかない時代になっていて、対話型組織でないとDXは実現しないのではないか」と提起されます。

命令型組織というのは「言われたことを最高品質で実現するから指示をくれ」というものです。「このスペックの商品を作る」「この商品を出来る限り多く売る」という、方向性や指標が明確で分かりやすい場合にこの組織は非常に強いのですが、意味のレイヤーになった途端にこの組織は弱くなります。

しかし、多様に解釈できる概念で世界観を表現されて「これをやろう」と言われても、「よく分からないので、明確にタスクとして教えてください」となりがちですし、社長や上司がなんとなく例で挙げた「例えばこんな感じのやつとか」という言葉をそのまま受け止めて、そのままやってしまったりすることもあります。

「この世界観とは、自分の事業においてはこういうことなんじゃないか」「今皆で合意に至ろうとしているこの方針は、世界観や提供価値に合っていないんじゃないか」といったことを現場で考え、対話し、それによって経営者も言葉にできなかったような、より良い表現や価値提供が出来る組織こそが対話型組織と言えます。バリュージャーニーで価値を提供する時代において、様々なユーザ接点を担当するメンバーそれぞれが自ら考え、体現しながら動かないとスピードが遅くすぎて実現性がない、というわけです。ただし、当然ですが社長や上長からの十分な説明や発信があって初めてこれが成り立ちます。

こうした組織文化は一朝一夕には作れませんが、仕組みで大きく改善することが可能です。GoogleのTGIFが有名ですが、経営者やビジョンを伝える役目を持った人の発信量や対話の場を増やすことで、描いていること、考えていることを会社のメンバーが知ることは必須と言えるでしょう。多くの場合、かなり言葉を削ぎ落した詩的な表現でスローガン化されているので、十分な説明や発信なしに「自分で考えてみて」ではあまりに非効率です。具体的にはどのような意味なのか、何故その考えに至ったのか、どういう未来を良しとしているのか、最近の書籍・記事・動画などでシェアしたいものは何か、社内事例のどれを評価しているのか、といったことを話す機会はこれまで以上に重要です。逆に組織のメンバーは、「うちの社長は色んな所で無駄に発信している」と考えるのではなく、それは社内にも向けたメッセージとして発信する意図でやっていることも多いことを理解できると、組織としてより健全になっていくと思います。

トヨタがトヨタイムズという自社メディアを作り、俳優の香川照之氏まで起用してCMまで打っているのは、象徴的な「発信重視」の例と言えるでしょう。外に打ち出すと同時に、社内にも思想を広める考え方と言えます。丸井の場合、広報が実施するウェブサイトにて、社内外に発信を続けており、対話型組織を公言する青井社長もその実践として、書籍紹介なども行ないながら自分の考え方を提示し、問いかけています。ビービットでも、アフターデジタルの理論を一緒に構築している副社長に私がインタビューするというZoom生配信コンテンツがあり、そこでUXインテリジェンスとは何なのかを話しながら、それをテキストに起こしてブログ記事しています。以前、ニコニコ動画で幹部クラスが飲みながら今のビジネスについて話すところを生配信し、大会議室で皆が参加しながら動画にコメントをしていく、ということもやりました。ポッドキャスト、YoutubeやZoom生配信など、なるべく重すぎない形で、クイックに頻度高く実施し、内容が良かったものを後から記事化すると、量と品質が保てるでしょう。

経営からの一方的な発信ではなく、組織のメンバーが各々思考し、議論する場と言うのも重要です。一人一人が各々の決断で動きすぎても困るので、共有され議論され、そこに経営陣も参画したりするのが良いでしょう。一度、商業施設のPARCO(パルコ)に読んでいただいて、アフターデジタルのお話をさせていただいたのですが、PARCOの社員が100名近く参加されており、4~6人用の机に、新入社員もベテランも役員もごちゃまぜで参加されており、私の講義の後に皆さんで「これからのPARCO」について議論をされていました。SaaS企業の場合はこういった場は良く持たれる傾向にあり、ビービットのUSERGRAM(ユーザグラム)というUX企画力を育成するサービスについても、「プロダクトへの想いを語る会」が定期的に行なわれており、最前線で活躍するメンバーが抱えているプロダクトへの想いを語ったり、顧客から頂いた声を還元したり、といったことが行なわれています。

ワークショップで皆で決めることは是としておらず、特に世界観やビジネスモデルの決定において、大人数で納得できるものをブレストして決めようとしても陳腐なものになりがちなので、「重要な事はみんなで決めよう」という意味では全くありません。UX企画や運用において、各々が有機的に解釈して動きながらも、ユーザから見た対応・ブランド・価値が揃っているためには、常日頃議論され、共有されていることが重要であると考えます。

