CAES, Newsletter, No.21 January, 2019
東北大学経済学研究科 ニュースレター No.21, 2019年1月号 The Research Center for Aged Economy and Society, Newsletter , No.21, January, 2019. |
Contents◆Research Preface中高年層の都市圏から地方圏への人口移動についてMigration of Middle and Old Age from Urban Area to Local Area
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東北大学経済学研究科 高齢経済社会研究センター 〒980-8576, 宮城県仙台市青葉区川内27-1 東北大学経済学研究科内 電話・FAX番号:022-795-4789 E-mail:caes.econ.tohoku@gmail.com The Research Center for Aged Economy and Society, Tohoku University. 27-1, Kawauchi, Aoba-ku, Sendai City, 980-8576, JAPAN Telephone and facsimile number: +81-22-795-4789 E-mail: caes.econ.tohoku@gmail.com |
Research Preface
中高年層の都市圏から地方圏への人口移動について Migration of Middle and Old Age from Urban Area to Local Area Hiroshi, YOSHIDA センター長 吉田 浩 hyoshida.econ@tohoku.ac.jp |
1.はじめに
総務省は2019年1月、「住民基本台帳人口移動報告 平成30年(2018年)結果」を公表した。これによると、2018年中の都道府県を超えて移動した者の数は253万5,601人であった。これは、前年の2017年に比べ、3万537人増加していた。いっぽう都道府県内での移動者数は282万3573人となり、これも前年に比べ1万20人の増加が見られた。このように、日本全体としては人口減少社会といわれながらも、人々の移住件数は増加傾向にあることがわかる。同結果によると、都道府県間移動者数が最も多いのは、20~24歳の男性であるという。
さらに、地域別の動向として、3大都市圏(東京圏、名古屋圏及び大阪圏)の転入超過数をみると、東京圏は13万9,868人の転入超過であり、これは前年に比べ1万4,338人拡大している。ここからも、首都圏への人口集中が続いていることがわかる。しかし名古屋圏は7,376人の転出超過であり、大阪圏も9,438人の転出超過となっている。また、東京圏は、全年齢では転入超過、すなわち転入から転出を差し引いた純転入ではプラスとなっているものの、0~4歳及び55~74歳の年齢階級では5年連続して転出超過となっている。
ここで注目したいのは、55歳以降の中高年の転出超過である。以下では、中高年層の都市圏から地方圏への移住の状況に関し、統計等の資料を使って確認することとする。
2.地方への移住意向
ここでは、都市圏から地方への移住者に関する状況をしるため、内閣府が行った、「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」の調査結果を見ることとする。この調査は、東京都在住 の18~69 歳男女 1,200人に対して、平成 26 年(2014 年)8 月 21 日(木)~8 月 23 日(土)までの間に、インターネットを使って行われたものである。
まず、移住希望の有無であるが、「今後移住する予定又は移住を検討したい」と回答した人(「今後1年」「今後5年をめど」「今後10年をめど」「具体的な時期は決まっていないが、検討したい」の合計)は、調査全体では約4割(40.7%)に達している(図1)。うち関東圏(1都6県)以外の出身者では、移住意向は約5割(49.7%)に達した(図2)。
このうち、男性について年齢別に移住意向を集計した結果を見ると、10歳代・20歳代のほか、50歳代の移住意向が50%を超えて高くなっていることがわかる。
図1 東京在住者の今後の移住希望の有無(全サンプル)
出所:内閣府(2016)より、筆者作成。単位(%)。n=1,200。
