ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第12号

 はじめに

 海外から日本を顧みると、今ほど、これほど日本孤島国が、内政的にも、経済的にも、外交政治的にも縮んでしまい、世界における日本の政治レベル、経済レベル、外交的評価レベルを地盤沈下させたことが目に余る惨状を、過去に知りません。

 今の日本の政治家は、国民の国民による国民の為の真の政治をやっていません。

 真性の国家的展望と国際的視野と哲学の欠けたタレント議員が、政治もどきごっこで国民の目をそらしてる。実質は国民軽視の見せかけ民主手技と、政治外の世異事を操り、おためごかししているにすぎなく見えます。

 そして現今の日本孤島国内は、民事でも刑事犯罪でも椿事異常事、なんでもありの総合デパート国に既になっていることには、国民感覚も慣れっこで麻痺マンネリ化現象気味となりつつあります。

 今回は以前、マハティール元マレーシア首相がいっていたことを想起しまして音楽芸術に関連して、マーガレット・サッチャー元英国首相時代と英国の政治における出来事を挙げて日本孤島国の多少でも参考になるヒントを見出していただきたい一心です。

 以前 マハティール元マレーシア首相がいっていたことは『芸術文化の育成と実行なくして、国の科学技術や工業経済や政治外交の発展性はない。』といって、イスラム色の強い風土でありながらも、西欧音楽の国立交響楽団をクアラルンプールに創設したのです。   北 広次郎  UK

 お知らせ

 真摯な音楽愛好者の楽譜御希望の方へ

◆●★ 『 楽譜御希望の方は 下記 在英国米国の北 広次郎(キタこうじろう)まで早めに御申込みください。真摯な音楽愛好者の方に限り、先着百名の方に無償で送らせていただきます。

お名前、ご住所、メイルアドレス、電話番号ファックス番号を 御職業を 御記入の上、下記メイルアドレス: norionpplanets@gmail.com 北 広次郎

まで御申込みください。

(なお音楽著作権は英国音楽著作権パーフォーマンス協会(PRC)に所属しております。)』

北 広次郎  UK/USA

 本題 『今や地球上はSMALL WORLD(世界は小さい)』

 

 ★(特注)『★「人はいまや誰もが、国際奇縁社会の中に生きている。しかし、現代のネット社会では奇縁が少なくなってるが、しかし真の国際的奇縁はネットだけに頼ってても、生まれてくるものではないことも事実でしょう。基本はやはリ人間対人間の血の通ったリンクから始まるのが社会的に正常なコネクションで、これだけはバーチャルなイメージメイキングの世界だけでは到底無理な事でしょう。』 ★

 ★★「英国サッチャー政権時代を振りかえって観るのもたまには必要ではないか。その中に何かまだ今の日本国にも生かせるヒントがあると思うのです。」★★

 ★★(英国から現今の日本を見て思う事を述べてみたいが、まず文化芸術スポーツ音楽は国境を越えての輪(和)であり、国交上、政治経済外交の輪(環)と、車の両輪であることの視点角度から、歴史の一端をを紐解いてみたいのです。) 』★★

★◆◆◆●★★★★◆●◆★●◆●★★◆●◆★●◆●★

『田中瑞穂指揮者兼作曲家は、かつて在欧時代にはコンビを組み北広次郎作詩の約15編に作曲をして来ております。

『田中瑞穂』氏を索引して見て下さい。

 ロスチャイルド家のシャルロッテ音楽文化特使が、もっとも敬愛してる指揮者兼音楽監督がマエストロ田中瑞穂氏であります。また一方田中瑞穂指揮者は世界万博指揮者でもあり、国内ではデザイン万博、焼物炎万博(有田)、愛知地球万博、スペインセビリヤ万博、韓国大田万博などで指揮をしています。』

 CDR音楽文化特使については、『Charlotte de Rothschild』を索引して見てください。

 CDR特使は田中瑞穂氏の指揮する交響楽団でハイドンバッハなどソプラノパートで歌い、またクラシック歌曲のみならず映画テーマソング特集『シェルブールの雨』 『グリーンリーブズ』 などなどのポピュラーミュージック、そして山田耕筰の名曲や童謡や演歌など日本語で唱います。

『日本人以上に日本的情感をこめて唱える才能の持主で技巧で唱うのではなく、国境を越えて真にその歌の世界の中に浸りきってしまう天性の素質を備えてる』といわれています。英独仏伊西日の言語を話し、唱いこなします。

 過去には東京サントリーホールで開催されたCDRソロコンサートでは、北広次郎作詩田中瑞穂作曲『エリザベートと真珠の玉』を日シャルロッテ特使が日本語で唱い大好評を博しました。

 この歌は北広次郎が、大学時代アルバイトで、三重県志摩半島の御木本パールアイルランドで、養殖真珠の製法について、外国人観光客に説明する通訳をしていた時に作った詩ですが、当時欧州のブラッセルに在住していた田中瑞穂指揮者により曲がつけられたものでした。

 つぎに銀座ヤマハホールで行われたCDRソロコンサートの時のことですが、終演後、北京大学美術史の女性教授が、大きな花束を持ってステージに上がってこられました。それが中国改革開放の立役者である小平先生の御長女の娘の先生でした。HSBC(香港上海バンク)は元々がロスチャイルドバンクです。その時は、たまたまノーベル平和賞受賞したマザーテレサ追悼一周年記念のPOP SONG『マザーテレサの歌』のCD出版記念もかねていました。この歌は奈良岡陽子北広次郎作詞作曲で、元ゴダイゴのタケカワ・ユキヒデ歌でマーキュリーミュージックエンタテインメント・ポリグラムから出版されたばかりでした。

 そしてチャールズ皇太子の前の皇太子妃が、英国王室の称号でいうプリンセス・オブ・ウェールズであったのがダイアナ妃であります。2011年4月29日に元大学同級生だった女性と結婚式を挙げることになったウィリアム皇太子は、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の間に生まれた長男であります。なぜここにダイアナ妃が登場することになったのかと申しますと、実はマザーテレサとダイアナ妃はチャリティーワークを通じて、極めて親密な仲でした。そして命日がたしか一週間しか違わなかったのです。

