2020年オリンピック・パラリンピックが、東京にやっときまりました!

オリンピックは「運動」だけではない

(フランス語では”20”の数字ことを”Vingt”(バン)と発音します。”20+20”は

”バン+バン”です。ばんばんやってください!!!日本を元気にさせることです!!!)

2020年オリンピック・パラリンピックが、東京にやっと決まりました。此処にいたるまでには、長い年月かけた先達たちの辛抱強い蔭の努力があったことを伝えねばならないと思います。当選結果だけを見てるのでは、事の始まりの原点が理解されません。ここに至るまでの経緯には、多くの事柄がありました。決まったとたんに、私の所には多くのメイルが舞込んできています。私も海外に住んで永いので国外から支援支持を呼びかけるため、都庁オリンピック招致委員会や都知事や日本オリンピック委員会に応援のメイル草の根的運動に加担して来ました一人です。

私がロンドンに出張中に 日本から、又 海外のMTさんから 『北さんが 熱心に説いていた事がついに実現しましたですね』というメイルが入ってきましたので、それに返信したメイルですが、そのコピーを添付しときます。

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MTさん

早速のメイルを戴き有難うございます。

私は商社時代丸紅テクマテックス社を米国ノースカロライナ州のシャールロッテ・ビルにも創立して米国市場に 豊田自動織機製作所(トヨタ自動車の母体会社) ニッサン 村田機械 津田駒工業 大阪機工などなどの繊維機械と関連機器メーカー百社を越えるメーカーの関連アクセサリー部品を世界市場に売り込んできました。米国ではサウスカロライナ州のグリーンビルで隔年開催される繊維機械見本市に和製繊維機械を恒例のように出展してきました。又欧州でもITMAと言う四年ごとに開催される欧州都市を巡回して開く<繊維機械のオリンピックといわれる見本市>にも、参加してきました。人類生活上の三大要素衣食住の最初の衣は、古代人類とともに発してきました。オリンピックにも,いろいろなオリンピックがあり、パラリンピックがあります。ちなみにパラリンピックの開祖国は英国です。戦後英国の医師が肉体的ハンデイキャップのある人々や患者にリハビリ運動を推奨して始めたのが組織化されたのが、パラリンピックの始まりです。これも世界人類にとって画期的な出来事でした。それまで日の目を見なかったハンデイ者に、これで勇気と元気を与え、パラリンピック産業が起きた効果は大変な事です。

ITMAという機械のオリンピックは欧州の フランス・リオン・イタリヤ・ミラノ・スペイン・バルセロナ・ドイツ・フランクフルトなどでも行われてきていますが、面白い事にオリンピック・パラリンピックと世界万国博覧会(所謂:世界万博)とがセットになるケースが多いのです。さらに時にはFIFAすなわち世界サッカー大会もそれにくっつくケースもあります。

1992年スペインのバルセロナで夏期オリンピックが開催された時、同じバルセロナでは1492年のコロンブスの米大陸発見からの五百周年記念世界ヨット大会が開催され、同年スペインのセビリヤでは世界万博の三大国際イベントが同時開催されました。コロンブスはスペイン王家をスポンサーとして帆船を建造し、バルセロナ港から大西洋を西へ横断して米大陸のニューファウンドランド島に到達しました。これにはいろいろな歴史が絡んでいます。それについては 北広次郎の別なエッセイ集にも記載していますので、ここでは割愛します。

アジヤで夏季オリンピックを最初に開催したのは日本でした。そして直後アジアで最初に世界万博を開催したのも大阪万博の日本でした。 それ以後韓国がソウル・オリンピックで、太田市の世界万博、 そして北京オリンピック・パラリンピックと上海万博す。

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FIFAのサッカーのワールド・カップが開催されたのも日本ですが、この時は前代未聞の事が起きました。それは最初日本だけで開催する事に決まっていたのですが、途中から急にFIFAが韓国と共同開催を要求しだしました。日本としては何が起きたか訳がわからないままFIFAの唐突な共同開催の流れに乗ったのでした。ワールドカップが二国で共同開催した例は後にも先にもこの時しかありませんから、異例中の異例なケースでした。ブラジルは2014年ワールドカップで2016年が夏季オリンピック・パラリンピックです。次は万博でしょう。南半球で最初にオリンピックを開催したのはメキシコでした。欧米地区を除くと発展途上国がやるパターンはオリンピック・パラリンピックと世界万博がセットになる事で、それにサッカーのワールドカップです。サッカーという一種類のスポーツだけでワールド・カップというオリンピックに次ぐ世界イベントにしてしまった組織力はやはり、スポーツに限らず何事も国際ルールを英語で決める事の得意な英連邦王国の大航海時代と産業革命の影響力とかつて七つの海を支配して植民地の宗主国となった歴史的影響です。一番基本となったのはグリニッジの天文台の世界の時間軸をロンドンに決めて、時間制御権を掌握してしまった事です。これは人類にとっては大きい影響力があり時間がなかったら,オリンピックもパラリンピックも成り立たないが、もっと凄いのは陸上運行、海洋法、航空法、そして宇宙航空にも敷衍する、地球上を経緯度24分割する時空への三次元四時元へシンクロナイズ的活用法です。アーテイフィシャル(Artificial)とネイチュアー(Nature)と宇宙空間(Space)までマンメイド(Manmade) システム(System)でくくって統括してしまうってのは、普段人類はその根源的起因の事象に全く無頓着だが,よく考えてみると実は凄い歴史的根源現象であるいう事です。日本が世界万博に初参加したのは1867年(慶応3年)のパリでした。そのころのフランス皇帝はナポレオン三世。江戸幕府はナポレオン一世ボナパルトがルイ17世までの王制を倒して、皇帝位に就いた境遇に類以感を抱いた江戸幕府はフランスを頼っていた。それに対し王制復古を目指す尊皇派は大英帝国のビクトリヤ女王に近接する事になる。それが薩長同盟に結びつき日英同盟に発展するに至ったのです。1867年パリ万博に来ていたプロシアの宰相ビスマルクは虎視眈々フランス国内情勢を観察分析していた。そこには最後の将軍徳川慶喜の嫡男昭武少年も羽織袴でナポレオン主催の御前競馬を観覧する貴賓席にいた。しかしその後始まった普仏戦争(プロシャとフランスの戦争)で,皮肉な事にナポレオン三世はビスマルクに敗退して、フランス国民の不評を買って英国へ亡命し<てしまい、ナポレオンの三代天下は崩壊してしまったのです。鎖国の続いた幕末の日本孤国内で起きていた<尊皇>と<攘夷>とは本来は別ものであった筈がいつの間にかくっ着いてしまったのだが。四文字漢字の語呂合わせが好きな孤島民族の癖か。本音建前が表裏一体で、<攘夷>を叫んでいた人間ほ<夷狄文化>は<異的文化><興味深々><西洋文明>は<開明文化><解明文化>に目覚めて行く<開智啓明><智的欲望>は命かけても<現地展望><欧米密航>への欲望にはもう歯止めがきかない。<攘夷論者>はそれをすぐ言えないが内心では<開国論者>に変貌して行く。<封建制度><鎖国政策>の最先鋒であった徳川江戸幕府が<開国論者>に変貌してゆく。<南蛮人種><夷狄人種>いってた本人が実は自身の方が<東南夷狄>だったと気がつく。

