事件は名探偵を必要としている

白石晶

 私は本を読んでいた。それも音読だった。音読しているからといってここは小学校ではなかったし、私も小学生ではなかった。この部屋には本と木の香りが立ちこめていた。二つの読書灯だけが薄暗い部屋を照らしていた。一つは私の手元を照らし、もう一つは彼女の手元を照らしていた。私は一心不乱に本を読み上げた。私はページの残りの文章を一気に読み上げ、ページをめくった。彼女の座る椅子の方からもページを繰る音が響いてきた。私は疲労を感じ、本を閉じた。すぐさま彼女から叱責の言葉が飛んだ。部屋は薄暗く、彼女の顔は見えなかった。

「ホラホラ、どうしたのよ。さっさと読みなさい。今日中にもう五冊は片付けたいわ。」

 私はため息をつくと、立ち上がって部屋の明かりをつけた。急に明るくなって、彼女は手の平で目を覆った。

「う、まぶし・・・。」
「そろそろ休憩にしようぜ。何時間こうやってると思ってるんだ。」
「そうね・・・二時間半ぐらいかしら。」
「四時間半だよ。お前は普通に読んでるだけだろうけど、こっちは声を出してるんだ。そろそろ勘弁してくれ。」
「軟弱なこと・・・わかったわよ。」

 彼女は読みかけの本に机の上に散乱する栞を一枚挟むと机の上に投げ出した。栞は彼女が印刷屋に刷らせたオリジナルである。机の上にはオリジナル栞の束以外に、買ったけれどまだ読まれていない本が積み上げられている。アマゾンの箱から出されることなく放置されている本もあった。全部で二・三百冊はあるだろうか。私も机の上の栞を一枚拾って本に挟み、彼女に倣って机の上に置いた。私は椅子を引っ張ってきて机の前に腰掛け、机の上の本を眺めた。国産と翻訳モノが半々ぐらいだろうか。このうち何割かは私が音読するのだ。原書がないというのがせめてもの救いである。彼女をみると、車いすの上で背伸びをしていた。ここ最近、家から出ることなく部屋の中に閉じこもっている彼女の肌は真っ白だった。白というよりも青白いという方が正しい。不健康だが、それについて私があれこれ言う資格はなかった。同じ生活をしているので、私も顔色に関しては人のことはいえないのだ。まあ、彼女はそれなりに美人であった。私の趣味からいわせてもらえば、黒いより白い方がよかろう。逆パンダみたいな人種もたまに見かけるが、あれはどうしようもない。彼女は十年ほど前、大地震で倒れてきた本棚の下敷きになった。それ以来車いすの上で不自由な生活をしている。そのときの教訓は彼女の背後にそびえる巨大な本棚に生かされていた。本棚には金網の扉がついていて本棚自身も金属の固定具で壁にしっかりと固定されていた。

 ここは書斎だった。十六畳という空間に本棚が立ち並んでいた。まるで小さな図書館だ。この書斎には特定のジャンルの本だけが存在していた。すべてがミステリとよばれるジャンルの本だった。そして、ミステリの中でも特に本格と呼ばれるものが多く集められていた。背後の巨大本棚には特に彼女お気に入りの国産の本格ミステリがぎっしり詰め込まれていた。講談社、角川、創元推理、早川・・・。有名なのからそうでないのまで、新刊から絶版本まで様々な国産の本格ミステリが揃えてあった。物騒な名前の本が大量に並んでいた。人様には見せられない光景だった。赤川次郎のミステリなど一冊もなかった。一度彼女に読ませてみたのだが、すぐさまシュレッダーの餌になった。映画化された作品だったのだが、彼女にダメ作品の烙印を押されてしまったのだ。それ以来、彼の本はこの部屋に一冊もなかった。何故か片隅に流行のライトノベルが混じっていたが、たまに短編で本格ミステリっぽい話があったため、この場に存在を許されていた。飽きられたらすぐに破棄されることだろう。海外モノはこの巨大本棚には見あたらなかった。海外物は部屋の大半を占拠する本棚群に収納されていた。ホームズやポーぐらいは別格扱いにしてあげてもいいように思うのだが・・・。私がボンヤリと考えていると不意に彼女が声をかけてきた。