 現在のエリザベス二世女王の英国王室と世界最大最高ランクの大財閥ロスチャイルド家とは、日本で言えば幕末時代にあたる英国ビクトリヤ女王時代から、歴史的に密接な関係がありました。フランス革命を起こしてフランス王室を倒し、自ら皇帝位に就いたボナパルト・ナポレオン一世の孫ナポレオン三世が代表するフランスが徳川幕府を支援したのに対し、ビクトリヤ女王の英国は、日本の皇室側薩長土佐を支援しました。これを極東孤島国ジャパン内で起きた、ミニ英仏戦争という人も居ます。

 その後プロシャとフランスの間に起きた普仏戦争において敗北したナポレオン三世は国民の支持を失い、追われて英国へ亡命しました。その少し前に、日本孤島内では幕府軍と皇軍との間の戦闘が繰り返されたが、坂本龍馬 勝海舟の活躍で江戸城無血あけ渡しの、大政奉還となったのです。

 マーガレット・サッチャー首相が、99年の借款租借地香港の中国への返還を決めた時、その返還後にHSBCを中国政府は国有化するのかどうか不確定要素が多過ぎて、CDR特使の父上は、心臓手術後のハンデイを隠しかばって上海北京へ飛び収拾策を図り合意を取り付けてきました。しかし肝心の改革開放の立役者小平氏は香港返還日を目の前にして、入院中の病院で他界しました。

 ロスチャイルド商業銀行頭取はサッチャー首相の御主人デニス・サッチャー氏でした。又サッチャー首相の跡を継いだジョン・メイジャー首相も保守党に入党した頃は、ロスチャイルド銀行員でした。そしてCDRの実父エドムンド男爵は、現代イスラエル国再興の父といわれ、英国ロスチャイルド家第五代当主で、ロスチャイルド銀行総裁で、その系統の中の主要銀行の一つが香港上海銀行です。香港が英国植民地であった99年間のアジヤの国際金融機関の要となってきたのが香港上海銀行(HSBC)でした。共産社会主義体制下にあった中国が、急に資本主義体制圏に同化するのには、多くの乗り越えねばならない壁があり、また当分そのノウハウを学習する必要もあり、経済的自由主義圏への唯一の窓口である香港の重要性と、香港上海銀行が99年間国際金融を主導してきた歴史を無視することは中国にとっても得策ではないと感じていたようです。そこで99年間の租借権切れ間際には、サッチャー首相は意外にもあっさり更改をしないで返還へと踏み切りました。

 北広次郎は1960年半ばから英国に在住し、ハロルド・ウイルソン(労働党)、カラハン(労働)、ヒース(保守党)、サッチャー(保守)、ジョン・メイジャー(保守)、現カメロン(保守)という歴代の英国首相政権下の時代を体験してきて、それぞれに特色があったが、もっとも印象に残るのはというと、先ずなんと言ってもマーガレット・サッチャー首相です。その次が、ハロルド・ウイルソン首相。その理由を説明すると、いまは枚挙にいとまがないので、別な機会に回すとしますが、サッチャー首相は、とくに日本びいきであったのが印象的です。

 私は日本で宇都宮グランドホテルで、サッチャー元首相と、同じフロアーに宿泊したことがあります。サッチャー元首相の海外旅行の場合、通常は同じ階にはSPが立っていて、他客は泊めない条件になっています。

 北広次郎は丸紅テクマテックス社社長をリタイヤしてから英国通産工業省機構における地方工業開発協会(INDUSTRIAL DEVELOPMENT ASSOCIATION)のアドバイザー顧問を委嘱され、日系企業の英国工場誘致建設に尽力してきました。

 その第一号がサッチャー政権下のニッサン自動車英国工場建設でした。これも話せば長い物語になりますが、はしょっていうと、サッチャーさんが首相になる前の保守党議員時代、北が丸紅テクマテックス英国会社社長のとき、その輸入代理権をもって欧米市場に売込んでいたニッサン自動車繊維機械部製ウォータージェットルームを契約納入し据付稼動中の英国地方織物工場へ視察に来られたのです。これがニッサン自動車とサッチャー議員の出会いの始まりになりました。

 ニッサン自動車がルノー社に吸収合併となり、ゴーン社長が乗込んできてからニッサン自動車繊維機械部はトヨタ自動車グループの発祥母体会社 豊田自動織機製作所(創立者豊田佐吉翁のトヨタグループの発祥会社でいまでも紡績機械を世界に輸出してる)に売却されました。

 北広次郎が商社丸紅時代に、発案し創立をはじめた丸紅テクマテックス海外会社は、日本の戦後の商社、メーカー企業、運送業、金融機関、サービス業、海外現地法人化の皮切りになり、後ブームになっていったのです。それまでは各国の税制、財務経理処理上の問題もあり、海外日系企業は日本本社所属の海外支店、出張所方式をとっていました。そしてこれは人事においても、海外現地国で雇用する現地国社員の待遇にも関係していました。現地雇員は、本社から海外支店に派遣されて来る日本人本社員に比べ将来の身分保証もないし、どんなに日本人より優秀有能な人材であっても、あくまで日本人本社その中には、たまたま現地にいた日本人で現地雇になった人材もいました。それから日本の大学理工系学部に留学していた外国籍人で、日本語も出来る優秀な人材もいましたが、必ずしもその能力資格に相応しい待遇はうけていませんでした。

 しかしサッチャー首相は、当時エコノミックアニマルといわれてきたが、日本の生産性方式を、いいものはいいとして、世界産業革命労働組合発祥地国ゆえに、日本にはない、当時280種類以上の職能別労組の存在する英国企業内に停滞し経済発展の足を引っ張ってる伝統的社会の改革を断行しました。国営企業の民営化をはかったのもサッチャー政権でした。

