◆◆◆〖先ずは事始めに何故私が【新日英友親交会協定】運動を今から約30年前に企図するようになったのか、その発端を説明しますのでお時間を下さい!!!〗◆◆◆

◆◆◆〖そしてなお日本の近代から現代の歴史に御興味と御関心をお持ちになれます方は、ここに添付の別なファイルも隙間御時間をお作りになれる方は少しずつ御照覧戴ければ幸いです!!!〗◆◆◆

◆◆◆【私がここで学んで来たことは地球上〖どこの国の歴史も人間の歴史〗であったと言うこと、また時代を越えても、必ず現代に至る人間関係の結縁のルーツが地球上どこにでもあったのだなということでした!!!】 ◆◆◆

さて 私は約30年前から、英国女王に次ぐ英国最高貴族(永世貴族院議員)LORD MONTAGU公との交友関係ございりまして、幕末から明治期の日本人にはまだ知られていない英連合王国時代のイングランド側での日英交流史を勉強させられる機会に恵まれました。

幕末から明治初期は 英国はビクトリア女王時代、日本は大政奉還までは徳川幕府はフランスのナポレオン三世に接近をしていた時代です。ここで勤皇がたの王制復古を目指す維新派は大英帝国の英国女王との交流を図り、薩英同盟から1902年の日英同盟に発展しました。1867年(慶応3年)パリ万博にラスト将軍慶喜の嫡男昭武が徳川幕府の名代として参加してる最中に大政奉還が起きました。

 

そのまま昭武がフランスに留学してとどまる予定であったが、思わぬハプニングが日本に起きて、昭武のフランス留学は急遽中止となり維新政府は帰国を命じました。一方フランス側でも、政治的ハプニングがおきました。1907年パリ万博式典に招かれていた賓客の中にはロシヤ皇帝の皇太子や、プロシャの鉄の宰相ビスマルクなどが居ましたが、ほどなくプロシャとフランスの普仏戦争が始まり、ナポレオン三世は敗退し、フランス国内で不人気の三世は英国へ亡命して、英国の城で晩年を多くの女性に囲まれて逝去した小記事を私は新聞で見た事があります。

 

またそのビスマルクの孫も英国へ留学して英国の大学を出て、今はダボス会議の理事メンバーになっています。

 

第二次世界大戦中、ナチスドイツに占領されたフランスから亡命したドゴール将軍もロンドンにいて、母国に向かい、テームズ河畔のマンションスタジオからフランスにむけてドイツからの開放のためレジスタンス運動鼓舞するラジオ放送を連日行っていました。1945年4月ヒットラーは生涯愛顧していたニールンベルグの指輪のレコードを聴いて整列する士官たちと握手を交わしてから司令部の地下室に下りて行き、愛人エヴァとピストル心中したことにより、欧州での第二次世界大戦は終了しましたが、アジヤ太平洋側での第二次世界大戦はその年の8月15日までまだ終わりませんでした。その決めてになったのは 最初はドイツに落とすつもりで開発を急いでいたが当時まだ未完成で間に合わなかった原爆で、ドイツからスイス経由米国プリンストン大学に亡命していたユダヤ人科学者アインシュタイン博士とオッペンハイマー博士の後者が開発最高責任者として1945年7月のネバダ砂漠実験で完成したばかりのほやほやの原爆を8月6日広島、8月9日長崎に投下して世紀の世界大戦争も幕を閉じました。

しかしの歴史も 現代新世代間では今は風化しつつある気配が濃厚です。今一度歴史のルーツを辿ってみることが重要で 温故知新は言葉だけの問題ではありません。

 

日本の近代化の始まりは1865年(慶応元年)にあります。薩摩藩集団留学生20名がそろって英国に留学してロンドン大学に入学した年です。全員長崎から汽船に乗り換えて、イングランド島南端の英国最高貴族モンタギュ公の御領地サウザンプトン(SOUTHAMTON)港湾市に到着しました。そしてその港のホテルに宿泊して、馬車か汽車ででロンドンに向かいました。正確にいいますと、一行20名中留学生は16名、あとの4名は年配のお目付け世話役でした。

