ゴールド(化学記号:AU) は庶民にとって遠い金属?近い金属?

<金>という字から何を連想しますか? オリンピック? カレンダー? 歯に被せる金属? 高級腕時計? 指輪? 宝飾品? お金?小判? など多種多様で日本語はややこしいです。 お金といえば、マネーのことですが、通常日本人は「マネー = お札」と思っているケースが多いのです。しかし、このマネーの場合、欧米では「ペイパー・マネー」と称されています。

幕末まで日本国庶民が利用できる金属貨幣(金銀)はコイン状の物しか無く、ペーパー・マネーの紙幣はありませんでした。明治時代になって初めて紙幣が発行されましたが、制度は銀本位制で成り立っていました。その頃欧米では、ほとんどの国が金本位制で金兌換券=紙幣の制度でしたが、現在世界おきましては兌換金銀制は既に外されてしまっております。そしてただの「ペイパー・マネー(印刷紙)」になってしまっているのが実情です。また最近ではPC磁気を取り付けたカードの時代になり、この場合は「プラスチック・ マネー」と言われています。

日本語で「金」という漢字を見ただけでは、この意味が「お金」のことなのか? 貴金属の「金」のことなのか? 金曜日の「金」なのか? 判断がつかないケースがしばしばありまして、メールや書簡を書く際には気を使います。ちなみに中国の漢字では、一般的にゴールドの事は「黄金」と書きますので、見分けが付きやすいです。

しかしなぜ今、世界の主要国の主として国家およびそれに相当する公的機関ファンドがせっせとゴールドを溜め込みつつあるのでしょうか?

あまりその点について日本人庶民はあまり関心がありません。

かつて、現在のモンゴル、インド、中国の一部まで来ていた駱駝隊商の息子であったマルコ・ポーロの東方見聞録の中では、日本のことを「黄金の国ジパング」と書かれていました。

当時、コロンブスもアメリゴ・ヴェスプッチも地球円球体 説を知ってはいましたが、マルコポーロの本も読んでいたので、 大西洋を西進して太平洋に入った後にインドや黄金のジパングに辿り着けるかもしれないと考えていたのでは?いう説もあるのです。そのぐらい日本にもかつてゴー ルドが採掘されていた事があったということになります。

さてここから、英連邦王国の元首であられるエリザベス二世女王が推奨しているゴールドに関する画期的なシステムについて紹介します。

 

「紹介の背景」

 英連合王国のエリザベス二世女王から、2009年ビジ ネス革新賞を受賞し、ロスチャイルド財閥も株主として参加してる世界的に超優良の金融企業であるロンドンの「BULLION VAULT社」を推薦紹介いたします。

 

「金銀のグラミン銀行」と私が呼んでニックネームを付けているこの会社は、従来永い伝統的に歴史のあるロ ンドン貴金属相場取引市場において、従来は桁違いな超高額の保証金を積むことができる超金持ち企業団体や個人会員のみしか参加資格が持てないという超排他的な独占的取引所システムで、永年閉鎖的な運営が行われてきました。

そこでその閉鎖的な相場取引参加制度の殻を打ち破り、 もっと世界中のOL女性や主婦のような一般庶民などが株式取引のように、少額のポケットマネーからでも気軽に貴金属取引きに参加出来る方法がないかと考えられました。

それが、少額の協同組合員を多数結集して、集団的自営権を束ね、従来庶民が参加できなかった貴金属の相場取引のメッカであるロンドン市場にて代表参加し、その利益を庶民会 員に分配するという革新的システムで、これは世界で初めて創出されたものでした。

それが英国王室にも評価され、2009年エリザベス二世女王から、 ビジネス革新賞として授与され、ジェイコブ・ロスチャイルド系の投資ファ ンドも株主として資本参加する事になりました。