 G8ロンドンサミットでは、小さい政府と民営化を主張しましたが、労組の強い力の抵抗にぶつかりました。たとえば デパートもスーパーも店舗も祭日日曜日そして平日でも午後六時以後夜間は労組の戦後つくった開店禁止法があり、祭日日曜日はショッピングする場所がなかったのです。レストランもあいていない。だから、英国系以外の外国人が経営する中華街とかインド街 エスニック料理店に行くしかなかったのです。ところが祭日日曜日でも、英国全土田舎の津々浦々にまである英国伝統のパブと称する居酒屋だけは、ちゃっかり開店してたから面白い。デパート、スーパーなど商店も、今では日曜祭日で開店営業は自由になりましたが、サッチャーさんが提議した、日曜祭日開店法は何度か、与党内からも反対議員が出て、国会で否決されたが、『ウイスキー愛飲党党首鉄の宰相』 は、それにひるむ事なく、しつこく提議し続けて、ついに日曜祭日開店法を通過させました。鉄のサッチャー首相が、通した改革法案は、これだけではありません。まだ他にも沢山あります。

『パブまで祭日日曜日開店禁止法を適用したら、さすがの英国でも、暴動か革命が起きるだろう』 と私はジョークで言っていたが、現実に労組員もポリスも祭日日曜日は、子供も含めて家族連れで昼夜パブに来て飲んだり、食事をしたりしてます。『だからパブの前の駐車場だけは、ポリスも取り締まりがゆるい。』とか、からかっていたが、現実にパブから出てきて自分の駐車違反もらいましたので、流説はあてにならないのですが。そういうマーガレット・サッチャー首相は『鉄の女宰相』 というニックネームをつけられてたが、大のスコッチ・ウイスキー党首でもあり『ウイスキーの女宰相』でもあったのです。スコッチ・ウイスキー党員です。それには訳がありまして、スコットランドの地酒の本場で仕事をするようになってから、なおさら磨きがかかりましたが、その話は又別な機会にします。

 北広次郎とサッチャー首相とシャルロッテ・ド・ロスチャイルドをつないだリンクの一つである『世の中狭い』という奇縁があります。

 ちなみに。欧米では『世界は小さい(SMALL WORLD)』といい『狭い(NARROW)』とは言いませんから、余計なことかもしれませんが、念のため。

 サッチャー国会議員が首相になる以前から御贔屓にしていた、ファッションデザイナーがいました。それは『ロンドンのユキさん』 という日本人男性ファッションデザイナーでして、薩摩藩出身なんていうと時代ものだが、鹿児島出身のロンドン発で日本より海外で著名になった日本人ファッションデザイナーで北広次郎とは35年以上の家族ぐるみの古い付き合いの友人で今はリタイヤしてますが、当時北も丸紅テクマテックス英国会社社長のとき欧米その他で販売していた豊田自動織機(トヨタ自動車の発祥母体会社)やニッサン自動車線に機会部、村田機械、山田ドビー、津田駒工業、島津製作所分析試験機、三菱重工、大日本インキ、などの繊維機械で紡ぎ織り染めた布地を、ロンドンのユキさんに提供し、英国ロンドンその他で支援してきました。

 英国最大の繊維会社コートールズ社とともにパリのパビリオン・ガブリエルで開催したユキさんのファッションショーには、デビ夫人も来ておりましたが、日本の女性ファッションデザイナー鳥居ユキさんも立派な和服姿で会場の玄関ホールでご挨拶に来られたのも印象的でした。

 ロンドンのユキさんと鳥居ユキさんは時々、混同して間違えられることがありました。ロンドンのユキさんは本名が鳥丸軍雪(とりまる・ぐんゆき)で、鳥居ユキさんと名前が丸と居るでよく似ていたからです。ロンドンのユキさんは、最初建築とインテリヤの勉強をロンドンで行い、デビューがロンドンで、日本ではありませんでした。ファンの顧客には英国王室の女王の従兄のケント公夫人(ウインブルドンテニス優勝者に優勝トロフィーを手渡す場面が当時TVでよく観られた)、貴族、ロシヤ出身の亡命バレリーナ・マカァローバ、フランスシャンソン歌手のイベット・ジローとか、有名人が多く、またリッツホテル地下の男女カジノ職員のユニフォームとか、デザインしていました。なんといっても、首相になる前から、首相になってからも、最大の御贔屓ファンはマーガレット・サッチャー夫人でした。

 昼間は多忙なのでロンドンのユキさんの自宅に、朝四時に、車で、仮縫いにきていまた。まだ暗い家の表には、SPが数人立って護衛していました。サッチャー首相が海外出張する時には、必ずロンドンのユキさんのデザイン仕立てのイブニングドレスを持ってゆきパーティーで着てました。おまけに旅行カバンもロンドンのユキさんのデザインのもので、それに衣装も靴も装身具も詰めかって出かけるのが常でした。サッチャー首相は、時々日本へ出かけ、ニッサン、トヨタ、キャノンなどの工場訪問し、安全ヘルメットをかぶって見学し、英国に工場を建設するように誘致運動をして歩きました。そして英国中央政府と地方政府から、返済不要の補助金を与えるグラントを約束しました。

 英国に工場進出した日系企業は ニッサン、トヨタ、ソニー、サンヨー、日立マクセル、三菱電機、YKK吉田工業、ノリタケ陶磁器、ユアサ電池、シャープ、ブラザー、日野、その他みなその立地条件場所によって%額のランク差はあるが、その恩恵をうけています。未開発地域ほど雇用促進効果を期待し、その度合いランクにより高額率の工業産業助成補助金が授与されます。それが国内企業、外国企業の差別を設けず、助成金をつけるにも、平等にあつかってきたことに注目すべきです。

 そして 工業団地 地方拠点の整備、とくにインフラ工事には力を入れていました。つまり何もなかった草地グリーン地帯に、工業団地をつくると、その周辺に公園、遊園地、住宅、学校、公民館、道路、診療所などの公共設備電気ガス下水道電話の配置工事、そしてショッピングセンターモール、交通機関などを整備するということを繰り返して来ました。そしてそこに、海外からの製造工業を誘致し、欧州の主要工場となり、特にEU圏内は輸出入無関税の特典を活用輸出が増え、又EU圏以外の中近東アフリカアジヤロシヤ北米への輸出も増大しました。英国に生産工場を開設したニッサン、トヨタ、ホンダ、日野、ソニーなどもそのメイドインUK製品の輸出に貢献しました。それでニッサン自動車の石原洵社長、ソニーの盛田会長など多くの覆う日本人経営者も、英国輸出産業に貢献した功績として、バッキンガム宮殿に招かれ、エリザベス二世女王から、功労勲章を授与されています。

