コインハイブ事件における弁護活動
電羊法律事務所 弁護士 平野敬
本稿は『Wizard Bible事件から考えるサイバーセキュリティ』に寄稿するため執筆した未校正の文章です。同書に掲載されているものが正式版です。他にも有益な記事がたくさん掲載されていますので、興味をお持ちの方は同書をご購入ください。
本稿はコインハイブ事件において筆者がおこなった刑事弁護活動につき、その体験をまとめたものである。想定読者として2つの方向を意識している。
第1に、筆者同様にIT関係の複雑な事件について刑事弁護を受任することとなった弁護人[1]に対し、指針と手がかり、あるいは批判的教訓を提供することにある。
刑事弁護とITは食い合わせが悪い。今日、得意分野としてIT関係を掲げる弁護士はありふれているし、司法試験を受ける前にはIT関係の会社に勤めていたという人も少なくない。他方、刑事弁護の世界で研鑽と名声を積み上げている弁護士も数多い。しかし、この積集合、すなわちITと刑事の両方について実績のある弁護士となると極端に数が少なくなる。大多数のIT系弁護士は企業法務を中心とする民事事件を志向しており、刑事については経験が乏しい。研修で義務付けられた最低限の国選を受けた経験があるだけという人も含まれる。
さらに、そもそもIT絡みの刑事事件という存在自体がマイナーである。筆者の知る限り、司法試験で不正指令電磁的記録供用罪や電磁的記録不正作出罪が出題されたことはないし、刑法各論の教科書を紐解いても記載は数行程度しかない。ごく普通に司法試験を受けてごく普通に弁護士になった場合、これらの罪名を意識する機会すら乏しいと思われる。
かくいう筆者も、弁護士として一応ITを主軸業務としてはいたものの、コインハイブ事件以前の実績としてはもっぱら企業法務を含む民事事件に集中していた。刑事については経験が薄く、IT絡みの刑事弁護というのは初めてであった。
コインハイブ事件の受任当時は独立間もない時期であった。経験も資源も乏しい中ではあったが、試行錯誤を繰り返して弁護活動をおこない、周囲の支援や幸運にも恵まれ一定の成果を出すことができた。その思考や行動の軌跡を記し、後世の一助としたい。
第2に、IT関係の刑事事件について被疑者・被告人となった者、あるいは将来的にその可能性がある者に対し、未知の世界であろう刑事手続の知識を提供することにある。すべてのITエンジニアは潜在的に被疑者・被告人となり得るのであるから、ITエンジニア一般が想定読者ということになる。
刑事弁護の観点からすると、IT関係の事件における被疑者・被告人というのはかなり特殊な類型である。大学卒や大学院卒といった高学歴者が多く、記憶力や抽象的思考力が高い。有名企業に勤務して相当の収入を得ている者も少なくない。前科前歴がなく、少年時代も含めて警察のご厄介になったことがない。つまりいわゆる「いい子」であって、秩序を重んじ、穏和で従順である。
こうした特性は一般に美徳とされるものであるが、反面、被疑者・被告人としては弱点ともなり得る。大声で威圧されること、狭い留置場や取調室に長時間閉じ込められること、敵対的な尋問を受けること。彼ら彼女らにはこうした局面への耐性がほとんどない。
エンジニアとしての良心が枷になることもある。たとえば、「ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こす可能性が絶対にないと言えるか」と質問された場合、エンジニアとして誠実な応答は「絶対にないとは言えない」だろう。理論的にはそれで良い。しかし取調べでこう答えた場合、あなたの調書にはこう書かれることになる。「私は、この羽ばたきが竜巻を引き起こす危険なものかもしれないとあらかじめ認識していました」。誠実な議論に慣れているがゆえの陥穽である。また、自己の無知を率直に認め、他人の専門性を重んじるエートスを叩き込まれているために、捜査官[2]が説明した法的手続やその根拠を特に疑うこともない。
後述するように、刑事事件においては後から劣勢を覆すというのが非常に難しい。あなたが被疑者として取調べを受けることになった場合、むろん遅からず弁護人を選任して身を守ろうとするだろう。しかし弁護人が動き出すまでに、すでに取られてしまった調書により、全ての選択肢が失われていたということもあり得る。本稿の記載が、ITエンジニア各位において「もし自分が罪に問われたらどうするか」という将来の備えになれば幸いである。
筆者はコインハイブ事件に関し6人の依頼者から弁護人として選任された。うち1人が「モロ」さんであり、最初の依頼者である。モロさんについてはマスメディア等で大きく報道され、本人も積極的な発言をおこなっていることから、本稿では特にフェイク表記などは行わない。
他方、他の5人については不起訴に終わっている。個々人の特定を防ぐため、あえて各自の事件を分けて書かず、一体として記載することとする。
正規の教科書ではないので、個々の法的概念について都度詳細に定義を詳説することはしない。もっとも、ITエンジニアを想定読者とする以上、初学者への配慮も必要である。最低限、誤解や混同を招きかねない点については本文または脚注で補うこととする。
2018年3月29日、筆者はモロさんから「ウイルス罪について相談したい」という趣旨の電子メールを受信した。メール内には、友人からWebに詳しい弁護士として筆者の紹介を受けたこと、同年2月からモロさんが警察の取調べを受けたこと、被疑事実[3]はウェブサイトに仮想通貨のマイニングをおこなうJavaScriptを設置したというものであること、罪名は不正指令電磁的記録保管罪[4]であること、3月に略式手続で罰金10万円の刑を言い渡されたこと、略式命令[5]に対する異議申し立ての期間は4月12日までであることが記載されていた。
この時点での筆者の内心としては、弁護人を引き受けることについてかなり消極的であった。事件の見立てをさておくとしても、この相談時点で、弁護人としてできることがあまりに限られていた。
刑事弁護人の仕事は3段階に分けて考えられる。
第1に、立件前の段階である。何らかの法的事態が生じたとき、警察が捜査に着手する以前に解決して事件化することを防ぐ。
第2に、起訴前の段階である。捜査弁護とも呼ばれる。刑事事件の捜査は、一般に
という流れを辿る。弁護人としては、終局処分が決定されるまでの間に、有罪方向の証拠を与えず、または無罪方向の証拠を揃える。また、たとえば被害者がいる事件であれば被害弁償や示談交渉をおこなう。こうして検察官に起訴させないことを目的とする。
第3に、起訴後の段階である。公判弁護ともいう。被疑者[7]が起訴されたのち、刑事裁判において無罪を勝ち取り、あるいは刑を軽くすることを目指す。
容易に想像できるとおり、後工程になるほど弁護人ができることは少なくなっていき、不利となる。起訴された被疑者の有罪率は99%を超えている[8]。つまり、公判弁護のみで勝負する場合、単純に考えて勝率は1%に満たない。
本件はすでに略式命令で罰金10万円が言い渡されている。このまま10万円を納付すれば全てが終わる。弁護士費用や裁判の時間拘束を考えれば、仮に弁護人を選任して正式裁判を請求しても、経済的合理性はない。それでいて勝ち目は残念ながら薄い。つまり、損得勘定から言えば戦う意味がない。
人によっては「相談し損だった」という不満もあり得るので、モロさんには法律相談実施前にあらかじめこのことを告げた。しかしそれでもとのことであったので、面談の上、正式裁判を受任することとした。
各種不利益を承知の上で、正式裁判を求めた経緯や動機についてはモロさん自身があちこちで発表しているので、詳細はそれらをご覧いただきたい。そもそも、モロさんが紹介を受け、筆者に相談することを決めたきっかけは、筆者が以前担当したUQ WiMAX訴訟[9]であった。大企業の不当な営業方針に抗議する消費者訴訟である。勝算や利益だけでそろばんを弾けばスマートでないかもしれないが、情報通信業界をこのままにしてはいけないという危機感で戦い、勝利を得た。モロさんが戦うパートナーとして筆者を選んでくれたのであれば、その心意気に応えないわけにはいかない。
