ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第6号 『クオ・バディス、孤島国Jジャパン?』「その一」

 首相が替わり、参議院選を前にして、海外国に永く住んで来て、日本を振返ると、日本の経済、景気が、何とか活力を取戻して貰いたいという念願がある一方で、最近特に気になる事が多くあります。

 今回は英国欧州EUの体験から、日本が政経工教外交にわたり、多少でも参考にして戴きたいという願いを込めて、このエッセイを記します。 北 広次郎

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 1966年以降、英国に住んで商社時代は機械販売や繊維工場建設に世界を飛び回って来ました。そして英国の政治経済工業教育をハロルド・ウィルソン政権時代からつぶさに体験して来ました。

 やがて英国産業通商省の英北西東部ミッドランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなどの地方への工業誘致促進協会顧問を委嘱されまして協力して参りました。

 特に労働党ウィルソン首相時代末期からサッチャー首相時代、海外(特に日本からが多い)からの、英国への日産自動車はじめ、英国への生産工場建設誘致を促進する運動が盛んになりました。その背景には、英国が採った革新的な工業振興グラント(奨励支援金)制度(その業種の重要度将来性雇用促進度により必要資金の15%から、時には30%以上まで、返済不要な工場建設奨励金供与)が出来たことがありました。

 これは工場製造業に限られましたが、資金以外にも、設立スタート時の税制の優遇制度など恩典もあり、スタート時一年ないし二年間は、新米工員の養成訓練期間として、その間の給与も政府から支払われるという制度もあり、工業的未開地域ほど給付率が高くなる仕組みです。国にとっても重要な産業の場合は特例措置として、50%になる場合もあった。 特に英国がEUに加盟してから、EUも英国の制度を真似て、このEU奨励金制度を採用した。EU奨励援助金と英国政府の奨励援助金(GRANT)の双方を、合体させると大きな金額になる。都市開発工業団地開発などに適用される。

 英国はEUに加盟するはるか以前から、この制度を創始していた。

 その資金は全て英国中央政府と地方政府の双方から供与され、その英国内工場建設企業は、それが、英国内企業せあろうが、外国系企業であろうが、差別は一切なく同じ待遇をうけられるようにしたのである。そして全世界の企業に呼びかけ始めた。それが効を奏して、欧米企業が英国内に工場建設を始めた。最初この青図面をつくったのは 英国がかつて世界の工場として、加工輸出貿易を行なってきた世界産業革命時代からの歴史的経験とノウハウがあったからだと思う。

 サッチャー政権になってから、特にサッチャー首相が、最も熱心に肩入れし、英国に工場誘致運動を勧誘したのが、四海孤島国Jジャパンであった。

 サッチャー首相は英国政治史上で初めての女性首相で、この女性首相の渾名は『鉄の女(首相)』であったが、日本贔屓にかけてはハンパではなかった。

 この英国初の女性首相について、一口に説明するのは至難の業だが、2010年春総選挙で労働党政権のゴードン・ブラウン首相が過半数に達せず退陣したが、保守党も過半数に達せず、結局第三党のリベラル・デモクラティック党と連立を組んで、久しぶりに保守党政権のカメロン首相が誕生した。

 先週末ロンドン・ドウニング街10番地の英国首相官邸玄関からサッチャー元首相が、カメロン新首相に身体を支えられながら、官邸建物の外側の道路に降り立つ姿をBBCのTVニュースで見たが、サッチャー首相時代が走馬燈のように思い浮かんだ。

 北がマーガレット・サッチャー元首相に最後に出会ったのは首相を退いてからで、日本商工会議所婦人部のセミナー講演のため訪日した折の事だが、宇都宮グランドホテルでの歓迎パーティーの時であった。

 2009年他界したが、生前、北と親交が深かった英国ロスチャイルド家第五代当主バロン・エドムンド(1948年発足のイスラエル建国の父で、戦後の日本復興国債引受などの貢献に対し、昭和天皇から勲一等旭日瑞宝章を授勲されたイスラエルの実質王と称された人物)の、息女ソプラノ歌手シャルロッテCDR女史(近世欧州著名音楽家とロスチャイルド一族との関係史研究家でもある)が、サッチャー元首相の日本講演会前座パーティーのコンサートで公演することになり、成田行きが満杯でとれず、日本滞在中のCDR女史から緊急電話が入って、突然招かれ、すぐその公演前日英国を出発、成田行きが満杯でとれず、取れたBA英国航空便で関空に到着、新幹線に飛び乗って、東京駅着、そこで待機する甥のポルシェに飛び乗って、リレー搬送で宇都宮グランドホテルでの夕刻6時開演時間にやっと間に合ったことがある。