 

幕末海外渡航御法度時代、渡米渡欧に成功したのは北海道か九州から海外脱出したもので、

本州からの密航脱出者は吉田松陰のように失敗してます。北海道の函館からは上州群馬県安中半藩の藩主嫡男で帰国後、安中に日本最初のプロテスタント系アングリカン教会を創立した後に京都同志社大を創設した新島襄です。

 

そしてとくに明治維新から日本の港湾市は 英連合王国のイングランド島南端のサウザンプトン(SOUTHAMTON)港湾との航路が定番になりました。日英間の人と物を輸送する定期航路は英国側のサウザンプトン(SOUTHAMTON)港湾市が玄関口ということになったのです。特に1863年(明治2年)スエズ運河が開通して紅海から地中海に直接入り、ジブラルタル海峡からイングランド島南岸サウザンプトン(SOUTHAMTON)港湾市へ乗り換えなしで直行できる用にまりました。英連合王国はヴィクトリヤア女王時代英国政治史初のユダヤ人首相デイスレイの工作によるロスチャイルド金融で、スエズ運河株をトルコ総督から買い占めましたので、それがまた東洋特に孤島国ジャパンとの海上運航距離と時間を短縮する事になりました。

 

そして東西海洋孤島国ジャパンと英連合王国が極めて親密に結び付いのです。それにはロイヤル外交の果たした役割も決して小さいものではありません。爾来日本の北海道から九州の南までの港湾市とサウザンプトン(SOUTHAMTON)港湾市との往来はますます盛んになりました。

 

明治維新以来英国人神父、英語教師、技術者や 文化人などが、日本の各地を訪れいろいろ指導をしています。鉄道技師、鉄橋建設、橋梁建設、洋館建設、灯台建設、海洋法指導、測量法指導、産業機械導入などを行っています。次いで米人、欧州人ですが、圧倒的に多かったのは英国人でした。正確に言うと英連合王国人でした。国歌君が代も最初は英人軍楽隊指導者でしたが、編曲したのはドイツ人でした。

 

インスタントカレー粉もブルドッグソースもアイスクリームも紅茶も英国が日本に持ち込んで来たものです。英連合王国の影響をもっともうけたのは三菱グループの創設者岩崎弥太郎

でした。長崎でフリーメイソン系の父の息子グラバーと組んだのが日本の近代化の始まりともいえます。長崎のグラバーは次男で、長男は上海に残されました、こっれが梅花協会の始まりといわれてます。グラバー家の出身はスコットランドの小さい一漁村でした。三井グループの発祥も英国と大いに関係があります。越後屋三越もややサイズは小型ですが、ナポレオンをトラファルガー沖改選で打破したネルソン提督の像の建つロンドンのトラファルガー広場にあるライオンのブロンズ像と同じ英国鋳造所に作らせて東京銀座店に持って来ました。ニッサンもトヨタもホンダもイングランド島と密接な歴史的な結縁があります。

 

ニッサンはもともとは 戦前から英国のオースチン社が起源(ルーツ)であることは、日本人でもほとんど御存じないようです。またトヨタ自動車も、そのルーツはロンドン万博に出品した豊田佐吉翁の発明した自動織機のパテントがイングランドのマンチェスターのプラット

ブラザーズ会社に売却され、その支払われたロイヤリテイー金が資本金になって生まれた歴史があります。本田宗一郎翁も英国マン島のオートバイレースに最初さんかして途中でエンコして惨敗して帰国し、8年後に改造オートバイで優勝し、静岡県浜松村の一族、カワサキ、ヤマハ、スズキがマン島レースに後続し世界のオートバイ王国を築きました。

 