 そういえば、シャールロッテCDR特使の御父上も、昭和天皇から勲一等瑞宝章を授与されており、生前それをとても名誉のことだとして、北を宮殿に昼食に招いてくれて、見せてくれたのでした。このロイヤル外交は、極めて有意義であると感じました。ロスチャイルド銀行は明治維新以後、日本政府発行の国債を第二次大戦後まで買い続けてきました。明治時代の日本国鉄の路線拡大の国債も、日露戦争の四回の国債も、また戦後復興国債も、節目節目に引き受けてきたのが、ロスチャイルドでしたが、あまりそういう事の歴史は、日本では教えられていない。

 日本国家の経済の活性化改善のため、政治家、官僚、財界、地方自治体も、サッチャリズムを再度参考にして見ることは、有益(有役)ではないかと、思う今日このごろです。

 ロンドンG8で小さい政府や国営企業民営化を主唱したマーガレット・サッチャー首相が、その時レーガン米国大統領言いだしっぺの英国は、国鉄の民営化が 労働組合の抵抗で後れました。このとき、いち早くこのサッチャー首相の言を先取りしたのが、日本でした。国鉄民営化してJRに。専売公社を民営化し、また日本電電公社をNTTへ、国際電電公社をKDDにしました。ただそのとき小さい政府といったのは採用しなかったのです。サッチャー首相は、実行しました。以前ロンドンはグレーター・ロンドン議会があり、マンチェスターにはグレーター・ロンドン議会がありましたが、これを全面的に廃止しました。つまり東京都議会、大阪府議会を廃止して、中央政府と市町村議だけにしたようなものです。サッチャー首相は、かねがね真ん中の議会は必要ないと唱えて居ましたが、本当に断行するとは、国民も思いもよりませんでした。それから英米では市長は無給であることを御存知無いの日本人ばかりです。必要経費は地方税からか、支払われますが、市長給与はゼロです。つまり市の名士のボランテイヤーシンボルの名誉職なのです。実際の市長の事務的実務的業務は、専門職の助役シャドーメイヤーつまり蔭の市長が行っていて、表の公的な行事イベントはシンボル市長が行うという分担仕分けになっているのです。以前東京都議会議員団が、二泊三日のマンチェスター視察訪問にきました

 今はあのバージン航空、バージンレコード、バージンTVラジオのオーナー会長が、イングランドの約80%の鉄道路線を、入札で獲得して、民営化されています。結局郵便局の民営化は実現しなかった。英国は国営NATONALではなく、王立ROYALがつく公的企業が多い。郵便局はいまだにエリザベス二世のマークE&Rがついているし、さらに、英国の陸海空軍には全部ROYALがついているのです。ちなみに、英国は歴史的に鉄道は最初から、民営で始まってきたが、途中で国営化された、日本と逆です。しかしまた民営化されたのです。ただし北部にあるスコットランドは国営のまま。もっともスコットランドは独自の議会を有しています。英国も一応は四つの連邦制です。さらに水道局は、20年以上前の、とうの昔に民営化されていて、英国の上下水道はフランスの国際的水上下水道管理ホールディング会社グループが買占めていて、英国の物ではないのです。すべて世界での発祥地は産業革命以来、英国から始まって居ます。

 郵便制度、警察制度、消防制度、労働組英国制度、保険制度、議会制度、司法制度、医療保険制度、社会保険制度、海洋航海法、航空法、世界の時間の制度(英国グリニッジタイム)、あらゆるオリンピックスポーツのルールも、英国発祥が多いのです。ですからオリンピックのスポーツの80%以上が、英語名になっています。

 さてもうひとつサッチャー英国首相との奇縁があるのは、北広次郎が、親の代から英国で家族ぐるみの付き合いをしてきたリバプール近くの大農場ファミリーがあります。そこの大農場地主スミス家の長女マーガレット・フランシスはかつて日本にアトリエを持っていましたが、やがて世界的米人抽象画家サム・フランシス(SAM FRANCIS)と結婚して、ロスアンゼルスのサンタモニカ海岸のアトリエに移住しました。このサンタモニカのアトリエの屋敷は、昔チャーリー・チャップリンの住居でした。SAM FRANCIS と MARGARET FRANCISについては、それぞれパソコンで索引して見てください。なぜここにFRANCIS夫妻を登場させたかというと、マーガレット・フランシスがまだ東京は原宿にアトリエを構えていた頃、NHKの英国をテーマにしたラジオ番組でレギュラーアシスタントとして放送していた頃、マーガレット・サッチャー首相が、北京経由で訪日した時、サッチャー首相にインタビューをしました。

 そして北 広次郎が出版したヨーロッパエッセイブックの挿絵画家でもあったのです。マーガレット・フランシスは後にリバプールで開催された万国庭園博覧会に日本政府が造った日本庭園のイベントに全国から選ばれた日本女性ミス着物大使10名のリーダーとして訪英しました。この庭園万博は、開会式歯エリザベス女王が開会テープカットし、8月の日本週間には、当時、オクスフォード大学に欧州運河交通史の研究のため、留学中の浩宮皇太子殿下が開会を宣言しました。この日本週間のイベント行事の準備のため、北はNHKの現地エイジェントを任命されました。この日本庭園の建設には二年かかりました。

 北広次郎は その建設中の二年間 当時の建設省派遣の箱根庭園の庭師達のべ120人の日常生活の面倒を見てきました。筋向いが中国庭園でした。これすべてサッチャー首相の時代でした。振り返ってみると、北広次郎は マーガレット・サッチャー首相とは、首相就任前、就任後、また退任後をつうじて、不思議な因縁がありました。そしてサッチャーさんの御主人デニスは、もとロスチャイルド商業銀行頭取で次のジョン・メイジャー首相が、元ロスチャイルド銀行であったのです。2010年労働党政権ゴードン・ブラウン首相から、久しぶりに保守党政権デイビッド・カメロン首相となった。支えながら新任首相が、表通りに出てきたのですが、それはまるで、老いた母親を支えていたわる息子のような光景でした。サッチャー元首相はアルツハイマー病をわずらって居ることを、看病してる娘さんが、以前から公表してますが、しかし老いたるとはいえ、往時のオーラは残っていました。2011年初頭肺炎を患って入院して、治療をおえて退院し、自宅に戻る姿をBBC・TVで観ました。

