Discussion Papers In Economics and Sociology, No. 1301
タモツ・シブタニ著
2013/04/16
(印刷・発行)
Originally published in English under the title
"Reference Groups as Perspectives"
and copyright © 1955 by The University of Chicago Press, Inc.
copyright © 2012/04/05*[1], 2013/04/30 by Tsukasa Kuwabara,
Professor at Faculty of Law, Economics and Humanities, Kagoshima University.
FACULTY of LAW, ECONOMICS and HUMANITIES
OF
KAGOSHIMA UNIVERSITY
パースペクティブとしての準拠集団*[2]
Tamotsu Shibutani, Reference Groups as Perspectives
タモツ・シブタニ*[3]著
摘要
準拠集団〔概念〕は、〔その定義の〕曖昧さにも関わらず、ますます人気の概念となってきている。[7]それは、様々な社会現象に関する種々の仮説において利用されている。この概念をある一つの言及対象に限定して用いることは、すなわち、そのパースペクティブが行為者によって準拠枠として用いられている、そうした集団に限定して用いることは、分析ツールとしてのその概念の有用性を高めることになるだろう[8]。分有されたパースペクティブは、共通のコミュニケーション・チャンネル[9]への参与を通じて生じる。さらに現代大衆社会(3)における文化の多元的共在[10]は、無数のチャンネルに容易にアクセスすることが出来る、ということから生じている。準拠集団概念がもしより一層正確に定義されるならば、各々の行為者が自らの世界に対する適応方針を定める、その定め方に関する調査研究を、より一層促進することができる。
ハイマン〔*[11]〕が造語して以来、ようやく十年有余の歳月がたったが、準拠集団概念は〔既に〕社会心理学[12]において主要な分析ツールの一つとなっており、様々な社会現象に関する種々の仮説の構築に用いられている。ある人がある社会的文脈から別の文脈に移行する際に、〔その人の〕行動に生じる非一貫性[13][14]は、準拠集団の変化という観点から説明される。例えば、非行少年たちの英雄的行為、それもとりわけ隙間地帯における彼らのそうした行為は、同年齢の遊び仲間たちから寄せられる種々の予期〔という観点から〕から説明されている[15]。また、〔彼らの〕社会的態度が変容したとしたら、それは、人間関係における変化と関連づいていることがわかっている[16][17]。この概念は、誰の目にもはっきりとした二者択一を前にして行われる〔行為者の〕選択を説明する際に、それも当該行為者のその選択がその人の「最大の関心事」に反しているように思われるケース[g]を説明する際[18]に、とりわけ有用なものであり続けた。多様な階層の読者や視聴者がマス・コミュニケーションに対して持つ分化した感受性と反応も準拠集団の観点から分析されてきた。[19]同様に、地位の問題――出世狂者たちの野心、集団への忠誠をめぐって生じる種々のコンフリクト[20][21]、マージナル・マンたちの種々のジレンマ――もまたこの観点から分析されてきた。現象としては異なるこれらの出来事に、同じ類に属する過程が含まれていることが認識されよう。この概念の人気の高まりは、分析におけるその有用性を証明していると言える。
しかしながら、どの分野の研究においてであれ、探査的段階においては当然のことだが、この概念の使用においても、何らかの混乱[22]が存在しており、それは主としてその語義の曖昧[23]さから生じている。利用可能な公式的定義は一貫性を欠いており、時にはその定義が〔実際の〕使用において矛盾している〔こともある〕。しかしながら、そうした曖昧さにもかかわらず、社会心理学者たちは〔この概念について〕相互に理解できている[24]。[h]このことは、〔この概念に関する〕何らかの核となる意味に対する直感的な認識の存在を示唆している。そして、その意味を明示化することは、分析ツールとしてのこの概念の有用性を高めることになろう。本論は、次のことを明らかにする。すなわち、準拠集団に関する議論はすべて、行為者が何らかの形で関連付けられているある認識可能な集団と、その集団において分有されている規範と価値とに言及している。しかしながら、これら三つの用語のあいだの関係は常に明確というわけではない。そこで、我々の最初の課題を、その公式的定義を〔とりあえず〕念頭に置かずに、準拠集団概念が実際に使用される際に、その概念が示唆している内容を検討することに定めたい2020/05/15。
この概念[25][i]のよく見られる使い方の一つに次のような集団を表す使い方がある。その集団とは、比較や対照を行う際に準拠点として役立つ集団、とりわけある人が自分自身に関して判断を下す際の準拠点として役立つ集団である。この概念の元々の使い方に関してハイマンは、準拠集団とは自らの地位を評価する際の比較点である、と述べていた。また、彼には、被験者が自分自身をそれと比較する集団〔の如何〕にしたがってその評価も変化する、ということも分かっていた。マートンとキットもまた、ストゥファーの相対的剥奪の理論[26][j][k][l][m][n][o][27][p]の再定式化において、このやり方でこの概念を用いた。例えば、海外の後衛部隊に所属する兵士たちが自分たちの運命について下す判断は、〔彼らが自分たちを〕まだ本国にいる兵士たちと比較するか、それとも交戦中の兵士たちと比較するか、どちらと比較するかによって変化する、と。彼らはまた、具体的な調査手続きを提案したが、その調査手続きにおいては、回答者が自分自身を様々な集団と比較するよう求められることになっていた。チャップマンとフォルクマンによる野心のレベルに関する研究は、準拠集団理論に関する議論においてたびたび引用されているが、この議論にもまた、ある人が所属している自分の集団とその他の集団との比較から生じる判断に、諸々の変種があるという知見が含まれている1)。つまり、こうした適用方法においては、準拠集団とは、ある行為者が状況の評価を、とりわけ、そこにおける自分自身の位置の評価を形成する際に用いる基準点ないしはチェックポイントを意味している。したがって〔この用法においては〕、論理的には、その行為者になじみのある集団であれば、どのようなものであれ、準拠集団となり得ることになる。
この概念の第二の言及対象は、行為者がそこにおいて〔自らに対する〕承認を得たり、維持したりすることを切望する、そのような集団である。したがって、選択を迫られる〔ような〕種々の状況においては、その集団の要求が最重要のものとなる。社交界において野心を抱いている人にとっての準拠集団とは、〔相対的に〕高い階層の人々から成るといわれており、その階層のステータス・シンボルは模倣の対象となる[28][q][r][s][t]。マートンとキットは、〔戦闘に関する〕経験の浅い部隊に所属している兵士たちによる、戦闘に対する意欲と心構えの表明を、場数を踏んだベテラン兵の謙虚さとは対照的なものとして、自らが誤って特定の価値を帰属させてしまっているベテラン兵と自分自身とを同一化しようとする、そうした新兵たちの努力として解釈している2)[u][v][w][x][y][z]。このように、この概念は、その人々のなかで、ある人が自らの地位を獲得したり、維持したり、高めたりしようとする、そうした人々の結びつきを指すものとして使われている。つまり、準拠集団とは、ある人がそこに参与することを望む、そうした集団である〔ということになる〕。
第三の用法においては、この概念は、その[29][aa][30][ab]パースペクティブが行為者の準拠枠を構成する、そうした集団を意味している。そういうわけでシェリフは、準拠集団を、知覚領域を構造化[ac]する[ad][31][ae][af][ag][ah][ai]際に〔いわゆる〕基準点としてその規範が用いられている、そうした集団だとしているし3)、またマートンとキットは、〔行為者が〕種々の解釈を行うための「社会的準拠枠」だとしている4)。ある集団に、実際にあるいは想像上で参与することを通じて、人々はその観点から世界を知覚するようになる。とはいえ、この集団は、自分が〔そこにおいて〕承認を受けたいと切望する集団である必要はない。例えば、何らかの少数民族に属するある成員は、その集団に対して嫌悪感を抱いているかもしれないが、なお依然として、概してその集団の視点から世界を捉えるかもしれない。こうしたやり方で用いられているとき、準拠集団という概念は、客観的に存在する人々の集団というよりもむしろ、一種の心理学的現象を指している。というのも、それは、行為者の経験の組織化に言及している〔からである〕。すなわち、それは、その人の知覚領域が構造化されたもの〔に他ならない〕。こうした用いられ方においては、現実のものであれ、想像上のものであれ、好意的に捉えられているものであれ、嫌悪感を抱かれているものであれ、そのパースペクティブが行為者によって自明視されているものであれば、どのような集合体も準拠集団となる。
以上のように、現行の用いられ方を検討した結果、ある一つの概念に関する三つの互いに異なる言及対象が明らかになった。すなわち、(1)比較点として機能する集団、(2)人々が〔種々の意味で〕それに対して野心[32][aj][ak]を抱く集団、そして(3)行為者によってそのパースペクティブが自明視されている集団。この三つがそれにあたる。もちろん、この三つは〔相互に〕関連し〔合っ〕ているであろう。とはいえ、類的に異なったものとして、はっきりと区別・分類されるべきものを、明確に区別することなく混在させたままで用いることは、さらなる混乱を招くだけである。〔すなわち〕本論の主張は次の通りである。準拠集団という概念を第三の選択肢に限定して用いること、すなわち、そのパースペクティブが行為者の準拠枠を構成する、そうした集団に限定して用いることこそ、調査研究におけるその概念の有用性を高めることにつながる[33][al][am][an]、と。どのような集団であれ対象であれ、比較のために用いられ得る。〔しかし〕同時に、個人が自分の不運度をそれと比較する、そうした人々の役割を取得する必要はない[34][35][ao][ap][aq][ar][as][at][au]。であるならば、第一の用法は、〔本論の目的とは〕全く異った目的を果たすためのものであり、〔本論において、この用法を〕さらに考察する必要はあるまい。しかしながら、ある状況下では、集団に対する忠誠と野心とは、〔行為者によって〕自明視されているパースペクティブと関連していることも事実であり、この関連性の特徴がさらなる探究を要することも確かである[36][av][aw][ax][ay][az][ba][bb]。こうした議論は、周知の主張の繰り返しを必然的に伴うが、準拠集団に関する研究の一部に見られる種々の論難点を[bc]考慮するならば、そうした繰り返しが全く不毛なものだとも言えまい。[bd]〔とはいえ、〕何人かの熱狂的な支持者の存在[be]にもかかわらず、〔そうした主張の繰り返しからは〕事実上、準拠集団理論には、新しいものは何ももたらされていない[bf][bg]2020/05/22。
文化と自己統制
トーマスは何年も前に次のことを指摘していた。すなわち、人間が行うことは、その人の状況の定義に大きく依存している、と〔*[37]〕。付言するならば、人間が一貫して一連の状況を定義するそのやり方は、その人の組織化されたパースペクティブに依存している。パースペクティブとは、人間の、自らの世界に関する体系化されたものの見方である[38][bh][bi][bj][bk][bl][bm][bn][bo]。すなわち、種々の対象の属性、出来事の属性、人間性に関する種々の属性[bp][bq][br][bs][bt]について自明視されていることである。パースペクティブとは、実際に知覚された諸事象の体系[bu]であると同時に、想起されたり、予期されたりした諸事象の体系でもある[bv]。何があり得て何が可能か[bw][bx][39]に関する組織化された認識のことである。つまり、パースペクティブは、人間がそれを通じて自らの環境を知覚する基盤[by]を構成する。上記のような体系化された[bz]パースペクティブを持っていることで、人々は、絶えず変化している世界を、比較的安定したものとして、秩序立ったものとして、そして予測可能なものとして捉えることができる[ca][cb][cc][cd][ce][40][cf][cg][ch][ci][41][cj][ck][cl][cm]。リーツラーも述べているように、人間のパースペクティブとは、〔実際の〕経験に先立って[cn]、その経験を定義し方向付ける大まかな分類表[42][co][cp][cq][cr][cs]のことである。
知覚が選択的であるということ[43][ct][cu][cv]、知覚された経験の組織化が予期された事柄や自明視されている事柄[cw]にある程度依存しているということ。[44][cx]この2点を示す証拠となるような実験結果は数多い。[cy]種々の判断は〔人間が有する種々の〕パースペクティブに基づいている。だから、異なった見地に立つ人々は、同一の状況を別様に定義し、環境に対して選択的に反応することになる。だから〔例えば〕、スラム街を歩いている売春婦とソーシャル・ワーカーとでは、それぞれ異なった事柄に注意を向ける〔ことになる〕。ゆえに社会学者は、他の人々が観察し損なう〔ような〕種々の関連性[cz][da]を捕捉しなければならない。[db][dc]パースペクティブの変化がどのようなものであれ--例えば、初めて親になること、誰かが数か月の後に死ぬことを知ること、あるいは用意周到な計画の失敗を経験すること〔によるパースペクティブの変化など〕--[dd]、それは、人々が、以前には見落としていた種々の事柄に気づくよう[de]に、またよく知っている世界を異なった観点から見るように仕向ける[df][dg]。ゲーテも主張したように、歴史が絶えず書き変えられるのは、証拠となる新たな文書[dh]が発見されるから、というよりはむしろ、歴史家たちのパースペクティブの変化によって〔既存の〕データから新たな知見の抽出[di][dj][dk][dl][dm][dn][do]が行われるから[45][dp][dq][dr][ds][dt][du][dv][dw][dx][dy][dz][ea][eb][ec]、なのである。
[46]文化[ed]とは、レッドフィールドの用法にも見られるように、ある特定の集団に参与している人々によって分有されているパースペクティブを指すものである。[47][ee][ef][eg]〔レッドフィールドによれば〕文化とは、「行為[eh][ei][ej][ek]や触知しうる人為物[el][em][en][eo][ep]に顕著に認められる慣習的[eq][er]な理解[48][es][et]」から成り立っており、そうした慣習的な理解が「種々の社会を特徴付けている」5)。このような慣習的な理解が行為の前提となっているがゆえに、共通の文化を分有している人々は、共通のやり方の行為に従事することになる。文化とは静態的な実体ではなく持続的な過程である。換言すれば、規範とは、社会的相互作用において、日々、形成・再形成されるという形で再確認されているものである。[eu][ev][ew][ex][ey]集合的なトランスアクション[ez]〔*[49]〕に参与している人々は、あらかじめ定められた種々の予期[fa][fb][fc]に基づいて互いに接触しあう。そして、予期されたことが実現されることで、人々のパースペクティブは引き続き確証され強固なものとなる。[fd][fe]それぞれの文化的集団に属する人々は、このようなやり方で、互いに相手のパースペクティブを間断なく支持し合っている。各々予期されたやり方で他者たちに反応し合うことで〔互いのパースペクティブを〕支持し合っているのだ。[ff]こうした意味において、文化とは、コミュニケーションの所産であるといえる[50][fg]2020/05/24。
ミード[fh]は、内的で心理的な社会統制[51][fi][fj][fk][fl]に関する彼の議論[fm][fn]において、人々が「一般化された他者の役割(generalized others)を取得[fo]すること」について述べていたが、このことによって彼が意味していたのは、人々は各々自らの集団が有する文化[fp]の観点から自らの世界に[fq]働きかける、ということである。人々は各々、自らが参与している集団の準拠枠にしたがって、知覚し、思考し、種々の判断を下し、自らを統制[fr][fs][ft]する。人間は、種々の対象や他者たちや世界や自分自身を、他者たちと分有しているパースペクティブを通じて定義する[fu][fv][fw][52]。[fx]だから、その人はこれからしようと思っている行為の方向性を、この一般化された観点[fy][fz][ga]から心の内に描くことができるし、他者たちの反応を予期したり、望ましくない諸衝動[gb][gc][gd][ge][gf]を抑制したりすることもできる。このようにして、自らの行為を方向付けることができるのである。社会化された人間とは社会の縮図[53]である。[gg]すなわち、人間は、自らが他者たちに対して定めているのと同じ行動基準を自らにも定めており、他者たちと同様の観点から自らを判断している〔存在なのである[gh]〕[54][gi]。人間は、他者たちが不在のときでさえ、状況を適切に定義し得るし、自らの義務を果たすことができる。なぜなら、既に指摘したように、人間のパースペクティブは、いつでも他者たちの種々の予期を考慮に入れているからである。[gj][gk]以上のように、他者たちと同様の観点から状況を定義するこの能力こそが、自己統制を可能にしているのである6)。ミードが、一般化された他者の役割の取得について述べたとき、彼は人々〔それ自体〕に言及していたのではなく、トランスアクションに従事している他者たちに分有されているパースペクティブに言及していた[55][gl][gm][gn]のである。
したがって、多岐にわたる種々の社会的文脈における、ある人間の行動の一貫性[56][go][gp][gq][gr]は、その人の組織化されたパースペクティブの観点から説明され得る。[gs][gt]いったん人間がその人の集団から特定の見地を取り入れると、それはその人の世界に対する適応方針となり、また、その人はこの準拠枠をあらゆる未知の状況に向けることになる。[gu]だから、移民や旅行者たちは、彼らが目にする見慣れない事柄をしばしば誤って解釈することがある[gv][gw][gx][gy][57][gz][ha]し、筋金入りの共産主義者なら、状況の一つ一つを共産主義者ではない人々とは別様に定義することだろう[hb][hc]。準拠集団行動は、一般に、複数の選択肢からの選択が可能と考えられる諸状況において研究の対象となるが、〔当の〕行為者自身は、しばしば他の選択肢があることに気付いていない[hd]ことが多い[58][he][59][hf]。[hg][hh]
[60]人々は、彼らが参与している集団に特有の観点から、何かを考え何かを感じ、また種々の事柄を捉える、という命題は、人類学[hi][hj][hk][hl][hm][hn]や知識社会学[ho][hp]の研究者たちによって繰り返し強調されてきた古くからあるものの一つである[61][hq][hr]。ならばなぜ、過去十年のあいだに[hs]突然に準拠集団理論に関心が寄せられるようになったのか。準拠集団という概念は、実際のところ古くから馴染みのある理論[62][ht][hu]に多少の改良を施したものだが、現代大衆社会[hv]に特有の諸特徴がその必要性を生じせしめたのである。第一に、現代社会においては、特別な問題が次のような事実から生じている。すなわち、人々は時に、そこにおいて彼らが成員とはみなされてはいない集団[hw][hx]の基準を用いることもあるし、[hy]時には彼らがこれまで直接には参与したことが決してない集団[hz][ia]の基準を用いることもあるし、またある時には、そもそも存在しない集団の基準[ib][ic][id][ie]を用いることもある、という事実である[63][if]。第二に、我々の暮らす大衆社会は、現状において既に文化の多元的共在によってその特徴付けが与えられているが、この社会においては、人々は各々複数の様々なパースペクティブを内面化し、またこのことが、時折人々を困惑させるような種々のジレンマを生じせしめ[ig][ih][ii][ij]、その体系的な研究の必要性を求めている。最後に〔次のことを述べておきたい〕。すなわち、準拠集団理論の発展は、社会心理学と集団生活の主観的側面に対する関心の増大[64]と、客観的な社会構造に対する支配的な関心[65]が、そうした構造を識別可能なものにしている規則的な諸活動に従事している参与者たちの種々の経験に対する関心に移行したこと[ik][il][im]、この二つの流れによって促進されてきたのである。
したがって、準拠集団とは、その見地が行為者によってその人の知覚領域を組織化[in]する際に準拠枠として用いられる、そうした集団を指すことになる。[io]規模においても、構成においても、またその構造においても、著しく多種多様なあらゆる集団[ip][iq]が準拠集団となり得る[66][ir]。ほとんどの人々にとって最も重要なものは、彼らが直接参与[is]している集団――すなわち所属集団と呼ばれてきたもの――とりわけ、〔互いに〕第一次的関係[it]にある多くの人々から構成される集団である。とはいえ、トランスアクション[iu]のなかには、人々が何らかの社会的カテゴリーに帰属された[iv][iw]パースペクティブを取得している、そうしたものもあるだろう。その社会的カテゴリーとは、社会階級[ix]であったり、エスニック・グループ[iy]であったり、既存のコミュニティに所属している人々[iz][ja][jb][jc][jd]であったり[67]([68])、果ては、何らかの特別な利害に関心を持っている人々であったりする。他方では、想像上のものも準拠集団となり得る。例えば次のような場合がそうである。「前衛の」芸術家たちや、「全人類」のために研究している科学者たち、または「後世」のために寄附活動を行っている慈善家たちなどが挙げられる。そのような人々は、まだこの世に生まれてきていない人々に帰属された根拠のない仮定上のパースペクティブから自らの努力を評価している。ある遠い過去を心の糧にして生き、歴史上のある時期を理想化し、「古き良き時代」を懐かしく恋しく思いながら生きている人々、すなわち、遥か昔に他界した人々に帰属された観点から現在の種々の出来事を批判している人々もいる。それゆえに、準拠集団とは、規範の内面化を通して生じるものなのであり、それは、個人が自らの行為をその人に対して組織化する、そうした何らかの観客に帰属された種々の予期の構造を形作るものなのである[je][jf][jg]2020/05/30。
社会的世界の構成