正式には 「金銀取引庶民参加取引のグラミン方式共同組合口座銀行」 というところを略式ニックネームで、「金銀のグラミン銀行 と呼んでる訳です。

従来、金銀貴金属に関しましては、しばしば日本においては豊田商事事件以来、オレオレ詐欺的なうさん臭い詐欺事件が勃起していますので、滅多には推奨しません。しかし、このBULLION VAULT社(ブリオン・ ボルト=BV)社だけは別格であり本物で、エリザベス二世女王も正式に公認してくださっている立派な会社ですので今回ご紹介することにしました。

私がBVのことを教え られたのは、バッキンガム宮殿王室御用達の女王専属の宝飾品金細工師である「Stewart Devlin(スチュワート・デブリン)」彼に関する情報はグーグルで検索可能。世界数カ国のコイン通貨、いわば金銀銅等金属貨幣の世界一のデザイナーでもありエリザベス女王専属宝石品金銀 細工師でもある人物。)やその仲間たちからでした。私はスチュ ワート・デブリンと永い友人ですが、デブリン作品の展覧会には、当時しばしば参加していましたし、彼の工房を度々訪れたりそていました。またデブリン作品を日本のSGC(信州ゴールデン・ キャッスル・美術館)に納入することを手伝った事などもありましたので、その関係者からBV社の発足の事を聞かされており、既に知っていました。

 

また当時、英国王室に関係したウェールズの金鉱から産出される特産のプレミアムのもので、金一枚の重さが2KGの延板の金塊が多く存在しており、エリザベス女王のマークである「E&R」の刻印が付けられてバッキンガム宮殿金庫に保管されて居ました。

このゴールドというのは、戴冠式や王室内の王子や王女の結婚式、その他慶祝行事用等に加工されて専用されているという特殊なプレミア付の埋蔵金でした。この「プレミアの金」の価値というのは、ロンドン・ゴールド相場の取引時点での金価格に比べて1.5 倍~1.8 倍、そして時には 2.0 倍以上の値がつくものでした。

通常、価格の変動といいますのは、その時点での金の保管量や使用目的、その他用途別等によって決まります。

しかし、バッキンガム宮殿の王室御用達用の保管金延板となれば、プレミアム(付加価値) はもっと高くなります。

このゴールドが最も活用された行事の一つは、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の婚約・結婚記念行事の時でした。

この当時、ダイアナ妃に対する熱狂的フィーバーは全世界に広がりました。また日本もその例外ではありませんでした。

チャールズ皇太子の公式称号は「Prince of Wales」、ダイアナ妃は「Princess of Wales」でしたから、尚更プレミアムがつきました。 このダイアナ・フィーバーによる影響は大きくて、三菱商事のロンドン支店会社貴金属部が、ダイアナ妃と同型のデザイン婚約指輪を「ウェールズの金」を使用して製作させ、そこにホールマークを付けた上で日本に販売するという企画が浮上しました。

まず東京にて四店舗を作るという計画になっていまして、私が訪日した折にはその開店したばかりの銀座店を訪問してみました。店の前に立って見ていましたら、正面の遥か彼方に西武セゾン系デパートであるプランタンのビルが望見できたのを覚えていますが、場所の正確な住所は忘れました。

この店舗では、店のコーナーにカーテンを引いた、まるで小さな着替室のような部屋がありました。その中には金の額縁に入ったダイアナ妃の大きな写真がかかっていました。なぜあのようなコーナーにある別室にダイアナ妃の写真が展示されてたかの理由について、私はよく知っています。

その理由というのは、高貴な方には肖像権に対する問題があり、その理由というのは商業利用をしてはならないという英国と国際規約があるからです。特にバッキング宮殿の許可なしに、商業行為等のPR広告などに利用したり乱用してはならないという成約があるからです。店舗内の囲いにある別室に飾っておいて、写真を見せるというのは笊(ザル)法のダイアナならぬ大穴狙いであったとは容易に想像がつきました。