 あのリバプールで万国庭園博覧会が開催されてたときに、真夏の8月にロンドンでG8が開催されて、そこに参加したロナルド・レーガン大統領も退役後、アルツハイマー病を患っていたことを思い出します。

 北広次郎が、退官後もサッチャー元首相に、最後にお会いしたのは、宇都宮グランドホテルでの日本商工会議所夫人部の二泊三日のセミナーの座長を務めたときで、女性経営者を含む二千名余りの開会式が行われたときで、その前座をつとめて歌ったのがシャールロッテ・ド・ロスチャイルド音楽文化特使でした。『この晩の大パーティーレセプションションに、飛んでこないか』 と言う電話を突然2日前に北に日本からかけてきたのが、滞日中のシャールロッテ・ド・ロスチャイルド音楽文化特使でした。

 そこで慌てて荷物をまとめる時間も十分にないまま、とるものもとりあえず、すぐ間に合う航空便に飛び乗って日本へ出発しましたが、日本について、空港からすぐ車で宇都宮グランドホテルに向かい、玄関に到着したのが、開会式開始の午後6時1分前でした。そして超満員のホールに、熱気を帯びた大喝采を浴びて、サッチャー元英国首相が登場しました。英国首相の座を降板しても、その人気ぶりは世界的に絶好調ぶりを発揮していました。特に女性ファンが多いのが特徴でしたが。

 これら一連の英国首相メーカーは、英国ロスチャイルド家の当主であったことを知る人は、日本にはほとんど居ません。

 その時の第五代当主エドムンド男爵が、1948年それまで国土を失って、世界に離散していた流浪の民のユダヤ人を、集めて新イスラエル国家を再興した人物が居まして、その人は『現代イスラエル建国の父』とも『現代イスラエルの実質王』呼ばれました。その人物こそ、シャールロッテ・ド・ロスチャイルド(Charlotte de Rothschild)(CDR)音楽文化特使の2009年秋に他界された実父であります。エドムンド男爵とのこれまた奇縁は、北広次郎の別なエッセイにも度々書いております。『北広次郎のヨーロッパだより』をパソコンで索引して見てください。英国ロスチャイルド家は日本政府。天皇家から勲一等瑞宝章を授与されています。

 そしてロスチャイルド家は 英国王室と、そし11世紀以来英国副王であった英国高等正統貴族モンタギュ(MONTAGU)家とも密接な歴史的関係があります。

 北広次郎は、ある特殊な事情から、LORD MONTAGU(当主殿様)と親しくしていたため、ある日モンタギュ(MONTAGU)家の古城の隣接地のパレスに住む英国ロスチャイルド家に連れて行かれて、シャールロッテ・ド・ロスチャイルドの実父に紹介されました。

 モンタギュ(MONTAGU)家は劇作家シェークスピヤを世に出した庇護者の家柄でもありますが、11世紀にローマ法王から英国への転封の命をうけて、ベニスから英国島へ移住しましたカソリックの正統派でした。モンタギュ(MONTAGU)家の古城の中の壁面には、シェークスピヤの肖像画がベニスの風物画風景画と並んでかけられていますが、シェイクスピヤの劇の中には 『べニスの商人』 をはじめ、『ロミオとジュリエット』などイタリヤを舞台にしたものがかなり含まれてるのは、財政支援の庇護者モンタギュ(MONTAGU)家は、もともとベニス方面から、カソリック総本山ローマ法皇のさしがねで、英国島に転勤させられ元イタリヤ貴族だったからです。これでシェークスピア劇の題材が、イタリヤであることが、ある程度納得していただけるでしょうか?

 そして後にウイーンから移住してきた英国ロスチャイルド家に、自分の持つ領土の土地の一部を分譲しました。歴史的にモンタギュ家は劇作家のパトロンであったことから、英国の舞台劇発展の大支援者として長らく貢献してきています。

 一方著名な西洋音楽家達はほとんどロスチャイルド家の庇護をうけて来た歴史がありますが、それは北広次郎の別なヨーロッパエッセイ集にも述べているので、隙間時間にコンピューターで参照して見てください。 それはクラハリウッド映画製作マスコミ界、それとこれも歴史的理由があるのですが、先祖が帆船造船所経営していた関係から、海上陸上運搬に関係してきた歴史から今は世界最大のクラシックカー博物館を有しています。モンタギュ家を建造した当時世界最大の四層の旗艦船に乗ったネルソン提督がトラファルガー沖海戦でナポレオン海軍を撃滅した事は有名です。

 日本が鎖国をやってる時代には、ここで建造された帆船商船は まだスエズ運河がなかったので、英国式島流しの罪人や政治犯を送り込むための遠離島豪州オーストラリやニュージーランド、東南アジヤインド、そして太平洋から支那海まではるばる片道一年はかけて遠洋航海してきていました。

 モンタギュ家の造船所で建造した帆船は東インド会社の交易船としてアジヤに航路にも使われ、江戸時代、香港や日本海近辺まで来ていたのでした。しかしその帆船は片や大西洋にも進出し、コロンブスが米大陸ニューファンドランド島にたどり着いた1492年以降、英国清教徒ピューリタンの米国大陸への移民船にも使われました。

 一方ユダヤ民族系ロスチャイルド家は古銭商としてウイーンを発祥の地として、オーストリヤ皇帝に接近してるうちに、やがてナポレオンとの戦争となり、一時国外に亡命したその留守の間、皇帝の全資産財産を秘密裏に預かり隠し通して管理し、ナポレオンの没収から守りぬいた功績により、皇帝帰国後国家の財務管理を一切委任されたのです。一介の古銭商から両替商になって、それが皇帝に気に入られて、一国のその財政管理運用を一任されてやがて世界最大最高の財閥になった260年の歴史があります。