デューイも強調したように、社会とは、コミュニケーションにおいて、またコミュニケーションを通じて存在する〔*[69]〕。別の観点から述べるならば、共通のパースペクティブ――共通の文化――は、種々の共通のコミュニケーション・チャンネル[jh][ji][jj]に参与することを通じて生まれる。集団において分有されているパースペクティブが内面化されるのは、〔この〕社会的な参与を通じてである。この命題がたびたび語られてきたにもかかわらず、それが示唆する詳細については、とりわけ大衆社会の分析に対する示唆の詳細については、あまり理解されていない。見地[jk]の多様性は、分化した接触と結びつき[jl][70]から生じ、社会的距離の維持[jm][jn][jo]――それは、凝離[jp][jq][jr]、コンフリクト[js]、または単に異なる文献[jt][ju]を読むこと〔など〕を通じて成立することになるが――は、種々の独自の文化の形成へと繋がる[71]。したがって、異なる社会階級に属している人々は、異なる生活様式と見地を発達させる〔ことになる〕が、それは決して、経済的地位に固有の何かによるものなのではない。[72]そ[jv][jw][jx][jy][jz][ka][kb][kc]うではなく、それは、職業の類似性[kd]と所得レベルによって設定された種々の制約[ke][kf][kg]が[kh][ki][kj]、彼らを何らかの制限されたコミュニケーション・チャンネル[kk]に選り分けることに起因するものなのである[kl][km][kn][ko][kp][kq][kr]。[73][ks][kt]異なったエスニック・グループに属する人々は、彼ら自身の独自の文化を形成するが、それは、彼らの一体感が、彼らをして、互いに親しく相互作用するように促し、部外者たちに相対する時には、距離を置いた状態を維持するよう促すからである。社会心理学における様々な知的伝統――すなわち、精神分析、尺度分析、ゲシュタルト〔心理学〕、プラグマティズム――は、それぞれの伝統に依拠している人々が、共感的な眼差しを自らの学派の業績にのみ限定し、軽蔑や敵意をもって他学派の業績を捉える限り、その分離した状態を止むことはない[74][ku][kv][kw][kx]。社会科学者たちのなかには、多くのアメリカの人々の実態に疎い者[75][ky][kz][la]たちもいる。[lb]というのも、彼らは、マス・メディア、とりわけテレビを見ないようにしているか、もしくは見るとしても、人を見下すような態度でしか見ないからである[76][lc]。アヴァンギャルドが「国際的なもの[ld]」とみなすその見地でさえ、文化的に拘束されたもの[le]である。というのも、それもまた、制限されたコミュニケーション・チャンネルへの参与の所産の一つに他ならないからである。そうしたチャンネルには、種々の書籍、雑誌、会合、展示会、そして中産階級のほとんどの人々にとって立ち入り禁止[77][lf]となっている居酒屋〔など〕がある。[lg]中世主義者[78][lh]が、そのパースペクティブを、書籍を読むことを通じてのみ獲得する場合〔など〕がそうであるように、社会的な参与は、ある他者の経験を想像上で受け止める、という〔類の〕ものでさえあるかもしれない。
ちょっと観察しただけでも、それに基づいてアメリカ人が生活している基準に驚くほど多様性があることが明らかになる。現代[li]大衆社会を特徴付ける種々の非一貫性と矛盾は、数多くのコミュニケーション・チャンネルや、それらに対する参与の容易さの所産である。[lj][lk]相対的に孤立した社会の研究にあたって、人類学者たちは、地理学の用語において「文化領域」について有意味に語ることができる。そうした社会においては、共通の文化は領域的基礎を持っている〔といえる〕。というのも、一緒に暮らしている人々だけが相互作用を行うことが出来るからである。[ll][lm][ln]しかしながら、現代産業〔化〕社会においては、高速輸送手段及びマス・メディアの発達によって、地理的に散在する人々も効果的にコミュニケーションを行うことができる。文化領域はコミュニケーション・チャンネルと同一の拡がりを持つ。すなわち、コミュニケーション・ネットワークは、もはや領域的境界とは同一の拡がりを持っていないため、そうした文化的諸領域は互いに重なり合い、その領域的基礎を失ってしまっている[79][lo][lp]。そのため、隣人たち〔さえ〕も〔が〕完全に見知らぬ人であり得[lq]る[80][lr]。また、その世界に特有の共通の用語法においてさえ、パースペクティブの多様性[81][ls][lt][lu][lv]が直感的に認識される。[82][83][lw]また我々は、様々な社会的世界に住む人々について〔日常的に〕有意味に語っている。例えば、学界、子どもの世界、上流社会などなど。[lx][ly]
実際のところ、現代大衆社会は、気が遠くなるほど多様な社会的世界から構成されている。その各々が、一つの組織化された見地となっており[lz]、互酬的な相互作用のなかにある[ma]人々から作られており、それゆえに各々のコミュニケーション・チャンネルは、それぞれ〔互いに〕分離した世界を生み出している。おそらく、一体感と連帯感が最も強く見いだされ得るのは、様々なコミュニティ的構造においてである[mb][mc][md]。例えば、犯罪社会、エスニック・マイノリティ[me]、社会的エリート〔の集団〕[mf]などがそれである。そうしたコミュニティは、しばしば空間的に凝離しており、その状態は、そうしたコミュニティを〔その〕外の世界から一層孤立させる。その一方で、「口コミ[mg][mh]」と外国語の新聞[mi][84][mj][mk][ml]が内部の接触の機会をもたらしている。もう一つのよくあるタイプの社会的世界は、アソシエーション的構造[mm]から構成されている。例えば、医学界[mn][mo]、労働組合の世界、演劇界、高級ナイトクラブの常連[mp][mq]たちの世界などがそれにあたる。これらの世界〔の内部にいる人々〕は、各々の場所における任意の人々による〔直接的な〕種々の結びつきによってのみならず、『バラエティ』〔*[85]〕のような定期刊行物や、専門誌や新聞の特集記事によってもまた、互いに結びつき合っている。[mr][ms][mt]最後に、緩やかに結びつきあった特別な関心に基づく〔社会的〕世界[mu]を挙げておこう。すなわち、スポーツの世界、切手収集家[mv]の世界、昼ドラの世界など、マス・メディアの番組や『フィールド・アンド・ストリーム』〔*[86]〕のような雑誌によって提供される世界がある。こうした世界は各々、一つの秩序を成している。それは規則化された相互反応の世界である。各々の世界は、何らかの構造をもった領域であり、そうした構造は他者たちの行動の適切な予期を可能とし、それがゆえに、そこは個人が安心感と信頼感をもって行為し得る領域となっている[mw][mx][my][mz][na][nb][nc][nd]7)。というわけで、社会的世界は、各々、一つの文化的領域であり、その境界は〔物理空間的な〕領域によって設定されるものでもなく、集団への公式の帰属関係によって設定されているものでもない。それは、効果的なコミュニケーション[87][ne]の限界[nf]によって設定されているものである[88][ng][89][nh][ni]。
多様なコミュニケーション・チャンネルが在り、それは、安定性と範囲において異なる。そのため、社会的世界は、参与者たちの構成[nj]、規模[nk]、そして領域的分布[nl]において異なる。局地的カルト集団[nm][nn][no]のように、規模が小さく、人口が集中しているものもあれば、知識人の世界のように、規模が大きく、その参与者たちが散在しているものもある。世界はその境界の範囲と明瞭性において異なっている。すなわち、各々の世界は、ある種の範囲によって線引きされているが、この線引きは、広い場合もあれば、狭い場合もあるし、明瞭[np]な場合もあれば、曖昧な[nq]場合もある。[90][nr][ns][nt][nu]社会的世界は人類社会〔全体〕と同一の拡がりを持つものではない、ということは認識されている。例えば、犯罪社会の人々は、部外者たちが彼らの価値観を共有していないことを良く自覚している。〔社会的〕世界は、排他性とその世界が参与者たちに要求する忠誠の程度[nv]において〔も〕異なる。なかでも最も重要なことは、社会的世界とは、静態的な実体ではない、ということである。だから、分有されているパースペクティブは、絶えず再構成の只中(ただなか)に在る〔ということになる〕。[nw][nx]社会的世界は、コミュニケーション・チャンネルの確立をもって〔はじめて〕成立する。そのため、生活状況が変化すれば、社会的関係〔*[91]〕も変化することがあるし、その結果として、これらの世界が消滅する場合もある。[ny][nz][oa][ob][oc][92][od][oe][of][og][oh]2022/01/13
どの社会的世界も、ある種のコミュニケーション・システムを持っている(それは多くの場合、人々の結びつきが分化したものに過ぎないが)。そこにおいて、その世界特有の論議領域が発達し、時に隠語[oi]も発達する[93][oj][ok][94][ol]。その世界に特有の意味とシンボルは、部外者との差異を一層際立たせ、彼らとの社会的距離を〔より一層〕増大させる。各々の社会的世界には、その世界特有の行動規準、一連の価値、威信をつかむためのその世界特有の階梯、その世界に特徴的な出世の路線[om][on][oo]、そして、その世界に共通した人生に対する見地、すなわち世界観のようなものがある[95][op][oq][or]。エリート集団の場合、そこに所属する人々に対してのみ維持される社交儀礼のようなものまでもが生まれるかもしれない。他方で、マナーの悪さが予期される可能性のある人々は、幾分人間より劣る存在として排除されることになる。[os]このように、社会的世界とは、認識された秩序であり、それは、そこにおいて各々の参与者が〔それぞれの〕出世の道筋を切り開き、自らの地位を維持し高めようとする舞台として機能するものである。
現代大衆社会における〔日常〕生活の特徴の一つは、多様な社会的諸世界への同時的参与である。個々人が多くのコミュニケーション・チャンネルに接する際のその容易さがゆえに、人々は区分化された生活を送っている場合がある。その場合、人々は、多くの相互に関連をもたない複数の活動に継続的に参与することになる[96][ot]。さらに、社会的世界の特定の組み合わせは人によって異なる。そしてこのことが、ジンメル[ou]をして次のように断言せしめたものである。[97][ov][ow]すなわち、個人は各々、複数の社会圏の独自の組み合わせが交差する、その点の上に立っている、というのがそれである。[ox]この幾何学的類比は格好のものである。というのも、それは、組み合わせの無数の可能性と各々の社会圏への参与の様々な度合いを我々が認識することを可能にするからである。人間が行っていることを理解するためには、我々はその人間の独自のパースペクティブを把握しなければならない――すなわち、その人が何を当然視しているか、その人が状況をどのように定義しているか、その仕方〔の双方を把握しなければならない〕――。とはいえ、加えて我々は、大衆社会において、人々がそこにおいてある特定の行為に参与している社会的世界について知識を得なければならない。2020/06/15
忠誠と反応の選択的特性
各々の人々が、無数のパースペクティブを内面化している大衆社会においては、当然ながら、何らかの不調和とコンフリクトが存在する。しかしながら、集団への所属と参与の重複(ちょうふく)は、必ずしも困難を招くことはないし、それは通常気にとめられることもない。ほとんどの人々にとって、〔複数の〕準拠集団は相互に支え合っている状態にある。かくして、戦場での危険な任務に志願する兵士は、彼の家族に心配をかけるかもしれないが、彼は家族の価値観に反する行動を取っているわけではない。この場合、その人の家族も仲間も、双方ともに勇気を奨励し臆病を軽蔑する。例えば、有名な暴君役員が妻の前ではおとなしい、といった場合のように、〔ある一人の人間の〕行動が一貫していない場合[oy][oz][pa]があるが、もし、トランスアクションが離れた文脈で起きている場合には、それが気付かれることはない。大半の人々は、多かれ少なかれ[98][pb][pc]コンパートメント[pd]化された生活を送っており、一連のトランスアクション[pe][pf][pg]に参与するなかで、ある社会的世界から別の社会的世界へ移行する〔ことは日常的なことである〕[99][ph]。各々の社会的世界において、彼ら参与者たちの役割は異なり、また、他の参与者たちとの関係も異なり、その結果、彼らは、各々のパーソナリティの異なった側面を表に出すことになる。人々は、あまりにこうした生活様式に慣れてしまっているがために、彼らはこの区分化にもかかわらず、何とかして自分自身を合理的に一貫した人間として捉えようとする[100][pi][pj][pk]が、彼らの種々の行為が一貫したパターンをなしていないこ[101][pl][pm][pn][po]とに気づくことは一般的にない。
人々は、自分自身に互いに葛藤した要求が課せられ[102][pp]、〔かつ〕そのすべてがおそらく充足され得ない状況に連続して直面してはじめて、異なる見地の存在を鋭く認識するようになる。人々は、一般に困難な決断を避けようとするが、そうした種々の地位のジレンマと矛盾は、二つの社会的世界における一つの選択を強いることがある。こうしたコンフリクト[pq][pr]は、原則的に、同じ状況を定義する方法の二者択一(にしゃたくいつ)であり、それは適用可能なパースペクティブが幾つかある際に生じる。ウィリアム・ジェームズの言葉に次のようなものがある。すなわち、「一人の人間として、私はあなたに同情する。しかし、役人として、私はあなたに慈悲を示すわけにはいかない。政治家として、私は彼を盟友とみなす。しかし道徳家として、私は彼がひどく嫌いである」〔*[103]〕。相異なる様々な社会的世界において種々の役割を果たすなかで、個人は異なる予期を他者たちに帰属させるが、その〔予期のあいだの〕差異にいつでも折り合いをつけることができるわけではない。ここでの問題とは、状況の定義に用いるパースペクティブの選択、というものである。ミードの用語で言うならば、どの一般化された他者の役割を取得するべきなのか[104][ps]、という問題である。忠誠の問題が生じるのは、択一的な定義が可能な状況においてのみである。[pt]
一般に、上記のようなコンフリクトは一時的なものである。だが、危機的な状況においては、別の状況では目にとまることもないような矛盾があらわとなり、痛みを伴う選択が強いられる。しかしながら、統合度の低い社会[105][106][pu]においては、そうしたコンフリクトに絶えず悩まされ、またそのことを自覚している人々もいる。黒人の知識人、異民族間の結婚によって生まれた子供たちや移民の子供たち、工場長、専門職に就いている女性、従軍牧師[pv]。こうした人々は皆、高度に組織化された構造[pw]の隙間のなか[107][px][py]で生活を送っている。彼らは皆、マージナル・マン[pz]なのである8)。ほとんどの場合、彼らは、そのコンパートメント化された〔日常〕生活において、自らのやり方を何とか貫き通そうとするが、頻繁に個人的不適応が生じているようである[108][qa][qb]。極端な場合には、記憶喪失や人格分離が生じ得る[109][qc]。
〔人々にとって〕準拠集団が重要なものとなるのは、多くの場合、個人が二つないしはそれ以上の組織化されたパースペクティブ間の選択の必要性に迫られるような状況に関わったときに生じる。準拠集団の選択――そのパースペクティブが当然視されている集団の規範への同調――は、個人の対人関係の関数[110][qd][qe]である、という仮説がこれまで提示されてきた。知覚された経験を組織化するための基盤として、ある集団の文化がどの程度機能するかは、その見地を分有している他者たちとその個人との関係、及び、その個人のその他者たちに対する忠誠次第で決まる。したがって、集団における他者たちとの個人的関係が悪化すると、時折、連敗を経験した部隊に生じるように、その規範は拘束力を失い、その部隊はパニックのうちに崩壊するかもしれない。同様に、後期青年期における親子間の個人的関係の変容に伴って、両親の願望と基準の拘束力はしばしば低下する。2022/01/20
上述のことに加えて、準拠集団の選択は、その社会的世界の重要な他者に対する個人の忠誠に依拠する、ということが提唱されてきた。サリヴァンにとって「重要な他者」とは、規範の内面化に直接的な影響を与えるような人々のことである。社会化とは、特定の人々との経験の漸進的な蓄積の所産であり、とりわけ、個人が第一次的関係を取り結んでいる人々とのそれである。そして重要な他者とは、実際には、その個人の能力、価値、見地の涵養に関与している人々のことである9)。[111][qf][qg]おそらく決定的に重要なことは、人間が重要な他者と取り結んでいる感情的紐帯の特徴である。重要な他者が愛情と思慮をもって自分を扱ってきてくれたと考える人々は、あらゆる状況下で拘束力を有した個人的義務感を持っており、また、彼らは、多大な個人的犠牲を払うような局面においてさえ、忠誠を尽くすだろう。しかしながら、第一次的関係は必ずしも思い通りのものとは限らない。その場合、当の個人の反応が後ろ向きになることもあろう。ある人がその人にとっての重要な他者の予期を充分に把握している場合、その人は、わざわざ無理をしてまでその重要な他者たちを拒絶することもあるかもしれない。このことは、少数民族における適応方針の分岐を説明するものである。そこでは、両親の文化にそのまま従う者もいれば、より広い世界に同化するために必死に藻掻こうとする者もいる。現実の生活の不確実性から身を引き、書物で出会った登場人物との想像上の関係を通じて獲得したパースペクティブに対して、忠誠心を確立する人もいるかもしれない10)。
パースペクティブは、絶えず現実〔との関わり〕によって検証されることを余儀なくされる。知覚はすべて仮説として存在している。人々は〔それぞれ〕各々の観点から種々の事柄を自明視している。そのため、各状況への人々のアプローチは〔各々が有する〕一連の予期を伴うことになる。この場合、トランスアクションが実際に予期通りに生じれば、そのパースペクティブそれ自体も強化されることになる。つまり、他者たちの肯定的な反応が、パースペクティブの妥当性を支えるのである11)[112][qh][qi]。とはいえ、大衆社会においては、他者たちの反応は変化に富んでいるため、準拠集団の研究においては、誰の肯定的反応が特定の観点を維持することになるのか、それを確定することがその〔研究上の〕問題となる。
大衆社会の研究
現代大衆社会が有する分化した特性のゆえに、準拠集団という概念やその代わりとなる何らかの適切な概念は、その分析に用いられる現実に即したいかなる概念体系においても、いつでも中心的な位置を占めることになるだろう。[113][qj]既に指摘したように、そのパースペクティブが、行為者によってその人の知覚経験を組織化するために用いられる準拠枠として採用されている、そうした集団を指す用語として用いられるとき、この概念は最も有用なものとなるだろう。組織化されたパースペクティブは[qk]、共通のコミュニケーション・チャンネルに参与することを通じて生じ、そうした参与を通じて分有されるようになる。また大衆社会の多様性は、種々のチャンネルの多様性とそうしたチャンネルに個人が参与できる、その容易さから生じる。[114][ql][qm]
大衆社会とは、多様化・多元化したものであるのみならず、絶えず変化しているものでもある。生活条件の相次ぐ変容は、社会的関係における変化を余儀なくし、いかなる分析もそれが十分なものであるためには、こうした変容の過程それ自体の研究を必要とする。ここにおいて、準拠集団概念は決定的に重要なものとなり得る。例えば、突然の転向から漸進的な同化に至るまで、あらゆる形態の社会移動は本質的に準拠集団の取り替えとして捉えてよいだろう。というのも、そうした状況には、ある社会的世界の要請に対する反応の喪失と、別の社会的世界のパースペクティブの採用〔の双方が〕含まれているからである。最初に個人的関係のレベルにおいて不満が生じ、次いで義務感の低下、旧来の要求の拒絶、新たな忠誠の確立、そして新しいパースペクティブの内面化が生じる、という仮説が成り立ち得る。マージナルな役割に身を置いているあらゆる人々[115][qn][qo]に特徴的な種々のコンフリクトは、社会変動過程の断面解析の機会をもたらす[qp]、という意味において特に興味深いものである。
大衆社会における人々の行動の分析においては、次のことを見極めることが極めて重要な問題となる。すなわち、個人は状況をどのように定義しているのか、どのパースペクティブを用いてそうした状況の定義を行うに至ったのか、その人の反応が彼らの立場にとって必要な肯定と支持を提供する、そうした観客を構成するのは誰なのか。この問題は、行為者が他者たちに帰属させている種々の予期、またその人が参与しているコミュニケーション・チャンネル、そして彼がその人と自分自身を同一化している〔ある特定の〕人々との関係、これらのことに〔研究者が〕焦点を絞る必要性を喚起する。[116][qq]コンフリクトに関する研究においては、研究対象者たちが心の内に描いているものが着想豊かな情報源を提供する。ものごとを決めかねているその時々に、疑念と混乱の最中に、彼らの心象に誰が現れるか。このやり方で重要な他者を特定することが出来る〔*[117]〕。
現代大衆社会の分析が十分なものとなるためには、各々の行為者の自らの世界に対する適応方針が継続的に再構成される、そのやり方を記述するための諸概念とその操作方法の発展が必要となる[118][qr]。知覚は選択的であり、パースペクティブは〔人々によって〕異なるため、異なった事柄に注意が向けられ、同じマス・メディアに接している人々においてさえ、一連の多様なイメージが漸次生じる[119][qs][qt]。準拠集団概念は、分化した人々の結びつきと忠誠を簡潔に示し、ひいては、選択的知覚の研究を促進する。したがって、この概念は、我々がそのなかで生活しているこの種の社会の、多様で動態的な特性を理解する上で、欠くことの出来ない〔分析〕ツールとなる。2020/07/04
カリフォルニア大学
〔原注〕2020/07/11 2020/07/18 2020/07/25
1) H. H. Hyman, 1942, The Psychology of Status, Archives of Psychology, 38: 15〔*[120]〕; R. K. Merton and A. Kitt, 1950, Contributions to the Theory of Reference Group Behavior, R. K. Merton and P. F. Lazarsfeld (ed.), Studies in the Scope and Method of "The American Soldier," Free Press, pp.42-53, p.69; D. W. Chapman and J. Volkmann, 1939, A Social Determinant of the Level of Aspiration, Journal of Abnormal and Social Psychology, 34: 225-38.