実は、私自身もSGC(信州ゴールデン・キャッスル・美術館)に頼まれて、バッキンガム宮殿の特別許可を申請して、エリザベス二世女王陛下の等身大を超える大きな全身の立ち像と胸像の写真が一枚入った金縁の額装品を送った事があります。この美術館は、長野県松本市にある浅間温泉近くの郊外に位置する山中の四賀村という所に在ります。居酒屋チェーンの発祥である老舗の「養老の瀧」創立者オーナーでおられる矢満田さんが、小型のベルサイユ宮殿を建造して、国内外の金銀財宝、ロシアのマンモス象の象牙やアフリカ象牙を2千本など、マイセンやセーブルの陶磁器類の収集、中国の陶磁器収集、それから2千年を越える屋久杉大木野の収集、日本珊瑚の収集、内装総金張りの羽柴秀吉の茶室、そして三つの総純金浴槽などが造られています。

エリザベス二世女王専属金細工師であるスチュアート・デブリン宝飾金銀細工師が製作した銀の燭台やお盆などの作品が150点ほど詰まっています。しかし、なんて言っても圧巻なのは、純金5トンの延板バーや細工品を有していることです。この養老の瀧の創立者は、 私がまだ幼少時代だった頃から見かけており知っていました。そのころはまだ、松本市で客が10人しか座れないくらいのカウンターがある小さな焼鳥屋を開店していた頃でした。毎日、午後になると城山の屠殺場に臓物の仕入れのために、自転車に乗って通っているのを良く見かけてました。

それから横浜か東京へ移って行った後に、養老之瀧居酒屋チェーン店を次々に開店して行きました。やがて成功した後には、自分の名前を木下藤吉郎と改名した後に、生まれ故郷の松本郊外にある四賀村へ住所を移しました。その理由は養老の瀧がここに納税する事により四賀村の財政を支えるためでした。

そしてこの四賀村にSGC美術館を設立しました。ちなみにこの四賀村には江戸時代頃まで、小さな金鉱があったという事です。私の従兄の次男は、この美術館のホールで結婚式を挙げています。この創立者が卒業した小学校には、ロシアからから取り寄せたマンモス象の象牙などを教材として寄付を致しました。

私の高校同級生である友人のおばあちゃんとその創立者は、小学校からの幼馴染みの同級生でした。美術館工事完了後にイタリアから取り寄せてあった大理石製の建材の余剰分を何かに使ってくれと言い、置いていこうとした事もありましたし、そのついでにロールスロイスも置いてくなどと言い始めるもんですから、おばあちゃんが 「そんな もんうちに置いてかれても困る。わたしゃ、要らんでどっかよそへ持ってって!」と面食らっていたというようなエピソードも、孫の同級生から聞いたりしました。 とにかくこの人物も、戦後の一代風雲児の一人であったと思います。

このミニ・ベルサイユ宮殿を建造中で、建設中のまだ未完成だった時に、私がたまたま訪日しておりましたので、この山中を訪ねてみました。建物の外に設置してある工事中の門や、冊から中の様子を覗いてみましたら、庭にいたシェパ−ド犬数匹にえらく大きなうなり声で吠えられたのを憶えています。

当時、この石井社長さんに依頼を受けましたので、バッキンガム宮殿の正式許可を得た後、大勲章肩帯を付けた正装した立派なカラー付の女王専属の宮廷写真家が撮影したエリザベス二世女王の大型金額装写真を2枚を送付しました。 またこのSGC美術館の開館式典の為に、東京からドイツやフランスの大使夫妻達をヘリコプターに乗せて四賀村に搬送しました。そしてパーティーが開かれて報道発表もありました。しかし、私はその時期に丁度英国にてどうしても抜けられない大仕事があり、訪日ができませんでした。

 

社長さんから、このSGC美術館の受付案内係には、短くても一年間イギリス人女性を2人採用したいという希望があり、それを叶えるべく、私は英国のイギリス人大學女学生2人を一年間休学させて、日本に送りこみました。その一人の出身校は、私の娘二人と同じ出身校で、その学校は創立二百年を越える幼稚園から小中高一貫女子校で、その同級生でした。