「ねぇ。」
「なんだよ。」
「食事は?」
「はぁ?」
「食事よ。休憩するなら、その間に食事にしてしまわないと時間が無駄よ。食べながらは音読できないし、早く食べましょう。」
「夕食か・・・まだ、四時過ぎなんだが・・・わーったよ。遅いよりいい。いつもの定食でいいよな?」
「手早く食べられるなら、何でもいいわ。」
「へーへー。」

 私は部屋を出て、三軒隣の食堂に向かった。玄関を出たところで、少し向こうにパトカーが二台止まっているのが見えた。事件でもあったのだろうか。まあ、うちには関係なさそうだ。近所付き合いなど、両親が外国に出てしまってから皆無だった。私はいつもの食堂に向かった。そこは学生相手の食堂で、値段の割には量が多いというすばらしい店だった。私は日替わり定食を二つ頼んで、食器のまま家に持ち帰った。この店は出前などやっていないし、おまけに営業時間外だった。近所かつ顔なじみ故の暴挙であった。私は定食を家に持って入ると食堂に置き、書斎へ向かった。書斎に入ると彼女は再び読書に夢中になっていた。

 私は彼女から本を奪うと彼女の車いすを押し、食堂まで連れて行った。こうしないと彼女はいつまでも本を読み続けるだろう。ここまでして彼女の世話を焼く必要はないのかもしれない。私が彼女の世話をする理由は、大事な家族だからということにしておく。詳しく分析すると、何か嫌な結果が出そうだったのでこれ以上考えないようにしていた。少々早い時間だが食事タイムだった。とりあえず、私はテレビをつけた。毎日こんな生活を続けていると、この時間にニュースを見ておかなければ浦島太郎になってしまうに違いなかった。私も彼女も大学生だったが、どちらも八年計画になりかけていた。私はできることなら五年ぐらいで卒業してしまいたいと思っていたのだが、彼女は間違いなく八年コースに違いなかった。私は小さくため息をついた。今日は朝から大学に行くはずだったのだが、彼女から未読本を一冊でも減らすために音読を頼まれたのだった。彼女自身が一冊読んでいる間に、私が音読すれば同時に二冊の本を消化できるというわけだった。異常としかいいようがない発想だが、彼女は日々そうやって未読本を消化していた。いつも断ろうと思うのだが、自分でもわからない理由で断ることができなかった。私はどうも彼女の願いを断れないのだった。私がこうやって日々の生活を悔やみながら食事をするのもまた日課だった。私は再びため息をついた。その時、彼女が吠えた!

「ニュースを見て!」
「ああ?」
「はやく!」

 殺人事件があったというニュースだった。場所は・・・ご町内である。なるほどさっきのパトカーはコレだったのか。私は一人納得した。彼女はかなり興奮していた。鼻息荒くテレビ画面を睨み付けていた。このパターンだと確実に困ったことになるに違いなかった。私は話をそらそうと彼女に話しかけた。

「おい、美樹。今晩の・・・。」
「黙って!」
「・・・黙ります。」

 彼女に一喝され、私はあっさり沈黙した。すぐにニュースは終わった。私は彼女の次の台詞が完全に予想できた。そしてそれは一字一句予想通りだった。

「晶!事件は名探偵を必要としているわ!出かけるわよ!」

 真の本格ミステリマニアは、事件と聞いて黙っているわけにはいかないのだった。彼女は事件を解決するため、久しぶりに日の光溢れる外に飛び出す決心をしたのだった。私は彼女の車いすを押しつつ、事件の現場へと向かった。現場までは百メートルといったところか。むちゃくちゃご近所だった。ニュースでは二十代の女性が風呂場で死んでいたと言っていた。他殺か自殺か、はたまた単なる事故なのかは謎。調査中だった。現場には人だかりができているようだった。

 私は立ち止まって、彼女に最後の確認をとることにした。できることなら、あの薄暗い部屋に引き返したかった。

「なあ・・・本当に行くのか?きっと、本格ミステリ的なことなんてないぞ。」
「そんなことないわ!これは本格ミステリ的な事件なの!アンタはこの事件に見え隠れする犯人の悪魔のような知性を感じないわけ?」
「感じない。」
「そんなだから、アンタは名探偵にはなれないのよ。でも、まあ、私についてきたらジョン・H・ワトソンをはじめとする二階堂黎人、アーサー・ヘイスティングズ、磯川常次郎、関口巽、フランボウ等々という名脇役にはなれるわよ!」
「・・・出来ることなら、関口君にだけはなりたくないなぁ・・・。」
「いいから、さっさと行くわよ!早くしないと無能な警察や野次馬が大切な犯人の痕跡を消してしまうかもしれないじゃない!」