サービサー化に取り組むDXの進み方 -サントリーの事例から

サントリーでは、2020年4月から本格的な全社取り組みとしてDX推進組織が出来上がりました。同4月の日経新聞のニュースには、大量生産大量消費を前提にした20世紀型の事業モデルは限界が見えつつある中でDXを急ピッチで進めており、人材登用にも力を入れていると書かれており、実際に実情をお伺いしてみると、様々な企業で起こりがちな「形だけのDX」とは一味違い、社内でのDXの目指す方向性を揃えつつ、既にバリュージャーニーへの取り組みが開始されていることが良く分かります。

社長、幹部から現場までのDX推進メンバーが、DXを「顧客に新しい価値を提供するもの」であると捉えていますし、これまでのデジタルマーケティングの知見、経験から、飲料メーカーでありながら「顧客の状況理解」「体験提供型ビジネスへの移行」に既に取り組み、次につながる結果を残しています。

ニュースの中では、2020年7月から企業内に設置した自動販売機とスマホアプリを組み合わせ、健康経営に取り組む企業に対し、従業員の生活習慣改善などを提案する企業向け無料サービス「サントリープラス」を始めることが書かれています。導入企業で働く従業員が、生活習慣に関する質問に回答すると自分のリスクに合った健康タスクがアプリからおすすめされ、自分で選んだ健康タスクを実行しながら生活することで日々の習慣が改善され、企業の医療費負担軽減につなげる仕組みになっています。

一定の確率で健康飲料と交換できるクーポンがスマホに届き、職場の自販機に誘導されたり、無料アプリとは別に有料版として管理栄養士が1食ごとの食事内容をもとにコンサルティングをするサービスを開始し、サービス自体の課金も行うとのことで、3月末に公表してから、多くの企業から問い合わせがあるそうです。サービスからの飲料購買誘導、サービス単独での価値によるマネタイズだけでなく、得られたデータを使うことで顧客理解の解像度をより高く持ち、商品やサービスの開発に活かすことまでが計画されています。

多面的に生かせるバリュージャーニー型ビジネスのトライが、全社DXにおける重要な位置づけになるまでには、サントリープラス以前に取り組んでいた「グリーンプラス」というサービスが貢献していました。

グリーンプラスというのは健康促進型の自動販売機連動アプリで、専用自動販売機で飲料を買えば買うほどポイントがたまり、一定量貯まると飲み物がタダで購入できるというものです。これだけではただの自動販売機連動のお得なアプリですが、2つの健康支援機能があります。それは、普通の飲み物では1ポイントしか貯まらないのですが、「トクホ商品(黒烏龍茶や特茶など)」だと5ポイント貯まり、さらに週の目標歩数(男性:64,400歩、女性:58,100歩)を達成しても5ポイントもらえるという点です。

当初このサービスを始めたとき、「歩数で5ポイント」は、せっかくトクホという商品があることを生かして差別化するために付けているようなもので、基本的には「お得になるポイントアプリ」程度の認識でした。しかし、思ったよりも定常的に利用しているユーザがいることからリサーチしてみると、特定のユーザにとっては「お得なアプリ」以上の役割があることが分かりました。

運動や食事制限など、「やせよう」「健康に気を付けよう」という行動はなかなか習慣化しません。こうした行動の中には、「飲み物を買う時にトクホ商品を買う」という行動も含まれますが、結果として三日坊主になりがちです。

しかしグリーンプラスを使うことが習慣化したユーザは、「目標達成したときに5ポイントもらえること」が習慣化のトリガーになっていました。ヒアリングをしてみると、目標達成をアプリが褒めてくれているように感じられ、それが小さな喜びとなって、「せっかくたくさん歩いてポイントがもらえたし、どうせなら飲み物も水じゃなくて特茶にしておこう」「ポイントが貯まってきたし、歩数ももうすぐ目標達成だから、今日はちょっと余分に歩いてみよう」という形で健康行動を続けることの励みになり、結果として三日坊主にならずに済むという傾向が見られたのです。「健康行動が三日坊主で終わってしまう」状況に対して、「お得だから続ける」のではなく、「小さな喜びの蓄積によって励まされる」ことで健康行動を進んで続けられるようになるという価値を、商品、自動販売機、デジタル体験を融合させることで提供できたサービスになっていたわけです。