北海道札幌、室蘭、函館、仙台、東京、横浜、横須賀、新潟、名古屋、大阪、京都舞鶴、神戸、下関、門司、福岡、長崎、鹿児島と英国島南端サウザンプトン(SOUTHAMPTON)港湾市との往来はますます盛んになりました。またその隣接したポーツマス港湾市は東郷平八郎が留学した先でもあります。サウザンプトン(SOUTHAMPTON)港湾市は現代でも日本郵船などのコンテナー基地があり、いまでも日英間貨物輸送の玄関口になっています。

 

また世界のヨットマンのメッカはサウザンプトン(SOUTHAMPTON)港湾市であり、世界のヨットマンクラブの総元締めの基地がここにあり、世界最高の貴族モンタギュ公家はかつて世界最大の帆船造船所をここに有していました。東インド会社を経営して世界貿易の頂点に立っていた大英帝国の繁栄は、高度な帆船造船技術を駆使して、航海法を築きあげ地球上の七つの海を制していました。

 

サウザンプトン(SOUTHAMPTON)港湾市のサッカーチームには、今吉田麻哉というサッカー選手が所属しています。日本孤島国のなかでも、港湾がない県もありますが、明治時英連合王国との縁があったところがあります。本年ついに世界遺産に指定された群馬県の富岡製糸場には英国製ボイラーや機械動座が採用されていました。また長野県を中心にした日本アルプスの名付け親は、英人登山家神父のウエストン卿で、このおかげで1998年の長野冬季オリンピックの実現に多いに役立てさせてもらいました。

 

こういう日英(米)関係の歴史のルーツを知らない世代が増えてる今日において、今一度歴史のルーツを想起するイベント交流行事を盛り込む歴史再教育の機会を再現するのが 新日英友親交会協定締結の大目標であります。かつて1872年(明治5年)に新橋横浜間に日本で初めての鉄道が、英国の機関車弁慶号によって開通されたのですが、今度日本製の日立の新幹線が英国で採用されることが決定しました。まさに歴史はめぐるです。

 

どうか 私たちの 純粋な気持ちから発信する 新日英友親交会協定締結への 草の根運動をなにとぞ御支援してください。これは 単なる仲良しクラブの2市間のみの姉妹市関係の締結と混同されることにはならないようにしていただきたく存じます。 姉妹都市関係と混同される日本の市庁内の関係者も若干おられますが、目的意義は全く異なります。これは国家間の歴史的関係起源を再現し国際人間関係を再構築する高度高次元の目的意識の結集であります。

そして市町村県国家も交えての、歴史的ルーツを結び合い、双国での政治経済学術教育文化スポーツ芸能イベント交流を興隆し、世界平和安全保障そしてロイヤル外交にも寄与して戴きたい一心から発起しているプロジェクトであります。どうかその真意をできるだけ多くの人々に御理解を戴き御賛同を得て、ともに新日英友親交会協定締結運動に御協力賜りたく御願い申し上げる次第であります。日英関係の根源史から見ても、英連合王国の世界産業革命の影響を東洋で吸収継承したのも、同じ海洋孤島国の日本であったと思います。私が英国に長く在住してみてかんじたのは、その根源的DNAのどこかに、いまだに共通性があると思われます。世界にお互いに信じあえる互恵共通性国が増える事が、世界平和にとっても今後ん大切なことですと思います。日本は幕末からはじまり過去に英連合王国から多くの事柄を学び吸収採用して近現代日本を形成してきた歴史上の事実を否定する人は居ませんと思います。その歴史的事実を一時期歴史教育から消してしまったのは、戦後の特殊現象からです。私は幕末から明治時代の歴史のルーツを再認識ししなおす新日英友親交会協定締結運動は日本にとっても意義があることだと信じています。なにとぞこころあるかたがたの御賛同と御支援を賜りたく御願い申し上げる次第であります。 この新日英友親交会協定締結運動の説明文をお知り合いのかたがたに 隙間時間を見て転送して支援者を一人でも多く増やしていただけるように御支持いただけませんでしょうか? 2020年の東京オリンピック支援支持の草の根運動のときも同じようにしていただきました。

 

北 広次郎 UK

 

Nori Kojiro Kita

NKita Consulting (UK)

Email: norionplanets@gmail.com 

Skype ID: norikitaskype77

(追伸)

勝手な御願いを申し上げて済みません!! 御寛恕賜りたく御願い申し上げます!!

