蘭・バタビア法廷事件第25号
三警事件資料
大阪、神戸地方出張調査報告書N0.47
*日時 昭和37年8月8日(水)14時から15時30分まで
*本人供述
4、事件の真相
私は、終戦前から、この事件のあるを予期したので、終戦直後の約3ケ月位、気懸かりになった事件の揉み消し策に全力をつくした。戦中に使っていた腕利きの現住民スパイ約800人を終戦とともに蘭軍側に協力させた。・・・・私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であった。これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍(オランダ軍)下士官の妻君5人の外、
現地人70人位をバリ島に連れてきた件である。下士官の妻君5人は、終戦後直ちに送り返したが、スラバヤ着と同時に現住民に殺されたとのことであった。この外にも、戦中の前後約4ケ年間に200人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命によりバリ島に連れ込んだ。
私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作資として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に効を奏したと見え、一番心配した慰安婦の件は一件も出なかった。
以下略