2) 前掲Merton and Kitt (1950: 75-6).
3) M. Sherif, 1953, The Concept of Reference Groups in Human Relations, M. Sherif and M. O. Wilson (ed.), Group Relations at the Crossroads, Harper and Bros., pp.203-31.
4) 前掲Merton and Kitt (1950: 49-50).
5) R. Redfield, 1941, The Folk Culture of Yucatan, University of Chicago Press, p.132. なお、行動主義の観点からより明示的に文化理論を提示した文献として次のものを参照されたい。D. G. Mandelbaum (ed.), 1949, The Selected Writings of Edward Sapir in Language, Culture and Personality, University of California Press, pp.104-9, pp.308-31, pp.544-59.
6) G. H. Mead, 1925, The Genesis of the Self and Social Control, International Journal of Ethics, 35: 251-77〔*[121]〕及び1934, Mind, Self and Society, University of Chicago Press, pp.152-64〔*[122]〕を参照。また次の文献も参照されたい。T. Parsons, 1952, The Superego and the Theory of Social Systems, Psychiatry, 15: 15-25〔*[123]〕.
7) 次の文献を参照されたい。K. Riezler, 1950, Man: Mutable and Immutable, Henry Regnery Co., pp.62-72; L. Landgrebe, 1940, The World as a Phenomenological Problem, Philosophy and Phenomenological Research, 1: 38-58; A. Schutz, 1944, The Stranger: An Essay in Social Psychology, The American Journal of Sociology, 49: 499-507〔*[124]〕.
8) 次の文献を参照のこと。E. C. Hughes, 1945, Dilemmas and Contradictions of Status, The American Journal of Sociology, 50: 353-59; E. V. Stonequist, 1937, The Marginal Man, Charles Scribner's Sons.
9) H. S. Sullivan, 1947, Conceptions of Modern Psychiatry, W. H. White Psychiatric Foundation, pp.18-22〔*[125]〕.
10) 次の文献を参照のこと。R. R. Grinker and J. P. Spiegel, 1945, Men under Stress, Blakiston Co., pp.122-6; E. A. Shils and M. Jonowitz, 1948, Cohesion and Disintegration in the Wehrmacht in World War II, Public Opinion Quarterly, 12: 280-315.
11) 次の文献を参照のこと。G. H. Mead, 1938, The Philosophy of the Act, University of Chicago Press, pp.107-73; L. Postman, 1951, Toward a General Theory of Cognition, J. H. Rohrer and M. Sherif (ed.), Social Psychology at the Crossroads, Harper and Bros., pp.242-72. 〔*[126]〕
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[1]* http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023589354-00
[2]* 本論は、Tamotsu Shibutani, 1955, Reference Groups as Perspectives, The American Journal of Sociology, 60 (6): 562-9の全訳である。先に公開した「準拠集団論の可能性--シンボリック相互作用論の視点から--」(http://hdl.handle.net/10232/12977)の改訂版である。訳文中「 」でくくられている箇所は原文において“ ”を、また訳文中傍点が付されている箇所は原文においてイタリック体で記されている箇所を表している。また〔 〕は訳者による補足のための挿入を表している。なお、本論の訳注は、この改訂版においても、すべて桑原が作成したが、本論においては、必要最小限のものにとどめた。
[3]* Cf. ウィキペディアの執筆者、2012年「タモツ・シブタニ」『ウィキペディア日本語版』(2013年4月12日取得、http://gyo.tc/Od7a)。
[4]* 鹿児島大学大学院人文社会科学研究科(2010年度修了)。
[5]* 鹿児島大学大学院人文社会科学研究科(2007年度修了)。
[6]* 鹿児島大学法文学部教授。
[7]そもそも何故人気のある概念となってきているのか?2020/05/14 宇都 輝
[8] どうして限定して用いると有用性が高まるのか?202005121357 貴島--ここの部分はちょっとわかりづらい表現ですね。ここで言われていることは、“一つの概念をいろいろな意味(=言及対象)で使うと混乱をまねていてしまう”、だから、“いろいろな意味で使わずに、意味を一つに統一しよう”と言っています-- ←まさにこういう感じで書き込みをしていってください。2020/05/12・桑原
[9] これは何? 具体的には何を指しているのか?
[10] 大衆社会限定なのか?202005120200 貴島--タモツ・シブタニの目から見て、当時のアメリカ社会は「文化」が「多元的」な「大衆社会」でした。つまり、「現代大衆社会」とは、1955年にこの論文を執筆したシブタニにとっては「社会そのもの」だったのです--
[11]* Herbert Hiram Hyman (1918-85)。アメリカの社会心理学者。元コロンビア大学教授。
[12] 社会心理学と社会学の関係、違いは?2020/05/14安部健太--非常に難しい問題です。
伝統的には、制度や集団が個々人の行動に与える影響を研究するのが社会学、集団や他者たちが個々人の心理に与える影響を研究するのが社会心理学だ、とされています。しかし、この論文の著者であるタモツ・シブタニを含む「シンボリック相互作用論」という理論が登場してからは、社会学と社会心理学の境界が曖昧になってしまいました。というのも、シンボリック相互作用論は「制度や集団や他者たち」と「個々人」の「心理」「行動」の相互影響関係を研究しているからです--
[13] 社会的文脈の「文脈」とはなにを指すのか。2020/05/14春山沙貴--ざっくり言うと「場面」ですね。例えば私は、日常的には「家庭」という場面と「職場(大学)」という場面を行ったり来たりしています。時には、同僚と「コンパ」という場面に居合わせることもあります。--
[14] ある社会的文脈から別の文脈に移行する際に行動に生じる非一貫性とは何か?2020/05/14菊池澄香--職場という場面では「威厳のある大学教授」も、いざ「家庭」という場面に「移行」(移動)すると「威厳の欠片もない中年男性」になってしまう。一方においては「威厳があり」、他方においては「威厳がない」。つまり、行動や態度が「一貫していない」=「非一貫性」、ということです。--
[15] 家ではおとなしい子供なのに、外では危険なことばかりしている。何で?と思ったら、いつも遊んでいる友達たちが原因だった。その友達たちの間では、「いかに危険を冒すか」で、その集団での「ステータス」が決まるようだ。隙間地帯(=スラム)ではよくあることだ。Cf. 暴走族(https://www.google.com/search?q=%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E6%97%8F&client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk01rayeaIMHq2ExpYpkVY9D_louiGQ:1588741993807&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiIubiRvZ7pAhUE7GEKHSBhCa8Q_AUoAnoECBEQBA&biw=1920&bih=944)
[16] 例えば、どんな例がある?
[17] 例として「非行少年が横断歩道を渡れない老人を介助した」--この少年、日頃は高齢者が困っている様子を目にしても、「気にもかけない」「自分にとってはどうでも良い」と考えるような人間でした--、この場合の人間関係の変化として--ところがある日--「ずっと元気であったと記憶していた祖父母が加齢によって日常の介護が必要な程に弱り同居することになったーーこの日を境に、この少年にとって「高齢者」=「放っては置けない人々」という準拠集団になったーー。その為に道行く老人も捨て置けなかった」など。(2020/05/08 20:51 佐藤充) ←まさにこういう感じで書き込みをしていってください。2020/05/12・桑原
[18] 騒音行為を行っていた札付きのワルが遵法精神・敬老精神に目覚め清掃活動に参加する理由とは、など、とあるケースにおけるある人物が行うと予期される行為と反する行為を行った事象を分析する場合。(2020/05/08 20:55 佐藤充) →「とあるケースにおけるある人物が行うと予期される行為と反する行為を行った事象を分析する場合」=正解!。
他の事例:
まったく同じ商品が、Aというお店では100円で、Bというお店では200円で販売されていました。桑原は節約をモットーにしている人間で、周りからもそのように思われています。ところが実際には、Bというお店で販売されていた200円のものを購入しました。何で?
→実は桑原は、「巨人か阪神か」と言われれば、阪神ファンです--架空の話です--。A店の店主は巨人を、B店の店主は阪神を応援していました。
桑原は阪神ファンなので(→阪神=「準拠集団」)、B店で買い物をしたのだ(2020/05/12・桑原)。
[19] 分化した感受性と反応とはどのようなものか?(2020/05/15兒玉萌)--「分化した」とは、「枝分かれしている」=「様々である」ということです。例えば、同じ「テレビ」の同じ「番組」でも、それを見る人間によって、その捉え方(感受性)と反応(意見表明)は「様々」です。--
[20] 例えば、どんな事例がある?(2020/05/08、桑原司)
[21] 例として、踏み絵が挙げられると考える。(2020/5/14、弟子丸晏吉)--ビンゴ! 「イエス・キリスト」と「徳川政権(というか自分の命)」との間の「板挟み」--
[22] どのような例があるのか?2020/05/14安部健太--この「準拠集団」という概念に限ったことではないのですが、できたてのほやほやの概念で、しかも皆がこぞって使っている概念
というのは、往々にして“いろいろな意味(定義)”で使われることが多いです。なので、同じ概念を使っているのに、その意味(定義)がバラバラなので、学者たちの間で「この人は『準拠集団』という言葉を一体どういう意味で使っているんだ!? よく分からない!」、という「混乱」が生じるわけです。これは「人気の概念」ではよくあることです。長きにわたって使われてきた古典的な概念、例えばこの論文の後の方で出てくるG.H.ミードの「I」(主我)という概念は、少なくとも1966年以来、ずっと、その定義をめぐって論争が続いています。
未だに決着がついていません。にも関わらず「大体こんな意味(ニュアンス)で良いよね!」という安易な態度で使っている社会学者が数多い概念でもあります--
[23] なぜ曖昧?どうして曖昧な概念をツールとして利用しているのか?2020/05/14安部--「曖昧」に
も二通りあります。一つは概念規定が「本当に曖昧」な状態、ざっくりというか、あまりにも大雑把な概念規定しか作られていない状態。もう一つは、上記のように、複数の概念規定が混在している状態。どうしてそのような概念が使われるのか、人気の概念になるのか、ですが、(これが唯一の原因ではないのですが)、ある概念が、使われていくうちに、いろいろな意味で使われるようになり、「いろいろな意味で使われる=いろいろな現象に使える」ようになり、「人気」の概念となって、ますます「いろいろな意味で使われる」ようになった、という経緯が考えられます。--
[24] 社会心理学者同士で出来上がるコミュニケーション・チャンネル(同じ専門分野について学んできた者同士の集い)として「一般に定義が曖昧とされるこの言葉○○の概念/意味はA(仮称)である」と相互に分有するパースペクティブに従って言葉○○を理解している為、致命的な齟齬など差し当たっての問題は発生していない。(2020/05/08 21:01 佐藤充)--当時の社会心理学では、「準拠集団」と言えば「大
体こんな感じのものだよね」という大雑把なイメージが共有されていた。学者によって細かな意味(=概念の定義=言及対象)の違いはあったが、「大雑把なイメージ」が共有されていたので、「あなたの言いたいことは大体わかるよ」という状態が社会心理学者たちの間で成立していた--
[25] この概念が資本主義と密接に結びつくことによって、競争を加速させていると感じたが、そもそも、資本主義が発達したためにこの概念が生まれたのか、資本主義以前にあったものなのか気になった。(2020/05/22安部健太)
[26] 相対的剥奪の理論とはどういうものか?(2020/05/18 菊池澄香)
[27] 例として韓国の高学歴社会が挙げられると考える。韓国では進学率が他の先進国よりも平均値が高く社会全体として「ソウル大学=成功・幸せ」となっているが就職が困難であり、賃金も低いことから特に若者世代に不満が溜まっている⇒現実と期待値のギャップが大きい20200520 寳來
[28] なぜ高い階層のステータスシンボルが模倣される対象になるのか?(2020/05/22 兒玉萌)
[29] パースペクティブを「観点」と捉えて読んだが理解しにくかった。捉え方はあっていますか?(2020/05/20)春山沙貴
[30] ここでいう「パースペクティブ」とは、前述の準拠集団(ある人がそこに参与することを望む、そうした集団)における知覚領域のことではないか。(2020/05/22 弟子丸晏吉)
[31] この知覚領域を構造化とは具体的にどういったものか20200520 寳來
[32]この野心は、自分がもともと所属していた集団から大きく影響されているのではないか?(例:低所得世帯に生まれた子はお金持ちになりたいと思う,あるいは、政治家の子は後を継ぐように、政治家になることを意識する。)(2020/05/22安部健太)
[33] 概念を第三の選択肢に限定するとあるが、その前に三つの言及対象は関連し合うともあるため調査研究においてどの対象についても理解したうえで用いるということか。(2020/5/22川下)
[34] 不運度とはどういうことか?+そうした人々の役割とはどういうことか?202005191725 貴島
[35] ここにおけるワード『準拠集団』第一の用法は「(現実の)自分の立ち位置を(他者などと)比較した上で有利か不利か(幸運か不幸か)判断する基準点」としての使われ方、第二の用法は「準拠集団=(高低に関わらず)自分が所属し何らかの形で野心を持っている集団」としての使われ方、第三の用法は「(現実、フィクションに関わらず、またその集団の好き嫌いや自分の所属の有無に関わらず)準拠集団=行為者(誰であってもよい)がそこに存在する集団(例:主婦の井戸端会議、ゲームにおける所謂ギルド等こちらも何でもよい)を考える、またその集団に所属する人の思考を考える為に使われる言葉」として理解してみました。その上で、「個人が自分の不運度と比較する(必要)」「そうした人々の役割を取得する必要」は第一の用法を使う時に生まれるもので、第三の用法として『準拠集団』を使う本論では必要ない、と文を噛み砕いてみたのですがこの解釈で正しいでしょうか?(2020/05/21 佐藤充)
[36]ある状況下において、集団に対する忠誠と野心は自明視されているパースペクティブに関連している時とは他にどのような場合があるか(2020/05/22 肥田木竜也)
[37]* 例えば次を参照のこと。W・I・トーマス、F・ズナニエツキ著/桜井 厚訳、1983年『生活史の社会学』御茶の水書房、63-5頁。
[38] パースペクティブ=個性のようなもので、個々人の性格に影響を及ぼしているのではないか?2020/05/29安部健太
[40]パースペクティブない場合、どのような捉え方になるのか(2020/05/27 菊池澄香)
[41] 自分が過去に見ていた準拠集団の影響というのは時が経っても受け続けるということでしょうか?(2020/05/29肥田木竜也)
[42] 例えば、どのように分類されるのか?(2020/05/29兒玉萌)
[43] 知覚が選択的とはどういうことなのか。(2020/5/28川下永遠)
[44] なぜ2点を示す証拠となる実験をしたのですか?(2020/05/29春山沙貴)
[45] 具体例は?2020/05/29安部健太「
[46] 2021/11/18、木曜日6限目。
[47] 動物やムシも文化があるといえるのか? 202005261148 貴島
[48] どのようにして慣習的な理解が生まれるのか?2020/05/29安部健太
[49]* 原語は「transaction」である。この語を「トランスアクション」と、そのままカタカナ書きで訳出・表記するに際しては、次の文献を参照した。N・ルーマン著/佐藤 勉監訳、1995年『社会システム理論(下巻)』恒星社厚生閣、567-8頁。なお、ルーマンの社会システム理論を、シンボリック相互作用論の潮流の延長線上に位置づけようとする研究に次のものがある。T. Kuwabara and K. Yamaguchi, 2013, An Introduction to the Sociological Perspective of Symbolic Interactionism: Revised Edition, Journal of Economics and Sociology, Kagoshima University(http://hdl.handle.net/10232/16983), 80, p. 121;船津 衛、1976年『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣、10頁。
[50] 例として集団『日本人』の行為『会釈』。知り合いとの出会い頭、互いに「相手は会釈するだろう」という予期に基づいて会釈を行うことでパースペクティブは再確認され、より「同じ状況(今回であれば知り合いとの遭遇)であれば(再び)会釈を行う(だろう/はずだ)」とパースペクティブは強固なものになる。また、集団『(日本人的)ビジネスマン』独特の行為『(初対面の相手・取引先との)名刺交換』などが挙げられる。(2020/05/25 佐藤充)
