序文
私がそのことに気づいたのはちょっとしたきっかけでした。
YouTubeのコメントなどを読んでいると、'I really wanna be a Japanese.'(マジで日本人になりたいよ)とか、「生まれてくる国を間違えた」などといった海外からのコメントが、日本から投稿された動画につけられているのをあちこちで見かけます。
日本のマンガやアニメが世界中で人気を集めているというニュースが新聞や雑誌などで時折取り上げられていましたが、実際にどの程度の人気であるのかは日本国内にいるほとんどの人は認識していないでしょう。しかし、海外旅行をした、または外国の友人がいる、などといった海外の情報に接する機会のある人ならば、マンガ、アニメ、ゲームをはじめとする日本発祥のポップカルチャーの人気と、そこから醸成されている海外の人たちの日本への「あこがれ」といったものをなんとなく感じていると思います。
日本から投稿された動画に対して、「生まれてくる国を間違えた」=「日本に生まれたかった」などといったコメントがつくほどの日本に対する憧れが、「なぜ」「どのようにして」生まれたのか、ここに興味を抱き私の調査が始まりました。
最初の数ヶ月は、国内外の報道機関や新聞記事、さらにその元になった一次資料など手当たり次第に読み漁りました。諜報機関の仕事は公になった資料の分析が9割を占める、と言われていますが、今回の調査もまさにそのとおりでこれらの資料の中にあたかもジグソーパズルのピースが散乱していて、それを拾い集めることによってなにか大きな絵が出来上がるような感触を得ていたからなのです。
しかし数ヶ月を経た頃、拾い集めたジグソーパズルは私が最初に思い描いていたよりもはるかに巨大な絵が出来上がることが予想されるようになり、さらにその後一年半の調査を行うことになりました。ジグソーパズルのピースを拾い集めるうちに政府上層部の一部などで私と同じような感触を持っていることがわかり、必然的に調査対象がどんどん広がって、時代も江戸時代にまでさかのぼることになりました。
調査を進めるにしたがって、それまでばらばらだったジグソーパズルのピースがおおまかな形を現し、欠けているピースを補完するために日本に来ている海外の人たちにも取材を行いましたが、その内容はまさに驚きの連続でした。
本業の傍らの調査であり、個人で行う約1年半の期間では限界も感じましたが、そこには明らかに必然によって日本のポップカルチャーが世界で人気を博している理由がみえてきたのです。
茶道、武道や禅といった日本の伝統文化も海外に普及してはいますが、これらは敷居も高く間口も狭いためハイソサエティーのたしなみ的な存在でした。そこにもっと敷居が低く間口の広いマンガ・アニメ、ゲームを代表とするポップカルチャーが普及し、この敷居の低い現代文化を通して日本そのものに興味を持つ人が劇的に増加しているのです。その典型的な例が海外で日本語を学んでいる人の数が10年間で倍の100万人に増加したことです。知り合いの一人(アメリカ人)は高校のときに独学で日本語の学習をはじめ、三年で完璧な日本語を読み書きできるようになりました。彼の日記からはアメリカ人が書いたものであるとはわかりません。彼の日本への憧れが、これだけの短期間で日本語を習得する原動力になっていたのです。
この調査によって日本的な「かわいい」という価値観がなぜ世界中に広まっていったのか?などの理由が私なりにかなり明確になりました。そして最大の収穫は「メタカルチャー」の存在でした。
通常、文化は宗教やイデオロギーなどの基盤に成り立っています。たとえばキリスト教文化であれば新約聖書、イスラム文化であればイスラム教などの基盤の上に文化が発展していきます。また同じキリスト教文化圏であっても、ディズニーがフランスにディズニーランドを建設したときには文化侵略である、とかなり大きな拒否反応が起きたように、ディズニーランドのモチーフとなったグリムやアンデルセンなどのヨーロッパ文化とアメリカ文化の衝突がありました。こういった異なる文化圏にも日本のマンガ・アニメなどはわりと抵抗なく受け入れられています。
このようにキリスト教文化、イスラム文化など、宗教、イデオロギーといった従来の文化のくくりを超越した存在、メタカルチャーというものが日本のポップカルチャーに備わっているからなのではないか?そしてそのようなメタカルチャーを生み出した日本にはそれを生み出す必然性があったのではないか?
1980年代に日本の家電製品を代表とする工業製品が世界を席巻しましたが、なぜ日本の家電製品が世界を席巻したのか?日本の家電製品の品質は世界一で、未だに追いついてくる国はありません。それはなぜなのか?そして現在ポップカルチャーが世界を席巻しているのはそのときと同じ背景があるのではないか?
このようなメタカルチャー的なものを生み出す背景には日本独自の必然性があり、いわばなるべくしてなったと言うのが私の現時点での結論です。
本書では、これらの必然性について解き明かしていきます。