◆先人のことば第19回◆

「誰もが口では進歩を唱えても、一人として慣例から抜け出せない」〜エミール・ド・ジラルダン

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 遅ればせながら、今年のアカデミー賞で2冠(作品賞・脚本賞)を獲得したアメリカ映画『スポットライト 世紀のスクープ』をDVDで鑑賞しました。ボストン・グローブというアメリカの地方紙が地元のカトリック司祭による性的虐待事件を調査したことが発端となり、実はこの犯罪が世界規模で行われ、数え切れない被害が隠蔽されてきたという事実をスクープ。結果的にカトリック教会の根底を揺るがし、2003年にピューリッツァー賞を受賞した実話の映画化です。

 かつて新聞社の編集局に務めていた人間としては、登場する記者たちの「ネタは足で取る」地道でタフな取材ぶりに、今や失われつつある“ブン屋魂”を見せつけられ、ある種の眩しさを感じたと共に、新聞記者独特の佇まいや雑然とした編集局の雰囲気に、日米共通のものを感じて思わず苦笑したりもしました。

 取材の信憑性が高まるにつれ、マイケル・キートン演じるデスクが、膨大な数の事件を示談にしてきた(つまり隠蔽させてきた)弁護士から証言を得ようとした際に、以前、問題が表面化した頃に資料を送ったのに、それを無視された経緯を告げられます。

 「なぜ、あの時問題にしなかった?」

 「自分でもわからない…」

 正義感溢れるベテラン記者が、事件が顕在化し始めた頃に取り上げなかった理由とは何か。映画では、彼を含め、多くの関係者に何らかの“バイアス”がかかっていたことを示唆します。相手がカトリックという強大かつ不可侵な組織であること。そして、関係者が全てボストンという典型的な地方都市の住民であること。そういった要素が無意識のうちに影響したのではないか。

 「加害者にも被害者にも家族がいるんだ」「結局誰かが傷つくのだから大ごとにしないほうがいい」「少し我慢すれば誰も苦しまずに済む」そんな事なかれ主義が積もり積もって、いつの間にか恐ろしい数の子どもたちが被害者となり、自殺や薬物中毒に追い込まれていきました。映画では決して「許されないこと」も日常化すれば「仕方のないこと」になってしまう怖さが語られていきます。

 よく自分たちが関わる業界を揶揄して「◯◯の常識は世間の非常識」などという人がいますが、これはなかなか便利? な言葉で、たいていどんな業界や組織に当てはまってしまいます。例えば今回の築地市場豊洲移転問題。◯◯の中に「都庁」「都議会」「役人」のどれを当てはめてもピッタリくる悲しさ。

 夢を希望を持って社会人となった若者が、最初に挫折するのが、明らかな「道義的問題」や「ルール違反」や「ごまかし」が組織にはびこっているのを目の当たりにした時でしょう。

 「コンプライアンス重視」などと表向きでは言っていても、正直にやっていたら競争には勝てない。だからお前も早く大人になれ!

 最初はおかしいと思っていても、先輩や上司の話を聞くうちに、やがてそういうものだと自分を納得させ、次の新人が入ってくる頃にはすっかり慣例として受け止め、いつの間にか後輩を諭すようになる。

 入社3年目ぐらいになると、焼き鳥屋で「ウチの会社の常識は世間の非常識」なんてクダを巻きながら、どこかで納得できない自分を誤魔化そうとする。かくいう私もサラリーマン時代はそんなものでした。

 そういった「非常識」の積み重ねも、うまくいっている時は黙認されますが、うまくいかなくなった場合、何かの機会に露呈して世間を敵に回すことになります。自動車メーカーの「燃費不正」や地方市議会の政務活動費なんてのも氷山の一角。

 結局どんな業界であれ組織であれ「悪い慣例」は早いうちに芽を摘むべきなのです。放置しておけば遅かれ早かれ必ず致命傷になります。

 そして、今後政界でも産業界でも求められるリーダーは「悪い慣例」を受け入れる人ではなく、それを否定し、何が正しいかという基準を自ら設けることのできる人なのではないでしょうか。特には溢れる情をもって、時には冷酷に徹しながら改革を推し進めていく…。

 現リーダーの安倍さんはもとより、ニューリーダーの小池さん、蓮舫さんにも大いに期待したいところです。(K)