この発見は、獲得すべきユーザも、施策を打つ方向性も、サービスを拡張する方向性も、全てを変える契機になります。例えば、黒烏龍茶をはじめ、トクホ商品はこれまで「脂っこいものを食べるときに飲み、健康効果とともに罪悪感を洗い流す」というアピールがされるケースが一定ありました。これは、誰しもラーメンやポテトチップスを食べることはありますし、「人数」で見ればその方がマスを捉えているといえるでしょう。しかし、実際にデータを見てみると、売上の多くを「毎日飲んでいる健康志向ユーザ」が占めていることが分かります。それもそのはずで、「食事で罪悪感を感じること」は、人数は多いかもしれませんが、発生頻度は低くなります。一方で「毎日トクホを飲んで歩く」ことが習慣している人は、一人で一カ月30本飲んでくれるわけです。こうなると、ターゲットとすべきユーザ(状況)は変わってきますし、メッセージも「洗い流す」「お得」ではなくなってきます。歩数目標達成の時にポイントがもらえることがオンボーディングのきっかけとして重要なので、アプリ利用者に如何にその達成を大きな出来事としてユーザに伝えるか(例えば絶対に通知を出す、通知のメッセージも工夫する、一回目だけ20ポイントあげる、など)を考えるようになります。

実際、グリーンプラスを導入した自動販売機は、導入していないものと比べて510%近く売上が上がることが分かりました。自販機への機器導入、及びポイント還元分のコストもあるため、サントリー内では「成功」とまでは言えないまでも、デジタルで顧客を捉えるやり方やグロースのさせ方を学ぶことができ、デジタル活用によるチャンスの兆しを見つけられたことは事実であり、グリーンプラスで提供できるビジネス上の可能性と限界の両方が見えたからこそ、グリーンプラスの進化版ソリューションとして、サントリープラスへの拡張(「個人を自販機で健康にする」から「企業の健康経営を多角的にサポートする」へ)と、全社DXとしての注力につながったと考えられているそうです。

この事例における組織的意義は大きく2点と考えます。

① デジタルサービス起点で顧客理解とビジネスの可能性が見えたことで、全社でサービスに取り組むという活動につながった。

② 顧客を状況レベルで理解することで、打ち手が大きく変わり、成果を生み出すが可能であることに、組織として発見できた。

①に関して、前述のメルカリと同様、メルカリ教室という成功事例とノウハウがあったからこそ様々なオフライン連携に乗り出すことができた、という流れと非常に近いと考えます。多くの方から「メーカーからサービサーになる実践をしようと思うが、なかなか社内が説得できない」という声を頂く中、この事例は「既にあったサービスの成功要因を状況ベースで捉えなおした」ことから始まって、全社取り組み化していますし、「状況を捉えるとはどういうことか」が分かりやすくまとまっている例と言えるのではないでしょうか。

大義とビジネスモデルによる社内説得

特に大企業で最も頻繁に聞かれるのが、「それがいくらになるのか」「やる意味のあるビジネスなのか」「どのようなビジネス貢献になるのか」という反論に立ち向かえないという意見です。特に、上記の事例にもあったような「サービサー化」を目指す場合は、「自分たちのやることなのか」という疑問を抱かれやすいため、特に反対が大きくなります。

このため、製品販売型から体験提供型になり、バリュージャーニーを作るべきという説明を本気で組みに行き、根回しも含めて時間をかけないと、なかなか通せず、動き出しません。根回しのような会社の政治的活動は各社状況が異なるのでここでは語りませんが、説得ロジックという意味では、以下の3つのパターンに陥ってしまうことが多いと思います。

  • 本気で説明ロジックを組みに行っていない
  • やったことのない新しい活動なので説明ロジックの組み方が分からない
  • どの方向に進むか予測不能なので書きにくい

まず「DXは必要であり、DXの活動とは何のことを示しているのか」に関してある程度共有の絵が持たれていることを前提とします。アフターデジタルという社会変化の中で、自社においても変化する競争原理に対応するべきであること、加えて、DXとはシステムやオペレーションをデジタル化して効率化、コスト削減を行うことが主目的なのではなく、ユーザ・顧客との新しい関係の構築と、それに伴う新しいUXの提供が主目的であること、これらの認識を揃えることが先決です。

これがクリアできているのであれば、バリュージャーニー型のビジネスを行なうための説得として、①ビジネスモデル・会計モデルの変化、②会社にとっての活動の意味合い(大義設定)という2つを説明する必要があります。