 ちなみにサッチャー首相の御主人デニス氏はロスチャイルド商業バンクの元頭取で、サッチャー首相の後を継いだジョン・メイジャー首相もこれまたロスチャイルド銀行出身であった。英国の歴代首相のなかで、大学出でなかったのはジョン・メイジャーだけと言われている。

 ロスチャイルド家は英国首相メーカーとも言われる。 それには歴史的背景があるが、ビクトリヤ女王時代(日本はまだ江戸時代末期)に、英国政治史始まって以来、初のユダヤ人のディスレイリ首相が誕生した。そのとき、ディスレイリ首相は英国ロスチャイルド家に全面的融資を依頼し、トルコ提督から 全スエズ運河株を買取り、それを女王に献上すると言う離れ業を演じたのである。つまり、スエズ運河の英国国有化に寄与したのである。 英国ロスチャイルド家は明治維新以来の、日本国鉄建設の国債も引き受けている師、日露戦争の戦争国債4回も引受けている。

 北はサッチャー首相時代、国策による英国の地方工業開発協会(AIDA=ARIAL INDUSTRIAL DEVELOPMENT ASSOCIATION)の委嘱をうけて、特に日系企業の英国工場建設誘致促進の働きかけを行なうことになった。そのためAIDAプロモーションビデオにも出演依頼されて、ヘリコプターで未開発工業候補地に降り立ち、地図広げて視察調査する場面などをロケし、そのビデオが日本を含む世界各国の業界に送られた。

 日系企業訪英調査使節団のメンバーに対する、英国工業事情、英国社会事情、労働事情などの講義講演の講師をAIDAから依頼され、現地工場現場案内AIDAとの会議で説明役や質疑応答の通訳などをつとめた。

 この英国工場進出誘致のプロモーションをアシストした背景がるので、サッチャー首相が、なぜ特に日系企業の英国工場誘致に、あれほど熱を入れたのか、北にはよくのみ込めてくるようになった。まず大手企業への英国工場誘致を始めたのはニッサン自動車英国工場だった。サッチャー首相自ら日本を訪れニッサン、トヨタ、キャノンなど日系企業工場内現場をヘルメットかぶって視察して歩き、英国への工場建設進出を勧誘して歩いていた。

 北は商社機械部時代、ニッサン自動車繊維機械部の水噴射式ウォータージェット織機を、先進国に市場開拓して売込んできた経緯があり、ニッサンの石原洵社長(後会長)にも、何度か会い、英国の繊維工場内を御案内申し上げてきた。、また石原社長はサッチャー首相を日本のニッサン工場に迎えて御案内し、逆にニッサン石原社長は、ロンドンを度々訪問し、サッチャー首相官邸に何度か迎え入れられて来た。とにかく、当時日系企業の英国工場建設誘致に、欧州の一国の首相が、自ら乗り出して動いていた例は稀有である。しかし、最近韓国の大統領が、海外国を訪れ、海外で自国が採用したドイツ方式の新幹線とか、原子力発電所とかなどのセールス活動を頻繁に行なっている。景気浮揚のために、日本の首班も見習って欲しいと考えるが。 実は欧州の大統領や首相も、国益にかなう自国工業の絡む大型プロジェクトの売込みを、海外の訪問先国で相手国野首脳に行なった例は珍しくない。

 ただサッチャー首相の場合は、他国企業の工場建設を自国「英国」内に呼び寄せると言う、一見逆版みたいな誘致を孤島国Jジャパンの民間企業工場現場まで、出かけて行き視察がてら行なったり、企業トップをロンドンの首相官邸に招いて歓迎し話合いした英するケースは珍しいかも。 おまけにニッサン英国工場が完成したその開場式に首相自ら出席してテープカットもしてるのであります。