 今回の最後に、これまた日本の歴史教育では、教えていない話を付記しときます。日本の江戸時代幕末にあたる頃の英国はビクトリヤ女王時代でした。歴史的に日本と英国の接点が出来た時は、これも奇縁ですが、英国は不思議な奇縁で、すべて英国は女王の時代です。1600年桶狭間の戦のとき、オランダ帆船リーフデ号の難破というパイロット航海士の時代の英国は、エリザベス一世の治世下でした。これが日本孤島に初めて現れた英国人第一号で、徳川幕府の外事顧問となり、武家の娘を娶って日本に帰化し、三浦半島を管轄する小大名になりました。

 次に坂本龍馬や岩崎弥太郎の登場する幕末になって、倒幕運動を起こした薩摩長州土佐は長崎出島のグラバー邸が中心になって、英国との三菱財閥の創始者岩崎弥太郎ですが、幕末明治維新時代の英国はビクトリヤ女王の時代でした。そして日本の近代化のために、ほとんどすべてを様式化するのに英国パターンを吸収しました。 まず服装は背広、式服もディナージャケット、燕尾服、鹿鳴館スタイルは、英国王室スタイルを採用しました。洋式結婚式のスタイルから、結婚行進曲の音楽までも、実はウェディングドレスも、ウェディングマーチも、あれはすべてビクトリヤ女王の結婚式に世界で初めて使われて世界に伝播したものであること、日本孤島では果たして何人の方が御存知でしょうか?御前競馬も、そして日本の明治開化時代の音楽教育は西洋教会音楽から始りました。

 英国民謡が多く学校で採用されました。卒業式の『蛍の光』もあれ英国の音楽です。それから日本の様式建物ですが、明治維新以来、東京駅も丸の内地方工場も、学校も、灯台も、すべて英国式洋館が次々に建築され、英国から技師を招き、煉瓦まで輸入しましたし、日本橋横浜に日本最初に開設した鉄道の線路に走らせた蒸気機関車『弁慶号』も英国マンチェスターで製造されたものです。紅茶もインスタントカレー粉も英国人が最初に作ったものです。第二次大戦後、日本孤島は米国の影響を受けたが、しかし明治維新からは圧倒的に英国だったのですが、日本人は混同しています。ですから伝統的にアングロス・サクソニアンなどの移民国で、ワシントンの独立戦争、独立宣言以前はもともと米国は英国の植民地でした。これはカナダ、オーストラリヤ、ニュージーランド、南ア連邦も同じでした。

 戦後日本の立直りには、復興国債発行するたびに、英国ロスチャイルドが引き受けて来ました。そのことは日本政府も天皇家も日銀も熟知していることです。戦後の英国はずーっと今でもエリザベス二世女王の時代でして、また日本が一段と英国に近くなったのは、サッチャー首相時代で多くの日系企業が英国中央政府地方政府の助成金を得て、英国に工場建設を行って来ました。エリザベス二世女王陛下のもとで、英国初の女性首相のマーガレット・サッチャーさんが、日本企業の後押しをしたのです。これも次のジョン・メイジャー首相も、英国ロスチャイルドのバンクと関係がありました。そして英国ロスチャイルド家のその時の当主がこのシャールロッテ・ド・ロスチャイルド音楽文化特使の実父である『イスラエル建国の父』と称えられるエドムンド男爵でした。英国ロスチャイルド家の首相メーカーの歴史はビクトリヤ女王の時代に遡ります。ユダヤ人で初の英国首相になったのはディズレイリという首相でした。彼が青年時代に国会議員になったときに、最初の国会質問をしたとき、議員の誰も冷笑して野次り、耳傾けませんでした。ディズレイリ議員は、それを痛いほど肌に感じて『私のいうことに、真剣に耳を傾ける時が必ずやって来るでしょう。』という捨て台詞をのこして、議事堂を飛び出してしまった経歴があります。

 やがて明治二年(1869)に、レセップス運河建設技師により、エジプトのスエズ運河が開通しました。このときに首相になったディズレイリが動きました。彼は英国ロスチャイルド家を口説きおとして、スエズ運河株を買収する資金を一晩で準備してもらいました。そしてスエズ運河の大株主のトルコ提督の持ち株全てを手に入れ、その債券書類を持って、ビクトリヤ女王謁見し、『女王陛下、只今よりスエズ運河は、陛下の所有となりました』という報告をしたのです。英国は『ROYAL(王立)国家』であるということで、『ROYAL』とは『NATIONAL(国立国営)』と同義語です。フランスに『朕は国家なり』と、違う意味で言ったキングが居りますが、ここ英国では『王のものは国家のもの。国家のものは国民のもの』といういみで、『ROYAL』イコール『NATIONAL(国立国営)』と言うことになっているのです。ディズレイリ首相の言ってることは『女王のものになりました』という意味は『国家国民のものになりました』と言うことと同じなのです。

 保守党マーガレット・サッチャー、ジョン・メイジャー両首相の時代が終わり、トニー・ブレイヤー労働党政権になってジョージ・ブッシュ大統領と組んで、石油利権絡みのイラクでもサダム・フセイン追い出し戦争を仕掛けました。しかし最後に変なことが起きました。トニー・ブレイヤー首相の任期がもう数ヶ月で終わりになると言うときに、日本で言えばさしずめ大蔵財務大臣のゴードン・ブラウンが、トニー・ブレイヤーを早期辞任させようと造反的追い出し運動を水面下でおこなったのですが、これをトニー・ブレイヤー夫人のチェリーブ・レイヤー(元弁護士)が、やり方が姑息で汚いと、見かねて、出版した本のなかでも非難をしました。