図2 東京在住者の今後の移住希望の有無(関東圏(1都6県)以外の出身者)
出所:内閣府(2016)より、筆者作成。単位(%)。n=300。
図3 男性の年齢別移住意向
出所:内閣府(2016)より、転載。
3.移住希望の理由と現状
3.1 男女別主な移住希望理由
次に、移住を希望する理由を同じ内閣府(2016)の調査結果から見ることとする。表1は、年齢別・性別に移住を希望する理由(複数回答)を示したものである。これを見ると、男性であれば「出身地であること」と「スローライフの実現」が主な理由となっている。女性は出身地であることの他に「家族・知人などの親しい人がいるから」ということが挙げられている。
3.2 東京圏の地方出生地者の割合
そこで、現在東京圏に住んでいる者で、出生が東京圏以外の者の割合を国立社会保障・人口問題研究所が2016年に行った「第8回人口移動調査」の結果から見ることとする。表2は、現在居住地ブロック別にどのブロックの出生地であるかを示したものである[1]。これを見ると現在東京圏に居住している者のうち、67%が東京圏の出生であり、それ以外の地方圏の出生者の割合は併せて3割程度であることがわかる。このうち、東北圏出身者が5.3%であり、全国の他のどの地域ブロック出生者よりも比率が高いことがわかる。
表1 年齢別・性別に移住を希望する理由(複数回答)
出所:内閣府(2016)より、転載。
表2 現住ブロック別、出生ブロック
出所:国立社会保障・人口問題研究所(2018,p.25) 表Ⅳ-4より転載。
3.3 スローライフの可能性
最後に、転居意向のもう一つの理由である「スローライフ」について、東京圏と地方圏の比較を行う。スローライフはファーストフードに対応して作られた和製英語で、公式かつ共通の定義はまだなされていない。総務省の「田園回帰」に関する調査研究会で行われた「都市住民へのアンケート調査結果」では「現在の地域より生活は不便でも環境にやさしい暮らし(ロハス)やゆっくりとした暮らし(スローライフ)が送れる地域」との表現がみられる。
ここでは、時間にゆとりを持った暮らしと考え、総務省(2016)の「社会生活基本調査」による時間の使い方から考察を行うこととする。社会生活基本調査は、全国の国民に対して生活時間の配分や余暇時間における主な活動の状況などを調査したものである。その調査では、1日の生活行動別平均時間,時間帯別の生活行動の状況及び主な生活行動の平均時刻に関する事項として、以下の表3に挙げる20項目の活動を30分おきに調査している。
表3 社会生活基本調査における生活行動項目
01_睡眠 | 08_介護・看護 | 15_趣味・娯楽 |
02_身の回りの用事 | 09_育児 | 16_スポーツ |
03_食事 | 10_買い物 | 17_ボランティア活動・社会参加活動 |
04_通勤・通学 | 11_移動(通勤・通学を除く) | 18_交際・付き合い |
05_仕事 | 12_テレビ・ラジオ・新聞・雑誌 | 19_受診・療養 |
06_学業 | 13_休養・くつろぎ | 20_その他 |
07_家事 | 14_学習・自己啓発・訓練(学業以外) |
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出所:総務省(2016)「平成28年社会生活基本調査」
総務省(2016)では、「20種類の行動を大きく3つの活動にまとめ、睡眠、食事など生理的に必要な活動を「1次活動」、仕事、家事など社会生活を営む上で義務的な性格の強い活
動を「2次活動」、これら以外の各人が自由に使える時間における活動を「3次活動」として公表している(表4)。
ここでは、地域(都道府県)別の調査結果より、東北6県と東京圏の1都3県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)の上記3分類の生活行動結果を各都県の人口数を勘案して再集計して比較することとする。表5は、「平成28年社会生活基本調査」の調査結果から、平日の両地域の時間の使われ方を比較したものである。ここでは、まだ就業できる中高年の移住に注目しているため、男性の正規雇用者に関して平日の生活時間を見ることとする。