 とにかくサッチャー首相は、日本企業の工場誘致を熱心に行ない、ニッサン自動車が先ずその嚆矢となったが、その後英国に工場を建てる日系企業が続いたのである。

 日系企業英国工場で生産された製品は、EU圏内25ヶ国(今27ヶ国)市場へ輸入関税ゼロで販売輸出され、また中近東アフリカ豪州アジヤにもされて、行くことになった。以来英国をさして『老大国(老退国)』という人はいなくなった。

 当時まで 英国を『老大国(老退国)とか『英国病』と書きたてていたのは、主に四海孤島国Jジパングのマスコミ評論家達であった。そして、海外では四海孤島国J人のことを『エコノミック・アニマル国』といって、日本製品ボイコット運動も激しい国があった。

 日本の首相が、訪問したアジヤ国の都会では、日本製品や日本車を街頭でガソリンかけて燃やして『エコノミック・アニマル』と非難したたケースが多々あった。

 歴史上あまり都合の良くないことは、触れたがらない、忘却した振りしたり、故意に敬遠したり、時には隠蔽したりする、世代もあるかたわら、そのような歴史を知らぬ世代が、サッチャー首相の真の狙いは一体どこにあったのか?それはかつて世界産業革命を起こし繁栄を謳歌していながら、第一次大戦第二次大戦も戦勝国になりながら、『成熟老大(退)国』のマンネリ体質に陥った『英国病』を根治する方法は、思い切ってジョンブル風土の中に、異文化の異質の血を流入することが、もっとも早道だという思想を抱いていた。

 そこでサッチャー首相が英国内産業への刺激剤『カンフル』として、白羽の矢をたてたのが、たまたま日本であった。

 当時サッチャー首相は、『屋上屋を重ねない小さい政府論』を掲げていて、英国国鉄BR=British  Railways)、電力公社、上下水道公社、郵便公社、電話公社、英国航空、など国営公営企業で、主にROYALの冠称マークがつく所の民営化を目指していた。

 ロンドンのG7会議でも、サッチャー首相は、レーガン大統領をまじえて、この主張を繰返していた。それをパクリで、一足早く先取りしたのは日本で、国鉄のJR化、電電のNTT化、国債電電のKDD化であった。

 サッチャー首相の民営化政策に対し、当初英国国鉄では強力な労働組合が猛反対をしていた。しかし最終的には民営化実施になり、路線入札制で、英国のイングランドの主要鉄道路線は、元レコード通販会社からスタートし、いっぺんは倒産したが、再起して音楽から、国際航空会社へビジネスを拡張した、稀代の傑物サーリチャードブランソンが率いるバージングループが今は経営している。バージングループは、さらに宝くじ会社を買収したり、ラジオ局、TV局をもグループ傘下に収めていて、一代で巨万の富を築いた傑作男である。

 英国の産業界を活性化するために、効率のよい能率化への企業自覚を促すことが重要、と考えていたサッチャー首相がとった方法は、海外の異質文化の血を英国内に導入することだった。産業革命以来、他国にはあまり類例を見ない、280種余りの職能別労働組合制度と言う特異体質を抱えていた英国だけに、いくら声を大にして、掛声をかけていても、空転するのみと考えていたサッチャー首相は、行動力の女宰相であった。

 確かにいろんな面で、良い意味で、変わった首相であった。まず大のウイスキー好きで、男勝りあった。また発想や着眼点もユニークであった。これと思う政策には、渾名通りの『鉄女(哲女)』ぶりを押し通そうとする面があった。それが従来英国病と言われた、中央地方官僚公務員の意識改革、民間企業工場の産業力効率停滞の悪弊、に対する改革挑戦であった。当然、旧弊に安住する改革忌避派嫌悪派の抵抗を受けた。

 その一例を挙げると、当時の英国には日曜祭日の店舗(デパート、スーパー、コンビニ、商店)開店販売を禁じる(労働者保護の)労働組合基本法があった。

 当時英国の日曜の街中は、教会に礼拝ミサに参加する家族が教会に向う姿が散見されるのみで、日曜祭日は全国津々浦々実に森閑としていた。そこで日曜日は、庭の芝刈りするか、壁紙貼り替えするか、鋸・カンナ・トンカチで日曜大工をやってるか、TVを見て時間つぶすしかなかった。この法律のお蔭で、日曜大工店も日曜日は閉店していた。家族サービスをするにはよい法律ではあったが、強い労働組合のお蔭で、労働者過保護的な面があった。