①ビジネスモデル・会計モデルの変化を伝える場合、大きく2つの方向があります。このバリュージャーニーを作って運用するという活動は、コア事業を助ける役割になるのか、単体でのスケールを狙っていくのか、という話です。前者は、新たに顧客と関係を作っていく仕組み作りであり、それ単体では儲からないが、高LTV・高ロイヤルティの顧客を作っていくモデルを構築することを目的としています。平安保険と同様のモデルであり、例えば医療や健康のアプリを使うことによってユーザの生活がより良くなり、そのアプリを利用することで、その人の状況が可視化されて最適なタイミングに営業ができたり、販売はせずに生活を支援することでエンゲージメントが高まったり、といった形で、従来と同様に商品を作って販売する機能は引き続き存在させながら、一方でLTVを高めていく構造を作っていきます。このモデル構築が実現出来たら、ユーザをそちらのモデルに流していき、なるべく多くのユーザを高LTV・高ロイヤルティに転換していきます。これが「コア事業を助ける役割」です。

一方で後者の「単体でのスケール」はかなり茨の道です。重要なのは、これまでの製品販売型ロジックから出てくる、「いくらになるのか」という会話にはどうやっても真っ向から答えられない、ということを受け入れることです。製品販売型のビジネスでは、当たり前ですが物を作って売ることで生まれた差分(利益)を重ねて儲けを増やしていくため、単月や単年での損益を追うのが基本ロジックです。しかし、サービスモデルはそうなっていません。製品販売においては、仮に購入後全く利用されなかったのしても、「何個売れたのか」で評価されるため、販売後のことを気にする必要はありません。しかし、サービスにおいてはユーザがアクティブに使い続けてくれているのかが重要になります。仮にサブスクリプションであれば、加入後に解約されない期間が長いことが重要ですし、モバイルゲームのように都度課金される形式であれば、そのゲームを辞めずにずっとプレイしているかどうか、または特定のハードルをクリアするほどハマっているのか、が重要になります。つまり、期間の損益よりもユニットエコノミクス(顧客1件あたりの経済性)を見ながら投資判断が行なわれるわけです。

製品販売型PLとユニットエコノミクスの違いは、この図のように、「期間で見る」のか、「ユーザ一人当たりのLTV」で見るのか、に明確な違いがあります。しかもユニットエコノミクスでビジネスを評価する場合、獲得コストの1倍以上の売上を18か月以内で確保できると健全な状態、といわれているため、成長するためには先行資金が必要になります。スタートアップが資金を集めて大きくしていくのと同様です。

バリュージャーニー型のビジネスを作っていく場合、評価方法もお金の儲け方も先行投資の考え方も「製品販売型」と大きく異なるため、これらを踏まえて説明する必要があります。前者と後者は、組み合わせられた方がロジックとして強くなるので、サービス単体でスケールさせながら、既存事業にも貢献してシナジーを生んでいく役割を持つ、という形に見せられるとより良いでしょう。さらにこれが実現できた場合、アリババやクリスプの事例で見てきたように、自社が行う管理システムをtoB向けのソリューションとして販売することも可能になりますし、ユーザ数が圧倒的に増えた場合にはメディア化し、広告や金融への派生も見えてきます。

次に、②の「会社にとっての活動の意味合い(大義設定)」についてです。こうしたサービスが単体で大成功する可能性は正直高くありません。しかし、バリュージャーニーを創るDX活動を「事業として成功させる」というお題目が最優先になってしまうと、マネタイズなのか既存事業貢献なのかアクティブユーザ数なのか、成功の定義が難しくなり、かつ不確定性が高いため、十分な投資がされないことがほとんどです。どんな企業も、こうした活動を実践して失敗し、ノウハウが貯まり、人材が育ち、どんどんと成功確度を高めていくわけですが、この失敗を恐れて慎重になりすぎる結果、活動が展開されず、ひたすら時間がかかってしまいます。

DXの目的は「新しいUXの提供」であり、その実現と成功に対しては、「単発の事業がビジネス的に成功する」ことよりも、「組織としてバリュージャーニーの企画運用が出来るようになる」ことの方がよほど重要です。仮に失敗しても、「初めからこういう形でデータを取得しておくべきだった」「コンテンツを作る人材が圧倒的に足りなかった」「他部署の巻き込みが不十分で、連携に時間がかかりすぎた」など様々な知見が貯まり、それを経験したメンバーが強いDXメンバーになっていったり、そこから得られた経験からチャンスが見いだされ、サントリーのように全社活動になっていきます。DX実現のために、「組織ケイパビリティと知見を獲得するための活動」が必要であることは理解されやすいため、この大義を掲げてなるべく早く実現に動きながら、単なるお題目でなく本気でケイパビリティの獲得と組織化に集中できると、結果近道になります。