[51]内的で心理的な社会統制とは具体的に? 20200602寳來
[52] 2021/11/25情報社会論演習
[53] 教育とは、「社会的事実」を内在化することである(E・デュルケム)。
「すなわち、人間は、自らが他者たちに対して定めているのと同じ行動基準を自らにも定めており、他者たちと同様の観点から自らを判断している」
[54] つまり自己が持つパースペクティブとは、真の意味で自己から生まれたモノでは無く、他者ならどうするか、という他者からの観点ありきで生み出されたモノということになるのか。2020/06/05 宇都
[55] 具体的にどういった“他者に分与されたパースペクティブ”とは?20200602寳來
[56] この一貫性とは自己のこと?また、複雑化や多様化し絶えず変化する社会では、この一貫性が保たれなくなってきているのではないか→多元的自己、分人主義?2020/06/05安部健太
[57] ゼミ生の方の意見を見たのですがこれは日本人が「ホリが深く明るい髪色、白人」=「アメリカ、ヨーロッパ出身」というような見方になり区別がつかないことも挙げられますか?20200602寳來
[58] 近年LGBTの理解が普及してきた結果、それも個性だと言われるようになったのはここでいう選択肢が増えたことになるのか。(2020/6/5川下)
[59] 状況の正しい解釈を知らない人(この文の場合、移民・旅行者・共産主義者)は各々のパースペクティブ(=それぞれ所属する集団から取り入れた特定の見地)に従って状況を捉える為、間違った解釈をする可能性が高い。それ故に(間違った解釈とその状況に対する、パースペクティブに従った当人にとって当たり前の)行動を各々とる。この一連に対し、状況の正しい解釈を知っている人(またメタ視点)は「行為者にはとった行動以外の選択肢がある(もっと他の行為ができることを知っている)」と考え、対して行為者側はその行為を当たり前(正解・最良・適している)と思い込んで気が付かない。…と長々書きましたがこの段落の解釈はこれで正しいでしょうか。2020/06/04 佐藤
[60] 2021/12/09はここからスタート。
[61] 古くからあるということで、では昔はどのような社会の状態からこの命題が強調されていたのか?2020/06/05兒玉
[62] 元の理論は何だったのか?202006022001 貴島
[63]最近ではSNSなどの発展で直接関係なくても参考にする集団が増えてきているのか?2020/06/05肥田木竜也
[64] 社会学において、「社会心理学」とくに「集団心理学」に学ばなければならないことがたくさんある、という考え方が増大した(For ex. A. Strauss『鏡と仮面』、リンドスミス他『社会心理学』)。
[65]ここでいう支配的関心とは何か?2020/06/05菊池澄香
[66] 科学技術の発展・グローバル化により準拠集団は増えている?あるいは、均一的になっていくのはではないか?2020/06/05安部健太
[67] 2021/12/09
[68] 社会学の「集団」とは(https://web.archive.org/web/20180913081530/http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1165035/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/phd14.jpg)(https://web.archive.org/web/20180913081519/http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1165035/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/phd15.jpg)。
[69]* Cf. J. Dewey, 1926, Experience and Nature, Open Court Publishing, pp.166-207. (=1997年、河村 望訳『「デューイ=ミード著作集(4)」経験と自然』人間の科学社、178-217頁。)
[70] ≓「社会関係」(https://web.archive.org/web/20180913081458/http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1165035/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/phd17.jpg)
[71] 2021/12/23
[72] 異なる社会階級に属す人が異なる生活様式を発達させるのは経済的地位は関係なく所得レベルなどがそれぞれのコミュニケーションチャンネルに選り分けるとあるが、経済的地位と所得レベルは同じ意味なのになぜ区別されているのかが分からない。2020/06/12春山沙貴
[73] つまり、異なる社会階級の人々が持つ経済的地位的特徴によって異なる生活様式やパースペクティブの発達が促されるのでは無く、職業形態や所得の格差による制約によって致し方なく分裂させられている、ということになるのか。 2020/06/12 宇都輝
[74] 問題となっている人種差別もこのことが起因する?2020/06/12安部健太
[75] 社会学者でありながら実態に疎いということがまたなぜ社会学者といえ、そのような事態におちいるのか?いくらマスメディアを取り入れなくとも社会学に携われば否が応でも関わりがあると考える為疑問に感じた20200612寳來汐音
[76] なぜ社会科学者はそのような行動をとるのか純粋に疑問を感じた。2020/06/12兒玉
[77] ここでいう立ち入り禁止とは実際に踏み込めないという意味でしょうか?20200612寳來汐音
[78] 中世主義者とは?202006091048 貴島
[79] 通信技術・輸送技術の進歩(=グローバル化)により、時間と空間を超え様々な文化領域が明らかになり認識できるようになった(=多様化)が、むしろこれにより、文化領域は統合し、固有の文化は減少しつつある?2020/06/11安部健太
[80] マス・メディア発達以前の社会では同一地域に住む人々のみで文化領域(“=コミュニケーション・チャンネル”の構図)が形成されていた、すなわち隣人がどういう人か知っていて然るべきだった。しかし現代大衆社会ではパースペクティブを獲得する上でのコミュニケーション範囲は地域住民だけに留まらない(また中身に一貫性が無く矛盾していても複数に参与しやすい環境が整っている)為に、もはや文化領域=コミュニケーション・チャンネルの構図は壊れており(その必要性から)隣人を知らない事、隣人と共通のパースペクティブを持っていない事も多々有り得る…と噛み砕いて解釈してみました。2020/06/11 佐藤充
[81] 文化領域が領域的基礎を失ったことにより、例えば、かつては英語と日本語で明確に分かれていた言語に、和製英語というハイブリットが生まれたというような多様性という解釈でいいでしょうか?2020/06/12弟子丸晏吉
[82]多様性が直感的に認識されるとはどういうことか?(2020/06/12肥田木竜也)
[83] これはどういうことなのか?(2020/06/11菊池澄香)
[84] なぜ外国語なのか 202006170120 貴島
[85]* Variety:米国の芸能系雑誌。
[86]* Field and Stream:米国の月刊アウトドア系スポーツ雑誌。
[87] 「効果的なコミュニケーション」とは、前述の「互酬的な相互作用」と同義であると解釈してよろしいでしょうか。
[88]この段落中の「社会的世界」の例として①組織の構造と特色から外界から隔絶され(コミュニケーションの幅が非常に限られ)精々外部からは覗き見る程度でしか知ることのできないコミュニティ(結び付き強度:高) ②共通目的を持つ参加者各々が直接ないし(外部から一緒くたに捉えられる意味で)間接的に関わるコミュニティ(結び付き強度:高~中) ③(趣味・嗜好など)その物事に興味関心のある人々によって出来ている緩いコミュニティ(結び付き強度:(高~)中~低) などが挙げられ、これらの共通項は①属するコミュニティ(またコミュニティに属する自分自身)をより高めるポジティブの志向(出世する・楽しむ等)を持っていること ②コミュニティ内で認識されている秩序(=パースペクティブに則ったルール・マナー)を遵守すること である。…と解釈しました。(2020/06/18 佐藤充)
[89] 現在この効果的なコミュニケーションの境界は狭くなっているか、それとも広くなっているのか(2020/06/19肥田木竜也)
[90] この線引きが広いまたは曖昧な場合一人の人が複数に所属し、各々の世界が一つに定まらないという状況はおきますか?20200619寳來
[91]* 原語は「social relationships」である。通常、社会学において用いられる「社会関係(social relations)」とは異なり、「交流範囲」ないしは「交際相手」という意味合いが強い語であると判断し、「社会的関係」と訳した。ちなみに、『社会学小辞典』(濱嶋 朗ほか編、1977年、有斐閣)においては、「社会連結」と訳されている。
[92] 実際にこの例が起こったことはあるのか。(2020/6/18川下永遠)
[93] これには隠語ではないですが日本で言うような“方言”なども含まれますか?20200619寳來
[94] TwitterなどのSNSにおいてしばしば使用されるネットスラング等がこれにあたるのでしょうか? 2020/06/19宇都 輝
[95] ある社会的世界内のみでの再生産が行われ、他からの参入が困難になっている?
例)貧困層の家庭はずっと貧困層から抜け出せない。貴族の生まれの子は貴族になるための教育をうけるため、ずっと貴族で居続ける。2020/06/19安部健太
[96]現在はSNSなどにより様々なコミュニケーションチャンネルに参与できると思うが、そのことによる個人の観点はどのように影響されるのか(2020/06/19肥田木竜也)
[97] これは社会学で言う『いろいろな「わたし」が存在してどれが本当の自分なのか分からなくなってしまう』という現象になる立ち位置にいるという事でしょうか?2020/06/19春山沙貴
[98]コンパートメントかした生活とはどういう意味でしょうか?(2020/06/26春山沙貴)
[99] コンパートメント化社会とは完全に他者や周りと隔てられグループ割がされているような社会という認識で良いですか?また別の社会的世界への移動についてもこのようなコンパートメント化された中での簡単に言うと小さいグループの移動というような認識で構いませんか?20200626寳來
[100] なぜ一貫した人間として捉えようとするのか?2020/06/26安部健太
[101]ここでいう「自分自身を合理的に一貫した人間」とはアイデンティティの確立した人間であり、各社会的世界で別々の側面を持つ人々は本質的にそうでないということでしょうか。2020/06/26宇都輝
[102]自分自身に課せられた互いに葛藤した要求とは?2020/06/26菊池澄香
[103]* W. James, 1890, The Principles of Psychology, Henry Holt and Company, p.295. なお同書には抄訳がある。松浦孝作訳、1940年『心理学の根本問題』三笠書房。
[104]SNSなどが発達している現代のほうがこの準拠集団を選択することの難しさが増しているのでしょうか。(2020/06/26肥田木竜也)
[105]この統合とは何と何の統合を示しているのか。(2020/6/26川下永遠)
[106]統合度の低い社会とはどのような社会ででしょうか。(2020/06/26肥田木竜也)
[107] これには本来はそこでは活躍“できない”表舞台には立つべきではないというような差別的な視点を感じてしまいますが考えすぎでしょうか?単純な疑問ですみません。20200626寳來
[108] グローバル化や多様化により、社会的マイノリティへの理解や認知が広がっていることは、このコンフリクトによる苦痛を和らげている?一方で新たな「マージナルマン」的存在も増えている?2020/06/26安部健太
[109] (極論になるかもしれませんが、)高度な能力故の特殊な職業及び職務上立ち位置、また一般と比較して特殊な出生から「マージナル・マン」とされる(/なってしまった)人たちは、”大半の、自身の行為が一貫したパターンをなしていないことに気付かない、(しかしながら)自分自身を合理的に捉えようとする人々”に対し、(頻繁に日常・職務上の行為、パースペクティブ間のギャップにより)コンフリクトに悩まされるという点において心的負担が大きい(精神病リスクが高い)、とも言い換えられますか。2020/06/25 佐藤充
[110]準拠集団の選択 = f(個人の対人関係): 準拠集団の選択は個人の対人関係に従属する?逆もいえるように思える。202006240620 貴島
[111] ここでいう重要な他者とは、例えるならば部下から見た上司、子どもから見た親などがあてはまるのか。2020/07/03宇都輝
[112]否定よりも肯定の方がパースペクティブがより確かなものになるということでよろしいでしょうか?(2020/07/03肥田木竜也)
[113] 「いつでも中心的な位置を占める」とはどういうことでしょうか。うまく解釈できませんでした。2020/07/04 弟子丸晏吉
[114] どういった点で容易なのか(2020/07/03菊池)
[115] このマージナルな役割に身を置く人々は様々な準拠集団に属している、集団にコミットしていないということか。(2020/7/2川下永遠)
[116]日本で個性的な人々が少ないのはこのパースペクティブの母体の数が少なく多くの人が同じ所属になっているからだと捉えても良いですか?20200703寳來
[117]* ここで推奨されている研究手法が、いわゆる「『行為者の観点』からのアプローチ」であることは言うまでもない。
[118] この”大衆社会における人々の行動分析”研究上において定義される『準拠集団』や『社会的世界』という単語(概念)と、また分析を行う上での適切な使われ方((使用例を含む)操作方法)の様に、現代大衆社会分析を進展させる一ファクター”個人の状況の定義(捉え方)”研究においてもそこで使用される概念・操作方法の発展・登場が必要である…と読み替えました。 2020/07/02 佐藤充
[119] 人々の認識は個性、物理的違いではなく、パースペクティブによって違いがある。パースペクティブは集団に起因する。つまり、人々を分析するには集団を分析できればよいことになる。車の運動を2万点の部品の相互作用として考えるのではなく、10数個のメインパーツの作用と考えるようなものだと思う。202007010728 貴島
[120]* =1992年、七森勝志訳『地位の心理学』巌松堂出版、26-7頁。
[121]* =1991年、「自我の発生と社会的コントロール」船津 衛・徳川直人(編訳)『社会的自我』恒星社厚生閣。
[122]* =1973年、稲葉三千男ほか訳『精神・自我・社会』青木書店、164-76頁。
[123]* =1985年、「超自我と社会システム論」武田良三(監訳)『社会構造とパーソナリティ〔新装版〕』新泉社。
[124]* =1991年、「よそ者」渡部 光・那須 壽・西原和久訳『社会理論の研究--アルフレッド・シュッツ著作集第3巻--』マルジュ社。
[125]* =1976年、中井久夫・山口 隆訳『現代精神医学の概念』みすず書房、51-62頁。
[126]* Cf. 拙稿、2000年「社会過程の社会学」(http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3492948/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/doctor1.htm)、第1章第4節及び第5節。
[a]https://docs.google.com/document/d/1CA-YjtEbl8Va_k2t2768oJKjkwxoZ5uh/edit#heading=h.gjdgxs
[b]https://docs.google.com/document/d/1aLbVTEcb1EmlOQdhK7ZBA7Fi9BLe6BiN/edit
[c]https://docs.google.com/document/d/1OGUk2hz1NXB_ao5Bi0eaRRCFiUrRgjvp/edit
[d]の改訂版。Shibutani自身が書いたもの。「準拠集団と社会統制」(https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y022-043.pdf)
[e]=https://web.archive.org/web/20221011005620/https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y022-043.pdf
[f]https://archive.md/https://docs.google.com/document/d/1CvepbmTawMFNI9fDcYGHWhhBQ67dZ5M6iNbuqydahrg/mobilebasic
[g]Cf.
https://twitter.com/TK65802767/status/1265922429945147392
[h]船津衛(1976)『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣、pp.227-229。
[i]この概念に類する考え方は古くからありました。準拠集団を「人が自分の態度、判断、評価、意識を形成したり、変容したりする際に影響を受ける集団」(http://archive.vn/DOecK)と捉えるならば、前近代社会(例えば「戦前の日本」における「村落社会」)においては、それは十中八九、自分の家族であり、それを取り巻く「地域社会=村落=所属集団」、でした。 あまりに常識的で単純明快で分析の深めようがないため、わざわざ「準拠集団」という概念を作って探究する必要がありませんでした。
とはいえ、近代社会(「近代資本主義」が経済的な支配原理となる社会)になると様相は一変します。近代社会においては、人々は、いろいろな集団から影響を受けるようになりました。自分の「所属集団」のみならず、「非所属集団」(これから所属する予定の集団、所属する予定のない集団、まったく関係のない集団)」、時には「存在すらしない集団」(過去の時代に存在した集団、全くの架空の集団)、「集団ですらないもの」(実在の個人、過去に実在した個人、架空の個人、理念や主義)までもが、そうした「集団」に相当する存在になりました。人によって、どれがどう影響するかも様々になりました。ここで「準拠集団」という概念をわざわざ作る必要が出てきました。
つまり、「集団」が、常識では理解できない複雑な様相を示すようになったため、「準拠集団」という概念をわざわざ作って、「しっかりと探究する」必要が出てきたわけです。
[j]例えば、私の月給が「20万円」だとします。さて、私はこの月給に満足するでしょうか、それとも不満を抱くでしょうか。
[k]私は、自分の同期の友人が貰っている月給と比較します。同期の友人のほとんどが「15万円」だったとします。すると私はおそらく“満足”します。
[l]しかし、同期のほとんどが「30万円」貰っているとしたら、おそらく“不満”を抱くでしょう。
[m]私が、満足するか不満を抱くか、それは<月給の額がいくらか>という絶対的な基準によって決まるものではなく、<同期の友人の月給>と「比べて」高いか低いか、という相対的な基準で決まることが多いです。
[n]このような形で、不満を抱いたり、抱かなかったりする現象を「相対的不満」ないしは「相対的剥奪」と言います。
[o]森下伸也(2000)『社会学がわかる事典』日本実業出版社、42頁;「相対的剥奪」『社会学小辞典』有斐閣、389頁。
[p]まさにその通り!