 私たちは野次馬の包囲網へ突撃した。頭の中でニュースでみた情報を整理した。私たちが知っている情報は、以下の通りでだった。

*ワンルームマンションの一室で死体が発見された
*ワンルームマンションはご近所
*被害者は二十代の女性
*死体は風呂場で発見された
*発見時刻は午後三時過ぎ
*発見者はワンルームマンションの大家

 一方、不明な事柄は以下の通りだった。

*死因
*玄関以外に出入り口はあるのか
*玄関の鍵は施錠されていたのか
*合い鍵は存在したのか
*他殺だとしたら犯人は誰か
*大家はどうやって風呂場の死体を発見したのか
*大家はなぜ被害者の家を訪れたのか

 私は内心「何でこんなことをしているのだろうという」疑問を心の奥底に押し込めつつ、車いすを野次馬の中へ押し込んでいった。彼女も暴言を吐きながら野次馬をかき分けていた。私たちは、ジワジワと最前列目指して分け入っていった。こちらは四輪車。車輪付きだった。生身の人間を押しのけることなどたやすい。何はともあれ、数分で最前列に彼女を送り込むことに成功した。しかし、ここからが問題だった。どうやって彼女は事件の核心に迫る秘密を手に入れようというのか。彼女のお手並み拝見といったところだった。あんまりすごいお手並みだった場合に備えて、逃走の算段もしておかなくてはなるまい。最前線には三角コーンが立てられ、映画とかでよく見る立ち入り禁止ビニールテープが張られていた。これ以上近寄れなかった。彼女は事件現場をジッと見つめた。何かを待っているような雰囲気だった。

 彼女は現場を見つめ続けた。五分ぐらいそうしていただろうか、彼女は不意に大声を張り上げた。

「大さん、こっちこっち!」

 被害者のワンルームから出てきたごつい警察官がビクリと動きを止め、油の切れたロボットのような動きでこちらを向いた。ゴリさんの実写版だった。しかし、これは・・・まさか警察官の知り合いというやつか。名探偵には何故かこういう都合のいい知り合いというのがつきものだった。あるいは親族に警察組織の大物がいたりするパターンも多い。が、私にそんな親戚はいない。となると、ここで登場するのはやはり警察官の知り合い・・・。なんてことだ。私は少々彼女のことを見くびっていた。いったい、いつの間に、どうやって警察官に知り合いを作ったのだろうか・・・。万引きとかの犯罪がきっかけでないことを祈るばかりであった。警察官は引きつったような笑いを浮かべこちらにやってきた。

「や、やあ、蘭子くん・・・ど、どうしたのかな?」
「萌絵よ。」
「は?」
「私の名前は西之園萌絵よ。」
「え?西之園萌絵?二階堂蘭子じゃないのかい?」
「まった!」

 私は思わずストップをかけた。私はなおも何か言おうとする彼女の口を手でふさいだ。警察官の顔にはハテナマークがいっぱいだった。私は彼女が暴れるのを押さえつけながら、警察官に事情を説明した。

「ぐーぐーっぐ!」
「すいません。こいつは美樹です。」
「は?・・・つまり?」
「嘘の名前を言ってたんでしょう。蘭子とか萌絵というのは小説の登場人物の名前です。」
「あー・・・そうか。わかった。わかったから、お願いだ。邪魔せずに帰ってくれ。」

 私が同意しようとしたとき、彼女は私の手をふりほどき再び叫んだ。

「昨日の晩、ここで不審者をみたわ!」

 警察官が身を乗り出した。おいおい!昨日の晩、私と彼女は一緒に衛星放送でテレビシリーズ一挙放送のミステリ特集を見ていた。あんな気持ちの悪いひげのおっさんに『もう一つだけ、もう一つだけ』とつきまとわれたら、犯人でなくても自白してしまうに決まっている。そういうドラマを延々と徹夜で見ていた。とてもじゃないが、ここで不審者を目撃することなど不可能だった。私は彼女の耳元でささやいた。