私自身、英国王室の女性方には色々な御縁がありました。その例がエリザベス2世女王や妹のマーガレット王女です。マーガレット王女は英国バレー舞踊アカデミー名誉総裁です。また、娘さんのアン王女は英国オリンピック協会名誉総裁であり、彼女自身も乗馬選手でした。アフガニスタンにソ連が侵攻する事変が勃発したために、レーガン大統領の呼びかけにより日本や英国、欧州国等の国々がモスクワ・オリンピックをボイコットする形で参加を拒否しました。しかしアン王女は乗馬競技、東海大学の山下選手は柔道競技にて、プライベートの個人資格でオリンピックに参加しました。

私は幸運というか実に不思議な御縁により、マーガレッ ト王女とつながりがありました。国宝である「LEEDS城」でのパーティーに招かれ、晩餐会の場で私が王女からの許可を得て、王女自身の写真撮影を行いました。私の友人である「コリン・ハンコック」医学博士で、英国の第2部リーグのサッカーチームオーナー会長が、かつて所有していたウインザーの広大な土地に建っている「大マノー・ハウス」に、私も何度か招待され泊まり込みで出かけました。この家屋敷の元のオーナーは、「カドベリー」という名前の英国では著名なチョコレート製造会社のオーナーファミリーでした。この大マ ノー・ハウスは、ちょとした「パレス」のような建物で、大・中・小に別れた部屋数は全部で50室くらいありましたが、実はここの大応接間では、かつてプライベート・パーティーが時々開かれていました。そこには時々お忍びでマーガレット王女も来ていたとコリンは言っていました。

この邸宅の外側に元廐舎の建物がありましたが、そこには複数の部屋があって、それぞれの部屋が音楽録音スタジオになっており、部屋の中はソニー・日立・パナソニック・東芝など全て日本製の録音機械で完備していました。そこはかつ てプロの音楽家達が集り、レコーデイングする場所だったらしく、その中には映画スターウォーズの作曲・編曲者もここを使っていたと聞きましたし、また、あのビートルズもこの部屋に訪問していたといいます。

高大な土地は牧場になっており、雉など野鳥のハンティングをやっていたといっていました。この大邸宅の庭から見上げるとエリザベス2世女王の居城であるウィンザー城の壁や塔が、はるか彼方の丘の上の方に割合大きく見えていました。マーガレット王女は、あの彼方に見える城から、時々お忍びで抜け出して来ては、アーティスト達とこの場所でプライベートパーティーを開いては、息抜きをしていたようです。

実を言いますとコリン博士は、少年時代からスポーツ万能で、ロンドン大学の名門であるキングズカレッジ歯学部を卒業した際には、プロサッカーチームが彼をプロサッカー選手にスカウトしたというサッカーの実力を持つ変わり種です。

マンチェスターユナイテッドやチェルシー、マンチェスターシティー等の英国におけるプレミアリーグのマネ ジャー達とは、かつて選手仲間でした。そしてその後に阿波踊りで有名な徳島にある呉服屋さんに生まれ、その後上京した後、バレーを習得して、日本から単身英国へ渡りました。そして、ノーザンシアターバレー団のオーディションを受けて、その卓越した才能と技術が直ちに認められ入団しました。清水洋子さんは、英国ロイヤルバレー団にも加わる事になり、踊るバレリーナになり、またたく間に英国バレー界のスターになってしまいました。ところが洋子さんは、正式な労働ビザではなく一般の観光ビザで入国していた事が問題となり、ホームオフィス(入国管理庁)が滞延期の為にビザの延長を認可しないという問題が起きました。

全国のBBCテレビ視聴者約5万人の嘆願署名を集める運動も起き、サッチャー首相も洋子さんを支援する側に回りました。最後には英国バレー協会名誉総裁のマーガレット王女まで、洋子さん支援の嘆願状を出してくれました。洋子さんはいつも、私が設立した「ジャパンクラブ」に劇場公演が終わった後、花束を抱えてワインを飲ませてと言って、中に入ってきました。しかしその後、ビザ延長が間に合わず、オランダのバレー団に移籍することになりました。その時にノーザンシアターバレー団の音楽舞台監督と一緒でした。その時にはまだ監督には英国人の奥さんがいましたが、その後に奥さんとは別れて洋子さんと一緒にオランダへ移り、やがて日本に一緒に移住することになりました。