期限が迫っているため、受任後ただちに正式裁判請求書を裁判所に提出した。いずれ裁判所から指定されるであろう公判期日[10]までに、正式裁判で戦うための材料集めをおこなう必要がある。
この時点で筆者はコインハイブについて何も知らない状況であった。そもそも仮想通貨[11]についてもよく知らなかった。モロさんからの聴取と併せ、まずコインハイブの公式サイトを閲覧して機能説明をざっと眺め、だいたいの知識を得た。筆者の理解したところでは:
以上を見たとき、擬律判断[12]に引っかかりがあった。コインハイブは一般的なJavaScriptプログラムの範疇を超えるものではない。設置されたウェブサイトにそれと知らずにアクセスした人にとっては、CPUパワーを使われるという点で不愉快かもしれないが、それも程度問題だろう。筆者自身、学生の頃はウェブサイトを自分でいじり、JavaScriptを使ってマウスカーソルを追尾する流れ星を置いてみたり、「〇〇のホームページへようこそ!」をブラウザのステータスバーに電光掲示板のように表示させて喜んだりしていたが、それと大差ないように思われた。迷惑スクリプトとして非難されるのは、まあ、わかる。しかし刑事罰を受けるようなものだろうか。
モロさんがウェブサイトにコインハイブを設置したことは本人も認めており、争いようがない。とすれば、今後の裁判における争点は「コインハイブは刑法上の不正指令電磁的記録にあたるか」という点にもっぱら絞られる。そこで、コインハイブについての技術的な分析と、不正指令電磁的記録に関する罪についての法学的調査を並行して進めることにした。
公式サイトに書いてあることをそのまま信用するわけにもいかない。もしかしてコインハイブ内に情報漏洩等のマルウェア的な機能が仕掛けられているかもしれず、そうなれば「不正指令電磁的記録にあたらない」という主張が封印される。
コインハイブはJavaScriptなので、ソースコードは公開されている。筆者も多少はコードを読めるが、しょせん素人の域を出ない。ましてコインハイブはマイニングという見慣れない処理を挟む上にWebAssemblyを多用しており、とても読めた代物ではなかった。そこでJavaScriptに慣れたエンジニアに鑑定を依頼する必要があった。
とはいえ、都合よくソースコードの読解や機能分析をしてくれる人に心当たりはない。以前、道路工事にまつわる粉塵被害の民事裁判をおこなった際、専門業者に科学鑑定の依頼を出したことがあったが、プログラミングについてそうした鑑定業者が存在するのかどうかもわからない。費用や時間の問題もある。鑑定に何十万円もかかるようではモロさんの負担が大きすぎるし、何カ月もかかっていては裁判までに間に合わないかもしれない。
伝手を辿って探索した結果、筆者の学生時代の友人に頼むことにした。名の知れたWebエンジニアであり、著書もある。能力実績として申し分ない。借りひとつということで依頼し[13]、コインハイブのコードを読んでもらった。
彼から「不正な挙動をおこなうコードは見られなかった」との報告を受け、ひとまず最初の問題はクリアした。
まず不正指令電磁的記録に関する罪の条文を概観しておこう。本件の罰条である保管罪は次のように定められている。
第百六十八条の三 正当な理由がないのに、前条第一項の目的で、同項各号に掲げる電磁的記録その他の記録を取得し、又は保管した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
「前条」にあたる刑法168条の2第1項には次のように定められている。
第百六十八条の二 正当な理由がないのに、人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録
二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録
ここから、不正指令電磁的記録とは「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録」を指すことがわかる。「意図に反する動作」「不正な指令」といった単語が構成要件[14]として重要であることもわかる。
しかしその内容は、日本語の知識だけからは読み取れない。意図とは何か。不正とは何か。こうした場合に解釈の指針となるのが、裁判例、学説、立法趣旨等である。権威ある教科書やコンメンタール[15]に目を通すのは当然として、以下のような調査もおこなった。
不正指令電磁的記録に関する罪(刑法168条の2、168条の3)は比較的新しい犯罪類型である。2011年(平成23年)の刑法改正で新設された。裁判例も学説も蓄積が乏しいため、まず立法時の議論にあたるべきと思われた。
刑法改正時の法案提出理由には次のように記載されている(下線付加)[16]。
近年におけるサイバー犯罪その他の情報処理の高度化に伴う犯罪及び強制執行を妨害する犯罪の実情に鑑み、情報処理の高度化に伴う犯罪に適切に対処するため、及びサイバー犯罪に関する条約の締結に伴い、不正指令電磁的記録作成等の罪の新設その他の処罰規定の整備を行うとともに、記録命令付差押えの新設その他の電磁的記録に係る記録媒体に関する証拠収集手続の規定の整備等を行い、並びに悪質な強制執行妨害事犯等に適切に対処するため、強制執行を妨害する行為等についての処罰規定の整備を行うほか、所要の規定の整備を行う必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
ここから、サイバー犯罪条約が刑法改正の理由のひとつであることがわかる。サイバー犯罪条約(日本は2001年署名、2011年当時未批准[17])は、コンピュータ・ウイルスの作成等を処罰するよう締約国に義務付けるものであるが、日本はウイルス作成等を処罰する法律がなかったため、長らく批准ができないでいた[18]。これを補うために刑法改正がなされたわけである。とすれば、刑法にいう不正指令電磁的記録は、サイバー犯罪条約上のコンピュータ・ウイルスと関係があるのではないかと考えるのが自然だろう。
次に、刑法や情報法に関する研究者であって、不正指令電磁的記録に関する著書や論文のある方をリストアップして、お話をうかがった。不正指令電磁的記録における「意図に反する」(反意図性)と「不正な」(不正性)の関係や、各構成要件要素の該否の基準、本件におけるあてはめについてお聞きするのが目的である。
お話をうかがった一人が国立研究開発法人産業技術総合研究所の高木浩光氏である。筆者にとっては「ひろみちゅ」の異名と「こんにちわ〜o(^^)o」の挨拶で親しみ深い。古くからインターネット・セキュリティ業界の第一人者として名を馳せてきた人物であり、2011年の刑法改正に際して国会に参考人として招かれた経験をもつ。コンピュータを用いた犯罪を許さない厳しさがあると同時に、LiraHack事件[19]のように捜査当局がエンジニアに対し過度に刑事罰を適用して萎縮させることへの危機感も備える。本件について相談するのにまさに最適な人物であった。高木氏は面識のない筆者からの相談にも快く応じてくださり、法改正時に国会でなされた議論や本件についての見立てをお聞きすることができた。
これらの調査に基づいて、裁判で争うべきポイントを整理した。
先述のとおり、モロさんがウェブサイトにコインハイブを設置したことは事実であるから、問題はコインハイブが不正指令電磁的記録にあたるかという点に限られる。
まず「不正指令電磁的記録」という概念は相対的であることに留意する必要がある。たとえば記憶装置内のデータを消去するプログラムは、ハードディスク処分用などとして正しく提供されれば不正指令電磁的記録にあたらないが、人を騙して実行させるため提供されれば不正指令電磁的記録に該当する[20]。つまりプログラムの利用実態や提供の文脈に依存するものであって、ソースコードだけから該否を判定することはできない。
