ユーモアクラブより転載。

北広次郎エッセイ集 ミスターヨーロッパだより

第26号

 『 ロンドンのユキさんとサム・フランシスの夫人マーガレット。浅間温泉、信州ゴールデンキャッスルSGC』

 ロンドンのユキさん(鳥丸軍雪)は、既に上述の抽象画壇の世界的巨匠サム・フランシスの夫人マーガレットとも昵懇の仲です。

 サムフランシス夫人も、ユキさんも私の家族ぐるみの大親友で鹿児島出身の日本人ですが、英国首相のマーガレット・サッチャーさんに、もっとも御贔屓にされ、ダイアナ妃や英国女王の従兄のケント公の妃などの英国王室のお姫様がたにも寵愛され、又シャンソンの女王イベット・ジローや当時ソ連から亡命した世界的ロシヤ人バレリーナ・マカロバなどのイブニング・ドレスをデザインしていた欧州ファッション界の巨匠です。

 それがロンドンのユキさん(本名;鳥丸軍雪)でした。彼がたまたま訪日してたので、松本を訪日してこの松本市浅間温泉パーテイーに参加するように推薦したのです。

 その浅間温泉のすぐ近くの山地にとてつもないものが建造中でした。

 それはパリのベルサイユ宮殿を模して創った信州ゴールデン・キャッスル(SGC)ででした。そこは、居酒屋チェーンの先駆者養老之瀧グループの創立者木下藤吉郎{改名前矢満田姓)さんが、生まれ故郷の長野県松本市郊外四賀村に創立しました。

 四賀村はかつて江戸時代には金鉱があったところです。ロンドンのユキ(鳥丸軍雪)を最初に私に紹介したのは、ピエールカルダンやマリークレールなど欧州ファッションブランドを最初に日本に紹介導入しライセンスビジネスを展開する達人の福井健翁氏で、それを更に推したのが美容のカリスマ大関早苗女史でした。

 私は養老之瀧グループ創立者のヤマンダのおじちゃんが、最初長野県松本市内で居酒屋第一号をはじめた頃、まだ私は小学生の頃でしたが、道端でガキ仲間と遊んでると、毎日午後まるで時計のように決まった時間に、自転車で城山の方へ往復するのでよく行き逢っていて、時に缶蹴り遊びが嵩じたり、鬼ごっこの勢いが余って、自転車にぶつかって『あっと、済みません。ごめんなさーい。』と謝ったりしました。

 自転車の荷台にはいつも、焼鳥やモツ焼きの食材が積まれていました。城山には養鶏場肉処理場がありましたので、毎日午後そこへ仕入れに往復していました。そして中学生になった頃だったとおもうが、あるときから ヤマンダのおじちゃんの姿が現れなくなり、ガキ仲間は何か淋しい気がしてました。その時もう東京に引っ越してしまった事はずーっと後から知りました。 いま NHKの朝ドラ『おひさま』放映中で 米進駐軍が元日本陸軍松本五十連隊兵舎に進駐しはじめた後ぐらいの頃です。

 私の進んだ松本旭町中学は、終戦直後この松本五十連隊木造兵舎でした。その前までは、おおくの日本軍兵士が居たところへ 今度はアメリカ軍兵がどーっと入ってきて、 あまりにも劇的な大変容でした。 その米軍が駐留する前は、兵舎が私達の中学校校舎でした。 市も慌てて新校舎を 連隊兵舎外の横へ急造して移転させましたが、登下校時にその連隊門前を通るから、。大型戦車の横の番兵と片言で話します。 するとチューインガムくちゃくちゃ噛みながら、銃を構えて道路の反対側の電信柱の上の電燈を撃ち抜いて見せたりします。

 よく考えてみるtと、米軍兵は軍服姿なので、まるででかい兵士に見えるが、軍服脱げば われわれ中学生と 2歳か、3歳しか違わない、まだ十代の少年兵だったのです。だから電柱の電球撃ちぬいて見せて、得意になって新制中学のガキどもに 余興のサービスして見せてくれていたのです。

 私自身も 名古屋の連日連夜の300機位のB29爆撃機大編隊の大空襲から、疎開で松本の母の実家へ逃れて来て命拾いしたが、

そのあまりの変化が、変化と感じる余裕もなかったのです。 変化がありすぎて、突然急に変化が停止したような状態になって、あの時頭の整理も出来てなかった気がします。混沌。

 しかし 大量のばくだんが落下して来るあの炸裂音、破裂音と騒音と、炸裂光と猛炎と猛煙と叫喚がなくなった。 それが変化か?

 それから時が移り、日本からすると、舞台は地球の反対側の英国に代わり、その ヤマンダのおじちゃんの婿養子の石井正男社長が、 英国のマンチェスターで私が開設した日本クラブに現れて、信州ゴールデンキャッスル(SGC=Shinshu Golden Casltle)設立に、私が御手伝する事になるとはまるで少年時代、夢想だにしませんでしたから、考えてみるとこれも全く不可思議な御縁としか言いようがありません。

 そして 英国エリザベス女王のお抱え金細工師芸術家スチュワート・デブリン(STUWART DEVLIN)に紹介し、その作品が SGC MUSEUMに納入され、また バッキンガム宮殿の御許可を戴き、エリザベス二世女王陛下の等身大写真{金縁額入)と半身肖像{金縁額入)を手に入れ、私がSGC に発想することになりました。

 更に又、松本市のSGC開館式典に、在京外国大使をお招きすることになり、受付けに若い英国人女性を配置したいという社長の御要望をうけて、私の娘の幼稚園から女子高までの同級生ANNちゃんと、女子大生 英国人女性2人を 英国から松本SGCにそれぞれ12ヶ月あまり送り出しました。 私の高校同級生二木君のお祖母ちゃんが、ヤマンダのおじちゃんの小学時代同級生で、『SGCの建設の為にイタリヤから輸入し大理石の石材が余ってしまった。 よかったらどっかへ使っとくれやといって ばあちゃんの家の庭に積み上げて置いてかれちゃって、おまけに 建築終わったんで、へえもう要らんでね、ついでに このロールス・ロイスも置いてくで使っとくれやって、ふんとに置いてっちゃったんだが、うちじゃ使いようがねえでね、、、、、』 と面食らってました。

 後日談は此処は純金の浴槽が3個あると化で、私の従兄の息子の結婚披露宴はここでやってるのです。

 私の幼少時代 思いもつかなかった事が 次から次と起きました。 ついに 英国が信州に結びついていまった。いや信州が英国に結び付いたっていうべきか? その距離をぐんと短縮させた立役者はSGC.です。