「おい、どういうつもりだ。相手は警官だぞ。」
「作戦よ、作戦。」
「何の作戦だ・・・。」
「知り合いの警官から、一般人であるところの素人名探偵が情報を手に入れる作戦に決まってるでしょ?」
「嘘いうと逮捕されるぞ。公務執行妨害とか・・・。」
「大丈夫。私たちは未成年だから何とかなるわよ。」
「お前は先週二十歳になったばっかりだろ!」
「女性の年は多少間違っててもオトガメなしよ!」
「そんなわけあるか!」

 思わず怒鳴ってしまった。

 警察官は苦笑してこっちをみていた。聞かれてしまったようだ。彼女は私に平手打ちを食らわせると、警察官を拝み始めた。

「大さん、お願ぁぁぁい。」
「お願ぁぁぁい、っていわれてもなぁ・・・。」
「今度事件を解決したとき、大さんの手柄にしてあげるから。ね?ね?」
「キミが解決することなんてあるのかなぁ・・・。」
「なんですって!」
「落ち着け。」

 私は再び彼女の口をふさいだ。いい加減、周りの視線が痛くなってきた。大さん以外の捜査官も遠巻きにこちらをみていたし、野次馬も興味津々だった。大さんは肩をすくめると同僚の方に手を挙げ、こういった。

「この子がなんかみたらしいんで、ちょっと話してきます!」

 ・・・どうしよう・・・私は頭がクラクラしてきた。大さんは近所の喫茶店に私たちを連れて行った。はっきり言って捜査妨害をするような不審者であるところの私たちは、このまま警察署に連行されてしまうのではないかという不安を感じた。私は内心ドキドキしながらついて行ったが、無事に喫茶店に到着した。道中楽しそうだったのは、彼女だけであったのはいうまでもあるまい。始終ニコニコ笑顔であった。大さんは我々を喫茶店の一番奥の席に連れて行った。全員、コーヒーを注文する。大さんは、追加で"当店名物特大バケツパフェ"を注文しようとする彼女からメニューを取り上げ、言った。

「で、蘭子くん・・・じゃない。美樹くんは何を知りたいのかな?」
「ちょっとまってください。何で、教えてくれるんですか?」

 私は思わず聞いてしまった。大さんは大きく肩をすくめつつ説明してくれた。

「ここで放っておくと、この困った探偵さんはもっと困った行動に出ると思わないか?」
「なるほど・・・。」
「ここで多少の情報を俺が蘭子くん、じゃない美樹くんに漏らしたとする。でも私がしゃべることのできる範囲の内容は、どうせ夜のニュースに流れる内容だ。数時間早まるだけだ。美樹くんを放っておくと、流れるニュースも流れなくなってしまうかもしれない。挙げ句の果てに公務執行妨害で君たちを引っ張ることになってしまうかもしれない。」
「そうならないように餌をやって黙らせておこう、と。」
「ま、そういうことだ。双方損をしないというわけだ。」
「あんたたち・・・黙って聞いてりゃ本人の目の前で勝手なこといってくれるわね。」
「勝手なことといってもなぁ・・・。」
「そうですね・・・。」
「おまけにいきなり仲良しさんか・・・。」

 彼女は大声で"当店名物特大バケツパフェ"を注文した。大さんは大きく肩をすくめた。これが彼の癖なのだろうか。それとも彼女の相手をするとこうなってしまうのか。

 バケツに入った毒々しい色のパフェをつつきながら、大さんへの質問大会が開始された。パフェが二つ消滅し、甘いものに体が拒絶反応を示すようになった頃、以下の事柄が再確認・判明した。

*被害者は二十二歳の女性
*死体はワンルームマンション202号室の風呂場で発見
*死体は全裸
*発見時刻は午後四時十五分頃
*死体の第一発見者は大家
*玄関以外の出入口はベランダのみ
*玄関の鍵は施錠されていた
*202号室の合い鍵は合計三つ
*合い鍵の一つは大家が所持
*合い鍵の残り二つは202号室内から発見
*合い鍵の複製は容易
*大家は家賃の催促のため被害者宅を訪れた
*大家は返事がないので留守かと思った
*大家は風呂の窓から死体を発見した
*通報は大家によって大家宅から行われた
*玄関の鍵は警察の依頼で、大家によって解錠された
*遺書は見つかっていない
*警察は他殺・事故の両方の可能性を考慮して捜査中