「意図」は明示的な承諾を得たものに限らない。ウェブサイトを閲覧する際に出てくるポップアップ広告は、「通常、インターネットの利用に随伴するものであることに鑑みると、そのようなものとして一般に認識すべき」であるから、閲覧者が明示的に承諾していなくても「意図に反する」とは言えない[21]。
「不正な」は、社会的に許容すべきプログラムを処罰対象から外すための要件とされる。たとえばソフトウェアのアップデートパッチを強制的に適用するような場合が、ユーザの「意図」には反するが「不正な」とは言えないとされている[22]。ただ、どんな基準をもとに社会的に許容すべきと言うのかについては文献も裁判例も沈黙している。そこで、不正性の解釈においてはサイバー犯罪条約において規制されているプログラム類型[23]を参照することにした。
「人の電子計算機における実行の用に供する目的」とは、「単に他人の電子計算機において電磁的記録を実行する目的ではなく、人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせない電磁的記録であるなど当該電磁的記録が不正指令電磁的記録であることを認識認容しつつ実行する目的」をいう[24]。ユーザの意図に反すること、不正であることの認識が必要だということである。
こうした解釈を前提に、本件についてはおおむね次のように条文をあてはめて考えるべきだと立論することにした。
コインハイブはウェブサイトに設置されるJavaScriptプログラムである。今日、大半のウェブサイトには何らかのプログラムが埋め込まれており、閲覧者はどんなプログラムがあるかを事前に知らずにウェブサイトにアクセスする。こうした利用実態からは、ウェブサイトの閲覧者はJavaScriptの実行について黙示の承諾をしていると考えられる。
コインハイブは情報漏洩やシステム破壊などの積極的な加害を引き起こさない。計算資源の一部を使うだけであり[25]、しかもウェブサイトから離脱すれば実行は止まる。仮に反意図性があったとしても、社会的許容性を逸脱する不正なプログラムとは言えない。
モロさんはコインハイブが不正指令電磁的記録にあたると認識・認容してウェブサイトに設置したわけではない。設置したのはモロさんが長年かけて運営してきた愛着のあるウェブサイトであった。サイト閲覧者の反感を買いかねない「意図に反する」「不正な」プログラムを設置する動機に欠けているし、現に閲覧者からのクレームは1件もなかった。
モロさんが正式裁判を申立てたことが大きな話題となり、新聞などでも報道された[26]。その結果、同様にコインハイブ使用について取調べを受けている人々から筆者に対して相談が寄せられ、結果としてモロさんに加えて5人の弁護を引き受けることになった(以下総称して「依頼者」と記す)。モロさん以外は捜査段階にあり、検察での終局処分まで至っている者はいなかった。いずれも在宅事件[27]である。
時系列的には前後するが、記述の順序としてわかりやすいと思われるので、ここで捜査弁護に話を移す。
先述のように、終局処分が決まる前の弁護人の使命は「検察官に起訴させない」ことである。一度起訴されてしまえば有罪率は極めて高い。その反面、事件の見立てに不安があったり、十分な証拠が揃っていない事件については、検察官は起訴を躊躇する。万一、起訴した上で無罪判決が出ると、起訴した検察官の責任問題となってしまう[28]。
そのため、「できるだけ証拠を揃えさせない」「間違いなく有罪がとれるという確信を動揺させるロジックを提示する」という2点が重要である。
むろん公務執行妨害や証拠隠滅に加担するわけにはいかない。弁護人自身が罪に問われてしまう。また、捜査機関に対して挑発的な対応を繰り返すと、依頼者に対する捜査や処分の過激化を誘発するリスクも否定できない。このため、法の枠内で、かつ依頼者の大局的な利益に配慮しつつ、目標を達成するというバランス感覚が求められる。
本件では次のような活動をおこなった。
コインハイブ使用者に対する捜査は、複数の都道府県警が連携して全国的に行われており、その本部は神奈川県警の港南署に設置されていた。依頼者への取調べも主に港南署で行われていた。筆者の事務所は東京都町田市にあり、港南署へのアクセスは悪くない。
捜査機関での取調べは調書[29]としてまとめられ、証拠化される。自己に不利益な事実の承認を自白[30]といい、内容に自白を含む調書を自白調書という。取調べの究極的な目的は自白調書を作成する[31]ことと言ってよい。「自白は証拠の女王」[32]と呼ばれ、証拠としての重要度が飛びぬけて高い。一度自白調書を獲得されてしまうと、それを後から覆すのは極めて困難である。のちに否認に転じても、「最初は素直に自白していたのに、後で保身のために嘘をつくようになった。最初の自白のほうが信用性が高い」と評価され得る。
しかし素人が捜査機関の尋問に抵抗するのはほぼ無理である。むろん、殴る蹴る火責め水責めの拷問がおこなわれるわけではない。だが狭い取調室[33]で、何時間にもわたり厳しい質問を受け続けた経験のある人などほとんどいない。次第に酸欠と疲労で脳が朦朧とし、抵抗する気力も失われる。調書の中に何か引っかかるような記述があっても、「早くここから解放されたい」との思いで署名してしまう被疑者は多い。
このため、弁護人としては、いかにして自白調書をとらせないか、という課題がある。
日本の刑事手続において、取調べにおける弁護人の立会権は保障されていない[34]。しかし逆に弁護人の立会いが禁止されているわけでもない。たとえば警察の内部規則である犯罪捜査規範180条2項は次のように定めている。弁護人の立会いが想定されているわけである。
取調べを行うに当たつて弁護人その他適当と認められる者を立ち会わせたときは、その供述調書に立会人の署名押印を求めなければならない。
つまり弁護人の立会いを拒絶するのは捜査機関の意思であって、法制度上、立会いできないわけではない。そこで、基本的な弁護路線としては「取調べにおいては弁護人の立会いを条件とする」と申し出て、不利な調書を巻かれないよう監視するという手が考えられる。隣に自分の味方がいるということは、被疑者の心理的な支えにもなる。
ここで悩ましいのが逮捕リスクである。本件は在宅事件であり、依頼者の身柄は拘束されていない。マスメディアに実名報道されてしまう危険や、職場や家族への印象を考えれば、逮捕・勾留されることは絶対に避けなければならない。
そして、警察の出頭要請を無視し続けると、逃亡のおそれありとして身体拘束に発展してしまう可能性がある。一応、被疑者が弁護人の同席を求め、それが実現しない場合には警察に出頭しないと主張し、現に出頭しなかった事例について「逃亡すると疑うに足りる相当の理由はない」と示した裁判例はある[35]……が、下級裁判例であり、権威としては弱い。
そこで筆者は内容証明郵便で「取調べにおいては弁護人の立会いを求める」と港南署長宛に送付し、しかるのちに警察から出頭要請のあった日に依頼者と一緒に警察署に出頭した。そして窓口で「要請に応えて出頭した。弁護人の立会いが認められればこのまま取調べを受ける。しかし立会いを拒絶するのであれば帰宅する[36]」と告げた。これで形式的には出頭拒否にならない。そして案の定、立会いを拒絶されたためそのまま帰宅した。むろん警察とのやり取りは全て録音している。無駄だが、必要な工程である。
これを数回繰り返した上で警察と交渉し、「取調室での同席は認めない。弁護人には取調室前の廊下で待機してもらう。しかし1時間に1回必ず休みを入れ、依頼者と弁護人が会話できるようにする」という譲歩を勝ち取った。休憩のたびにチョコを1粒渡し、体操をさせ、依頼者の脳に酸素と糖分を送り込むようにした。結果として不本意な自白調書を巻かれることを抑止できた。