私はアン王女ともお会いましたが、特に女王陛下にお会いした際には、ロンドンのビクトリア&アルバート博物館にて現代日本展が開かれており、開会式の為に館内の御案内役として背後に随行し、多くの写真撮影を私がさせて戴きました。ダイアナ妃は、チャールズ皇太子との結婚が決まる前までは、一般の民間人と同じ生活を過ごしており、当時は幼稚園の先生でした。そしてロンドンのハロッズ百貨店の裏にあるファッション・デザイナーやアーティストが集まって住むビーチャム(Beauchamp)ストリートに、食事やパブそして画 廊にも頻繁に来ていました。当時、私もこのストリートには良く来ていた一人でした。その理由は、テキスタイルファッションの絵柄デザイナーである只隈真理子さんのアトリエ兼住居がそこにあったからです。

彼女は私の家にも泊まりに来たりする私の娘達の仲良しの一人で、元々日本にいる時には和服の絵柄を描く、優れた腕を持っている女性でした。それがロンドでは、ドレス、インテリア、カーテン、ベッドカバー、ネクタイ、スカーフ等の絵柄を描くアーティストとしてひっぱりだ こになって居ました。その近辺には色んな芸術家やファッション・デザイナー、画家、ジュエリー・デザイ ナーなどのアーティスト工房や画廊があり、洒落たレストランも多く存在しており、ダイアナさんは結婚前もそうですが、また結婚後もしばしばこの界隈に来ていました。

チャールズ皇太子は、イングランド島南側の旧ウェールズ王国管轄領主ということになりますが、ダイアナ妃は、離婚した際に、「Princess of Wales」の公式爵位称号は返上すべきところを、ダイアナ妃に限り称号だけは維持することを許可して頂く願いを出した結果、エリ ザベス2世女王陛下により、ダイアナ妃は離婚後も称号維持を容認さ れました。ダイアナ妃はウェールズ・ゴールドが似合う女性であったと思います。なんせ「Princess of Wales」だったのですから。

そのウェールズの金鉱で採掘されたプレミアムのゴールドが今回のこのゴールドです。さらに歴史を溯(さかのぼ)ってみると、 紀元一世紀前半のユリアス・シーザーを率いたローマ軍の侵入に関係があります。イングランド島南にローマ軍が侵入してきたその目的はゴールドでした。当時、英国が国際交易を行う際、物品の買い取りを行う時に対価の支払いとして自国に豊富にあったゴールドを用いていました。それに目を付けたローマ帝国は、イングランド侵入を企てて、シーザーを先頭にして、大ローマ軍を海路イングラン ド島に派兵し、まず南端のウェールズ海岸から上陸させました。

そして、あちこちにあった金鉱を全て掘り尽くし、採れたゴールドをほとんど全部ローマへ持って帰り、凱旋しました。今でもローマ軍が侵入し、ここまで占領したという証となる石垣であるローマン・ウォール(ローマ軍の壁)がイングランドとスコットランドの境界線近く南寄り側に延々と残っています。そのくらいに「ゴールド」と「ウェールズ」は歴史的な因縁があったのでした。 しかし英国島のゴールドは掘りつくされており、ローマ軍の侵入以後にも2千年近くの間も掘り尽くされているので、今ではほとんど廃坑穴の跡だらけになっており、その場所を観光名所にしたりしています。 私も2ヶ所のウェールズにある金銀の廃鉱に数回潜りましたが、かなりの深さに驚きました。まず縦穴のエレベーターのようなもので地下50mかあるいは80m位下降してから、今度はそこから横穴の隧道を水平にトロッコに乗って移動し、その突端の岩壁を削岩機で削りとります。 次に、その砕石岩片や砕石片を多量に地上に搬出します。そこから更に砕いたものから、小粒な金塊片を選別して取り出します。まるで砂金を探すように、平たい大きな水槽盆箱の中で手笊 (ざる)のようなものを使い、それを前後左右に揺すってから、砂利や砂から砂金のみを濾し出します。実際に私も鉱夫に教えてもらいながら、その作業をやってみました。