私の経歴を纏めた資料を送って欲しいと言う要望を戴いて居り、過去に分野別各部分ごとに記述したものはございますがすべての包括的な経歴を一覧表的にまとめたものがありませんことはまことにお恥ずかしく申し訳なく存じております。私が好奇心(CURIOSITY])が人さまよりちょっと多いばかりに、多分野に首を突っ込んで来てしまった上に、欧米その他のビジネス,文化,教育、芸術、映画、ファッション、スポーツ、講演、チャリテイ,様々な国際イベントなど多岐多分野の方々と接点を持ってきました。特にその中で欧州の高等貴族の方々に接する機会が多くなり、普通では滅多に覗けない世界を見る機会を多く持つようになりました。その世界にも表の世界と,裏の世界の両面がある事も否応なく大変に勉強をさせられました。海外環境の中で長く過ごして来た中で、海外でなければ巡り遭えない多くの異邦人の方々と交わって来たことで、本当に多くの事を学習し体験して来ましたが、まだまだ勉強が不足だと感じます。そのため人以下に述べるようなことを、日々考えて反芻してきました。国外から四海八方海洋孤島国ジャパンを望見する機会が多くありました。しかしこれで極みに来たとか十分にすべてを理解したとは思えません。更にその奥へ踏み込むほど、更にその向こうに又奥の奥があります。一生その奥への追及と好奇心がやみそうもありません。しかし一つだけ言える事があります。海外で異文化社会の中にはまりこんでいると、どこから来て何処へ行くのか?(クオ・バデイス?)の自問から自らのIDENTITY (アイデンテイテイ)を探し求めてる自分に気がなっていました。紀元前約600年前に、アッシリヤ侵攻から、イスラエル帝国から消えた脱邦人種族が国土なき流浪のコスモポリタンとなって地球上に散らばり、1948年に英国の支援で国土付の現代イスラエル国家を再興した民族が、イスラエルとパレスチナ(テロ的ハマスが絡んでややこしい)間で、今ガザ地区で紛争を巻き起こしており、ウクライナ・クリミヤ親露派紛争、タリバンのアフンガン紛争,南部イラク紛争、スーダン紛争、アフリカ中南部も絡めて紛争が絶えない。理想論と現実の隔絶差が重く大き過ぎるのです。集団的自衛権にしても隔離した孤島国内の論争や感情論に奔ってる傾向が濃厚である。

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フランス語に 『Que sais-je? 』   ラテン語に『Quo Vadis?』という言葉があり,『To be or not to be ?   This is my question! 』 とありますが、これすべて自問のことばであるが 回答があるようでない。『Que sais-je? (クセジュ?)』は『我何を知るや‽』に対する自答は【いかほども知らない。好奇心は探究心、追及心の原動力。未知への遭遇を求める欲望が在る生き物。知らない事だらけだ! 】【知ってるようで知らない事が多すぎる。智的欲望は底なしである。宇宙はいくら知っても知っても限界点に達する事はない。まったく知らないいにひとしい。自国の常識,他国の非常識。他国の常識、自国の非常識。人類はみなそれを口頭ではいうが,現実に自分の身の周りのことになると、皆大局的寛容さ包容力を簡単に消去してしまい、その矛盾を矛盾と思わなくなる、つまりその平衡感覚が麻痺している事に気がつかなくなるという、その自己矛盾を矛盾と思わなくなるサガがある。地球上で内戦外戦国際紛争テロ紛争が性懲りもなく勃起し、繰返し、歯止めが効かないのは、(クセジュ?)の自問感覚機能が失せてしまった人類のサガがあり、『文明の衝突』ということばでこの人類のサガを単純総括しようとした学者もいたが、単にそれだけで解決には程遠い事を痛感する現代になった。人類は(クセジュ?)の感覚を失ってしまった所に国際紛争が続発する原因がある。今の国連が創立時点から5ケ国以外は、オブザーバー化してしまった事を感じてるが、この際第二国連を女性と子供と学生を中心にして創成する事が肝要であり、その原型は古代ギリシャのアリストファネスの戯曲『女の平和』に求めることが出来る。国連が二つあって何が悪いのですか?】