表5を見ると睡眠、食事等の基本的な生活のための1次活動の時間は、東北で598分、東京圏で570分とおよそ30分東北地方が長く、5%の差異となっている。次に仕事等義務的活動である2次活動の時間は東北で611分、東京圏で667分と東京圏の方が1時間に近く水準で長くなっており、その差は10%近くになることがわかる。そして、個人が自由に使うことのできる3次活動の時間は、東北で231分、東京圏では30分近く短く203分となっており、差異は10%以上である。
これらのことから、地方である東北圏は義務的な2次活動の時間が1時間少なく、その代わりに、30分を基本的生活のための1次活動、そして残りの30分を自由に使える3次活動に振り向けていることがわかる。
表4 生活行動の3分類基準
出所:総務省(2016),「平成28年社会生活基本調査」,「用語の解説(調査票A関係)」より転載。
表5 東北と東京圏の生活行動時間の比較(男性、正規雇用者)
| (分) | 睡眠等 | 仕事等 | 余暇等 | 1・3次活動/2次活動 |
| 地域 | 1次活動 | 2次活動 | 3次活動 | |
A | 東北6県 | 597.6 | 611.4 | 231.2 | 1.36 |
B | 1都3県 | 569.6 | 667.1 | 203.3 | 1.16 |
C=A/B |
| 1.05 | 0.92 | 1.14 |
出所:総務省(2016)「平成28年社会生活基本調査」 生活時間-地域(調査票A), 第68-1表 曜日、男女、従業上の地位、雇用形態、行動の種類別総平均時間(有業者)-全国、都道府県より男性の正規職員雇用者について筆者集計。
図4 東北地方と東京圏の1・3次活動と2次活動の比の比較
出所:表5より筆者作成。
また、図4では、1・3次活動のための時間と2次活動ための時間の比を示したものである。これを見ると、同じ男性の正規雇用者であっても、1次、3次活動と2次活動の比率は東北地方の方1.36と東京圏の1.16よりも17%高く、スローライフの生活のためにゆっくりできる時間が多いということを示している。
参考文献
国立社会保障・人口問題研究所(2018)「2016 年社会保障・人口問題基本調査 第 8 回人口移動調査 報告書」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/117-1.html
総務省(2016)「平成28年 社会生活基本調査」https://www.stat.go.jp/data/shakai/2016/index.html
総務省(2017)「都市住民へのアンケート調査(中間集計)」第2回「田園回帰」に関する調査研究会報告資料。http://www.soumu.go.jp/main_content/000464600.pdf
総務省(2019)「住民基本台帳人口移動報告 平成30年(2018年)結果」
https://www.stat.go.jp/data/idou/2018np/kihon/youyaku/index.html
内閣府(2016)「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」結果概要, 地方創生会議資料。 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/souseikaigi/h26-09-19-siryou2.pdf
研究短信(1)
さりげないセンシングのビジネスモデルに関する考察‐医療機器会社とのディスカッションに基づいてA Study on Unobtrusive Sensing & Business Model with Discussion of Medical Device Maker Seunghwan, LEEM 助教 林 承煥 seunghwan.leem.a3@tohoku.ac.jp |
1. はじめに
東北COIの目的は、「さりげないセンシングを用いる健康社会の実現」であろう。このため、さりげなくセンシングするデバイスの開発は、そのプロセスの一部であると考える。デバイスを通して、健康情報を収集して、それを分析し、健康増進のための最適なサービス・製品を提供して、いわゆる「理想自己と家族の絆が導くモチベーション向上社会」を作ることが最終的な目標である。このさりげないセンシングによる日常人間ドックのバックキャスティング(Backcasting)の基に、医療機器メーカーのT社の担当者と、このビジネスに関してディスカッションを行った。その内容について考察してみた。
2.メーカーからの指摘
2.1 指摘1 「お金になれるところが見えない」(担当者の話)