 彼女は髪の毛の中に片手をつっこみ頭をかき回した。残念ながら、フケは落ちなかった。それにあの名探偵の真似をするのもどうだろう。彼の手がけた事件が解決するのは、たいていの場合、めぼしい人間が全部死んだ後だった。犯人といかにも怪しい人しか残ってないなら、誰でも名探偵になれるに決まっていた。あれはオカシイ。そのとき、彼女の目がキラリと光った。

「・・・大さん、あなた・・・まだ何か隠してるわね?」
「隠しちゃいないよ。まだ、これぐらいしかわかってないんだ。」
「それは現場に残されていたはずよ。」
「それ?」
「ええ。被害者のダイイングメッセージよ!」
「ダイイングメッセージ?それは被害者が最後の力を振り絞って犯人の名前とか手がかりとかを書き残すという、アレか?」
「そうよ。Yとか。いえ、必ずしも文字だとは限らないわ。大鴉像が砕かれていたとかパズルがバラバラにされていたとか。ダイイングメッセージは比類のない神々しいような瞬間に被害者の脳に飛来するのよ!」
「・・・そんな訳のわからないものは残されてなかったよ。」
「被害者が全裸だったというのがそうだったのかもしれないわ!」
「キミは風呂にはいるとき服を脱ぐだろう?現場は風呂場だよ。」
「クッ!じゃあ・・・アリバイよ!あのワンルームマンションの住人のアリバイを教えて!アリバイのしっかりしている人間が逆に怪しいのよ!」
「都会じゃあ一人暮らしの人間も多いからなぁ・・・。場所はワンルームマンションだし。まあ、万一ということもあるから、聞き込みはしているよ。ただ、仕事に出ていて、まだ、話を聞けていない人も多い。」
「わかったわ。アリバイについては、FAXで送ってちょうだい。」
「へいへい。」

 彼女はここでいったん引き下がったかに見えた。しかし、そんなことはなかった。

「もう一つだけ聞かせて。」
「まだあるのかい?」
「玄関の鍵だけど、誰がどうやって施錠したのかしら。」
「被害者が自分で中から閉めたと、我々は考えてる。」
「ちがう、ちがうわ!きっと、扉にピンの跡や何かがこすれたような跡があるはずよ。それともテープ?いや、今時そんなトリックは使わないわね。警察が着たとき、扉は誰がどうやって開けたの?誰が斧でぶち破ったのかしら?そのとき閂は確実にしまっていた?まさか電子ロック!?」
「・・・だから、大家が合い鍵で開けたっていっただろ?」
「クッ、そうだったわね・・・昨晩、マンションは嵐で孤立していた?だとしたら、犯人は昨晩マンションにいた人間だわ!」
「キミは同じ町内に住んでるんだろう?昨日の晩、嵐だったかい?」
「なら、芭蕉の歌の見立てで殺人が行われてるの!これは連続殺人事件よ!」
「・・・見立て?芭蕉?何のことだ?」
「じゃ、じゃあ交換殺人!」
「は?」
「犯人は二人いて、互いに殺したい人間を交換するの!」
「それで?」
「クッ!被害者は実は生きてる!」
「・・・俺もホトケさんをみたけど、確実にホトケさんだったぜ?」
「フーダニットハウダニットファイダニット・・・双子・・・ミスディレクション・・・QED!」
「証明終わり?そろそろ勘弁してくれるのか?」
「まだまだ!」
「おい、美樹、いい加減にしたらどうだ?名探偵の出る幕じゃなさそうだぜ?」
「アンタは黙ってて!」
「すいませんね、こんな姉で。」
「仕方がないさ。親兄弟は選べないんだ。」
「まったくです。」

 まだ何か言いたそうではあったが、彼女はようやく黙り込んだ。大さんは大きく肩をすくめると伝票を持って立ち上がった。

「まあ、美樹くん、何か思いついたら電話でもしてくれ。携帯の番号、教えてあるだろう?」
「・・・ぅぅ。」
「すいませんね、こんな姉で・・・。」
「まあ、いいさ。これでしばらく静かだ。俺は現場に戻る。」
「ご苦労様です。ごちそうさまです。」
「ははは、いいさいいさ。さて、本当に犯人がいるなら捕まえないとな。」