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1867年(慶応4年)のパリ万博には、もう一つの准日本(anotherJapan)が変名して参加していたのです。それは<琉球王国>を表看板にした実は薩摩藩であった。それがベルギーのモンブラン伯の入れ知恵で、丸の中に十字をいれた銀製の勲章を急遽二百個位パリで作製して万博会場内外で配って歩いたためパリの新聞が<日本の真の大君は江戸幕府でなく琉球薩摩藩>と報じたため、幕府側代表は花の都パリでは刀抜いての斬り合いも出来ず憤懣やるかたなく過ごしているうちに日本では大政奉還になってしまい昭武少年のパリ残留の留学計画も中止となり派遣された幕府使節団一行の帰国の旅費もままならなくなり、万博出品物の切り売りで帰国費用を捻出したという。円形枠中に十文字入れた銀勲章は、よく見ると薩摩藩の紋章であったが、欧州人にはこれがまるで十字軍の印に見えたのでした。

次に行われたウイーン万博は1871(明治4)年明治政府が初めて参加した万博で、これには米国ワシントン国務省回りでロンドン滞在中の岩倉具視欧米視察使節団一行も見学に訪れています。オリンピック・万博はセットになる確率が多かったのは、当時万博は開催国の威信をかけそれを他国に誇示するための大イベントであったからです。それが第二次世界大戦後は特にアジヤでは日本から始まり発展途上中の向上心督励のシンボルみたいになったのです。

私は丸紅テクマテックス社を各国に私が企画立案し本社重役会稟議にかけて決定創立してきました。アジアではバンコクを手始めに創立しました。その後中国でもです。全て繊維機械の専門商社機能ですが、綿毛スフ絹麻など自然繊維に加え、ナイロン・ポリエステル・塩ビ・ポリエチレン・ポリプロピレンなど石油化学の化合繊の製造機械も更に加えました。ですから 繊維に関しては全て万般をあつかえる組織を世界市場向けに創成してきました。そして川下のファッショショーにも関係して来ました。ファッションショーとなると、その背後には装身具宝石、バッグ、化粧品、靴帽子、音楽、舞台装置、照明などが関係しています。日本人ファッションデザイナーのパリ・ロンドン・ミラノでのファッションショーには特別に力を入れて支援しました。

戦後のすべて出発点も又綿紡織物工業稼働の発動機のためにできた蒸気機関が基となって世界産業革命の歴史的発祥地であったマンチェスターを基点原点にして世界市場へとのばしました。戦後、産業革命の歴史の原点に戻っての再出発から始めたやり方はいまから考えると正解であったと確信しました。そして日本の自動車工業の発展も蒸気機関が繊維機械工作機械とのシンクロナイジングマッチングの産物です。それと世界万博との結びつきです。世界万博は産業工業のオリンピックとも言えます。日本では大阪万博、愛知県でも愛地球博覧会と既に2回やっています。

今回2020年の オリンピックが東京に決まりましたが、実はこれ20年前から運動してきてたおおくの先達たちが働きかけて来たことを、日本孤島国民が皆忘れています。 その発端は長野の冬季オリンピックの誘致運動を始めた時からはじまっていました。 そして英国オリンピック誘致運動にリンクして取引し、ロンドン・オリンピックにリンクし、2020年東京第2回オリンピックに繋がったものです。

とに角、日本再生のためには今こそ幕末明治維新の原点に戻っての日本国民の本物の意識革命が必要であると確信します。幕末の歴史の原点に回帰し、過去の経験知識や人脈に基ずいて次世代を育成するため新<日英友親交会>促進の御膳立てをしていますので何卒皆様の御理解と応援を得たく存じます。温故知新歴史の原点を知ってこそ健全かつ洞察力と想像力と創造力のある次世代が育成されるものと確信いたします。日本のIDENTITYを確立できる次世代を育成することが国家存立の急務であると存じます。

北 広次郎  英国

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Yours faithfully,

Very best regards

 

Nori Kojiro Kita

Nkita Consulting(EU/UK/USA/ASIA/AFRICA/Middle-East)

Skype Name: norikitaskype77

E-mail: norionplanets@gmail.com