岡見清直を識る事は日本の幕末以来の日本近代化の歴史の真実を識る事になるのです

<日英友親交会>の主柱のシンボル的存在は岡見清直という桁外れに壮大な国際的ドラマの中に巻き込まれた?日本人で、実在の人物でした。この人物の御先祖は緒方洪庵や佐久間象山や福澤諭吉にも結びついてる、教育面で日本国の近代化にも大貢献をしておりますが、こういう海外から日本の近代化や維新を支え貢献して来た大功労者の人物の事は日本の歴史では教えられて来ていませんし、またマスコミでもほとんどとりあげていません。私は1966年から英国に住んで英国側の産業革命以来の歴史の探索をし体験して,英国の貴族達との交流から彼らの日本観を知ったりして英国側の視点から母国日本を見返したりしてるうちに、日本にいた時には見えていなかった歴史的な事象とか由縁が見えてくるようになりました。また最初抱いて来ていた疑問点もかなり解けて来るようになりました。

江戸時代岡見蘭学塾を建学し洋学にのめり込んで、教育面での進化を促してきた家柄に生まれた岡見清直兄貴が 戦後米国国務省外交官になった事自体が既に奇跡みたいな出来事であり存在ですが、何故イングランドに岡見蘭学塾(慶応義塾開祖にかかわる)の発展的分校を創設したかは,私はいまになって200%以上分かってきました。これも岡見清直兄貴との弥次喜多関係をやって来てなかったら、その深層にある真相の真髄には到達できなかったことだと、いまだからこそ言えますのですが。

〖佐久間象山〗・〖岡見蘭学塾(頌栄)=慶応義塾〗・〖吉田松陰〗・〖長州ファイブ密航渡英〗・〖薩摩藩19名密航渡英〗・〖尾崎三良は三条公恭毛利嫡男と共に渡英〗・〖三良娘セオドラ英子(英国公使館勤務兼TIMES特派員兼国学院慶応義塾頌栄女学院英語講師)〗・〖尾崎三良明治13年駐露日本公使館開設のため初代駐露公使とと共にロシヤ・セントペテルスブルグに赴きアグレマンで皇帝アレクサンドル二世と謁見、ついでデンマーク・スエーデン・ノルウエイ三国の国王と謁見し日本国のロシヤ北欧三国との公式な国家間外交関係を開始・〖セオドラ英子の夫尾崎行雄(愕堂)〗・〖その娘の相馬雪香〗・〖米国務省外交官岡見清直〗〖清直貢献の日本航空設立〗・〖ケネデイ大統領の後押し任命〗・〖連合軍最高総司令官マッカーサー元帥長男(日本大使就任)と岡見清直副領事の名コンビ〗・〖岡見清直とニクソン大統領の深い係〗・〖レーガン大統領との関係〗・〖米国務省派遣在アイルランド共和国総領事岡見清直誕生〗・〖アイルランド共和国政府財界との岡見清直の密接な関係〗・〖米日アイルランド架け橋となった唯一人の日本人岡見清直〗・〖岡見清直によりに江戸時代からの岡見蘭学塾(慶応義塾元祖)頌栄女学院の英国学校設立(英国名門ウインチェスター大学と合弁)が英国憲法で制定されてる永世貴族院議院モンタギュ公家御領地内についに実現藩主モンタギュ公の御領地内の南岸サウザンプトン港湾市は1865年(慶応元年)薩摩藩密航渡英留学生19名とか尾崎三良以下8名の留学生が1868年(慶応4年=明治元年)に長崎から出帆し英国に到着した時のイングランド島の玄関口の港で,明治政府のお雇い英国人のほとんどが、この港から日本に向けて出発してる〗・〖更に日本近代化の基となった英国産業革命の科学技術と工業機械類はこの港から日本へ送りこまれて来た〗・〖この隣のポーツマス港湾市も日本とと切っても切れない縁があるのは、東郷愛之進(平八郎の幼名)が留学した先で、日本海軍海上自衛隊海上保安庁の起源に関係史、世界ヨットマンクラブのメッカである。〗・〖現在このサウザンプトン・サッカー・クラブには吉田麻耶選手が所 している〗・〖岡見清直と北広次郎の宿命的な因果関係)〗・〖英国の中世からの英国カソリック総本山であって英国副王位の大貴族であった現代モンタギュ公藩主と北広次郎との30年近い交流関係〗

上記キーワードを列記してみると、結局岡見清直の先祖から始まる洋学教育の歴史は、日本近代化文明開化の歴史とまさに裏腹に密着してきた事実を私は識ることになったと実感することになりました。私が海外に長く居たから、長い年月かかかったけど,掴めた事柄も多い。裏返すと私がもし日本に留まり海外に出ていなかったら、灯台もと暗しで、見えてこなかったことも多々あったと思うこともあります。ですから私は日本国の明日を担う次世代には、一度は四海八方海洋孤島国から、ただ旅行するというだけでなく、出来たら海外に出てある期間はそこに住み着いて見るということを是非とも御薦めしたいのです。

北 広次郎(キタ・こうじろう) 在英連邦王

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