以上の指摘に基づいて、次のことが言える。誰に売るかのことである。サービス・商品を作る前に、必ず考えなければならない質問である。「誰がお金を支払うか」、「消費者が誰なのか」に対して答えなければならない。例えば、いわゆる「魔法の鏡」(見ることだけで、血圧や心拍が測られ、表示されるデバイス)の場合、耐久財である。この耐久財のポイントは、10年以上使っても丈夫なものという意味ではなく、一度購入すると、あまりも取り替えないという意味である。住宅メーカーがビルトイン設備として販売するのが一般的であると考えられるが、主な住宅の購入者は現役世代(例えば;20~49歳、グラフ1を参照)であろう。この年代の人々は健康に特に問題がない人である(グラフ2を参照、生涯医療費が一番低い年齢帯である、生涯医療費の約半分が70歳以上になってから支出する)。また今の所、バイタル情報を見せることだけでは商品の魅力をアピールできない。その上、その価額をどれほど抑えるかが課題になる。血圧計や心拍計より当然安くて、価格競争力がなければならない。
グラフ1 住宅世帯主の年齢 一次取得者
出所:平成27年度住宅市場動向調査~市場概要~、国土交通省住宅局
http://www.mlit.go.jp/common/001135952.pdf
グラフ2 生涯医療費
出所:http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/shougai_h22.pdf
2.2 指摘2 「血圧・心拍で何が分かるか」(担当者の話)
以上の指摘に基づいて、次のことが言える。センシング(またはそのデータ)だけでは売れない。ウェアラブルデバイスF社は約8千万人の心拍記録を持っているそうである。しかし、データだけを持っているにすぎず、そのデータを解析して、心機能の不全などを予測できるサービスを提供するところまで至らなかった。血圧・心拍だけのバイタル情報だけでは、それを解析して致命的な病症を防ぐサービスを開発しなければならない。もしそれができない場合、血糖・アレルギーのように数値や有無を知らないと深刻な状況をもたらす物質を測定すべきである。
センシングより重要なことは、健康データの解析である。健康リスクなどを示す(可視化)サービスを提供することができなければならなないが、解析してサービスを提供するためには、健康データが必須であろう。どちらが先であろうか。センサがなければ、サービスを提供することができない。サービスがなければ、センサを購入するインセンティブが少ない。それでセンサを購入しない。センサが売れないから、サービスを作ることがより難しくなる。悪循環になれる。デバイスの普及とサービスの開発は切り離すことができない。したがって、社会実装のために、T社の人から1つの案と、私の考える2つの案を提言する。
3.普及案
3.1 T社の担当者の案
1案:「医療機器ではなく、生活品(消費財)としてアプローチするほうはどうか。」(担当者の話)
鏡の形で血圧・心拍などを測定する医療機器ではなく、血圧・心拍などを測定できる付加機能が付いた鏡を売ることである。とても低価で販売する。普通の血圧計・心拍計より安い価格で販売することができれば、可能性がありそうである[1]。測定の仕方も簡単で、価格も負担ではない。まずは普及させて、健康データを収集して後にサービスを提供する。
3.2 私の案
2案:利用者を幾何級数的に急増させるネットワーク(プラットフォーム)を作る。
個人的に鏡プラットフォームは、オリジナリティを持っていると考える。照明機器にセンサを付けて、センシングすることができるが、そのフィードバックを見せるデバイスとしてスマートフォンより、鏡の方がサイズの面から魅了的であると考える。
この鏡(プラットフォーム)を媒介体にして、サービス業者を呼び込み、ビジネスのチャンスを提供する。類似なモデルでは、中古品の取引(オークション)サイトがある。販売者が多ければ、出品されるものが多いので、(潜在的)購入者がサイトを訪問する。たくさんの訪問者(購入者)があるから、またより多くの販売者(出品者)が出品する。それで利用者が急増する。もしくはフィンテックアプリケーションのモデルも同様である。オンラインで他人の口座に振り込むためには、銀行名、口座番号、氏名などを入れて、ワンタイムパスワードを入れなければならない。しかし、フィンテックアップリケーションを設置に、入会すれば、同じ会員同士は電話番号・金額だけを入れることで、振込ができる。すると、入会する人が、自分の便宜が上昇するが(面倒な手続きの省略)、既存の会員の便宜も上昇する(面倒な手続きの省略対象の拡大)。
