ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第3号 国内外裁判について   (その一)

 私の高校時代からの同窓生で旧友Y君は、ある分野では著名な弁護士である。彼の持論は哲学的であり、ユニークであり、常に的を突いていて興味深いものがある。彼とは共にあるテーマに関して、その講演普及のため欧米旅行をしたが、ある時「日本の六法全書は、明治維新以後、欧米の法律の翻訳で急いで採りこんだものである」と言った。私はそれにうなずけるものがあった。

 明治維新から欧米化政策の急速な注入で、近代化を図るため主に英米仏独の法律から日本に都合の良いと思われる国の法律を和訳して来たものであるが、それ自体は当時としては日本の採りえた方法であったと思われる。幕末から明治に入れ代わったのは、1868年(慶応四年=明治元年)であるがそれからたった140年しか経過していない。西欧の法制史の積み重ねから見たらたった140年である。

 一方第二次世界大戦、日本にとっては太平洋戦争の終結は1945年(昭和20年)8月15日であるが、ここで占領軍司令部のてこ入れで明治憲法から新憲法に変わったが、細かい六法は一部の日本化を除き骨子はほとんど明治以来の主として欧州の六法の和訳がそのまま継承された形である。これは六法にとどまらず、工業規格をはじめ様々なスタンダードにもその例がある。戦後だいぶ改変改善されたにしても、欧米の先進的規格に合わない、まさかの日本の旧態然とした明治時代の翻訳がそのまま残り続けていて、悩まされたケースが幾つかあった。時にはそれが日本のビジブル、インビジブルな規制のバリヤーにもなっていることもあった。

 私は1966年以来、欧州に住んでその日本との比較例を様々な形で体験してきたが、その事について日欧米の相違点、矛盾点を感じてきた。今後折があればその事について触れてみることにしよう。私の長年の体験的持論である「陸続きの国境を持たぬ大陸国」と「四海海洋に囲まれた列島孤島国」とでは歴史的に大差がある。後者に属する代表的なのは、日本、英国であるが地理的環境の類似点もあるが、この二つにも歴史的地政的大差がある。その理由は今後じょじょに紐解いていきたいと思う。

 そこで、先ず今回触れたいのは刑法についてであるが、かつて米ロサンゼルスで1981年に起きた銃撃事件で、日本での無罪確定後にサイパンで逮捕された元会社社長、三浦和義容疑者(60)について取りあげる。私はこの事件発生当初から制度上の幾つかの不備と矛盾を感じていた。それは、私が三浦和義容疑者の場合に特定して、マスコミに影響された色眼鏡で見るわけでは決してないことを先ず断っておく。戦後の日本は、日本人が絡んで海外で起きた刑事事件には捜査の手が及ばない体制から、腰が引ける時代があった事は否めないであろう。日本では刑法に限らず如何なる法律も、おしなべて事象(事件)の発生があってから動く後手、後手主義(局所対処手技)で予防主義思想哲学に欠けている面が多分にある。この事は以前警察庁等が募集した懸賞論文集(読売新)に採用された私の論文(当時の私のぺンネーム 織田信彦)にも書いたことがある。日本列島国内では、性善説・性悪説が適宜曖昧もことして混用され確然としない傾向がある。

真実は一つなり」という言葉は掲げても「真実は幾つかあるかも」にすりかわる事に矛盾を感じても、諦念で片付けてしまう傾向もある事は否定しがたい。私は国際特許に関するケースでは、日英大企業の委任状を貰ってロンドンの最高裁に二年以上掛かって二十数回近く法廷に出たが、そのなかで新旧訳聖書の中の判例とか、五百年前の中世の判例を引用するという、とてつもない歴史の古さと伝統を感じる論告は日本では考えられないものがあった。私は国際特許や商標の件でこれ以外に多くのケースにぶつかった。が、その一件、一件はそれぞれ日本列島国内人には興味深いものであるが今これ等の事例すべてを触れているわけにはいかないので後日にまわす。

 日本と欧州(EU)の刑法上の大きな主要相違点は二つある。つまり欧州(EU)の刑法には(1)「時効がない」ことと(2)「死刑がない」ということである。それぞれのお国柄の社会制度・宗教の事情もあって、リベンジ罰則思想に基づく死刑制度を維持する国々では考えられないことであろう。歴史的に見ると、先ず死刑廃止に踏み切った欧州(EU)は、キリスト教(ユダヤ教も含めて)思想国である。ドイツはナチス時代に大量のユダヤ人をホロコースト(大虐殺)した反省に基づいて死刑廃止思想廃止制度に踏み切った。死刑制度というのは伝統宗教に関係ないようでいて実は大いに関係がある。「目には目を」「歯には歯を」と言うコーランの教えに基づくイスラム思想からは、死刑制度は程遠いものに見える。ではアジヤの仏教国はどうかといえば、慈悲とか慈恵とか言いながらも、やはりイスラム教国に近いリベンジ罰則思想に基づいているのが現実である。陸続国境を持たぬ日本列島国が特殊なのは、実際には多神教国であって神道仏教地域土着信仰が織り交ざっているからで、世界では珍しい何でも万物神頼み教国である。戦国時代からそれに矛盾を感じていない風潮があった。

 特に日本列島国にあっては、死刑廃止論思想は賛否両論あっても反対論がまだ大勢を占めるのが現状である。私は死刑廃止国に長らく住んでいて、日本国の国情を想いこの点についてだけは思い悩んでいる。