ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第17号

 『チャリティー・コンサートとマザーテレサと赤十字』

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マザーテレサの歌詞

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マザーテレサ ノーベル平和賞受賞

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 北がチャリティー・コンサートにかかわった背景にはマザーテレサと赤十字があります。

 北広次郎がいまやってる、東北頑張れ支援チャリティー・コンサートを支援して下さる国際団体が、アフリカや東南アジヤ等の現地に学校を建てて寄付ようとしてる運動をしていますので、その延長で目下2011年9月東北支援コンサートを仕組んで来て、多忙ですが、同年11月にも再度行う予定ですので、それもあわせ仕組んでいます。

 皆様のお知り合いで、これらのチャリティー・コンサートのスポンサー的ご支援をしてくださる団体、個人の方々が居て下さくだされば幸いです。前売券は公演場所にもよりますが、一枚は4000円前後です。 とにかく今8月9月の東北支援のチャリティー・コンサートの前売券は、最後の2ヶ所を除き完売しています。

 その一つは横浜ですが、公演場所が決まったのはやっと先週末です。前売券はほぼ団体個人に売れる目処がついてるとうかがっています、有難いことです。

 9月の最後の東京のチャリティー・コンサートのケースは、当初の東京の公演予定場所を押さえるのが遅れたために、これから前売券の団体売りを始めます。お盆休みがあるので心配ですが、しかし目的遂行のためには、そんな事いっていられません。場所さがしにかかっていますが、チャリティー・コンサートの出演者の熱意もあり、後援者もそれに応えるべく鋭意努力中であります。

 これらのコンサートを行う真の目的は、おこがましいかもしれませんが、私たちは今後の日本孤島国、日本孤島に住む人々の将来のため、そして次世代社会を支える中核の大黒柱になってゆく、いまの幼児やお子さま達、青少年を皆で護り抜いて、何とか日本を世界における経済的外交政治的地盤の津波沈没を阻止防衛するため、英国のようなロイヤル外交を行う事を目指して行きたいという考えを持っています。

 2011年3・11で、八方海洋孤島国Jは、過酷でかつ重大なる神の試練をうけてしまいました。

 1920年英国生まれのフローレンス・ナイチンゲールは、クリミヤ戦争で博愛の精神に基ずき、敵味方の差別なく病傷兵の治療看護に活躍し、その影響をうけたスイスのアンリ・ジュナンの提唱により、万国赤十字社が日本の幕末の1864年に結成されました。

 日本は明治19年(1884年)に加盟し、最初は博愛社と称して居ましたが、後に日本赤十字社に改められました。赤十字のマークは白地に赤丸ではなく白地に赤色十字の形です。

 そこでクイズを出しますが、丸の内に十字を入れると何だかお分かりになりますか?  

 ここで、読むのを一時中断して上を向いて一分お考え下さい。ここで考えないでそのまま先を読まないで下さい。

 はいそれではご説明申上げます。実はそれ、九州薩摩藩の旗印なのです。というよりそれは鹿児島の薩摩藩主・島津家の丸に十字の家紋そのものなのです。

 幕末の慶応3年(1867年)パリ万国博覧会が開催された時、日本からは故あって『日本大君政府館』と『薩摩琉球政府館』が別々にオープンしたのでした。前者は徳川幕府、後者は薩摩藩島津ですが、見ての通り『薩摩』の下に『琉球国政府』がついています。つまり、『琉球(沖縄)王国』は独立国であり『日本大君政府館』=『徳川幕府』には臣属していない。片や『薩摩藩島津』は『琉球国王』も兼務しているということで、パリ万博事務局に届け出て、認知されてしまっていたのです。

 おまけに薩摩藩は『薩摩琉球国』の五文字を配して、五角形星のなかに丸に十字の島津家紋の入った『薩摩琉球王国勲章』を200個あまり、パリで製作させていて、それを各方面に配っていたので、薩摩琉球の人気はうなぎ上りであったといわれています。

 では次のクイズ、『白地に赤十字は? どこかで見たことないですか? どこでしょうか?』。 これもひとまず、この先を読むのをやめて、天井に目を向けて、腕組みしてもしなくてもいいから、30秒だけ考えて下さい。

 はい、『そうです。これはスイスの国旗に似てますね。』 そうなんです、これは赤十字社発議国のスイスに敬意を表してスイスの国旗をマークにしたのです。

 それでは更にもう一つのクイズです。『ナイチンゲール・デーって、何月何日か知ってますか?』これは多分難しいクイズでしょうかね。ご存知だったら最大の敬意を表します。その分野の職業に従事していらっしゃる方なら易しいでしょう。