立会いにおいて印象深かった出来事がある。取調べの最後に、依頼者は警察から口腔内細胞と指紋の提出を求められた。依頼者は「それは義務なのか」と質問し、警察官は「やってもらう決まりになっている」と答えた。むろん法律上の義務ではない。令状がなければ強制できない[37]。そして警察官の答えも、おそらく(警察の内部ルールとして)そういう決まりがあるのは本当だろう。嘘をつかずに誘導する見事なテクニックだ。知らなければ義務だと思い込み、「任意に」提出することだろう。
依頼者の中には受任中に捜索差押[38]を受けた者もいた。まだ朝早く、依頼者から私の携帯電話に着信があったので出ると「いま家の前に警察がいる」という。急いで駆けつけたが、到着時点で依頼者宅の扉は開いており、警察は依頼者宅の中で捜索差押を開始していた。筆者は依頼者宅に入ろうとしたが、警察によって押し出されてしまった。起訴前の弁護人には捜索差押の立会権が保障されておらず[39]、警察は捜索差押中の出入りを禁止することができる。
もっとも、わずかな時間、依頼者と顔をあわせることはできたため、最低限の助言をおこなった。
まず録画の趣旨であるが、不当な捜索差押が実行されることを抑止するためにおこなう。建前上、捜索差押は令状に基づいておこなわれることになっているし、令状には対象範囲が記載されることになっている。また実行前に令状を示すことになっている[40]。しかし本当にちらっと一瞬見せるだけでコピーの交付などはない。このため本当に令状通りに捜索差押が実施されているのか、依頼者の側からはわからない。もし、捜索差押中に暴言や破壊など不当な行為があったとしても、証拠がなければ抗議のしようがない。そこで録画するわけである。動画撮影していると警察官から「やめろ」と言われがちだが、これは任意のお願いであって法的な命令ではないから従う義務がない[41]。
いずれ事件が終了したのちには、差押えを受けた物品が還付される。しかし還付された物品が元通りであるとは限らない。手荒く扱われて壊れてしまっているということもある。この場合、補償を求めたいところだが、証拠がなければ「差押えを受けるまでは正常だった」ということが証明できない。「元から壊れていた」と言われたらそれまでである。こうした場合にも録画があれば役に立つ。
被疑者自身のスマートフォンは、まず間違いなく差押えの対象となる。このため、自分のスマートフォンで動画を撮影しても機器ごと持っていかれてしまい、目的を達成できない。同居家族に撮影してもらう、あるいはデジタルカメラなど他の機器で撮影するのが望ましい。
情報機器の多くにはログイン認証やデータ暗号化の仕組みがある。
指紋や虹彩を用いた生体認証については、捜索差押と身体検査の令状を組み合わせて使用することで、強制的にこれを解除させるという方法が知られている[42]。他方、IDやパスワードを無理やり言わせる令状というのは存在しない。
一応、刑訴法111条の2は次のように定めている。
差し押さえるべき物が電磁的記録に係る記録媒体であるときは、差押状又は捜索状の執行をする者は、処分を受ける者に対し、電子計算機の操作その他の必要な協力を求めることができる。
この「協力」には暗号化されたファイルの復号化なども含まれるが、協力を拒否したとしても制裁はない[43]。
IDやパスワードを「任意に」入手できなかった場合、警察としては厳しい状況に追い込まれる。これを避けるため、警察官向けの文献では、「犯罪の立証に重要な資料となるPCが、実際にユーザによって使用されている「ライブ」の状態であるときに捜索に着手し、PCがライブである状態で差し押さえることができるよう、着手日時を慎重に検討すべきだろう」と指導されている[44]。
捜索差押によって持ち去られた物は、事件が終了されれば自動的に還付されるが、それ以前に還付請求することもできる。刑訴法123条1項・222条1項によれば次のとおり。
押収物で留置の必要がないものは、被告事件の終結を待たないで、決定でこれを還付しなければならない。
筆者は依頼者宅から押収されたパソコンなどについて警察に還付申立てをおこなった。持ち去ったはいいが、依頼者がパスワード開示を拒否したため内容を確認できず、警察署内で何カ月も塩漬けになっていたものである。警察は当然、捜査未了として還付を拒否したため、裁判所に対して準抗告を申し立てた[45]。
争点は「パスワードが開示されず、このままずっと解析される見込みのない物品は『留置の必要がない』と言えるか」である。
裁判所は次のように判示して、還付を命じた[46]。
…本件各押収物件の押収から現時点までの約9カ月間に、被差押任からパスワードを開示させる以外の方法により上記解析を実施するということはされていないし、今後そのようなことがされる予定があるとも認められない。このような経過に照らせば、上記解析が実現する見込みがあるとは認められないといわざるを得ない。
そうすると、本件各押収物件はこれを留置しても、証拠として利用できる見込みがなく、留置の必要があるとはいえない。…
前節において論じたとおり、コインハイブが不正指令電磁的記録にあたるか否かについては議論の余地が大いにある。筆者は意見書を作成し、終局処分をおこなう検察官に提出した。意見書の中では前提知識tたるインターネットの仕組みやクライアントサイドスクリプトについて説明し、法解釈やあてはめを論じた。
結果として、前述のとおり、依頼者5人について全員不起訴処分を獲得することができた。
2018年4月2日、筆者は横浜簡易裁判所[47]に対し正式裁判請求書と弁護人選任届を提出した。期限は4月12日までであったが、郵便事故や事務ミスが恐ろしいので早目に動くに越したことはない。4月10日、横浜簡易裁判所から本件を横浜地方裁判所に移送するとの決定が下され、横浜地裁からは本件を合議[48]で審理するとの決定が通知された。また、公判前整理手続[49]に付されることが決定した。
公判前整理手続期日を開始する前、4月23日に3者による打合せ期日が開かれることになった。公判前整理に入ると検察官と弁護人との間で証明予定事実記載書の応酬が始まる。その前に、裁判官としてはコインハイブの何が争われているのか全貌を把握しておきたかったようである。
絶好の機会であるので、筆者はプレゼン資料を用意して持参し、インターネットやJavaScriptの仕組みについて下図のように説明に努めた。いらすとやには大変お世話になった。
5月から2019年1月にかけて、おおむね1カ月おきに、7回にわたって公判前整理手続期日が開かれた。検察官から予定主張記載書面が提出され、弁護人からその反論書面を提出し、検察官がさらに再反論書面を提出するという工程が繰り返された。刑事でありながら民事訴訟に似たプロセスであったので[50]、民事に慣れた筆者としてはむしろ親しみやすかった。
検察官からは甲号証・乙号証[51]併せて約20件の書証が証拠申出された。
この中には、一般財団法人日本サイバー犯罪対策センター(JC3)においてコインハイブの動作を検証した報告書が含まれていたが、その検証方法には問題点が多かった。たとえば、モロさんはCPU使用率を0.5(50%)として設置していたにもかかわらず、JC3の検証においては100%の設定となっており、正確な対比となっていなかった。コインハイブの利用規約(英語)も書証として提出されていたが、その和訳はグーグル翻訳によって作成された粗末なものであった。
書証[52]に対しては同意・不同意[53]という悩みがある。否認事件[54]の刑事弁護においては「全部不同意」というのもひとつのセオリーであるが、そうした場合には無数の証人尋問が必要となり、裁判の負荷が増大する。そもそも本件ではコインハイブ設置の事実については争っておらず、その法的評価を争っているのであるから、設置に関する書証については不同意とする意味がない。慎重に証拠を精査した上で、次のような方針で証拠意見を陳述することとした。
よく知られているように、刑事裁判において立証責任は検察官にある。弁護側は検察官の立証を弾劾し、突き崩していけばよい。たしかに原則としてはそうなのだが、裁判官の心証を有利に導くには弁護側から無罪に向けた証拠を積み上げていく必要がある。