 大さんはぎこちないウィンクを残して立ち去った。彼女は沈黙したままで頭をかき回し始めた。そんな彼女の車いすを押しつつ、私たちも喫茶店を後にした。彼女は家に帰り着くなり、何も言わずに書斎に引きこもってしまった。彼女は何も有用な意見を述べられなかったことに激しい焦りを感じているようだった。書斎には鍵がかけられた。扉の外から声をかけても彼女は答えてくれなかった。

 やがて夜になり、ニュースを私一人でチェックしたが、ニュースでは喫茶店で大さんから聞いた以上の情報を得ることはできなかった。警察の捜査はどこまで進んでいるのだろうか。彼女に事件を解決することは可能なのだろうか。普通なら、そんなことはあり得ないことだった。

 彼女の最大の問題は、この事件に関するすべてが本格ミステリで言うところのフェアに提供されるという前提にとらわれているということだった。しかし、フェア・アンフェアという決まりごとは、所詮、小説としての本格ミステリの中でのみ有効なルールだった。これについてはヴァン・ダインの二十則やノックスの十戒とかを参考にしてもらいたい。これらは本格ミステリを犯人当て・トリック当てのゲームとして楽しめるものにするためのガイドラインだった。それにとらわれている限り、名探偵が現実の事件を解決することは、不可能だった。今回の事件も被害者とは何の接点もない強盗が犯人であるかもしれなかったが、このような犯人は本格ミステリではアンフェアといわれてしまうだろう。彼女が本格ミステリの虚構にとらわれている限り、彼女は現実の名探偵にはなることができないのだった。

 私はニュースが終わってもテレビをつけたまま、次から次へとテレビ画面に流れる映像を眺めながら、今後の展開に思いをはせた。いつしか私はウトウトしていたようだった。考えてみたら昨日はほとんど徹夜だった。浅い眠りの中で、チョビ髭の名探偵が私になにやら詰問していた。

「ああ、夢を見ているんだな。」

 誰でも経験があるだろう。なぜか夢の中で自分が夢を見ていることを自覚することがある。私は苦笑しながら、夢の中の物語を楽しんだ。どれぐらいそうやっていたのだろうか。急に電話がかかってきた。私はハッと我に返るとダルい体をノロノロと動かし、電話に出た。しかし、そこからは謎の怪音がするのみだった。夢の続きだろうか。いや、FAXだった。私は受話器を戻し、紙の吐き出し口をじっと見つめた。ジジ・・・ジジ・・・と徐々に紙がはき出されてきた。・・・最初の数行が見えた。マンションの住人の情報だ!私は彼女のいる書斎に走った。

「おい、FAXがきてるぞ!」
「・・・」
「おい?美樹?」

 私は書斎の扉をめいっぱい叩いた。何度か叩いて、ようやく中から音がした。扉が乱暴に開かれた。彼女の頬にはクッキリと本の角のカタが入っていた。探偵活動にふけっていた、あるいはあの喫茶店で有用なことが何もできず落ち込んでいたのかと思ったのだが、単に眠っていただけだったのだ。私は彼女の車いすを乱暴に押し、FAXの前まで連れて行った。

 彼女は送られてきたばかりのFAXを手にとって目を通した。約束通り、マンション住人のアリバイ一覧のようだった。無視してもいいのにきっちりと送ってくれた大さんもよくわからない人だった。彼女は血走った目で紙をめくった。そして、あるところまできて、息をのんだ。彼女の手から紙がこぼれ落ちた。彼女は一心不乱に何か考えていた。私は紙を拾い上げ、内容を確認した。被害者は202号室だった。右隣は空き屋で、左隣は大学生の一人暮らし。大学生は私たちと同じ大学だった。おまけに彼女と同じ学部だった。この大学生も私たち同様に大学をサボって寝ていたらしかった。困ったものだ。他の住人は大半が会社や学校に行っていたようだった。家にいた人も何名かいた。仕事が休みだったり、夜の仕事だったりと家にいた理由は様々だった。しかし、これといって事件の解決につながりそうな情報は見あたらなかった。彼女は頭をガリガリとかき乱した。一分経ち、二分経ち・・・五分が経った頃、ようやく彼女の発作は治まった。そして、彼女は鋭い目で私を睨み、叫んだ。