実は、「これらの鉱区を売りたいので誰か日本で鉱区の譲渡に興味のある法人か個人がいないでしょうか?」と、 ある鉱区の持主会社会長に依頼された事がありました。その時に、鉱区の掘削調査資料をごっそり渡された後に日本に飛びました。日本鉱業、三井系鉱山、それから某大手化粧品会社などに話を持ち込みました。しかし、前2大鉱山会社の返答は、残念ながら金鉱の残存産出量規模が大手鉱山企業には小さ過ぎるという理由でしたので、諦めました。

 

私は、上述した女王専属の金細工師である「スチュワート・デブリン氏」とは長年昵懇であったこともあり、また次の英国王位継承権者であるウィリアム皇太子の産みの実母である「故ダイアナ妃とチャールズ王子」の華飾の典の折には、エリザベス二世女王陛下の特別御指名による「チャールズ・ダイアナ結婚記念のブロンズ胸像限定版」を制作した世界的銅像作家である「ラインハルト女史」の側近から強く薦められ、その胸像の一体を譲り受けました。

その当時、世界中が熱いダイアナ・フィー バーに沸騰していました。しかしその後に離婚することなどとは、その時に私は考えもしませんでした。しかしダイアナ妃がその後にパリのリッツ・ホテルを出てから、カメラマンや追っかけ記者にパパラッチされた結果、猛スピードで逃切ろうとした運転手が、パリの自動車道にある隧道へ入る際に壁に衝突し、車は 大破してあっけなく落命した交通事故には世界中が驚愕しました。

私はダイアナ妃(正確にはダイアナ元妃というべきでしょうが。)の、英連邦王国全土の大聖堂で行われた国葬のうち、ビートルズ誕生地であるリバプール市の歴史的建造物で挙行された二軒の大聖堂に、私ははしごで参加しました。一軒はカソリック大聖堂で、もう一軒はプロテスタント大聖堂でした。この双方は私はもう過去に何十回言ったか数えきれませんが、この大聖堂でビートルズが大記念コンサートを開催したことは、世界のビートルズファンなら周知の大ニュースに なっています。

ロンドンの金銀プラチナなど貴金属の相場取引所は、世界の貴金属業界の中心地でメッカとなっています。毎日午

前と午後の二回、相場が建てられていて、それにより世界が動いているのです。 現在世界の金(ゴールド)保有大国は、中国、インド、米国、欧州EU,、ロシヤ、そして中東の油ガス産出国などです。日本はゴールド保有国としては、上記の最下 位にも及びません。ですからゴールドの世界的取引の場においては、日本は低位の方になり、金取引となると日本を飛び越えて、香港や上海に話が行ってしまうのです。しかし依然とゴールド保有国は、せっせとゴールドを買い集めています。 リーマン不況以後に、ドバイにおける建築ラッシュのブームに陰りが出た時に、アブダビ銀行は自らが保有するゴールドの 40%をロンドン市場で売却し、ドバイを助けて経済の立直しを計った過去があります。

上記他国は、ゴールドの備蓄を進めています。 日本国もまた、個人もゴールドに関する再研究をして見ることは、世界主要国の情勢から判断しても必要ではないかと思います。

BVブリオン・ボルト社のシステムについて御興味がある方は、

norionplanets@gmail.com

に御連絡を下されば、 BV社の主任を御紹介いたします。

このBV社から毎週金曜日に英語、日本語などで週刊ニュースがネットで配信されます。

これを見ていると、世界の経済の動きが良く分かりやすい言葉で解説されているので、大変為になります。

是非、この会社より週刊ニュース(無料サービス)を送って戴き、覗いてみられることをお薦めします。

もし御興味がありましたら、下記の私宛のメールを下されば、すぐBV担当責任者を御紹介致します。そして直接そちらへ配信開始して戴きますので、その際はメールアドレスをお知らせください。

北 広次郎 UK