弁号証として、ブラウザの機能に関する報告書(JavaScriptの実行が任意にオンオフできることの証明)、官公庁のウェブサイトに関する報告書(官公庁のウェブサイトにおいて特に事前警告なくJavaScriptが実行されていることの証明)、情報公開請求で入手した神奈川県警の「コンピュータ・ウイルス事犯対応要領」(明確な基準なく不正指令電磁的記録が取り締まられていることの証明)などを申し出た。
また、モロさんが警察で取調べを受けた際に録音していた音声データについても証拠として申し出ることにした。明白な自白調書とは言えないが、一部に不利な供述を含むモロさんの調書が検察側証拠に出ていたため、対抗する趣旨である。検察官はこの音声データの提出に強く抵抗し、音声を法廷に出さない交換条件として調書の証拠請求を取り下げることとなった。
さらに、証人として高木氏をお呼びし、技術や法解釈について法廷で供述していただくことにした。本件についてこれ以上ないほど適任の証人である。
先述のとおり、筆者は本件の争点として反意図性・不正性・実行供用目的を挙げた。当然ながら検察官はまっこうからこれを争ってくる。争点に関する双方の主張は次のようにまとめられる。
弁護人 | 検察官 | |
反意図性 | Web閲覧者はJavaScriptの実行について、それが危険や有害なものでない限り、黙示の承諾をしている。コインハイブが「意図に反する」ものとは言えない。広告用のスクリプトと変わらない。 | 仮想通貨のマイニングというのは一般に周知されていない演算である。コインハイブが実行されていることに気づく機会もない。閲覧者にとっては意図に反する動作にあたる。 |
不正性 | コインハイブは閲覧者の端末を破壊したり情報漏洩を起こすような危険な作用をもたない。不正なプログラムとは言えない。 | 反意図性があれば、ごく一部の例外を除いて当然に認められる。例外を認めるためには相当の理由が必要である。コインハイブにはそうした正当性の根拠がない。 |
実行供用目的 | モロさんはコインハイブが不正指令電磁的記録にあたるものだという認識を欠いており、また認識する可能性もなかった。設置当時、技術コミュニティにおける評価は賛否両論であり、警察からの注意喚起もなく、マルウェアと認識されていたわけではない。 | プログラムの機能を認識・認容していれば足る。 |
以上の整理を踏まえ、2019年1月9日から公判期日が実施された。冒頭陳述の期日、髙木氏の証人尋問期日、モロさんの被告人質問[55]期日、論告求刑及び最終弁論[56]の期日の計4回である。
高木氏とモロさんの尋問(質問)については、事前に何度も時間をいただき、練習を重ねた。尋問は練習の積み重ねがものをいう。どれほど冷静沈着な人であっても、法廷の証言台という非日常の空間で発言を求められれば興奮する。本来言うべきだった言葉を忘れたり、逆に言ってはならない言葉を言ってしまったりすることは珍しくない。特に反対尋問では、敵対的な相手方から事前に予想していない意地悪な質問が飛んでくることになる。念入りに主尋問の質問事項を練るとともに、検察官や裁判官からの質問を想定して不測の事態に備えた。
その結果、主尋問では言うべきことを言い、反対尋問でも検察官に崩されることなく、ほぼ完璧なペースで尋問を終えることができた。
なお、高木氏は尋問当日早朝に体調を崩されてしまった。裁判所と協議し、尋問を延期するか否かを調整したのだが、最終的には病状にもかかわらず法廷にお越しいただくことになった。ご無理をさせてしまったことを心からお詫びし、またご尽力に深く感謝申し上げる次第である。
2019年3月27日、モロさんに対し無罪判決が言い渡された。これまでの弁護活動について、全力を尽くした自信があっただけに、意外性はなかった。しかし刑事裁判の有罪率を考えれば奇跡に近い勝利である。
裁判所の判断としては、反意図性については肯定、不正性・実行供用目的については否定というものであった。犯罪構成要件要素のうち、どれか1つでも否定されれば無罪となる。本件では争点として掲げた3点中、2点が否定された。
まず、反意図性が肯定された理由としては、
などが挙げられた。これに対し、不正性については、
などが挙げられ、「社会的に許容されていなかったと断定することはできない」と判断された。実行供用目的についても「不正指令電磁的記録に当たることを認識認容しつつこれを実行する目的があったものと認定するには合理的な疑いが残る」との判断が下された。
検察官はただちに控訴し、舞台は東京高裁に移った。
あらかじめ予想していたことではある。コインハイブを使用したことで罪に問われたのはモロさんだけではない。筆者の依頼者を含め、20人以上が合同捜査本部によって検挙されている。その中にはすでに略式で罰金刑を受け入れている者もいた。コインハイブ自体が不正指令電磁的記録とは言えないとすると、一連の捜査全体が不当だったということになってしまう。ひいては、それを主導した者の責任問題にもなりかねない。検察としては絶対に受け入れられる判決ではない。ことは法律論ではなく政治的な色彩を帯びてくる[57]。
一般に、刑事控訴審は被告人に不利な戦場である。被告人が控訴を申し立てた場合、控訴審で判決が逆転する可能性は1割前後に留まるが、検察官が控訴した場合、7割前後が逆転判決となる[58]。こうした構造が何に起因するかについては議論のあるところだろうが、本件が楽観できないことには変わりない。
2019年6月27日、検察官から控訴趣意書が提出された。25頁にわたり横浜地裁の判決を論難するものである。不正性や実行供用目的に関する判断に誤りがあると主張し、改めて有罪判決を下すよう求めていた。
控訴審において、控訴された側が反論書面(答弁書)を出すかどうかは任意である。刑事訴訟規則243条1項によれば次のとおり。
控訴の相手方は、控訴趣意書の謄本の送達を受けた日から七日以内に答弁書を控訴裁判所に差し出すことができる。
見通しの厳しさを考えれば、出さないという選択肢はあり得ない。しかし7日間というのはあまりに短い。本件以外の仕事も多数抱えている中で、控訴趣意書を読み込み、反論を考え、執筆しなければならない。後で知ったところによると、実務的には裁判所に申し立てれば期限を延長してくれるらしいのだが、当時はそれを知らなかった。徹夜も辞さず25頁分の控訴答弁書を書き上げ、7月4日に提出した。
刑事控訴審は事後審と言われる。第一審の裁判に出てきた証拠関係を前提に、一審判決の当否を事後的に審査するものである。一から裁判をやり直すものではない。控訴審では原則として証拠の追加提出ができず、「やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠」のみ追加できる[59]。
検察官は控訴に際して、被告人質問のやり直しと、法制審議会の議事録写しを証拠として追加請求してきた。議事録は何年も前から公開されていたものであるし、地裁の反対尋問でモロさんを崩せなかったからといって被告人質問のやり直しを求めるのは筋が通らない。筆者としては、いずれも「やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠」にあたらないとして却下を求めた。
裁判所は「やむを得ない事由」がないことを認めつつ、職権によってこれらを採用するというアクロバティックな処理をおこない、検察官の請求を認めた[60]。
東京高裁での公判期日は2019年11月8日から始まり、3回実施された。
第一審に比べ、控訴審でおこなうことは少ない。モロさんの被告人質問が再度行われることになったため、その対応が最大の課題である。
第一審の公判検事[61]は経験が浅く、公判であがってしまって稚拙な行動が目だったが[62]、控訴審の公判検事は油断ならない人物のように見受けられた。へりくだって話すが眼光が強い。自らの激しさ鋭さを隠す仮面をかぶっているタイプである。モロさんは聡明な人物だが、尋問のプロではない。百戦錬磨の検察官を相手にして身を守るのは難しい。
