1984リバプール国際庭園博覧会/日本政府出展・日本庭園  Liverpool Japanese Garden in Festival Park

<英国リバプール万国庭園博覧会と北広次郎の係りについてのエピソード>

 私は二年間、NHKの現地エイジェントに任命され、現地アリーナで8月に開催された日本週間での万博最大級の大型ショー開催のために尽力しました。それだけではありません。当時の日本政府の建設省が任命した、海外における日本庭園建設のベテランでスペシャリストである「箱根植木(株)」は、ここリバプールに日本庭園の建設に二年あまりの年月がかかりました。庭園万国博覧会が行われた1984年5月の開会式には、エリザベス二世女王が開会宣言のテープカットをいたしました。同年8月中の日本週間の開会日には、浩宮皇太子殿下が御参加致しました。この庭園万博は、同年10月まで開催されていました。世界29ヶ国の政府がそれぞれの国の威信をかけて、お国が自慢する庭園を建設しました。

日本庭園の横には、当時まだ改革開放(英国が1997年に香港への99年続いた租借権終了後にマーガレット・サッチャー首相が中国への返還を実施。)以前であった中国も、威信をかけており、その後の発展の予兆を伺わせるような立派な中国庭園を建設しました。万国庭園博覧会にかけた建設準備期間は二年間の歳月を費やしました。万国庭園博覧会は、実に構成が上手なものだと感心させられました。世界29ヶ国の政府が、それぞれの国の国家予算を使ってお国自慢の庭園を建設するのですから、英国側としては実に良い万博になります。そして建設準備期間は開会前から二年間を費やしますので、それに加わる主催者側も外国の関係者や庭園建設関係者庭師もその二年間は英国に滞在しますし、開催会期中の見学入場者、また会期終了後にも訪れるであろう訪問入場者などの事を考えると、その経済効果は大変なものです。しかもこのリバプール市郊外の土地は、雨が降るとぬかるみ沼地のようになり、長靴が泥だらけになる所でした。

この庭園万博では 最後に日本庭園はなんとゴールドメダル賞、総合部門・最高名誉賞、永久保存庭園部門・最高名誉賞、審査員団最高金賞と、四つの賞を受賞を総なめに獲得するという大快挙を成し遂げました。そして翌年に行われた「つくば科学技術万博」への世界に対する呼び水となる役割として十分貢献しました。この会期前に行われた建設期間の二年間と、開催期間半年の間、日本政府派遣の箱根植木の庭師達述べ百名を超える方々のお世話をさせて戴きました。また大型和服舞踏劇団ショー(秋吉久美子主演)池乃坊専永総匠・和服チェーン店鈴屋小泉京子社長デザイナー、和太鼓団協力を開演したNHKの現地エージェント業や事務方手配も忙しかったですが、なんとかこなしました。

その頃は、この事がやがて行われるであろう1998年の長野冬季オリンピック、2012年のロンドンオリンピック、パラリンピックへ、そして2020年の東京オリンピッ誘致へ繋がって行くとは、当時夢にも思いませんでしたが、しかし現実にはそうなりました。それだけでなく、1997年の英国香港返還後に行った改革開放の北京オリンピック・パラリンピック、そして上海万国博覧会にも繋がって行く事になりました。そのオリンピック・パラリンピックについての脈絡関係については、隙間時間に次のリンクを参照してみて下さい。

ここをダブルClickクリックして見て下さい➩➩➩  北広次郎資料館

ここをダブルClickクリックして見て下さい➩➩➩  日英友親交促進委員会

 