 しかし経済活性化を阻害する著しくマイナス志向の高いハードルであった。しかし戦後その風習に慣れすぎて、それが当たり前になっれいた当時の英国民は、その矛盾には無頓着で、変える意識は、さらさらなかった。

 レストランも日曜祭日は閉店していた。だから外国人旅行者も日曜日は手持ちぶさたで困っていた。

 日本人観光客は、日曜日には当然デパートや名店でショッピングが出来ると思い込んで、英国にやって来る。ところが、どこもかしこも店は閉じているから、唖然呆然としていた。所変われば品変わる現実を初めて知る事になる。朝からやる事がないので、ホテルの外の公園散歩するか、街中を歩き回るしかない。

 ただ英国には中世からある英国伝統の名物パブ(居酒屋)だけは日曜祭日も昼と夜は開いてるから、そこへもぐりこんで英国ビール、ラーガー、ビッター、ギネス、スコッチ、アルコール入果汁サイダー、ジントニック、カクテルを流しこんで時間つぶし、あわよくば、そこで出くわした客や常連と、ボチボチ片言英語で、酔った勢いで、意気投合するのであった。

 またここでは、地方郷土料理など簡単な食事も出来る。野球はヨーロッパにはないが、サッカー、ラグビーの話しなら、片言だろうが、選手やチームの名前だけ口にするだけで、後は手まねで何とか通じてしまう。またウィンブルドンテニスを始め、オリンピックのスポーツの中で、95%が英国起源である。それが証拠にスポーツ名はほとんど全て英語名である。

 なぜ英国が世界のスポーツの発祥起源的本場になったかと言うと、その英語と言う言語が、現今の世界共通語になってるのと同様、スポーツの国際ルールを定めるのに重要な役割を果たして来たからである。かつて七つの海を支配していた大植民地帝国と言われた英国と、世界産業革命ぼ発信源国であった。議会法、保険法、航海法、グリニッジ時間制度(世界の時間の中心)、労働基準法、厚生社会福祉法、医療保険法など、また郵便制度、消防制度など、国際的に規範となる法的ルール創りににおいては、重要な役割を果たして来たという面もある。

 地方短距離電車路線もバスも、日曜日は一切運行停止していたし、大都市間長距離鉄道も、本数はウィークデイの1/5以下に減らしていた。

 この日曜祭日開店禁止法に対し、ある英国のスーパーチェーン店グループが試験的に日曜開店を試みたことがある。しかしすぐこの法律にひっかかり、ポリス司直から強制閉鎖命令を受けた。それを不服とする、スーパーチェーングループ側は最高裁まで争ったが結局労働法に基ずく日曜祭日開店禁止法体制を崩せず敗訴した。しかし英国がEUに加盟することになると、変化をうけいれねばならない事柄も起きて来る。

 サッチャー首相もこの法律改正に挑戦したが国会では労働党のみならず、同じ保守党内にも反対票を投ずる議員もいて、戦後長年保たれて来たこの法律は国民生活に染み付いていて、なかなか改正法案は通過しなかった。

 サッチャー首相は『鉄女(哲女)』として、執拗にこの法改正に挑み続けた結果、ついに日曜祭日開店法が日の目を見る時が来るまで、大変時間がかかかった。やっと法改正がかなったといっても、日曜祭日開店がすぐ始まったかというと、そうたやすい事ではなかった。店の規模の大中小の差はあっても、それぞれ、その体制がまだ整っていないので、開店可能な準備体制を整えるてGOサインが出せるまでには準備時間がかかった。

 大店チェーンでは、日曜祭日の超過勤務手当てを加味調整し、スタッフのローテーションを構成して行かねばならないし、そのための機構改革に準備時間がかかった。またそれまで、勤務時間は普段ウイークデイでも閉店時間は午後五時か遅くとも午後六時閉店と決まってのだが、曜日を限って、週に木曜日だけは、午後九時か午後十時まで開店時間を延長するスーパー、デパートも出てくる。そして英国の経済効果に活況を呈して来る変化が目に見えるようになって来た。そうなると、それまでは、および腰であった、他の多くの店舗や、企業グループも、日曜祭日開店にのりだすようになってきた。