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『Quo Vadis? (クオ・バデイス?)』 『いずこに行くや?』自答【(人の生き様は)行く先が見えるようで見えない。見えないが進んでゆく。(それが人生のさだめなのか?)】【神曲を聴く心、ここでも民族の多様性を相互に認め合い理解し合い、平和と調和を維持するという理念を口にする論者はごまんといるが、現実は程遠くクオ・バデイス?はエネルギー資源の利権争奪をめぐって国内外の紛争が鼬ごっこで絶えないこの現実、そのため地球上人類の紛争地区の避難民達は、今日も(クオ・バデイス?)を繰り返している。】

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『To be or not to be ?( トウ・ビイ ・オウ・ナット・トウ・ビイ).This is my question! (デイス・イズ・マイ・クエスション!)』

『いくるべきか,いかざるべきか? それが課題なのだ! 』自答【(生=行)このハムレットの懊悩は、人のサガである。】これすべて自答のことばであるようでいて、解答にはなっていない。結局ウイリアム・シェイクスピヤの創った戯曲の中のセリフに帰着するが、人類は迷える羊の仔だけではない。

湾岸戦争、ボスニヤヘルツェゴビナ紛争、タリバンのアフガン紛争、イラン・イラク戦争、イラク紛争,世界は矛盾と葛藤と国家間野望の坩堝(ルツボ)である。しかし日本国は幕末から明治維新革命を経て、常に同盟により成り立ってきた国家である事も事実である。幕末から日本国は世界産業革命発祥のグレート・ブリテン(当時の大英帝国)を模範の鏡として多くを倣い学び採用して来た事実を、戦後日本教育は十分に教えていない点が大問題である。そして英連合王国と米合州国がもともと親子関係国であり、いまでも同族である事を日本人は往々にして忘れてしまっている。世界第一次大戦と第二次大戦の大相違は日本的にいうなら、前者は連合軍側について戦勝国側に立ち,後者は反連合軍側について戦敗国になった。物事すべて勝ち負けだけで判断する物ではない。しかし日本国の歴史開闢以来初の世界第二次大戦で敗戦国の立場を経験する事になり、限度を超えたコンプレックスがやみくもに、不都合な過去は触れない主義が蔓延する余り、良否選別もしないまま、ただ聖域には触れない敬遠法に流され,無機質年表羅列歴史教育に走ったものである。日本孤島国ではこのまま放置すれば自国の真実の歴史と向き合わないい【文化が滅びると国が亡びる】傾向型の次世代しか育たない現象が起きることにばるのではという危惧感が払拭しけれない。1966年日本から海外に飛び出して体験した事の、集約を纏めたい気も在り、又それを勧めて下さった人々も多いが、おはずかしながら 多者の事は言えても、自分事となるとなかなか年表的総括がうまく出来ない自分を反省してるものです。それを上手にできてる方が羨ましく思うこのごろです。データベースの資料を添付しますので、選択して戴ければとお願いする次第です。

◆◆◆◆≪隙間のお時間がある時にパソコンで  『ミスターヨーロッパだより』か『北広次郎』 と打ち込んでクリックして見てください。その  『北広次郎エッセイ集』 を御参照くださいとお願いするのが精一杯である自分を反省しています。 ◆◆◆◆

北 広次郎  英連合王国在住