[q]これは人によるのですが、、、、もし私が上流階級に属する、とある集団に受け入れて貰いたいと考え、
[r]その「とある集団」では、メンバーが全員「ベンツ」に乗っていて「世田谷」に家を構えている、とするならば、
[s]私も彼らを「模倣」して、ベンツを買い、世田谷に家を購入するでしょう。
[t]すべては、その集団に「受け入れて貰う」ためです。
[u]桑原メモ。「社会化の先取り」(予期的社会化、先を見越した社会化)→R.K.マートン、1969年(森東吾ほか訳)『社会理論と機能分析』青木書店、pp.186-188;190-191;193。
[v]入隊したばかりの新兵は、最初のうちは、戦闘行為に対して意欲的な発言をする。しかし、前線のベテラン兵に負傷者が出て、そのベテラン兵の集団に補充されると、「意欲的な発言」をやめ、「謙虚な(戦闘に対して消極的な)」発言をするようになる。
[w]というのも、ベテラン兵は一般に「謙虚な」発言を行うからであり、そうしたベテラン兵に「認められたい」「受け入れて貰いたい」と思う補充新兵は、ベテラン兵を“模倣して”「謙虚な」発言をするようになる、のである。
[x]ところが、ベテラン兵たちは、別に「謙虚な」わけではないのである。補充された新兵がベテラン兵たちを““勝手に”謙虚な人々である”と捉えているだけなのである。
[y]ベテラン兵たちは、本当に戦闘がいやなだけなのである。もうウンザリなのである。だから、戦闘に対して消極的な発言をするのである。それが新兵には「謙虚」に「映る」だけなのである。
[z]前掲、p.191。
[aa]合っています。パースペクティブとは、「観点」「見地」「視点」のことです。「ものの見方」「ものの考え方」のことです。
[ab]惜しい! より正確には、「知覚領域」を「知覚」「認識」するための、認識枠組み、概念、のことです。人間は、ある一定の認識枠組みを使って、ある一定の領域を「知覚」(「認識」)します。これが心理学や社会心理学や社会学の考え方です。ドイツの哲学者であるI.カントは、それを「カテゴリー」(理解の諸範疇)と呼んでいるそうです。
[ac]https://twitter.com/TK65802767/status/1264816193409413126
[ad]Cf. https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk01PNnCewK8E26JfZlS-4j8VckebFA%3A1592294521092&ei=eXzoXoCiBdmnoATPyY7YDA&q=%E6%A7%8B%E9%80%A0%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%81%AF&oq=%E6%A7%8B%E9%80%A0%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%81%AF&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIGCAAQBBAlMgYIABAEECUyBggAEAQQJTIGCAAQBBAlMgYIABAEECU6BAgAEEdQz4IFWISFBWCmigVoAHABeACAAacBiAGcBJIBAzAuNJgBAKABAaoBB2d3cy13aXo&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwjAwrqq74XqAhXZE4gKHc-kA8sQ4dUDCAs&uact=5
(http://archive.ph/Tm7Ry)
[ae]「知覚領域」の「構造化」とは、自分が知覚したモノ・ヒト・コトに関する“像”を組み立てること、を指します。人間の「知覚」は、外部領域の単なる模写ではありません。現実のある一定の側面に焦点を当て、それ以外の側面を無視し、その側面について種々の(十人十色の)イメージを形成する、ことです。このイメージの形成のことを「知覚領域」の「構造化」といいます。
[af]「知覚」=「単なる模写ではない」。その実例↓
[ag]<だまし絵>https://www.google.com/search?q=%E7%9F%A5%E8%A6%9A+%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%97%E7%B5%B5&tbm=isch&ved=2ahUKEwi3qLOruMnpAhUYx5QKHfjpDM8Q2-cCegQIABAA&oq=%E7%9F%A5%E8%A6%9A+%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%97%E7%B5%B5&gs_lcp=CgNpbWcQA1Dp6QFY3e8BYJv0AWgAcAB4AIABf4gBkgaSAQM0LjSYAQCgAQGqAQtnd3Mtd2l6LWltZw&sclient=img&ei=vs3IXrfRMZiO0wT407P4DA&bih=937&biw=1920
[ah]<サピアーウォーフ仮説、虹の色>https://www.google.com/search?q=%E3%82%B5%E3%83%94%E3%82%A2+%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E4%BB%AE%E8%AA%AC%E3%80%80%E8%99%B9%E3%81%AE%E8%89%B2&source=lmns&bih=937&biw=1920&hl=ja&ved=2ahUKEwiIzKGCusnpAhUQx5QKHWZSDcsQ_AUoAHoECAEQAA
[ai]「知覚」「認識」とは、「名づけ」(https://archive.ph/77bgM#selection-927.82-927.305)のことである。By A. L. Strauss
[aj]ここは難しいところですね。
[ak]「低所得世帯に生まれた子息」が「お金持ちになりたい」と考える場合、自分がまだ所属していない「富裕層」(=非所属集団)が準拠集団になっているケースと、「低所得世帯」(=所属集団)の世帯主(保護者など)から、「あなたは是非『成功』して、裕福になってね!」と期待をかけられるケース、の二例が考えられます。前者は<所属集団=準拠集団>、後者は<非所属集団=準拠集団>です。政治家の二世などは、前者の例である可能性が高いです。
[al]それが理想なのですが、ここでシブタニが言おうとしていることは、その逆です。
[am]とりあえず、第1と第2の選択肢は忘れよう。第3の選択肢だけを考えよう。そうすると「上手くいく」はずだ。
[an]とりあえずシブタニは、第3の選択肢だけについて考えたいのです、議論したいのです。なんとか第1と第2の選択肢を議論の対象から除外したいのです。
[ao]この箇所は、シブタニが、なんとか議論の対象を「第3の選択肢」に絞り込みたいがために、強引に第1と第2の選択肢を「切って捨てよう」としている感があからさまに出ています。
[ap]自分の「不運度」は「幸福度」と言い換えてもかまいません。
[aq]↑で相対的剥奪について説明した箇所を参照して欲しいのですが、私の月給が「満足」(幸福度が高い)ものかどうか、私は「同期の友人」の月給と比較して判断しています。
[ar]その際、私が念頭に置いているのは、彼らの月給だけです。彼らの「ものの見方」や「ものの考え方」(=「そうした人々の役割」)は念頭に置いていませんし、私にとってどうでも良いものです。
[as]「役割」=「ものの見方」[http://archive.ph/IzNJs]。
[at]「ギルド」(https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/olg/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89/m0u/)。なるほど、初めて知りました。これは良い例ですね!
[au]佐藤くんの理解で合っています。
[av]「しかしながら、ある状況下では、集団に対する忠誠と野心とは、〔行為者によって〕自明視されているパースペクティブと関連していることも事実であり、この関連性の特徴がさらなる探究を要することも確かである。こうした議論は、周知の主張の繰り返しを必然的に伴うが、準拠集団に関する研究の一部に見られる種々の論難点を考慮するならば、そうした繰り返しが全く不毛なものだとも言えまい。〔とはいえ、〕何人かの熱狂的な支持者の存在にもかかわらず、〔そうした主張の繰り返しからは〕事実上、準拠集団理論には、新しいものは何ももたらされていない」
[aw]↑
すみません、、、実は上記の文章は何を言っているのかわかりません^^;訳は間違っていないと思います。
[ax]人々はある集団に忠誠心を抱く。例えば、江戸時代、家臣は主君に忠誠心を抱いていた(と言われています)。忠臣蔵はその象徴ですね。
[ay]じゃぁ、なんで忠誠心を抱いていたのか? 答え方の一つに次のようなものが考えられます。「江戸時代の元和年間(1615年 - 1624年)以降になると、儒教の朱子学の道徳でこの価値観を説明しようとする山鹿素行らによって、新たに士道の概念が確立された。これによって初めて、儒教的な倫理(「仁義」「忠孝」など)が、武士に要求される規範とされるように」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93#%E8%BF%91%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5)なり、その規範(⊂パースペクティブ)を武家の師弟たちは、自分の家族など(準拠集団)から獲得していたからだ、と。
[az]大学に行くなら、絶対に「東大でなきゃ駄目だ!」という野心を持っている人間がいたとします。
[ba]じゃぁ、なんでそんな野心を抱いているのか? 例えば、その人間の両親、兄弟、親戚が、皆「東大出身」で--すげぇな~--、しかも、常日頃から「東大以外は大学ではない!」と言われ続け--酷いな。。。。--、それを「当たり前の考え方」(自明視されたパースペクティブ)として習得してしまったからだ、という説明の仕方が考えられます。
[bb]↑
上記の二つの説明の仕方、その事例は、まぁ言ってみれば「よくある」「ありきたりの」「すぐに思いつく」(=「周知の」)主張です。
[bc]すみません、、、どんな「論難点」なのかさっぱり分かりません。
[bd]「全く不毛ではない」。本音は「事実上、不毛である」。
[be]船津衛(1976)『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣、pp.223-224を見ると、8人の学者が挙げられていますね。
[bf]Cf. 船津衛(1976:243)。
[bg]Cf. アルフレッド・リンドスミスほか(1981年)船津衛訳『社会心理学--シンボリック相互作用論の展開』恒星社厚生閣、389-394頁。
[bh]パースペクティブ=個性というよりも、個性の一部、ですね。
[bi]パースペクティブというのは、もう何度も出てきているように、ものの見方や考え方、のことを指しています。
[bj]このパースペクティブは、大別して、外界の状況を捉えるパースペクティブと、自分自身を捉えるパースペクティブの二つに分けられます(http://archive.ph/5wNNS#selection-765.173-765.366)。
[bk]人によって、ある物事をどう捉えるか、違いというか個性が出ると思います。また自分自身についてどういう考えを抱くか、これにも個性が出ると思います。
[bl]例えば、「うぬぼれの強い」(性格)人間は、「他人を見下すパースペクティブ」と「自分自身を過大評価するパースペクティブ」を持ちがちです。
[bm]_Marked as resolved_
[bn]_Re-opened_
[bo]Test
[bp]対象の属性→「スズメバチ」は「猛毒」を「持っていって」「攻撃的」である/「鉄」は「硬くて」「さびる」可能性があり、ある一定の高温で「溶ける」可能性がある/「雪」は「冷たい」等など
[bq]出来事の属性→「地震」が起きると「津波」が来る可能性がある/「選挙」→「選挙カー」→「うるさい」/「飲み会」→「楽しい」→「二日酔い」/「事件の発生」→「警察の捜査」→「容疑者逮捕」→「マスコミ報道」→「起訴」・「裁判」・「判決」→「マスコミ報道」/「事件報道」=「実名報道」等など
[br]人間性に関する属性→「利他的」・「利己的」/「性善説」・「性悪説」/鹿児島県民は「優しい」「礼儀正しい」等など。
Cf. マキャベリアニズム尺度(https://web.archive.org/web/20180902225717/http://jspp.gr.jp/doc/scale00.html)
「マキャベリ主義」という人間性の一属性を調べる心理測定法(心理測定尺度)です。
Cf. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%89
[bs]1)人間とは「必ず死ぬ」存在である(対象の属性)、2)「人の死は悲しい出来事である」(出来事の属性)、3)「人間は死を恐れる生き物である」(人間性に関する属性)。哲学でよく取り上げられるテーマである。「2)」を軽減するために「葬儀」があり、「3)」を軽減するために「宗教」がある。
[bt]Attribution⇒https://eowf.alc.co.jp/search?q=attribution
[bu]実際に何かを体験し、そこからある一定のパースペクティブを獲得する、というケース。
[bv]人間は、過去の出来事、現在の出来事、未来の出来事、この三つに関してパースペクティブを持っている。
[bw]「あり得て可能」→30年以内に南海トラフ。
[bx]・「可能だがあり得ない(と思われる)」→今回のコロナウィルス。武漢市で「発生した」とニュースで見たときには、「日本に上陸する」ことは「まずあり得ないだろう」と私は思っていた。100%「そうか?」と聞かれれば、「100%ではないけれど、まず日本とは関係ないだろう」と思ってしまっていた。
[by]誤訳。Matrix=マトリクス
https://www.google.com/search?q=%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%9B%B3&sca_esv=581793872&tbm=isch&sxsrf=AM9HkKnmz93JS6JJ7UARooIFeuV6oQqeuQ:1699835761524&source=lnms&sa=X&ved=2ahUKEwinwffV3b-CAxUvmlYBHS3CA3gQ_AUoAXoECAIQAw&biw=1920&bih=931&dpr=1
https://www.google.com/search?q=matrix+%E6%84%8F%E5%91%B3&oq=Matrix&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqBwgBEAAYgAQyDAgAEEUYORixAxiABDIHCAEQABiABDIHCAIQABiABDIHCAMQABiABDIHCAQQABiABDIHCAUQABiABDIHCAYQABiABDIHCAcQABiABDIHCAgQABiABDIHCAkQABiABNIBCDU4MzlqMGo0qAIAsAIA&sourceid=chrome&ie=UTF-8
[bz]その度合いは人によりけり。
[ca]じゃぁ、これがないとどうなるか?
[cb]https://irodori-salada.com/enter/cm/7740/(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%81%B1%E3%82%8B%E3%82%8B%E3%80%81%E5%BD%B9%E6%89%80%E5%BA%83%E5%8F%B8%E3%82%92%E3%81%AD%E3%81%98%E4%BC%8F%E3%81%9B%E3%82%8B%EF%BC%81%E3%80%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C%E5%AE%9D%E3%81%8F%E3%81%98%E3%80%8D%E6%96%B0CM)
[cc]Cf. https://twitter.com/TK65802767/status/866174492925501441
[ce]『ポーランド農民』
ポーランド移民が「未知の」アメリカ社会に関するパースペクティブを獲得するプロセスに関する研究。
[cf]この点についてずいぶん前に書いたツイートです。ちょっと読んでみてください。
[cg]https://twitter.com/TK65802767/status/1068025335264960512
[ch]パースペクティブを使って、現実についてある一定の像を組み立てる。この時点で、頭の中で「現実が固定化される」。とはいえ、一方の現実それ自体は、絶えず変化しているので、上記の「像」と「現実」との間には、像が作られた瞬間から、「乖離」「ずれ」が生じ始める。なので人間は、その像をいずれ作り替えなければならない。これが人間の認識の宿命である。
[ci]Cf. 皆川満寿美(1989)「社会過程の社会学」片桐雅隆編『意味と日常世界』世界思想社。
[cj]「受け続ける」ことが、「ある場合」と「ない場合」があるでしょうね。
[ck]「亡き母の教え」:幼き頃から、母の教えに従って「ものを考え」「ものを見て」「人に接して」生きてきた。それは「母が亡くなった」今でも“(さほど)変わらない”。→これは「ある場合」でしょう。
[cl]「宗教からの離脱」:昔々、ある新興宗教の信者だった。しかし、ある事件がきっかけで、その集団から離脱し、「何であんなものを信じていたのだろうか、馬鹿馬鹿しい」と自らを省みた。→これは「ない場合」でしょう。
[cm]↑
少々極端な例でした^^。人間は、生まれてから今に至るまで、種々の人々、種々の集団から影響を受けながら生き(続け)ています。そうした「人々」や「集団」のうち、今でも自分に影響を及ぼしているものもあれば--「ある場合」--、忘却の彼方に飛んでいったものもあるでしょう--「ない場合」--。
[cn]https://archive.ph/77bgM#selection-647.3-647.8
[co]人間の認識は、すべて「分類」から成り立っています。
<私が木曜日の2時間目に演習室3で13名の学生に外国書研究の授業を行う>。
ここには既に、1)「私」、2)「木曜日」、3)「2時間目」、4)「演習室」、5)「3」、6)「13名」、7)「学生」、8)「外国書研究」、9)「授業」、10)「行う」、という10種の分類があります。
[cp]1) A先生でもなくB先生でもなく、他ならぬ「桑原」が、
2) 月曜日でもなく火曜日でもなく「木曜日に」、
3) 1時間目ではなく「2時間目(10:30~)」に、
4)大講義室ではなく「演習室」で、
5) 演習室「1」でも「2」でもなく、演習室「3」で、
6)「100名」でも「1名」でもなく「13名」に、
7) 高校生(オープンキャンパス)や社会人(公開講座)ではなく、鹿児島大学の「学生」に対して、
8) 「社会的コミュニケーション論」ではなく「外国書研究」という、
9) 実習でも演習でもなく「授業」を、
10) 「休講」に「しない」、という風にです。
[cq]↑
さらに細かく分類することも出来ます。
[cr]↑
ただ、こうした分類を自覚している場合としていない場合があります。日常生活における日常的な分類は「していない場合」が多いでしょう。とはいえ、科学者が研究対象を研究・分析(分類)しているときというのは、かなり「(自覚)している場合」でしょう。
[cs]Cf. 分類とは(https://archive.ph/77bgM#selection-511.33-519.15)
[ct]人間は常に、「ある一定の事柄」の「ある一定の側面」しか、「知覚・認識」することが出来ません。
そしてある人間が、「何」の「どの側面」を「どういう風」に認識するか(=「知覚された経験の組織化」の如何)は、その人間のパースペクティブ(=予期された事柄や自明視されている事柄)に依存します。
[cu]この論文(https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y022-043.pdf)の、(25)=52頁を見てください。
[cv]Cf. 「知覚が選択的である」とは?
https://archive.ph/DC84g#selection-885.0-885.10(http://archive.ph/a8DDN#selection-723.0-723.10)
[cw]=パースペクティブ
[cx]<ある人間が知覚の対象として何を選択するか>は、<その人間の経験や常識や興味(予期)>に左右される、という仮説を検証するためです。
[cy]Cf. https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y022-043.pdf
の(25)52頁
[cz]https://archive.ph/i7G1S#selection-731.0-731.30
[da]Cf. "Point of view" by A. Averchenko, in J. M. Charon, 1989, Symbolic interactionism, Prentice Hall, ch.1.
[db]同じ環境でも、人によってどこに目をつけるか、それをどう捉えるか、「何故」そこに目をつけるのか、そう捉えるのか、が違う。一般の人々は、自分の常識を持って他者の視点を推測しがちである。社会学者はそんなことをしてはいけません!