第5章のまとめ

日本のDX、OMOも既に待ったなしの状況になる中、先進的な取り組みも多数見られ始めています。アフターデジタルに対応するDX実践者との議論や、彼らの経験談から、あらゆる推進者に共通して起こりがちな落とし穴や必要なプロセスを、事例とともにピックアップしてきました。そこには、社内説得、ケイパビリティ調達、という大きく2つの壁がありました。

  • 社内の意識変革や説得を通して、どのように会社全体で話を通りやすくするのか
  • 【地盤固め】DXの必要性と目的の認識を揃える
  • 【目指す絵の確認】事業そのものだけでなく、ケイパビリティ取得や、高LTVモデルへの転換といった大義設定を行う
  • 【まずは経験する】失敗を恐れずなるべく早く開始してラーニングし、より具体的な成功への道筋を示すことで社内全体を巻き込む

  • ケイパビリティを如何に調達するのか
  • 【対話型組織】上からの情報共有が十分行なわれ、かつ下も上も横も一緒に対話と議論ができる組織を作り、自ら価値を考えて動ける文化を作る
  • 【オンオフの補完関係】オンラインとオフライン、双方のプレイヤーにおいてケイパビリティを補完したいと考えているため、「目指す世界が近い企業」と補い合うべき

ビジネスであり変革であるため、先に取り組んだ方々から落とし穴やノウハウを学ぶことは重要ですが、「これが絶対に正しい」というやり方はありません。同じやり方をそのまま真似ても上手くいかない事ばかりだと思いますが、こうした事例や考え方を参考にしながら、自社ならではのDXがたくさん生まれていくことを切に願います。

おわりに

待ったなしの変革に向けて

本書を書いている3月中旬から5月中旬まで、ずっと新型コロナウイルスの影響化で執筆している中、当初予定していたよりも変化していった点がありました。

それは、「結局変えていくのは自分たちであり、自らが参画しよう」というメッセージが色濃くなっていったことです。

奇しくも、「オンライン前提社会」に無理やりシフトさせられ、色んな方から「アフターデジタルとアフターコロナの繋がりは?予想外のことは?」と聞かれる度に、それは僕たちが何をするかにかかっているんだけどな、と思っていました。刺激的な海外事例がたくさんありますが、日本で一気に広まりつつあるサービスとしてZoomやUberEatsが挙げられますが、これもすべて海外のサービス。「どんな変化が起こるのか」ではなく、今のタイミングで、社会貢献の大義の下で「自分たちが何の変化を起こすのか」が問われています。

そんな想いを抱きながら書いたこの本は、マインドセットや組織コミュニケーションなど、内面的な変化の話が多くなったように思います。新型コロナウイルスで社会課題が噴出する中で、医療系サービス、東京都のシビックテック、新しいフードデリバリーなど、日本においても志を持った方々による動きがたくさん見られました。そういう「自分たちがより良い社会にするんだ」という意志のある方々と一緒に「デジタル融合・オンライン前提」社会づくりをしたいですし、そうでないとおそらく日本のデジタル化は、「データやAIが怖い」「民主主義や我々の自由はどうなるのか」という論調の下、世界的に遅れていくでしょう。

その意味も込めて、本当に使うか悩んだのですが、とにかく挑戦していかねばならないし、自分たちの生み出すUXが社会を形作るのだから頑張ろう、という意味で「勇気」という言葉を使っています。

ユーザエクスペリエンスの可能性

今回、ひたすらUXという言葉を使い続けました。

中国から日本に返ってくると、一つ一つのサービスの使い勝手の悪さが目立ち、「これくらい乗り越えてくれるよね」という作り手側の怠慢を感じるシーンがとても多く、一方で中国においては「10億人と言うユーザをなるべく多く捕まえるためには、良質なUXは必須」と考えており、プロセスを1ステップ削ることにも全力を費やします。UXが良い事が、そのままビジネスにつながることが良く分かっているからであり、そこで負けてしまっては競争に勝てないことが分かっているからです。ビジネスモデルが最高でも、接客品質が神がかっていても、デジタルのUX一つで全てが壊れるからです。スティーブジョブズが一つ一つの挙動やデザインに口出しをしていたのも同様で、それはエクスペリエンスが全てを左右すると分かっているからですよね。