『5月12日です』。これは1907年・1912年の国際赤十字会議でナイチンゲールの功績を記念して、万国赤十字社が決定した世界で優秀な看護婦に授与するナイチンゲール・メダル(記章)の事ですが、表彰式は隔年ごとに行われます。1820年5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日です。没年は1910年です。

 赤十字運動の理念とロイヤル外交の理念は、暖かく結びつくものであると思います。東北支援・チャリティーコンサートを支援しお引受け戴けます団体へ、ご紹介の労をとって下さる善意の方々のご支援ご助力を期待致したく存じます。

 私は過去15年前から、ユネスコやマザーテレサ・カトリック基金財団(インド)などへのチャリティー・コンサートも行ない、また別な機会にはバチカン省庁の長官達とも会談して来た事もあります。私はカソリックの洗礼こそ受けていませんが、名古屋の外国人の尼さん先生の多かったカトリックのテレジヤ天使幼稚園で育ちました。欧州言語では国によって、言語によって多少語尾が変化しますが、『テレジア』というのは『マザー・テレサ』の『テレサ』と同じ語源ですので、念のため。

 2010年名古屋でコンサートした時に確かめたら、このテレジヤ天使幼稚園が今でも健在であることをり知りましたが、時間がなかったので次回には是非訪ねて見たいと思いました。

 

 その代わり名古屋の知人が、そのカトリックの幼稚園から入学した小学校に案内してくれました、ちょうどその方の男の子と女の子が同じ小学校に通学してるいう偶然が重なりました。それでその学校をコンサートの翌日の午後訪問しまして、副校長先生などの歓迎を受けました。その校庭に男の子、女の子が両手を挙げてたってる等身大ブロンズ像が建っていました。その台の脇に回って見たら、トヨタ自動車の豊田社長さんの名前が刻まれていました。

 この学校の出身者がPTAの役員をなさってるようでした。いまは愛知教育大学付属小学校といい、私が戦前入学したときは愛知県立付属師範国民学校という名前でした。

 一学年東組・西組と2クラスしかとらない学校でしたが、私は東組に入りました。校庭にはゼロ戦の戦闘機の使い古しが置いてありましたのを記憶してます。それに乗って遊んでいました。また校庭では下士官がきていて、みんなで綱引きみたいに、グライダーを引っ張らされた事を憶えています。

 その時はまだ真珠湾攻撃の直後だったと思いますが、入学したころはまだ私の周りは平和でした。しかし程なくして、平和でない不穏な空気に変ってきました。やがて日本国土に焼夷弾が雨あられのように連日連夜降り落とされるようになり、毎晩両国の大花火大会を見ることになりました。それで信州へ疎開する事になったのです。

 しかし私の一家はその疎開のタイミングはまことによかったのです。がしかし一週間後に私の住んでた住宅街は空爆されて、幼馴染みも犠牲になってしまったニュースを聞かされても、まるでピンときませんでした。

 戦後ルネクレマン監督のフランス映画『禁じられた遊び(Jeux interdis)』を観たとき、二軒隣の幼児の女の児と全く同じことをやってた淡い思い出が鮮烈に甦ってきて、実に奇妙な感覚に襲われました。その児には幼い弟がいました。ある時その家に行きましたら、なんとなく奇妙な雰囲気を感じました。玄関から見える畳の間に小さい布団が敷かれていて、その中にその弟が横たわり、顔には白い布が被されていて、じーっと寝たまま身動きしませんでした。蕁麻疹が出て寝てたのは覚えてますが、今度はちがっていたようで、戦時中ことで風邪をこじらせ肺炎の上に栄養失調で夭折してしまったことを後から知りました。

 その時、私もまだ死ぬという事が何か、まるでピンと来ない幼児でした。小学生になり、私の一家は疎開しましたが、一週間後にその女の児も両親や祖父母とともに空爆の犠牲になりました。

 友人が送ってくれた東北大津波震災の跡地の光景を見て、私はあの戦時中の連日連夜の空爆を思いだしました。福島原発の事故の光景を見たら、なお更第二次世界大戦=太平洋戦争のあの最中と、焼け野原を想起せざるをえませんでした。