[dc]Cf. https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%8D%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E2%80%95%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%81%A8%E7%B5%82%E6%9C%AB%E6%9C%9F%E3%82%B1%E3%82%A2-Barney-G-Glaser/dp/4260347772
[de]「孝行したいときに親はなし」
[df]祖母の他界。死に対する考え方が劇的に変化(気持ちのレベル)。
[dh]過去についての、
歴史に関する、
[di]例えば、「第1次世界大戦」。これは、第2次世界大戦が起きるまでは、「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれていました。「世界大戦」と呼ばれてはいたかもしれませんが、これが「第1次」となるのは、「第2次世界大戦」が起きた後のことです。
[dj]歴史上の個々の事実が、ある特定の時期に発生した、という事実は変わらなくとも、その個々の事実の相互の関連性は、その時代、その時代の歴史家のパースペクティブによって、その都度その都度関連付け直されてゆきます。
[dk]・歴史上の人物の再評価
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/2289(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%80%80%E5%86%8D%E8%A9%95%E4%BE%A1)
・1位、明治維新(17.8%)、2位、黒船来航12・4%)、3位、第二次世界大戦(12.3%) https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3646
・西郷隆盛 https://books.google.co.jp/books?id=2Iv8FKfNa9YC&pg=PA17&lpg=PA17&dq=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%80%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E8%A9%95%E4%BE%A1&source=bl&ots=38VUQ7PuKN&sig=ACfU3U2NMHqU8RWaw9pvHaCmfryHjC_0BA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjB_ZbkmIjqAhUD7WEKHSCACf0Q6AEwA3oECAkQAQ#v=onepage&q=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%80%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E8%A9%95%E4%BE%A1&f=false
・太平洋戦争 https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%80%E6%84%8F%E7%BE%A9
・黒人問題 https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk03aaP-cBHh0wr9zgCqeQfTwnKUSZg%3A1592375194914&ei=mrfpXp2gN5ei-QbznLPoAg&q=%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%80%80%E5%A4%89%E5%8C%96&oq=%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%80%80%E5%A4%89%E5%8C%96&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzoECCMQJzoECCEQFVCOqgFYucQBYObHAWgAcAB4AIABfogB8QiSAQQwLjEwmAEAoAEBqgEHZ3dzLXdpeg&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwid1d3um4jqAhUXUd4KHXPODC0Q4dUDCAs&uact=5
・クリストファー・コロンブス https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9%E3%80%80%E5%86%8D%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%80%80%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%95%8F%E9%A1%8C
・経済学史における学説史的再評価/社会学史における学説史的再評価/相対性理論と原子爆弾
[dl]Cf. あまり良い例ではないが、殺人事件が起きると、メディアは十中八九、その容疑者/被害者の小学校時代の卒業文集に言及する。容疑者であれば「やっぱり小さなころから変な人間だった」証拠として「定義」され、被害者であれば「こんな健気な子が・・・」と美談に仕立て上げられる(https://blog.goo.ne.jp/konotawake/e/200ff5e6f2d37c0e69431498f9dbd401)。もちろん、事件それ自体が起きなければ、さして注目を浴びることもない。
[dm]Cf. これは非常に示唆的だった。
NHK「歴史秘話ヒストリア 織田信長」
[dn]過去の事実は変わらない。でも、過去の意味(意義・位置づけ)は無限に変化しうる。
[do]「重要性」も変化する、無限に。
⇒歴史の教科書の分量・厚さ
[dp]「歴史の教科書」を例に挙げましょう。目下、私の子供は高校生ですが、子供が使っている歴史の教科書を見ると、その「厚さ」(ページ数)という点では、私自身が高校時代に使っていたものとさほど変わりはありません。
[dq]ちなみに、私の父(74歳)が高校時代に使っていた教科書と比べてみても、やはりそれほど変わりはありません。
[dr]もし歴史の教科書というものが、過去に存在したすべてのことを記したものであるとするならば、歴史の教科書は「毎年」「より厚く」なって然るべきです。しかしそうはなりません。
[ds]何故か? その都度その都度の「現在」(2020年、1987年、1963年)の視点から、過去の事象のいくつかが選択され、整序し直されている、からです。
[dt]実際に過去に起きたことは変えられません。ただし、「それは重要なことなのかどうか」、「悪いことなのかどうか」、「誰が悪いのか」etcは、その都度その都度の「現在」に生きている人々の視点が決めるものです。
[du]Cf. https://web.archive.org/web/20200507183639/http://www.tsukurukai.com/
[dv]大河ドラマを見ていると、(例えばですが)「徳川家康」でも、ドラマによって描かれ方が違います。また家康が「主役」か「脇役」かによっても、その描かれ方は違います。
今「麒麟がくる」をやっていますが、当然ながら、毎回、「明智光秀」が登場します。とはいえ、当然ながら光秀が「脇役」として登場してきた数々の過去の大河ドラマでは、こんな頻度で登場することはありませんでした。
[dw]↑
「物語(=歴史)」を「書いている(=作っている)」人間の「視点(パースペクティブ)」が違うからです。
[dx]↑
上記と同じことが、「歴史家」「歴史学者」についても当てはまる、ということです。
[dy]Cf. https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E4%BF%A1%E7%8E%84%E3%80%80%E8%AC%99%E4%BF%A1%E3%80%80%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC%E3%80%80%E6%B6%88%E3%81%88%E3%82%8B
[dz]日露戦争が起きたことは、まぎれもない歴史上の事実です。とはいえ、この事実が、日露戦争直後に持っていた意味(歴史的意義)、太平洋戦争開戦前、戦中、戦後に持っていた意味、現代に持っている意味は、それぞれ異なります。太平洋戦争の「意義」についても同じことが言えます。
[ea]Cf. 「何人ものシーザーがルビコン川を渡った」(徳川直人[2006]『GHミードの社会理論』東北大学出版会)。
Cf. マルクスの書いた『資本論』の内容は、時代によって日によって変化したりはしない。ただ、その意味(意義、理論的な意義、歴史的な意義etc)は、歴史の中で絶えず書き変えられている。→学説研究
[eb]「多くの違ったシーザーがルビコン川を渡った」(GHミード[1994年]魚津郁夫・小柳政弘訳『西洋近代思想史・下巻』講談社、259頁)。
↓
徳川直人[2006]『GHミードの社会理論』東北大学出版会、8頁、76頁。
1)第二次世界大戦が「最後の」世界大戦であったかどうかは、今後の歴史で決まる。
2)日本の戦後が「何であったか」は、・・・どんな次の一手を作り上げるかという問題である。
3)「出来事は“結末”を持つ歴史として現れる」
4)「現代日本」とは明治維新からか大正デモクラシーからか戦後改革からか、それとも高度経済成長からか。
5)あるビジネスマンの突然死をどのような過去に接続するか(会社側の労働強化にか、それとも個人の不摂生にか)。
[ec]・「セクハラの歴史」は、まずもって「セクハラ」という言葉が誕生しなければ成立しない。「女性が男性から不快な思いをしてきた歴史」は存在し得ても、それは「セクシャルハラスメント成立史」にはならない。
「セクハラ」という言葉が誕生し、その誕生地点(時点)から過去に遡って、その言葉に対応する種々の過去の事実が選択され整序されてはじめて、「セクシャルハラスメント成立史」ができあがる。
・「黒人問題の歴史」は、“いつから”存在した、と言えるだろうか。少なくとも、アメリカにおいて奴隷制が始まった直後から存在していた、とは考えられない(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/6527/4/kenkyu0003001790.pdf)。
・「黄色人種」の歴史[https://twitter.com/s_kayanoki/status/1277421285950148613]
[ed]1)人々の行動パターン
2)行動パターンを支える価値観や規範(≓パースペクティブ)
[ee]ちょっと私には難しいですね、、、。
「イルカは文化を持っている」という記事がここにあります(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/041200224/)。テレビでも一度番組として取り上げられていました(いつのどこの局のなんて番組かは覚えていませんが)。真偽のほどは定かではありません、、
[ef]ただ、この論文で言われている「文化」は、「後天的に学習を通じて獲得されたもの」で、「複数の個体に共有されているもの」なので、予めその種に本能的セットされている行動パターンは、ここでの「文化」には含まれません。
[eg]加えて、「人間」が「複数の犬」に「何らかの行動パターン」を教え込み、それをその犬たちが実践しても、それは「文化」ではありません。その「複数の犬」たちが、「自分たちで」「コミュニケーションを行って」、その結果として、その犬たちの間に「何らかの行動パターン」が生じたら、それは「文化」になりますが。
[ei]敬語(行為)⇒上下関係を重視する(慣習的な理解)⇒タテ社会(社会のあり方)
[ej]毎年正月に家族みんなで餃子をつくったり魚を調理したりする⇒<年末にお金が残るように>
[ek]お見舞いの時、病人にものを送るとき、「数」を重視する。「4つ」を避ける。「4」=「四」=「死」を避ける。
[en]https://megalodon.jp/pc/main?url=https%3A%2F%2Fgemini.google.com%2Fshare%2F1932cfb6ff49
[eo]精霊馬 https://www.google.com/search?q=%E8%8C%84%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%89%9B+%E3%81%8D%E3%82%85%E3%81%86%E3%82%8A%E3%81%AE%E9%A6%AC&sourceid=chrome&ie=UTF-8
[ep]https://www.google.com/search?q=%22%E7%B2%BE%E9%9C%8A%E9%A6%AC+%E5%85%88%E7%A5%96%E7%A5%AD%E7%A5%80+%E8%BE%B2%E8%80%95%E7%A4%BE%E4%BC%9A%22%E3%80%80English&sca_esv=f87f5a3d8cf34a9f&biw=1920&bih=911&sxsrf=AE3TifO7IvqEBngrpK31JKyTDnXN0ApLnQ%3A1755057149484&ei=_QucaLeqHcXS1e8P4tyF8QM&ved=0ahUKEwj3nNKv8YaPAxVFafUHHWJuIT4Q4dUDCBA&uact=5&oq=%22%E7%B2%BE%E9%9C%8A%E9%A6%AC+%E5%85%88%E7%A5%96%E7%A5%AD%E7%A5%80+%E8%BE%B2%E8%80%95%E7%A4%BE%E4%BC%9A%22%E3%80%80English&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiLyLnsr7pnIrppqwg5YWI56WW56Wt56WAIOi-suiAleekvuS8miLjgIBFbmdsaXNoMgUQABjvBTIIEAAYgAQYogQyCBAAGIAEGKIEMgUQABjvBUiDHVCvC1itGXABeACQAQCYAeEBoAGXCaoBBTEuNi4xuAEDyAEA-AEBmAIJoAK_CcICCxAAGIAEGLADGKIEwgIIEAAYsAMY7wXCAggQABiiBBiJBcICBhAhGAoYKpgDAIgGAZAGBZIHBTEuNy4xoAf9DrIHBTAuNy4xuAe5CcIHBTAuMi43yAcf&sclient=gws-wiz-serp
[eq]http://archive.today/2014.02.11-062324/http://8155.teacup.com/interactionism/bbs/t6/l50
[er]Conventionnal: 従来からの、伝統的な、昔から継続的に
[es]ずばり、「コミュニケーションを通じて」、です。
[et]Cf. 「意味の社会性(第2の前提)」(https://web.archive.org/web/20180119023336/http://www.geocities.jp/ptk20120118/20170801-31/20170901-30/20171001-31/20171101-7/20171108-13/20171114/201711141642/Lecturenotes/Socialself.htm)
[eu]1)文化は絶えず変化している。
2)人々が文化に基づいて行動することによって、その文化が維持される。
[ex]法律という規範の適用の仕方は、長い年月にわたるコミュニケーションの蓄積の結果として変化してゆく。その典型例が「判例」の変化。とりわけ、強制わいせつ罪、強姦罪(不同意性向罪)、名誉毀損罪。
[ey]不同意性交等罪
[ez]共同行為
[fa]相手の行動パターンに対する予想
相手の地位や役割から、相手の行動を予想する、その内容
[fb]リアクションの予想
[fc]=反応(reaction)
[fd]ドイツ人=理論的で理性的(という風に習った)Through 本やいろいろなメディアの情報
ドイツ人の友人→すごい感情的な人だった。
↓
「へえ~、ドイツ人も感情的になるんだ!」→既存のドイツ人に対するパースペクティブを修正した!
[fe]ルース・ベネディクト『菊と刀』
→日本人は「人の眼」を気にする。
[ff]中国「女人心海底针」
日本「女心と秋の空」
[fg]その通りです!
[fi]社会学においては、一般に「社会統制」という言葉は、<社会システムが、その構成員である個々人に強制的に課すもの>、つまり、<社会という外側から、個人の内面という内側>へ課されるものととらえられてきました。
[fj]これに対して、Meadは、個々人が、内面化した基準を手掛かりにして、自分で自分をコントロールする、という営みに着目しました。
[fk]Meadの思想を継承するシンボリック相互作用論は、上記の営みこそが「社会統制」である、と考えるようになりました。
[fl]講義中に非常に眠たくなった。本能としては「眠りたい」。しかし、ただでさえ高い学費を払って大学に通っている。それを考えれば、ここは「眠ってはいけない」→「講義を必死に受けなければならない」と「考え」、結果として「眠らない」という選択を行う。
↑
内的で心理的な社会統制の具体例。
--------------------------------
眠たい→眠ろう→眠った←先生から注意された→仕方なく起きた。
↑
従来の一般的な社会統制の具体例
[fm]役割取得(https://evangelist-st.com/?p=580)
[fo]https://archive.ph/PeUhC#selection-1237.4-1237.24
[fp]共有されたパースペクティブ
[fq]生活環境etc。
[fr]人間は、自分で自分をコントロールする→「社会統制」につながる。
[fs]=パーソンズ社会学(https://archive.ph/x25sn#selection-469.83-469.379)に対する批判
[ft]パーソンズ=社会統制の原因を社会の作用に求めたのに対して・・・
SI=個々人がパースペクティブを取得し、自分で自分をコントロールする、という営みに求めた。
[fu]中国人も日本人も餃子を「おいしい『餃子』という名前の食べ物」と共通して定義する。
[fv]これは共通のパースペクティブを獲得し、それを餃子と呼ばれる対象に適用しているからだ。
[fx]違う集団に属している人々は、同じものでも違う風に定義する(define)。
https://web.archive.org/web/20140922064631/http://www.sp.is.tohoku.ac.jp/oc/htmls/com.html
[fy]その集団では「一般的な」パースペクティブである。
[fz]精神疾患:統合失調症
癲癇
⇒病気に罹患すると「恥ずかしい」という気持ちを抱きがち。
↓
差別するな、正しい知識に基づいてその病人を捉える、そういう教育が必要(新たなパースペクティブの形成と内在化の必要性)。
[ga]一般的な(https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/generalized/)パースペクティブ
その集団が直面する様々な事柄に適用できる、そしてみんなが持っている、そういうパースペクティブ。
[gb]葬儀の場で、思い出し笑いをしそうになり、必死にこらえた経験。
○
[gc]休肝日を週に1日にしたいが、それを妻にいえば、激怒される。。。
×
[ge]家庭でむしゃくしゃしたことがあった。それを職場に持ち込む。
[gf]望ましくない衝動
この場で「オヤジギャグ」(冷笑话
)をいいたい。とはいえそうしたら場が冷めてしまう(しらける)。だから「控える」。
「布団がふっとんだ」
「隊長! 体調がよくありません」
「君は今日はちょっとおかしいね」⇒「何が?」⇒「今日はいつもより『かわいすぎるよ』」(in China)。
[gg]社会の中で起きていることと、自分の頭の中で起きていることがほぼ一緒。
[gh]他者たちの目に映った自分自身の姿、を捉える。
[gi]その通りです。シンボリック相互作用論では、というよりも、社会学では、生物学的な特質以外のものは、すべて「後天的に」「外側から」「他者たちから」獲得されるもの、と考えています。
[gj]他者がその場にいて、いちいち「ああしなさい、こうしなさい」と言わなくても、彼が何を自分に期待しているかを自分で察知することが出来る。
[gl]パースペクティブにも2種類あります。一つは、A君が独自に持っているA君に独特のパースペクティブ。もう一つは、ある集団のメンバーの全員(A君、B君、C君、D君、E君、F君・・・・)が共通して持っている「一般的な」パースペクティブ。
[gm]ここでは、後者のパースペクティブを指しています。
[gn]鹿児島大学法文学部法経社会学科地域社会コース、経済コースの学生にとって、『修学の手引き』の内容は、この具体例の一つでしょう。
また1年生の時の必修講義「社会科学基礎(オムニバス)」の内容は、法経社会学科の学生全員にとっての「分有されたパースペクティブ」で(あって欲しいです)。
[go]たしかに、現代社会においては、人々は、多種多様な集団に属し、その集団ごとに、依拠するべきパースペクティブも異なり、その結果として、一人の人間として一貫性を保ちにくくなります。
[gp]とはいえ、例えば、「職場では威厳を持った大学教授」、「家庭ではさえない中年男性」、「高校時代の同窓生の前ではおちゃらけたキャラ」の人物であっても、「職場では」、「家庭では」、「同窓生の前では」、それぞれ一貫したパーソナリティを示しています。「職場では」いつも「威厳を」、「家庭では」いつも「さえない」、「同窓生の前では」いつも「おちゃらけた」、という風に。
[gq]加えて、個人が持っている多様なパースペクティブの中には、その人にとって中核的な存在を占めているパースペクティブというものがあります。私にとっては、「日本人的な思考」というのがそれにあたります。
[gr]そういう私が「未知の状況」に遭遇した時には、かなりの確率で、「日本人的な思考」というパースペクティブをその「状況」に適用すると思います。
[gs]でも、中には、どんな時でも、どんな場所でも、一つのやり方を押し通す人がいる。
[gt]ある一つのパースペクティブを「すごく強く」持っている人である。
[gu]人間というのは、《何でも楽をしたい》、という性質がある。
だから、何をするに際しても、楽なやり方でやろうとする(ところがある)。
「解釈」という活動にも当てはまる。
↓
1)何事も「単純化」しようとする。
⇒「ステレオタイプ(紋切り型の固定観念)」
2)自分の既存のパースペクティブをそのまま適用しようとする。
[gv]ゼミ生の体験記
[gw]https://archive.ph/FM4Hk#selection-249.0-265.30
[gx]https://archive.ph/0OybV#selection-445.104-445.207
[gy]船津衛(2011)『自分とは何か--「自我の社会学」入門』恒星社厚生閣、134-135頁。「ジェスチャー」の意味。
[gz]その通りです。「白い肌」「金髪」「青い瞳」=「アメリカ人」というパースペクティブを持っている人には、イギリス人もフランス人もドイツ人も・・・・・すべて「アメリカ人」に見えるでしょう。で、「Excuse me?」と英語で話しかける可能性があるでしょう。
[ha]ちなみに私は、小学校1年生の時にイギリスに住んでいましたが、最初のころは10人中10人の友達から、「You must be Chinese , Right?」と言われました。彼らから見れば、アジアの人間はすべて「中国人」だったのです。
[hb]あくまで「一意見」です(https://web.archive.org/web/20190503045627/https://www.ifvoc.org/communism/class/)。
[hc]↑
一「政治団体」のようです(https://www.soumu.go.jp/main_content/000068055.pdf)
[hd]Cf. 知識(≒パースペクティブ)が少ないと、選択肢も限定的になる。そのよい例が、「子供の将来の夢」。第1位から3位はあまり変動しない(https://soma-kaeru.com/16715/#st-toc-h-2)。
[he]LGBTが登場する以前では、人間は「男」or「女」のいずれかであり、体の性と心の性が同じであることが「当然」とされていました。この基準から外れることは「異常」とされていました。なので、LGBTの普及=「性」の「選択肢」が増えた、と考えて間違いないです。
[hf]OKです。状況を「より」適切に解釈している、ということは、その状況に対して、単に「より」正確な定義を下している、ということのみならず、「より」多くの選択肢を見出している、ということを意味します。
[hg]現在、withコロナの中での「子供の不登校」「登校拒否」「登校に伴うストレス」が問題となっています。こういう時には、大人(親)が子供の選択肢を広げてあげることが重要です(https://www.asahi.com/edua/article/13404301?p=1)。
Cf. https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/274/
[hh]本当は選択肢があるのだけれど、それに当事者が気づいているとは限らない。
[hi]過去から現在に至る人間の営みの全てについて、その特徴と複雑性を解明し、人類が抱える諸問題への解決の糸口(処方箋)としようとする学問である。
[hj]言語人類学。
[hk]Cf. ウォロフ族の挨拶
[hl]挨拶と喜捨(イスラム教の言葉)のやりとり⇒資本主義の歯車を回す。
[hm]社会人類学
中根千枝『タテ社会の人間関係』
[hn]サピアー=ウォーフ仮説
[ho]人間の知識が、どういう社会的状況での生活から生まれたのか、変わったのか、etcを研究する分野。
[hp]「社会学の社会学」
⇒ある社会学理論は、どんな人が、どんな社会の中で作ったものなのか、を研究する分野。
[hq]前近代社会においては、人々は共通して同じ集団に属していて、その所属集団が準拠集団となっていました。なので、わざわざ「準拠集団」という概念を作って、詳細な分析を行う必要がなかったのです。
[hr]ところが近代以降の社会においては、人々は、多様な集団に同時に属するようになり、観察者から見て、どれが準拠集団になっているのか、一見ではわからないほどに複雑化しました。人によっては、所属していない集団を準拠集団にしていたり、集団ですらないものまでもが準拠集団として依拠されたりするようになりました。なので、「古くからあるもの」「古くからなじみのある理論」を「準拠集団」という概念に改鋳し、洗練・展開するひつようが生じたのです。
[hs]1945年~1955年の10年間 in 合衆国
[ht]注の61を参照してください。
[hu]社会学では、「集団」「社会化」という概念が、社会心理学では「一般化された他者」という概念が、そうした「なじみのある理論」でした。
[hv]1950年代のアメリカ社会
[hw]メンバーではないし、メンバーと見なされてもいない集団
[hx]昔はメンバーだったかもしれない
[hy]桑原が「東北大学文学部社会学研究室によると、今、○○理論が日本で流行している」、と述べる。
[hz]今まで一度もメンバーになったことがない集団。
[ia]桑原が「1920年代のシカゴ大学社会学科では、○○理論という考えたが広く用いられていた」、と述べる。
[ib]存在しない個人=ブラック・ジャック
[ic]書物の中にしか存在しない集団など。
[id]名探偵コナンとその仲間たち
[ie]ドラえもんの世界(未来の世界)
[if]まさにそうですね。SNSの普及は、「なんでもかんでも」「準拠集団」になりうる、という状況を生み出しました。「イスラミック・ステート」はその悪しき象徴の一つでしょう。
[ig]Aさん(10種類の集団に所属している/その中の3種類は実際には存在しない集団/他に2種類のAさんとか関係ない集団から影響を受けている)を、Bさんが観察するとどうなるか?