 マーガレット・サッチャー議員が、首相になる前から個人的に、最も御贔屓にして来た日本人ファッションデザイナーがいた。 それは北とも長いつき合いであったロンドンのユキ氏である。サッチャー首相が、日本贔屓になった背景には、日本人デザイナーユキさんの影響があると思う。なにせ首相になってからは、昼間国会や公務に超忙しくなったので、SP連れて、ユキさん宅に早朝四時に仮縫いにやってくる。北の娘に首相のサイン入りプロマイド写真(モノクロ)をユキさん経由で、首相から戴いたこともある。早朝仮縫いにやってくる首相にユキさんが、頼んでくれた物である。

 この鉄の女首相は、確かに独創的な発想を持っていた。アパルトへイト(人種差別制)廃止に反対する、南アと取引する国への国連制裁を提議したり、フォークランド島戦争を起こしたり、中国への香港返還を行なったり、ペレストロイカを推進するロシヤのゴルパチョフ書記を大歓迎したり、外国企業、特に日系企業の英国工場建設を強く支援し自らその勧誘に飛び回ったり、実に精力的で、在任中は男顔負けであった。思うに初の女性首相であることが、かえって得になった面もある。

 サッチャー政権時代から、特に多くの日系企業の英国への工場建設による進出ラッシュが始まった。

 当時の英国では、国営企業、公的企業を主体として英国伝統の280余りの職能(職種)別労働組合が、入れ替わりたち替わりのスト連発により、生産性低下、活力停滞している経済状況を憂慮していたが、この永年英国社会に滲みこんで来た体制を一気に、ドラスティックに変える勇気ある男性政治家や首相は出てこなかった。そこに初登場したのが、マーガレット・サッチャー首相であった。

 そしてニッサン、ソニー、サンヨー、日立マクセル、小松、ブラザー、三菱電機、ノリタケ、湯浅電池、トヨタ、紀文など 日系企業の英国工場建設が続いた。ちなみに紀文の造るかまぼこや蟹もどきは、英国ではフィッシュケーキという名称分類に入れられている。 また英国企業との合弁の形をとって、英国工場進出を図る富士通やホンダも出てきた。また英国企業工場をそっくり買収する日系企業も出て来た。

 英国が世界中の企業の英国工場建設を誘致する政策を開始する前にやった事は、欧州で最初に為替の自由化を断行した事である。

 たとえばそれまで欧州国はどこも、海外出張とか旅行をする際に、持出せる金額に 上限を決める制限があったが、その規制制限をいち早く撤廃した。お金の送受金も自由化した。当時欧州他国ではどこもお金の持ち出しを制限していたのは、ごく普通のことであった。

 制限撤廃当初、英国が何故世界に先駆けて、突然、思い切った通貨・外貨の自由化政策を行なったのか一般には理解されていなかった。しかし、英国政府が海外企業の英国工場建設誘致を図る上で、通貨制限撤廃、為替の自由化が必須条件になる事を先読みしていたのである。

 その頃他の欧州大陸国は、まだ通貨持出し制限政策を固持し続けていた。英国の画期的政策は他国からは驚きの目で見られた。欧州国に派遣された日系企業の例えば商社駐在員なども、その駐在国から海外出張する際の一回の海外出張のために、持出せるお金の金額が一人いくらと制限されていた。観光旅行客の場合は別としても、ビジネスマンにとってはそのような制限は、不都合な場合がままあった。

 英国はかつて特に16世紀エリザベス一世女王時代に、大型帆船を建造し、北米大陸、中近東、アフリカ全土、インド、オーストラリヤ、ニュージーランド、ハワイ、インド、パキスタンなど世界中に航海に乗り出して行った歴史がある。

 いち早く東インド会社という貿易商社を設立して、交易船を往復させて来た。ただその頃、スエズ運河はまだなかった時代であるから、インドへ至るには大西洋側からインド洋に出るには、アフリカ南端希望峰を迂回するしかなかったので、一回の航海はかなりの長旅になるのは当然であった。今ひとつの別航路は大西洋から南西に航行し、南米大陸の南端を迂回してから、太平洋に入り西北に針路をとって下り、ニュージーランド、オーストラリヤのあるオセアニヤ(豪州)に辿り着く。そして東北に向いハワイにたどり着くというものだった。

 英国のキャプテンクック船長は、この航路でハワイ島にたどり着き、上陸して、ハワイ島原人と友好関係を結ぼうと近づいたが、言語が通じなくて、意思疎通がうまく行かず、誤解されて現地種族民に殺害されてしまった。

