エリザベス二世女王陛下のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年記念)の2012年

ロンドン大英博物館の姉妹館ビクトリヤ&アルバート博物館で開催された現代日本展の開会式典にエリザベス二世女王が御訪問なされた時、英国のテレビ局一社、新聞社一社のカメラマンのみと北広次郎の3名だけが撮影を許可されました。開会式の冒頭は女王のみをお迎えしての御案内のため、表に長蛇の列で入場を待ち受けている一般人入場者の入場はまだ許されていませでした。女王陛下の館内御案内の時間帯は最初から最後まで、女王の後ろに密着して随行いたしました。

北広次郎と昵懇の口ひげの方が英国芸術アカデミー院総裁兼ビクトリヤ&アルバート博物館館長ロイ・ストロング博士です。この博物館は大英博物館の姉妹館であります。そしてエリザベス二世女王陛下のシルバー・ジュビリー(即位25周年記念)の祝賀の日も、ウエストミンスター寺院と英国国会議事堂に近いテームズ河湖ストランドで祝いましたが、その晩の豪華な花火大会は格別で、世界中にTV放映されました。

今回2012年は第三回目のロンドンオリンピックを迎える直前に、エリザベス二世女王陛下のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年記念)の壮大な祝賀行事が一週間連日おこなわれました。この直前週末から国家休日となりましたので、それに便乗して英国民は、10日くらいの連休をとってバカンスにしてしまいました。

日本からも平成天皇・皇后両陛下も御訪英なされ、祝賀晩餐会に御臨席されました。これは歴史的な意味があります。日英同盟以後日露戦争から第一次世界大戦時までは、日本国は英米と共に歩んできました。第一次世界大戦中は英米の連合軍側について、日本は地中海まで多くの軍艦を派遣して参戦しました。ところが 第二次世界大戦では、独裁者アドルフ・ヒットラー率いるナチスドイツと同じく独裁政権ムッソリーニ率いるイタリア側について、いわゆる三国同盟を結び英米と対戦する側に立ってしまいました。そして1945年8月15日の終戦を迎えました。

第二次世界大戦中には、ナチスに迫害され身柄を拘束されたユダヤ人が、秘密裏にポーランドに送られアウシュビッツのガス室でホロコーストされたのですが、1948年、二千年ぶりに現代イスラエル国家が再建(再興)されましたが、その立役者が、エドムンド・ロスチャイルド第五代英国当主であり、私が約20年ほど前から、毎年恒例の春と秋のチャリテイを含むコンサートを組んで来てるソプラノ歌手シャルロッテ・ド・ロスチャイルド音楽文化芸術特使の御実父であります。現代イスラエル建国の父と呼ばれています。

エリザベス二世女王の戴冠式は2012年からさかのぼる事60年前に、行われましたが、

そのときは第二次世界大戦の終戦直後から間もない時でした。私は子供の頃でしたが、当時TVも無い時代でしたので、映画館で白黒ニュース映画を観ました。いまの平成天皇がまだ皇太子の時でしたが、昭和天皇の御名代として、ウエストミンスター寺院の行列の末尾に近い所に立って、エリザベス二世女王の即位の戴冠式に御参列された光景を鮮明に記憶しています。

先日東京銀座のある会場で、日系3世の池尻(いけじり)ガーデイナ市副市長さんの講演会に出席しました。そこで ハワイ州選出の日系二世のセネター井上が、米国のユダヤ人を支援するのは、日本人同様 米国では日系人がマイナー(少数民族)だからだと、言っていました。ガーデイナ市というのは、ロスアンゼルス市に近いトヨタ・ホンダなど日系企業米国本社工場が集中してる所です。池尻氏の父は福岡出身、母親は広島出身と申していました。子供の頃、自宅の壁に写真額がペヤー(対)で 常にぶら下がってるので、あれは親戚の人の写真か?と訊いたら、両親はまあそんなようなものだと言ったとかで、それが天皇皇后両陛下の写真だと後から分かったと言ってました。