[ih]Bさんにとって、Aさんは「わけの分からない人」となる可能性が高い。
[ii]↓
AさんとBさんの相互理解のためには(またAさんの研究のためには)「準拠集団」概念が必要!
[ij]概念(=パースペクティブ)とは、人間に「着眼点」と「仮説」を与える。
[ik]1940年代、50年代というのは、構造-機能主義という流派が、社会学を「支配」していた時代です。社会学者は「皆」「もっぱら」(=「支配的」に)、社会構造に「関心」を抱いていました。社会成層などの社会構造の仕組みを探究し、それがどのように人間の行動を決定するか、という観点から個人と社会の関係が研究されていました。
[il]とはいえ、60年代初頭になると、研究の焦点が、そうした「大きな社会」の「仕組み」(=客観的な社会構造)から、そうした仕組みを支えている個々人の内的な側面(主観的側面、種々の経験)にシフトしていきました。
[im]その「シフト」を促した論文の一つが、このShibuani, 1955, Reference Groups as Perspectivesです。
[in]「見ている」部分に対する、何らかのイメージ(像)を形作ること。
[io]準拠集団=所属集団、ではないよ!
[ip]http://hdl.handle.net/10232/8097
[iq]対象文献=「準拠集団と社会統制」(https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y022-043.pdf)
[ir]う~ん、ここは微妙ですね。ただ均一化されてゆく側面が増えてゆくのは事実ですね。他方で、グローバル化に対する反発として、さらに多様化されてゆく側面も増えてゆくでしょうね。
[is]参与=参加=Participation
[it]互いに、顔と名前が分かっている集団
[iu]共同行為
[iv]くっついた、くっつけられた
Attribution
[iw]Cf. https://ejje.weblio.jp/content/attribute
[ix]これが一番典型的。
上流階級、中流階級、下層階級
[iz]?
[ja]鹿児島県人(鹿児島市民)?
[jb]例えば、「スラム地区」の人々。
[jc]People in a given community
⇒https://ejje.weblio.jp/content/Community
「ニューヨークのユダヤ人社会」
「○○界」(学界、「社会学界」)
[jd]たんに「地域社会」という意味かもしれない。
[jf]観客=舞台
個人=演技者(Performer)
[jg]http://hdl.handle.net/10232/8097
の図1
[jh]情報の提供源・入手先(入手元)
[jj]Communication channels
[jl]人々のコミュニケーションや社会関係が「枝分かれ」している。
[jm]社会的距離=親密さの程度
「物理的距離」とは違う。
[jn]アメリカの都市
物理的距離と社会的距離の不一致
[jo]社会的距離が存在する=疎遠である
[jp]ぎょうり
[jq]https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%87%9D%E9%9B%A2
[js]人種葛藤
[jt]移民新聞
[jv]ここは私の誤訳です。「経済的地位」ではなく、「経済状態」(https://eow.alc.co.jp/search?q=economic+status)と訳すべき箇所でした。Cf. 社会経済的地位(https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/050524SES.html)
[jw]ここで言われていることは、生活様式を決定するのは、「『経済状態』それ自体」ではなく、「職業の類似性」と「所得レベルによるコミュニケーション・チャンネルのえり分け」ですよ、ということです。
[jx]これはアメリカについて書かれていることなので、ここでの社会階級というのは、日本で言う「上層・中層・下層」とは少し趣を異にします(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%9A%8E%E7%B4%9A#%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)。
[jy]あえて無理やり日本に適用して考えるならば、例えば、代々医者の家系で本人も医師をやっている人、という人物を念頭に置きましょう。この人は、小さいころから、医者集団の中で育ってきました。この人にとって医者というのは何ら「雲の上」の存在ではなく、「当たり前の身近な人々」です。
[jz]親や祖父母から耳にする話、目にする事柄、彼らの生活スタイルは、自ずと彼の生活スタイルになってゆきます。そして医大を受験するためには、他の医大受験生と同じような学校で、予備校で、参考書を使って、勉強するでしょう。
[ka]そして自分も医師になるとします。そうなると、親や祖父母や彼の職場の同僚の医師と同じような「職業上の関心」を持ち、同じようなお店で食事をしお酒を飲み、同じような人々と付き合いを持つ可能性が高いです。
[kb]この「同じような」を、彼ら医師たちの収入それ自体で説明することは不可能です。例えば、同じ収入を得ているヤクザが、収入が同じだからと言って、同じ生活様式を発展させるとは思えません。また同じ階級に属する同じ収入を持つ芸術家も、やはり、「収入が同じ」だからと言って、同じ生活様式を樹立するとは考え難いです。
[kc]「所得レベルによるコミュニケーション・チャンネルのえり分け」、という点についてですが、注の68のコメントを見てください。
[kd]アメリカは、ジョブ型社会である。なので、職業といえば、例えば「鹿児島大学の教員」か、それ以外の大学の教員か、ではなく、まず何よりも「何学者であるのか」、を意味する。社会学者なのか、経済学者なのか、社会学者であれば、どういう流れの学問を専門とする社会学者なのか、と。
[ke]同じ社会学者でも、非常勤講師(非正規雇用)では、使える研究資金・文献・機器・施設やサービス・機会や人間関係に大きなデメリットを抱えてしまう。
[kf]Cf. 非正規雇用×「結婚・子供の数」
[kg]Cf. 非常勤講師×コロナ(https://twitter.com/Juli1juli1/status/1264584681380446214)
[kh]英会話を習いたい。とはいえ、「セブ島での英会話合宿」に参加できる人もいれば、「NHKラジオ英会話」が精いっぱいの人もいる。
[ki]なんかよい例が浮かびません、、、何方かいい例を挙げてください。
[kj]収入がある
→海外旅行に行ける→見聞を広められる。
→海外に留学できる。
→社交界に参加できる(http://archive.ph/YYiv3#selection-631.3-631.20)
→会員制のクラブへの加入→人脈
[kk]元々は、これ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%BF%83%E5%86%86%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB)を説明するためにつくられたものです。
Cf. 『ゴールド・コーストとスラム』(https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/285143/www3.u-toyama.ac.jp/takayama/class/2003/sociology_of_community/20030520lecture.htm)
[kl]経済状態に固有の何かによるものではなく、職業(活動)の類似性と所得による制限が限定されたコミュニケーション・チャンネルに人々を振り分けるからである。
[km]Occupation 職業、趣味、活動一般
[kn]持っているお金の量=生活様式、パースペクティブ
[ko]接触しているコミュニケーション・チャンネルが違う。日頃読んでいる本・雑誌etc、見ているテレビが違う。人間関係が違う。
[kq]・医者の息子は医者になる。
・高収入の親の子どもは、「良い大学」に行きやすい。
[kr]「マルクス主義」の経済決定論を意識している?
[ks]「致し方なく」というよりも、「自ずとそうなる」というぐらいの意味だと思います。
[kt]私は社会学者という仕事をしています。他の社会学者と同じく、職業柄、似通った情報媒体に接しています(『社会学評論』『ソシオロジ』)。しかし、同時に私は、地方国立大学の一教員です。貧乏ではありませんが、お金持ちでもありません。私が東京の世田谷に一軒家を構えるのは不可能です(所得レベル)。世田谷に一軒家を構えると、同じく世田谷に住んでいる富裕層の人々との間にコミュニケーション・チャンネルが形成される可能性がありますが、私の所得レベルではそれは不可能です--そもそも世田谷に住もうとは思いませんが--
[ku]確かに言われてみればそうですね。「身内びいき」×「外集団への敵意」と考えれば、同じかもしれません。
[kv]学者は、専門(流派)によって、接触する(評価する)コミュニケーション・チャンネルが違う。
[kw]構造機能主義 vs 意味学派(そのなかにシンボリック相互作用論)
[kx]=佐藤勉(富永健一) vs 船津衛
[ky]そういう「社会科学者」も「いる」という話です。社会科学者のみんながみんなそうだとは言っていません。
[kz]社会科学には、経済学、政治学、法律学、経営学・・・・社会学とありますが、社会学に限定して話を進めるならば、社会学者の中には、文献ばかりを呼んでひたすら理論化し、その理論に都合の良い事例のみに注目する--ほかの者には目もくれない--、というタイプがいます。
[la]おそらくはここでは、構造機能主義という立場に立つ社会学者たち(+マルクス主義者)を批判しているんだと思います。
[lb]城戸秀之先生は、その恩師である鈴木広から、「テレビは見るな! 新聞を読め」と言われたそうです。
[lc]これは悪い意味で社会科学者にありがちな態度です。「マスコミが風情が偉そうに、何をわかったようなことを!」という態度を持ちがちな社会学者は日本にもいます。
[ld]≓最先端のもの
[le]存在被拘束性
[lf]これはわかりません。ごめんなさい。ウィキペディア(https://en.wikipedia.org/wiki/Taverns_in_North_America)も読んだのですが、どうもとらえどころがないです。
[lg]?
[lh]反近代主義(反功利主義、反作業革命反資本主義etc)、近代の思潮に反発し、中世の考え方こそ最良のもの、と考える人々のことだと思います。Cf. http://archive.ph/YBEFv#selection-387.187-387.203
ロマン主義者(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9)ともいわれます。
[li]いつの時代かな? ということに気をつける。
[lj]たくさんコミュニケーション・チャンネルがある。
それぞれが独自な主張をしている。
互いに対立している主張を行っているチャンネルもある。
読売新聞vs朝日新聞
「人々」は、「どちらにも」容易に接触できる。
[lk]男尊女卑 vs 男女平等
[ll]伝統的な社会
文化圏=物理空間
[lm]近代社会の典型
ネット喫茶(ネットカフェ)
[ln]自宅で一緒の部屋でご飯を食べているのに、私はテレビを見ていて、妻はスマホを見ていて、子どもは参考書を読んでいる。
[lo]確かにそういう側面もあるでしょう。ただ、ここで言われていることは、「同一文化」=「同一地域」“ではない”ということです。異なる地域に同じ文化を持っている人もいれば、同じ地域に異なる文化を持つ人々が集住しているところもある、ということだけです。
[lp]私はこの究極例の一つとして、「ネットカフェ」をよく取り上げます。
[lr]全くその通りです!
[ls]なるほどね! 面白いです。そういう考え方もありますね。いい着想です!
[lt]まぁここでは、同じ言葉でも違う意味で使われていることが多々ある、ということです。隠語などです。例えば「レンコン」とは、通常、あの野菜の蓮根を指すでしょうが、暴力団用語では、レボルバー(回転式けん銃)のことを指すようです(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk01vPV0Xks50sXtpfbmxtKLm4QCQYg%3A1592208500161&ei=dCznXpS2Cce4mAXiza7gCA&q=%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%80%80%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6&oq=%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%80%80%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIECAAQBDIGCAAQBBAeMgYIABAEEB4yCAgAEAgQBBAeOgQIABBHOgQIABBDOgQIABAeUIMaWNMlYLkpaABwAXgAgAH_AYgBzQiSAQUwLjcuMZgBAKABAaoBB2d3cy13aXo&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwiUwL3wroPqAhVHHKYKHeKmC4wQ4dUDCAs&uact=5)。
アンダーグランドなところでは、こういう隠語がよく発達します(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB)。
あと、「ギャル語」なんてのも、この例でしょう。
[lu]私事ですが、「ヤバイ」という言葉は、私にとっては長らく「非常に不味い、厳しい」という意味しか持っていませんでした。
[lv]マスコミ論の授業(M先生とSさんは同じ世界に属している)
日本から見た中国 vs 中国から見た日本
For ex. 「民主主義」、「保守(右)vs 革新(左)」
--------------------------------------------------------------------
同じ「社会学界」でも、「行為」に関して実に様々な捉え方をしている。
[lw]深く分析しなくても、「あ~、たぶん、違う意味で使っているんだな」と「直感的に」わかる、という意味です。
[lx]社会が多様であるのみならず、個々人はその多様性を自覚してもいる。
[lz]であり
[ma]互いに相互作用を行っている
[mb]コミュニティ型の社会的世界
[mc]コミュニティとアソシエーション(https://fukuinouni.com/post-483/)
[md]町内会(https://www.google.com/search?q=%E7%94%BA%E5%86%85%E4%BC%9A%E3%80%80%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%80%80%E6%B4%BB%E5%8B%95&client=firefox-b-d&sxsrf=AOaemvLIc02x2PtctXNVwKGe7GUsdlra0w:1642066807733&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiTk5bGt671AhXlslYBHS9LDpMQ_AUoAXoECAEQAw&biw=1920&bih=927&dpr=1)
[me]外国人コロニー、黒人集団
[mf]Cf. 「社交界」http://archive.ph/Tx3VR#selection-1377.9-1377.30
[mg]https://eow.alc.co.jp/search?q=grapevine
[mh]井戸端会議
[mi]「世界の果てで日本人に会うと(想像の共同体)」[https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E3%81%8C10%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%A7%E3%81%96%E3%81%A3%E3%81%A8%E5%AD%A6%E3%81%B9%E3%82%8B-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E5%89%9B%E5%8F%B8-ebook/dp/B07N639STM]172ページ
[mj]ここでは、アメリカへの移民集団が構成する「移民コロニー」(http://archive.ph/c7COJ#selection-905.9-905.13)=エスニック・マイノリティ、が念頭に置かれています。
[mk]例えば、「ポーランド人コロニー」では、ポーランド語の新聞が、そのコロニーにおける中核的な情報媒体となっていました(http://archive.ph/qAxzQ#selection-309.2-309.14)(http://archive.ph/qAxzQ#selection-321.2-321.16)。
[ml]ポーランド語=T. Shibutani(アメリカ人)にとっては外国語、というわけです。
[mm]アソシエーション型の社会的世界
[mn]https://www.google.com/search?lr=&hl=ja&as_qdr=all&sxsrf=ALeKk01_OEpvX_830izqljWFQOsYRs3L4A%3A1592812217852&ei=uWLwXpTEM8n7wQPMqYjYAg&q=%22%E5%AD%A6%E7%95%8C%E3%80%80%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E3%80%80%E8%9B%B8%E5%A3%BA%22&oq=%22%E5%AD%A6%E7%95%8C%E3%80%80%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E3%80%80%E8%9B%B8%E5%A3%BA%22&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzoFCAAQzQI6BAgjECdQ8aQCWNu4AmDRvwJoAHAAeACAAa4BiAH1CpIBAzQuOJgBAKABAaoBB2d3cy13aXo&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwjUhMHz95TqAhXJfXAKHcwUAisQ4dUDCAs&uact=5
[mo]日本社会学会(出入り自由、『社会学評論』という雑誌で、学界の研究動向を把握する)。
[mp]https://machicon.jp/deaibar/column/5339
[mq]https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk02IWRVWm86nB5TRsu_w-Wr4siA7lw%3A1592811594904&ei=SmDwXsTaNoeJoAT3z7HACQ&q=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%80%80%E9%AB%98%E7%B4%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%80%80%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF%E3%80%80%E5%AE%A2%E5%B1%A4&oq=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%80%80%E9%AB%98%E7%B4%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%80%80%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF%E3%80%80%E5%AE%A2%E5%B1%A4&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzoECCMQJzoFCCEQoAFQo0xYrmJgt2VoAXAAeACAAXyIAfwJkgEDNC44mAEAoAEBqgEHZ3dzLXdpeg&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwjEp7vK9ZTqAhWHBIgKHfdnDJgQ4dUDCAs&uact=5
[ms]ゲマインシャフト ゲゼルシャフト(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%82%B2%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%95%E3%83%88%E3%80%80%E3%82%B2%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%95%E3%83%88)
[mt]ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト(https://web.archive.org/web/20130212071859/http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195815/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd16.jpg)
[mu]コミュニティ型よりも、アソシエーション型よりも、さらにすごく「緩い」(出入り自由の度合いがすごく高い)社会的世界
[mv]https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk00DrNe3ZDdse040iRvROXzzmhID-w:1592812339617&q=%E5%88%87%E6%89%8B%E5%8F%8E%E9%9B%86+%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0&sa=X&ved=2ahUKEwikg8mt-JTqAhXBZt4KHZ2TDY0Q1QIoBHoECA4QBQ&biw=1920&bih=938
[mw]参考文献群
[mx]1)宝月誠の「社会的世界論」
・https://web.archive.org/web/20200622064059/http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2008/44-4_02-01.pdf
[my]2)『タクシーダンス・ホール』
・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
・https://www.amazon.co.jp/dp/4863390939/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1508596856&sr=1-1&keywords=%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
[mz]3)ゴフマン
草柳千早(2002)「相互行為における秩序と身体」伊藤勇・徳川直人『相互行為の社会心理学』北樹出版。
[nb]5)パターン変数
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11454418/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/Sociology-2.htm
Cf. 医師-患者関係
[nc]6)鹿児島大学法文学部経済情報学科
[nd]「6)」は、その後、「法経社会学科」の「地域社会コース」と「経済コース」に分かれる。
[ne]必ずしも「互酬的」である必要はありません。雑誌や新聞等を介して「一方向的に」「情報を受け取る」というのも、ここでの「効果的なコミュニケーション」に含まれます。
[nf]=ある一定の「パースペクティブ」が共有されている範囲。
[ng]全くその通りです!