[1] ただし、平成26年全国消費実態の調査によると主要耐久消費財の洗髪洗面化粧台‐洗面台,鏡,照明,ミラーボックスなどが組み合わさっているものや鏡台の場合、所有数量の減少率が高く、平成21年に比べ、各々20%(1000世帯当たり所有数量が810台から648台まで)、12.7%(所有数量が709台から619台まで)減った。また計測機器を含めた家庭用医療機器の市場規模は、約1,260億円に推算される。日本国内医療機器市場規模の約4%である。https://www.med-device.jp/pdf/state/summary/AMED2015_marketing_1d_nationalmarket_app1_trend.pdf
バイタル情報が欲しがるサービス業者が存在するはずである(健康相談士、広告業者など)。サービス業者を呼び込み、囲い込み、このプラットフォームのみでのサービスを提供させ、顧客を誘致し、顧客をプラットフォームへ参加させる。顧客が増えると、また様々なサービスの提供者も増えるはずである。需要者が多い所に、また供給者が増える形で、利用者を急増させることである。
3案:オープン型のイノベーションを狙う。
センシング技術をほかの分野に売ることである。技術利用料を受けて、ベンチャー企業に売り、新しい製品やサービスを開発させることである。例えば、魔法の鏡のセンシング技術は、セキュリティ(CCTV)、自動車用のカメラなどにも応用できる。バイタル情報を測定だけではなく、他の分野にも応用を促進させ、幅広くイノベーションをもたらすことである。
4.まとめ
まとめると、東北COIの「理想自己と家族のきずなが導くモチベーション向上社会」の実現は、商品を売るプログラムではなく、社会を変化させるプログラムである。プログラムの持続のためには、収益性が求められることもあるが、最終的な目標は健康社会作りであることに間違いないと考える。そのため、デバイスを低価で普及することも、すぐ収益は出ないネットワーク作りも、技術利用料を受ける方法も一案となると考える。
参考文献
・ 平成27年度住宅市場動向調査~市場概要~、国土交通省住宅局http://www.mlit.go.jp/common/001135952.pdf
・ 厚生労働省http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/shougai_h22.pdf
研究短信(2)
中国における新型農村養老保険の政策評価についてEvaluating the Policy of China's New Rural Pension Program Fengming, CHEN 助教 陳 鳳明 |
1.はじめに
社会保障制度が人々の行動に及ぼす影響について数多くの先行研究は蓄積されている。そのうち、先進国を対象にしている研究はほとんどである。近年、中国をはじめとする新興国の急成長は世界の注目を集めるようになったが、社会保障制度は十分に整備されておらず、不安なままで高齢期を迎える者が数多く存在していることが社会問題としてしばしば挙げられている。特に農村高齢者を対象にする社会保障制度は存在しないため、農村高齢者は労働収入や子どもの仕送り金によって生計を立てる場合が多かった。骨が折れるまで働くということは、新興国における農村高齢者の生活実態を反映している(Benjamin, Brandt, & Fan, 2003)。
高齢者の養老問題の改善は高齢者一人ひとりの生活状況の改善のみならず、家族全員の状況の改善ないし国の経済発展にも深く関連しているため、この問題を解決しないままでは、社会の安定や経済の持続可能な発展は阻害される恐れがある。2009年から中国政府は「基本の保証、広いカバー範囲、弾力性、持続可能」という基本原則の下で、新型農村社会養老保険(以下、新農保と称する)モデル事業を展開した(国務院, 2009)。新農保により60歳以上の高齢者は年金受給権利が与えられるため、政府から一定金額の年金を受給できる(于洋, 2014)。この制度は農村住民の老後の基本的生活を保障するために創設されてきたが、実際に農村高齢者の労働供給や健康水準などはどのような影響を受けているかについては実証的に検証する必要がある。限られている先行研究の中で、実証的なコンセンサスは未だ得られていない。