この「UXを良くすることがビジネスの本質に関わっている」ということが、日本ではなかなか伝わりません。モノからコトへとか、体験型消費とか、色々な言葉は使われますが、UXの重要性を経営層が認識しないし、本当は次の時代のコア業務をやっている現場の人たちもそれを認識せずに仕事に向き合っていたりします。

なので本書では、様々な言葉を少し強めに書きました。

「DXの目的は新しいUXの提供」「アフターデジタルはUXとテクノロジーがけん引する社会」と、今までのビジネス書では絶対に言わないようなことを言いました。こうしたレイヤーで語るために、あえて「UI/UX」という言い方を一切使っていません。

データについても、「持っていたらお金になると思っているけどそれは幻想だよ」と明確なスタンスを取りました。UXに還元して使わないとほぼ使えないし、ましてや過去のデータなど持っていてもほとんどリスクとコストにしかならない。ユーザに起きていることを理解し、UXをより良くするから、人はそのサービスが好きになり、使い続けてくれます。

困ったことに、全部本気で言っています。(笑)

「新型コロナウイルスによって変化すること、しないこと」も、実は全て同じで、UXが良くてベネフィットがあるものに変化していくだけでしょう。一足先に落ち着き始めた中国では、あれだけリモート教育が取り沙汰されましたが、共働きの家で子供いるのも大変だし、意見交換する効率も、ノートに書かせて添削する効率もまだまだリアルの方が楽なので、結局戻っていく傾向にあります。一方で、自宅に居続けた期間に多くの中高年層が「30分で届く生鮮食品配達」を使った結果、便利すぎて離れられなくなっています。いくらテクノロジーがすごくても、自然なUXで、かつベネフィットがないと、使われなくなっていく事は歴史が証明しています。

このように、アフターデジタルとは本来なら、そんなに売れるはずもない「UXと社会で全部切りなおす」というなかなかあり得ない試みなのですが、なんと賛同してくださる経営者や変革推進者がだんだん増えてきています。「良いUXを作ることは当たり前で、そうじゃない会社は潰れていく」と皆が思っている社会って、結構すごいですよね。

UXで全部が語れるとは全く思っていませんが、正しく評価されないと、永遠にDXに閉塞感があるままだろうと思います。この本が、同じような挑戦をする人たちの間で読まれ、共有され、UX企画が当たり前に語られ、当たり前の業務になる日が来ると良いなと思っています。

最後に

本書を作成するに当たって、今回も様々な方に支えていただきました。前作に引き続きこちらの無理な企画や要望にも快く答えてくださった、日経BPの岡部一詩さん、松山貴之さん、西正良子さん。いつもネタを持ちより、議論させていただくことで新たな思索が生まれる、前作共著者の尾原和啓さん。特に重点的に事例やインタビューを掲載させていただきました丸井の青井浩社長、サントリーコミュニケーションズの室元隆志役員。皆様から頂いた濃厚な時間から、本作に落とし込むことができました。感謝いたします。

また、アフターデジタルという言葉の開発者でもあり、いつもアフターデジタルシリーズの中身を一緒に作ってくださるビービット中島副社長はじめ、ビービットのメンバーの皆が常日頃、より良い社会を目指してUXを作ったり、お客様を支援したりと頑張ってくれる結果が、著作に反映されています。いつも有難うございます。

書籍に関する裏話、更なる更新、様々な活動は、私、ビービット藤井保文のTwitter(@numeroFujii)にて発信しています。ご興味ある方は是非フォロー指定ください。

UXインテリジェンスの精神に関しては、別途以下URLでパワーポイント詳述版を用意しています。こちらも、ご興味ある方はご覧ください。

それでは、読了いただきありがとうございました。

引き続きより良いアフターデジタル社会を目指して。

2020年5月 株式会社ビービット 藤井保文

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ディレクターズカット(本文に入れなかった原稿)

まるまるカットした原稿① 4-3の最後

みずからとおのずからのあわい

実践的な話に入る前に、「人がその時々で自分に合ったUXを選べる社会」をもう少し深く説明したいと思います。この文章には、2つの意味を込めています。

まず、人間は状況に応じて人格やモードが変わるため、人を属性でくくるのではなく、様々な状況の集合体であると捉える、状況ターゲティングの思想が背景にあります。例えば、ビジネスパーソンとしての自分、父親・母親としての自分、スポーツをする自分など、タイミングごとに状況は異なり、求めるものも変わります。実際私たちの生活でも、世の中に様々な製品・サービスがある際、1企業のサービスに乗り続けるわけではなく、「スポーツマンとしてはこのスポーツブランドのこれ、健康的な食事の時はこのサービス、、、」と言ったように、状況に応じてUX・ジャーニーを乗り換えています。様々な自分のモードごとに色んなサービスを使い分けているというのは、皆さんの日常においてイメージができるのではないかと思います。