 しかし結果はほどなくトニー・ブレイヤー首相は任期終了以前に首相を辞任する事になりました。なぜ任期終了前にトニー・ブレイヤー首相の降板を謀ったのか、一般国民には不可解でした。ゴードン・ブラウンはトニー・ブレイヤー政権下で、大蔵財務大臣になったのが唯一の大臣経歴ですが、総選挙で若手の保守党のデイビッド・カメロン新首相に変わった後に、気はついたのです。ゴードン・ブラウンは 保守党内では 次の首相の筆頭候補と見なされて居ましたが、次の総選挙で労働党が勝つ保証はない、負けたらゴードン・ブラウンには永久に首相になるチャンスはない。悪く解釈すれば、『任期満了より前に辞任してもらい、首相の座を日本式にいえば禅譲してもらうしかないが、身体も健康であり、頭もしっかりしてるので、任期一杯首相を務めるうもりで居るが、これはこまる。なんとしても任期終了前に下りて貰うしかない』という焦りが見えたのではないかと思われるのです。『権力の麻薬に冒された』という表現があるが、今回チュニジアの民主化運動に端を発し、エジプト、リビヤ・アルジェリヤ、バーレーン・イランに飛び火しまくっている。その中で特にリビヤのカダフィ大佐に向けられた非難が『権力の麻薬に冒された』と言う言葉であります。今回チュニジアの政権に対する民主化運動の炎が燃え上がったのは、裏に同じイスラム教でもシーア派、スンニ派の、積年の待遇の差別問題が絡んでいるから根深いのです。いかにまだ世界には独裁政権が多いことか、普段日本人は余り教えられていません。

 今回この一連の中東問題(別名北アフリカ問題)のニュース報道にしても、欧米の報道は深みがあり、長時間を費やして、刻々の変化をこと細かく報じてるが、日本のTVメディヤのニュース報道はNHKでも民放でもまるで、短時間で同じモノトーンのパターンでちょいと出しておしまい。欧米の報道内容とその真相追求姿勢において、まるで格差が余りにも大きすぎて、言う言葉を知りません。これはコソボ戦争や湾岸戦争の時にも感じました。日本人家族が、ホテルで人質になっても、あの時は小切手を切って多国籍軍に日本国政府がただお金を払って済ましたが、それに欧米では誰も気がついていませんし、感謝もされなかった。そして日本人の国際的認識の格差は依然として、改善されたとは思えません。

 外交音痴といわれても、仕方がないのは、日本の教育には国際史国際学が限りなくゼロに近くて、単なる事象のおきた年号と名称だけの、それの年表世界史だけになってるから、中身に入り込めないのです。北方四島問題にしても、尖閣ににしても、日本の政府は外交音痴と外国記者にまで言われてるのです。

 上記のゴードン・ブラウンの短期首相で終わった総選挙で、保守党復活デイビッド・カメロン首相に変わった流れを先読みしてた。ブラウン首相は個人的な環境の先読みだけは長けた触覚を持つ政治家であったが、政治的功績は何も残さなかった。ブラウン短期首相の残したへまはいくつかあるのです。ワシントンへ行って、ブッシュ大統領からもらったギフトの箱をホテルの部屋に忘れてチェックアウトして英国へかえってしまった。これはまあさておくとして、総選挙前に遊説中に失言して、家庭の年配の主婦に謝罪に行って、そして車に乗ったとたんに『あのおばんは どうにもならんやつだ』式の言葉を、吐いたが、そのとき胸につけてあった報道マイクをはずし忘れていたので、その独り言のような暴言がそのままTVで報道されてしまったのです。

 クライストチャーチの地震の報道が、なされているこのごろ、日本国の政治は迷走してる感じで、真の国家の為の政治や外交をやってるという気概がどうしても見えてこないのです。これは海外に在住してる、日本人のマジョリティーが共通して感じてる歯がゆいフラストレーションでありアンニュイであるのです。

 英国のサッチャー政権時代の事を再考し、あの手法を日本で生かす方法を真剣に考え、実践しないと、このままでは空洞化現象がますます進み、日本孤島はますます離れ孤島化してしまう危惧感は、もう杞憂とは言い切れません。

 さもないと。日本はいま国際社会の中における真の国家の政治を担ってるというプロ意識が欠如していて、国会という場でありながら、中身は市町村議会と区別がつかない同じ目線と同じレベルである課題がほとんどである気がしてならないのであります。

 かつて小さい政府を目指したサッチャリズムの考え方によれば、真ん中の政府は、屋上屋を重ねてるだけで、無駄であるとして、グレーターロンドン庁、グレーターマンチェスター庁全面的に廃止してしまったのです。日本で中央政府と国会と市町村庁議会を直結させる制度に改革しました。それから英米は昔から市長は無給の名誉職であり、市町村にかかわるイベント行事祭事儀式式典は表の市長の役目に対し、蔭の実質的事務職役所の市長は助役が担当してきてるのです。表の市長は無給ですが、イベント儀式とかにかかる経費的費用は公費として市庁の地方市民税の金庫から支払われるのです。米国にある州議会を、日本の県議会と同一視したり混同するのは誤りで、歴史的な成り立ちが理解されていない。県と州を混同するのは、マイルmileとキロkmをイコールと誤解してるに等しいのです。同じマイルでも北欧スカンジナビヤマイルは何キロメートルだと思いますか?普通は1マイルは1.6kmである。

 北が昔若い頃、北極圏内の内の工場へ仕事に行ったとき、隣村まで20マイルと聞いて夜タクシーをとばして、暗闇の原野を突っ走って隣村にあるパブまで行ってたった2杯のカンパリソーダ飲んでまた元の村のモーテルに帰ってきたが、変だとは思ったが、運転手は老人の現地語しか話せないし、何を訊いても、YES YESしか話せないので、あきらめていたが、朝帰りでろくに寝てないうちに、現地工場の重役が迎えにこられて、朝食をともにしながら、その話をしたら、腹を抱えて笑い出したのです。『ミスター北 貴方は英国に住んでるから英国マイルで片道20マイルと聞いて32kmと、勝手におもいこんだのでしょう。しかしスカンジナビヤマイルは全然違うのです。』『どう違うんですか?』『スカンジナビヤマイルは 10kmです。昔バイキングが陸上で雪上でも精一杯徒歩で一日平均行軍できた距離です。』『えっ?では20マイルx10kmは200kmですか?』『そうです。往復400kmになります。わははっ、、、、』『そういえば、ここへもどってきたら朝方でした。時差で時計がわからなかったのですが。』『次回気をつけてください。』『いい勉強になりました。』マイルとキロメーターを 同じと考えてしまうのは、州と県を同一視してしまうのと同じです。カリフォルニヤ州なんか日本全土の総面積より広いので、州がそれぞれ国のようなものです。アメリカ合州国では 州ごとに法律が相反する場合もあるのは、そのせいです。