そこで、被告人質問においてはモロさんに黙秘していただくこととした。検察官からの質問に対しては、内容を問わず、すべて回答を拒絶する。黙秘権の行使である[63]。第一審で築いた地歩を、むざむざ失うリスクを犯す必要はない。弁護人と裁判官からの質問に対しては回答するが、それも最小限とする[64]。
検察官はあの手この手でモロさんの回答を促したが黙秘を崩せず、追加点なく被告人質問を終えることになった。
2020年2月7日、控訴審の判決が言い渡された。原判決を破棄し、罰金10万円を命じる逆転有罪判決である。
3争点中、反意図性については原審においても認められていたが、さらに原審で否定されていた不正性と実行供用目的についても肯定された。
控訴審判決においては多数の問題表現が含まれる。たとえば
一般的に、ウェブサイト閲覧者は、ウェブサイトを閲覧する際に、閲覧のために必要なプログラムを実行することは承認していると考えられるが、本件プログラムコードで実施されるマイニングは、ウェブサイトの閲覧のために必要なものではなく、このような観点から反意図性を否定できる事案ではない。(10頁)
不正指令電磁的記録が、電子計算機の破壊や情報の窃用を伴うプログラムに限定されると解すべき理由はないし、本件は意図に反し電子計算機の機能が使用されるプログラムであることが主な問題であるから、消費電力や処理速度の低下等が、使用者の気づかない程度のものであったとしても、反意図性や不正性を左右するものではない。(13頁)
ウェブサイトに設置するJavaScriptについて、それが「ウェブサイトの閲覧のため必要なプログラム」でなければ反意図性が肯定される。そしてコンピュータの破壊や情報流出をおこなうものでなくても、リソース消費がどれだけわずかであったとしても、不正性は否定されない。
この規範を形式的にあてはめれば、GoogleAnalyticsのような解析ツールやターゲティング広告についても当然に、「不正指令電磁的記録」にあたると判断できる。任意のウェブサイトオーナーや開発者をいつでも有罪とできる。
影響範囲はJavaScriptにとどまらず、ネイティブアプリにも及び得る。イースターエッグも裏技も犯罪である。プログラム開発一般に対して与える影響が大きすぎる。
「たかが」罰金10万円の事件である。モロさんから最初の相談があったとき告げたように、10万円を払って終わりにするのが賢いかもしれない。個人として戦い続ける意味は乏しい。だが、ことはモロさん1人の損得勘定では済まなくなってしまっている。
モロさんと筆者は直ちに上告を決意した。
中学公民で習うように、日本の裁判制度は三審制である。頂点には最高裁判所がある。地裁・高裁と審理を経てきた者は、最高裁での審理に最後の望みをかけることができる。
しかしこれはあくまで建前の話である。最高裁の裁判官は15人しかいない[65]。これらを5人ずつ分けて第1から第3までの小法廷を組織している。日本中で生じる無数の紛争を、わずか3つの法廷で処理できようはずがない。
そこで、最高裁への上告[66]においては2段階の絞り込みがかけられている。
第1に、理由による形式的な制限である。原則として憲法違反や最高裁判例違反といった重要な論点を含む事件でなければ上告できない[67]。最高裁への上告理由には憲法上の論点を絡める必要がある。
第2に、調査官による事前審査である。最高裁には調査官[68]が配置され、高齢の最高裁判事をサポートする役割を担っている。上告趣意書は、まず調査官が目を通すことになるが、その大半は棄却相当としてあらかじめスクリーニングされる。つまり実際に最高裁判事の目に触れ、審理してもらえるのは、上告件数全体のごくごく一部に限られる。その他は、上告理由として憲法上の論点を含めていたとしても、「結局事実誤認と単なる法令違反の主張にすぎない」と断じられ、わずか数行だけ記載された上告棄却決定を受け取ることになる[69]。このため、調査官に対して「これは本当に最高裁で審理すべき重大な事件なのだ」と印象付けなければならない。
控訴審でも証拠追加には制限があったが、上告審で証拠を追加するのはなおさら難しい。しかし、事実認定の基礎となる「証拠」扱いにはならないが、上告趣意書に学者等の意見書や鑑定書を添付するというのは定石である。最高裁判決は判例[70]となり、後々まで法律実務、ひいては社会全体に影響するから、最高裁は判決に際して学者や専門家の意見を深く調査すると言われている[71]。
本件では2方面から意見書を集めることを考えた。
第1に、法学研究者による意見書である。刑法、刑訴法、憲法、情報法などの各研究者に連絡をとり、意見書の執筆をお願いした。意見書の中では、各専門分野に照らして高裁判決にどのような問題点があるか、最高裁としてどのように判断すべきかを論じていただいた。
しょせん筆者は一介の町弁であり、各界の研究者とコネクションがあるわけではない。いきなり見知らぬ弁護士から連絡を受けても困惑するだけだろう。そこで、母校である筑波大学ロースクール[72]の大石和彦教授に事情を話し、各研究者につないでいただいた。また、Winny事件の弁護人として名高い壇俊光弁護士に協力を要請し、各研究者にご紹介いただいた。
第2に、実際にプログラミングをおこなう技術者からの意見書である。裁判所は、自分たちの書いた判決によって現場がどのように影響を受けるか理解していない。プログラマから見たとき、広告など他のプログラムとコインハイブがどのように違うのか、あるいは違わないのか。「このような判決が出てしまうと、こんな困ったことがある」という生の声を伝える必要がある。そこで、一般社団法人日本ハッカー協会を通じてITエンジニアの意見書を広く募集した[73]。
結果として、研究者からの意見書7通、エンジニアからの意見書47通をいただくことができた。
上告趣意書の提出期限は2020年5月13日と定められた。しかし新型コロナウイルス感染症の蔓延や緊急事態宣言の発出に伴い、6月15日に延長された。
上告趣意書には、刑法、刑訴法、憲法などの各論点を盛り込む必要がある。後日あらためて思いついた論点を追加するということはできず一発勝負となるから、言いたい主張は余さず全て書ききらなければならない。おのずと大部となる。
控訴審までは筆者がほぼ単独で書面執筆をこなしてきたが、こうなると筆者だけで書ききるのは不可能である。ありがたいことに2020年1月から、筆者の事務所に笠木貴裕弁護士が加わり、上告趣意書の起草に関して多大な貢献をしてくれた。
6月14日までに75頁の書面を書き上げて印刷し、6月15日、期限きっかりに、最高裁に持参して提出した。よく晴れた日であった。
2021年8月現在、最高裁からは何の通知もない。審理が続いているものと思われる。
最高裁の統計によると、刑事上告事件において上告棄却に要する平均審理期間は3.1カ月である[74]。6カ月以内に90%以上が上告棄却として処理される。これが調査官の事前スクリーニングにかかったものだとすると、本件はとりあえず事前スクリーニングは突破できたものと思われる。
もっとも、ここから将来の判決時期や内容を予測することはできない。2017年4月に上告を申し立てた「ろくでなし子事件」では、2020年7月に上告棄却判決を受けている。3年以上置かれる事件もあるということである。弁護側としては待つしかない。
上告後も、本件に関して学術的な論考を発表し、あるいはジャーナリストとして記事を出してくださる方々がいる。調査官は判決を下書きするに際して古今東西の裁判例・文献を調査するから、こうした一般の言論活動も今後の判決に影響する可能性がある。本稿が参考資料として役立つことがあれば幸いである。
駆け足であるが、コインハイブ事件における筆者の弁護活動の軌跡を記した。「はじめに」に記載した目的は、わずかなりとも達成できているだろうか。