[nh]概して「広くなっている」と言えるでしょうね。特にSNSの普及によって、この論文が書かれた時代(1955年)よりも、さらにいっそう、そうした傾向が強くなっている、と思います。
[ni]ただ、SNSを通じて、アクセスできるコンテンツ(アカウント)が増えれば増えるほど、個々のコンテンツが「アクセスされる」確率が下がる、という逆説も指摘できます。例えば、ツイッターを利用している人々が「10人」しかいないとすれば、個々のコンテンツがアクセスされる確率は「1/10」ですが--自分で自分の過去のコンテンツにアクセスする、というケースもカウントします--、「1万人」いれば、その確率は「1/10000」にまで下がってしまいます。(かなり単純化した計算ですが)
[nj]人々の異質性or同質性
[nk]人数の大小
[nl]集中しているか、散在しているか
[nm]「ザ・マスター」(サイエントロジー)[https://www.google.com/search?q=%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%80%80%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC&client=firefox-b-d&sxsrf=AOaemvJLcTdgkccQNajrg7z-xmSUAvDhlQ%3A1642069774258&ei=Dv_fYYWND4Lm2roPyo-54AM&ved=0ahUKEwiFzNzMwq71AhUCs1YBHcpHDjwQ4dUDCA0&uact=5&oq=%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%80%80%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC&gs_lcp=Cgdnd3Mtd2l6EAM6BwgjELADECc6BQghEKABSgQIQRgBSgQIRhgAUJAMWMonYP4raAFwAHgBgAHzAYgBvAqSAQUwLjcuMpgBAKABAcgBAcABAQ&sclient=gws-wiz]
[nn]全米規模?
[no]埼玉県所沢市(テキサス州のどこかの街のどこかの街区)に拠点を置くカルト集団
[np]ファンクラブ
[nq]「ファン」の線引きが曖昧(https://twitter.com/i/events/1480098975076139008)
[nr]①<一人の人が複数の社会的世界に所属するかどうか>という問題、
②<それぞれの社会的世界の線引きの「広狭」「明瞭不明瞭」>という問題、
③<各々の世界の定まり方>という問題、
この①②③の三つの問題は、多分それぞれ「別物」だと思います。
[ns]おそらくですが、③を決定づけるのは、各々の社会的世界への人々の所属の「流動性」だと思います。あまりに流動性が高いと、「各々の世界が一つに定まらないという状況」が発生する頻度or確率が高まると思います。
[nt]例えば、「阪神ファン」という社会的世界を考えてみましょう。おそらく、とてつもなく「広く」「曖昧な」社会的世界だと思います。しかし一方で“中核的なメンバー”が存在する世界でもあると思います。
[nu]これが、「1分ないしは1秒」ごとに、「全メンバーが入れ替わる」ようだと、とても一つの世界として「まとまっている」(定まっている)とは言えなくなるでしょう。
[nv]コミュニティ型>アソシエーション型>緩やかタイプ、が決まる。
[nw]Cf. A. L. Strauss(https://archive.ph/77bgM#selection-835.164-859.66)
[nx]Cf. Herbert Blumer(http://archive.ph/EKM2k#selection-1125.10-1125.17)
[ny]私の熊大時代の友人関係(社会的世界)
[nz]卒業後、それぞれ、下関、熊本、東京、福岡、宮城県と分かれる。
[oa]社会関係の希薄化
[ob]「友人関係」の消滅寸前
[oc]or 形骸化
[od]こうした事例は頻繁に身近にあると思います。例えば、「サークル」を例に取りましょう。10人の人間が「バドミントン・サークル」を構成していた、としましょう。彼らは皆「鹿大生」で「鹿児島市内」に居住し「週に1回」サークル活動をしていた、としましょう。
[oe]ところが、皆が4年生になって、就職活動を行いはじめ、「週に1回」活動を行うことが困難になったとします。「月に1回」→「2ヶ月に1回」→「3ヶ月に1回」・・・とだんだん活動の頻度が低下していきます。
[of]さらに、皆が県外に就職し、その頻度が「年に1回」→「2年に1回」→「3年に1回」・・・とさらに低下し、終いには「自然消滅」する、というケースはよくあると思います。
[og]余談ですが、われわれ研究者が度々つくる「○○研究会」などは、<何度も立ち上げられ、何度も自然消滅する>、ということが多々あります。
[oh]学校・学年・クラスによっては、「1回で消滅する」「同窓会」もあるでしょう。
[oi]『タクシーダンス・ホール』(https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB24759485)
[oj]もちろん「含まれます」!
「日本語」も、「日本社会」という社会的世界に特有の「シンボル」です。
[ok]ちなみに「日本」という“国家”と、「日本社会」とは、必ずしも一致するものではありません。アメリカ在住の、日本国籍を持たない、日本語が堪能な、ロシア人集団が、日本の高校生と定期的にネット上でコミュニケーションを行っている場合、このロシア人集団は、「日本社会」のメンバーではありますが、「日本(という国家)」のメンバーではありません。
[ol]もちろん含まれます。
Cf. https://www.google.com/search?q=%E9%9A%A0%E8%AA%9E&client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk01Lhjk1jw_lusRfi51yR7I_jo214A:1592721886383&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjM442yp5LqAhWRHHAKHWQ6BgIQ_AUoAnoECBEQBA&biw=1920&bih=938
[om]大学の教員の世界
[on]大学院生⇒助教⇒講師⇒准教授⇒教授⇒学部長⇒学長
[oo]平社員⇒主任⇒係長⇒課長⇒部長⇒専務⇒副社長⇒社長⇒会長⇒相談役
[op]経済的な要因が、ある社会的世界への参入を困難にする、ということは多々あります。
[oq]ただし、経済的な要因が「直接の原因」になる、とは限りません。
[or]①「貧困層の家庭に生まれ育つ」→
②「保護者が子供の高等教育に“まるで無関心”」→
③「参考書を買いたくても買って貰えない/塾に行きたくても行かせて貰えない」→
④「高校や大学に進学できない」、
というパターンは十分に考えられますが、
「①→④」という単純な図式には還元できません。
[os]Cf. 『ゴールド・コーストとスラム』(http://archive.ph/Tx3VR#selection-1335.4-1335.12=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/285143/www3.u-toyama.ac.jp/takayama/class/2003/sociology_of_community/20030520lecture.htm)
[ot]一方で、様々な観点に容易にアクセスし、大きな影響を受け、絶えず自らのパースペクティブを変化させる、というケースが考えられます。
しかし他方で、「自分にとって都合の良い情報」「心地よい情報」にのみアクセスし、視野が極端に狭まる、という可能性も考えられます。
[ou]ジンメルとゴフマン(http://id.nii.ac.jp/1113/00000464/)
[ov]その通りです!
[ow]より正確には、「分からなくなってしまう〔可能性が高まる〕」、でしょうか。
[ox]ここは、原文を忠実に訳出するならば、「交差する」という動詞の主語は「複数の社会圏」ではなく「独自の組み合わせ」の方でなければならない。それを敢えて「複数の社会圏」という名詞を「交差する」という動詞の主語として訳出したが、この訳出に際しては次の文献を参照した。居安 正、2000年『ゲオルク・ジンメル--現代分化社会における個人と社会--』東信堂、39-43頁。
[oy]中間管理職
[oz]授業に関して、学生には「寝るな!」
[pa]私は、会議でよく「寝る」。
[pb]現代社会において、人間は、複数の社会的世界に所属しており、その社会的世界は、各々「関連性を有していない」、という状況です。
[pc]例えば、ある大学生は、
1)大学
2)バイト先
3)自分の家族(定位家族)
4)恋人との付き合い
と、4つの社会的世界に所属していた、としましょう。これらの1)~4)は、相互に何の関連も持たない領域です。「1)」は「4)」の都合でカリキュラムを編成しているわけではなく、また「2)」も、基本的に「1)」「3)」「4)」とは関係なく職場経営を考えているでしょう。
そのため、この「ある大学生」は、それぞれの世界において、それぞれ異なった役割を遂行することを要求され、しかも、その役割の間に「葛藤」が生じることもあります。
「1)」で期末試験がある。
「2)」でシフトを変えてもらえない。
「4)」では、「別れ」を宣告され、期末試験をとるか、それとも恋人の機嫌を取るためにデートプランを練るか、.....
これが「区分化」=「コンパートメント化」された生活です。
[pd]Compartment
[pe]Transaction
[pf]相互行為
[pg]Interaction=相互作用、相互行為
[ph]その通りです。小さな社会(社会的世界)が無数に存在していて、その各々の世界は、基本的には、互いにわけ隔てられています。ただ、相互に完全に無関連かと言えば、そうではなく、互いに何らかの関連性を持っている場合もあれば(「私」の「定位家族」と「生殖家族」)、持っていない場合もあります(「私」の「勤め先」と「かかりつけの病院」)。そうした種々の社会的世界に人々は同時に所属しているのですが、「ほんとうに同時に」所属している場合もあれば(「定位家族」と「生殖家族」の合同会議、つまり、私の父母兄弟と妻子が合同で会議)、時間的に所属がズレる場合もあります(「職場」→「家庭」)。後者の「ズレる場合」が、「移行」にあたります。
[pi]これはある意味、非常に哲学的な問いですね。確かに大きな問題です。
[pj]心理学では有名な議論です(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk02IYMrxvKcrdh__TngtW5ANs91_jg%3A1593158970623&ei=Oq31XqjHJYaGoASS0qwY&q=%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%80%80%E4%B8%80%E8%B2%AB%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86&oq=%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%80%80%E4%B8%80%E8%B2%AB%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIFCAAQzQI6BAgjECc6BggAEAQQJToECAAQFzoFCCEQoAFQuT1YxVJgh1doAHAAeACAAYsBiAGMCZIBBDAuMTCYAQCgAQGqAQdnd3Mtd2l6&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwiozI7Ug5_qAhUGA4gKHRIpCwMQ4dUDCAs&uact=5)。
[pk]私事で恐縮ですが、目下、私の父が埼玉県で闘病生活を送っています。私は自分自身を「親孝行な人間」と捉えようとしてきました。この自己認識からするならば、私は時間の許す限り、埼玉に行って、父のそばにいなければなりません。実際にもそうしたいのですが、関りを持ちたくない縁者がつかず離れず父のそばにいることが最大の要因で、そのようにはしていません。しかし、私は自分に対しては--自分自身との相互作用においては--、「今はコロナだから行けない」、「職場から渡航を控えるように言われているから行けない」と「釈明」を行い、何とか「親孝行な自分」を維持しようと藻掻いています。
[pl],ということではないんですね。
[pm]むしろ、アイデンティティの確立した人間ほど、複数の世界において互いに矛盾した行為を行っているにもかかわらず、「矛盾していない」と思う傾向が強く出てしまいます。
[pn]「フェミニスト」を自任する男性が、自分の妻や娘に対しては「封建的な考え(男女差別的な考え)や処遇」を押しつけている場合、
学校では「お父さん、お母さんに感謝しましょう」と生徒に教えている小学校教師が、自らは自身の父母に全く感謝していない場合、
人権侵害を声高に批判する記事を執筆している新聞記者が、他方で、日々、報道被害に相当する事件記事が紙面に掲載されていることに、何の疑問も抱いていないケース、
[po]「自分自身を合理的に一貫した人間」であると考えている人(=アイデンティティが確立した人間)ほど、自分が矛盾した行為を行っていることに気がつかないものです。
自分は生粋のフェミニストだ!
自分は立派な教師だ!
自分は人権派の新聞記者だ!
[pp]家族(生殖家族)からは「もっと自分の家族のことを考えて!」と要求され、親兄弟姉妹(定位家族)からは「もっと自分の家族のことを考えて!」と要求され、どちらの要求も十分に満たせない、というケース。
アルバイトをしないと大学に通えないのに、大学の指導教員からは「アルバイトを控えて、もっと勉学に時間を割きなさい」と指導されるケース。
新型コロナウィルスをめぐって、「感染収束」か「経済活動の回復」か、選択を迫られている都知事。
諫早湾の開門問題(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk004glgIGX1BCHD917l0SREl1rrI1A%3A1593411580469&ei=_If5XsuKHKmUmAWntrRo&q=%E8%AB%AB%E6%97%A9%E6%B9%BE%E3%80%80%E9%96%8B%E9%96%80%E3%80%80%E6%9D%BF%E6%8C%9F%E3%81%BF&oq=%E8%AB%AB%E6%97%A9%E6%B9%BE%E3%80%80%E9%96%8B%E9%96%80%E3%80%80%E6%9D%BF%E6%8C%9F%E3%81%BF&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIFCAAQzQI6BAgjECc6BQghEKABUPmIAVjzkQFgmZUBaABwAHgAgAGCAYgB5QiSAQM1LjaYAQCgAQGqAQdnd3Mtd2l6&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwjL-O_ZsKbqAhUpCqYKHScbDQ0Q4dUDCAs&uact=5)。
[pq]役割葛藤(Role conflict)
[pr]夫にとっての最大のコンフリクト
「嫁と母親の間での板挟み」
[ps]二つのケースが考えられます。
SNS上で常に「顕名」(実名)で発言している人は、大きな困難を抱えていると思います。
逆に「匿名」(仮名)で発言している人は、その場その場で場当たり的に自分の態度を変えられる(「一般化された他者の役割取得」問題に煩わされない)場合が多いと思います。
[pt]役割葛藤からの脱出方法について
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11887189/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/20171011-13/Master2020.htm(https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11887189/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/20171011-13/Shingo-Itoh-ver1.pdf)
の74~75ページ。
[pu]二つまとめてお答えいたします。
「統合」とは、社会を構成する諸要素(個々人、集団、組織、法律・制度)が「まとまっている」状態を指します。
統合度の高い社会とは、そのまとまりが「矛盾なく」「強い」社会です。例えば、戦前における村落社会はその典型でしょう。村落社会の構成員は、社会の要求されるとおりに行動していれば、何の葛藤も問題もなく生きていくことが出来ます。社会から個々人に対する種々の要求が互いに葛藤していないからです。
逆に統合度の低い社会とは、そのまとまりが「矛盾に満ちて」「弱い」社会です。別言するならば、種々の「社会的世界」から構成され、その種々の「社会的世界」の結びつきが弱く、しかも互いに上手くかみ合っていない社会です。日本における大都市(東京)や、多元主義の国「アメリカ合衆国」がその典型でしょう。
[pv]牧師なんだけど、軍人。
[pw]=社会的世界
[px]「黒人の知識人」「・・・移民の子供たち」「専門職に就いている女性」の3例については、ご指摘の通りです。ただし、Shibutani(→社会学)がそういう「差別的な視点」を持っているわけではありません。「そのような差別的な視点が存在している、これは不条理だ」、とむしろ批判的な態度を持っています。
[py]Shibutani自身も「日系二世」です。上記の「差別的な」「不条理」を強く経験したと思います。
[pz]https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3-136131
[qa]その通りだと思います。認知の広がりは、一方で「コンフリクトによる苦痛」を和らげるでしょうが、他方で「マージナルマン」の存在を際立たせるでしょう。
[qb]加えて、日本政府の「特定技能」制度による、外国人労働者の増加は、まさに「新たな『マージナルマン』」の創出を促進している、とも言えます(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&sxsrf=ALeKk01i-VIYUth8Asrn0vk4A98IsCNsoA%3A1593414220672&ei=TJL5XqnEKMaUr7wPwqSeyAI&q=%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85+%E7%89%B9%E5%AE%9A%E6%8A%80%E8%83%BD&oq=%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85+%E7%89%B9%E5%AE%9A%E6%8A%80%E8%83%BD&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIECAAQHjoECCMQJzoGCAAQBBAlOgQIABAEOgYIABAEEB5Qz5ABWMuhAWDxpAFoAHAAeACAAY4BiAHSC5IBBDQuMTCYAQCgAQGqAQdnd3Mtd2l6&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwipmunEuqbqAhVGyosBHUKSBykQ4dUDCAs&uact=5)。
[qc]「言い換え」というよりも、まさにその通りです。
[qd]その通りです。
Y=準拠集団の選択
X=個人の対人関係
Y=f(X)、という比喩です。
逆もまたしかり。
どういう準拠集団が選択されるかで、どういう対人関係がつくられるかが決まる(場合が多い)でしょう。
[qe]でもまぁ、この論文(Shibutani 1955=2013)は、準拠集団に関する論文なので、後者の例については言及していません。
[qf]そのような人々も含まれます。要は、ある人間が自らの「自我」を形成するに際して大きな影響を与える人々のことです(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E9%87%8D%E8%A6%81%E3%81%AA%E4%BB%96%E8%80%85)。
[qg]「個人を取り巻く人間関係の中でも最も重要な影響を及ぼす〔特定の、具体的な〕人々」(森岡清美ほか編[1993]『新社会学辞典』有斐閣、703頁)。
[qh]その通りです。
[qi]ただ、否定的な反応が度々生じているにもかかわらず、自らのパースペクティブは「正しい!」と固執する人は多々おりますが、、、
[qj]現代大衆社会をきちんと(適切に)分析できている理論の“中心には”、“必ず”準拠集団概念が据えられている、という意味です。逆に言えば、準拠集団が中核概念となっていない理論では、現代大衆社会を分析することは出来ない、ということになります。
[qk]=パースペクティブの組織化は
=パースペクティブの形成は
[ql]多様なチャンネルがいくつもあって、「難なく」それらにアクセスできる、という意味です。
[qm]難なく=https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E9%9B%A3%E3%81%AA%E3%81%8F
[qn]マージナルマンは、複数の社会的世界に属しているが、どの社会的世界においても中心的な位置を占めることが出来ないでいる人々を指します。どの社会的世界においても周辺的な位置に立っています。
[qo]こういう人々の数が減少すること、あるいはこういう人々が抱えているコンフリクトが減少ないしは緩和されること、これが社会の成熟度ないしは発展の度合いを測る基準になる、とシブタニは考えています。
[qp]マージナルマンの数が減少すること、あるいはこういう人々が抱えているコンフリクトが減少ないしは緩和されること、これが社会の成熟度ないしは発展の度合いを測る基準になる、とシブタニは考えています。
[qq]日本社会の人間性を表現する際に「同調圧力」という言葉がありますが、この「同調圧力」という仮説が正しいとするならば、
日本では個性的な人々が少ない、
というよりも、
個性的に振る舞っている人々が少ない、
という方が正しいと思います。
ほんとうは「個性的な人々はたくさんいる」かもしれないけど、それを表に出している人は少ない(例えば、孤立を恐れて)ということも考えられます。
[qs]前半部分はOKです。後半部分はちょっと難しいです。機械とそれを構成する部品になぞらえるのは、ちょっと難しいです。むしろ、生命体の体全体とそれを構成する種々の細胞になぞらえた方が良いかもしれません。
[qt]同じ細胞でも、どこに位置づけられるか--どこに移植されるか--で、その働きが異なる--変化する--、という風に。iPS細胞(人工多能性幹細胞)が良い例でしょう^^/
[qv]「今日は休講します」
「キャンパスで銃撃戦に巻き込まれました」
[qw]↑
日本で「あり得ない」ことはないけど、なんとも「不自然」だ。
[qx]↑
アメリカなどでは十分にあり得る。
[qy]日本人のパースペクティブでは不自然に感じても、アメリカ人のパースペクティブでは不自然に感じられない。