状況ターゲティングの次は、「みずからとおのずからのあわい」についてです。日本の倫理学者である竹内整一氏は、「自ら」と書くこの字の中に潜む「みずから」と「おのずから」の意味の違いから、その「あわい」を生きるという動的かつ日本的思想に、他者とともに生きるための新たな公共世界を切り拓くことへの可能性を見出されています。

もう少し説明を加えると、「みずから」とは自分の意思から動く・思うという自己内発的なものを指し、「おのずから」は自然とそのようになる、つまり周辺環境やシステムにおいてそのように動かされているという外発的なものを指しています。仮に私が「自発的に」とここで書いたとしても、それは「みずから」そうしているのか、「おのずから」そうしているのかで、また少し意味合いが異なりますし、レッシグの「法律・規範・市場・アーキテクチャ」からも分かるように、何処までが本当に自分の意志でそれを行なっているのかは非常に曖昧です。私は今この本を書いていますが、自分の意志で書いているものの、今の日本の状況、会社において置かれている環境、これまで議論をした方々からのインプットなど、様々な外からの要因、取り巻く環境から「書かされている」と捉えることも出来ます。

「あわい」という言葉を使うことによって、竹内整一氏はまさにその「みずから」と「おのずから」の間を動的に揺れ動いている状況を示しています。あわい自体は、「間(あわい)」や「淡い」と書くことが出来ますが、グラデーション的に間を行き来しているという意味合いで、あえてひらがなで表現している意図が見て取れます。一見、「自分で決めているけど、環境の影響も受けていて、それがどちらか分からないというのは、当たり前の話だよね」と思われるかもしれませんが、こうした思想は、二元論や対立構造で捉えない日本的な思想に基づいており、私たちが思っているよりも、世界においては当たり前のことではない考え方になります。

私が本章で言っている「人がその時々で自分に合ったUXを選べる社会」は、その「あわい」のバランスをもユーザが選べる社会をイメージしています。アーキテクチャの設計の仕方によって、自分で考えさせ選択させる傾向が強いものもあれば、システム側に勝手に選ばれていくようなものもあります。基本的にはみずから選びたいと思うものの、状況によっては、「あとはもう、善きように勝手にやってくれればいいのに」というシーンは間違いなくあるでしょう。例えば料理であれば、「自分も楽しめて、家族も喜ぶ素敵な料理を作りたい」「健康さえきちんとしていれば、献立は何でもよい」「とにかく速く作れさえすれば良い」など、自己内発的にコントロールする領域にも異なるパターンがあり、しかもそれは平日や休日、忙しい時とそうでない時などの状況に応じて変わってくるわけです。「この瞬間はこの町に住みたいけど、別の瞬間は別の町に住みたい」ということは現実には難しいわけですが、バーチャルにおいて「この状況ではこのUXの上にいたい」ということが可能です。「データをどの程度まで預けるUXなのか」「どの程度まで管理され、どの程度まで自分でコントロールできるのか」といったレベル感で選ぶことができ、その選択肢が潤沢に提供され、ユーザが移動したいと感じればすぐさま移動が出来ることが重要になります。ユーザに対して誠実であり、かつUXが良いかどうかによって、何処に住みたいかが投票されていくような世界観ですし、それが刻一刻と変化していきます。これまでは、規約を分かりにくくしたり、退会する為には電話をかけなければならず、非常に面倒かつやたら待たされる、といった不誠実がまかり通っていましたが、この精神に基づいてDXを行なう限りにおいては、「自社のサービスから抜けにくい」「ハマってしまって抜け出せない」という不誠実なUXは作ってはいけないということになります。

精神としてのUXインテリジェンスを持ってDXを行なうことが当たり前になれば、データの扱われ方も、管理される度合いも状況ごとに自ら選ぶことが出来る社会が実現し、ユーザやその他のステークホルダーと良好な関係を持てるUXを作っているプレイヤーたちが残っていき、不義理・不誠実なサービスや企業は淘汰されていくようになるでしょう。一朝一夕に出来ることではない、あくまで理想的な状況ではありますが、アフターデジタル社会への対応を担う、本書の読者のような方々が、このような「あるべき」を少しでも意識してくださり、各社の対応を行なっていくを切に願っています。