 七つの海を航海して、もっとも多くの植民地を抱えていた大英帝国が、やがて世界産業革命を引き起こすことになる。それは世界の植民地から棉花、麻、羊毛、絹、繭などの原材料を英国本土に運び、大型水車や蒸気機関の動力により紡績機械、織物機械を動かして、糸を紡ぎ、布を織り染色仕上げして、付加価値を付けてまた世界の植民地市場に輸出販売するという、いわゆる加工貿易の本拠地(世界の生産工場とか台所とか言われる)になった。それが世界産業革命の源であり、巨大な富が大英帝国と英国企業にもたらされたのである。その歴史的過程で得た、グローバルな知識と教訓とノウハウが、最も頂点に達したのが、19世紀ビクトリヤ女王時代である。

 そのころの四海孤島国Jジパングは、鎖国の幕末で、ペリー提督の黒船出現が天下に激震を起こしていた。佐幕派、勤王派 攘夷派、開国派入り乱れ、四海孤島国内は混沌よしていた。1854年ペリー提督と幕府が結んだ神奈川条約は、鎖国を打ち破る最初の開港条約で、下田と箱館(凾館)を開放した。これは鎖国体制を打ち破る最初の開国の始まりであった。

 その年は、日本年号では『安政元年』だが、皮肉な事に佐幕派、勤王派 攘夷派、開国派入り乱れ、四海孤島国内は混沌として激闘の『不安政元年』の始まりだった。

 ペリー提督の黒船到来の時に、誰が読んだか分からない読み人知らずの狂歌的川柳がある。『上喜撰 たった四杯で 夜も眠られず』この本当の裏の意味を翻訳すると、『蒸気船 たった四隻で 夜(世)も眠られず』である。『上喜撰』と言うのは、幕末の孤島国内では、最も名の売れた濃い有名ブランド煎茶であった。

 これは帝に征夷「攘夷」大将軍に任ぜられてるはずの江戸幕府の外交と内政の矛盾をついていて、徳川発祥ゆかりの地から発した小田原評定を演じ、右往左往し混迷狼狽する有様を皮肉ってる。これ押韻法的同音意義語を含む実に傑作である。

 現今の日本の政治経済の状況を、海外から眺めると、かつて海外から資源原材料を仕入れ、加工輸出貿易で、儲けしこたまドル外貨を溜め込んで、貿易摩擦を起こして、『エコノミックアニマルと』と揶揄され批判された過去の時代があった事など、夢の又夢で、忘却の彼方に消え去っている。いまそのお株は韓国、台湾そして中国へと移行している。

『老大国(老退国)』で『英国病をわずらってる国』だともっぱら揶揄っていたのは四海孤島国ジパングの財界経済人や、経済評論家であり、マスコミであった。

 そして日本バブルの弾ける1991年までは、

『日本経済は世界一優秀な官僚機構による不沈戦艦護送船団方式である』

『日本は世界一優秀な警察で、国連統計でも世界最高の犯罪検挙率であり、最も安全な国家である』

 と、豪語していた役人や役人上がりの政治家がいた。しかし、1991年バブルが弾けてから、その張子の虎の実態とカラクリがやっと見え始めたのでした。その風潮と体質が、役人天国、天下り天国の特権階級を増殖維持させた元凶であったと、やっと気がつき始めた。

 それが、すべて国民の税金の掠め取りであったのは、四海孤島国Jにのみに永年に亘り、起きて来た奇妙な珍現象で、国民庶民には内部情報はまったく公開はなされず、目くらましが通用して、実態は藪の中、霧の中に置かれたまま、戦後半世紀以上が過ぎてきた。これこそ現代地上最大の、ブラックジョークである。その風潮と体質が、役人天国、天下り天国の特権階級を増殖維持させた元凶であったと、やっと気がつき始めた。

 最近『消費税率の問題』がクローズアップだれてるが、消費税に相当する『欧州付加価値税(VAT)』の実質内容について、日本孤島内庶民は正確に理解してるとは思えないのです。これこそジャーナリズム・マスコミが、もっと欧州国の実態を国民に報じて教育啓蒙する事が、最も重要な時期に来ているにもかかわらず、あまり欧州の税制の実態報道が適切になされていない。

