チャールス皇太子とダイアナ妃の結婚記念胸像についての解説

今では滅多に手に入らない稀少な「歴史的チャールス皇太子とダイアナ妃の結婚記念ブロンズ胸像」です。

銅像の重量は19KGになります。

さて、この銅像が何故貴重かというと、エリザベス二世女王陛下御寵愛であるブロンズ像女流芸術家「ラインハルト女史」が限定版にて女王の命により、製作させたものです。

そして皆が欲しがる「ラッキーナンバー7番」を幸運にも入手しました。このブロンズ像がもっとも重要です。その理由をこれから説明致します。

チャールス皇太子とダイアナ妃の間に生まれた長男がウイリアム王子です。エリザベス二世女王は、2012年に即位60周年記念式典が行われ、平成天皇皇后両陛下がウインザー城で行われた大晩餐会に日本から駆けつけられて御臨席になりました。その入場前のエリザベス女王と平成天皇両陛下が交わした言葉がとても印象的で、その光景は、いまでも目に焼き付いています。

同年にはロンドン・オリンピック・パラリンピックが開催されました。平成天皇陛下はその60年前に、英国国会議事堂脇のウェストミンスター大寺院で行われたエリザベス二世女王の戴冠即位式にも参列されました。

そのころはまだテレビの無い時代でしたが、白黒の36ミリフィルム映画を劇場スクリーンの上映で観たことを私はよく覚えています。それだけに感慨無量でした。

エリザベス二世女王はご長命で、まもなく英国王制史上最長の在位記録を塗り替えようとしております。今までの最長記録は、日本の幕末から明治時代にかけてのビクトリア女王陛下であります。

ちなみにビクトリヤ女王は1819年に生誕し、即位されたのが1873年(明治6年)になります。彼女はジョージ三世王の孫娘でした。その前の王は弟のウイリアム4世で、彼は1873年6月に崩御されました。ビクトリヤ女王は、ウイリアム4世の姪に当たります。ビクトリヤ女王陛下と明治天皇陛下は、大変親密なロイヤル外交を展開され、日本開国とその近代化を後押しました。その重要な歴史的原動力を日本国に齎(もた)らしたのが、このビクトリア女王陛下であります。ビクトリヤ女王治世時代がなかったら、日本国の近代化は一気に進まなかったと言っても過言ではありません。

ビクトリヤ女王の享年は1901年、81歳でした。在位期間は63年でした。次に王位を継いだのはビクトリア女王の長男であるエドワード7世でした。彼は1841年11月9日に誕生し、1901年に即位しました。ビクトリヤ女王は多産系で4人の王子、5人の王女を産んでいます。

不思議な因縁ですが、日英の国交の始まりは1600年桶狭間の戦いの年で、その時の英国女王はエリザベス一世女王陛下の晩年でした。英国は女王のときに栄えています。

1600年には現在なら一等航海士にあたる「水先案内人」であった英国人の「ウイリアム・アダムス」が、オランダ船リーフデ号の難破により、九州の海岸に漂着しました。そして日本に帰化して、武家の娘を娶り、徳川家康より三浦半島を下賜されて、小大名となって欧州事情外事顧問となりました。

現在のエリザベス二世女王は1926年4月の生まれで、即位されたのは第二次世界大戦が終結した1945年から7年経った1952年でした。

弟のジョージ6世が1936年に即位してから、第二次世界大戦が勃発しました。そして1952年2月6日、戦時中の心労と戦後の社会革命に追われる形で、56歳で早世しました。

そしてその後継者として姉のエリザベス二世が王位を継ぐことになったのです。

女王は1947年に、後にエジンバラ公となるギリシャの王子フィリップ公と結ばれました。

そしてチャールス王子、アン王女、アンドリュー王子、エドワード王子の4人の子供を産みました。ちなみにアン王女は、自身が乗馬の選手であり、英国オリンピック協会の名誉総裁でもあります。