農村高齢者の所得の中で、労働所得のほか子どもからの仕送り金も相当な割合を占めている。したがって、新農保政策の導入は仕送り金を変化させ、高齢者の所得水準を動かす可能性がある。しかし、先行研究では、子どもからの仕送り金というルートから農村高齢者の所得水準及び労働供給に与える影響についてあまり議論されていないため、本稿は仕送り金という切り口から新農保政策が農村高齢者の労働供給に及ぼす影響について進めていく。また、先行研究では、新農保政策は農村高齢者の幸福度や健康水準に与える影響について実証分析を行ったが、どのようなメカニズムを通じて影響するのかについてはあまり言及していない(Zhang, Giles, & Zhao, 2014)。したがって、本研究はライフスタイルの変化と消費支出の変化を可能なチャネルとして新農保政策が健康水準に与える影響について実証分析を行う。
2. 先行研究
先進国における社会保障制度が高齢者の労働供給や健康水準に影響を与える先行研究は数多くある(樋口他, 2006)が、中国のような発展途上国において、社会保障制度の構築は遅れているため、各種の社会保障制度への評価についても十分になされていない。社会情勢から経済状況までだいぶ異なっている新興国に先進国の研究結果をそのまま応用するのは、困難である。限られている先行研究の中で、社会年金制度は加入者及びその家族の行動に大きな影響を与えている。その影響は、家族メンバーの労働供給(Edmonds, 2006; Oliveira PR de et al., 2017; Posel et al., 2006)、居住選択(Hamoudi and Thomas, 2014)、健康状況(Case, 2001; Lloyd-Sherlock and Agrawal, 2014)、家庭内における女性の地位(Ambler, 2016)、生活満足度の変化(Schatz et al., 2012)などの内容を含んでいる。2009年から中国で新たに実施された新農保政策は発展途上国の社会保障制度を評価できるチャンスを提供した。この新農保政策は制度設計の通りに、高齢者の労働供給を減少させ、健康水準を向上させるのか?またどのようなメカニズムを通じて影響するのか?この二つの問いへの回答は中国と似た状況に置かれる他の途上国にとっても、社会保障制度の創設や政策効果の評価などにおいて重要な役割を果たすと考えられる。
3. 研究方法
本研究の目的は、新農保という政策の外生ショックを用いて、中国農村部の高齢者の労働供給及び健康水準に与える影響を明らかにするのみならず、そのメカニズムに関しても十分に検討することである。この目的を達成するために、以下の2点を考慮に入れて分析する。第1に、統計分析における内生性への対応である。高齢者の労働供給や健康水準は内生変数であり、因果関係を識別する際、これらの変数の内生性に細心の注意を払う必要がある。本研究では、十分に新農保の外生ショックを活用し、回帰不連続デザイン(RDD)という計量手法を通じて、信頼性の高いエビデンスを提供する(Angrist & Pischke, 2009)。
図1 年齢と年金受給の関係
出典:Zhang et al.(2014)China Economic Quarterly, Vol.14, No.1, pp.203-230.横軸は保険加入者の年齢、縦軸は年金受給の確率を表す。
図1では、RDDの基本的な考え方を示している。新農保によれば、60歳を超えれば、年金受給の権利が付与され、年金受給率が大幅に上昇することが考えられる。しかし、59歳と60歳の高齢者の間には、年金受給権利の違いを除き、他の変数に関しては、滑らかに分布しているはずである。したがって、閾値(60歳)の左右のグループを比較し、高齢者の労働供給や健康水準に関して、有意な差があれば、年金受給率の跳躍に起因していると言える。第2に、十分にメカニズムについての検討を行うことである。新農保が高齢者の労働供給や健康水準に影響を与えるメカニズムに関する先行研究はあまり蓄積されていない。したがって、本研究は新農保がどのようなメカニズムを通じて影響するのかを明らかにして、有効な政策介入を検討する際の信頼性の高い基礎研究としての役割を果たす。
参考文献
Angrist, J.D., Pischke, J., (2009) Mostly Harmless Econometrics An Empiricist’s Companion, Princeton University Press.