今から振り返ると、スマートさに欠ける点がないわけではない。捜査弁護の下りでは相当泥臭いことをやっている。ここまでやらなくても不起訴を勝ち取れたかもしれない。逆に公判弁護の下りでは「もっとこうすれば良かった」という批判があるかもしれない。だがそれらを含めて、筆者としてはその時その時の全力を尽くしてきた自負がある。各読者の立場に応じて、本稿から何らかの学びを持ち帰っていただけたとすれば、これに優る喜びはない。
[1] 「弁護士」は資格の名称。「弁護人」は刑事事件において弁護活動を行う役割の呼称。弁護人を務めることができるのは、原則として弁護士のみである(刑訴法31条1項)。
[2] 取調べにあたる警察官や検察官の総称。
[3] 犯罪にあたるとされ捜査対象となっている事実。
[4] 刑法168条の3。不正指令電磁的記録に関する罪は大きく分けて、作成・提供罪(168条の2第1項)、供用罪(同第2項)、取得・保管罪(168条の3)となっている。実務上、ウイルスの被害者がいる場合には供用罪、いない場合には保管罪として検挙されることが多いようである。
[5] 刑事裁判は公開の法廷でおこなわなければならない(憲法32条、82条1項)。この原則に対する例外として刑事訴訟法に設けられているのが略式手続である(刑訴法461条)。被疑者が同意している場合に、正式な手続を踏まずに書面審理だけで罰金刑を科す(略式命令)。被疑者は略式命令を受けてから14日以内に正式裁判を請求することができ、請求がない場合には確定判決と同じ扱いになる(470条)。裁判所や検察官にとっては事務工数の削減になり、罪を全面的に自白している被疑者にとっては長期間の裁判に拘束されないという利益がある。しかし、取調べに納得はしていないが一刻も早く刑事手続から逃れたいという一心で、よくわからないまま略式手続に同意してしまう被疑者もおり、問題の多い制度である。
[6] 不起訴を更に細かく見ると「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」がある。とはいえ、起訴猶予となった者が後日あらためて起訴されるということはほぼなく、実質的には区別する意味に乏しい。
[7] 捜査段階の対象者を「被疑者」という。起訴されたのちは「被告人」である。マスメディア用語で「容疑者」というものがあるが、法律用語としては「被疑者」である。マスメディアが「容疑者」にこだわるのは、「被疑者」と「被害者」の音が近く混同を避けるためという説がある。
[8] 広く知られた数字であるが、統計の解釈について若干の難しさがある。参照:https://keisaisaita.hatenablog.jp/entry/2016/04/20/191943
[9] 東京高判平成30年4月18日。判時2379号28頁、金商1546号15頁、消費者法ニュース117号235頁。
[10] 刑事裁判において関係各当事者が法廷に集まって手続を進めること。民事裁判では「口頭弁論期日」という。
[11] 2020年資金決済法改正で「暗号資産」と呼ぶのが正式となったが、2018年当時は仮想通貨。
[12] 条文を具体的な被疑事実にあてはめること。あてはめる条文を「罰条」という。
[13] 後日すぐ、この借りは別の形で返す機会があった。ありがたい。持つべきものは友である。
[14] 犯罪構成要件。刑罰法規によって定義された犯罪類型のこと。犯罪の成立には、構成要件の各項目(構成要件要素)を満たすことが必要となる。
[15] 逐条解説(ドイツ語Kommentar)。立法担当者や研究者、実務家が集まって、各条文について注釈を施している大部の書籍。とても分厚く、高い。
[16] https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g17709042.htm
[17] 国際条約は署名と批准という2段階の手続を経て発効する。通信が未発達だった時代、国家間で条約を締結するには、まず国王の使い(大使)同士が対面して条約にサインした後、各大使が自国にそれを持ち帰って国王に見せ、OKをもらうという手順を踏む必要があった。のちに市民革命によって国王の役割が議会にとって代わられると、条約にOKを出す役割は議会に引き継がれた。この議会承認が批准である。
[18] 法改正前の時点では次のように指摘されていた。「不正プログラム、コンピュータ・ウィルス等を用いて実際にコンピュータのシステムダウンやプログラムの破壊等の結果を生じさせた場合には、国内法においても刑法第234条の2(電子計算機損壊等業務妨害罪)などで処罰されるが、かかる結果を生じさせる意図を持って行われる不正プログラムの製造・頒布行為についての規制が我が国には存在しないので、本条項は現在の国内法では担保されていない」。経済産業省・サイバー刑事法研究会報告書「欧州評議会サイバー犯罪条約と我が国の対応について」(平成14年)、19頁
[19] 岡崎市立中央図書館事件。2010年、自作のクローラを立ち上げて図書館のウェブサイトから情報を収集していたITエンジニアが偽計業務妨害容疑で逮捕されたというもの。20日間の勾留の末、起訴猶予処分となった。
[20] 法務省説明資料 http://www.moj.go.jp/content/001267498.pdf
[21] 『大コンメンタール刑法』8巻(第3版)345頁。
[22] 同上、346頁。
[23] サイバー犯罪条約2条から5条までに規定されている、違法なアクセス/違法な傍受/データの妨害/システム妨害の4つ。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty159_4.html
[24] 情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院平成23年6月16日)。http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/177/f065_061601.pdf
[25] モロさんはコインハイブのCPU使用率の上限を0.5(50%)に設定していた。
[26] 2018年6月8日読売新聞、6月15日毎日新聞大阪夕刊など。
[27] 逮捕・勾留されていないこと。対義語が「身柄事件」。身柄事件は勾留期限内に終局処分を下さなければならないので時間との勝負である。在宅事件は時間制限が公訴時効しかないのでゆっくり進むことも多い。
[28] こうした検察官の心理については、市川寛『ナリ検 ある次席検事の挑戦』(日本評論社、2020年)などに詳しい。
[29] 正しくは「供述録取書」という。被疑者の言い分(供述)を捜査官が聞き取り(録取)、それを一人称文体でまとめ、最後に「この通り確かに話しました」と認めた証として被疑者が署名押印をおこなう。
[30] 目白ではない。
[31] 俗に、自白を得ることを「割る」、調書を作成することを「巻く」という。
[32] 筆者のロースクール時代の刑訴法の教授は、「なぜ自白は証拠の女王であり、王でないのか」という論点にこだわっていた。筆者としては、単にラテン語でregina(女王)とevidentia(証拠)の文法性を一致させただけだと思う。
[33] 2畳強くらいで、窓もないことが多い。そこに机とパイプ椅子が設置され、屈強な捜査官2名と対峙することを想像してほしい。
[34] 法務省の説明によれば「弁護人が立ち会うことを認めた場合、被疑者から十分な供述が得られなくなることで、事案の真相が解明されなくなるなど、取調べの機能を大幅に減退させるおそれが大きく、そのような事態は被害者や事案の真相解明を望む国民の理解を得られない」ためとされている。逆言すれば、弁護人立会いがそれだけ効果的だということでもある。http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/20200120QandA.html#Q7
[35] 名古屋地裁平成20年10月27日 平成20年(む)第6722号 勾留請求に対する準抗告事件。季刊刑事弁護2009年夏(58号)191頁。刑事弁護界で名高い金岡繁裕先生の仕事である。