 これほど、マスコミが発達し、新聞数、TVチャンネルが多くなってるにも拘わらず、孤島国J内では、こと海外のニュースや時事情報に関しては、モノトーンでワンパターンに感じるのです。

 たとえば、そのほんの一例だが、英国ではいち早く採用した付加価値税(VAT)(日本の消費税に相当)についていうなら、食品食材には一切かからない。日々口にする食品には消費税ゼロであるのと、課税されるのではこれは極めて大きな差異が生じている。

 食品のみならず、消費税・免税項目はまだ他にもいくつかある。食品素材でも何にでも課税してる今の日本式消費税5%は、食品には課税しない英国方式に換算すると、すでにほぼ9%に相当している。

 もし将来日本が消費税を仮に10%に引き上げると、英国税法・方程式換算では14%?15%に相当するのある。

 そもそも孤島国Jジャパンに、最初消費税がスタートした時は3%であった。その頃、国民は消費税新法の内容の事前説明もなく、十分に理解がなされていないままにスタートしたため、時の政府は批判を浴びた。これは大蔵官僚の立案に乗せられ、消化不良のまま乗った政権党・政治家がとった、英国そして欧州の付加価値税(VAT)の模倣政策であった。

 従って消費税発足当初に、根底に英国のような、確固たるの基本的人権保護的な政治哲学思想もないまま、見切発車してしまったものである。

 そして程なく5%に引上げられた。ここに海外事情一般公開禁止、知らしむむべからずの、江戸幕府のお上のとった鎖国政策体質の後遺症がなお残存していたという事に通じる。

 G7とかG8とか、先進国民主主義国並みに扱われながら、四海孤島国Jジパングの特徴は、発展途上国的症状をも持つ。官僚の天下りの最たるものは、国会議員であり政治家であり、そしてその世襲性にある。

 今回の鳩山政権の突如辞任。菅首相誕生に、ニューヨークタイムズなど各紙が、まずとりあげてて報道したのは、『世襲議員でなく、一代で首相になった』という点であった。

 海外の目から見たら、四海孤島国のMP議員とか首班は世襲制国家に見えていたのも無理はない。

 お隣の大国中国でも韓国台湾でも首班の世襲制はない。問題は孤島国J内では、北朝鮮と大同小異なのだという見方で、とらえられていたともいえなくもない論評である。

 明治維新で、民権運動が花開いたはずだったが、羽織袴が洋服になっただけで、中身はあまり変貌なく、依然として旧態のままのDNAが尾をひくといいう民主手技国家は、日本孤島的な特異現象である。

 皮肉なブラックジョークで世襲性首班の内閣はどれも短命であることが証明されてしまった。それは経済ならびに国際政治につながる外交においては、まったく不利であることは明白である。『行方の定まらぬ(クオ・バディス)国家』と見られてる、孤島国J民にとって、今もっとも必要なのは『平成維新』である?

 発想の転換を求められる一方、海外国に比べると、どうも孤島国Jが、その『活用法』をこなしきれない最大の問題点は『グローバルな歴史教訓』を把握した上で、それを孤島国家J社会の未来に生かす精神をハグ(HUG)し、先ず国家の沈没だけは回避しなければならないという自国家の防衛意識と、それに基づいた上での世界平和推進が肝要であるのだが。『それでは、現実に可能な具体的移転先代替案は、こことここである』と言及しないまま、ただ『県外国外』論法に終始するだけの政党では、国家の運営は任せ切れないと一般国民は感じてしまうのもしかたがない。

 四海孤島国の消費税の場合、根底に英国のような、確固たる基本的人権保護的な政治哲学思想もないまま、見切発車してしまったと言う事について、いますこし掘り下げておくべきかと痛感します。

 英国がVAT付加価値税を採用する際に、まず一番基本的な政治哲学思想があった。

 それは『国民が、基本的生存権生活維持権として、最低限度必要不可欠なものは食品であるから、食品には税を課さない』。もっと分かり易く言いかえると、そがなくては人間が生きて行けない物と、それがなくても生きて行ける物の二種類の、物の考え方をしていただけば良い。食べ物は前者であるから、全面的に無税として扱うべき物でである。更に換言すると、前者は人間の生きる上の最低限度の生活必需品、後者はそれがなくとも生きて行ける贅沢品である。前者は課税率をゼロとする。後者は課税品目とする。