私は エリザベス二世女王、妹の故マーガレット王女(英国ロイヤルバレー協会名誉総裁)、アン王女にお会いする機会がありました。

かつてソ連軍がアフガニスタンに侵攻した際に、当時の米国レーガン大統領がソ連で行われたモスクワ・オリンピックをボイコットしたことがあります。その時には、アン王女は国家代表ではなく個人の資格でモスクワ・オリンピックに乗馬の選手として参加しています。その時には、日本もアメリカにならう形でモスクワ・オリンピックをボイコットして、参加を取りやめましたが、東海大の山下選手も個人の資格で柔道競技に参加しました。

そしてここからが歴史的に重要です。エリザベス二世女王とエジンバラ公の間に生まれた長男チャールス皇太子ですが、ダイアナ妃との間に生まれた長男がウイリアム皇太子です。

このウイリアム皇太子は,かつてスコットランドのエジンバラ大學に在学中に知り合った後輩の民間人のケイト(キャサリンの縮小辞愛称=ニックネーム)と、涙ぐましくも微笑ましい別れと再会の経緯の末に、やっと結ばれたカップルですが、現在は第一王子を出産して第二子を懐妊中です。

現エリザベス二世女王が御長寿で、在位期間を更新中ですので、英国王室史上最長の在位記録者ということになり、ギネスブックに載せられることは、ほぼ間違いないと私は確信しています。

となるとチャールス皇太子の在位期間はごく短少となるか、それとも一気にウイリアム王子が王位継承するという事になる可能性は、現実問題として十分あり得ることです。そうすると、あれだけ世界中にフィーバーを捲き起こした絶世の美人であるダイアナ妃が、「王母」として蘇生する事になります。やがてウイリアム王とケイト妃が訪日する時期が必ずあるはずです。そしてこのチャールズ&ダイアナのブロンズ胸像の製作者の証明書の通し番号が「ラッキー7」である事であることが非常に重要です。この両陛下が訪日された時に、さりげなく御宿泊所や東京の迎賓館、あるいは京都のホテルに飾ってあったとしたら、ウイリアム王は万感胸に迫る感激を味わう事になるであろう事は明白であります。

私はこの銅像を、ウイリアム王とケイト妃の訪日が叶うその時までそっとしまっておきたいのが本心です。

 

ダイアナ妃は、パリのRITZ  HOTELを出てから、パパラッチに追われて自動車の隧道にさしかかった時に起きた不運な事故で亡くなりました。そのニュースは全世界に大きな衝撃を与えました。

そしてその後には、多くの陰謀説も囁かれました。私はダイアナ妃の国葬が英国全土で行われた時に、ビートルズ発祥の地であるリバプールの二つの大聖堂で行われた葬儀に参加しました。一軒はカソリックの大聖堂でもう一軒はプロテスタントの大聖堂でした。そこで当時私が凝っていた8ミリビデオで撮影しまくりました。

ウイリアム王子が王位に就いて、そして訪日される日が来るのが楽しみです。その時には、再度ダイアナ妃ブームが復活します。その際にチャールス皇太子とダイアナ妃の結婚記念ブロンズ胸像が光彩を放ち、ウイリアム王の胸に熱い血潮が渦巻く瞬間がくるでしょう。その時はもう間違いなく目前であり、分読みの段階にあります。ウイリアム王陛下と女王陛下が訪日される際には、是非ともこの両親の胸像は日本に来ていなくてはなりません。それが実現する日には、ウイリアム王夫妻にとっても感無量の歴史的瞬間になる事は間違いないでしょう。

ダイアナ妃がかつて訪日した際に、特に京都を観光して大変感動していました。多くの日本人の中には、あのダイアナ妃の姿は今でもまるで昨日のように想起されています。

今回は、この記念すべきブロンズ胸像とセットに、当時の結婚式実況カセットテープも自宅に持っていますので、それも合わせることで効果は倍増することになるでしょう。

このような歴史的な哲学をご理解して頂ける方に所蔵して頂きたいと思います。

英国王の訪日の際にこの胸像を所蔵される方は、ダイアナ妃の復活を目の当たりにすることができるでしょう。

北 広次郎(キタ・こうじろう) 英連合王国

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