[36] 刑訴法198条1項但書。「被疑者は…出頭後、何時でも退去することができる。」
[37] 刑訴法218条3項「身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取…するには…令状によることを要しない」。反対解釈により、在宅事件では令状が必要である。
[38] いわゆるガサ入れ。ガサは「捜す」の逆読み。
[39] 公判段階での捜索については刑訴法113条1項「検察官、被告人又は弁護人は、差押状、記録命令付差押状又は捜索状の執行に立ち会うことができる…」という定めがあるのだが、刑訴法222条1項はなぜか捜査段階で警察がおこなう捜索差押についてこの規定を準用していない。
[40] 刑訴法110条、222条1項。
[41] 警察官にも肖像権がないわけではない。しかし肖像権侵害と言えるかは「被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍すべき限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべき」(最判平成17年11月10日 民集59巻9号2428頁)であるため、上記のような目的でおこなう動画撮影については肖像権侵害が認められない。
[42] 柴田和也「身体に関する令状実務について(覚書) ~証拠収集のための身体捜索と科学捜査のための検体採取~」判例タイムズ1476号5頁以下(2020)。
[43] 伊丹俊彦(監修)『捜索・差押えハンドブック』(立花書房、2016年)182頁。
[44] 同上、190頁。
[45] 刑訴法430条2項。
[46] 横浜地裁令和元年(む)第1960号。令和元年5月20日決定。
[47] モロさんは都内在住であったが、横浜で起訴されていた。刑事裁判の管轄は「犯罪地又は被告人の住所…」を基準に定められるが(刑訴法2条1項)、インターネット上の犯罪は日本全国どこでも「犯罪地」とみなされ得る。
[48] 地裁では原則として裁判官1人で審理をおこなうが(裁判所法26条1項)、一定の重大事件や複雑な事件は3人の合議でおこなう。3人の長が「裁判長」。法廷では真ん中の席に座る。裁判長から見て右の裁判官が「右陪席」、左が「左陪席」。左陪席は若手で判決の下書きなどをおこない、右陪席はベテラン指導係、裁判長が年長者としてそれをまとめるという役回りである。
[49] 公判期日を開く前に、裁判官・検察官・弁護人の3者が集まって事件の争点整理をおこなう制度。裁判員裁判のために導入された制度だが、裁判員裁判でない事件にも使うことができる。争点整理した上で公判期日が始まるので裁判進行がスムーズになるという利点があるが、公判前に示さなかった証拠は後出しできなくなるなどの制限も生じる。
[50] 公判前整理手続に付されない通常の刑事裁判では、あまり間をあけず数回の期日で結審まで導く。主張書面の応酬もなく、弁護人としての意見表明の機会は最初の罪状認否と最終弁論にほぼ限られる。
[51] 乙号証は被告人の調書や戸籍、前科前歴に関する書証。それ以外のものが甲号証であり、第三者の供述調書や実況見分調書などが含まれる。弁護側が出す証拠が弁号証。これに対し、民事では原告の出す証拠が甲号証、被告が乙号証と呼ばれる。
[52] 書面である証拠。証拠には書証・物証・人証がある。人証は法廷での証言のこと。
[53] 刑事裁判では証人に法廷で証言させるのが原則である(刑訴法320条1項)。証言に代えて書面を証拠とすることはできない。反対尋問権を保障する必要があるからである(憲法37条2項)。たとえば、JC3の検証結果を裁判で援用したければ、検証した職員を証人として呼んできて法廷で供述させなければならず、その人に法廷外で記載させた書面(報告書)を証拠にしてはいけない。報告書に嘘や誤りがあっても、被告人や弁護人から問い詰める機会が失われるからである。こうしたルールを伝聞法則という。ただし、伝聞法則にはいくつかの例外がある。そのひとつとして、検察官・弁護人が同意した場合には書面を証拠として用いてよい(刑訴法326条1項)。検察側の出してきた証拠に、どのように同意・不同意を述べるか、弁護人としての悩みどころである。
[54] 罪の成立を争っている事件。対義語は「自白事件」。目白ではない。
[55] 法廷で質疑応答形式により証人に供述をさせることを「証人尋問」、被告人に供述させることを「被告人質問」という。名称こそ「尋問」「質問」と異なるが、実際の工程は同じである(まとめて尋問ということが多い)。まず主尋問として、証拠申出した側が質問していく。次に反対尋問として、相手方が質問していく。最後に裁判官が気になった点を質問する。本件では高木氏もモロさんも弁護側の申出によるものなので、弁護人が主尋問、検察官が反対尋問である。
[56] 刑事裁判の締めくくりとして検察官が述べるのが「論告」、ふさわしいと思われる刑を示すのが「求刑」。まとめて論告求刑。諭吉ではない。
[57] 2020年5月15日、法務大臣森雅子は衆議院内閣委員会での答弁において東京高等検察庁検事長(当時)黒川弘の任期延長が必要である理由として「複雑困難事件10選」を挙げた。同10選の中には本件が含まれていた。https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120104889X01120200515
筆者が間接的に黒川問題の原因になっていたとはびっくりである。
[58] https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2016/opinion_160317.pdf
[59] 刑訴法382条の2。
[60] 裁判所がこうした処理をおこなった理由については明かされておらず、推測するほかない。恨み言となってしまうので邪推は控えるが、極めてアンフェアに感じた。
[61] 公判を担当する検察官。東京や横浜などの大規模な検察庁では、捜査を担当する検察官と公判を担当する検察官とで分業制が敷かれている。
[62] 公判中、Pirate BayのPirateが読めず、ピレートと発音していた。事前の練習をしてこなかったのか、しても指摘してくれる人がいなかったのか。
[63] 憲法38条1項、刑訴法311条1項。
[64] 今から振り返れば、この選択には悔いが残る。アンフェアな姿勢が最初から見られたのであるから、裁判官の質問に対しても黙秘すべきであった。
[65] 裁判所法5条1項・3項。
[66] 第1審判決に不服を申し立てることを控訴、第2審判決に不服を申し立てることを上告という。まとめて上訴という。
[67] 刑訴法405条。
[68] 裁判所法57条1項。調査官という名前だが、家庭裁判所の調査官(心理学者)とは異なり、比較的若手の裁判官が任命されるポジションである。上告の事前審査のほか、資料調査や判決の下書きなどもおこなう。
[69] 刑訴法408条。
[70] 先例として参照される最高裁判決を判例といい、下級裁判所判決を裁判例という。日本は判例法主義ではないが、最高裁の判決は事実上、以後の下級裁の判断を拘束する(刑訴法405条2号など)ため、判例は法律に等しい重要性をもつ。
[71] そうは言っても、最高裁判事や調査官がどのように考えて動いているか、外部にはなかなか公表されないので、明確な根拠はないのだが……。
[72] 唯一の国立夜間ロースクール。文京区にある。昼間に仕事をしながら司法試験を目指す学生が集っている。いいところですよ(宣伝)。
[73] https://www.hacker.or.jp/coinhiveopinion/
[74] https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file4/hokoku_07_05jyouso.pdf