あの英国庭園万博当時は、なにもかも無我夢中でやっていましたので、全く気が付いていなかなったのですが、今になって考えてみると、現代におけるクールジャパンの先駆けとして、日本国もどえらい事をやっていたのだなと、しみじみ思います。私もその中の1部分に、知らない間に関わっていた事に、今頃になってやっと気が付ました。この庭園万博のイベントも、日英関係史の中に刻まれていても、全くおかしくない事柄だと思います。幕末に英国からニューヨーク・ワシントンへ渡った日本人達が、米国へ向かった際の大西洋側に向けた玄関口がリバプール港湾市でした。そして、ここリバプールに「ビートルズ」が誕生しました。逆に明治初期に木戸孝允・伊藤博文・井上馨・大久保利通等を含む岩倉具公団長の欧米視察団が、米国から大西洋を横断して着いたのがリバプール港でした。ここのアデルフィ・ホテルに宿泊し、汽車でマンチェスター経由ロンドンへ向かい、長期に渡ってロンドンに滞在しました。その時に私の先祖になる尾崎三良が、ワシントンで会った岩倉使節団一行と係わりがありました。当時、ロンドンで起きた米系私営旅行社の預金口座に預金してた日本人公使館職員や、日本人留学生達達が倒産詐欺事件に巻き込まれた事がありました。留学生総代をしてた三良が、ロンドン債権者会議に度々出て面倒を見ていたようで、日本人達とその代表格の岩倉公などが感謝の気持ちとして、皆から募金を募り、金時計を贈られた事がありました。三良は何度も固辞しましたが、最後に岩倉公から「度々の債権者会議ではご苦労だったな。少しでも取り戻せたのは、君の粘り強い努力のせいだし、これは皆の気持ちの総意なのだから、素直に受け取っておきなさい」と説得されて受け取ったものでした。このロンドンにある米国人兄弟旅行会社に、日本人達は預金口座としてお金を預けていました。ここの番頭格に雇われていたのが日本人でしたが、その本人も知らぬ間に経営者の兄弟は、ある夜忽然と姿を消してしまったのです。計画倒産と見做されました。当時このような事も起きていたのでした。

この庭園万博の歴史的イベントに関しましても、私が関わってきたことも重なってますので、日英友親交促進の中に加える友好的歴史価値は、十分あると思います。やがてはこれはイングランド南岸に位置するモンタギュ公の御領地であるサウスハンプトンとポーツマス両港湾市近辺にも、日本庭園とスポーツテーマパークを建設したいと思っております。ここが幕末から明治にかけて、日本と英国を繋ぐ海上航路の玄関口港湾市だったのですから。

 

現在、このような歴史認識を持っている日本人はほとんどいません。戦後にこのような歴史教育を日本はなんで止めてしまったのでしょうか?150年前に日本が海外と結びついた良い歴史を教える事をなぜ戦後70年間止めてしまったのでしょうか?

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1984リバプール国際庭園博覧会/日本政府出展・日本庭園

海外の日本庭園 Japanese gardens outside japan

以下、海外の日本庭園より転載。

1984リバプール国際庭園博覧会/日本政府出展・日本庭園  Liverpool Japanese Garden in Festival Park

国名:

イギリス

Country:

United Kingdom

住所:

リバプール

Address:

Liverpool

竣工年/

Date Opened:

1984

分類:

国際博覧会による設置

Category:

International Exhibitions

様式等:

池泉回遊式

Style:

Stroll Garden

面積/Area:

1,426m2

依頼主:

日本政府、業務委託:(財)都市緑化基金

Client:

Urban Green Space Development Foundation, commissioned by the Japanese Government

設計:

日本庭園出展事業実行委員会 協力・箱根植木(株)担当責任者 大平暁

Designer:

Executive Committee of Japanese Garden Exhibition supported by Ohhira Akira (Hakone Ueki Landscape Construction Co.,Ltd.)

施工:

統括責任者:大平暁、主任辻田正一

Contractor:

Ohhira Akira (president director), Tsujita Shoichi (director)

四阿より築山方向の眺め

View from the arbor toward the artificial hill.

滝と流れ部分

Waterfall and stream

全体平面図

General plan

ゴールドメダル賞、総合部門・最高名誉賞、永久保存庭園部門・最高名誉賞、審査員団最高金賞と、4つの賞を受賞。

This Japanese garden was exhibited in the 1984 Liverpool International Garden Exposition, to which Elizabeth the Second was invited as president. The garden was awarded the top honours for the entire section as well as the permanent conservation garden section. It won both the gold medal prize and the judges’ first-place prize, and was chosen as best garden out of entries from 32 countries.

This is a stroll-style garden with an artificial mountain and miniature lake. The 3.3 meter high mountain was created on the flat northwest side of the site, with a waterfall running off the mountain. The water flows from a mountain stream into the pond at the centre of the site. An arbor over part of the pond was designed to allow viewing of the garden from that vantage point. Nearly 500 tons of stone, all procured from the local area, were used to make the waterfall, the mountain stream, the stepping stones and the edge of the pond. In addition 1,478 trees were planted in the garden, enriching the landscape along with the stones. After the exposition ended, part of the site, including the Japanese garden, became a park. However, the tower, the garden lanterns, Tsukubai and other stone items were stolen because of insufficient supervision. Part of the arbor was damaged by arson; and the garden gate, tree gate and bamboo hedge were damaged as well. As of 2005, these items have not yet been restored.