みなさん、こんにちは。ぞりおといいます。

これは、あなたの田村ゆかりはどこから? Advent Calendar 2022の9日めの記事です。

昨日は日向修二さんの「これが私の、全力全開!」でした。

自分の印象では、なのはがきっかけの人が多いのかなと思っていたのでしたが、8日目の日向さんで初めてでしたね。

さて、私が何をきっかけにゆかりさんのファンになったかですが、ひとことでまとめると、

「転職したらすごい言葉のキツい人がいたのがきっかけでファンになりました」

という感じです。

もうちょっと順を追って説明しますね。

出会う前

「インターネット黎明期」って言ったら、いつ頃のことだと思いますか?

諸説あるだろうとは思うのですが、一般向けのコンピュータで自宅からインターネット説亜属が可能になった、90年代後半というのは一つの回答ではないかと思います。

私はその頃に大学の研究室でインターネットに触れ、これは世の中が変わるものだと驚きました。

こんなに簡単に、知らない人が繋がりを持てる[1]ようになる事に興味を持ち、インターネットが世界を変えるのに自分も参加したいと思って、ソフトウェア会社に就職しました。

ところがちょっと、就職活動をする際の調査がテキトーすぎたせいか、配属されたのは20年前から稼働している、COBOLで書かれた会計システムを担当する仕事でした。同じソフトウェア業界でも、だいぶイメージのかけ離れた所です。ソフトウェ業界にも色々あって、比較的新しい技術を得意とする所もあれば、実績のある古い技術に精通していることを強みとするところもあるのです。僕はだいぶ思ってたのと違う所を選んでしまいました。

インターネットで世界を変えるどころか、80年代の技術で世界を支えている所に来てしまった私は、何年かかけて軌道修正をはかり、もうちょっと現代的な環境でソフトウェア開発をしている会社に転職しました。

2004年ごろのことです。

出会い

転職した直後、新しい環境で早く実力を発揮できるようになろうと、四苦八苦していました。しかし、どうも仕事に集中できない問題がありました。

それは、私の向かいの席にいるベテランの人でした。私は直接やりとりする事はなかったのですが、私と同時期に入社したもう一人の人は、その人から仕事を教わっていました。

その新人にかける言葉がですね、何というか、心に突き刺さる感じなのです。

しかも割と理不尽に。

例えば、社内で作成したツールの使い方を知らないという事をもって、「おまえなんか小学生以下だ!」などと罵ったり。「むしろそれを説明するのがあなたの仕事なのでは?」みたいな事で、延々と彼の能力や人格を罵倒するのです。

その人をたしなめるようなことが出来れば良かったのですが、こちらも転職したばかりの身で、そのような勇気もありませんでした。幸いヘッドホンで音楽を聞きながら働ける職場だったので、何かの音で耳をふさごうと思いました。

最初は音楽を聴いていたのですが、音楽は意外と歌っていない時間が長くて、人の話し声を聞きたくないという観点だとあまり向いていないのです。ラジオがいいかな、と思いました。ちなみにradikoは2010年、YouTubeは2005年、ニコ動は2006年にサービス開始です。当時はどれもありませんでした。

当時は、地上波やBSで放送されたラジオ番組を、誰かが録音してファイルをアップロード[2]し、そのURLを2ちゃんねる で公開するというのがよく行われていました。ちなみに、当時はラジオ番組のアップロードは違法、ダウンロードは合法だったと思います。

まあそんなわけで、探せば過去のアニラジが大量に聞ける状態でした。私は大量にダウンロードした、何年分もある様々なアニラジを、仕事中ずっと聞いていました。いろいろな番組を聞いた中で、特に面白かったのが「いたずら黒うさぎ」でした。すぐに過去の録音分から最新に追いつき、毎週土曜にリアルタイムでラジオを聞くようになりました。

「琥珀の詩、ひとひら」のリリースを話題にしていたので、2005年ごろだったのだと思います。

その当時はアニメを見る習慣がなかったので、パーソナリティの声優さんたちの事はほとんど知りませんでした。田村ゆかりさんのことも、「げんしけん」で名前を見たなーというぐらいの印象しかありませんでした。

げんしけん 1巻 92ページ

ライブ

それからは時々2ちゃんねるでゆかりさんのスレッドを見ていました。

2006年のゴールデン・ウイーク、生まれたばかりの娘を連れて帰省しているころです。当時はガラケーだったので、i-modeか何かを使ってゆかりんスレ[3]を見ていたのだと思います。たまたまその時は、fancy baby dollツアーの東京公演の日でした。2ちゃんの匿名の方々の浮かれた様子が、文章から伝わってきました。

「いいなあ。僕も行ってみたい」

調べてみると、次の公演は翌週でした。そして会場は当時の職場から歩いて10分ほどの距離にありました。チケットはプレイガイドで購入可能でした。

幸運にも全ての条件が整っていたのです。

ところで、当時の我が家には生まれて半年の娘がいました。平日は妻が一人で子供の面倒を見ている中、休日ぐらいは子育てを負担しないと、と思っていました。遊びに行きたいとは言いづらい。

そうだ、休日出勤が必要だってことにしよう。

仕事を調整し、上司に許可を取って、その日は休日出勤することにしました。夕方までは職場で働き、それからライブに行きました。たまたまライブ会場が職場のすぐ側だったから出来たことなのですが、今思うと、なんかもうちょっといい方法があったかもしれないですね。

初めて行ったライブの印象は、もはや断片的にしか覚えていないのですが、月のメロディーが印象的でした。初めて買ったゆかりさんのアルバムなので、「銀の旋律、記憶の水音。」の曲はどれも思い出深いです。それと、まだ正式発表前だった童話迷宮を歌ったこと、当時、ステージ衣装のデザインを募集したらしく、採用された人がこの日の公演に来ていて、ステージでゆかりんとハグしてたような覚えがあります。

私はあまりライブに行ったことがなく、何の事前情報もないまま現地に行ったので、客席のコールにびっくりしました。

その頃に買ったはずのCD。多分、東梅田のゲーマーズあたりで買ったと思う。声優のCDはアニメショップに行かないと買えないのかーと思った気がする。

当時買ったCD。たしか東梅田のゲーマーズで買ったはず。声優のCDはアニメショップに行かないと売ってないんだなーと思った気がする。

その後

件のこわい人は、仕事で何かあったようで、異動になってそのあとしばらくして退職しました。

私はそのあともう一度転職して、今は割とインターネットっぽい会社で働いています。

木曜に変わりましたが、ゆかりんのラジオを聞く習慣は今も続いています。

早いもので、当時の赤ちゃんは今は高校二年生です。以前は日帰りできる公演にしか行けませんでしたが、子供の手がかからなくなったので、今はどこにでも遠征できるようになりました。

2023年のツアーも楽しみですね。

明日は、つばめさんの「はじめてのゆかりん(仮)」です。


[1]先Twitter期の話なので、 fjなどのネットニュースや公開メーリングリストなどが使われていました。fj.usageとかで不毛なレスバしてる方々を観察できました。

[2] 「斧」とか隠語で呼ばれてました。調べたら今でもまだあってびっくりした。

[3] 最近はお金を払わなくても過去ログを見れるみたい。