 戦後私はその時の光景をできるだけ意識と無意識のせめぎあいの狭間にありながら、表向きの頭の中では封印して来ました。深層心理の葛藤の跡です。しかし、今度の東北大震災と福島原発事故は、心の深奥部の自己封印の帳を完全に引き剥がされた感じです。あまりにも戦中戦後の光景に似すぎているからです。戦後60年余の時間帯の長さがあっという間に0.0001秒で吹き飛んでしまいました。奇妙な呆然と茫然の時間と空間の狭間の真っ只中に、いきなり突き落とされた不思議な感覚ななりました。

 そんな体験のトンネルを抜けて終戦を迎えた後に、中高時代を迎えカトリック教会でフランス人神父ペール・ダニヨンからフランス語の個人教授を受けてきました。また高校でも第二外国語はフランス語を選んでいました。その後東京の文化学院の中のアテネフランセに通いました。大学受験の時は、受検外国語は英語とフランス語のどちらにすべきか迷ったが、結局フランス語を選択してロシヤ科に入りました。更に中学の時ハワイ大学出身の日系二世の女性が経営する英語塾にも通ってていましたが、同時に無教会派キリスト教の英会話教室にも通いました。無教会派のキリスト教は教会は持たないが、米国人牧師の牧師が施設を借りて、そこを教会に見立てて布教するもので、この牧師さん達は自国では本職があるのですが、本職を一年か二年休業して、海外に派遣されて来て布教活動をおこない、それが英会話教室を兼ねるのでした。

 一番長続きしたのはのはフランス人のダニヨン神父でした。年末クリスマスイブなどに城山の結核患者ホスピス病棟の雪の降ってる夜の裏庭に立って、手には炎揺らめくキャンドルを握りしめて、賛美歌を合唱したりすると入院患者が窓から覗き見てるのでした。れに参加しながら、当時マッチ売りの少女を髣髴させられていました。

 また、缶カラを握って雪の街頭でで募金を呼びかけたりの活動をしたりしていました。今やってるチャリティー・コンサート活動も、結局子供の頃や少年時代にやってた事のその延長です。

 ナイチンゲールの生存中にもしノーベル賞が設立されていたら、彼女は完全にノーベル平和賞を受賞していたでしょうが、その移り身の象徴的存在はマザー・テレサでした。

 北 広次郎はマーキュリー・ミュージックエンターテインメント(株)ポリグラム(株)で、ゴダイゴのタケカワ・ユキヒデ氏編曲歌と奈良橋陽子さん詩、北広次郎曲で共作で出版した『ねえマザー・テレサ』のシングル版ポップCDの写真が出ています。

 これは三人のコラボで作詞作曲編曲されたやさしい歌で、子供から大人までやさしく唱えるもので、CDはタケカワ・ユキヒデ氏が二人の愛娘とともに合唱しています。やさしい歌ですから子供さんと口ずさんでいただけるようにと作られました。

 この歌はマザー・テレサ追悼一周忌に、東京全日空ホテルで記者を集めて発表されたものです。 マザー・テレサとダイアナ妃は大変親密な仲でした。命日も一週間位の差でしたと思います。私はダイアナ妃の葬儀はビートルズ゛の発祥地・英国リバプールのカトリック大聖堂、プロテスタントの大聖堂の双方でたまたま参列しました。

 さて、このCDには次の後日談があります。今回は奈良橋陽子さんがこの歌のために書いてくださいました英語版のバージョンがありますのでそれを紹介します。このCDをプロデュースされた山田広作さんは、マイケルジャクソン氏にこれを歌って踊って貰うのだといって、かなり長い間ハリウッドのプロダクシンを通じ、真剣に接渉を重ねておられました。しかし、その実現の前にマイケルは不慮の薬害事故で亡くなってしまいました。

 マイケルが亡くならなかったら、その直後には大々的な英国公演が企画されていましたので、その前ぶれのフィーバーが英国全土にまるで津波のように広がっていました。すでに前売券はプレミアムもついて完売されていました。それだけにこの突然の不慮の死は、それこそ想定外の衝撃の波紋を英国全土に与えました。そして永久に幻の前売券にってしまいました。

 マイケルは、ひところビートルズのジョンレノンの音楽著作権や英国リバプール港に在るビートルズ・ミュージアムの権利を持っていました。それだけに英国への思いいれはひとしお強いものがありました。幼少時代、ビートルズに憧れ影響を受けてマイケル・ジャクソンが誕生したといえるでしょう。