 前者に属する免税項目を列挙すると、まず家庭で食する食品、医師薬剤師処方の薬品、幼児衣料必要品、新聞雑誌書籍教科書(知的必需品)、七十歳過ぎの老齢者に必要なものなど。(さてここで、食品については、注釈が必要です。レストランで、食事をする場合は課税される。砂糖を使っているお菓子類だけは課税されます。食品食材で、多少砂糖を使ってるものは、課税対象にはならないのです。)

 それから、ちなみに、こちらでは、消費税込価格を明示しなければならない規則です。つまり、消費税込みでない価格のみを、店頭に示し、客を釣ることは、禁じられています。メニュー価格を明示しないレストラン料理屋商法は、当地では営業許可されませんし、違反すれば警告処分で、改善しなければ営業停止です。その場合も、消費税込でない価格を示したメニューは示してはならない規則になっています。

 厳密かつ正確に言うと、付加価値税(VAT)は消費税とは、まったく同一ではないものです。しかし、ここではいま 便宜上、孤島国J国民に馴染みがない税の名称では、全く別物と言う印象を持たれてしまいますので、理解し易い消費税の表現にしておきます。

 何故付加価値税(VAT)と言うのかの説明を、詳しくするのは、短時間では大変困難ですので、いま可能なかぎり、簡略化したシンプルな例で、説明に努めて見ます。

 生産者A段階から最終購買者消費者Dに渡るまでの中間段階に介在する流通業者(倉庫卸業者B,小売業者C,最終購買者=消費者D)に例を取ってみます。

 この流通段階にある業者間のそれぞれが、仕入価格と販売価格の差額分{付加価値分}のみに所定ボ税率が課税される仕組みです。そこでいま焦点をCの場合に例をとって見ます。Cは最終的にDから最終消費税込の価格金額を受取る。そしてCは税務署にその税額分を収めます。ところがCはBからの仕入れ段階で、同一物件に既にBに消費税込の価格を支払済です。とするとこのままでは、Cは同一物件に消費税を二度(二重)払いしたことになります。これは税の原則である、二重課税防止法の原則に反します。そこでCは仕入れ段階でBに支払い済みの税額分を、税務署から還付して貰わないと丸損になってしまいます。これは通常公認会計士通じて、半年に一遍というようにまとめて、税務署から返還してもらうのです。それが付加価値税(VAT)と言われる理由です。製造業者Aも複数の素材納入業者や輸入業者から仕入れする時に、消費税込価格を支払っていますから、同じ原理で、消費税分込み金額を素材納入企業ないし業者に支払った金額から、消費税相当分だけ、税務署から還付して貰う権利があります。

 消費税というと、まるで、全員が税務署に全額取られっぱなしで誰も返還してもらえないような税金だと、錯覚しがちですが違います。

 実際には同一物件に対しBにトータル代金請求書に対して、Cの支払済の消費税と、CがDに販売した」時点に、税務署の代理で、回収し一時預かってる税金分との、差額分を税務署に納入するという方式で解釈すれば、分かり易くなります。

 またその物件商品が、海外に輸出された場合にも、それが海外に輸出された書類証明が提示できれば、消費税分は輸出販売者に還付されます。

 それは海外旅行中に、外国の免税店でショッピングした時の現地国の消費税は一旦は現地国のお店で支払うが、後かから小切手で戻されてくるのと、同じ原理です。

 今後、四海孤島国Jジャパン内で、消費税率上昇問題が、政治的問題として焦点になることがほぼ間違いなくなりつつありますので、このテーマを早く採り上げて置ク、必要を感じました。 よく欧州の付加価値税にくらべて日本はまだ消費税は安いとか低いとかいう表現をする、評論家や財界人や政治家がいますが、数字ずらだけで、中途半端で、生半可な誤即断を、絶対に四海孤島国J国民がしないで戴きたいと念願します。

 本件のテーマに関しては、今回だけではカバーしきれない事がまだまだあるので、続編に回します。

 首題の『クオ・バディス、孤島国Jジャパン?』の説明が末尾に来てしまいましたが、『クオ・バディス(QUO VADIS)?』はラテン語で、意味は古典的には『いずこに行くや?』今様なら『一体どっちに向かうの?』っていう問いかけの言葉です。