 そして今回ニュージーランドのクライストチャーチの直下型地震で犠牲になったと思われる英語勉強の留学生の娘さんを亡くした遺族の男親が現地で最後にTVメディヤに向かっていった言葉はずしんと重みがあって胸にこたえるものがありすぎた。『はじめて気がついたが、本当の国民のための政治やっていない、、、、、、、、』と悲痛な発言をしていたが、ここまではっきり一庶民や一国民がTVメディヤを通じて、たまたま今新燃岳の噴火災害異変も起きてるが、日本の政府に対し、政治的対策へのフラストレーションの溜まったマグマ噴出をあからさまに海外現地から発言したケースは初めて観させていただいた気がします。欧米の海外国では、こういう場面はよく観たが、日本のマスコミには、まだまだまだまだ限界があり、その分本音を吐いたり、思い切り歯に衣かぶせずに、奔放な創造(想像)、空想的に自由な表現できるのはバーチャルなアニメの世界に入りこむしかないと考えてるのです。しかしこれ欧州国では、倫理規定の暴力やセックスの過剰表現に引っかかるものもあることを、日本のマスコミは余り報じていない。どうも表現の自由が過剰に乱用利用されてる場合があるため、この領域は聖域扱いになりがちであります。相撲協会の野球賭博や勝敗の金銭取引の問題も、闇幕内では、なかば公然の悪弊であっても、協会もそして後援会ファンも、臭い物に蓋で、耳をふさぐ、眼をつぶる体質から来たもので、疑惑の雑誌記事を名誉毀損で訴えても、日本の裁判所では、雑誌社が敗北して、賠償金を払わされたケースも出てるのに、その判決が今や誤判決として、自壊自滅してるはずなのに、何故再審請求をださないのか?やっと刑法で被害者は無視され、加害者ばかりの事がと取り上げられてきた矛盾に、スポットがあてられ始めたが、冤罪事件も含めて、日本の司法制度は密室自白偏向主義であったのは、明治維新以前から、戦中戦後も進歩していなかったことで、現代になってもまだその旧態然の手法が続けられてるのには矛盾を感じているのです。

 ロス殺人疑惑事件は 日本では無罪判決で結審したが、ロス警察は徹底的においかけていた。本人は、グアムで逮捕されてロスへ移送されて、独房で首を吊ってしまったが、しかし国際間でこうも違うのは、四方では正義は一つ真実は一つときれいごと言ってるが、矛盾だらけで、そのなかでも欧米ではもう昔からあった民間判事陪審制度、即ち裁判員制度はやっと孤島国日本にも採用されはじめたのですが。それと重要犯罪に時効があるのもおかしいと、やっと最近日本は改正に着手したが、欧米では時効制度はとうの昔に廃止されてるのです。

 それから欧米の裁判所では。法廷に出て話すことが出来る法廷弁護人と、一般の事務的弁護士とは厳然と区分されて居ます。一般の弁護士は、法廷では発言できません。英国では法廷弁護士はBARRISTEと呼ばれます。それに対し一般の 弁護士はSOLICITORといって、顧客の事務的手続や証拠書類を作成しBARRISTERに提出出来るが、法廷に立って弁護する発言は出来ません。長い司法の敵視を経て出来上がった制度ですから、中立公正な判決を求める法の精神からそれなりの理由があってのことです。

 これは医師制度にも同様なものがあります。一般の医師の上に、医師の監督としてスーパーバイズする上位の医師が存在します。その医師はドクターとはいわれず なぜか MR.(ミスター)がつけられます。これも知っておかれるといいでしょう。

 更に児童ポルノに関しては、世界一の発信地は孤島国ジャパンだとして長らく欧米では悪評があったが、世界で一番法整備が後れてきたことは事実で、海外に住む日本人として恥ずかしい思いがあったのです。

 日本人のリップサービスや、神秘のスマイルといわれる、本音を押し込めたまま表面をつくろってしまう習性(癖)は、もう決して美徳でもなく、逆にいえばジキルとハイドの二重人格の勧めであり、不条理を助長している。政治家は『不退転の決意をもって』『命をかけて』『身命を賭して』とか口舌の徒として、隣国起源の三文字四文字熟語を並べ立てるが、では本当に命をかけ捨てる覚悟のある幕末明治大正昭和初期のような日本の政治家はいま一人も居ないと断言出来る。そして今は『いかがなものか』という、曖昧表現を乱用するのは、政治家が一番多い。『これ民間会社や一般社会人は使えない。商談交渉ごとでこれ使ったら、不真面目なジョークとしか思われないし、商談は不成立になるぶっ壊し用語である。これは政治家のみが乱用する曖昧模糊化用語で、直裁に言えば、誤魔化し話法で、悪い意味の禅問答である。』ということに気がついていないが、さすがにいいにくいかちょっと後ろめたいと感じてはトーンが落ちてる。これを大きな声で、言えるのは国会か議会のような場所で政治家だけの言える特権??用語であリます。これ英語でも、何語でも一体どういう訳語になるか?『QUESTIONABLE(疑問である)(=問題があるから賛成不可)』 『UNCERTAIN(確信がない)(=確信がない、はっきり言えないこと、明言できない、不誠実、) 』『DOUBTFUL(疑問である)(=疑わしい、怪しい、誤魔化しすれすれ)』  『UNTOUCHABLE(触らぬ方がいい)(=聖域にしといたほうがいい)』 『VAGUE(漠然)(=わざとあやふやにしてる、ぼやかしてる)』語呂音語感的に『いかがか』といのは『いかがわしい』に似ているから語呂駄洒落文化?が 染み着いた習性(癖)の民には、便利なのかも知れません。

★★マレーシアのマハティール元首相が繰り返して言っていた言葉を引用します。

『国際的芸術音楽文化への理解と実践意欲のない国家には科学工業技術や経済の発展性はない』

北 広次郎  英国

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