池尻副市長が私の前歴を知っていたとは思えませんが、偶然アメリカでは少数民族とされてるユダヤ人のお話しが出て来たので、私は内心驚きました。上記の現代イスラエル建国の父エドムンド当主は、私財を投げ打って、2000年も、世界中に離散していたたユダヤ人家族に、航空券渡航準備支度金を送り、移民を促し、新生再興イスラエル国では、移住後の住宅や町を造り学校や病院や、ユダヤ教会やキブ、集団農場等を造り、移住者には適材適所の職を準備しました。

エドムンド当主は、第二次大戦後、昭和天皇から勲一等旭日菊花瑞宝章を授与されました。

明治維新以後の国鉄路線拡張の鉄道国債、日露戦争の為に四回発行した国債、関東大震災復興国債、終戦後の焼け野原の日本を救援するための日本国復興国債をすべて引き受けたのが、ロスチャイルド家でした。

幕末の坂本龍馬、岩崎弥太郎などを救援したグラバーなどは、フリーメイソンの父親を持ち、 ロスチャイルド資本系のVICKERSなどから、船舶輸入をしてたのです。長崎に来たグラバーは次男のほうで、長男は父親に上海に連れられて行き、そこに残されたのです。二人とも、ロスチャイルド資本系の銀行の代表として、中国、日本に残されたのです。これが、幕末の日本をドラステイックに変革する役割を担うことになるのですが、このグラバーの父親は、そこまで想定してたか否かは別としても、希有なる人物だったことにだけは事実です。

この会場で司会進行役の岩崎理事が突然ヨーロッパに40数年永く住んでる北広次郎さんを紹介しますのでスピーチを御願いしますと突然言われて、やや面食らいましたが、番外の欧米に関するスピーチをする事になりました。

2012年に即位60周年をお迎えになったマウントバッテン・ウインザー家の現エリザベス二世女王の祝賀に訪英された、平成天皇皇后両陛下には、英国には、特別な思い入れが会ったと思うのです。そして天応陛下が、晩餐会でエリザベス二世女王の前で、なされたスピーチは、特に印象深かったのです。私は60年前の 戴冠式に 昭和天皇の御名代で、参列」していたウエストミンスター寺院で、国内外の国賓行列の中に居られた現天皇陛下の皇太子時代の姿と光景が、鮮明に脳裏に蘇璃、ダブってしまいました。そして避けて通れない第二次世界大戦時代の軋轢にもスピーチの中で、当然触れられたわけです。

これが第一次世界大戦の時は、英米とは同盟国であっただけに、両大戦では、全く逆転的立場だったのです。明治維新後の天皇家は欧化政策では、制度や服装や御前競馬まで、英国王室をすベて手本として来た歴史があります。国民もじょじょに英国の背広を着るようになり、結婚式に至っては、英国スタイルが浸透し、おまけに幕末の頃の英国のヴィクトリヤ女王の結婚式で始めて使われたウエデイングドレスに、女王の結婚式で初めて使われたウエッデイングマーチ(結婚行進曲)までそっくり日本でも結婚式の定番になってしまっています。日本ばかりでなく世界でも。しかし英国と日本の関係は、不思議に歴史の節目、節目には即位期間の長い英国女王陛下と結びついて来ています。エリザベス一世女王時代の1600年(桶狭間の戦いの年)に、日本に初めて英国人が乗船してきた帆船が難破して九州の海岸に、水先案内人(パイロット)が辿りつきました。その英国人の名は、ウイリアム・アダムズと言いました。ほどなく開設された徳川幕府が欧州外事顧問として採用して、武家の娘を嫁がせて三浦半島の小大名にしたのですが、彼の日本名は三浦按針さんです。按針とは船の羅針盤の事です。そして三浦按針は、東インド会社(インドに拠点を構えた英国の国営的貿易商社)を通じて、書簡で母国エリザベス一世女王に、極東にジパングという言う島国があるという事を知らしめたようです。

北 広次郎  英国

 

Yours faithfully.

 

Very best regards

 

Nori Kojiro Kita

Nkita Consulting(UK/EU)

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