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まるまるカットした原稿② 4-4あたり

データの管理・活用に関する基礎知識

データをどう取り扱うかの共通見解

・データにおいて、透明性とユーザの主体性を確保し、企業とユーザ双方にとって利益が及ぶ形であるべき。これを組織のコンセンサスとして持ち、そうした仕組み・ルール作りを行う。

・つまり、微塵もユーザをだます気を持つことなく、バレたらどうしようと思うような事象を入れることもなく、ユーザに不義理を働かないこと。(競合や違和感を感じたユーザによる荒さがしで容易に露呈する。ユーザのリテラシーも高くなりつつあるし、逆に企業家側が、ユーザに進んでそれを確認してもらうなど、主体性を付与する形で実施すべき。)

・アンドレアス・ワイガントはその著書で、ユーザが持つべき透明性と主体性のための権利を以下のように分類する。ユーザが持つべき権利という視点で語られているため、一定難しいところはある(例えばブロックチェーンにおいて自分の過去データを修正することは難しい)が、あくまで1企業や1サービスが顧客と信頼関係を気づきながらデータを扱うに当たってのガイドライン、これらは参考になる。

【透明性】

  > 自分のデータにアクセスする権利

  > データ会社を調べる権利(安全性監査、プライバシー効率評価、データへのリターン)

【主体性】

  > データを修正する権利

  > データをぼかす権利

  > データの設定変更の権利

  > データをポートする権利

・ここまで行くと、純粋に世界観と利便性によるUXの勝負になってくる。

・また、あまり個にフォーカスしすぎず、余計なコストやリスクを排除するために、健全性をしっかりと見せて信用してもらうことは非常に重要。

これらを扱うための準備

・これらの形でユーザから信任を得て得られたデータは、今度は実際に使わないとしょうがない。データを統合的に保持する際の基本的な構造として、大きく3つのフェーズがある。

  > データレイク

  > データウェアハウス

  > データマート

  ※ 別々のアプリケーションに存在するデータを連携させる場合は別の話。APIで必要データを引っ張ってきたりとかになる?この時のデータの整理整頓や突合は特定目的での形にクリーニングされるという認識でよい?

・基本的にはデータマートが存在しない状態では、まったくデータを使うイメージが持てていないことと同義であるため、データは宝の持ち腐れになる。経営陣にありがちな思考として、「どうやらデータが大事らしい、うちにはたくさんあるだろう」と雑に考えてしまい、過去の固定的なデータを財産とみなしてしまう。使えないままの未整備なデータがあっても、管理コストと漏洩リスクのみが存在することになる。

・ただし、データが財産になるケースも十分にある。大きく2つの考え方がある。

  > どのデータにどのようなビジネス価値があるか分からないので、とにかく集約する

  > 利用目的と用途がはっきりしたデータを集める

・両方非常に重要だが、自社をデータカンパニーと自負し、データによるイノベーションを行うということであれば、一つ目は重要になるため、ひたすらハイレベルなデータアナリストがR&Dを行う必要がある。十分な技術力を有する、またはそのような方向を目指すのであれば、データレイクにとにかく貯めていくことも意味を成す。

・一方、そこまでの規模でデータを活用することを考えず、とにかく特定サービスにおけるUXを高め、そのシナリオが描けているのであれば、まずは目的と用途に落とし込んですぐに使えるようにしていくべき。余計なデータをどんどん貯めていくことでコストとリスクを高めていくよりも、「データはUXに還元する」の原理の元、とにかく軽くアジャイルに動かせる形式を指向するべき。

・どちらにせよ、どれだけデータがあっても、「どのようなUXを作るのか」の定義がないと、目的と用途がないためデータマートまで作ることはできない

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ぼやき on 6/14

もう一旦校了しているのですが、世の中で見つけたことや、新しく分かったことはここに追加していき、「更新性のある書籍」にしていきたいと思っています。

面倒なのは、どこに追記するか。

普通に初めから読む人のことを考えると、と文脈上合致したところに新しい文章が載っている方が間違いなく良いのですが、既に読んでくれた人や、書籍を買ってくれた人からすると、分かりやすく「追記①」「追記②」みたいになってる方がいいでしょう、と。少し上にある「ディレクターズカット」みたいに。

書きたい OR 書けそうな内容としては以下。

・中国事例アップデート

  > 結局ラッキンコーヒーはどうなったのか

  > アリババ、テンセントを追いかける美団とバイトダンス

・平安保険徹底分析

  > 戦略転換の歴史

  > グッドドクター成功の歴史

・スーパーアプリから考える「何の第一想起」を取るか

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