「アリス!」
「晶です。」
「晶!」
「言い直さなくても・・・。」
「いいから!犯人がわかったわ!」
「ホントか!?別に何もそれらしいことは書いてなかったようだけど?」
「あんたは見ているだけで、観察していないのよ。見ることと観察することとは、まるっきり違うの。例えば、玄関からこの部屋へ上がる階段を、あんたは何度も見ているわよね。」
「みてないな。うちは平屋建てだからな。」
「・・・今から親に手紙を書いて、すぐに階段のある家に引っ越しましょう。この家は名探偵にふさわしくないわ。」
「おまえは車いすだろ。この家はバリバリのバリアフリー構造だぜ?」
「大丈夫よ。義足でも何とか歩けるから。」
「ムリしなくてよろしい。」
「・・・ぇぇー。」
「・・・。」
「・・・なによ?」
「・・・犯人は?」
「そうだった!犯人がわかったわ!」
「やっぱり殺人なのかい?」
「当然よ。犯人はね・・・。」

読者への挑戦

 名探偵・西嶋美樹の到達した犯人とは誰か?事件の全貌とは?西嶋美樹と同じ理論の道を辿って指摘していただきたい。あなたと彼女の条件は全く対等である。ここまでに語られなかった事実を彼女が独占しているということはない。しかし、ここまで語られてきた事実だけで犯人や事件の全貌を明らかにすることは叶わない。イマジネーションの力を借り、すべてを解き明かしていただきたい。

著者注

 お願いだからまじめに考えないでください。

「犯人がわかったわ。犯人はね・・・。」

 彼女はそこまでいって黙り込んだ。

「おい?どうしたんだ。」
「・・・待って、まだ一つ確認しなければならないことがあったわ。」
「確認しなければならないこと?」
「アリス!」
「・・・晶です。」
「晶!今から現場まで行って、とあることを調べてほしいの。」
「とあること?大丈夫かな。中に入れなくっても、聞けば教えてくれるかな?」
「大丈夫よ。彼らはそれが重要な情報だとは思っていないから。」
「そ、そうなのか。で、何を知りたいんだ?」
「現場の隣の空き部屋にカーテンがあるかないか、よ。犯人が逃げるわ。急いで!」
「・・・わかった。」

 私は現場まで走った。現場の封鎖は解除されており、警察官の姿は見えなかった。すでに現場の検証を終えて撤退してしまったのだろうか。おかげで私は自由に目的を達成することができた。目的の部屋は二階だったが、下からカーテンがあるかないかぐらいは確認できた。カーテンは・・・あった。カーテンは窓の両脇に束ねてあった。私は急いで家に戻り、彼女にそのことを知らせた。

「ありがとう。何もかも思った通りだったわ。事件はこれで解決よ。」
「で、犯人は誰なんだ?てか、本当にわかったんだろうな?」
「そうね・・・せっかくだから、大さんを呼びましょう。」
「・・・完全な無駄足なんてオチにならないことを祈ってるよ。」

 彼女は不適に笑うと受話器をあげ短縮番号をプッシュした。おいおい、大さんの電話番号は登録済みだったのか。本当にどこで彼と知り合ったんだろうか・・・。数回のコール音の後、相手が出たようだった。

「怪しいものではございません。・・・ええ、名探偵の西嶋美樹です。犯人がわかりました・・・え?・・・どういうことですか?・・・それで?・・・わ、わかりました。また、よろしくお願いいたします。」

 彼女の手から受話器がこぼれ落ちた。グッタリと脱力した彼女の瞳には涙があふれていた。

「お、おい。どうしたんだ?なにがあった?」
「えぐっ。えぐっ。」
「しっかりしてくれ。どうしたんだ?」
「・・・って・・・。」
「は?」
「犯人が捕まったって!」
「・・・そうか。やっぱり殺人だったんだな。」
「そうよ!」
「で、犯人は予想通りだったのか?」
「違うわよ!推理と違った犯人だったの!」
「あー・・・。」
「こんなのフェアじゃないわ!読者を馬鹿にしないでちょうだい!」

 彼女の叫びはどこまでも悲痛だった。ま、他殺であるというところだけは正しかったのだ。次にがんばればいいさ。私は彼女の頭を優しく撫でたのだった。

完結