Ambler K., (2016) Bargaining with Grandma: The Impact of the South African Pension on Household Decision-Making, Journal of Human Resources, Vol.51, No.4, pp.900-932.
Benjamin, D., Brandt, L., & Fan, J.-Z. (2003). Ceaseless Toil? Health and Labor Supply of the Elderly in Rural China. Ssrn, (May 2002). https://doi.org/10.2139/ssrn.417820
Case A., (2001) Does Money Protect Health Status? Evidence from South African Pensions, NBER Working Paper, No.8495, Cambridge, MA.
Edmonds, E., (2006) Child Labor and Schooling Responses to Anticipated Income in South Africa, Journal of Development Economics, 81(2), pp.386-414.
Hamoudi A., Thomas D., (2014) Endogenous Coresidence and Program Incidence: South Africa’s Old Age Pension, Journal of Development Economics, Vol.109, pp.30-37.
Lloyd-Sherlock, P., and Agrawal, S., (2014), Pensions and the Health of Older People in South Africa:Is There an Effect?, The Journal of Development Studies, 50 (11), pp.1570-1586.
Oliveira PR de, Kassouf AL, Aquino JM de., (2017) Cash Transfers to the Elderly and Its Spillover Effects: Evidences from a Non-contributory Program in Brazil, Journal of Economics Studies, Vol.44,pp.183–205.
Posel, D., Fairburn, J., and Lund, F., (2006) A Reconsideration of the Impact of Social Pension on Labor Supply in South Africa, Economic Modelling, 23(5), pp.836-853.
Schatz, E., Gómez-Olivé, X., Ralston, M., Menken, J., and Tollman, S., (2012) The Impact of Pensions on Health and Wellbeing in Rural South Africa: Does Gender Matter? , Social Science & Medicine, 75,pp.1864-1873.
Zhang, C., Giles, J., & Zhao, Y. (2014). Policy Evaluation of China’s New Rural Pension Program: Income, Poverty, Expenditure, Subjective Wellbeing and Labor Supply. China Economic Quarterly, 14(1), 203–230.
于 洋. (2014). 「適度」と「普恵」の視点からみる中国版皆年金体制のゆくえ 1. 海外社会保障研究, (189), 4–16.
樋口美雄, 黒澤昌子, 石井加代子, & 松浦寿幸. (2006). RIETI Discussion Paper Series 06-J-033. RIETI Discussion Paper Series, 06-J-033.
国務院(2009)「国务院关于开展新型农村社会养老保险试点的指导意见」(国務院の新型農村養老保険モデル事業の実施に関する指導意見),
http://www.gov.cn/zwgk/2009-09/04/content_1409216.htm (閲覧日, 2019.2.4)
[1] 都道府県別に設定したウエイト付きの集計結果。現住地が熊本県、大分県由布市のケースを除く。出生地計には出生地不詳(「他の都道府県(都道府県名不詳)」「その他不詳」)を含む。出生地の都道府県が現住地とは別の都道府県だが、都道府県名が不詳の場合。地域ブロックの構成は、北海道:北海道、東北:⻘森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、北関東:茨城県、栃木県、群馬県、東京圏 : 埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、中部:新潟県、山梨県、⻑野県、静岡県、北陸:富山県、石川県、福井県、中京圏:岐阜県、愛知県、三重県、大阪圏:京都府、大阪府、兵庫県、京阪周辺 : 滋賀県、奈良県、和歌山県、中国:鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、四国:徳島県、香川県、愛媛県、高知県、九州・沖縄:福岡県、佐賀県、⻑崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県。